臆病なビーズ刺繍

 臆病なビーズ刺繍にありにしも
 糸目ほつれて今朝の薔薇薔薇

一首を切り裂く(024:玩・其のⅢ・夜空を見上げ歌うララバイ)

2012年09月30日 | 題詠blog短歌
(中西なおみ)
〇  哀しみの記憶に生きた玩具らが夜空を見上げ歌うララバイ

 「ララバイ」とは「子守唄」のこと。
 「ララバイ」というカタカナ語を耳にして直ぐに思い起こすのは、中原理恵歌唱の歌謡曲『東京ららばい』である。
 この語をタイトル(乃至はタイトルの一部)とした歌謡曲は、<RADWIMPS>歌唱のそのものずばりの曲『ララバイ』を初めとして、岩崎宏美歌唱の『聖母たちのララバイ』、柳ジョージ歌唱の『鉄のララバイ』、中島みゆき歌唱の『アザミ嬢のララバイ』などと、それこそ数えるに暇がありません。
 それらとは別に、昭和の歌姫の一人と目されている歌手・菊池章子が歌って一世を風靡した『星の流れに』などは、「ララバイ」をタイトルに戴いては居ないものの、内容的には間違い無く「ララバイ」を冠するに値する名曲でありましょう。


 『星の流れに』 (作詞:清水みのる・作曲:利根一郎・歌唱:菊池章子)

   星の流れに 身を占って
   どこをねぐらの 今日の宿
   すさむ心で いるのじゃないが
   泣けて涙も 枯れはてた
   こんな女に 誰がした

      煙草ふかして 口笛ふいて
      あてもない夜の さすらいに
      人は見返る わが身は細る
      町の灯影の わびしさよ
      こんな女に 誰がした

   飢えて今ごろ 妹はどこに
   一目逢いたい お母さん
   ルージュ哀しや 唇かめば
   闇の夜風も 泣いて吹く
   こんな女に 誰がした

 私が子供の頃、その頃二十歳を過ぎていた私の兄は、この曲の一番の終りを、「こんな女に誰がした]と歌わずに「こんな女と誰がした」と歌っておりました。
 今は既に天国に召されてしまった兄であるから、私にとっては、この事がいつまでも忘れられない思い出となって居ります。


 『東京ららばい』(作詞:松本隆・作曲:筒美京平・歌唱:中原理恵)

   午前三時の東京湾は
   港の店のライトで揺れる
   誘うあなたは奥のカウンター
   まるで人生飲み干すように
   苦い瞳をしてブランディーあけた
   名前は? そう仇名ならあるわ
   生まれは? もうとうに忘れたの
   ねんねんころり寝ころんで眠りましょうか
   東京ララバイ
   地下があるビルがある星に手が届くけど
   東京ララバイふれ合う愛がない
   だから朝までないものねだりの子守歌

      午前六時の山の手通り
      シャワーの水で涙を洗う
      鏡の私二重映しに
      レースの服の少女が映る
      愛をうばった二年が映る
      愛した? そう数知れないわね
      別れた? もう慣れっこみたいよ
      ねんねんころり寝ころんで眠りましょうか
      東京ララバイ
      夢がない明日がない人生はもどれない
      東京ララバイあなたもついてない
      だからお互いないものねだりの子守歌

   孤独さ そうみんな同じよ
   送るよ いい車を拾うわ
   ねんねんころり寝ころんで眠りましょうか
   東京ララバイ
   部屋がある窓があるタワーも見えるけど
   東京ララバイ倖せが見えない
   だから死ぬまでないものねだりの子守歌

 もう一つ、歌謡曲に纏わる想い出話を披露させていただきます。
 これは、私が既に社会人になってからの話ですが、私の職場仲間の一人が、『東京ららばい』のサビの部分を「東京ララバイ 膜が無い既に無い」と歌っていたのですが、彼はその後、自分自身は初婚ながらも、バツイチの女性と結婚しました。
 それとは別に、これらの名歌謡を口遊んでいて思うことは、これらの曲や詞は、「子守唄」と言うよりも「鎮魂曲」と言うべき内容である、ということである。
 〔返〕  哀しみの記憶も失せし今もなお想い出すのは『星の流れに』   鳥羽省三


(真桜)
〇  この躰玩具のように扱って肌で知ってよ私のすべて

 末の世なれば、破れかぶれになりたくなるようなお気持ちは、私にもよく解りますが。
 だからってね!
 〔返〕  この体躯この意気込みで迫られて尚かつ厭う貴女の腋臭   鳥羽省三  


(磯野カヅオ)
〇  新装のデパート前で道化師がゴムで動かす玩具配れり

 単なる生活見聞録といった内容であり、表現的にも特筆するべき作品とは思われませんが、物好きな評者としては、「新装のデパート前で道化師が」配っていたという「ゴムで動かす玩具」に、少しく興味を抱いております。
 〔返〕  放課後の校門前で配ってたゴムで動かす大人の玩具   鳥羽省三


(三沢左右)
〇  幼子のやはらかき手ににぎりゐし玩具熱もてわが髪を焼く

 内容的にはなかなか興味深い作品ではあるが、四句目の「玩具熱もて」という<ちからワザ>的な表現が、少しく気にはなります。
 文意としては「『幼子のやはらかき手』によって『にぎり』締められていた為に『玩具』が『熱』を持った結果、『わが髪を焼く』」という次第でありましょうが?
 〔返〕  乳飲み子のやはらかき手に握られて玩具熱持て!我が髪を焼け!   鳥羽省三


(由弥子)
〇  句会にて言葉の連鎖ほどくとき玩具のマーチ口遊む人

 二、三句目の「言葉の連鎖ほどくとき」が、やや独り善がりな表現でありましょうか?
 ところで、「句会にて(中略)玩具のマーチ口遊む人」とありますが、そんな素っ頓狂な御仁が居られましょうか?
 〔返〕  チャッチャッチャッ玩具のチャッチャッチャツ!ちゃっちゃっど詠めよ!ちゃっちゃっど詠め!   鳥羽省三        ※「ちゃっちゃっど」とは「早く」という意味の方言である。
 

(音波)
〇  まだ若く声も小さいこの夏を愛玩用に育んでみる

 『夏を育む』というタイトルの小説が書けそうである。
 〔返〕  未だ寒く花も咲かない初春を寿ぎまして先ずは一献   鳥羽省三


(朱李)
〇  星屑を集めて詰めた玩具箱銀河の夜に空を走るか

 「走ります!走ります!絶対に走ります!岩手県知事としての私の命と引き換えに、断言しても宜しい!走ります!完璧に走ります!」
 〔返〕  鉋屑を固めて作った玩具箱銀河の彼方で燃えて行くらむ   鳥羽省三


(佐藤紀子)
〇  バネ入りの玩具のやうなリスの仔が細き身体で草野を撥ねる

 「リスの仔が細き身体で草野を撥ねる」様子を「バネ入りの玩具のやうな」と、直喩表現しているのである。
 〔返〕  発条造りの長き体でによろによろと青大将が沼辺を這へる   鳥羽省三 


(壬生キヨム)
〇  たわむれに土星の輪っかを玩び好きですなんて決して言えない

 軈ては「宇宙非行士」というのも居たりしてね。
 〔返〕  戯れに土星の輪っかを潜り抜け死んだと大和にメールを打って   鳥羽省三


(フユ)
〇  玩具売り場で風船を売るきみは夕方頃に羽化をするはず

 ふわふわ風船には「羽化」が相応しい、という訳でありましょうか?
 〔返〕  火葬場を赤提灯にするヤツは納棺師資格を返上しなさい   鳥羽省三


(るいぼす)
〇  もう君の玩具になったカラダごと たった一つの場所を除いて

 「たった一つの場所」如何によりましょうが、「たった一つの場所」があの{場所}であった場合は、「もう君の玩具になったカラダごと」とは言えません。
 〔返〕  もう君の自由にさせぬ一通のゆうちょ銀行の通帳だけど   鳥羽省三


(今泉洋子)
〇  怪獣のしづかに眠る玩具箱開くれば過去が押し寄せてくる

 「玩具箱」を「開くれば」「押し寄せてくる」「過去」の具体物が「怪獣」であったとしたならば、今泉洋子小母ちゃまもまだまだ若い!
 これから尋常小学校に入学しても宜しい!
 表現上のテクニックについて一言申し上げます。
 詠い出しの三句に於いて「怪獣のしづかに眠る玩具箱」と述べてしまうのは、下手な手品の種明かしを最初からするようなものでありましょう。
 〔返〕  妄想に包まれて眠る宝石箱開ければ過去の罪に苛まれる   鳥羽省三


(矢野理々座)
〇  食玩はお菓子がおまけとなぜ言わぬ?確信犯でしょメーカーさんは

 矢野理々座さんと云えども、「メーカーさんは」なんて言い方をするからには、既に消費社会の害毒に犯されているのかも知れません。
 「メーカーさん」などと、生産業者を「さん」付けで呼ぶのは、卸問屋の禿げ頭の社長さんくらいのもんでありましょう。
 私の知人の一人に、「この秋刀魚は五尾サンキュウパで買ったのよ!」などという言い方をする主婦が居るが、彼女も亦、消費社会の害毒に犯されてしまったのである。
 私たち歌人が神様から担わされている役割りの一つに、「歌人は全て言葉遣いの処女であらねばならない」という事が在ったはずである。
 それを忘れてはいけません。
 〔返〕  食玩はやはり玩具がおまけです「食」と「玩」とのどちらが先だ   鳥羽省三


(鳥羽省三)
〇  究極の玩具としての歌なれば『哀しき玩具』と名付けしならむ

 なんちゃったりしてさ!
 知ったか振りしてさ!
 鳥羽省三というヤツは食えぬヤツだ!
 〔返〕  我も亦「哀しき玩具」の歌詠みを飽きずに未だ遣って居ります   鳥羽省三
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一首を切り裂く(024:玩・其のⅡ・戦士の任期も一年限り)

2012年09月30日 | 題詠blog短歌
(葵の助)
〇  玩具屋でゴーカイジャーは値下げされ戦士の任期も一年限り

 「ゴーカイジャーは値下げされ戦士の任期も一年限り」とある。
 「任期も一年限り」と云うよりも、「人気」が「一年限り」なのではありませんか?
 〔返〕  佑ちゃんはハンカチ王子と呼ばれたが一年限りで音を上げました   鳥羽省三


(粉粧楼)
〇  綿あめで窒息させるかのように愛玩される他は知らない

 「綿あめ」は「真綿」と違って、口に入れて舐めていると溶けますから、首を絞めることも窒息させることも出来ません。
 〔返〕  綿あめで窒息死など出来ません舐めたらあかんあきまへんでえ   鳥羽省三


(tafots)
〇  あまくものゆくらゆくらの鍵尻尾 愛玩用に虹をあがなう

 作中の「鍵尻尾」とは、「豚のしっぽのように捻じれたり、曲がったりしているしっぽを持った仔猫」を指して云うのでありましょうか?
 だとしたら、本作は、「『鍵尻尾』の弄び物(玩具)として『虹』を買って遣った」というだけの、他愛なく単純なストーリーを持った童話紛いの作品である。
 しかしながら、詠い出しの二句に『万葉集』の「巻13・3272番歌(長歌)」の叙述の一部「天雲のゆくらゆくらに(葦垣の思ひ乱れて)」を取り入れて、奥行きが深く、イメージ豊かな作品に仕立て上げようとしたところに、いかにも<tafots>さんらしい創意が窺われ、併せて「私は凡百の詠い手ならじ」とする作者のプライドが誇示されているようにも思われる。
 然るに、「題詠2012」に参加している歌人の多くは、恐らくは、本作に込められた創意及びイメージと作者のブライドを感得するだけの余裕を持ってはいません。
 短歌というものは、「読まれてなんぼ」という世界に所属するものであり、「詠んでなんぼ」という世界に所属するものではありません。
 本作の作者・<tafots>さんは、初参加当時から、私が最も注目し、最も期待している歌人の一人ではありますが、「昨今の彼女の作品の多くは作者ご自身の自己満足に過ぎないような作品である」という点が見られ、そうした点は真に惜しまれる事、ではある。
 〔返〕  二人無き恋人なれば腰紐を十重(とえ)に二十重(はたえ)に巻きて偲はむ  鳥羽省三 


(アンタレス)
〇  玩具とてあなどれぬ程難しきルービックキューブ一日挑戦

 本作の作者は、前述作品の作者と比較すると、あまりにもあどけなく素朴な歌人である。
 同じ「玩具」にしても、前述作品に登場する「玩具」は、{玩具」としての役割りを果たし得るとは到底考えられない「虹」であり、本作に登場する「玩具」は玩具そのものの「ルービックキューブ」なのである。
 これら両者のどちらを是とし、どちらを否とするか?という訳ではありませんが、前述の通り、短歌というものは、「読まれてなんぼ」という世界に所属するものでありますから、「余りにも創意過剰な作品」は、一般的には<好し>とされません。
 とは言え、本作のような「あまりにも創意不足の作品」も亦、<佳し>とはされません。。 
 其処ら辺りのところが短歌創作の難しさでありましょうか?
 本作の作者が留意するべき点の一つは、作中の形容詞「難しき」は「難し」の連体形である事をご自覚なしなければならない、という点である。
 これを連体形を用いずに、終止形を用いた場合は「玩具とてあなどれぬ程に難しい/ルービックキューブ一日挑戦」となり、連用形を用いた場合は「玩具とてあなどれぬ程難しく/ルービックキューブ一日挑戦」となる。
 これら三者のいずれを是とし、いずれを否とするか?という事ではありませんが、短歌表現の用語の選択には、作者ご自身が自覚的且つ意識的に取り組まなければなりません。
 同じ一つの語や語句を用いるにしても、意識的に用いた場合と無意識的に用いた場合とでは、大きな違いが在るからである。

 〔返〕  玩具だからと侮る事は出来ませんルービックキューブはなかなか難しい   鳥羽省三
 口語短歌は、字余り作品になることを過剰に気にせずに、詠みたいように詠まなければなりません。
 例え、大幅な字余り作品であったとしても、その中に自ずからなる内在律が感じられれば、それで以って<佳し>とするのである。 


(猫丘ひこ乃)
〇  玩具屋のおじさんが店を閉めたあとサンタのバイトはじめたらしい

 但し、「季節限定」の「バイト」であり、月が替われば「おじさん」は獅子舞になるらしい。
 〔返〕  町内にトイザラスが出来たから小父さんの玩具屋已む無く閉店   鳥羽省三


(穂ノ木芽央)
〇  口紅も消えて気怠しヒール音既に玩具ですらなく 新月

 若手社員からは勿論、気心が知れていたはずの同期入社の男性社員からも敬遠されて、職場内に身の置き所が無くなってしまったお局さんの心境を表そうとした作品ではある。
 一字空きの後の「新月」がなかなか宜しい。
 「月の満ち欠けと女性の整理との関わり」については、インターネットを検索したり、『家庭の医学』といった書籍を読んだりしてご理解下さい。
 〔返〕  眉を描き睫毛を貼って唇を紅く染めても気が晴れません   鳥羽省三


(ゆこ)
〇  ゆこちゃんのモノでしたねと抱きしめる文化人形ひと型玩具

 
 フリー百科事典『ウイキペディア』には、作中の「文化人形」について、次の如く解説している。
 即ち、「文化人形」とは「① 大正から昭和初期にかけて作られた、洋装の布製の人形のこと。ぶらぶら人形とも。」、「② ①を模して作られた人形のこと」、「③ 布製の人形のこと」、「④ ポーズ人形やサクラビスクなどを含め、大正時代から昭和初期にかけて作られた人形の総称」、「狭義には ①および②を指すが、既に流通している人形に対して後付けで付けられた名称のため、用法にかなりの幅がある。文化人形の『文化』とは、文化住宅、文化包丁など様々な派生語を生んだ、当時の流行語」と。

 思うに、作中の四、五句目に「文化人形ひと型玩具」とあるところから推測すると、本作の作者・ゆこさんの仰る「文化人形」とは、「①」に記載されている「ぶらぶら人形」かと思われる。
 ところで、「ぶらぶら人形」とは、同じく『ウイキペディア』の解説するところに拠ると「★頭と胴は一体整形されている。★顔は別布に描かれ、頭部に貼り付けられている。★頭はボンネットや帽子で覆われているため、髪の毛は前髪がわずかにのぞく程度である。★手足は筒状で、胴に簡単に縫い止められているため、人形を持ち上げた際にぶらぶらと揺れ動く。★衣装はエプロンドレスやAラインワンピースが多い。胴に縫いつけられている場合と着せかえ遊びが行える場合とがある。★靴は足に直接彩色されているため、脱がせることはできない。★中の詰め物は、木毛が使われている。硬くて軽い。」とのこと。
 作者のゆこさんにすれば、この骨董品的な「文化人形(ひと型人形)」が、久しぶりに訪れた生家の押入れの隅に眠っているのを発見した時、直ぐさま「(この可愛い文化人形は)ゆこちゃんのモノでしたね!」と、「抱きしめ」たくなったのでありましょう。
 さすがに<ナルシスト・ゆこちゃん>の面目躍如たるものがある。
 〔返〕  この家もお金もみんなゆこちゃんのものだから!誰も触らないでね!   鳥羽省三


(あみー)
〇  デパートにとっておもちゃのお祭りは玩具売り場のセールのことだ

 決まり切ったことは言わないで下さい!
 〔返〕  デパートにとっての顧客とは「毎月百万単位の買い物をする人」   鳥羽省三


(さくら♪)
〇  新人でチビでメガネな担任を玩ぶのが生徒(ウチら)の日課

 私が言うのも皮肉めいておりますが、「教職に就く者は、『チビでメガネ』を掛けていて、容貌に自信を持てない者」という傾向が顕著であります。
 そうした傾向は、男性教師もさることながら、女性教師の場合は特に極端化しております。
 誤解を恐れずに申し上げますと、昨今の女性教師に独身者が多いのは、そうした事情が関わっているのでありましょうか?
 〔返〕  新人でデブで背丈が小さくて内気な教師は苛めの対象   鳥羽省三


(五十嵐きよみ)
〇  からかわれまたむきになる末っ子は家族の愛玩動物めいて

 全然、面白くも可笑しくもありません。
 五十嵐きよみさんの御作としては、例外的に精彩を欠いた作品であり、駄作と申し上げても失礼には当たらないことでありましょう。
 〔返〕  人間を愛玩動物視するのは苛めの一種と看做されましょう   鳥羽省三


(只野ハル)
〇  色褪せたひとり遊びの玩具たち夕陽射しこむ部屋の片隅 
(七十路ばば)
〇  故郷の土蔵の二階の箱の中誰遊びしかブリキの玩具

 上掲の両作品は、殆ど「同工異曲」と申し上げても差し支えないような作風である。
 只野ハルさんの御作の場合は「夕陽射しこむ部屋の片隅」とあり、七十路ばばさん(とお呼びしても宜しいのでしょうか?)の御作の場合は「故郷の土蔵の二階の箱の中」とありまして、場面設定は少しく異なりますが、同じように年経りた「玩具」を目前にして懐旧の想いに耽って居られる、という発想は、月並みと申し上げる他無く、両作者ともベテラン中のベテランの歌人であることを考慮すれば、佳作として評価するのには、私としては忸怩たらざるを得ません。
 〔返〕  押入れの隅に眠れるイチマさん目を開け口を開き昔を語れ   鳥羽省三


(御子柴 楓子)
〇  戯言を綺麗ごととし磨きあげ玩具としてのわたしでいたい

 「戯言を綺麗ごととし磨きあげ」とは、ご自身の容貌に自信を持って居られる女性に見られる、思い上がった願望であり、それに続く「玩具としてのわたしでいたい」という願望も亦、同じような事柄を根拠としての発想でありましょう。
 〔返〕  傲慢を自恃と居直り磨き上げ清く正しき女であれよ   鳥羽省三
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一首を切り裂く(024:玩・其のⅠ・ああ、道の駅)

2012年09月29日 | 題詠blog短歌
 今春のGWの最中に、市営バスを二本も乗り継いで出掛けた、某ホームセンターから三百十五円も支払って購入させて頂いた<手有りササゲ>の種──私よりは比較的に野菜造りに詳しい妻女の話に拠るとモロッコという、ご立派なカタカナ名前を持っているとか──。
 そのご立派なモロッコの種を狭庭に蒔いて、この夏は緑のカーテンを楽しみ方々、<ササゲのお浸し>でも食べさせていただこうかと思っていたのである。
 ところが、草丈はご立派に二メートル余りに達したのにも関わらず、真夏になっても「花は咲けども実はならず」という状態であったので、私は、太田道灌の故事を思い出したり、発売元の<東北のタネ>に電話でもしようか、とも思っていた。
 然るに、その裏切り者の役立たずのモロッコが、秋風が吹き始めて薄の穂波が揺れ動き、気の早いサンタさんなら馴鹿の橇の整備に取り掛かっていそうな今頃になって、あろうことか、白い花など一、二輪咲かせて、<ササゲのお浸し>を食べ損なった私をせせら笑っている様子なのである。
 ここいら辺りで話題を急転換させていただきますが、今回、即ち<お題>「23:玩」は、作中に折り込み易かったと見受けられ、短歌としての一応の体裁を成している作品が数十首にも及んでいるのである。
 私はつい一昨日まで、<お題>「021:示」に寄せられた、百四十余首の鑑賞を成し遂げ、スタミナ切れもいいとこ、疲労困憊の極に達しているのであるが、とは言っても、せっかくの傑作、佳作、まあまあの作品たちを、古ぼけた箪笥の底に仕舞い込んでおく訳にも行かないので、鑑賞対象の作品にさせていただいた次第である。


(夏実麦太朗)
〇  地場産の間伐材でつくられた玩具あふれる ああ、道の駅

 その土地に行かなければ買えないような美味しいものでも買えるのか?と思ったりし、ドライブの途中で「道の駅」に出逢ったら、大抵の人なら、必ず停車して売り場を覗いてみるのであるが、何処の「道の駅」でも、商品棚に並んでいるのは、変わり映えのしない、トマト、茄子、大根、法蓮草などの野菜の他は、「地場産の間伐材でつくられた」木地「玩具」である。
 「ああ、道の駅」と、我らが夏実麦太朗氏が嘆息するのも宜なる哉。
 ところで、この頃、各地の「道の駅」の商品棚に、<当「道の駅」限定商品>と称して、何処のスーパーでも買えるようなスナック菓子やキャラメルなどを見掛けることがあるが、あれらの商品と通常商品との間には、食味の違いがあるのでしょうか?

 〔返〕  し終えてもまだまだ出来る気もするにもう沢山と妻女云うとか   鳥羽省三
 「し終えても」などと言われると、何処かからか隠微な風が吹いて来そうな気もするが、現実に「し終える」のは硝子磨きである。


(平和也)
〇  手に入れた玩具にすぐに飽きる子も笑えぬと知る活字中毒

 「活字中毒」に罹患されて居られる御仁は、本作の作者・平和也さんでありましょうか?
 〔返〕  崖九尺崩して建てしマンションに背丈五尺の女と棲めり   鳥羽省三


(紫苑)
〇  たくぶすま白布の波にただよへる吾を玩(もてあそ)べあからしま風

 作中の「たくぶすま(栲衾)」とは、「楮などの繊維で作った夜具」のことであり、栲衾(たくぶすま)」の白い特質から、「白」や「新羅」に係る枕詞としても使われるようになった。
 また、「あからしま風」とは、「暴風」のことである。
 というところから、一首の意は「『たくぶすま』即ち、楮で作った白い布のような『波』に漂っている私を、暴風よ、思うままに弄んでお呉れ」といったところであり、作者の紫苑さんが、常日頃から抱いている「力強い男性に組み敷かれて、思うままに肉体を玩弄されたい」という、女子プロ級の願望を一首の歌に託したものである。
 〔返〕  あからしま風にはあらぬ吾なれど君を玩弄する気もあらむ   鳥羽省三


(ほたる)
〇  人形をころがしながら玩ぶ仔猫はビー玉の目をもっている

 「仔猫」の「目」を「ビー玉」に見立てたのが、本作の取り得の全てであり、詠い出しの「人形をころがしながら玩ぶ」という五七五句は、「お題」を作中に取り込む為の小細工に過ぎません、と申し上げたならば、作者に失礼することになりましょうか?
 〔返〕  源氏螢を視線で追へるご妻女の昨夜(よべ)の寝間での乱れ思へり   鳥羽省三


(浅草大将)
〇  石川や浜にさらさら一握の砂を落として悲しき玩具
 
 「一握りして『浜にさらさら』と落した『砂』が『悲しき玩具』である」と、石川啄木の歌集『一握の砂』及び『悲しき玩具』を作中に取り込みながら述べているだけの作品である。
 〔返〕  石川や浜の真砂は尽くるとも世に浅草の電氣ブランは飲まじ   鳥羽省三  


(横雲)
〇  君が手は馬酔木(あせび)の花を手折るかに優しく愛でて髪弄ぶ

 ある地点に、まるで「馬酔木の花」を手折っているかのような仕草で自分の「髪」を弄んでいる女性(以下、彼女と云う)が居たとする。
 また、彼女の傍らに居て、彼女の前述の如き動作を「優雅な仕草」と思って見ている男性(以下、彼と云う)が居たとする。
 本作は、彼女の優雅な仕草に対する彼の讃仰心(と言っても、決してオーバーな表現ではありません)を一首の歌に託して表したものでありましょう。
 ところで、若い女性にとっての毛髪は性感帯の一つであると云う。
 であるならば、最近、電車やバスなどの座席で自分自身の毛髪を擦っている女性をよく見掛けるが、件の女性たちは、公衆の面前で自慰行為に耽っているふしだらな女性、と云うべきかも知れません。
 本作中の「彼女」も亦、その類の女性でありましょうか?
 本作の表現についてもう一言申し上げますと、本作の作者は、「君が手は馬酔木の花を手折るかに優しく愛でて髪弄ぶ」と詠んでいる。
 と云うことは、「馬酔木の花を手折る」場合は、「優しく愛で」るようにして「手折る」ということになりましょう。
 思うに、本作の作者の「馬酔木」についてのこうした認識は、堀辰雄などが著した、四季派の文学書を読むことに拠って培われた認識かと思われ、作者ご自身は、現実の「馬酔木の花」を目にして居られないのではないか、と思われます。
 堀辰雄に『浄瑠璃寺の春』という、小説とも紀行文とも区別の付かない短編がありますが、私は、かつてこの短編に登場する「馬酔木の花」に憧れて、はるばると横浜から京都府と奈良県の県境に在る浄瑠璃寺まで足を運んだことがありましたが、現実の「馬酔木」は、『浄瑠璃寺の春』に登場するそれとは異なり、全く風情が感じられないような花でありました。
 したがって、「君が手は馬酔木の花を手折るかに優しく愛でて髪弄ぶ」という、この一首の表現には、私は、かなりの違和感を感じております。
 しかしながら、それは好みの問題でありましょう。
 それと、もう一点、「馬酔木」に振り仮名は不要かと存じます。

 〔返〕  君が手は馬酔木の花に触れしのち己が唇を擦るがに見ゆ   鳥羽省三
 馬酔木の花は猛毒を含んでおりますから、斯かる行為は自殺行為である。


(映子)
〇  爺婆の笑顔の先は 玩具持つ   オレ を覚えた 三才の俺

 相変わらずの「句分け・文字空け」の短歌である。
 しかしながら、「『爺婆の笑顔の先』は『オレ』、即ち、『オレ』というカッコいい言葉を『覚えた』ばっかりの『三才の俺』である」とする、「句分け・文字空け」を用いた言葉の運びは、なかなかのものである。
 本作の場合は、「句分け・文字空け」形式にすることに因って成功したのかも知れませんが、だとしても、それは奇跡的かつ例外的な成功と云うべきでありましょう。
 今更申し上げるべきことではありませんが、本作の作者・映子さんは、私・鳥羽省三が注目し、期待している歌人の一人である。
 したがって、彼女には、この際、是非とも、通常の形式の短歌をお詠みになられるようにお奨め致します。
 いかがでありましょうか?

 〔返〕  祖父母らの目線の先は玩具持つ「オレ」を覚えたばかりの俺だ   鳥羽省三
 「祖父母らの目線の先は」とするよりも、「爺婆の視線の先は」とした方が宜しいかとも思われますが。
 ところで、最近、ご自身を称して「僕」とか「俺」とかと呼ぶような女子高生が急増したとの噂が在りますが、映子さんも亦、その類の女性でありましょうか?(笑)


(蓮野 唯)
〇  憎むならせめてその手で愛玩と名を付けてから殺して欲しい

 「愛玩」とは、即ち「ペット」である。
 「ペット」と呼ばれるには、自ずから限界がありましょう。
 お年を考えなさい!お年を!
 〔返〕  憎くともせめてその手で〈オナ・ペット〉オナペットにして下さいませな   鳥羽省三


(空音)
〇  お互いの隙間を埋めるひと時の玩具になろうすべて忘れて

 ぺったりとくっ付けば、「お互いの隙間を埋める」ことも可能でありましょう。
 ですから、「お互い」に「すべて」を「忘れて」ぺったりとくっ付いて、「ひと時の玩具」になりましょう。
 ぺったりとくっ付くんですよ!
 べったりとくっ付くんではありませんよ!
 べったりとくっ付いたら、其処に慣れ合いが生じますよ!
 慣れ合いは諸悪の根源ですよ!
 〔返〕  お互いにべったりこんとくっ付いてお餅みたいに喉に閊える   鳥羽省三


(西中眞二郎)
〇  孫たちも玩具と縁なき歳となりて古き戸棚は無視して通る

 いま時、「戸棚」と呼べるような格納スペースをお持ちのご家庭は大変珍しい。
 その「古き戸棚」の中には、遊び手の無くなった「玩具」以外に何があるんですか?
 「箪笥貯金」ならぬ「戸棚貯金」でもなさって居られるんですか?
 〔返〕  「つべこべと小言を言わずに出しなさい!戸棚の鍵をすぐ出しなさい!」   鳥羽省三


(もふ)
〇  コーギーが当たるまではと食玩を大人買いするお隣の主婦...

 一般的に「コーギー」と言えば、イギリス原産の「足が短いユーモラスな体型をした犬」即ち「ウェルシュ・コーギー・ペンブローク」種の愛玩犬を指して呼ぶのでありましょう。
 しかし、作中の表現から推測するに、本作に於ける「コーギー」とは、「イギリスの自動車模型・コーギー・クラシック (Corgi Classics ) 」を、指して呼ぶのでありましょう。
 ところで、「コーギー・クラシック」を景品とした「食玩」は、現実に販売されているのでありましょうか?
 また、「大人買い」とは、「食玩」を数万円単位で〈まとめ買い〉することでありましょうか?
 〔返〕  バンダイの株を買い占め今すぐに食玩全部をまとめ買いせよ   鳥羽省三
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一首を切り裂く(023:必・其のⅠ・原発の必要性を説きしこと)

2012年09月29日 | 題詠blog短歌
(浅草大将)
〇  こち吹かばをちにあるじの身をうめの必ず香れ務め忘れず

 「汝の『あるじ』たる私は、無実の罪を着せられて都から遠く離れた土地に流され、彼の地に身を埋めなければならない運命に立たされている。其処でお願いしたいのだが、汝『うめ』よ、これから後、東風が吹いたならば、汝は必ず汝自身の香りを私が身を埋めている土地にまで漂わせてお呉れ。汝はその務めを忘れずに美しく咲けよ」といった意味でありましょうか?
 内容、形式共に、現代短歌と言うよりも和歌そのものと言ってもいいような作品である。
 解釈するに当たっては、三句目「身をうめの」の「うめ」が、「我が身を埋める」の「埋め」と「梅の花」の「梅」との<掛詞>になって居る事に留意しなければならない。
 〔返〕  あっちに注げばこっちに注げずあちこちと迷わず酒を注ぐのが役目   鳥羽省三


(西中眞二郎)
〇  原発の必要性を説きしことが心の澱となるやも知れず

 元通産官僚・西中眞二郎さんとしては、今まで胸の中に閊えていた事を、言うべき事を、短歌形式に託してやっと言う事が出来た、といったお気持ちでありましょうか?
 本作の作者・西中眞二郎さんは、通産官僚としての立場上、決して「しなやかに、したたかに、無責任に」というつもりではないが、私たち国民大衆に向って、「原発の必要性」について述べなければならなかったのであり、「福島第一原発のメルトダウン事故以来、その事が胸の中の『澱』になるかも知れないと、と悩んでいた」と、一首の短歌に託して述べようとしているのである。
 人間は立場上どうしても言わなけれはならない事や果たさなければならない事があり、その千慮の一失とも言うべきミスが、自分自身を全否定しなければならない程の胸の中の閊えとなっている場合がある。
 本作は、作者ご自身のそうしたお気持ちを述べようとしている作品である。
 〔返〕  原発の安全性を説きしこと君はかつても無かりしならむ   鳥羽省三
 

(松木秀)
〇  運命と信じたくなる偶然を一般にひとは必然と呼ぶ

 松木秀さんの仰る通りである。
 具体的な一例を以って示せば、「あるレーサーとあるスーパーカーとの運命的な出会いが、彼の衝突事故死を必然的に齎した」といったところでありましょうか?
 〔返〕  出し抜けに必然的に衝突す絆創膏にさえある絆   鳥羽省三


(庭鳥)
〇  真心にたすきをかけた必の字に励まされつつ必死で走る

 笑わせないで下さい。
 「真心にたすきをかけた必の字に励まされつつ必死」で走ったとしても、庭鳥さんの<よちよち歩き>では、結局はビリになる事に決まってます。
 〔返〕  真心に草冠に乗せたとて鉛筆の芯は結局折れる   鳥羽省三


(砂乃)
〇  父さんの「あれはどこだ」は母さんの通訳がいつも必要となる

 この頃かなり惚け気味の「父さん」の口癖は、「あれは何処だ!」「あれを食べたいな!」「あれを取ってくれよ!」「あれ、あれ、あれだよ!あれに決まってるじゃないか!」などと、「あれ」の連発である。
 そうした「父さん」の「通訳」の役目を果たしているのが、砂乃さんの「母さん」である。
 〔返〕  父さんは、あれ、あれ、あれと云う暇に惚けちゃってました<介護度三級>   鳥羽省三


(ぽたぽん)
〇  休日も必死な顔で生きているあなたがうっとうしかっただけ

 「休日も必死な顔で生きて」いられたら、いくら忍耐強い奥さんだってたまりませんよね!
 否、ストレスだけはたまりますよ!
 〔返〕  ゴール後も必死な顔で走ってる!あれではシューズがたまりませんね!


(鳥羽省三)
〇  必然的かつ偶発的事故に因る恒久的措置としての停電

 この夏も、結局は生産可能量を超えた日は一度もありませんでした。
 「必然的かつ偶発的事故に因る恒久的措置としての停電」も在り得る、という噂は、強欲な東電幹部の虚仮脅しに過ぎなかったようですね!
 〔返〕  恒常的・必然的な事故に因り東電の株価大暴落す   鳥羽省三
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今週の朝日歌壇から(9月24日掲載・其のⅣ・担任はテンポよく子の名前呼ぶ)

2012年09月28日 | 今週の朝日歌壇から
<佐佐木幸綱選>

〇  担任はテンポよく子の名前呼ぶ残暑厳しき二学期の朝  (東京都) 尾張英治

 「担任は/テンポよく子の/名前呼ぶ/残暑厳しき/二学期の朝」と内容に相応しく、「テンポ」の良い作品である。
 「残暑厳しき」折柄、学級「担任」の先生としては、「率先垂範」というお気持ちであったのかも知れません。
 〔返〕   テンポ良く呼名をすればテンポ好く応え來る朝残暑厳しく   鳥羽省三 


〇  絵の具箱、画板、水筒、体育袋、引っ越しするごと児の行く九月  (市川市) 小田優子

 本作も亦、テンポ良くリズミカルな一首である。
 「体育袋」という三句目の字余りも変化が在って大変宜しい。
 「引っ越しするごと/児の行く九月」という下の句も亦、大変軽快であって面白い。
 〔返〕  絵の具箱、画板、水筒、体育袋、みんな持たせてガキ大将も九月   鳥羽省三   


〇  ちちろ鳴く一段落の夜の牧舎牛の鼻面摩り労う  (前橋市) 兵藤宇亮

 「牧舎」内には、真にうらさびれたムードが漂っておりますが、これはこれで宜しいかと思う。
 この夏の前橋市は熱帯夜続きでしたから、作中の「一段落」とは、牧場経営者としてのお仕事が「一段落」したという事と、暑さが「一段落」したという事とを重ねての表現でありましょうか?
 〔返〕  ちろろ鳴く夜の牧舎の片隅で賭場御開帳上州前橋   鳥羽省三


〇  湯布院は音のない雨口すぼめ女がきつねうどんをすする  (生駒市) 辻岡瑛雄

 「口すぼめ女がきつねうどんをすする」がよく効いている。
 「音のない雨」が降る「湯布院」のうらぶれた食堂で、「口」を「すぼめ」た狐面の「女」が「きつねうどん」を「すする」という図柄でありましょうか?
 だとしたら、何か怪談話みたいですね。
 〔返〕  別府、大分、湯布院と拗ねた女が泣きに来る 国東半島今宵また雨   鳥羽省三


〇  若者の来ぬ床屋にも顔剃りし明日の花嫁に店の華やぐ  (大牟田市) 平野 實

 過去の助動詞「き」の連体形「し」の働きに拘れば、作中の「明日の花嫁」さんは、既に「顔」を「剃り」終えたことになりましょう。
 「明日の花嫁」さんは、先程「顔」を「剃り」終えたのではあるが、件の「床屋」の主の禿げ頭と世間話でもしているから、「若者の来ぬ床屋」が、ひとしきり「華やぐ」のでありましょうか?
 〔返〕  若者の来ぬ床屋には寡婦が居てそれなりに華やぐこともありなむ   鳥羽省三


〇  汽水湖の鯊の白身の透き通り旨しうましとほろ酔ひにけり  (浜松市) 松井 恵

 浜名湖は「汽水湖」であったのかしらん、と思ったので、改めて日本地図を開いて調べました。
 「鯊」という魚は、「二千百種類も居て、全世界の淡水域、汽水域、浅い海水域のあらゆる環境に生息している」とか。
 私の食べた「鯊」は、有明海の干潟に生息している「トビハゼ」という種類の「鯊」であり、佐賀県出身のある友人から頂戴して、お正月のお雑煮の出汁にしましたが、出汁を取った後の本体も勿体ないと思ったので食べましたが、それなりの味がしました。
 本作の表現について、ひと言申し上げますと、「汽水湖の鯊の白身の透き通り」という詠い出しの三句がなかなか宜しい。
 「汽水湖」で獲れた「鯊」だから「白身」であり、「白身」だから透き通っており、、透き通っているから「旨し」という理屈は成り立ちませんが、その屁理屈が何と無く成り立つような感じの説得力を持った表現と思われます。
 〔返〕  有明の干潟で獲れたトビハゼの出汁殻もまた美味しかったよ   鳥羽省三 
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今週の朝日歌壇から(9月24日掲載・其のⅢ・シングルマザーの道を選んで)

2012年09月28日 | 今週の朝日歌壇から
<馬場あき子選>

〇  子はまたも私に出来ないことをするシングルマザーの道を選んで  (四日市市) なかはらのぶこ

 私たち読者は、初句五音中の「またも」に留意しなければなりません。
 大変失礼ながら、本作の作者・なかはらのぶこさんの娘さんは、バツイチの上に数々の男性遍歴を重ねられ、その挙句に、この度は「シングルマザーの道」をお選びになったのですか?
 〔返〕  春浅く花咲かねども汝が娘シングルマザーの道を踏み往く   鳥羽省三


〇  看取らるる母の辛さと看取るわれの薄情さ思う日暮れ帰り道  (佐世保市) 近藤福代

 吉田兼好の『徒然草』に「明日は遠國へ赴くべしと聞かむ人に、心しづかになすべからむわざをば、人いひかけてむや。俄の大事をも營み、切に歎くこともある人は、他の事を聞き入れず、人のうれへよろこびをも問はず。問はずとてなどやと恨むる人もなし。されば年もやうやうたけ、病にもまつはれ、況んや世をも遁れたらむ人、亦これに同じかるべし。人間の儀式、いづれの事か去り難からぬ。世俗の默し難きに從ひて、これを必ずとせば、願ひも多く、身も苦しく、心の暇もなく、一生は雜事の小節にさへられて、空しく暮れなむ。日暮れ道遠し、吾が生既に蹉跎たり、諸縁を放下すべき時なり。信をも守らじ、禮儀をも思はじ。この心を持たざらむ人は、もの狂ひともいへ、現なし、情なしとも思へ、譏るとも苦しまじ、譽むとも聞きいれじ。」とある。
 「看取る」と「看取らるる」との区別無く、とかく、生き物の生は定め難きものである。
 したがって、「看取るわれの薄情さ」を思う必要はありません。
 ところで、本作は一首全体が文語調になっていますから、「薄情さ思う」という四句目は「薄情さ思ふ」とするべきでありましょう。
 〔返〕  読み取れる箇所の一つだに無くて古文書解読難渋を極む   鳥羽省三


〇  山車の上に横笛を吹く青年は我が知る若き父の幻  (三島市) 渕野里子

 現実の光景が如何様になっているのかが曖昧な点が怨みである。
 即ち、「山車の上に横笛を吹く青年」は、現実に存在するのか?否か?という点である。
 〔返〕  舞台にて手拍子を取る若者は今は亡き父の幻ならむ   鳥羽省三


〇  ポムポムと柱時計の鳴る家に下駄履く生活(くらし)思うこの頃  (舞鶴市) 吉富憲治

 「ポムポムと」が宜しいだけの作品である。
 〔返〕  ポムポムと浮かれ狸の腹鼓 今夜は満月 証城寺の月見   鳥羽省三


〇  敗戦後飢えいし頃の月夜には父川蟹をとりてきたりき  (高松市) 菰渕 昭

 作中の「川蟹」とは、「藻屑蟹」のことでありましょう。
 少年時代の私も、何度か釣ったことがありましたが、気持ちが悪くて触ることさえ出来ませんでした。
 「敗戦後飢えいし頃の月夜には」という叙述は、「藻屑蟹」を捕まえて来て食することに相応しい環境を表しているのである。
 〔返〕  少年時飢えてた頃の私にはカレーライスがご馳走だった   鳥羽省三
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今週の朝日歌壇から(9月24日掲載・其のⅡ・今日こそは地球のカラを破るぞと)

2012年09月28日 | 今週の朝日歌壇から
<永田和宏選>

〇  今日こそは地球のカラを破るぞと県庁前の噴水は元気  (富山市) 松田わこ

 省エネに協力しようとしない富山県庁の姿勢を、天才少女・松田わこさんが見破っているのである。
 〔返〕  京都こそ世界遺産であったのに中国人は訪れもせず   鳥羽省三


〇  もどりたいあなたを好きになる前の平らな私と平らな日々に  (船橋市) 鈴木敦子

 「平らな日々」は解りますが、「平らな私」は解りません。
 大変失礼ながら、作者の鈴木敦子さんの乳房は男性並みなのでありましょうか?
 〔返〕  戻したい子供二人を産む前の平らな日々と平らな乳房   鳥羽省三


〇  すれ違う人の欠伸をもらいつつ積乱雲の九月を見上ぐ  (さいたま市) 菱沼真紀子

 「九月を見上ぐ」とは、文語表現である。
 ならば、一首全体を「歴史的仮名遣ひ」に統一して、「すれ違ふ人の欠伸をもらひつつ積乱雲の九月を見上ぐ」とした方が宜しい。
 <結社誌歌壇>の一部に、「口語調短歌の中に一箇所か二箇所くらい文語を混ぜて詠むのは、パッワーク的な趣きが感じられて宜しい!」などと馬鹿なことを仰る方が居られる、とのことですが、そんな奴は、馬に蹴られて死ねばいい!
 それはそれとして、末尾の七七句を「九月の積乱雲を見上ぐ」とせずに、「積乱雲の九月を見上ぐ」とした点については、私たち読者は、ともすれば、リズム的な配慮に基づいての事と思ってしまいがちである。
 だが、こうすることに因って生じる内容的なプラス面にも着目しなければなりません。
 本作の作者が見上げているのは「積乱雲」では無く、「積乱雲の九月」なのである。
 日本全土が大型台風に見舞われる「九月」、その「九月」の象徴としての「積乱雲」である事を、私たち読者は忘れてはなりません。
 〔返〕  すれ違ふ人に侮蔑をされつつも千鳥足なる我が今宵かも   鳥羽省三


〇  入選はほど遠けれど命には影響はなしけふも楽しき  (東京都) 大村森美

 なんちゃったりしていて、立派に「入選」しているではありませんか!
 末席とは言え、朝日歌壇の「永田和宏選」ともなれば、人も羨むくらいの栄誉ですよ。
 今夜は一族郎党を集めて祝賀会を行ったら如何ですか。
 〔返〕  入籍はしてしまったけど式はまだ式省略でハネムーンに行く   鳥羽省三  
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今週の朝日歌壇から(9月17日掲載・其のⅡ・かまびすしきかな吾が林住期・三訂版)

2012年09月28日 | 今週の朝日歌壇から
<高野公彦選>

〇  夫が呼ぶケイタイが鳴るチャイム鳴るかまびすしきかな吾が林住期  (敦賀市) 竹内展子

 「林住期」とは、首都圏ならば軽井沢、北陸の敦賀ならば何処でありましょうか?
 いずれにしろ、「避暑地での別荘暮らし」を指して云うのでありましょうが、それにしても、「かまびすしきかな」とは、何と大袈裟で、何と愉快な言い条でありましょう。
 〔返〕  つまらない読みたくもないが眠れないオカルト小説おっかなくもない  鳥羽省三

 と、此処まで書き連ねて来ましたが、先刻、私は、東京都の野上卓から一通のコメントを頂戴致しましたが、それに拠ると「林住期って、ヒンズー教の人生の区切りです」とのこと。
 鑑賞の対象とさせて頂いた作品中に意味不明の語があったような場合は、当然の事ながら、辞書を引くとか、インターネットで検索してみるとか、いろいろと手段を尽くしてみなければならないのでありますが、生来の怠慢癖が嵩じてそれを怠っていたが為に、この度は手痛い失敗をしてしまいました。
 全く以って汗顔の至りでございます。
 お恥ずかしい限りでございます。
 つきましては、ご教授賜った野上卓さんには、篤く篤く御礼申し上げますが、それと同時に、作者の竹内展子さんには、大変失礼の段、お許し賜りたくお願い申し上げます。
 ところで、その「林住期」についてでありますが、「古代インド社会に於いては、人間の一生を四段階に区分する考え方、即ち『四住期』という考え方が在り、『林住期』は、その第三段階に相当する時期であり、この時期に当たった者は『仕事も家庭も捨てて森に住まなければならない』」とのことである。
 本作の作者・竹内展子さんのご年齢は、まさしく、その「林住期」即ち<五十歳~七十五歳>に相当し、現実的にはお仕事やご家庭を捨てて森林の中に庵を構えていらっしゃるのでは無いにしても、精神的には、「林住」生活をなさって居られるのでありましょう。
 その疑似林住生活者・竹内展子さんに、「夫が呼ぶ」は、「ケイタイが鳴る」は、「チャイム」が「鳴る」は、お臍がお茶を沸かすは、という、しっちゃかめっちゃかな事態が発生したとしたら、「かまびすしきかな吾が林住期」などと、吉田兼好然として構えては居られないか、と存じます。
 真にお気の毒様でございます。
 〔返〕  我が生や将に落日ならんとす前途ほど遠く道なほ昏し   鳥羽省三

 と、此処まで書いて筆を閉じたところ、ごく最近我が家に導入された二台目のパソコンで、本稿の一部始終を監視していたある女性、即ち、私の連れ合いがいつもよりももっともっと怖い顔をして、私の部屋に入って来た。
 彼女曰く、「『林住期』って言葉の意味ぐらいは、この馬鹿な私だって知ってたわよ。それなのに、一日じょうパソコンのキーを叩いていて、ただ飯を食らっているだけのあんたが知らなかったってことは、あんたの妻としての私のプライドが許さないわ!私真面目に聞くけど、あんたほんとに『林住期』の意味知らなかったの?ほんとのほんとは知ってたんじゃないの!知ってても知らないふりを、あんたはよくすることがあるからね。知ってるなら知ってることが解るような文章を書きなさいよ。竹内展子さんの短歌の鑑賞文を全面的に書き直ししなさいよ!、そうでないと、私許さないわよ!」と。
 その顔の怖いことと言ったら、某経済大国の国民たちの顔に勝るとも劣りません。

 「林住期」という言葉の意味を、「ほんとのほんとの私」が知ってたか否かについては、この際、云々したくはありません。
 しかしながら、家内的事情を熟慮すると、この際、私の果たすべき役割りは、私の連れ合い殿のお怒りを鎮静化する事に在る、と思われます。
 つきましては、前述の竹内展子さんの御作の鑑賞文中の「『林住期』とは、首都圏ならば軽井沢、北陸の敦賀ならば何処でありましょうか?/いずれにしろ、『避暑地での別荘暮らし』を指して云うのでありましょうが、それにしても、『かまびすしきかな』とは、何と大袈裟で、何と愉快な言い条でありましょう。」という件りを、以下のように訂正させていいだきます。

 「林住期」とは、首都圏ならば軽井沢、北陸の敦賀ならば何処でありましょうか(笑)
 いずれにしろ、「避暑地での結構な別荘暮らし」を指して仰るのでありましょう(笑)が、それにしても、のんべんだらりんとした「避暑地生活」を比喩するに、事もあろうに「林住期」を以ってするとは、福井県は敦賀市ご在住の竹内展子さんと仰る女性は、なんというユーモアセンスに溢れた方でありましょうか(笑)。
 この鳥羽省三も、ぶっちゃけますと、持ち前の大口を開けて笑っちゃいました!(笑)


〇  剱岳頂に立ち見はるかし携行したる真水を吸へり  (熊谷市) 内野 修

 私は、先週も剱岳への山行に取材した、内野修さんの作品を採らせていただきました。 
 事ほど然様に、この度の山行は、内野修さんに多くの収穫を齎したように思われます。
 「剱岳」の「頂に立ち」、下界を眺め渡す時の心境こそは、まさしく「見はるかす」という動詞を使うに相応しい心境でありましょう。
 また、「剱岳」の「頂に立ち」、下界「見はるかし」た時の飲料は、お酒やジュースの類よりも「真水」が相応しいとも思われます。
 〔返〕  その美味や「甘露、甘露」と言ふばかり劔山頂に立ち真水を飲めり   鳥羽省三


〇  終点になりても起きぬ少年の肩をたたけば単語帳落つ  (横浜市) 笠松一恵

 件の「少年」は、明けても暮れてもの学習塾通いで、疲労困憊の極に陥っているのでありましょう。
 なんでしたら、<言い出しっぺ>の笠松一恵から運転士さんにお願いして、件の「少年」を<運転士詰所>の二段ベッドに、今晩一晩、寝かせてあげたら如何ですか?
 〔返〕  いつもなら<降りますブザー>を押してから英単語帳を再度点検   鳥羽省三


〇  妄想もひとつの思考と思うときひまわり迷路に君の声する  (垂水市) 岩元秀人

 「期せずして!」という絶妙なタイミングで、「ひまわり迷路」で「する」「君の声」が、岩元秀人さんの御耳にお入りになったのでありましょう。
 〔返〕  妄想に君の裸体を見むとせば向日葵迷路に君の声する   鳥羽省三


〇  夫は夜勤一人寝の吾は愛し合うことなくキングベッドで眠る  (神戸市) 野中智永子

 「愛し合うことなくキングベッドで眠る」とは、何と明け透けな言い条でありましょうか?
 ご夫君の代わりは、不肖・鳥羽省三が務めましょうか?
 〔返〕  夫は夜勤娘は熟で模擬テスト私はごろ寝しアダルトビデオ   鳥羽省三


〇  水槽の亀がしずかに目をとじて正義について思索している  (八尾市) 水野一也

 「水槽の亀がしずかに目をとじて」といった光景は、よく目にする光景ではある。
 しかしながら、それを御目にされて「正義について思索している」と評するとは、本作の作者は、何という奇想天外な発想をする歌人でありましょうか!

 〔返〕  水盤のダリアが静かに目を閉じて我が家の明日について夢想す   鳥羽省三
 とは、なかなかの傑作である。
 しかしながら、本作の基本的な構造は、水野一也さんの御作「〇〇が静かに目を閉じて〇〇について〇〇(している)」というところにありますから、正確な意味では、本返歌は私の作品とは申せません。
 私は、立場上、いろいろな方から「短歌道上達の極意」についてご質問を頂戴しますが、「極意」という程のものではありませんが、短歌の初心者の方がそれなりのレベルの短歌をお詠みになられる秘訣の一つは、優れた短歌の基本的な構造を借用させて頂いて、新たなる短歌をお詠みになられることにあるか、と存じます。
 しかしながら、こうした狡い遣り方はあくまでも邪道と思われますから、決してお奨め出来ません。
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今週の朝日歌壇から(9月17日掲載・其のⅣ・お祭りは一日になれど)

2012年09月28日 | 今週の朝日歌壇から
<馬場あき子選>

〇  妹にやらんと山羊の乳しぼる啼きやまざる仔に背をつかれつつ  (大和郡山市) 四方 護

 「啼きやまざる仔に背をつかれつつ」とは、臨場感が感じられる七七句(八七)である。
 万事牛乳で事足りている昨今に於いても、屋敷周りの青草を「山羊」に食べさせて「乳」を搾っている人がいるとは、お伽話のような話である。
 終戦後、間もなく耳にした話である。
 ある少年に肺病(結核)の疑いが掛かったので、彼は通学中の中学を休学して、一日じゅう、自宅の薄暗い部屋の中に伏しているような暮らしをしていたそうだ。
 ところが、ある日、彼の前に遠い親戚に当たる老人が現れ、山羊を飼って乳を搾って飲めば肺病が治ると教え、山羊を飼うことを勧めたので、少年はその翌日から、毎朝、暗い中を件の老人の家に往復二時間を掛けて通い、老人の助っ人として山羊の飼育に携わる傍ら、薪小屋の中で通信教育のテキストを読むような生活に入ったそうだ。
 一年後、彼の健康は見事に快復し、併せて旧制中学の卒業資格も獲得したので、間も無く少年は上京して、さる有名国立大学に進学したそうだ。
 本作は、私にそんな昔話を思い出させてくれました。。
 詠い出しに「妹にやらんと山羊の乳しぼる」とありますが、作者・四方護さんの御「妹」様のご境遇さえ偲ばれる作品でありました。

 〔返〕  弟に飲ませむとして牛乳を盗んだ志摩君今は何処に   鳥羽省三
 上掲の返歌の題材となった出来事も、今となっては、私の思い出の中の一齣を成しております。
 作中の「志摩君(仮名)」の穏かな性格に、私は親しみを感じていたのですが、ある日を境にして、同級生たちが、彼を急に避けるようになったのには全く驚きました。
 「苛め」の問題でマスコミが賑わっておりますが、返歌中の「志摩君」に対する、私の同級生たちの冷たい仕打ちも「苛め」であったことは間違いがありません。
 昔の「苛め」と今の「苛め」の差違は、其処に貧困の問題が介在しているか否か?ということでありましょうか。 


〇  やがて死ぬ蝉に群がる山蟹は岩の巣穴へ死を持ち帰る  (千葉市) 愛川弘文

 「やがて死ぬ蝉に群がる山蟹は」という、上(かみ)の五七五句は、真にショッキングな詠い出しである。
 下(しも)に「巣穴へ死を持ち帰る」とあるのは、因果応報という感じで読み取りました。

 〔返〕  やがて死ぬ祖母に群がる孫どもは蠅に喰われてくたばってしまえ   鳥羽省三
 これも亦、遠い昔に耳にした話である。
 間も無く死を迎えようとしている「祖母」の周りに群がって来る、ハイエナのような孫たちの狙いは、祖母が隠し持っている貯金通帳にある。
 

〇  お祭りは一日になれど万国旗文句言われつつ飾られ揺らぐ  (飯田市) 草田礼子

 私たち読者は、「お祭りは一日になれど」という、一見すると味も塩っ気も無さそうな五七句に込められた、作者・草田礼子さんの「万感の思い」に留意しなければなりません。
 往年の鎮守の社の祭典は、前年の祭典が終わった数日後から、「格年」と呼ばれる、翌くる年の祭典の当番を務める若者たちは勿論のこと、その血縁の老人たちや子供たちまで動員して、伝承に従って綿密な会合が執り行われ、漏れ無く準備が為されるのであった。
 そして、祭典当日が近づくと、聖域と見倣される集落一体に「注連縄」が張り巡らされ(祭り当年にご不幸があった家は、不浄の家と見倣されて注連縄を張らない)、村じゅうに太鼓や横笛の音が成り響き、祭典当日は勿論のこと、その前夜の宵宮、そして祭典が終わった後の慰労会、即ち「直会」に至るまで、大変な賑わいを見せたものであった。
 然るに、昨今の「お祭り」は、都会の団地のそれは勿論のこと、伝統ある村落共同体のそれに至るまで、涙が零れる程にも簡略化された形で催行されているのが現実である。
 祭典当日の数日前から聖域たる集落一帯に張り巡らされていた「注連縄」は、影も形を無くなってしまいました。
 祭り太鼓や横笛の音も、いつの間にか聞こえなくなってしまいました。
 子供たちも晴れ着を着なくなってしまいました。
 「お祭り」名物の綿菓子などを売る出店の数も、めっきり少なくなってしまいました。
 神社の境内に、村芝居や民謡の舞台も懸からなくなってしまいました。
 祭り提灯を灯す家などは、殆ど見受けられなくなってしまいました。
 宵宮などは、三寸玉の花火が四、五発上がる程度の、哀れなものになってしまいました。
 直会などは、暇を持て余している老人たちが草原にビニールシートを敷いて缶ビールを開け、「コアラのマーチ」や「森の歌」などをつまむ程度の、貧弱なものになってしまいました。
 そして、祭典の翌日は、朝早くから、村の若者たちが町場の勤め先へと、トヨタの中古車を飛ばすようにも成り果ててしまいました。
 作中の「お祭りは一日になれど」という詠い出しの二句には、作者・草田礼子さんのそうした愛惜の情が膨れ上がる程にも詰め込められているのである。
 そうした中でも、私が特に哀れだと思うのは、本の形式だけの祭り会場に張り巡らされて、ひらひらと風に舞う、ビニール製の「万国旗」の存在である。
 作者の草田礼子さんも亦、私と同じようなお気持ちを抱いて居られるとお見受けし、本作の下の句は「万国旗文句言われつつ飾られ揺らぐ」となっている。

 〔返〕  名代なる信州飯田の宮祭り「毎週どこかで花火が上がる」   鳥羽省三
 上掲の返歌中の「毎週どこかで花火が上がる」とは、長野県南部の観光ガイド「南信州ナビ」のコピーを借用させていただいたものである。


〇  蜂がきて青蛙きて鳥がくる庭の水甕満たし置くなり  (前橋市) 荻原葉月

 ロシア民話として知られ、かつては小学校の国語教科書にも取り上げられていて、小学生の必読書とも言われていた『大きな蕪』を読んだことが無いような大人が増えたことはあまりにも惜しまれることである。
 そこで私は、ネット網から同話を探し出そうとしたのであるが、残念ながら探し当てる出来ませんでした。
 そこで私は、同話の梗概を本ブロクに掲載させて頂こうと思います。

 お爺さんは甘くて大きな蕪を作ろうとして、畑に種を蒔いて育てました。
 すると、ひと株の大きな大きな株が出来ました。
 そこでお爺さんは、「うんとこしょ、どっこいしょ」と、その大きな大きな蕪を引っ張って収穫しようとしましたが、その大きな大きな蕪は、あまりにも大き過ぎて、お爺さん一人の力では、引き抜くことが出来ませんでした。
 そこでお爺さんはお婆さんを呼んで来て、手伝ってもらうことにしました。
 「うんとこしょ、どっこいしょ」。 
 蕪をお爺さんが引っ張って、お爺さんをお婆さんが引っ張って、それでも蕪は抜けません。
 そこでお婆さんは孫娘を呼んで来て、手伝ってもらうことにしました。
 「うんとこしょ、どっこいしょ」。
 それでも蕪は抜けません。
 そこで孫娘は犬を呼んで来て、犬は猫を呼んで来て、手伝ってもらうことにしました。
 「うんとこしょ、どっこいしょ」、「うんとこしょ、どっこいしょ」。
 蕪をお爺さんが、お爺さんをお婆さんが、お婆さんを孫娘が、孫娘を犬が、犬を猫が後ろから引っ張って、一列になって引き抜こうとしますが、それでも蕪は抜けません。
 それでいよいよ最後には、猫が鼠を呼んで来て、手伝ってもらうことにしました。
 「うんとこしょ、どっこいしょ。うんとこしょ、どっこいしょ」。
 そうしてようやく、大きな大きな大きな大きな蕪を引き抜くことが出来ました。
 とっぴんぱらりのぷー。
 めでたし。めでたし。

 「蜂がきて青蛙きて鳥がくる庭」の「水甕」を「満たし置く」のは、本作の作者・荻原葉月さんの「貧者の一灯」でありましょうか?

 〔返〕  新聞屋もNHKも東電も水道局も東京ガスも来る   鳥羽省三
 荻原葉月さんの御作中に登場する「蜂」や「青蛙」や「鳥」などは、ロシア民話『大きな蕪』に登場して、「うんとこしょ、どっこいしょ。うんとこしょ、どっこいしょ」と、「お爺さん」のお手伝いをする「お婆さん」や「孫娘」や「犬」や「猫」や「鼠」などと同じように、何かの足しになる存在かと思われますが、上掲の私の返歌に登場する「新聞屋」や「NHK」や「東電」や「水道局」や「東京ガス」などは、腹の足しにもならぬ「不逞の輩」である。
 何故ならば、彼ら(と言っても女性もいる)の場合は、ただでさえ軽い私の財布の中から、毎月、毎月、千円札を何枚も何枚もふんだくりに来る輩に過ぎないからである。
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今週の朝日歌壇から(9月17日掲載・其のⅢ・星ひとつ五十円でありしころ)

2012年09月27日 | 今週の朝日歌壇から
<永田和宏選>

〇  幾たびも吾子をきれいと思ひたる婚のひと日のしづかに終はる  (宝塚市) 安田徳子

 「吾子」の祝婚の「ひと日のしづかに」終わろうとしている折に、その日一日の華やかさやしめやかさを回想してお詠みになった一首でありましょうか?
 だとしても、「幾たびも吾子をきれいと思ひたる」とは、何という親馬鹿的なご発想でありましょうか?
 それはそれとして、本作の作者は、こうした表現を通して、「吾子の未来の安らかであれ。幸せであれ」と祈り、母親としての役目を無事に果たし終えた我が身の安らかさについて、述べて居られるのでありましょう。
 〔返〕  幾たびも馳走の汁を溢しけりあの打ち掛けを洗ひに出さむ   鳥羽省三


〇  竹島のあたりを泳いだかも知れぬ魚に醤油とすだちかけて喰う  (神戸市) 北野 中

 本作の作者は、「竹島のあたりを泳いだかも知れぬ魚」に「醤油とすだち」を「かけて喰う」と、「毒消しになる!」とでも言いたいのでありましょうか?
 〔返〕  竹島の辺りを泳いだかも知れぬ魚の種類は腐っても鯛   鳥羽省三  


〇  ひまわりの背中にまわりたがる夕日背中へまわるものの寂しさ  (館林市) 阿部芳夫

 「背中へまわるものの寂しさ」とは、何と無く解るような気もする。
 と申すのは、私は五歳児の頃に母親と死に別れているので、未だにただの一度たりとも、自分が母親の「背中」に抱き付いているような甘いイメージを抱いたことが無いからである。
 もしも、私がそんなイメージを抱くことが出来たとしたならば、それは、あまりにも愛しくて哀しくて寂しくて切ないイメージでありましょう。
 「夕日」をして「ひまわりの背中にまわりたがる」とご観察なさった阿部芳夫さんこそは、必ずや、寂しさの権化の如きご性格の方でありましょう。

 その「寂しさの権化」如き阿部芳夫さんに、「ついてくるようなら誘う公園の裸婦像いつもぽつんとひとり」(6月4日・永田選)という佳作が在る。
 阿部芳夫さんは、「寂しさの権化」の如きご性格であるからこそ、「いつもぽつんとひとり」で「公園」に佇んでいる「裸婦像」を「ついてくるようなら誘う」といったような侘しいお気持ちになられたのでありましょう。
 〔返〕  ついて来ぬなら攫え公園の裸婦像なかなか重し   鳥羽省三


〇  「そういえばあの人最近みないねえ」そんな別れに出来たらいいな  (瀬戸内市) 児山たつ子

 児山たつ子さんよ、お互いに子供ではないんだから、何時までも、そんな強がりを言っていてはいけませんよ。
 私の知人の中にも、「死ぬ時は熊のように、たった一人で奥山の洞穴の中に隠れて静かに死にたい」などと言っていた御仁が居たが、その彼の葬式の賑やかであった事は、彼が交通事故死してから十五年も経つ今でも、郷里の人々の語り草になっているのである。
 人間は誰しも「『そういえばあの人最近みないねえ』そんな別れに出来たらいいな」といったような、甘っちょろい気持ちを持っているものではあるが、「いざ、鎌倉!」といった事態に遭遇した場合は、転居にしろ、死亡にしろ、「なるべく多くの人に見送られて旅立ちたい!」というような気持ちになるものですよ。
 反省しなさい。反省を。
 〔返〕  「そう言えばあの人今でもムショ暮らし!」生きて出るやら死んで出るやら   鳥羽省三


〇  星ひとつ五十円でありしころ読み重ねたり岩波文庫  (東京都) 野上 卓

 「岩波文庫」から刊行されている各書冊には、紙媒体の書籍の絶滅が叫ばれている今日に於いても、昭和二年七月、社主の岩波茂雄が他社に先駆けて勇躍「文庫本」の刊行に踏み切ろうとした時の悲壮なる決意を述べようとした文・「読書子に寄す-岩波文庫発刊に際して-」という、今となっては時代錯誤的とも言えるような文章が毅然として掲載されている。
 即ち「真理は万人によって求められることを自ら欲し、芸術は万人によって愛されることを自ら望む。かつては民を愚昧ならしめるために学芸が最も狭き堂宇に閉鎖されたことがあった。今や知識と美とを特権階級の独占より奪い返すことはつねに進取的なる民衆の切実なる要求である。岩波文庫はこの要求に応じそれに励まされて生まれた。それは生命ある不朽の書を少数者の書斎と研究室とより解放して街頭にくまなく立たしめ民衆に伍せしめるであろう。近時大量生産予約出版の流行を見る。その広告宣伝の狂態はしばらくおくも、後代にのこすと誇称する全集がその編集に万全の用意をなしたるか。千古の典籍の翻訳企図に敬虔の態度を欠かざりしか。さらに分売を許さず読者を繋縛して数十冊を強うるがごとき、はたしてその揚言する学芸解放のゆえんなりや。吾人は天下の名士の声に和してこれを推挙するに躊躇するものである。このときにあたって、岩波書店は自己の責務のいよいよ重大なるを思い、従来の方針の徹底を期するため、すでに十数年以前より志して来た計画を慎重審議この際断然実行することにした。吾人は範をかのレクラム文庫にとり、古今東西にわたって文芸・哲学・社会科学・自然科学等種類のいかんを問わず、いやしくも万人の必読すべき真に古典的価値ある書をきわめて簡易なる形式において逐次刊行し、あらゆる人間に須要なる生活向上の資料、生活批判の原理を提供せんと欲する。この文庫は予約出版の方法を排したるがゆえに、読者は自己の欲する時に自己の欲する書物を各個に自由に選択することができる。携帯に便にして価格の低きを最主とするがゆえに、外観を顧みざるも内容に至っては厳選最も力を尽くし、従来の岩波出版物の特色をますます発揮せしめようとする。この計画たるや世間の一時の投機的なるものと異なり、永遠の事業として吾人は微力を傾倒し、あらゆる犠牲を忍んで今後永久に継続発展せしめ、もって文庫の使命を遺憾なく果たさしめることを期する。芸術を愛し知識を求むる士の自ら進んでこの挙に参加し、希望と忠言とを寄せられることは吾人の熱望するところである。その性質上経済的には最も困難多きこの事業にあえて当たらんとする吾人の志を諒として、その達成のため世の読書子とのうるわしき共同を期待する。(昭和二年七月・岩波茂雄)」と。

 思うに、時、恰も「円本ブーム」に最盛期であり、片田舎の禅寺の生臭坊主の机上にさえも『現代日本文学全集』の『尾崎紅葉集』が乗っているような世情を鑑みれば、長野県の片田舎を家出同然に出奔し、東都にて出版業を興そうとした、彼・岩波茂雄の熱い情熱と逞しい創意とは、以って「壮」とするべきでありましょう。
 しかしながら、上掲文中の「近時大量生産予約出版の流行を見る。その広告宣伝の狂態はしばらくおくも、後代にのこすと誇称する全集がその編集に万全の用意をなしたるか。千古の典籍の翻訳企図に敬虔の態度を欠かざりしか。さらに分売を許さず読者を繋縛して数十冊を強うるがごとき、はたしてその揚言する学芸解放のゆえんなりや。」といった件りは、道学者先生曰く「汝、主君に忠、父母に孝を励まざりしか?」、「汝、姦淫を専らにせざりか?」といった趣きであり、「主君に忠、父母に孝を励まざりし」を専らとし、「姦淫」を専らとしている私としては、いささか「耳に逆らはむ」というような気分にもなってしまうのである。

 閑話休題(あだしごとはさておきつ)

 この度、朝日歌壇にご投稿なさるに当たって、「岩波文庫」の「★☆」印にご着目なさったあたりは、さすがの読書子・野上卓さんではある。
 思うに、斯かる傑作をご着想なさった瞬間の彼・野上卓さんのお気持ちの程は、恰も、東京湾の深い深い棚底から超特大の鮃を釣り上げたような時のようなご気分であったのかも知れません。
 詠い出しの三句に「星ひとつ五十円でありしころ」とある。
 其処で、現在、私が陋屋の押入れの中に押し込んでいる「岩波文庫」を探し出して調べてみたところ、昭和十四年刊行の『耳袋』上巻・下巻は、いずれも「★★」で定価四十銭となっているから、それには該当しません。
 また、昭和四十二年再版の『昆虫記』全二十冊中の第一分冊及び第二分冊は、「★★」となってはいるが、定価は記されてはおりませんから、「★」と価格との関係は判然としません。
 そこで、已む無く1982年再版の第九分冊の奥付を捲ってみたところ、「定価三百円」とあるだけで「★」印は記されておりません。
 また、昭和三十七年再版の『蘭学事始』は「★」印が一個で定価は記されていません。
 思うに、天下の岩波書店にして斯くの如くの様相を呈しており、「★」印と定価との関わりは愚か、刊行年さえも西暦で記されていたり、元号で記されていたりする有様である。
 作中の「星ひとつ五十円でありしころ」とは、一体全体、昭和のいつ頃の事でありましょうか?
 また、本作の下の句に「読み重ねたり岩波文庫」とありますが、作者の野上卓さんは、「星ひとつ五十円でありしころ」の「岩波文庫」を、一読、再読、再々読、耽読なさったのでありましょうか?
 それとも、ただ単に買ったばかりで、押入れの中に「積ん読」なさったのでありましょうか?
 〔返〕  イルカたちが人語を操つてゐた昔、吾は夜な夜な荒淫に耽ってゐた   鳥羽省三

※後注  
 昭和弐拾六年二月刊行の『晩翠詩抄』(土井晩翠・第十七冊)は「★★」であり、「定価・六拾円」とある。
 また、昭和二十八年三月刊行の『愛弟通信』(国木田独歩・第三刷)は「★★」であり、「臨時定価・八拾円」とある。
 更に、昭和三十三年一月刊行の『日本童謡集』は「★★」であり、「定価・百二十円」とある。
 然れば、「星ひとつ五十円でありしころ」とは、昭和二十年代の終り頃から、昭和三十年代の初め頃と推察される。


〇  「また来いな」口の動きはそう言ってじいちゃん窓ごしに何度も手をふる  (名古屋市) 中村桃子

 「口の動きはそう言って」が宜しい。
 〔返〕  「もう来るな!」くちばし尖んがらせてそう云ったおらえの爺ちゃんなかなか頑固   鳥羽省三 
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今週の朝日歌壇から(9月17日掲載・其のⅠ・結界のごとく唐橋は在り)

2012年09月27日 | 今週の朝日歌壇から
<佐佐木幸綱選>

〇  空と川に対称形に咲く花火結界のごとく唐橋は在り  (大津市) 佐々木公子

 下の句に「結界のごとく唐橋は在り」とある。
 「結界」とは、「聖なる領域と俗なる領域とを分け、秩序を維持するために区域を限る事」といった意味で用いられている仏教用語である。
 そうした語源的な意味から派生して、この語は一般的かつ世俗的に、「ある一線を中心線として、これから向う側は不浄の地(或いは、清浄の地)として立ち入る事を禁止する場合のその境目」といった意味で使われることも多い。
 これを更に解り易く説明すれば、「祭典の際に聖域(祭典が行われている区域)とそれ以外の区域とを区別する為に張り巡らされる<注連縄>のような役割りを果たすもの」と捉えても宜しいかと思われます。
 本作に於いて、作者の佐々木公子さんは、瀬田の「唐橋」を「結界」の如き役割りを果たす中心線と見なし、その上方の空に美しい花火が上がると、その下方の「川」の水面にも美しい花火が映り、その二つが「対称形」を成して「花火」の花が「咲く」と詠んで居られる。
 仏教的意味での「結界」という言葉に拘って説明すれば、「結界」即ち瀬田の「唐橋」の上方の「空」には「花火」の実像が上がり、下方の「川」の水面には「花火」の虚像が映るに過ぎません。
 したがって、作中の「空」が<聖なる領域>、「川」が<俗なる領域>ということになりましょうか?
 否、単なる映像(乃至は幻影)に過ぎない「花火」には虚実の区別はありません。 したがって、一概に「空」を<聖なる領域>と決め付け、「川」を<俗なる領域>と決め付けて、両者を区別する必要は更々にありません。
 と、言うことになると、この場面での私たち読者の果たすべき役割りは、本作の表現を以ってして、作者の佐々木公子さんが私たち読者の目前に現出させて下さった、美しい虚像に酔い痴れればいいだけの事である。
 〔返〕  遠花火 音のみ聴こえ目には見ず我が晩年はかの如くあらむ   鳥羽省三


〇  川のぼる鯊と岸辺に釣る人と確かな均衡ありて秋なり  (浜松市) 松井 恵

 詠い出しに「川のぼる」とありますが、こうした強引な<力業(ちからわざ)>は、必ずしも私たち読者の歓迎するところではありません。
 一音の字余りには目を瞑り、「川を遡(のぼ)る」となさった方が宜しいかと思われますが、いかがでありましょうか?
 鯊釣りの解禁日は土地柄に応じて異なりましょうが、一般的には、七月の上旬から中旬に掛けての時期かと推測されます。
 然るに、大漁が予想される解禁日から間も無くの頃には、獲物の「鯊」が群れを成して遡って来る「川」の「岸辺」を目指して、その獲物に相応しいほど多くの釣り客が殺到するのであるが、「川」を遡る「鯊」が少なくなる秋口になると、鯊の数とバランスの取れたような少数の釣り客しか訪れなくなってしまうのである。
 作者の松井恵さんは、そうした風景を目にされて、本作をお詠みになったのでありましょう。
 〔返〕  本日の釣果ゼロ匹然れども薄の銀の揺れて麗し   鳥羽省三


〇  鬼やんまの複眼のような電気屋の百のテレビにメダルが百個  (岩沼市) 山田洋子

 下(しも)の七七句は、うっかりすると「百のテレビに百のメダル」としてしまうところであるが、「百のテレビにメダルが百個」とした点は大変好ましい。
 また、結句の七音は、ともすると「メダルも百個」としてしまいがちであるが、「メダルが百個」としてしまった点も非常に好ましい。
 何故ならば、「メダルも百個」とすると、予定調和的な表現になってしまって、面白みも意外性も無くなってしまうからである。
 と、此処までは、私は柄にも無く、本作の良さを大々的に褒め上げようとしたのである。
 しかしながら、新型のワイド画面の「テレビ」を称して、「鬼やんまの複眼のような(テレビ)」などと、骨董的かつ硬直的かつ常套的な直喩を以ってするとは、一体全体、如何なる鈍感さでありましょうか?
 「鬼やんまの複眼のような(テレビ)」とは、ブラウン管式の時代物の「テレビ」の直喩としては成立しても、ワイド画面の新型テレビのそれとしては、成立しないことを知るべきである。
 斯かる骨董的な直喩表現を含む作品を朝日歌壇にご投稿なさった作者にも問題であるが、それ以上に問題なのは選者の佐佐木幸綱氏である。
 この世の中のことは、日進月歩であり、一歩前進二歩後退でもある。
 詰まるところは、昨日の比喩が今日の比喩として通用しない場面も在る、ということを、投稿者も選者の知らなければならないのである。
 閑話休題(あだしごとはさておきつ)。 
 作中の「メダル」とは、倫敦五輪大会で、女子卓球の団体戦で活躍した三選手の獲得した三個の銀メダルでありましょうか?
 だとしたら、件の「電気屋の百のテレビにメダルが百個」という叙述をも問題にしなければなりません。
 この点は、正確を期して述べると「電気屋の三十三のテレビにメダルが百個」という事になりましょうか?
 否、それでも一個勘定が合いません。

 〔返〕  映らざるメダル一個は誰のもの?愛ちゃんのもの?さやかさんのもの?   鳥羽省三
 それぞれの作品の素晴らしい箇所を「素晴らしい!」と褒め、つまらない箇所を「つまらない!」と貶すことが、私たち読者が「短歌の神様から課せられた責任」というものでありましょう。
 それともう一言。
 我が国の短歌評論に欠けているのはユーモラスな評言、つまり、論評対象となる作品を揶揄する姿勢である。
 私たちは、「揶揄こそは最高の賛辞」である事を忘れてはなりません。
 揶揄する事も出来ないような作品は「糞短歌」であり、揶揄する事を許せないような偏狭な歌人は、早々に歌壇から身を退くべきである。


〇  大根を六十年も作ってきて重みあるわが人生となる  (沼津市) 岩城英雄

 本作の作者は、ご自身が両手にお持ちの「大根」の重さから、大根百姓としてのご自身の「人生」の重さを感じたのでありましょうか?
 ところで、本作の作者・岩城英雄さんが「六十年」という長い歳月を費やしてお作りになった「大根」の全重量は、一体如何ほどになりましょうか?
 また、その長さは如何ほどになりましょうか?
 〔返〕  思ひ見よ、大根作りのご亭どんに連れ添ひ来にし大根足の労苦   鳥羽省三


〇  来年もこのワンピース着たいから私あんまり大きくなれない  (富山市) 松田わこ

 馬場あき子選の四席にも選出されている佳作である。
 思うに、作者・松田わこさんは、本作を創作し、発表する事に拠って、ご自身のか弱い肩に担わせられている<天才少女>という重さから解放されようと謀ったのかも知れません。
 即ち、「来年もこのワンピース着たいから」「私あんまり大きくなれない」とは、天才少女・松田わこさんに相応しからざる単細胞的な発想だからである。
 しかしながら、本作を別の視点に立って熟読玩味すると、そうした幼稚な発想をするところに、松田わこさんの可愛さの由縁が在るとも思われ、併せて、本作の面白さの由縁が在るとも思われましょう。
 〔返〕  来年もそのワンピースを着たいならご飯を一膳少なくしなさい   鳥羽省三
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今週の朝日歌壇から(9月9日掲載・青じそのおいしさに気づいた私・決定版)

2012年09月26日 | 今週の朝日歌壇から
<馬場あき子選>

〇  青じそのおいしさに気づいた私こうして人は大人になるんだ  (富山市) 松田わこ

 「青じそのおいしさに気づいた私/こうして人は大人になるんだ」という二文構成の作品にチャレンジなさったところに、本作の作者の松田わこさんの意欲と創意工夫が感じられます。
 「青じそのおいしさに気づいた我/こうして人は大人になるんだ」とすれば、<三十一音の定型>に収まるのであるが、作者は小学生であるので、「我」いう古めかしく格式ばった言葉を使う気にもなれずに、已む無く「青じそのおいしさに気づいた私こうして人は大人になるんだ」という<三十二音>の字余り作品として発表したものでありましょう。
 しかしながら、そうした点には微笑ましさが感じられ、私たち読者は、本作の作者に無上の好感を覚えてしまうのである。
 松田わこさんの作品からは、常に、「三十一音の定型作品に仕立て上げようとする誠意、一首一首の作品を指折り数えて詠んでいるような感覚」が読み取れ、そうした点にも、私たち読者は好感を覚えるのでありましょう。
 時には、定型の殻を突き破り、いろいろなスタイルの作品にチャレンジしようとする意欲を持つことも大切です。
 〔返〕  青紫蘇の美味しさに気づいたとき君は大人への道一歩前進   鳥羽省三  


〇  初のソロ「恋とはどんなものかしら」恋の苦手な私が歌う   (富山市) 松田梨子

 この度は、梨子さん「初のソロ」ならぬ「松田姉妹の揃い踏み」である。
 「情理」という漢字二文字の言葉が在る。
 「情理を弁える」などとも言うし、「情理を兼ね備える」などとも言う。
 「情」は「感情・人情・情熱・情話」などの「情」であり、「理」は「理論・理屈・理性・道理」などの「理」である。
 ところで、「恋」という行為は、「情理」の中の「情」により増さった者が得意として為す愚かな行為であり、「理」に増さった松田梨子さんにとっては、少し「苦手」な行為、という訳でありましょうか?
 その「理」の少女・松田梨子さんが「初のソロ」を取り、歌う曲目は、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト作曲の歌劇『フィガロの結婚』の劇中歌「恋とはどんなものかしら」であるとか?
 当日のコンサート会場には、どんなに理性的な美声が響き渡ったことでありましょうか?

 〔返〕  初のソロ「恋とはどんなものかしら?」恋に憧れ少女が歌う   鳥羽省三
      今日もソロ「恋とはあんなものなのか?」恋に破れた男が歌う
    風の中の羽のように
      いつも変わる女ごころ
        橋の下の議員のように
          僕はいつもふらふら揺れて
            ラ・ラ・ラ・ラーラ ラ・ラ・ラ・ラーラ
 

〇  棄てられし河豚の子拾ひて逃がさんとすればぎつぎつと手のなかで啼く  (いわき市) 馬目弘平

 防波堤などに、「河豚の子」が捨てられている場面は、よく目にする無惨な光景である。
 数多くの釣り人の中には、自分の竿に「河豚の子」が掛かると、「食べられない魚は死ね!」と言わんばかりに、コンクリートの岩壁に叩き付けて行くような不届きな者もいるのであろう。
 そうした不届きな輩とは異なり、本作の作者・馬目弘平さんは、情理を弁えた釣り人とお見受け致します。
 「逃がさんとすればぎつぎつと手のなかで啼く」という下の句が特に宜しい。
 あの「河豚の子」が、「逃がさん」とする馬目弘平さんの優しい「手のなか」でもがき、「ぎつぎつ」という、哀れげな声を張り上げて「啼く」のである。
 〔返〕  河豚の子はやはり不具の子食べられぬ叩き付ければぎつぎつと哭く   鳥羽省三  
 

〇  点灯後すぐは薄暗きLED心電図室につけて人待つ  (平塚市) 西 一村

 「点灯後すぐ」に明るくなるのが、蛍光灯と較べた場合の「LED」電球の利点の一つである。
 しかしながら、LED電球は電力の消費量が極めて少ないので、「点灯後すぐは薄暗き」と感じるのでありましょうか?
 「心電図室につけて人待つ」という七七句は、病院内の沈静した空気をよく表していると思われる。
 〔返〕  点灯後直ぐに明るくなる電球 LEDは省エネ電球   鳥羽省三



<佐佐木幸綱選>

〇  星鴉滑空をせり霧湧いて一歩一歩と剱を下る  (熊谷市) 内野 修

 「星鴉滑空をせり」とは、少しく古めかしい表現ではあるが、極めて斬新な発見である。
 本作は、この斬新な発見が在ることに因って他の方々の入選作に勝る、と判断されるのである。
 作中の「剱」とは、天下の険峻・剱岳であり、その剱岳こそは、「一般登山者が登る山の中では、日本国内で危険度の最も高い山」とされているのである。
 「霧湧いて」、危険度が益々高まった「剱」の尾根を、「星鴉」が「滑空」している様を目にしつつ、本作の作者は、「一歩一歩と」足元を確かめながら「下る」のでありましょう。
 〔返〕  霧湧きて星鴉さへ啼き已みぬ剱の肩を目指して登る   鳥羽省三  


〇  夏休み限定のお洒落マニキュアを順に塗りゆく十本の指  (新潟市) 田窪陽子

 「夏休み限定のお洒落」とは、真に慎ましやかな「マニキュア」ではありますことよ(笑)。
 未だ青春の真っ只中に在る田窪陽子さんの「十本の指」は、どんなに鮮やかに染まることでありましょうか?
 その爪で以って、不肖・鳥羽省三は、ツネツネされたいものである(再び笑)。
 〔返〕  夏休みのみ限定の泥酔と梅割り焼酎十杯がぶ飲み   鳥羽省三
      夏休みのみ限定のお遊びと今夜も娘は何処かに連泊
      夏休みのみ限定のお化粧と今朝もガングロ娘の顔は


〇  舗道にはチョークの人型残されて人は避けゆき車は轢きゆく  (大和郡山市) 四方 護

 「残され」た「チョークの人型」を「人は避けゆき」「車は轢きゆく」とは、真にリアルな表現である。
 〔返〕  舗道にはバイクの破片が転げゐて人は見て行く犬も見て行く   鳥羽省三


〇  坊さんが四人乗ってるタクシーが通って行ったと子笑いやまず  (神戸市) 高寺美穂子

 「坊さんが四人乗ってるタクシーが通って行った」とあるが、彼の悪僧どもは六甲の温泉宿などに居続けし、徹夜麻雀などに興じていたのでありましょうか?
 それとも、薬漬けになっていたのでありましょうか?
 檀家制度が崩壊寸前の今日、「坊さん」に向けられる世間の人々の視線は非常に厳しい。
 そうした厳しい視線を掻い潜って、ある片田舎の寺院の住職は、自宅から百キロメートルも離れた県庁所在地の盛り場の酒場で、自分より一回り以上も年上の浮かれ女と遊んだ挙句に妊娠させ、已む無くお大黒に納めたという、真にけしからん噂を耳にしたことが私にはあります。
 事ほど然様に、昨今の悪僧どもの所業は乱脈を極めているのである。
 「坊さんが四人乗ってるタクシーが通って行った」様子に視線を向けたのが、幸いにも子供であったからこそ「子笑いやまず」といった程度で済まされたのであることを忘れてはいけません。
 〔返〕  坊さんが四人ホテルに居続けし浮かれ女と狼藉三昧   鳥羽省三
 

〇  イケメンの医師が手術に取り掛かる看護師ウキウキ我はドキドキ  (茅ヶ崎市) 稲田和之

 「看護師ウキウキ我はドキドキ」という下の句は、真にユーモラスな表現ながらも、事の真実をリアルに物語っているのかも知れません。
 〔返〕  この頃はイケメン医師が威張ってるお金持ちの子はイケメンである   鳥羽省三



<高野公彦選>

〇  「うどん屋の角」で知らるるうどん屋の閉じたるのちも「うどん屋の角」  (長岡市) 国分コズエ

 私の郷里の田舎町には、「角屋の角」と呼ばれている四つ辻が在りました。
 その「角屋の角」の路傍には、樹齢七百年と言われる槻の樹が生えていて、その槻の樹の洞には木霊が棲んでいる、という専らの噂でした。
 地名とは、地名の由来を為した物証が無くなった後でも、その名で呼ばれるものである。
 我が家の近所には、「弘法の松」というバス停が在りますが、「弘法大師お手植え」との伝承を持つ、松そのものは何処にも見当たりません。
 〔返〕  「いま僕は、弘法の松バス停で待っているよ!」とメールが届く   鳥羽省三


〇  妻が師で夫が弟子なることばかり四十年の歳月あはれ  (松戸市) 吉田正男

 僻みなさんな!吉田正男さんよ!
 この四十年間、貴方は「髪結いの亭主」という、真に結構なご身分でいられて、噂に拠りますと、かなり危ないお遊びをなさって居られた、とのこと(冗談、冗談、冗談ですよ!)。
 〔返〕  妻が主で私が従の庭造りなかなか進まず秋が来ました   鳥羽省三   



<永田和宏選>

〇  この想い出のみで生きられるなどと言う美しき嘘で生きてゆくのだ  (横浜市) 大建雄志郎

 「美しき嘘で生きてゆくのだ」と仰る、この開き直りの見事さよ。
 さすがに、胸に大志を抱いて居られる<大建雄志郎>さんではある。
 〔返〕  想い出は幻の如く儚くて美しき嘘では生きて行けない   鳥羽省三


〇  サンダルを海がさらってゆくさまを体育座りして見つめおり  (垂水市)  岩元秀人

 私の蒐集品の一つに、「垂水海岸」と印刷されたパラフィン紙の袋に入った八枚組のセピア色した観光絵葉書が在ります。
 「垂水海岸」とは、兵庫県神戸市垂水区内に在る、瀬戸内海に面した風光明媚な海岸であり、いにしえから遊興の地として知られ、未だに夏ともなれば、観光客がどっと押し寄せるとか?
 ところが、本作の作者の岩元秀人さんがお住いの<垂水市>とは、件の風光明媚な垂水とは異なり、鹿児島県に在る、世帯数八千戸余り、人口一万八千人前後の過疎の地とか?
 その過疎の地の、鹿児島湾に面し、桜島と地続きの海岸に居て、「サンダルを海がさらってゆくさまを体育座りして見つめ」ている人物像は、何と穏かで、悠々として迫らぬ趣きが感じられることでありましょう。
 人間本来の姿は、斯く在らねばなりません。
 〔返〕  サンダルを海が攫つてゆく様は大震災の場面を想はせ   鳥羽省三 
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一首を切り裂く(022:突然・其のⅠ・突然襲う恋慕の滾り・決定版)

2012年09月25日 | 題詠blog短歌
 早朝、五時前に起きて、私はパソコンの前に黙して座している。
 電氣スタンドの灯りに照らされた壁際を、一匹の小さな蜘蛛が、先程から、ちらちらと這い回っているのに気付く。
 そこで、私は、身近に置いてある殺虫剤を振り掛けようとも思うのであるが、過日、私の連れ合いが「この小さな蜘蛛は、私の母親だから殺さないようにしよう」と言っていたのを思い出したので、その気にもなれずに居る。
 連れ合いが、小さな蜘蛛を母親のように思うようになったのは、その頃、北東北のある田舎町の介護施設に入所していた彼女の母親のベッドの辺りを、これとよく似た小さな蜘蛛が、いつもいつも這い回っていて、身動きも思うままにならない母親が、その蜘蛛の動きを一日中眺めている、という話を聴いた事が発端である。
 足掛け八年間の田舎暮らしを切り上げようとして、義母の入所している介護施設に最後のお見舞いに出掛けた晩春の日の夕刻にも、件の小さな蜘蛛が義母のベッドの周囲をちらちらしていて、私と連れ合いが最後のお見舞いに来ているのにも気付かないままに、義母はその蜘蛛の動きを一心に眺めている様子であった。
 あの日、私が義母に向って「私を誰だか知っている?」と問い掛けたところ、義母は、「鳥羽省三さん。私の娘の旦那さんです。この頃、益々いい男になったみたい!」と、明るく元気な声で応えたことであった。 
 それに続いて、連れ合いが「それなら、私が誰だか知っている?」と問い掛けたところ、間髪を容れずにといった感じで、「あなたは私の娘の鳥羽翔子さん。旦那さんと一緒に、私のお見舞いに来て下さったんでしょう。いつもいつもご苦労様です」と、義母は先程よりももっともっと大きく元気な声で応えたものであった。
 あの日から三年半余りの歳月が経ち、彼女が冥界に旅立ってからでも二年半余りの日数を重ねたことになるが、今日の今、平成二十四年九月二十五日の午前五時二十三分、あの時、あの部屋の壁の辺りを這い回って居て、老い先短い義母の心を慰めていた、あの蜘蛛とよく似た小さな蜘蛛が、私の部屋の壁際をちらちらと這い回っているのである。


(蓮野 唯)
〇  目が覚めておはようと言う微笑みに突然襲う恋慕の滾り

 「目が覚めておはようと言う微笑みに」とある。
 私は今朝、「目が覚めて」間も無く、パソコンが置かれている机の前に黙して座り、小さな一匹の蜘蛛のせわしない動きを目にしたのであるが、そうした私の胸中に、私の愛する連れ合いが「母親である」と信じて疑わない、その小さな蜘蛛に向って「微笑み」を浮かべつつ「おはよう!」と声を掛けたくなるような、細やかな心情が兆したことは、偽らない事実である。
 しかしながら、その次の瞬間に、その小さな蜘蛛に対しての、「突然」の「恋慕の滾り」に襲われなかった事も、偽らない事実である。
 同じ人類、同じ日本人、しかも、同じように短歌を詠むことを趣味にしている者同士でも、性別が異なり、居住地が奈良県と神奈川県とで異なれば、これほどの極端な違いが生じるのでありましょうか?
 今朝の私は、とてもとても悲しい心境に陥っているのである。
 したがって、今朝の私が、「本作の作者の蓮野唯さんは、変態的なセックス・アニマルでは無いか?」と、一瞬、疑いを抱いたことも偽らざる事実である。
 大変失礼なことを申し上げました。
 お許し下さい。
 〔返〕  目を覚まし微笑浮かべ「おはよう」と言うよな気持ちで綴った文章   鳥羽省三


(西中眞二郎)
〇  ネット開けば三十年前の記録ありて我が名突然現れ出でぬ

 私が、その頃、未だ開発途上にあったワープロを買い求めたのは、今から四十数年前のこと。
 機種は、富士通の「オアシス」。
 購入価格は、百万円弱でありました。
 私は、高校の国語教師を生業としていながら生来の筆下手であり、その為、已む無く百万円の投資を余儀無くされた次第でありました。
 その後、オアシスの新型に二回ほど乗り換えましたが、定年後、田舎暮らしを始めて間も無く、ある大嵐の吹き荒れた晩に、私は、オアシスを備え付けてあった部屋の小窓を閉め忘れました。
 三台目のオアシスがお釈迦になってしまったのは、その事が原因でありました。
 私が、已む無くパソコンを導入したのは、それから間も無くの事でありましたから、私の暮らしの中に強引にパソコンという怪物が割り込んで来たのは、たかだか十数年前のことでしかありません。
 然るに、何と驚いたことに、西中眞二郎さんの御作には、「ネット開けば三十年前の記録ありて我が名突然現れ出でぬ」とありました。
 通産官僚時代の西中眞二郎さんが著した著書や論文、もしくは業務報告書などの類の文章が、未だに「ネット」上を徘徊しているのでありましょうか?
 因みに、通信販売サイト「Amazon」を検索してみたところ、私が今から二十数年前に執筆した、ある古典文学作品の注釈書が、写真入りで掲載されていて、下記のような記事が併載されておりました。

 即ち「価格:788円 通常配送無料・二点在庫あり。(入荷予定あり。) 在庫状況について、この商品は、Amazon.co.jp が販売、発送します。 ギフトラッピングを利用できます。9/25 火曜日 にお届けします。 今から4 時間と19分以内に<お急ぎ便>または<当日お急ぎ便>を選択して注文を確定してください。」と。

 件の記事の中に「価格:788円 通常配送無料」とあったのには、全く失望してしまいました。
 これでは、見切り特価販売品ではありませんか!
 思うに、私の世間相場は、一冊「788円」くらいのものでしかなく、しかも「通常配送無料」程度のものでしかないのでありましょう。
 泣けて来ますね!
 事の序でに、もう一点について申し上げます。
 私が今から四十数年前に著した、鎌倉時代のある擬古物語の断簡についての小論が、「国文学資料館」のホームページ「国文学論文目録データベース」に登録されておりました。
 意外な事に驚き、若書きを恥じる気持ちにもなっております。
 悪い事は出来ないものですね!
 「天網恢恢疎にして漏らさず」とは、この謂いでありましょうか?

 〔返〕  ネットから彷徨ひ出づる怨霊に夜な夜な吾は魘されて居り   鳥羽省三
 何だか、源氏物語のヒロインになったような気分です。


(ひじり純子)
〇  覚悟して覚悟に覚悟を重ねてもやってくるのはいつも突然

 「突然」という言葉の本質としての一側面を<三十一文字>で以って著そうとした発想は買えましょうか?
 それにしても、ひじり純子さんを「突然」襲ったのは、どんな事態でありましょうか?

 〔返〕  わたくしを襲わないでね!お願いね!襲われちゃったら漏らしちゃうから!   鳥羽省三
 ひじり純子さんには、大変失礼な内容の返歌かと存じますが。


(廣珍堂)
〇  みぞれ降る 街に突然 鰤起し 荒れたる海は 豊穣ぞ来る

 五句目が「豊穣ぞ→来る」という<係り結び>の形式に則っているのは大変宜しい。 
 事の序でに「豊穣ぞ→来む」という<未来推量>の形式にしたら、もっともっと宜しい。
 作中の「鰤起し」とは、「十二月から一月に掛けての、寒鰤漁の頃に鳴る雷」のこと。
 〔返〕  幸運は海から突然遣って來る舳倉島にて鰤起こし鳴る   鳥羽省三


(槐)
〇  たまさかに訪(おとな)ふ君を待ち居るに突然の雨庵を包めり

 「庵」と言うからには、<離れ>の一間が<利休好みの鄙びた茶室>になっているのでありましょうか?

 〔返〕  雨漏りがしてもちっとも困らない利休好みの侘茶椀がある   鳥羽省三
 「侘茶椀」という器は、「本来的には、侘び住まいを余儀無くされている者のみが用いる器であり、雨漏りがすれば、雨受けの役割りを果たし、真夜中に小用をしたくなれば、おトイレの役割りをも果たし、それをそのまま、来客用の湯飲み茶碗としても使える」といった性質のものであり、極めて重宝な器である。


(松木秀)
〇  突然にはじまる恋があふれてる少女漫画誌ごくたまに買う

 要するに、「少女漫画誌」に掲載されている<恋愛コミック>の<ワンパターン化現象>を採り上げただけの作品でありましょう。
 「少女漫画誌」を「買う馬鹿」と「買わない馬鹿」が居るということですが、本作の作者の松木秀さんは、言うなれば「『ごくたまに買う』馬鹿」でありましょうか?

 〔返〕  コミックも心の癒しになるという絆創膏にさえある絆   鳥羽省三
 本返歌には、松木秀さんのブログのタイトル「絆創膏にさえある絆」を借用させていただきました。


(猫丘ひこ乃)
〇  「突然のお客さまでも笑顔で」と書き加えとく引き継ぎノート

 本作の作者の猫丘ひこ乃さんは、言わば「バイトお局さん」である。
 昼勤務の定刻・午後六時半を過ぎた後の「引き継ぎノート」の記入と管理が、アルバイトという身分ながら、準正社員扱いをされている彼女の日課の一つである。
 作中の「突然のお客さまでも笑顔で」とは、近々彼女を正社員に登用すると囁いている、社長さんから彼女に言い渡された「接客心得」の中の一つである。
 したがって、彼女は、来る日も来る日も、「引き継ぎノート」に「『突然のお客さまでも笑顔で』と書き加えとく」のである。
 〔返〕  ご自身はぶすっとしながら「笑顔で」と!書いて呆れる引き継ぎノート!   鳥羽省三


(富田林薫)
〇  突然の雨のようだね 赤、青、黄、白、傘の花ひらかれて 春

 「韻律」及び「見た目の良さ」が、本作の魅力の全てである。
 〔返〕  突然の雨に降られて蛇の目傘差して出で行く室町・越後屋   鳥羽省三


(ましろ子)
〇  突然に備えてるとき突然はやってこないのつれない人ね

 本作の作者・ましろ子さんは、彼氏からの「突然の抱擁」とか「突然のキス」とか「突然のモテル」などを期待していたのであるが、その期待を見事に裏切られてしまったので、彼のことを「つれない人ね」と、言ってるのかしら?

 〔返〕  わたしのこと、ほんとにほんとに愛してる?愛してるならキスぐらいしてよ!   鳥羽省三
 本返歌には、ましろ子さんのブログのタイトル「ほんとうのほんとうにしろいのかしら」の語句の一部を借用させていただきました。


(希)
〇  突然でないことだけは知っていて雨に打たれている木曜日

  「突然でないことだけは知っていて」とありますが、省略された語句を補いますと「(本日の降雨は、予め予定されていたことであり、)突然でないことだけは知っていて」というだけのことである。
 したがって、読者の皆様方は、本作を深読みしてはいけません。
 〔返〕  予め突如催す事を知り準備万端「いざ関ヶ原!」   鳥羽省三


(庭鳥)
〇  耳残る「ラブ・ストーリーは突然に」ドラマのことは遠い記憶に

 詠い出しの「耳残る」は、あまりにも力業に過ぎましょう。
 とは言うものの、言われてみれば、小田和正の『ラブ・ストーリーは突然に』は、楽曲のみが独り歩きして、これを主題歌にした「ドラマ」が、どんなタイトルであり、どんな内容であったか、という事を殆どの人が知らないのである。
 〔返〕  ♪何から先に伝えればいいのか?(ウオ、ウオ!)♪曲があんまり素敵だから!  鳥羽省三  


(なまにく)
〇  東京はラブ・ストーリーが突然に降って来るとても恐ろしい都市

 前述の庭鳥さん作同様に、小田和正作の『ラブ・ストーリーは突然に』に取材した作品ではある。
 しかしながら、本作は、庭鳥さん作に見られた「発見の驚き」という要素に欠けているので、極めてつまらない作品となってしまっている。
 思うに、「『東京は』は『とても恐ろしい都市』」などという殺し文句は、昨今では、新宿淀橋署の少年係のお巡りさんでさえ口にしなくなってしまったような、手垢に塗れたセリフですよ。
 歌詠みは、言葉に敏感でなければなりません。

 〔返〕  渋谷では「ラブ・ストーリーが突然に」降って来るのか?興味津々!   鳥羽省三
 渋谷だって、そんな奇跡的なことは、滅多矢鱈にありませんよね?
 彼と彼女は、ただ漫然として、忠犬ハチ公像やモアイ像の前に佇んでいるだけですよ。


(じゃみぃ)
〇  たぶんそう心に残る出来事はいつも突然やって来たりする

 「後々になって考えてみれば」ということである。
 〔返〕  たぶん、そう、心の痛む出来事は前もって予定されてるのだろう   鳥羽省三


(珠弾)
〇  ホルモンと通天閣にけぶる月突然六甲おろし横丁

 名代の虎キチの珠弾さんでもあれば、根拠の無い「大阪贔屓、虎贔屓」も致し方無し、というところでありましょうか?
 〔返〕  通天閣 高さ僅かに百メートル!スカイツリーに比すべくもなし!   鳥羽省三


(佐藤紀子)
〇  哀しみはいつも突然襲ひ来て時をかけつついつか薄らぐ

 「時間が解決する!」といったところでありましょうか?
 〔返〕  何事も時の氏神神頼みお供へ忘れず敬虔であれ   鳥羽省三


(ぱぴこ)
〇  準備して挑みたいのに重大な事に限って突然決まる

 「準備して挑みたいのに」とありますが、チャレンジする相手側の方は何方様ですか?
 〔返〕  準備して挑めばいいのに稀勢の里稽古不足でまたまた惨敗   鳥羽省三


(壬生キヨム)
〇  気がつけば滞っている行列に突然割りこんでくる美少女

 壬生キヨムさんの「美少女」好きには年季が入って居る。
 しかし、「美少女」に「突然割り」込まれたら、身体と身体がくっ付いて、何か変な気持ちになりませんか?

 〔返〕  美少女が突然割り込みへんな気に僕はこんなことが大好き   鳥羽省三
 本返歌には、壬生キヨムさんのブログのタイトル「ぼくはこんなことが好き」の語句を借用させていただきました。


(フユ)
〇  死にきれずベンチに座る老猫の背中に突然翼が生える

 オカルトと言いましょうか? 
 それとも、メルヘンと言いましょうか?
 メルヘンにオカルトを加えて、それを四で割ったぐらいの趣きの作品と思われます。
 本来ならば、メルヘンにオカルトを加え、それを二乗したぐらいの数値を示さなければ優れた短歌とは言えません。
 〔返〕  死にきれずベンチにしがみ付いている高木監督見苦しくない   鳥羽省三  


(出雲もこみ)
〇  身支度もさせず突然触れた手の形に焼けて剥がれる鱗

 秋刀魚がお安くなりましたね。
 我が家では新百合ヶ丘のイオンから、一尾七十七円のを五尾買って来て、今晩はそれをオカズにして、新米を二カップ炊いて夕飯とさせていただきます。
 ところで、鮎にしろ、秋刀魚にしろ、塩焼きをする前に「身支度」をさせなければならないのでありましょうか?
 青魚は、「鱗」を苦手として敬遠なさる方が多いとか?
 でも、青魚には血液をサラサラにする効果があるとか?
 この秋は、石巻漁港に水揚げされた秋刀魚を沢山食べましょう。
 〔返〕  この頃は潤目鰯がちょっと高い秋刀魚を買って酢づくめしよう   鳥羽省三


(矢野理々座)
〇  突然に生まれる恋もアイデアも実はいろんな下地あればこそ

 矢野理々座さんの仰る通りです。
 つきましては、下に記した私の投稿歌を以って、御作への返歌とさせていただきます。 
(鳥羽省三)
〇  突然に藪から棒に言われても藪から棒は出せないわよね!

 「突然に藪から棒」を出すような場合でも、「実はいろんな」下準備をしていなければなりません。
 下準備の具体例 「① 予め藪の中に棒を隠しておくこと」
 下準備の具体例 「② 予め藪の中に人員を配置しておくこと」
 〔返〕  突然に詠まねばならぬ返歌さえいろんな下地を持たねばならぬ   鳥羽省三
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一首を切り裂く(021:示・其のⅧ・百四十余首撫で斬り)

2012年09月25日 | 題詠blog短歌
(じゃこ)
〇  指示通り動くイルカのかわいさを指示された場所から眺めてる

 「指示通り動くイルカのかわいさを」人間ども(或いは、作者のじゃこさん)が「指示された場所から眺めてる」ことの滑稽さ(或いは皮肉さ)が主題であるとするならば、本作は優れて客観的かつ内省的な作品と申せましょう。
 「イルカのかわいさ」は「指示通り動く」ことに存在するのであるが、その可愛い「イルカ」を「指示された場所から眺めてる」人間どもは、果たして自分自身を<可愛い動物だ>と思っているのだろうか?
 その点についてはかなり疑わしい?
 しかし、「指示通り動くイルカのかわいさ」を「指示された場所から眺めてる」のが本作の作者のじゃこさんであったとしたならば、可愛い「イルカ」の居る江ノ島水族館の係員たちは、じゃこさんのことを、「指示通りに行動し、手間がかからず、可愛い動物だ!」と思っているに違いありません。
 ことほど左様に、この世の中の事の全ては「指示された」通りに行動していれば間違いが無く、「指示」を正しく守ろうとする存在は、「指示」する存在側からすれば可愛い存在なのである。
 だが、私たち人類は、可愛いだけの存在として、果たして生きて居ていいのだろうか?
 其処が、私の大きな悩みであり、其処が、私たち人類に課せられた永遠の課題である!

 〔返〕  人間は可愛いだけの存在であっていいはずは絶対に無い   鳥羽省三
      犯罪を取り締まる側の警官が痴漢容疑で逮捕される例
      生徒らを教育する側の教員が教育センターで教育される例
      餡子の美味しさを包んでいるはずの最中の皮が餡子よりも美味しい例
 などと、本末転倒と言いましょうか?
 或いは主客逆転と言いましょうか?
 この世の中には、いろいろな可笑しい現象が見られるものである。
      

(なまにく)
〇  辛いのか辛いのか、まずは平仮名に直してハッキリ示して下さい。

 「辛い」と書いて「からい」とも読むし、「つらい」とも読むことに着目しての一首である。

 〔返〕  「苦い」のか「苦しい」のかはよく分かる。「し」の字が付くから「くるしい」のだ。   鳥羽省三
      「苦い」のか「苦しい」のかはよく分かる。「し」の字が無いから「にがい」のである。


(浅見塔子)
〇  明確な恋の理由を提示せよ君を言葉で縛りつけたい

 浅見塔子さんも亦、あまり威張り腐った事は言えない立場に立たせられている人間の一人である。
 何故ならば、本作の上の句は、「(明確な恋)の理由を提示せよ」なのか、「(明確な)恋の理由を提示せよ」なのかが、はっきりしないからである。
 〔返〕  「明確な恋」は何処にもありません!「明確な恋の理由」は在りますけれど!   鳥羽省三


(秋)
〇  「かみさまの啓示とあらば仕方ない 労働力を奴隷とよぼう」

 「かみさまの啓示」であろうが無かろうが、「労働力を奴隷」と呼んだりしてはいけません。
 昭和四十年代後半の好況の真っ最中に、私たち日本人は、大きな判断ミスを犯し、「労働力を奴隷」と呼んでしまい、生産拠点を海外工場に移してしまったのである。
 そして、それが、我が国の果てし無き転落の歴史の発端となったのである。
 〔返〕  もう、何処にも引き返せないのか?黙して座して死を待つのみか?   鳥羽省三
      ほら、秋が!風が素肌に涼しいね!冬支度は既に始まっている!


(冥亭)
〇  冥王星黙示録にはさみどりの文字にて記す「夏は死なり」と

 かっこ付けちゃったりなんかしてさ!
 冥亭さんって歌人は、俺は大嫌いだね!
 酩酊さんなら大好きだけど!
 ところで、「冥王星黙示録」って、あの本なのかしら?
 ほら、ほら、あの、神谷充彦さんが著した『消された惑星~冥王星~の黙示録2012』なのかしら?
 〔返〕  『消された惑星~冥王星~の黙示録2012』ゾッキ本扱いされて売れ行き不調   鳥羽省三 


(るいぼす)
〇  今日もまたいつもの掲示板を見る 探してほしいもう一度だけ

 短歌として成立する要件の一つである「三十一音」ではある。
 だが、内容の希薄さは否めなく、「どうしても『探してほしいもう一度だけ』」という、るいぼすさんの切実なる願望が鑑賞者に伝わって来ないのが恨みである。
 〔返〕  ケータイに「死!」とのみ一字のメールあり探すすべ無く呆然として佇つ   鳥羽省三  


(由布子)
〇  寂しさは空の暗示か妹と父を参りぬのちの夕雲

 別居中のお父様宅を「妹」さんとお二人で訪問したのでありましょうか?
 それとも、お二人でお父様の墓参りをしたのでありましょうか?
 作者の由布子さんとしては、或いは「のちの夕雲」という七音で以って、お父様が故人である事を暗示しようとしておられるのかも知れませんが?
 また、詠い出しの二句「寂しさは空の暗示か」も、「解って下さる方は、黙っていても解って下さるはずだ!」といったような、他人任せのところが在り、あまり感心しません。

 〔返〕  婚活は夏から始めた!顔色の青い翼は大嫌いなの!   鳥羽省三
 本作の作者・由布子さんのブログのタイトルは「夏からはじめた・青い翼はきらい」である。


(杜崎アオ)
〇  けんめいに示そうとして予報士はとなえる神をもたない祈り

 数多くの気象予報士の中でただ一人だけ、「神」のご守護に与っているような女性が居らっしゃいましたが、あの方は、いま何処に居らっしゃるのでありましょうか?

 〔返〕  箱庭にびいだま一個植えました!水掛け当番代わりばんこね!   鳥羽省三
 本作の作者・杜崎アオさんのブログのタイトルは「箱庭にびいだまを植えました。」である。


(矢野理々座)
〇  チカチカと方向指示器2点滅だけで無理やり割り込む彼氏

 「チカチカと」「2点滅だけで無理やり割り込む彼氏」とは、言いも言ったり、「割り込む彼氏」も彼氏だね!
 〔返〕  チカチカととんがったとこ二度挿され無理矢理割り込まれた彼女も彼女!   鳥羽省三


(桑原憂太郎)
〇  この先の見通し見へぬ営業の行方を示すコンプライアンス

 何事に於いても「コンプライアンス」が大切であり、担任教師と受け持ち生徒との関係に於いても〈然り〉である。
 〔返〕  将来の見通し立たぬ時期なれば三者面談形だけのこと   鳥羽省三 

(み)
〇  天涯孤独を夢想する十代に示すみちは花散る母の庭まで

 「十代」の若者だけが持っている特権の一つとして、彼らの中の大部分の者が、「天涯孤独」の境遇を「夢想」している、という点が上げられる。
 その故に、彼ら「十代」の若者たちは、男女の区別無く一様に、「この教室から、嫌なやつらがみんな消えてしまい、僕と君だけが残れるとしたらすごくいいのにね!」などと、ふざけた事ばかり言ってるのである。
 「僕と君だけが残れる」としたら、黒板消しは誰が遣るんだ!
 廊下やトイレの掃除は誰が遣るんだ!
 「あいつらは、いつも教室の隅で引っ付いてばかりなんだ!」と、担任教師に告げ口するのは、一体全体、誰の役目なんだ!
 俺はいい加減に鶏冠に来てるんだぞ!
 俺は激しく怒ってるんだぞ!
 覚悟しておけ!
 引っ付き虫どもよ!
 〔返〕  「み」だなんて?作者の名前が「み」だなんて!俺は予想もしてなかったぜ!   鳥羽省三


(出雲もこみ)
〇  縁側の居眠りの祖父思い出す少し下がり目『示』(しめす)の文字は

 下の句の「言葉の転がし方の良さ」が、本作の魅力の全てである。

 〔返〕  転寝に君の素顔を見てしよりおっかなびっくり付き合い止めた   鳥羽省三
 本作の作者・出雲もこみさんのブログのタイトルは「うたた、ね」である。


(今泉洋子)
〇  意思表示苦手なわれが歌を詠む褻(け)がある事に救われてゐる

 大変失礼とは存じますが、いきなし返歌とさせていただきます。

 〔返〕  化け猫が〈sironeko〉などに化けたとて毛のあるとこがそっくりである   鳥羽省三
 本作の作者・今泉洋子さんのブログのタイトルは「sironeko」であり、「鍋島の化け猫」ではありません。
 私は嘘を吐きませんから、絶対に信じて下さい。


(まつたけ)
〇  「示偏に申すと書いて神なり」と示して何を申しているのか?

 本作の作者・まつたけさんは真っ正直な性格の方であり、本作の創作意図を忘れてしまったことを、読者の方々に正直に告白しているのである。
 〔返〕  魚偏に「神」を添えたら「鰰」だ!しょっつる鍋で一杯やるか!   鳥羽省三 


(ゆいこ)
〇  ふわふわのしっぽで音をふるわせてわたしらしいものさし示してよ

 本作の作者・ゆいこさんのペットは、子猫かしら?
 子犬かしら?
 ライオンの仔かしら?
 虎の児かしら?
 コブラかしら?
 ガラガラ蛇かしら?
 わたしには、さっぱり判らないわ?
 ところで、四句目から五句目への渡りの部分は、「私らしい物差し(を)示してよ」という意味ですか?
 それとも「私らしい物(を)さし示してよ」という意味ですか?
 仮に、後者であったとしたならば、「私らしい物」とは、どんな物ですか?
 具体的にお示し下さい。
 〔返〕  ふにゃふにゃのとこで私を焦らさずにあなたらしいものさっさと出して   鳥羽省三


(やまみん)
〇  忙しいあなたの指示を待つ私 散歩をせがむ子犬のようね

 いい年扱いて、何を言ってるんですか!
 「散歩をせがむ子犬のようね」も呆れたね!
 恥を知れ!恥を!
 〔返〕  日に二度も昼寝をしてる親は居る?私の母はぐうたランナー!   鳥羽省三


(鳥羽省三)
〇  指示方向は北天である!大熊座のミザール目掛けて草矢を発射!

 もう、何も話したくありません。
 この短歌の良さが分からないような輩には、しょんべんも引っ掛けたくありません。
 〔返〕  示(す)篇に天を添えれば祆(けん)の字でゾロアスター教の神様の名   鳥羽省三
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一首を切り裂く(021:示・其のⅦ・百四十余首撫で斬り)

2012年09月23日 | 題詠blog短歌
(RIN)
〇  安全ピンの示す危ふさ精神も圧されれば不意に外れる細針

 本作の作者の<RIN>さんは、さる大手自動車販売会社の若手営業社員かと推測される。
 日本全国隈無く販売網を布いている彼の勤務先の会社では、毎年一回、東京ドームに全国各地の社員及びその家族が集合し、<支店対抗大運動会>が挙行されている、ものと推測される。
 で、本作を着想した発端は、作者の<RIN>さんが持ち前の健脚を買われて、大運動会の花形たる1600mリレーの本社チームのアンカーに起用され、力走空しくしんがりでゴールした途端に、会社のロゴマークとチーム名が書かれている運動着の背中に背番号を張る為に用いた「安全ピン」の「細針」が外れ、危うく彼の背中に突き刺さりそうな状態になった事である、と推測される。
 通常、「安全ピン」と言えば、安全なるが故の「安全ピン」であり、まかり間違ってもそれを用いている人間の身体を傷つけたり、生命を奪ったりする事は無いはずではある。
 然るに、この一件の場合は、たった一本の「安全ピン」の「細針」が、まかり間違えば、大手自動車販売会社の若手有望営業社員たる<RIN>さんの背中に突き刺さり、それが原因で、彼が勤務する大手自動車販売会社は、将来の同社を背負って立つべき有望社員を失うかも知れないような危機に陥れたのである。
 たった一本の「安全ピン」ではあるが、その着脱には、私たちはよほど慎重を期さなければばなりません。
 仮に、あの折、件の「安全ピン」が<RIN>さんの背中に突き刺さったとしたら、それが原因で、大手自動車販売会社の将来を背負って立つべき<RIN>さんが、長期に亘る入院療養生活を強いられ、挙句の果てには、「精神」に異常を来たし、<RIN>さん及び彼の奥様や一粒種の御嬢さんは勿論のこと、彼の勤務する会社まで衰亡の危機に立たされる可能性さえ無きにしも有らず、であったからである。
 本作は、文脈に些細な乱れを有してはいるが、支店対校大運動会の1600mリレーのアンカー選手の背中に背番号を貼る為に用いた、たった一本の「安全ピン」の去就に端を発して、現代社会に棲息する人間たちの「精神」内部の異常性といった問題にまで及ぼうとした未完の大作である。

 〔返〕  午睡の後 安全ピンの処置に就き再度熟慮し結論を得ず   鳥羽省三
 本作の作者・<RIN>さんのブログのタイトルは「午睡のあとで」である。
             

(晶)
〇  花冷えの 昨夜のうちに示しあわせ 春始めんと芽吹く野の花

 やがて「野」を彩り、私たち人間の目を楽しませ、心を癒すべき「野の花」たちが、「花冷えの」「昨夜のうちに」に寄り合いを持って相談して「示しあわせ」、 「春」を「始めん」と「芽吹く」準備に取り掛かったとしたら、その光景はどんなに爽やかで、どんなにロマンチックなことでありましょうか。
 奇想天外な発想、自由闊達なる表現、共に高く評価されるべきである。

 〔返〕  花の色は移りにけりな我が身よに古蒲団敷き眠れる間にも   鳥羽省三
 本作の作者・晶さんのブログのタイトルは「花の色」である。


(我妻俊樹)
〇  私の地獄!とよばれたらふりかえる地獄 掲示板の里親募集貼り紙

 本作を熟読すると、今は立派な青年となって日夜お仕事にお励みになられ、我が国の復興に多大なる貢献をなさって居られる我妻俊樹は、幼児期に不意の交通事故でご両親をお亡くしになられ、「里親」さんの下でご成長になられたもの、と判断される。
 「私の地獄!とよばれたらふりかえる地獄」、振り返った途端の彼の目前の「掲示板」には、「里親募集」の「貼り紙」が貼られているのである!
 斯かる現象を名付けて、世の心理学者諸氏は「トラウマ」と呼んでいるのでありましょうか?

 〔返〕  『女殺し・油地獄』「徳庵寺堤の場」及び「河内屋内の場」本日上演   鳥羽省三
      我が地獄!永久に浮び得ぬ女地獄!夜な夜な新宿歌舞伎町通ひ!   ※永久(とこしへ)

 
(南野耕平)
〇  だいたいの方向性を示されて歩き続けていられた昭和

 本作の作者の南野耕平さんは、この一首を通じて「『昭和』という時代の本質をどのように捉えるか?」という、難しい問題についてご発言なさろうとしておられるのでありましょうか?
 だとしたら、「だいたいの方向性を示されて歩き続けていられた昭和」というご認識は、確かに「昭和」という時代のある一側面を正しく捉えておられるご認識ではある。
 しかしながら、「昭和」は確かに、「だいたいの方向性を示されて歩き続けていられた」時代であったとしても、問題は別のところに存在するのである。
 何故ならば、私たちが「だいたいの方向性を示されて歩き続け」た結果として辿り着いた地点が、どんな地点であったのか?という事が、本質的な問題だからである。
 私たち日本人にとっての「昭和」は、確かに「だいたいの方向性を示されて歩き続けていられた」時代であったかも知れません。それは間違いない事実であったのかも知れません。
 しかしながら、その結果として辿り着いた地点が、現在の我が国であり、現在の私たち日本人ではありませんか?
 私たち日本人は、自分たちが「だいたいの方向性を示されて歩き続け」た結果としての私たち自身の現状や我が国の現状について、「こんなはずでは無かったのに!」とか「我が国をこんな国にするつもりで、汗水垂らして働いたのでは無かったのに?」とか、ぶつぶつ呟いて、失望のどん底に陥っているのが現実ではありませんか?

 〔返〕  この平成元禄を<ボクといっしょに走りま専科>なんちゃったりして   鳥羽省三
 本作の作者・南野耕平さんのブログのタイトルは「ボクといっしょに走りま専科」である。
 

(じゃみぃ)
〇  変わったと改心したと示したいダメダメ僕はお酒でチョンボ

 お願いですから、これ以上、私を笑わせたり、泣かせたりしないで下さいませんか!
 私は先祖伝来の酒飲みでしたが、一昨年、通い付けの総合病院の主治医師殿から<ドクターストップ>を食らってしまい、現在はたったの一滴もお酒もビールも焼酎もウヰスキーも遣ってはおりませんが、ごくたまに連れ合いが鷺沼の息子のマンションに出掛けた折などは、「自宅の近所に在る酒屋に行って、大吟醸を買って来ようか」などと、自惚れ鏡に向かって呟いている始末である。
 そんな私を前にして、「僕はお酒でチョンボ」などと軽口を叩いたりしては「ダメダメ」、絶対に駄目ですよ!

 〔返〕  変わったと体重減ったと示せよな!ダメダメ彼は大飯食いだ!   鳥羽省三
 現在、大阪に単身赴任をしている長男の体重は、凡そ100kg前後である。


(珠弾)
〇  黒と黄のツートンカラーさりげなく意思表示する恋のミサンガ

 本作の作者の珠弾さんは、どうやら「ミサンガ」を作る為の紐の色の選定ミスをしたような気がする?
 何故ならば、「さりげなく」「恋」の「意思」を、愛する女性に「表示する」為の「ミサンガ」であるならば、ピンクの紐と若草色の紐を組み合わせて組むとか、もう少しセンスの良さを愛する女性にアピール出来るような遣り方をしなければならなかったからである。
 また、女性に好感を持たれる為には補色関係にも留意しなければなりません。
 それなのに、選りも選って、「黒と黄のツートンカラー」とは、まるで、大震災の被災地の瓦礫置き場に張り回された「立ち入り禁止」のビニール製の太いロープみたいではありませんか!
 何事に於いても、常に付き纏うの「センスの問題」である。
 熱烈な阪神タイガースファンの珠弾さんに「センスの良さ」を求めるのは、四国は丸亀市の団扇の製造元に出掛けて「京扇子」を買い求めようとする事と同じような「無い物ねだり」ということになりましょうか?
 彼・珠弾さんにお似合いなのは、やはり「黒と黄のツートンカラー」の「虎カラー」なのかも知れません。
 今年もまた、セリーグ五位の指定席に甘んじていなければならない阪神タイガースのファンとしての珠弾さんは、今夜も亦、「黒と黄のツートンカラー」の薄汚れた半纏を身に付け、センスならぬ大団扇を振り振り、あの埃塗れの甲子園の外野スタンドで、馬鹿声を上げているのでありましょうか?
 〔返〕  阪神ならぬ全身タイガースファンの珠弾さん、今夜も外野席で旗振るならむ   鳥羽省三  


(さと)
〇  虚空に浮かび白い風に捲られている黙示録があるという

 「虚空に浮かび白い風に捲られている黙示録」とは、現代社会に於ける「黙示録」の本質をよく表現し得た名言と思われる。

 〔返〕  大津波にただ攫はれて行くのみぞ『使徒聖ヨハネ黙示録』何処!   鳥羽省三
      すばらしい日々、公園のブランコに乗り『黙示録』を黙読してる
 本作の作者・さとさんのブログのタイトルは「すばらしい日々」である。


(青野ことり)
〇  ウマクイクウマクイクって自己暗示 それとこれとはまた別のこと

 「それとこれ」の違いが明らかにならなければ、私たち読者は、奥行きの深い御作の内容を理解する事が出来ません。
 〔返〕  馬も食う羊も食うと自己暗示 朝もはよから草刈仕事   鳥羽省三


(由弥子)
〇  氷河期の入口と恐竜展示室のカギはまだ盗み出せない

 文脈の曖昧さが少しく気にはなります。
 即ち「氷河期の入口(のカギ)と恐竜展示室のカギはまだ盗み出せない」なのか?
 それとも、「氷河期の入口(そのもの)と恐竜展示室のカギはまだ盗み出せない」なのか?
 後者の場合は、「野放図な法螺吹き話」としての側面が、前者より以上に強調される事になり、「余韻」即ち「afterglow」がより増大し、読者の関心を惹くこと間違い無し。
 しかしながら、ごく平凡な頭脳の持ち主は、本作を後者のように解釈する可能性は、ほぼゼロでありましょうか?
 だとしたら、作者にとっては、あまりにも残念なことである。

 〔返〕  氷河期への入り口へと続く道燃料確保も出来ぬまま走る   鳥羽省三
 本作の作者・由弥子さんのブログのタイトルは「afterglow」即ち「余韻」である。


(音波)
〇  これまでに既に示したヒントからあなたが鳥になる日を選べ

 「これまでに既に示したヒントからあなたが鳥になる日を選べ」と言っておきながら、本作の作者・音波さんは、「これまでに」何一つとして「ヒント」らしきものを、私たち読者に与えていないのである。
 このままでは、詐欺罪容疑で「逮捕になるのだぞ!」。

 〔返〕  嘯いて短歌のなぎさをお散歩の音波さんには詐欺罪容疑   鳥羽省三
 本作の作者・音波さんのブログのタイトルは「短歌のなぎさ」である。
 ところで、私がかなり昔に読んだことがあるコミックに「逮捕になるのだぞ!」を連発する主人公が登場していたように記憶しておりますが、今の私には、そのコミックのタイトルが思い出せません。
 つきましては、読者の皆様の中に、その点について、私にご教授下さる方はいらっしゃいませんか?


(白亜)
〇  指し示すゆびを彩る夕の日に 誘われたのか赤蜻蛉

 五句目が二音の字足らずとなっております。
 また、「夕の日に」という三句目は「夕焼けに」とすれば、不自然さが解消されるはずです。 
 いずれにしろ、手抜き作品を、推敲不足の作品を、そのまま投稿することは、断じて許されません。
 何方から指示されるのでも無く、ご自身でご判断なされるべき事かと存じますが!

 〔返〕  指(および)もて招き寄せたる愛し児に誘はれて寄る夕焼け蜻蛉   鳥羽省三
      指(および)もて招き寄せたる愛し娘(ご)に誘はれて飛ぶアキアカネかも
 上掲の返歌に登場する「愛し児」について、作者の私としては、必ずしも「幼児」乃至は「幼い女の子」と限定して詠んだつもりはありません。
 例えば、夕焼け空の下を散歩する私の傍らに、妙齢の女性が付き添って居たとしても、それほど不自然なことではありません。
 そういう事をも考えて、二首目の返歌の三句目は、敢えて「愛し児」とせずに「愛し娘(ご)」とさせていただきました。
 読者の皆様方は、そうした点についてもご留意なさって下さいませ。 


(nobu)
〇  この蝶は「生」の暗示か「死」の暗示かその羽ばたきが魂震わす

 「蝶」の飛び翔ける様を見て、或いは、「蝶」の毒々しいまでに美しい姿態を観察して、「『生』の暗示か?」「『死』の暗示か?」と困惑し、「魂」を震わせる、といった内容の作品は、近代詩にも近代短歌にも山積して居ります。
 それだけに発想の古さを指摘されたり、月並みな表現を指摘されたりする事が多く在ると思われます。
 悪しからず。
 〔返〕  羽ばたきは牡丹の花を思はせて紋白蝶の翔け往く様よ   鳥羽省三 

(やや)
〇  デジタルの示す数字に操られ今日も暮れますトッテチッテタタタ

 本作に接して、私は、幼年時代に読んだ、子供向けの雑誌の一ページの記憶を呼び覚ましてしまいました。
 その記憶とは、確か「玩具の兵隊」という童謡の歌詞を掲載したページであり、その童謡の中に「トッテチッテタタタ」という軽快なリズムが何処かから聴こえて来るような擬声語(或いは、擬態語)が繰り返し使われているのである。
 そこで私は、押入れの底まで掻き分けて、戦前の岩波文庫版の「日本童謡集」を探そうとしたのである。
 しかしながら、同書は、再三に及んだ転居の為に焼却処分してしまったのか、とうとう発見出来ませんでした。
 つきましては、数多くの本ブログの読者の皆様方の中には、或いは、私の記憶の中に微かに残っている「トッテチッテタタタ」という擬音語を伴った童謡の歌詞をご存じの方がいらっしゃるかとも思われます。
 もしも、そのような方がいらっしゃいましたら、何卒、不肖・私にご教示賜りたく、お願い申し上げます。
 〔返〕  青山の兵舎の床に鳴り響く起床喇叭の「トッテチッテタタタ」   鳥羽省三


(ワンコ山田)
〇  液晶に表示されてる落雷のバツのしるしと君との距離と

 「落雷のバツのしるしと君との距離と」と、言いさしたままでは完結しませんし、読者の何方も作者の創作意図を理解することが出来ません。
 こうしたスタイルの作品が、最近では、名の知れた結社誌や商業誌(総合誌)の紙面を汚している場面を目にする事が多いようですが、ワンコ山田さんは、愚かな「歌人ちゃん」たちの物真似をなさって居てはいけません。

 〔返〕 「どけ!馬鹿!」と言ひさしたまま通り過ぐ 歩道を走る子供自転車   鳥羽省三
 本作の作者・ワンコ山田さんの御ブログのタイトルは「歩道を走る自転車のこども」である。
  

(朱李)
〇  決意して心に塗ったごちゃ混ぜの色を示して今日も歩いて

 再三に亘って熟慮し、「決意して心に塗った」結果が「ごちゃ混ぜの色」を示す、といった事柄は、よく在る事である。
 世に謂う「玉虫色の解決」とは、この謂いなるべし。
 「ごちゃ混ぜの色」と「玉虫色」との間には、かなりの隔たりが在るようにも思われますが、それは「ものは言いよう」の類でありましょうか?
 ところで、本作の作者・朱李さんは、お名前から推察すると、彼の梁山泊の残党のようにも思われます。

 〔返〕  蝶綴り、月結びにも縁(えにし)無く行方も知らぬ独り身ならむ   鳥羽省三
 本作の作者・朱李さんのブログのタイトルは「蝶綴り、月結び」である。
  

(ぽむ酢)
〇  人ほどに好意示せぬ我が恋はいつか消えゆく 雲のごとくに

 故意に誤読させて頂きますと、「他人様は私に対してさほど『好意』を示さないので、私の儚い恋は、まるで空往く『雲のごとくに』『いつか消えゆく』運命なのでありましょう」となる。
 続いて、正しく読ませて頂きますと、「私は他の男性たち『ほど』には、美しい女性に対して明け透けに『好意』を『示せぬ』性格なので、『我が恋は』あの大空を飛んで行く『雲のごとくに』『いつか消えゆく』運命であるに違いない」となる。
 「人ほどに好意」を「示せぬ」のは、何も本作の作者に限ったことではありません。
 かく申す私・鳥羽省三とて全く同じ事であり、他人様のお詠みになられた短歌作品を無断で採り上げ、文句たらたら聞き連ねているばかりのこの文章、即ち「一首を切り裂く」は、不肖・鳥羽省三から、作者の皆様方に宛てて草した「ラブレター」なのかも知れません。

 〔返〕  「Now Here」 私は「今ここに」居て、この苦しさに耐えているだけ!   鳥羽省三
 本作の作者・ぽむ酢さんのブログのタイトルは「Now Here」、即ち「今ここに」である。


(稲生あきら)
〇  事務的な態度でさっと済まされる露骨なNOという意思表示

 「露骨なNOという意思表示」は、「事務的な態度でさっと済まされる」方が、未練を残さず、後腐れが無くて宜しいから、お互い様です。

 〔返〕  空想に耽るも宜しまた記憶に残すも宜し振られた男は   鳥羽省三
 本作の作者・稲生あきらさんのブログのタイトルは「記憶と空想」である。


(佐藤紀子)
〇  「本日で閉店します」と掲示して町の豆腐屋明かりを消しぬ

 「読んで字の如し」と思われますから、無駄な詮索は止しときましょう。
 しかしながら、「町の豆腐屋明かりを消しぬ」という古めかしく月並みな「七七句」から余情を感じる、といったことは、私たち高齢者たちのみに許された「世迷い事」なのかも知れませんよ。

 〔返〕  「encantada」、「数えられてない」とはご謙遜 あなたのお歌はいつもお上手   鳥羽省三
 本作の作者・佐藤紀子さんのブログのタイトルは「encantada」、即ち「数えられていない」である。


(砂乃)
〇  かなしげなマークと誤認してしまう「示(じ)」は「〒(ゆうびん)」に涙二粒

 本作は、奥村晃作氏の所謂「気付きの短歌」「発見の短歌」の類でありましょう。
 作中の下の句、即ち「『示(じ)』は『〒(ゆうびん)』に涙二粒」までは、作者独自のユニークな発見について述べ、上の句「かなしげなマークと誤認してしまう」は、下の句で述べようとしている、作者独自のユニークな発見についての感想を、先行した述べているのである。
 表現上の些細な点について指摘させて頂きますと、上の句中の二句目から三句目に亘る「誤認してしまう」は、一首全体の軽くて哀切なリズムから判断して、いささか堅い表現のようにも思われます。
 つきましては、「かなしげなマークと思ってしまいます。『示(じ)』は『〒(ゆうびん)』に涙二粒。」と改作なさっては如何でありましょうか?

 〔返〕  彼を乗せ特急列車が過ぎて行く横川駅にて私置き忘れ   鳥羽省三
 本作の作者・砂乃さんのブログのタイトルは「通過列車」である。


(わたつみいさな)
〇  他人事のように未来の方向を示した指に噛みついている

 一見すると、どんな事を言おうしているのか解らない作品ではあるが、夫婦喧嘩の結末について詠んでいるような内容とも読み取れる。
 いずれにしろ、軽口調子の世俗的な内容の短歌であると思われるので、リズムの悪さが命取りである。
 表現内容が軽くて世俗的な短歌や若者向けの軽口調子の短歌は、その場で読み捨てにされる運命にあり、韻律的によほどしっかりしていなければ何方にも記憶されることがありません。

 〔返〕  例えば、あした雨が降ってもいいから、私と一緒に水浴びしよう   鳥羽省三
 本作の作者・わたつみいさなさんのブログのタイトルは「あした、たとえば雨でいいから」である。
 

(村木美月)
〇  またすぐに煙草くゆらす横顔は意志を持たない暗示する罪

 「またすぐに煙草くゆらす横顔は意志を持たない」までは、内容的にも韻律的にも宜しいが、それに続く「暗示する罪」という七音が、なんのことやらさっぱり解りません。
 思うに、本作の作者・村木美月さんは、お題「示」の処置に困り果てた挙句に、斯かる無意味な七音を本作の結末に添えたのでありましょう。
 〔返〕  また直ぐに紫煙くゆらす禿げ頭 意志も示せぬ低能亭主   鳥羽省三


(葉月きらら)
〇  なんにでもなれる気がした永遠に空を示した地図と翼と

 「永遠に空を示した地図と翼と」の後に、「を持てば」という語句を補充して「なんにでもなれる気がした永遠に空を示した地図と翼と(を持てば)」としなければ、完結した内容にはなりません。
 〔返〕  何処へでも行ける気がした永遠に通信可能なスマホを持てば   鳥羽省三


(ゆり・くま)
〇  提示価格 そのまま信じられる程子どもじゃないの でも買っちゃうんだ

 出来栄えはイマイチ乍ら、評者の私にとっては、耳が痛くなるような事を詠んでいる作品である。
 「子どもじゃないの」「でも買っちゃうんだ」とは、何という我が儘な開き直りでありましょうか?

 〔返〕  怪人二十面相が現れたぞ。ゆりもくまも森の中に隠れろ   鳥羽省三
 本作の作者・<ゆり・くま>さんのブログのタイトルは「森の歌~怪人二十面相~」である。


(エクセレント安田)
〇  終焉は ヨハネの預言 黙示録 行き着く先は 新天新地

 末尾の七音を「凍て付く荒野」とでもしたならば、本作は、私たち日本人の置かれた状況に対応した作品にもなりましょう。
 〔返〕  ポケットにPASMO一枚疲れ果て螻蛄街道とぼとぼと行く   鳥羽省三


(ぱぴこ)
〇  すくすくと育つおまえの指し示す未来わたしが守りたいもの

 本作の作者・ぱぴこさんのブログのタイトル「テクテク」は、何やら隠微な感じのする言葉である。
 つきましては、大変失礼ながら、いきなしに返歌を詠ませていただきます。
 〔返〕 テクテクと上から突っ突くご亭どんのバズーカ砲は草臥れている   鳥羽省三


(たえなかすず)
〇  スイマーは恋のさなかにターンせり空の一点示すつまさき

 「オリンピック開催期間中限定のラブ・ロマンス」とかいう怪しげな言葉があったとか?
 そこで、水泳で金メダル獲得確実と噂の高かった某有名選手などは、大いにハッスルしたとか?
 本作は、そうした歴史的な事実に基づいてお詠みになられた作品かと推測される。

 〔返〕  「Strawberry Fields Forever」倫敦五輪大会で金メダルを獲得した女子柔道選手みたいだね   鳥羽省三
 本作の作者・たえなかすずさんのブログのタイトルは「Strawberry Fields Forever」である。


(柳めぐみ)
〇  奥多摩の山を見据えて呼吸して方向指示器かたんと倒す

 我が国の首都・東京の副都心・新宿から信州方面に向かわれる高速道路の路上での出来事をスケッチした作品かと思われる。
 〔返〕  奥多摩の山を見据えてオシッコし警察官に捕まえられよ   鳥羽省三


(壬生キヨム) (ぼくはこんなことが好き。)
〇  泣き顔の記憶だけある昨晩が嘘でなかった証拠を示せ

 大変失礼ながら、いきなしに返歌とさせていただきます。

 〔返〕  揺れながら「ぼくはこんなことが大好き!」言ったくせして何よその態度!   鳥羽省三
 本作の作者・壬生キヨムさんのブログのタイトルは「ぼくはこんなことが好き。」という、単刀直入なものである。


(フユ)
〇  使わなくなった掲示板にいる誰かが描いた一匹のとかげ

 「誰かが描いた一匹のとかげ」だったら、「使わなくなった掲示板にいる」という言い方はしないでしょう!
 それとも<擬人法>もしくは<直喩表現>ですか?
 <擬人方>ならそのままで宜しいが、<直喩表現>の場合は、次のようにしなければなりません。
 即ち「廃れたる掲示板に誰かが描いた一匹のとかげの如き吾」と。

 〔返〕  パラソルにいつでも顔を隠してた干乾びた蜥蜴みたいな君   鳥羽省三
 本作の作者・フユさんのブログのタイトルは、即物的に「パラソル」である。


(藻上旅人)
〇  いつの世も繰りかえするなる天空の北の星なむ指し示しをる

 作者の藻上旅人さんは、本作の二句目の語句「繰りかえするなる」の助動詞「なる(なり)」を伝聞推定の意味で使おうとなさったのでありましょうが、伝聞推定の助動詞「なり」は、ラ変型活用語の連体形、ラ変型以外の活用語の終止形に接続しますから、本作の場合は「繰り返すなる」としなければなりません。
 〔返〕  いつの世も繰り返すなる語法ミス気にする事などありませんよ。   鳥羽省三  


(ひろ子)
〇  条件を示す時点で終わってる恋にはならず愛にもなれず

 ひろ子さんは、まさか、お相手の男性に「私を床の間に飾って置くこと」「炊事洗濯などの雑用はお手伝いさんにさせること」「貴方のお給料の70%は私のお小遣いにすること」「私の出産後、一年間は出産育児休暇を取ること」などという難しい「条件」を示したのではありませんよね。
 もしもそうだとすると、最初から門前払いにされることが確実ですから。
 〔返〕  条件を示さぬ前から終わってる面貌みれば結婚しない   鳥羽省三
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