臆病なビーズ刺繍

 臆病なビーズ刺繍にありにしも
 糸目ほつれて今朝の薔薇薔薇

今週の朝日歌壇から(8月30日掲載・其のⅡ)

2010年09月27日 | 今週の朝日歌壇から
[永田和宏選]

○ 百円分歩きらくだはゆっくりと前足を折りわれを下ろせり  (町田市) 阿部光子

 
 あの鳥取砂丘の「らくだ」は乗客一人を乗せて砂丘を数分間歩いただけで千八百円も稼ぎ、歩かなくても人間を背に乗せて写真を撮らせただけでも五百円を稼ぐ。
 「百円」で乗客を乗せて歩き、「ゆっくりと前足」を折って乗客を下す、紳士的で安上がりの「らくだ」は、一体何処の観光地に居るのでしょうか?
  〔返〕 前足をゆっくりと折り乗客を下すも芸のタレントらくだ   鳥羽省三


○ 道筋にやうやく残りし本屋なれ道を訊かれて今日が始まる  (長野県) 沓掛喜久男

 長野県の沓掛喜久男さんと言えば、<朝日歌壇>の常連中の常連の一人である。
 その彼のご職業は、街道筋に「やうやく残りし本屋」さんであったのである。
 その昔は、沓掛書店の軒にも馬や人の草鞋が掛けられていたのでありましょうか?
  〔返〕 「是より西、京へ百里」の沓掛で客も荷馬も草鞋替へたり   鳥羽省三


○ ロックすることもできます虫籠に虫の出られぬ扉ありけり  (京都市) 田畑益弘

 犬猫ならともかく「虫籠」に入れられたが最後、「虫」は永遠に自力では「籠」の外に出られないのである。
 それを承知で、何の必要が有っての「虫籠」の鍵なのでしょうか?
 それこそ正しく、人間の愚かさと増上慢の証明に他なりません。
  〔返〕 ロックして遊びに出掛けたその合い間籠のクワガタ熱中症に   鳥羽省三


[馬場あき子選]

○ ケロイドの項は汗をかかざりし被曝の疵も古希を迎へぬ  (高石市) 木本康雄

 評者のような<汗っかき>からすれば、「汗」をかかないことは大変好都合なことだとも思えるが、「被曝」した身体の一部の「疵」だけが「汗」をかかないのだとすれば、それはまた別問題であり、傷口が疼くこともありましょうか。
 「汗をかかざりし」「疵」諸共に、本作の作者・木本康雄さんは、この夏「古希」を迎えられたわけである。
 同年齢の私としては、取り敢えずは、「おめでとうございます」と申し上げるべきでありましょう。
  〔返〕 縫合せし胸の創にも汗をかき今年の夏も無事に越したり   鳥羽省三


○ もう顔がしょっぱくなってしまうほど草取りをしてむかえるお盆  (新潟市) 太田千鶴子

 この一首に接して思い出すのは、今は亡き父や長兄が灼熱の田圃を這いずり回ってやっていた稲田の<田の草取り>である。
 あの作業は、目を傷めるし、足腰が痛くなる。
 それこそ、「もう顔がしょっぱくなってしまうほど草取りをしてむかえるお盆」とは、あの辛い作業を終えた後で迎える「お盆」のことでありましょう。
 ところで、本作での「草取り」は、家の周りや墓地などの「草取り」であり、昔人からしたら、遊びごとのように軽くて楽な、仕事とも言えないような仕事であったことでありましょう。
 それでも、現代社会の女性からすれば、「もう顔がしょっぱくなってしまうほど」に苦しい「草取り」なのである。
 それでも、ご先祖様や都会からのお客様をお迎えする「お盆」ともなれば、田舎の農家の主婦としては、それくらいの事は当然しなければならないのである。
  〔返〕 迎え火で花火を揚げて楽しんで人騒がせな一夜のお客   鳥羽省三


○ ふるさとをテレビカメラが映しゆく過去のわたしがあまた手を振る  (アメリカ) 中條喜美子

 海を隔てたアメリカ合衆国の砂漠地帯の町に住む、本作の作者・中條喜美子さんにとっては、「テレビカメラ」に向かって「手を振る」、「あまた」の「ふるさと」人の全てが「過去のわたし」なのである。
 本作の作者は、「素朴なふるさと人は素朴な過去の私だ」と、久々に見る「ふるさと」の光景を食い入るようにして見つめるばかりなのである。
  〔返〕 ああ過去の吾が手を振る光景を吾が見ている彼も見てるか   鳥羽省三
 返歌中の「彼」とは、「過去の吾」のことである。
 ああ、吾の方からは、手を振る彼の全てが見える。彼の方からはそれを見ている吾が見えるのだろうか?


○ 年老いて荼毘と葬儀の続く日はひとり海に来て店を忘るる  (八戸市) 山村陽一

 この一首から察するに、本作の作者・山村陽一さんは、家業の葬儀店をご子息殿にお譲りになられたのかと思われる。
 考えてみると、葬儀店という家業は、如何に生活の為とは言え、なかなかに因果なご商売である。
 「年老い」た作者にとっては、「荼毘と葬儀の続く日はひとり海に来て」、せめて家業のことを忘れるしか無いのでありましょう。
  〔返〕 よそ人の不幸を暮らしの種として何を蒔こうかこの故郷に   鳥羽省三


○ 隣り家の樫の大木倒されて吾は深ぶか大空を吸ふ  (仙台市) 坂本捷子

 <森の都・仙台>での「樫の大木」と言えば、差し詰め二抱えも三抱えもある「樫」の木を指すのに違いありません。
 隣家の住人にとっては、日照権を剥奪している犯人以外の何者でも無い、その「樫の大木」が「倒され」たのですから、本作の作者の「吾」にとっては、「深ぶかと大空を吸ふ」のは当然のことでありましょう。
  〔返〕 伊達公の膝元青葉の仙台に樅の木ならぬ樫の木残る   鳥羽省三


○ 走り穂の稲匂い来る空き畑に臼で挽くほど蕎麦の種播く  (山形県) 高橋まさじ

 「臼で挽くほど」の「蕎麦の種」からは、ザルで何杯ほどの「蕎麦」が穫れるのかと、評者としては大いに興味深いところではある。
  〔返〕 盛りならば百杯ほどの蕎麦ができ一家五人が十日も食える   鳥羽省三   
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今週の朝日歌壇から(8月30日掲載・其のⅠ)

2010年09月27日 | 今週の朝日歌壇から
[佐佐木幸綱選]

○ 遠野にもゲゲゲの鬼太郎やって来てカッパの里を盛り上げにけり  (奥州市) 大松澤武哉

 今年の夏はNHKの朝ドラ『ゲゲゲの女房』人気のお蔭で、彼方此方の観光地にあの<鬼太郎>が出没し、<地域興し>に大いに貢献した、と聞くが、この一首に関して申すと、短歌作品としては、題材の珍しさ以外の何者も無い、平凡な作品と思われ、これ又、あの『ゲゲゲの女房』人気にあやかっての<佐佐木幸綱選>入選一席かと思われる。
  〔返〕 遠野には何も無いから人が行く<ゲゲゲの鬼太郎>遠野に無用   鳥羽省三


○ 裏庭に満月昇ればでこぼこのゴーヤがおどる百本あまり  (宮城県) 須郷 柏

 暑さ続きの今年の夏を<ゲゲゲの鬼太郎>以上に彩ったのは、あの苦み走った「ゴーヤ」である。
 新居付近の住宅街を散歩していると、二軒に一軒の割合で、家の窓があの<ゴーヤ簾>で塞がれている。
 それに注目した我が連れ合いは、「来年の夏は、我が家のリビングの窓の前にもゴーヤを植えよう。ゴーヤの簾で涼しい夏を過ごし、ゴーヤチャンプルでスタミナを付ける。それこそ最高の夏越し策だ」などと抜かしている。
 来年の夏は、私にとっては、いよいよ苦渋を噛み締める夏になるのか?
 今までの二年間をさんざん苦渋を噛み締め、それからやっと解放されたかと思ったら、来年の夏も又、苦渋を噛み締めなければならないのだろうか?
  〔返〕 苦いのは秋刀魚のはらわた生麦酒ゴーヤチャンプル私は苦手   鳥羽省三


○ 箔押機大きい方を処分して身軽になれと妻は言うかも  〔和歌山市〕 勝田鉄也

 永田和宏選にも選ばれている。
 「箔押機」とは、何に「箔」を押す機械だろうか?
 案外、自分自身に「箔」を押す機械なのかも知れません。
 それにしても、何かの象徴めいていて、謎の機械ではある。
 本作の作者・勝田鉄也さんは、その謎の「箔押機」を大小二台も持っていると言うが、選者の佐佐木幸綱氏は、いったい何台の「箔押機」をお持ちなのでありましょうか?
 私たち短歌ファンは、佐佐木幸綱氏をそろそろ<朝日歌壇選者>という「箔押機」から解放してあげる時期を迎えているのかも知れません。
  〔返〕 大学の教授に主宰に選者など幾多の箔に包まれ喘ぐ   鳥羽省三


○  パンツルックやめてワンピで出勤を始めてわかる視線の本音  (尼崎市) 南はるか

 本作の作者・南はるかさんは、歌人の割りには意外に世間を視る目が無いお方と見受けられます。
 「パンツルック」「出勤」を「やめて」「ワンピ」「出勤」を始めたら、彼女への「視線」が、<哀れみの視線>から<無視の視線>に変わるのは、最初から目に見えていた事ではありませんか?
 自分自身をも客観的に視るのは、歌人として<イロハのイの字>ではありませんか?
  〔返〕 パンツルックやめた途端に躓いてまたまた集まる哀れみ視線   鳥羽省三


[高野公彦選]

○ ひ孫生れ笑顔よき子になりました可愛いさたまらんもうたまりません  (富田林市) 太田喜利代

 孫自慢の歌は犬も食わないと言う。
 まして「ひ孫」自慢はあまりにもお目出度くて猫も食いません。
 詠む方も詠む方ですが、採る方も採る方です。
 本作の作者・太田喜利代さんは、富田林のとんだ曽お婆ちゃんです。
 どうぞご勝手に可愛がっていなさい。 
  〔返〕 曾孫抱き廊下走っていけませんあれいけません転ぶとたまらん   鳥羽省三


○ 食事とる店もないとて出立にめはり寿司くださる十津川の宿  (中央市) 前田良一

 「めはり寿司」とは、和歌山県と三重県にまたがる熊野地方及び奈良県吉野地方の郷土料理とも言える食べ物で、高菜の浅漬けの葉でくるんだおにぎりである。
 食べる時、あまりにも大きくて目を見張るから「めはり寿司」と言うのだと聞く。
 実は、熊野地方や吉野地方には、旅行者が「食事」を摂る「店」はいくらでも在るのだが、この地方の宿屋では、昔からのしきたりとして、前夜宿泊したお客が朝立ちする時、「これから先、碌な食べ物屋も在りませんから、あまり美味しくはありませんが、お昼になったら、これでもお召し上がり下さい」と言って、竹の皮に包んだ大きな「めはり寿司」を持たせるのだと聞いている。
 私の乏しい経験から申し上げると、「めはり寿司」は決して美味しいものでは無く、昔から言う「名物に旨いもの無し」の典型的な一例と思われます。
  〔返〕 目を見張り高菜に包んだ<めはり寿司>食べたら澤の流れ飲むべし   鳥羽省三


○ 浮子すべて底に沈みて睡りたり夏眠は深しガリレオ温度計  (名古屋市) 諏訪兼位

 馬場あき子選にも選ばれている。
 作中の「ガリレオ温度計」とは、ガリレオが発見した<液体密度が温度に関係して変化する>という原理を利用して考え出された温度計である。
 通常市販されている品は、水の入った円筒形のガラス容器の中に幾つかの小さなガラス球が入っていて、このガラス球が室内の温度の上昇に応じて浮いたり沈んだりすることから温度を測ることが出来るようになっているのである。
 私蛾かつて持っていた「ガレリオ温度計」には、<摂氏十二度>から<三十四度>までの温度を示す十二個の小さなガラス球が入っていて、浮いているガラス球のいちばん下に位置するガラス球に付いているプレートの示す温度が現在の室温を表わす仕掛けになっていた。
 作中に「浮子すべて底に沈みて睡りたり」とあるが、仮に本作の作者のお宅の「ガレリオ温度計」が、私がかつて持っていた品物と同じだとすると、その日の作者宅の室温は<摂氏三十四度以上>の真夏日となり、まさしく「夏眠は深しガリレオ温度計」ということになりましょう。
 さすがに科学短歌の権威の諏訪兼位さんの作品である。
 私は久々に今年の夏の暑さを室温という数字上のデーターで感じることが出来た。
 因みに、今日の私宅の室温は<摂氏二十四度>で、パソコンのキーを叩いている私は、妻から毛嫌いされている薄紫のYシャツの上に濃紺のジャンバーを羽織っている。
 但し、現在の私宅の温度計は、美的センスも風情も感じられない、只のアルコール温度計である。
  〔返〕 顧みれば夏の暑さが嘘のよう今の室温二十四度   鳥羽省三


○ 石仏の赤き前だれはためきて月山湿原風の鋭し  (三鷹市) 増田テルヨ

 今年の夏の灼熱地獄の世界とは言え、みちのくの「月山湿原」まで行けば、其処には「石仏の赤き前だれ」が、鋭い「風」に吹かれて「はためきて」いる世界が広がっているのである。
 もう二ヶ月もすると、あの<生き仏様>たちのミイラも氷るような冬がやって来るのである。
 南無阿弥陀仏。
  〔返〕 杉苔の微細な葉っぱも震え居て月山湿原秋は深まる   鳥羽省三


○ 食卓に造花を飾ってゐるやうな ノンアルコールの麦酒といふは  (東京都) 高橋義子

 本作の作者の高橋義子さんは、何かの理由で飲酒を止めているのに違いない。
 「ノンアルコールの麦酒といふは」、真に「食卓に造花を飾ってゐるやうな」ものなのである。
 しかし、その「食卓」の上の「造花」のような「ノンアルコールの麦酒」を、敢えて飲まなければならない馬鹿も此の世には確かに居るのである。
  〔返〕 何ものに例へんかなや今宵飲むノンアルコール紛ひの麦酒   鳥羽省三 

 
○ 鬼百合を喪服の蝶が訪ねくる夕立あがり風のたつころ  (松阪市) こやまはつみ

 今年の夏の酷暑の中でも、「夕立あがり風のたつころ」ともなれば、人恋しさが募るものと思われる。
 「鬼百合」は、人恋しさを募らせた「喪服の蝶」が「夕立あがり風のたつころ」に「訪ねくる」相手としては格好の相手であろう。
 米寿過ぎた尼さんの籠る草庵の板戸を叩く<厄介おぢ>がある村に居たという話を、その昔、私は耳にしたことがある。
  〔返〕 鬼百合は蕊の奥処に蜜を秘め喪服の蝶をいつも誘ふ   鳥羽省三
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今週の朝日歌壇から(8月23日掲載・其のⅡ)

2010年09月27日 | 今週の朝日歌壇から
 皆様方には十日余りのご無沙汰でございました。
 引越し騒ぎの多忙の為とは言え、私が更新を怠っていた間も、毎日毎日、この拙いブログまでご足労下さった方々には、篤く篤く御礼申し上げます。
 私と連れ合いとは、この度、二年に及んだ仮住まい生活から解放され、川崎市多摩区内に新たな住居を定めました。
 私は二十代の初めに、遊学を表面上の理由として郷里を出奔し、それ以来、首都圏内の十数か所の地を転々として参りましたが、今回、転住したこの地こそ、私や私の連れ合いにとっての「終の棲家」となるに違いありません。
 万葉の昔に<多摩の横山>と詠われた丘陵地帯の一廓を占めるこの地に於いて、私は更に一層の熱意を込めて、詠歌及びマイブログ「臆病なビーズ刺繍」の更新に励んで行く所存です。
 つきましては、皆様方には、何卒、ご指導ご鞭撻の程を宜しくお願い申し上げます。


[高野公彦選]

○ 網とカゴ手に子どもらはマンションの十二階から下界におりる  (和泉市) 星田美紀

 星田美紀さんという類い希な感性の持ち主の作品であるこの一首は、「マンション」の「十二階」を「下界」から隔絶された<別世界>と見做すことを基本として成り立っているようだ。
 だが、私の持論に拠ると、「人間が人間として生きる過程は、人間が自分の居住空間を天上界から下界へと墜落させる過程と軌を一にしている」と言わなければならないのである。
 このことを私は、半生の半ば以上を高層マンションの最上階に住んでいたという自分の過去の経験に基づいて述べているのではあるが、仮に私の過去の住居が高層マンションの最上階では無く最下階であったにしろ、また、マンションでは無く一戸建ての住居であったにしろ、同じようなことが言えるのではないでしょうか?
 とは言え、ご自宅の「子ども」たちが「網とカゴ」を「手」にして、「マンションの十二階」から降りて行くのを目にした時、「この『子ども』たちは、今まさに、<天上界>から『下界』即ち<人間界>即ち<俗界>へと下降して行くのだ」とお感じになられた、本作の作者のお気持ちは、私にも解らないではありません。
 「マンションの十二階」という別世界から「下界」に降りて行った星田美紀さんちの「子どもら」が「手」にした昆虫「網」には、いかなる獲物が掛かるのでありましょうか?
 彼らの「手」にした「カゴ」の中には、一体どんな獲物が囚われるのでありましょうか?
 それは、美しい翼の蝶々や虹色の玉虫なのかも知れないし、また、それまで星田さんちの「子どもら」が、ただの一度として感染しなかった病原菌なのかも知れません。
 そのいずれにしろ、それらが、星田さんちの「子どもら」が「手」に携えて行った「カゴ」に入れられて「マンションの十二階」に上昇して来る度毎に、本作の作者・星田美紀さんちからは<別世界>たる要素が徐々に徐々に薄れ行き、その住人たる「子どもら」もまた、徐々に徐々に<天上界>の住人たる資格を失って行くのでありましょう。
 そして、私たち大人は「子どもら」のそうした過程、即ち<天上界>から<下界>へと下降して行くを過程を称して<成長>と呼ぶのでありましょう。
 この傑作に接して思うに、<成長>とは即ち<俗化>なのかも知れない。
 〔返〕 その網に恋をからげて悩む日よ子どもらの夏まだ果てし無く   鳥羽省三
 

○ 開戦のごと油蝉啼きはじめ敗戦のごとひぐらしの啼く  (城陽市) 山仲 勉

 「ひぐらし」の「啼き」声からイメージされる「開戦」とは、私たち日本人が直接に体験した、あの夏の日の「敗戦」を指すものであると思われるが、「油蝉」の「啼き」声からイメージされる「開戦」については、寡聞にして私には思い当たることが無い。
 思うに、「開戦のごと油蝉啼きはじめ」の「開戦」とは、私たち日本人が体験した現実の「開戦」を指すものでは無く、夏の暑い盛りに日がな一日ジーと啼いて身を責める、あの「油蝉」の「啼き」声から喚起された抽象的な「開戦」なのかも知れません。
  〔返〕 会戦のごと青蛙は啼き喚きその後しばらく夕立見舞ふ   鳥羽省三


○ 囂し囂し蝉のひと枝につらなりて鳴くああ囂し  (八尾市) 水野一也

 選者の高野公彦氏は、この一首について「囂しいを三回重ねて蝉の喧騒を表現した」と述べて居られるが、それもさることながら、この一首の創作動機は、「囂」という、画数が多く、使用頻度の極めて少ない文字への興味にあったと思われる。
 と、申しても、私は何もこの一首の価値を低めようと意図しているのではない。
 要するに、詠歌の動機は、何も、物や事柄に接して感動したという、古今的、貫之的動機に依るものばかりでは無い、という、ごく平凡な事実について申し述べようとしているのである。
 漢和辞典を開いてみて初めて知った一字についての些細な興味なども、優れた歌を詠む立派な動機となり得る、と言いたいのである。
  〔返〕 姦しい嗚呼姦しい姦しいおバカ三人ヨン様談義   鳥羽省三


○ 法相の目にアイライン引かれおり死刑執行せし日の朝も  (東京都) 佐藤加容

 評者にとっては、本作の着眼点には極めて興味深いものがある。
 彼の前法相が私の前にあの顔を現したのは、私が未だ三十代の少壮教員で、職場の組合の動員でメーデーの神奈川県集会に参加していた時であった。
 若草色のワンピースで貧弱な肉体を覆った彼女は、私たちメーデー神奈川集会の参加者の前に、弁護士資格を持っている次期参議院議員選挙の組合推薦候補者として颯爽とは言えない姿で現れ、北東北の農村の村会議員候補の演説以下とも思われる、下手な立候補の挨拶兼メーデー集会への祝辞を長々と述べ、それが終わると身長の割りには長過ぎるワンピースのスカートの裾をひらひらさせながら会場を一周して立ち去ったのでありました。
 それ以来私たち労働者は、彼女のことを<日本社会党のマドンナ>と呼び、<神奈川県の働く者の希望の星>と呼ばねばならなくなったのでありますが、必ずしも繊細とも言えない私の心の中には、あの服装センスが超悪く、演説が超下手な同世代の女性を、自分たちの<マドンナ>として仰ぐ気持ちが消えたり無くなり掛けたりしていたのでありました。
 そうした彼女の記憶が私の脳裡から完全に消えてしまったある日に、まさかと思われた政権後退が実現し、彼女は鳩山内閣の法相として私の前に再び現れ、その後の参議院議員選挙で惨敗した後も、菅内閣の法相の椅子に坐り続け、その去り際のぎりぎりの場面で、前言を翻すかのようにして、「死刑執行」の大臣命令を出したばかりか、「死刑執行」の現場に立ち会うことさえ、敢えて為したのである。
 その「死刑執行せし日の朝」に、出来損ないの能面のような彼女の顔に「アイライン」がくっきりと「引かれ」ていたというのである。
  〔返〕 鬼女一人アイライン引き現れて死刑執行ボタンに向かふ   鳥羽省三


○ 平飼いの鶏ら眠れる庭隅に生みし卵を月光(つきかげ)濡らす  (宮城県) 須郷 柏

 「月光濡らす」は常套的表現ではあるが、本作に於いては印象的かつ適切な表現であると思われる。
 「平飼い」とは、<庭の地面に直接接した鶏舎で鶏を飼う>ことであろうか?
  〔返〕 バタリー式鶏舎住まいの鶏たちは今夜の月にまどろみも得ず   鳥羽省三


○ 午後六時課長の着メロ《ゴジラ》鳴り「ワイフからだ」と廊下に出でぬ  (調布市) 水上香葉

 一首全体、伝統的かつ現代的レアリズムで統一された傑作である。
 「『ワイフからだ』と廊下に出でぬ」が特に宜しい。
 ことほど然様に、我が国の職場から、<猛烈社員>や<下士官課長>ちたが消え去り、それと交代するようにして、定時に職場から去った後、女房から携帯電話で言い付けられた<閉店前の五割り引きお惣菜>を求めてデパ地下を彷徨う、<着メロ課長>が増えたのである。
  〔返〕 午後七時課長はデパ地下血眼でゴジラの餌を探し求める   鳥羽省三


[永田和宏選]
 
○ 戦死した父も並んだ唯一の家族写真を母の柩へ

 そう言えば、私の生家にも、終戦の年に亡くなった母が、父の傍らに添った写真がたった一枚だけだが、確かに在ったような気がする。
 あの写真は、その後、三十年以上経って亡くなった父の柩に、姉や兄の誰かが、そっと入れてやるという気遣いを見せたのであろうか?
 私自身は、自分の成人前の写真をただの一枚も持っていない。
  〔返〕 一枚の写真に見ゆる自分史が耐へ難ければ破り捨てたり   鳥羽省三 


○ 白粉花を包みて沼に闇沈むふたこゑづつに牛蛙啼きて  (西条市) 亀井克礼

 沼縁りに咲いている「白粉花」が、「沼」の黒い水に包まれるようにして映っている風景を詠んだのでありましょう。
 「ふたこゑづつに」啼く「牛蛙」の「啼き」声は、上の句に詠まれた風景にいかにもマッチしたものである。
  〔返〕 丑沼の濁れる水はその縁の白き花飲み夜に入らむとす   鳥羽省三


○ 数トンの風を掴みて傾きぬ帆の曲面の波に触るるまで  (川崎市) 藤田 恭

 ヨットの「帆の曲面」が「波」に触れるような場面では、「帆」に掛かる「風」の重量は、「数トン」にも及ぶのだろうか。
  〔返〕 半トンの風に逆らい漕ぐ時はプジョーのヘダル余りに固し   鳥羽省三


○ 昼までに汽車は来るとさマプートの駅のホームに人は寝て待つ  (浜松市) 桑原元義

 「午後一時三十二分発のバスが定刻通りに来ない」と言って、バス停の時刻表に唾を吐いていた、昨日遭った田園調布学園大学のあの女子学生は、地球的に視野に立って見れば、気違いのような存在なのでありましょう。
  〔返〕 寝てる間に汽車は発ち去りまた二日駅のホームで我は寝て待つ  鳥羽省三


○ いつまでも二人でゐられるものでなし雨はあがれどあめの匂ひす  (名古屋市) 伊東美子

 上の句と下の句との、関係が在りそうで無さそうで在りそうな、その関わり方がなかなか宜しい。 
  〔返〕 いつまでも勝っていられるものでなし百連勝で引退したら   鳥羽省三  
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今週の朝日歌壇から(8月23日掲載・其のⅠ)

2010年09月12日 | 今週の朝日歌壇から
[馬場あき子選]

○ 倦む姪をなだめて鶴を折りはじむ薄暗き病院の待合室に  (千葉市) 愛川弘文

 本作の作者と思われる<話者>とその「姪」とは、いかなる理由で以って「薄暗き病院の待合室に」居るのだろうか?
 話者は、いかなる理由で以って「鶴を折り」はじめたのだろうか?
 「姪」は何に倦んだのだろうか?
 「姪」が「倦む」以前にも話者は「鶴」を折っていたのだろうか?
 もし折っていたとすれば、「姪」も一緒に折っていたのだろうか?
 「倦む姪をなだめ」た結果、「なだめ」られた「姪」は、話者と一緒に「鶴を折り」始めたのだろうか?
 などなど、この作品は謎だらけの作品であるが、その謎を解いて行くのが、本作の観賞と思われるので、以下、作中の表現を手掛かりにして、拙いながらもその謎を解いてみよう。
 <話者>とイコールの関係にあると思われる本作の作者・愛川弘文さんは、本日、命を賭けての数時間に及ぶ大手術を施されている実姉の付き添いとしてこの病院を訪れたのであり、手術が行われ始めた先刻からは、患者であり実姉である女性の一人娘の「姪」と一緒に「薄暗き」「待合室」に居て、手術の成功を祈り、あらかじめ用意して来た折り紙で千羽鶴を折っていたのであるが、自分たちの置かれた立場を正確には理解していない「姪」は、手術時間の長さとその間に叔父と一緒に行っていた千羽鶴を折る作業に飽きてしまい、ぐずり出したのである。
 しかし、本作の作者の愛情の籠った説得の結果、作者と一緒に「姪」もまた千羽鶴を「折り」はじめ、その甲斐もあって、作者の姉であり、「姪」の母である女性の大手術は成功裏に終わるに違いありません。
 本作について、もう一つ申せば、手術を受けている女性の夫であり、「姪」の父である男性の姿が、この一首の何処にも見当たらなく、そのことが、この一首に深い陰翳を付与していることである。
  〔返〕 孕ませし男に去られ病ひ得て今日の手術にいのち預くる   鳥羽省三


○ 熱湯をポットに二つ詰め終えぬ抗癌の朝の始まりとして  (岡山市) 小林道夫

 本作の作者・小林道夫さんは、律儀で働き者であるが故に、入院中で「抗癌」治療を施されている身の上にも関わらず、毎日、何か身体を動かすことをせずには居られないのである。
 その一方、毎日何かをすることは、癌と闘い、昨日から今日、今日から明日へと命を永らえて行く作者の楽しみの一つであり、生きて行く姿勢の表れなのでもある。
 そこで彼は、今朝も亦、「熱湯をポットに二つ詰め」て自分の病室に持って行くのである。
 「熱湯」の入った二つの「ポット」の中の一つは彼自身のもの、もう一つは、寝たきり状態になっている同室の病友のものである。
  〔返〕 昨日の朝給湯室で会ひし友今朝は顔見ぬ如何なる故か   鳥羽省三


○ 草を刈る額の汗を舐める蜂に鎌を放れず見入る炎天  (福島市) 澤 正宏

 「鎌」で「草を刈る」作者の「額」に停まって「汗を舐める蜂」が居るのだが、この暑さの中の草刈り作業中では、「鎌」を放り投げて「蜂」を追い払うことも出来ず、本作の作者・澤正宏さんは、ただ茫然と「炎天」を「見入る」ばかりなのである。
 私ごとながら、私たちは一昨日、形ばかりの引越しを済ませ、一年二ヶ月の仮住まい生活
から解放されて、川崎市多摩区の新居での生活を始めたのであるが、先程、出窓からひょいと視線を外に向けたら、寓居の隣家のご主人と思われる高年齢の男性が草引きをしているのを視てしまった。
 ところが、それから十分ぐらい後に、再び目をやったら、庭を埋め尽くしている草はほとんど引かれず、先程の男性は、既に屋内に引き揚げた後であった。
 今年の夏の猛暑の中では、全国いたる所で、こうした光景が展開されているのでありましょう。
  〔返〕 草を引く妻の柔肌刺す蚊居て我は茫然眺むるばかり   鳥羽省三


[佐佐木幸綱選]

○ 湧きたちてワカシ釣れるも江の島の沖より秋は始まりにけり  (東京都) 野上 卓

 「ワカシ」が釣れる頃になると、長い夏が終わって、秋が来るのだと言う。
 本作の作者・野上宅さんは、「江の島」の岩場で友人たちと一緒に「ワカシ」釣りを楽しんで居られたのだが、たまたま何方かの竿に「ワカシ」が掛かったので、岩場一帯から一斉に歓声が上がり、その場が「湧き」立つような雰囲気となったのであるが、その賑わいの中で、この「江の島の沖より」既に「秋」が始まっていることを感じ、思わず嘆息を洩らしたのでありましょう。
  〔返〕 ワカシ釣れ夏も終りと思へども今日も今日とて三十六度   鳥羽省三


○ 失言が売りの美容師今何処夫婦共々不器用だった  (八王子市) 朱音あや

 私はかつて、田舎者とどやされ笑われる為に、高値の寿司屋やスナックににせっせせっせと足を運んだものであるが、この世の中には、「失言が売りの美容師」夫婦が居て、彼らの「失言」を浴びせられたいが為に、その美容院に頭と足とを運んだ女性客も居たのだろうか?
 でも、その「失言が売りの美容師」夫婦は、「夫婦共々不器用だった」そうだ。
 この夫婦の「不器用」さは、生きる姿勢の「不器用」さだったのだろうか?
 それとも、「美容師」としての腕前の「不器用」さだったのだろうか?
 そのいずれにしても、彼ら夫婦が店を閉め、本作の作者に「今何処」と言わせる状態に陥ったのは、その「不器用」さと関係があるに違いない。
  〔返〕 諂いが上手い夫婦の床屋居て今もそこそこ繁盛してる   鳥羽省三
      尻軽と噂の寡婦の村床の美貌衰へ今寂れたり         々


○ 戦闘機三機呑み込み夏雲は轟音抱きて盛り上がりゆく  (浜松市) 桜井雅子

 「戦闘機三機呑み込み」が宜しい。
 巨大な「夏雲」を前にしては、さすがの「戦闘機」も、まさに呑み込まれんばかりなのである。
 「戦闘機」を「三機」も「呑み」込んで膨張した「夏雲」を、「轟音抱きて盛り上がりゆく」としたのも宜しい。
 気圧の関係で、見る前に膨張してしまった「夏雲」は、まさに「轟音抱きて盛り上がりゆく」としたのも、観察の行き届いた表現である。
  〔返〕 戦闘機三機呑み込み夏雲はむくりむくりと身体太らす   鳥羽省三
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今週の読売歌壇から(8月16日掲載・そのⅣ)

2010年09月10日 | 今週の読売歌壇から
[俵万智選]

○ 両指を額縁にして夏の湖見ればヨットは絵から消えゆく  (土浦市) 大竹淳子

 「両指を額縁にして」とあるが、より正確を期して言うならば、<両手の親指と人差し指とを額縁にして>と言うべきであろう。
 かくして「夏の湖」を「見れば」、其処に浮かんでいた「ヨット」は間も無く「額縁」の範囲から「消え」て行ってしまった、と言うのである。
 写実的、古典的絵画描法からヒントを得た着想や表現が、高く評価されての入選作一席の栄誉であろうが、評者としては、この児戯めいた着想に諸手を上げて讃美するわけにはいかない。
  〔返〕 炎熱の霞ヶ浦の上空を白き翼のヨット翔け行く   鳥羽省三


○ 橅の木は大地に広き影敷きて夏の子供らしばし休ます  (池田市) 今西幹子

 「広き影」を「敷きて夏の子供ら」を「しばし」休ませる程の「橅の木」は平地には無く、かなり山奥に分け入らなければ見られないものである。
 したがって、作中の「子供ら」は、かなりの時間を掛け、山の奥地に分け入ったものと思われる。
 その山行の途中に「橅」の巨木が在り、その巨木は、「夏の子供ら」を「しばし休ます」ほどの「広き影」を地上に落としていたのであるが、本作の作者は、それを<広き影落とす>と言わずに「広き影敷きて」と言っているのである。
 要するに、本作の作者・今西幹子さんにとっては、「橅」の巨木が地上に落とした「影」は、ただの「影」では無く、「夏の子供ら」を「しばし」休ませる、魔法の絨毯かビニールシートなのである。
  〔返〕 天地の恵みの水を吸ひ上げて橅の巨木は枝葉潤す   鳥羽省三 


○ 清水飲む青みがかった感覚が葉群のように輝いてくる  (青森市) 滝野沢弘

 山行で疲れ果てた体内に、岩間から滴り落ちる冷たい「清水」を注ぎ入れた時の感覚を詠んだものでありましょう。
 「青みがかった感覚が葉群のように輝いてくる」という措辞は、まさにその時に味わった感動を巧まずに表わしたものと思われる。
  〔返〕 喉笛を一筋太き導管となして身体に清水を注ぐ   鳥羽省三


○ 最後まで隠れおおせた代償に独りで帰る夕暮れの蝶  (高島市) 宮園佳世美

 昆虫狩りの子供たちの手から逃れ、網の目から逃れて「最後まで隠れおおせた」「蝶」は、その「代償」として、「夕暮れ」の空を「独り」で山の塒に帰らなければならないのである。
 今頃、他の仲間たちは、子供たちの手によってホルマリン注射を打たれて甘ーい甘ーい夢に浸って居られるのに、「最後まで隠れおおせた」頑固な「夕暮れの蝶」の、何と可哀想なことよ。
  〔返〕 最後まで隠れおおせたつもりにて此処を先途と最後の勝負   鳥羽省三
 「此処を先途と最後の勝負」と出たのは、あの小沢一郎さんではありませんか?


○ 「じいさん」と孫に呼ばれて笑みたるに孫の友より言われむかつく  (福山市) 黒部
良三

 同じ「じいさん」でも、血の繋がる「孫」の口から出た「じいさん」と「孫の友」の口から出た「じいさん」とでは、その価値に雲泥の差が在るのである。
  〔返〕 「じいさん」と呼んでいるのは祖父の前ほかの場所では「糞じい」と呼ぶ   鳥羽省三
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今週の読売歌壇から(8月16日掲載・そのⅢ)

2010年09月09日 | 今週の読売歌壇から
[栗木京子選]

○ 熟さずに落ちしざくろの小さき実を蹴ってジャンケンからり梅雨明け  (高槻市) 佐々木文子

 「熟さずに落ちしざくろの小さき実」を石蹴りの<石>に見立てて「蹴って」行き、一人の子供が「蹴り」終わると、そこで「ジャンケン」をして勝った者が「蹴る」。
 そうして目的地までその「ざくろ」の「実」を無事に運び終えた段階でゲームの終了となるのであろう。
 「蹴ってジャンケンからり梅雨明け」という、<七七>の語呂の良さとスピード感がこの一首の生命であろう。
  〔返〕 眠らずに居た子集めて肝試しキャンプ初日の深夜のゲーム   鳥羽省三


○ 土用前かならず団扇を貰ひたる食糧品店の閉まるは淋し  (水戸市) 笹嶋千代

 暮れには<暦>、「土用前」には「団扇」を配るのが、スーパーマーケットにお客を奪われて、個人経営の商店が軒並み閉店に追い込まれるまでの、古き佳き商習慣であった。
 作中の「食糧品店」もまた、こうしてお客の信頼を得ていた店に違いないが、閉店間際までその店を見放さず、毎年毎年の「土用前」には、「かならず団扇」を貰っていた顧客としては、その「食糧品店の閉まる」のはとても淋しいことでありましょう。
  〔返〕 濃紺の前掛け締めたご主人が死んで間も無く閉まったお店   鳥羽省三


○ 梅雨明けてははに施すマニキュアは八十九歳の夏越しの祈り  (旭市) 山田純子

 万葉の昔からの習慣である「夏越しの祈り」と「マニキュア」とを結び付けたのは、本作の作者・山田純子さんの人並み優れた教養と感性の賜物である。
 それにしても、「八十九歳」にして、愛娘の前に指を差し出す「はは」の何と可愛いことよ。 
  〔返〕 土用前三里にお灸を据へるのは十年来の私の夏越(なご)し   鳥羽省三


○ 汗を拭くわれを眺めて「暑い中大変ですね」とイルカ目で言ふ  (町田市) 風間良冨

 五句目の「イルカ目で言ふ」は、<イルカが目で言う>とも、<イルカのような目で言う>とも解釈できるが、それらを統合して、私は、<イルカがいかにもイルカらしい涼しい目をして言う>と解釈したい。
 イルカシヨーで有名な江ノ島水族館での嘱目でしょうか?
  〔返〕 襟巻きは中国製の本物とキツネ目をした女店員言う   鳥羽省三


○ 縁ありて失恋同士で結ばれし夫と辛苦の四十年経る  (長野県) 藤沢照美

 その「辛苦の四十年間」には、<同床異夢>の状態が再三に亘ったかも知れません。
 抱いた「夫」も抱かれた<妻>も、それぞれに違った異性のことを夢見ている。
 それはそれでロマンチックなことではありませんか?
  〔返〕 縁薄き恋に破れた者同士添って築いた愛の家なり   鳥羽省三     


○ 炎天に看板を持つ人のいて看板よりもその人に見入る  (船橋市) 田中澄子

 「炎天に看板を持つ人のいて」とは、何時か何処かで観た油絵のような光景である。
 「看板を持つ人」は、紅毛碧眼の美女に違いありません。
  〔返〕 天空に布を放れる美女の居て布は時折り虹の輪となる


○ 能楽堂出て駅までの十五分歩いてこの世の私に還る  (篠山市) 清水矢一

 「駅までの十五分」の間に、本作の作者は<幽玄境>の「私」から「この世の私」に還ったのである。
  〔返〕 時折りはオーデコロンも漂はせ見合ひの席の歌舞伎座に居り   鳥羽省三


○ 梅雨の日の夕焼け空がうれしくてごきぶり一匹横切らせたり  (東京都) 成田周次

 「梅雨」の合間の「夕焼け空」に免じて、「ごきぶり一匹」に情け容赦をかけた本作の作者の目には、やがてやって来る酷暑の夏は映らなかったに違いありません。
 <真夏日新記録>の今年の夏の酷暑は、本作の作者・成田周次が「横切らせた」「ごきぶり一匹」が齎したものに違いありません。
 「ごきぶり」は、目にしたら最後、必ずその場で叩き殺さなければなりません。
  〔返〕 久方の雨の滴が嬉しくて傘も差さずに駅まで歩く   鳥羽省三      
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今週の読売歌壇から(8月16日掲載・そのⅡ)

2010年09月08日 | 今週の読売歌壇から
[小池光選]

○ 一日で関東五県を歩くすべ我みつけたり皆は知るまい  (千葉市) 木谷 論

 <小池光選>の首席にランクされた作品であり、選者の評言に「一日で30キロ歩くとして五県通過できるか。さっきから地図とにらめっこしている。四県なら行けそうだが。それにしてもふしぎな発見をし、ふしぎな歌を作られた」とある。
 小池光氏はいかにも元教員らしく、地図とにらめっこしたりして大真面目に考えておられるが、表現に欠陥の在るこの一首を、このままで解釈すると、「一日で関東五県を歩く」ことは実に簡単なことである。 
 そもそも「関東」地方とは、栃木県、群馬県、埼玉県、千葉県、茨城県、神奈川県の各県及び東京都の一都六県を指して言う。
 その中の「五県」を「一日」で歩けばいいのだが、東京都は<県>で無いから対象外とし、また、その西隣りの神奈川県は他の五県と地を接していないからこれも除外して、「一日」で「歩く」県を、栃木・群馬・埼玉・千葉・茨城の「五県」とする。
 そして、これら「五県」のどこかの県の何処かの土地。
 例えば、栃木県の県庁所在地の宇都宮市の駅前付近のホテルを起点として、ホテルから駅まで歩いて<JR東日本>の在来線に乗って次の県の駅まで行く。
 次の県の駅に着いたらその付近を軽く散歩して、また<JR東日本>の在来線に乗って次の県の駅まで行く。これを繰り返して、最後は茨城県の県庁所在地の水戸駅からホテルまで歩く。
 こうして、栃木・群馬・埼玉・千葉・茨城の「五県」の何処かの駅付近を散歩して乗り継いで行けば、本作の作者の注文通り、「一日で関東五県」を全て歩いたことになるのである。
 本作中の「我」は、「関東五県」を「一日」で「歩くすべ」を「見つけたり」と言い、その「すべ」を「皆は知るまい」と大威張りしているのであるが、その「すべ」は誰でも知っていることなのである。
 短歌表現は、わずか三十一音の中で、自分の思っていることを破綻無く述べなければならない。
 微妙なところは、一種のテクニックとして、読者の想像に委ねるとしても、表現に<穴>が在っては短歌とは言えない。
 そういう意味では、この作品は、<読売歌壇>の入選作にするに足らない駄作なのである。
  〔返〕 一日で関東五県を歩くすべ餓鬼も知ってる自慢にならぬ   鳥羽省三


○ 質量に光の速度を二度掛けるエネルギーとはさういふものさ  (瑞穂市) 渡部芳郎

 「さういふものさ」とすまして仰るが、科学的知識に欠けたこちとらには、何のことか、ちっとも解りません。
  〔返〕 素うどんに醤油ぶっかけ啜り込む<讃岐うどん>はさういふものさ   鳥羽省三


○ 買い物はネットで食事は冷凍で動かざること山の老人  (伊勢崎市) 萩原亜季子

 とは、<高齢化社会>に対応する<武田流軍學>である。
  〔返〕 買い物はネット通販サプリだけそれで身体がいつまで持つか?


○ 全頁隈なく見ても欲しいもの無かった良かったカタログ閉じる  (逗子市) 金谷恵美子

 無料で送られて来る「カタログ」をも、人の良い本作の作者・金谷恵美子さんは、一種の義務感を覚えながら見ることになるのである。
 「全頁隈なく見ても欲しいもの無かった良かった」とは、そういうご性格の金谷恵美子さんらしい、実に素朴なお気持ちを吐露したものである。
  〔返〕 全店を隈なく見ても試食する箇所は無かったお腹が空いた   鳥羽省三


○ 何もかもそれを試した人がいてその恩恵に生きておりけり  (茨木市) 瀬戸順治

 「何もかも」が効いている。
 と言うのは、昨今は結婚という一大事さえ、前もって誰かに試されていたり、誰かと試していたりして、その後に結ばれることが、ごく普通に在ることなのだからである。
  〔返〕 瀬戸君のお蔭で初夜が無事済んだ瀬戸君ありがと今後宜しく   鳥羽省三


○ 本当に大丈夫かと犬に聞く犬に問ふべきことにあらねど  (市原市) 井原茂明

 「これから生田緑地の日本民家園まで歩くのだぞ。一時間半はゆうに掛かるよ。『本当に大丈夫か』」と、愛犬クロに聞いているのである。
 「犬に問ふべきことにあらねど」と思っているのに、「問ふ」ているのだから、これは一種の自問自答なのである。
 妻の妹が無類の愛犬家なので、彼女を観察していると解るが、愛犬家とその犬とは、互いに支え合い、庇い合って生きているのであり、愛犬家にとっての愛犬は、自分の肉親以上に親しい存在なのである。
  〔返〕 本当に大丈夫かと脚に聞くフルマラソンは真実辛い   鳥羽省三


○ 五百万歩あるきし靴の捨て時を考へてゐる靴に内緒で  (匝瑳市) 椎名昭雄

 「五百万歩あるきし靴」と言えば、かなり高価でかなり磨り減った靴のように思われるが、なんのことは無い。
 ごく普通の通勤靴で、まだまだ履ける靴だと思われる。
 散歩を日課にしている私は、平均して一日一万歩歩くから、「五百万歩」と言えば五百日、わずか二年足らずの歳月で「五万歩」を歩けることになる。
 本作の作者・椎名昭雄さんは、その「靴の捨て時を考えてゐる」と言う。
 しかもその「靴に内緒で」だと言う。
 一足の「靴」のお蔭で二年間を皆勤したサラリーマンが、まだまだ履けるその「靴」に、名誉の除隊をさせてやろうと思っているようなものである。
  〔返〕 「表彰状、靴殿あなたは二年間・・・・」まだまだ続くが以下を省略   鳥羽省三


○ 薔薇という迷路のような字の中に何が潜むかルーペにて視る  (館山市) 山下祥子

 何画かの直線で構成されている「薔薇」という文字は、まさに「迷路のような」ものである。
 「何が潜むかルーペにて視る」とあるが、「何が潜むか」は冗談としても、「ルーペにて視る」は、評者ぐらいの年の者ならば、何方もしているに違いないことである。 
  〔返〕 薔薇城に囚われている姫様を変態男の手から救助す   鳥羽省三


○ リハビリは歩幅十センチたどたどと今朝もなじみの小石に蛞蝓  (坂戸市) 神田真人

 いよいよ明日から新しい土地での生活が始まるが、私が今日までの一年二ヶ月の月日を過ごしたこの辺りには、「リハビリ」の為に「歩幅十センチ」で「たどたどと」歩く人々が幾人も居る。
 本作の作者・神田真人さんと同様に、その人たちも「今朝もなじみの小石に蛞蝓」がしがみ付いているのを発見することであろう。
  〔返〕 リハビリは医者の勧めで僕もやる僕の歩幅は五十センチ余り   鳥羽省三


○ 牧水や茂吉の歌に目を通しオペの不安をしずめつつおり  (大阪市) 大城正武

 本作の作者・大城正武さんは医者か患者か?
 患者のみならず医者もまた、「オペの不安をしずめ」る為に、「牧水や茂吉の歌に目」を通したりするに違いない。
  〔返〕 牧水のいかなる歌に勇気得て患者はオペに向かうのだろうか   鳥羽省三
      牧水の白鳥の歌に励まされ外科医はオペに臨むのだろうか      々       
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今週の読売歌壇から(8月16日掲載・そのⅠ)

2010年09月05日 | 今週の読売歌壇から
[岡野弘彦選]

○ 夜のふけを長くうねりてゆく貨車のひとつ光れり青竹を積む  (茅ヶ崎市) 若林禎子

 評者が子供の頃の昭和二十年代には、貨物列車が真昼の国鉄の本線を走っていたが、この頃は人々の寝静まった真夜中に走っているようだ。
 本作の作者は、「夜のふけを長くうねりてゆく貨車」にたまたま接し、それを闇路を往く長い長い大蛇に見立てているのではないだろうか?
 「青竹」を積んでいて「ひとつ光れ」る「貨車」は、その大蛇の目玉なのである。
 それにしても、夜間を走る貨物列車の一車両全体に「青竹」が積まれているとは、珍しく興味深い話である。
 その「青竹」は何処の駅で積み込まれ、何処の駅まで運ばれて行くのだろうか?
 何処かの駅で下された後、その「青竹」は何方の手に渡り、その何方かは、その「青竹」を何に使うのだろうか?
 「ひとつ」光れる「貨車」の積荷を「青竹」だと感じた、本作の作者・若林禎子は、その<眼力>のみならず<感受性>も大変素晴らしい。
 彼女は私と同じように、近代詩の完成者である萩原朔太郎に心酔しているのでは無いだろうか?
  〔返〕 地面から引き抜かれても青竹は青く光って夜汽車に乗って   鳥羽省三


○ 命終の時をさとれる象のごとく胸に手を置き梅雨の夜を寝る  (大牟田市) 小川 研

 文脈に拘れば、「命終の時をさとれる象」は「胸に手」を置いて「寝る」ということになるのであるが、「象」は四足であって人間並みの「手」が無いからそのようなことは有り得ない。
 思うに、「命終の時をさとれる象のごとく胸に手を置き」「寝る」という直喩は、「命終の時をさとれる象」が、人間ならば「胸に手」を置いて自然に身を委ねて眠っているようにして「寝る」姿を想像しての直喩でありましょう。
 それにしても、本作の作者は、「梅雨の夜」を「胸に手を置き」「命終の時をさとれる象のごとく」に「寝る」と言う。
 その無防備、無抵抗な姿こそ、人間の究極的、根源的な姿ではないだろうか。
  〔返〕 死期悟る野生の象は何処へ行きどんな姿勢で眠るのでしょうか   鳥羽省三


○ 息子(こ)と母の無口なくらし仕事場に心を置きて帰り来るらし  (さいたま市) 山村紫洸

 上の句に「息子と母の無口なくらし」とあるが、作中の「母」と「息子」とは、格別に不仲なのでは無いだろう。
 いや、むしろ、お互いに相手の気持ちと立場を理解して居ればこその、「無口なくらし」なのであろう。
 仕事に追われ、「仕事場」に「心を置き」ながらも、夜ともなれば「息子」は「母」の待っている家に帰って来る。
 「母」は母で、疲れて帰って来る「息子」を「無口」ながらも温かく迎えるのである。
  〔返〕 口閉じて話さぬ息子の胸中を母はいつでも知っているのだ   鳥羽省三


○ 妻はまづ屑の薯から食べはじむひもじく過ぎし身の習ひあはれ  (糸魚川市) 田鹿静夫

 「妻はまづ屑の薯から食べはじむ」とあるが、私の妻もまた、「薯」に限らず食べ物全般に於いて、そのような食べ方をしている。
 収入の安定した自営業者の娘として何一つ不自由なく育った女が私の妻となり、私や二人の息子にはいかにも美味そうな桃をまるごと食べさせ、自分は傷んだ桃の食べられない部分を包丁で削って食べている姿を見ていると、いかに非情な私とて、心が動かないわけでも無い。
 だが、それでもなお且つ、私は息子たちと一緒に、そ知らぬふりをして、一個三百円もする桃をむしゃむしゃ食べて、卸し立てのTシャツに桃の汁をこぼし、それをそのまま洗濯機に放り込んでしまうのであった。
  〔返〕 春告げる鰊を妻は嫌と言う小骨の多い尾の身が嫌と   鳥羽省三

 いつであったか、私が「小骨の多い尾の身が嫌であったら、私に尾の身を食べさせ、自分が頭の方を食べたらどうだ」と言ったら、妻は黙って笑っていたが、その後は、鰊という魚が我が家の食卓に載ることは無くなった。


○ 手をひろげ風抱きて立つ妻の脇みぎわにひかる入り日まぶしき  (八王子市) 皆川芳彦

 「みぎわにひかる入り日」だけが眩しいのでは無い。
 「手をひろげ風抱きて立つ妻」の、健康で美しい姿が眩しいのである。
 本作の作者・皆川芳彦さんは、この世の幸せを一心に背負っているような人だ。
 そして、その幸せを隠そうともせずに、堂々と歌に詠む人だ。
 そういう人には、私もかなわない。
  〔返〕 背を丸め傷んだ桃を食う妻を傍らに置き我は酒飲む   鳥羽省三


○ 道をゆく散歩の犬をうらやみて二階の犬が今日も吼えゐる  (横浜市) 寺畑多都子

 本作の作者・寺畑多都子さんの家の向いのマンションの二階に住む、小沢一郎さんが飼っている「犬」は、飼い主の小沢一郎さんが多忙な上に無理解な為に、散歩にも連れ出してもらえない可哀想な「犬」なのである。
  〔返〕 鞭を執る主の仕草を怖がって鳴くに鳴けない小沢家の犬   鳥羽省三


○ わが住まず空家となりし庭古りて百日紅は咲きゆれてゐむ  (所沢市) 小野まつ

 私もまた、大金を叩いて建てた家を、泣きの涙のはした金で人手に渡して来たばかりの者である。
 先般、妻の友人から掛かって来た電話によると、彼女がたまたま私の元の家の前を通った時、その駐車場には、僅かばかりの材木を積んだ大工さんのトラックが停まって居たと言う。
 察するに、私たちがあの家に注ぎ込んだお金の四分の一にも満たないお金で、首尾よくあの家をせしめた新しい住人たちは、あの家の二階の二十畳に余る板の間を、二つか三つの小部屋に仕切って使うつもりなのだろう。
 彼らが、私の依頼した不動産屋にあの家の購入価格を値切ろうとした時の口実に、「室内をいろいろと手直ししなければならないので。それにストーブの位置も移動しなければならないので」とあったのも気に掛かる。
 今どき、百万円以上もする薪ストーブを設置している家は、あの横手市内を探しても二軒と無いことであろう。
 あの家のあのストーブは、吹き抜けの在る一階のあの位置に在ってこそのストーブなのである。
 それなのに、今更、下手な大工に粗末な材料を使わせて、あれこれと小細工するのだとすれば、実に馬鹿げていて、実にけち臭い話なのだ。
 あの家の表庭の三種類の葡萄は、間も無く実を熟す頃であろう。
 裏庭の七本のブルーベリーの大木からは、ほろほろと熟した実が毀れていることだろう。
 今年のプルーンの出来はどうであっただろうか?
 百株余るカサブランカと、五百株以上の水仙は今年も咲いただろうか?
 アケビの実や山法師の実やユスラ梅の実は今年もなっただろうか?
 毎年現れていた体長一メートル余りの屋敷神の大蛇は今年は現れたであろうか?
  〔返〕 葡萄棚の葉陰に棲める蛙らをぺろり飲み込むあの青大将はも   鳥羽省三
      逝きし児の年を数ふる如くして捨てたる家をあれこれ思ふ      々


○ 梅雨ふかく老い人がひたすら習ふ部屋墨の香りのほのかに満つる  (横浜市) 赤塚初江

 詠い出しの「梅雨ふかく」が効いている。
 じっとりと湿った「梅雨」の季節の空気の中に、「墨の香り」が「ほのかに満つる」「部屋」で、「老い人」は「ひたすら」お習いに励んでいるのである。
  〔返〕 お習ひは良寛のうた薄墨の香り漂ふ暗き部屋にて   鳥羽省三


○ さっぱりと坊主頭にして泳ぐふるさとの海友の命日  (笠間市) 北沢 錨

 「ふるさとの海」で「さっぱりと」した「坊主頭」で泳いだ後は、しんみりとした気分で、「友」の墓参りをするのである。
  〔返〕 さっぱりと坊主頭で参りますお供え物はビール二缶   鳥羽省三
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今週の朝日歌壇から(8月16日掲載・其のⅢ)

2010年09月04日 | 今週の朝日歌壇から
[佐佐木幸綱選]

○ 軽いフォントわざと明るい行間に読み取れなかった君の苦しみ  (北海道) 坂本しずよ

 本作の作者は、「フォント」を軽くし、「行間」を「わざと」明るく装ったメールに接したのでありましょうか。
 その「明るい行間」に発信者たる「君の苦しみ」を感じ取った彼女と彼とは、堅い心の絆で結ばれているのである。
  〔返〕 一目見て遊びと判るメールなり文字が少なく改行多く   鳥羽省三
 

○ 教師らの怖い話に怖気付き結局二人で行く肝試し  (稚内市) 藤林正則

 北の国・稚内には、未だ「肝試し」などというクラシックなゲームが存在したのである。
 私の経験からしても、この「怖い」ゲームを始めるに当たっては、事前に大人たちから「怖い話」をたっぷりと聞かせられているから、平常は「幽霊など居ない」と思い、言い張っていた私も、「結局」は友だちと二人で、火葬場の裏の杉の古木に縛っている藁人形に五寸釘を刺しに行くことにしたのである。
  〔返〕 教師らの作り話の底が割れ怖くなかった肝試しの夜   鳥羽省三


○ たぐりたる白きカンピョウ干す母の長く射す影素早く動く  (岡山市) 佐藤茂広

 「白きカンピョウ」が長く、それを「たぐり」寄せて「干す母」の「影」が長いと、<長いもの尽くし>の一首である。
 末尾の「素早く動く」には、真夏の午前の陽光の下で、自家生産の「カンピョウ」作りに勤しんでいる、「母」の懸命な姿が間接的に描かれているのである。
  〔返〕 するするとたぐり寄せたる干瓢の白き肌より白き母の掌(て)   鳥羽省三



[高野公彦選]

○ 夏祭りの遠花火聞くおのが身は抗癌剤の悪寒に耐えて  (岡山市) 小林道夫

 「抗癌剤の悪寒に耐え」ながら、「夏祭りの遠花火」を見るのでは無く「聞く」のである。
 「抗癌剤の悪寒に耐えて」いる時は、聴覚だけが以上に鋭くなるのでありましょうか?
  〔返〕 何処かで花火弾ける音がするベッドで聴くはとても寂しく   鳥羽省三


○ 歌声のかく美しくものなべて森と輝く炎暑のマタイ受難曲  (横浜市) 竹中庸之助

 真夏の「炎暑」の中で聴く「マタイ受難曲」の味も、また一段と「美しく」、かつ周囲の「ものなべて」が「森と輝く」ような思いがすることでありましょう。
 私たちクラシックファンの多くは、この曲を歳末に聴いたりするが、この曲は内容や成り立ちからしても、寒い冬よりも暑い夏に聴くべき曲かも知れません。
  〔返〕 酷寒の中で聴くマタイ受難曲ものみなすべて凍みるが如し   鳥羽省三
 

○ カブトムシ一匹二〇〇円の♀四〇〇円の♂と暮らせる  (京都市) 田端益弘

 「♂」と「♀」の価値はそんなにも違うんだ、と言っても、それは「カブトムシ」の世界の話である。
  〔返〕 ヒヨコたち一匹七百円の♀とただの♂仕分けされてく鑑別師の手で   鳥羽省三   
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今週の朝日歌壇から(8月16日掲載・其のⅡ)

2010年09月03日 | 今週の朝日歌壇から
[馬場あき子選]

○ 囚われて親の死目に会えもせで歌詠むなどと我は愚か者  (アメリカ) 郷 隼人

 馬場あき子選の首席であり、佐佐木幸綱選にも選ばれている。
 「我は愚か者」という自覚は、塀の外側の住人である評者にもあるし、国の内外、塀の内外を問わず、政治家を除いた多くの人々が共通して持っているものではないでしょうか?
 本作の表現を通して見る限り、アメリカの獄窓に繋がれている郷隼人さんに、「我は愚か者」という自覚を持たせた条件は、「囚われて」、「親の死目に合えもせで」、「歌詠む」の三点であるが、この三点は相互に関連を持つものであり、三点と言うよりは、一点に収束されるものでありましょう。
 歌人・郷隼人さんにとって、その一点は重い。
 その一点の重さの故に、彼は、自分が囚われ人でなかったならば「親の死目に会え」ないこともなかったし、ましてや「歌詠む」ことなどは決してなかったに違いない、とまで思い詰めていらっしゃるご様子である。
 だが、囚われ人でないこの評者とて、二親の死に目に会えなかったし、評者の連れ合いとて全く同様であるから、成人に達した子供が、「親の死目」に会えないのは、家父長制社会が崩壊し、人間の多くが病院のベツドの上で亡くなるようになった今日に於いては、ごく普通の現象なのかも知れません。
 問題は、郷隼人さんが今のご境遇に身を置いてなかったならば<歌詠み>にならなかったかどうかである。
 評者の見るところでは、郷隼人さんこそは<天性の歌人>であり、今のご境遇であろうと無かろうと、彼は歌を詠むことを趣味とし、<業余の遊び>とされたに違いないと思われるが、その点については、私たち鑑賞者には窺い知れないものもございましょうか?
  〔返〕 古希過ぎて他人の歌にあや付けて自作未だし我愚か者       鳥羽省三
      愚者という自覚また好し自覚無き男ふたりが椅子争える        々
      妻曰く「鳥羽に愚者たる自覚あらばブログで恥を掻かざるのに」と   々


○ 走るのがおそい私は泳ぐのが苦手な魚と話してみたい  (富山市) 松田わこ

 作者の松田わこさんは九歳の少女だそうだ。
 主語を示す格助詞「が」の重用が九歳の少女らしさを感じさせるが、それを解消する有効な手立ても無いから、発想そのものが九歳の少女らしい発想と断ぜざるを得ない。
 ところで、「走るのがおそい」少女は居ても、「泳ぐのが苦手な魚」は居るのかしら、と鳥羽省三お爺さんは少々考えてしまう。
 鯛の仲間には「泳ぐのが苦手な魚」は居るのかしら?
 平目の仲間だったら「泳ぐのが苦手な魚」は居るかも知れない、などと、松田わこさんの知らない街に住んでいるお爺さんはすっかり考え込んでしまうのである。
 作者の知らない街に住んでるお爺さん、お婆さん、小父さん、小母さんたちをすっかり考え込ませ、いつの間にか考え込んでいる大人の人たちと子供の松田わこちゃんとがお友だちみたいな関係になってしまうのが、この作品の魅力なのかも知れない。
 いや、魅力なのかも知れないではなく、魅力に違いないから、松田みわちゃんのこの作品は、<馬場あき子お婆ちゃん選>にも<佐佐木幸綱お爺ちゃん選>にも選ばれたのである。
  〔返〕 誉めるのが苦手な鳥羽もみわちゃんの歌を結局誉めてしまった   鳥羽省三


○ 朝四時に息子は起きて勤行せず桜桃捥ぎに檀家の園生  (東根市) 庄司天明

 庄司天明和尚さんの「息子」さんは、野球ではなく、木登りが趣味なのかしら。
 それはどうでも、「朝四時」に「起きて」、「勤行せず」に即「檀家の園生」に駈け付けて「桜桃捥ぎ」を手伝うのも、聖職者たる者の務めなのかも知れません。
 何故なら、「勤行」はいつでも遣れるが、「桜桃捥ぎ」はその時期でなければ遣れないからである。
  〔返〕 朝四時に起きて和尚は本堂の廊下を磨きそれから勤行   鳥羽省三


○ 子等も父も何たる派手なパンツかな弟一家男三人  (水戸市) 檜山佳与子

 「弟一家男三人」をどう解釈するか?
 父である「弟」とその「息子」の三人家なのか、それに「弟」の妻にして二人の「息子」の母親たる女性を加えての四人家族なのか?
 その点が、この作品の第一の問題点である。
 仮に三人家族ならば、衣食住に亘って家族の生活全般を管理する母親の不在が理由で、「子等も父も」「派手なパンツ」をはいているなど、我が儘勝手な生活をしているので、それを「父」の姉たる本作の作者が心配し、嘆いていることになるのであり、四人家族ならば、驚きは大きくても嘆きはそれほどでもないことになるのである。
 問題点の第二は、「父」の姉たる、本作の作者を「何たる派手なパンツかな」と驚かせ、嘆かせた「パンツ」の柄である。
 山本寛斎デザインの「パンツ」にも人を驚かせるような、ど派手な柄の「パンツ」が在るが、鳥羽省三家ご用達の<しまむら>にも、中国輸入のど派手な「パンツ」があり、両者の価格差は数十倍である。
 あれやこれやと、この一首を巡る興味と話題とはなかなか尽きない。
  〔返〕 子ら<寛斎>父は<しまむら>弟の一家三人ど派手なパンツ   鳥羽省三


○ エノラゲイ知らざる人と鳩殖えて巡る平和の八・六迎ふ  (高石市) 木本康雄

 「エノラゲイ」とは、広島に原爆を投下した爆撃機の機名である。 
 現在、広島の「八・六」原爆記念日の行事の参加者の多くは、あの「エノラゲイ」や<きのこ雲>を「知らざる人」であるが、それと同時に、広島の平和公園に棲息する鳩も年を増すにつれて増殖し、鳩公害の問題なども無視出来なくなったのでありましょう。
 「鳩」と言えば「平和」のシンボル。
 それかあらぬか、新聞やテレビの報道などで、広島の平和公園の鳩公害の問題が取り上げられることは無いが、現地の人にとっては、それはそれで問題なのでありましょう。
  〔返〕 今年また八・六の巡り来て憎悪も新たあのエノラゲイ   鳥羽省三


○ いちばんに大事な君を失って見ている夏の終りの花火  (京都市) 敷田八千代

 「いちばんに大事な君」とは、<恋人>のことでありましょうか?
 「いちばんに大事な君を失って」とは、<失恋>したことでありましょうか、それとも、「君」なる人物が亡くなったことでありましょうか?
 そのいずれにしても、本作の作者は、今年の「夏の終りの花火」を、喪失感に苛まれ、放心状態で眺めたのである。
 「花火」というものは、本質的に放心状態で眺めるものであるが、本作の作者にとっては、今年の「夏の終りの花火」は、「いちばんに大事な君を失って」しまったという喪失感と共に、放心の上に放心を重ねて眺めたのである。
 ぱっと咲いて、ぱっと散った花火。
 ぱっと現れて、ぱっと消えた「いちばんに大事な君」。
  〔返〕 昨年の夏の花火は君と見た二度と還らぬ花火と君と   鳥羽省三


○ ベランダの菜園に水をやる朝気の向くままに胡瓜曲がれる  (東京都) 長谷川瞳

 「気の向くままに胡瓜曲がれる」が宜しい。
 「ベランダの菜園に水をやる」のは「朝」でなければならないが、「胡瓜」は真っ直ぐであっても曲がっていても「胡瓜」である。
  〔返〕 ベランダの菜園楽し胡瓜茄子太りたきまま太らせておく   鳥羽省三 
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今週の朝日歌壇から(8月16日掲載・其のⅠ)

2010年09月02日 | 今週の朝日歌壇から
[永田和宏選]

○ 棺にて友が最後に通る路凌霄花の花殻を掃く  (広島県) 吉野澄恵

 「凌霄花」の紅い「花殻」を掃いて、「棺にて友が最後に通る路」を清めようとしているのである。
 燃え尽きた「友」の赤い命と、枯れ果てた「凌霄花」の紅い「花殻」との対比である。
  〔返〕 紅過ぎる凌霄花の花を断ち送り火焚いてご妻女送る   鳥羽省三

 選者・永田和宏氏のご妻女・河野裕子さんの霊に手向ける。


○ 御みこしも天狗も鉾も車にて「せいャ」の声もこぼさずに行く  (行方市) 鈴木節子

 そんなにしてまで、祭りの伝統を絶やすまいとする、町の人々のご努力を買うべきか?
 それとも、祭りの衰退を惜しみ悲しむべきか?
  〔返〕 車にて町を過ぎ行く神輿なれ直会酒は浴びるほど飲む   鳥羽省三


○ 母住みし木槿咲く町キャラメルの工場と川と坂のある町  (神奈川県) 篠崎美智子

 本作の作者の「母住みし木槿咲く町キャラメルの工場と川と坂のある町」とは、「木槿咲く町」という表現から推して、戦前の朝鮮半島のある「町」なのかも知れません。
 だとすれば、作者にとっても作者のご母堂様にとっても、余計に懐かしい「町」なのでありましょう。
  〔返〕 川岸に木槿はな咲き水流れ甘い香りの漂う町ぞ   鳥羽省三


○ 入れて出し入れてまた出しクマちゃんをキャンプのリュックに子はそっと入れ  (富山市) 宮澤惠子

 児童生徒の「キャンプ」体験は、異次元の生活を体験するためのものですから、現次元の事物を持ち込んで行くのは厳禁です。
 ましてや、寝垢や寝汗に塗れた「クマちゃん」などはとんでもない。
  〔返〕 入れて出し思い直してまた入れる出張鞄に惠子の写真   鳥羽省三


○ ゆらゆらと風を送りて夏の暮れ西日に泳ぐうちわの金魚  (東京都) 飯坂由紀子

 「金魚」の図柄は「うちわ」の定番である。
 その図柄の「うちわ」で「ゆらゆらと風」を送る様を、「西日に泳ぐ」「金魚」に見立てたのは、本作の作者の手柄である。
  〔返〕 ゆらゆらとさざなみ立てる池の底西日を避けて金魚は静か   鳥羽省三


○ 傍らに立葵の花高々と都電荒川線傾きて走る  (府中市) 蜂谷万里子

 「都電荒川線」とは、荒川区の三ノ輪橋駅から新宿区の早稲田駅までの区間を走る路面電車であり、今となっては唯一の<都電>である。
 「都電荒川線」は、屈曲の多い東京下町の狭い路地や家並みの間を縫うようにして走るから、「都電荒川線傾きて走る」という表現は極めて適切な表現である。
 また、「立葵の花」は「都電荒川線」沿線の家並みの片隅に咲くのに相応しい花なのである。
  〔返〕 タチアオイ朝顔の蔓クレマチス荒川線は花の中往く   鳥羽省三
      

○ 天気図の「湿舌」というはなにがなしなまめかしくてなまぐさくてよし  (堺市) 高橋貞雄

 「湿舌」とは、天気図上で暖かい湿った気流が舌状に進入している部分のことを指して言い、この「湿舌」が前線などと結びついて大雨を降らせるのである。
 そう言うことで、「湿舌」という語は、そのものの形状をリアルに想像させるから、「なにがなしなまめかしくてなまぐさくてよし」というこの一首の措辞は、極めて現実感の伴った措辞なのである。
 大阪人の考えることは、かなりどぎつく危なく助平である。
  〔返〕 お天気アナのあの姉さんが口にするかなり危ない「湿舌」という語   鳥羽省三 
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『NHK短歌』観賞(米川千嘉子選・8月22日放送)

2010年09月02日 | 今週のNHK短歌から
○ 校舎より「大地讃頌」響きくる土にすわりて芋掘る畑に  (神戸市) 塩谷凉子

 『大地讃頌』は、1962年に日本ビクターから委嘱された作曲家・佐藤眞が、かつての民衆派の詩人・大木惇夫の詩に曲をつけて制作した、『混声合唱とオーケストラのためのカンタータ「土の歌」』の第7楽章(最終曲)であり、中学校の合唱コンクールなどの課題曲の定番となっている。
 情熱の詩人・大木惇夫の手になる、その歌詞の中では、母なる大地への感謝・讃美が繰り返し繰り返し歌われ、才子・佐藤眞の曲と相俟って、アニミズムの香り漂う神秘的で崇高な内容の名曲となっている。
 本作の作者・塩谷凉子さんが、自分の家の「畑」の「土」にどっかりと腰を下ろしてじゃが芋を掘っていると、折りも折り、そのタイミングを見計ったかのようにして、母なる大地へ感謝し讃美する名曲『大地讃頌』の楽の音が大地に響くようにして聞こえて来たのである。
 作者にとっては、自分が今、大地の恵みの象徴のようなじゃが芋を掘ることに熱中していた時だっただけに、その楽の音はあまりにもタイミングが良く、あまりにも感激に満ちたものだったのである。
 「土にすわりて芋掘る畑に」という下の句も、「校舎より『大地讃頌』響きくる」という上の句と唱和してなかなか佳く、この作品は、名曲『大地讃頌』を題材にしたのに相応しく、<NHK短歌>の華たる米川千嘉子選の特選一席に相応しい名作である。
  〔返〕 畑より『大地讃頌』響き来る初夏の校舎の窓辺に寄れば   鳥羽省三
 原作にはとうてい及ぶべくも無いが、私は原作の向うを張って、ジャガ芋畑から校舎の窓辺に向かって、『大地讃頌』が響いて来たことにして詠んでみた。
 夏休みを前にして、校舎の窓辺に友と語らう若人の耳には、その楽の音がどのように響くのであろうか。


○ 風吹けば団地で寝てる赤ちゃんの顔まで積もりしローム層の土  (佐倉市) 水野清子

 特選二席に相応しい佳作である。
 過去の助動詞「き」の連体形「し」の存在によって、この一首は、作者・水野清子さんの過去の体験を回想しての作品であることが解る。
 「ローム層の土」を可愛い「顔」に積もらせて「団地」の部屋で寝ていた、あの「赤ちゃん」は、今頃は青春真っ只中に在って、片恋をしているのかも知れない。
  〔返〕 風吹けば風に送られ帰り来て母と一夜を語らふ娘   鳥羽省三
 あの娘さんは「団地」を巣立って行ったが、時々は、未だ「団地」の住人であるお母さんの元へ帰って来て、風の一夜を母と共に語らい、翌朝になるとまた元気良く、都会の自分の巣に戻って行くのである。


○ 「草の香と土の匂いが強烈」とわた毛のごとく還りし人は  (徳島市) 吉友寿惠

 特選三席に相応しい佳作。
 才女・米川千嘉子の選歌眼に狂いは無い。
 蒲公英の「わた毛」は、一度は風に乗って天空に舞い上がるものの、やがては地上に帰って来て、自分の子孫を増殖する。
 その「わた毛のごとく」地球に還って来て、「草の香と土の匂いが強烈」と仰った「人」とは、日本人のあの男性。
  〔返〕 「ヤー、チャイカ」と言ひしをなごのあの声の未だに残る我の耳底   鳥羽省三


○ 天草の粘土地層の赤ければ宿の燕の巣も赤き色  (下関市) 大見光昭

 この一首は、赤い「粘土地層」の上に家を建て、その土を焼いて作った瓦の屋根の下に住む、「天草」の人々の生活と風土を歌っているばかりで無く、その家の軒に「赤き色」の「巣」を架けた「燕」の棲息をも許している人々の細やかな人情をも歌っているのである。
  〔返〕 赤き血で購ひ得たる天草のチャペルの軒の巣に棲む燕   鳥羽省三


○ 甲子園に芝と黒土送りたるわが琴浦町老いてゆくなり  (鳥取県琴浦町) 中村麗子

 本作の作者にとっての「わが」町・琴浦町は鳥取県の中央に位置する日本海に面した町である。
 プロ野球の小林繁投手の故郷として知る人ぞ知るこの町が、かつてのある時期、「甲子園に芝と黒土送りたる」町であったことは、今回、この一首に接して私が初めて知り得た知識である。
 例の<江川事件>の煽りを受けて巨人軍のエースの座から追われ、泣く泣く阪神に移籍して、甲子園の土の上で、その怨恨を晴らすような大活躍をした小林繁投手の故郷が、かつての「甲子園に芝と黒土送りたる」町であったことは、何と言う奇遇であり、何と言う皮肉でありましょうか?
 その琴浦町も、何と言う名の政治家の策略によってかは知らないが、日本全国の大半の田舎町と同様に、若者の人口が高齢者人口を下回り、年々「老いてゆく」のであるが、本作の作者・中村麗子さんは、それを悲しみつつ、この一首を詠んでいるのである。
  〔返〕 口にする言葉が秋田訛りと似親しみの湧く琴浦の町   鳥羽省三

 
○ 父の打つ畑の土のやさしけれその手は母を看る手であれば  (兵庫県福崎町) 振角晴美

 上の句で「父の打つ畑の土のやさしけれ」と言い、下の句でその種明かしをするようにして、「その手は母を看る手であれば」と言うのは、やや世俗的道理に堕ちたような表現と思われるが、そこは好き好きでありましょうか?
  〔返〕 父の踏む畑の土の哀しけれその足でわれ足蹴にされし   鳥羽省三   


○ 土がなくても育つのよ日本館野菜工場に笑ふ人々  (門真市) 山下和子

 お隣りの大国の某市で開催中の万国博覧会での一風景でありましょうか?
 笑いつつも見るべき所はよく見、惚けたような表情ながらも真似るべき所は巧みに真似る、あの大国の人々はなかなかなる人々である。
  〔返〕 土壌汚染しきりに話題となる国に根付くか日本の野菜工場   鳥羽省三


○ 中学の本館の壁に書かれける「一億玉砕本土決戦」  (名古屋市) 小野田清久

 伝聞回想の助動詞「けり」の連体形「ける」の存在は、この一首に描かれている光景が、作者の体験した過去の出来事であることを証すものである。
  〔返〕 教室の机にナイフで彫られたる「青春無惨」の漢字四文字   鳥羽省三 


○ 黒土に入れ替えた庭で植物を育てるように子育てした母  (杉並区) 平岡淳子

 「黒土に入れ替えた庭で植物を育てるように子育てした」ということは、一口で言うと<過保護>ということでありましょう。
 で、<過保護>状態で「子育てした母」を、<是>とするか<否>とするか判らないところが、この作品の面白いところである。
  〔返〕 キャラメルに砂糖加えて甘くして子らに食わせた愚かな母よ   鳥羽省三


○ 近世のあまたの食器が出土して遺跡となりたる私の高校  (清瀬市) 波多野浩子

 かつて<草戸千間>と呼ばれる中世の町の遺跡が、現在の福山市の辺りで発掘されたが、その時、無学な私は、「中世の町でも<遺跡>と呼んで珍重するに値するのか?」と驚いたのである。
 本作の題材となった「私の高校」は、言わば近世、つまり江戸時代の遺跡の上に建っているのである。
 更に時代が経てば、その高校で学んだ本作の作者たちも、<昭和人>として珍重されるかも知れません。
  〔返〕 昭和期のメンコが数千枚も在り捨てられもせず迷うこの頃   鳥羽省三
 
 引越し準備に忙しいこの頃の私を悩ませているのは、私のかつての蒐集品である。
 昭和期のメンコ数千枚は序の口。
 昭和から平成にかけての全国の美術館や博物館のA4版のチラシ広告が数千枚。
 昭和期の全国の銀行の貯金箱が数百個。
 その他諸々のがらくたは、この度の私の<終の棲家>をも物置にするのでありましょうか? 

 
○ 土くれを裏切っている気がするとマニキュアの指かくす農婦よ  (札幌市) 田上麻理子

 私が一昨年まで住んでいた町の主婦の中には、訪問販売の巧みな口に騙され、ご亭主に内緒で数十万円もする下着や化粧品を買い、やがてその事が明るみに出て、家庭争議となったケースが何件か在りました。
 「土くれを裏切っている気がする」と思いながらも、「指」に「マニキュア」をしなければならない「農婦」の性の哀しさよ。
  〔返〕 腹の子を裏切ってるのも気にせずに煙草やめない愚かな妊婦   鳥羽省三
 
 私が毎日のように訪れる、小田急線新百合ヶ丘駅の階下の三井住友銀行の脇には、大型の吸殻入れを中心に置いた喫煙場があります。
 其処には、四六時中、煙草を咥えた人々が屯して居て、その中には、出産を間近に控えた妊婦や、明らかに女子高生と判る若い女性が居たりすることもあります。
 そんな風景を目にする度に、私はたまらなく無力感を感じさせられ、胸のうちで「バカヤロー。お前らは、肺癌に罹ってさっさと死んでしまいな」と囁いて、足早に現場を去るのである。
  
 
○ 亡き犬の定位置だった庭の土盛り上がり残る草も生えずに  (札幌市) 山本紀子

 動物は、自分が棲息するにいちばん適した場所を知っているのでありましょう。
 四句目の字余りが気になる。
  〔返〕 亡き猫の棲み家なりにし猫ちぐら今も捨てずに濁酒造り   鳥羽省三
 
 赤ちゃんの住み家の<えいづめ>や猫の棲み家の<猫ちぐら>の中に、濁酒の入った甕を入れて置いた風景は、その昔の農村でごく普通に見られた風景である。
 著名な写真家の木村伊兵衛氏は、北東北のある県の田舎周りをしていて、ある農家でその風景を目にして早速傑作一枚をものしたのであるが、同行した地元の写真家の助言もあり、その傑作が濁酒造りの確たる証拠になることを恐れ、それを未発表のままに終わらせたという。     
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今週の日経歌壇から(8月15日掲載)

2010年09月01日 | 今週の日経歌壇から
[岡井隆選]

○ 暑いから涼しくなって会いましょう めぐる季節を大人は使う

 お暇な主婦同士の長電話の途中でよく耳にする、お馴染みのセリフである。
 このセリフが出たので、もうそろそろ長電話も終りかと思うと然にあらず。
 電話はそれかれも延々と続き、もう一度同じセリフのご登場の場面とは相成るのである。
  [返] 暑いから涼しくなったら勉強をしましょうなどと子供らも言う   鳥羽省三


○ 紙コップ汚れたままで捨てられるたった一度の出番は寂し  (白井) 毘舎利道弘

 天下に名の知れた、あの毘舎利道弘大和尚様が<日経歌壇>にもご登場になり、相変わらず道学者先生みたいなことを仰せになるのである。
 身についた説教癖はどうにもならないものと拝察されますが、とにもかくにも大変有り難いことではございます。
  〔返〕 盂蘭盆も大和尚様お出ましに十分二万の経文唱ふ   鳥羽省三
 

○ 潜りたる波の杳さと抱かれし父の腕の若さかなしき  (浜松) 鈴木れい子

 幼き日の素潜り初体験の思い出を語って居られるのか?
 先日、これと同じ場面を、大阪に単身赴任している私の息子が二人の孫娘を相手にして展開しているのを、たまたま発見して驚いたことであった。
 たまの休みに大阪から新幹線で馳せ参じ、二人の娘に素潜りの指導をしていたのである。
 その時、息子のパートナー様は、大学時代のご学友様と<ホテル・ニュー大谷>にご会食にお出掛けになられたと言う。
  〔返〕 素潜りのパパの腕を孫たちはなんと思ったことであろうか?   鳥羽省三
      ご会食にお出掛けになるママの顔むすめ二人は何と思った?     々
      血縁の息子ばかりを心配し嫁を難じる俺にてありき         々


○ 電柱の影に添わせて信号の変わるのを待つ猛暑日の午後  (富山) 林 槙子

 この夏の新聞歌壇に掲載された作品に限っても、私は、本作と同趣向の作品に四、五首も出会った。
 だからと言って、それを理由にして、この作品を一瞥するや否や、いきなり「既視感あり」と断じてしまうような識見も勇気も私は持ち合わせてはいない。
 要するにこの作品の存在は、この夏の殺人的な暑さを前にしては、路上を歩く人も交差点に佇むも、身分や老若男女の違いを越えて、わずかばかりの物影を恋い慕うしか無かった、ということの証明に他ならないのである。
 とは言うものの、この夏、この日本列島の東の果の人々から西の果の人々まで、捨て猫が人間の顔を見ると「にゃー、にゃー」と鳴いて施しを強請るが如く、わずか一尺余りの木陰や電柱の影を求めたりしていたかと思うと、私とて失笑を禁じ得ない。
  〔返〕 電柱の作れる影は尺余り就活ルックでその尺余恋ひ   鳥羽省三
      木陰とてその幅わずか半m描き眉染め毛がその半mを    々


○ OB会「どうもどうも」で名が出ない名札をまともに見るわけにいかず  (横浜) 吉村晃一

 <どーも君>という名の漫画の主人公も居るくらいだから、本作の作者・吉村晃一氏は、典型的な日本人なのである。
  〔返〕 「どーも」と言い「どーも」と返し乾杯す<OB・OG>あと無礼講   鳥羽省三


○ ファミレスに入りて問はるる人数に「ひとり」と答へる時の違和感  (新潟) 飯村 哲

 先日、私は五人連れで、ある「ファミレス」に入ったはいいものの、座席に案内されるまで三十分余りも待たせられてしまった。
 その間に、その店に入ってくる単独客は、来店するや否や、ものの数秒も経たぬうちに座席に案内され、のうのうとメニューにありついていた。
 という訳で、多少の「違和感」や居心地の悪さは感じられるものの、お「ひとり」様の味もなかなかのものと、私には拝察されます。
  〔返〕 ファミレスに独りで入る者も居て日本国民内需拡大   鳥羽省三


○ まだ馴れぬ車椅子にて早朝の仁和寺の風光るを見たり  (京都) 泉 順子

 「まだ馴れぬ車椅子にて早朝の仁和寺」までのお散歩。
 移動手段が「まだ馴れぬ車椅子」だけに、目的とする「仁和寺」まで辿り着いた時の達成感は、私たち読者の想像に余るものであったに違いありません。
 無事到着して、「仁和寺の風光るを見た」のは、不可能事を可能ならしめた、本作の作者・泉順子さんへの自然の贈り物であったに違いありません。
  〔返〕 山門をくぐった時の嬉しさと葉桜揺らす風の涼しさ   鳥羽省三


○ 炎帝は列島隈なくしろしめし動いているは蟻と自動車  (茅野) 三井次郎

 この猛暑の最中、「動いている」のが「蟻と自動車」だけならまだしも、生きる為には、死の危険を冒してまでも、万物の霊長たる私たち人間もまた、<蟻とキリギリス>の「蟻」のように、あちこちを歩き回らなければならないのである。
 それだけに、今年の夏を統べる「炎帝」様の厳しいご措置には、私は恨み言の一つも申し上げたくもなるのである。
  〔返〕 炎天を隈なく歩きチラシ入れ一枚三円煙草も吸えぬ   鳥羽省三


○ 小まめなる水分補給にししむらの水の比率のはつかに増さむ  (西宮) 谷口清澄

 今年の夏の若い女性の「ししむら」が妙に気になったのは、彼女らの「小まめなる水分補給」によって、その「ししむらの水の比率」が「はつかに」増したからだったと、この一首に接して納得した私でした。
  〔返〕 小まめなる水分補給の賜物か水もしたたる彼女のししむら   鳥羽省三


○ 自転車の子らが指差し話しゆく畑に横たふ二貫目西瓜  (稲沢) 丸山勝也   

 「二貫目西瓜」と言えば、8㎏弱の「西瓜」である。
 その昔は、8㎏弱どころか、時には10㎏を超える「西瓜」も珍しくなかったのであるが、近頃の西瓜栽培農家は、市場原理に則って一定以上の重量の「西瓜」を栽培しないから、作中の「二貫目西瓜」は、「自転車の子ら」にとってはまさにお化け西瓜だったのである。
 時代によって「西瓜」の大きさや重量が限定され、お化けでも何でも無かった「西瓜」が<お化け西瓜>扱いにされるのが、現代の日本社会なのである。
 評者の目には、現代の日本社会こそ<お化け西瓜>ならぬ<お化け社会>に見えて来る。
  〔返〕 自転車の子らが知らない其のむかし西瓜は天にも地にもごろごろ   鳥羽省三


○ 以下同文のごとき人生さはあれど泰山木の花が見てゐる  (丸亀) 松繁寿信

 評者の心を以ってすれば、この人類史上に「以下同文のごとき人生」などは在り得なかったと断じたい。
 「さはあれど泰山木の花が見てゐる」という下の句から察するに、本作の作者・松繁寿信さんご自身も、ご自分の人生は決して「以下同文のごとき人生」では無かった、と確信を持って居られるのでありましょう。
 それはともかくとして、山中に咲く、あの「泰山木の花」はいかにも、通り過ぎる人の心の中を「見てゐる」ような感じの花なのである。
 作者が本作をお詠みになった動機も、あの「泰山木の花」にご自身の心の奥底を覗かれ、洗われているように感じた点に在ったのでありましょう。
  〔返〕 以下同文の如き総理が続き居て我が日本は転覆寸前   鳥羽省三



[穂村弘選]

○ 占ひの女性睡魔に襲はれて手相は見ざり夢を見てゐる  (鹿児島) 杉村幸雄

 短歌作者の立ち位置は<神の座>であるから、本作の作者は「睡魔に襲はれて手相は見」ずに「夢を見てゐる」「占ひの女性」の「夢」の中まで立ち入り、その奥底まで覗くことが可能なのである。
  〔返〕 そのかみの勉強の虫の八百屋にて「勉強、勉強、キャベツの特売!」   鳥羽省三
 返歌は、武田鉄矢のステージトークをネタにしたものです。

 
○ 訳文で哲学書読むことの非を責められてゐた未明の夢で  (松山) 吉岡健児

 語学コンプレックスを背負ったままで大学で哲学を専攻したら目も当てられない。
 ラテン語に始まり、ドイツ語、フランス語、英語、スペイン語、中国語、梵語などの外国語をマスターして原典を読みこなして行く過程そのものが、哲学専攻の大学生にとっては<哲学する>ことなのである。
 本作の作者・吉岡健児さんは、ある種の情熱に駆り立てられて大学で哲学を専攻したのであるが、その<情熱>たるや、「デカルトの『方法序説』を小脇に抱えて団地の舗道を歩いていたら、世話好き、変わり者好きのマダムたちの母性本能を刺激するかも知れない」といった程度のものに過ぎなかったから、大学でのゼミに出席する際にも、原典は碌々読まず、翻訳書を読んで済ませていたから、ゼミ担当の教授から再三に亘って、「君、君、原典を読まずに、翻訳書を読んだ程度の知識で、このゼミに顔を出してはいけませんよ。私のさっきの質問に対しての君の答え方は、明らかに岩波文庫の谷川多佳子訳の『方法序説』を通しての答え方であった。要するに、先ほどの君の答え方は、原典のフランス語を邦訳する時に生じた誤差を、不勉強な君が更に誤解してしまってことが、ありありと分かるような性質のものであった。何回も言うようだが、哲学徒は原典を読まなければいけません。フランス語も知らないでデカルトをやってはいけません。」と注意されていたに違いありません。
 かく申す私も、『源氏物語』を通読せずに<源氏物語研究>の講座に出席して、担当の△△△△教授からきつく注意されたことがあり、その時の夢を、七十過ぎになった今もなお見ることがあるのである。
  〔返〕 「総角」は「あげまき」と読むのも知らずして出席していた源氏物語ゼミ   鳥羽省三


○ 豆腐なしで麻婆豆腐は作れない いやひょっとして作れるのかも  (仙台) 間 啓

 焼かない<焼き蕎麦>があったり、ジン抜きの<ジンフィズ>をスナックの女性に強請られたりする今日でも、「豆腐なしで麻婆豆腐は作れ」ません。
 「ひょっとして」もひょっとしなくても、「豆腐なしで麻婆豆腐」は絶対に作れません。
  〔返〕 夏ばてに効くと言うから食べたいなゴーヤ入らぬゴーヤチャンプル   鳥羽省三


○ 遺影を抱く男児はしきりに身じろげり普段の自分に戻りたそうに  (盛岡) 藤原建一

 <ハレ>と<ケ>の違いも知らない「男児」を、俄仕立ての<ハレの場>の主役に祭り上げてはいけません。
 葬式仏教には、お寺の住職に法外なお布施を上げる以外の、何の意味もありません。
  〔返〕 身じろぎで判る坊主の怠け癖ものの十分正座を出来ぬ   鳥羽省三
 

○ 今ここで西瓜の種をとばすのだ社会的には死んでいるけど  (国分寺) 多治見千恵子

 「社会的には死んでいる」はずの鳩山前首相の今回の一連の行動も、本作の「西瓜の種」飛ばしのようなものであったのでしょうか?
 しかも、前言を突然翻して、小沢支援を打ち出して間も無く、モスクワに飛び立った理由が、一人息子の『モスクワの交通渋滞緩和策』という出版物の出版祝いであったとは、驚き呆れてものも言えません。
 私は、彼のモスクワ土産を、<北方四島無条件返還>かと密かに期待していたくらいの鳩山ファンであったのですが、今回の彼の行動には、すっかり失望してしまいました。
  〔返〕 <友愛>や<真義>を口にし馬鹿野郎西瓜の種喰らい鳩は死んじゃえ   鳥羽省三
 


○ 通販でロングのかつらが届くから驚かないでねお金はここに  (東京) 平岡あみ

 夜のお仕事にお出掛け前の美人の奥様が、髪結いのご亭主殿に申し付けているのである。
 その時、競馬場から帰ったばかりで、馬しか興味の無いご亭主殿は、この奥様のお言葉をどんな気持ちで聴いていたのだろうか?
 代金引換の「ロングのかつら」の為の「お金」は無事に佐川急便の配達員の方の手に渡るのだろうか?
 奥様がお出掛けになった後、ご亭主殿は例の「お金」を持って、夜の盛り場にお出掛けになるのではないだろうか?
 などなど、この一首への興味はなかなか尽きない。
 ご亭主殿は、例の「お金」を持って、奥様がお勤めになって居られるスナックのお隣りの居酒屋にお出かけになるに決まっているが、何処へも出掛けない評者の私としては、その「ロングのかつら」を奥様がお被りになったら、ただでさえ目も眩いばかりの奥様が、また一段と眩くなるに違いない、と妄想に耽るばかりなのである。
  〔返〕 奥様はロングのかつら今日負けたあの馬ロングの尻尾なりけり   鳥羽省三


○ 梅雨深き駅舎の裏の木下闇通過電車の窓になつかし  (横浜) 石塚令子

 今になって思えば、この夏の梅雨は雨らしい雨が降った梅雨だったろうか、などといろいろ心配にもなるが、私と同じ県の住人たる、この作品の作者が、かかる内容の作品をご投稿になって居られるのであるから、この猛暑前の一時期には、梅雨の雨が、何処かの「駅舎の裏の木」の葉をたっぷりと濡らし、其処の辺り一帯は「木下闇」となっていたに違いない。
 本作の作者・石塚令子さんは「通過電車の窓」から「梅雨深き駅舎の裏の木下闇」をなつかしいと眺めているのである。
 言わずもがなのことではあるが、人がある風景を懐かしい風景として眺める場合は、その人ご自身が過去に、必ず、それと似たような風景の只中に在った経験を持っている場合が大半なのである。
 本作の作者・石塚令子さんは、過去のある時点に於いて、「梅雨深き駅舎の裏の木下闇」の真っ只中に居て、何方か車中の人を、悔し涙に咽びながら、密かにお見送りになったご経験をお持ちになって居られるに違いない。 
  〔返〕 駅裏の木下闇に泣く我を知らねで彼はハネムーンに発つ   鳥羽省三


○ 「雨がやむまではしあわせでいようね」囁き合って方舟の豚  (伊那) 川合大祐

 「雨がやむまでは」ということは、<洪水が続いている間は>ということである。
 「雨」が止まずに、この<洪水が続いている間は>、彼ら「方舟の豚」どもは、とにもかくにも<殺処分>などという無情の措置に曝される危険が無いから、「『しあわせでいようね』」と「囁き合って」いられるのである。
 それにしても、人間を一様に「方舟の豚」と断ずる、本作の作者の人間観は大変厳しい。
 「雨がやむまでは」、一体どれくらいの時間を指すのだろうか?
  〔返〕 政権が交代したら幸せになれるだろうと方舟の豚   鳥羽省三


○ 絹は一匹箪笥の一棹蝶一頭夢の単位は一炊ならむか  (つくば) 潮田 清

 「一炊」の間に見る私たちの「夢」は、一瞬の間に覚めてしまうに違いない夢である。
 <助数詞遊び>めかした軽い作品ではあるが、「夢の単位は一炊ならむか」という下の句は、人生の儚さを思わせて、なかなかの一首を成している。
  〔返〕 二棹の時代箪笥を積み込んで人生最後の引越しをやる   鳥羽省三

 来たる九月十四日の転居を前にして、「臆病なビーズ刺繍」の更新は、遅々として進みません。
 麻生区から多摩区へと、同じ川崎市内への転居ながら、過去二年間の仮住まい生活から脱して、人生最後の引越しをするのかと思うと、ブログの更新をしている気にはなれないのである。
 正確に言うと、骨董物の二棹の時代箪笥を引越し屋さんの自動車に積み込んでの今回の引越しは、人生最後の引越しと言うよりも、人生で最後から二番目の引越しと言うべきかも知れません。
 人生最後の引越しの際には、二棹の時代箪笥も他の荷物も残したままの引越しになるのでしょう。
  〔返〕 古希過ぎて十八度目の転居なり多摩の生田は青山なるか?  鳥羽省三
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