昨夜の十一時過ぎ、「通りすがり」と称する方からアドレスの無いコメントが寄せられた。私は、正体不明の方々から寄せられたコメントやメールは、一読したあと削除しているので、その全貌を此処に示すことは出来ませんが、察するに、その趣旨は、私が昨日の記事で「角川『短歌』などの商業誌に作品を発表している『プロ歌人』」と書いたことに対して、件の「通りすがり」の方が大きな怒りを感じたことが原因で、その「通りすがり」なる御仁は、当ブログの管理者たる私に抗議をしたかったのであるらしい。
ところで、私は昨日の記事の中で、「角川『短歌』などの商業誌に作品を発表している」歌詠みの方々のことを、単にプロ歌人と呼んだのでは無くて、鍵括弧付きで「プロ歌人」と呼んだのでありました。
鍵括弧の在る無しに応じて、言葉の意味には少なからぬ違いが生じて来る、ということは件の御仁は知らなかったのでありましょうか?
それとは別に、例えば「小説新潮」などの商業誌に小説を掲載している方々のことを、世間では「プロの小説家」と呼んでいることは何方に聞いても間違いのない事実である。
ならば、小説と短歌との違いがあるにせよ、角川「短歌」は、紛れも無い商業誌であるから、その商業誌に作品を発表している(投稿欄は除く)歌人のことを「プロ歌人」と呼ぶことに何の問題がありましょうか?
だとするならば、件の「通りすがり」の方は、私か「プロ歌人」と鍵括弧付きにしたことを問題にし、抗議するべきである、と、件の記事の執筆者の私は思うのであるが、当ブログの愛読者の方々のご意見は如何なものでありましょうか?
また、「商業誌に小説を発表している小説家」が「プロの小説家」であり、「商業誌に短歌を発表している歌人」が「プロの歌人」でなかったとしたならば、「短歌第二芸術論」の再来とも言うべき事態とは相成るのでありましょう。
〇 新聞を切りてスクラップするのみのはかなき日課頼りてゐたり 大滝貞一
〇 久しぶりに「現の証拠」を見つめゐて譲らむものはたくましく生く
本稿の目的は、掲載作品の<悪口>を言うことにあったはずなのであるが、その目的を忘れて、思わず<納得>させられてしまう作品でありました。
但し、掲出の二首にブロ歌人たる大滝貞一氏の力量が充分に発揮されている、とは私は思いもしませんが。
〇 朝起きて朝また起きて紺ふかき子が郵便の配達に行く 佐伯裕子
「朝起きて朝また起きて」とは、「毎朝」という意味でありましょうが、「紺ふかき」に込められている作者の「思い寄せ」がいま少しはっきり解りません。
それにしても、プロ歌人・佐伯裕子氏の御祖父殿は、あの日本陸軍での謀略部門のトップとして満州国建国及び華北分離工作に中心的役割を果たした人物・土居原賢二である。
土居原賢二氏は、大方の世評とは別に、「家庭の人」としては、温厚で優しいお父さんであり、お爺さんであった、とのこと。
その土居原賢二氏の曾孫さんが郵便配達をししている世の中になってしまったのである。
この事実を以って、私・平成の逸民は「民主主義」と称しているのでありましょうか?
〇 雑草の騒立ちやまぬ戸のめぐり何処にでも在る不幸が匂う 佐伯裕子
「何処にでも在る不幸が匂う」という下の句の断定は、「雑草の騒立ちやまぬ戸のめぐり」という上の句の光景からの必然的、即ち、「予定調和」的に導き出されたものである。
プロ歌人中の「プロ歌人」としての佐伯裕子氏作らしからぬ凡作である。
〇 郵便配達研修に行く子の背中 世間は怖くてただ懐かしい 佐伯裕子
世の中はすっかり変わってしまったのですから、土居原将軍の曾孫さんが「郵便配達研修に行く」ことだって少しも不思議なことではありません。
それなのに、ママったら「世間は怖くてただ懐かしい」なんちゃってる?
ところで、私は昨日の記事の中で、「角川『短歌』などの商業誌に作品を発表している」歌詠みの方々のことを、単にプロ歌人と呼んだのでは無くて、鍵括弧付きで「プロ歌人」と呼んだのでありました。
鍵括弧の在る無しに応じて、言葉の意味には少なからぬ違いが生じて来る、ということは件の御仁は知らなかったのでありましょうか?
それとは別に、例えば「小説新潮」などの商業誌に小説を掲載している方々のことを、世間では「プロの小説家」と呼んでいることは何方に聞いても間違いのない事実である。
ならば、小説と短歌との違いがあるにせよ、角川「短歌」は、紛れも無い商業誌であるから、その商業誌に作品を発表している(投稿欄は除く)歌人のことを「プロ歌人」と呼ぶことに何の問題がありましょうか?
だとするならば、件の「通りすがり」の方は、私か「プロ歌人」と鍵括弧付きにしたことを問題にし、抗議するべきである、と、件の記事の執筆者の私は思うのであるが、当ブログの愛読者の方々のご意見は如何なものでありましょうか?
また、「商業誌に小説を発表している小説家」が「プロの小説家」であり、「商業誌に短歌を発表している歌人」が「プロの歌人」でなかったとしたならば、「短歌第二芸術論」の再来とも言うべき事態とは相成るのでありましょう。
〇 新聞を切りてスクラップするのみのはかなき日課頼りてゐたり 大滝貞一
〇 久しぶりに「現の証拠」を見つめゐて譲らむものはたくましく生く
本稿の目的は、掲載作品の<悪口>を言うことにあったはずなのであるが、その目的を忘れて、思わず<納得>させられてしまう作品でありました。
但し、掲出の二首にブロ歌人たる大滝貞一氏の力量が充分に発揮されている、とは私は思いもしませんが。
〇 朝起きて朝また起きて紺ふかき子が郵便の配達に行く 佐伯裕子
「朝起きて朝また起きて」とは、「毎朝」という意味でありましょうが、「紺ふかき」に込められている作者の「思い寄せ」がいま少しはっきり解りません。
それにしても、プロ歌人・佐伯裕子氏の御祖父殿は、あの日本陸軍での謀略部門のトップとして満州国建国及び華北分離工作に中心的役割を果たした人物・土居原賢二である。
土居原賢二氏は、大方の世評とは別に、「家庭の人」としては、温厚で優しいお父さんであり、お爺さんであった、とのこと。
その土居原賢二氏の曾孫さんが郵便配達をししている世の中になってしまったのである。
この事実を以って、私・平成の逸民は「民主主義」と称しているのでありましょうか?
〇 雑草の騒立ちやまぬ戸のめぐり何処にでも在る不幸が匂う 佐伯裕子
「何処にでも在る不幸が匂う」という下の句の断定は、「雑草の騒立ちやまぬ戸のめぐり」という上の句の光景からの必然的、即ち、「予定調和」的に導き出されたものである。
プロ歌人中の「プロ歌人」としての佐伯裕子氏作らしからぬ凡作である。
〇 郵便配達研修に行く子の背中 世間は怖くてただ懐かしい 佐伯裕子
世の中はすっかり変わってしまったのですから、土居原将軍の曾孫さんが「郵便配達研修に行く」ことだって少しも不思議なことではありません。
それなのに、ママったら「世間は怖くてただ懐かしい」なんちゃってる?