臆病なビーズ刺繍

 臆病なビーズ刺繍にありにしも
 糸目ほつれて今朝の薔薇薔薇

日暦(5月30日)

2013年05月30日 | 我が歌ども
晩節を少しぐらいは穢しても上田春佳と溺れてみたい   鳥羽省三

 近々我が家の一部をリフォームするために昨日は一日中押入れの整理をしていたのであるが、その際、ふと目に着いたのは、宮城県黒川郡大和町に在る原阿佐緒記念館のA4版のカラーパンフレットである。
 件のパンフレットには1930年前後に撮ったとされる、原家の家族写真が掲載されている。
 向って左前方の椅子に原阿佐緒自身が座っていて、その右の椅子に母親のしげが座っているのであるが、その母の阿佐緒及び祖母のしげを囲むように支えるようにして阿佐緒の二人の息子が立っているが、左側に立っているのは、後年、俳優として名を成した次男の原保美(NHK初期の人気テレビドラマ『事件記者』の長谷部記者役でお馴染みの)であり、右側に立っているのは映画監督になった長男の原千秋である。
 ところで、その女流歌人・原阿佐緒の衰えない容色に溺れて不倫恋愛沙汰を起こし、晩節を大いに穢したのは、東北帝国大学の教授を務めた著名な物理学者にして『アララギ』重鎮の歌人であった石原純であった。
 上掲の拙作中の「上田春佳」とは、北京・ロンドンと過去二回に亘るオリンピックで活躍した我が国の競泳選手(自由形・短距離)である。
 スポーツ選手にして抜群の容姿端麗さを噂されている同選手は、この7月中旬からスペインのバロセロナで行われる「第15回世界水泳選手権大会」の代表選手に選出されると同時に、持ち前の容姿端麗さが世間の人々の認められるところとなってなのか、スポーツ用品メーカーの「ミズノ」と「ブランドアンバサダー契約」を締結したことでも知られております。
 事の序でに説明させて頂きますと、上掲の拙作を鑑賞されるに当たっては、後半の七七句が「上田春佳と溺れてみたい」となっている点に着目しなければなりません。
 即ち、本作の作中主体は、決して「晩節を少しぐらいは穢しても」あの容色麗しき「上田春佳」に「溺れてみたい」と思っている訳では無く、「上田春佳」選手と一緒にバロセロナのプールに入って「溺れてみたい」と思っている、という訳なのであります。
 〔返〕  新緑のしずくプールに満ち溢れ第三泳者の僕は溺れた   鳥羽省三
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日暦(5月29日)

2013年05月29日 | 我が歌ども
金なくて何故に傘寿でエベレスト峰の高さは円積む高さ   鳥羽省三

有り体に申せばお金の力かも?傘寿の翁絶巓に立つ

体力もお金も無くてエベレスト其処に在っても登る気は無し
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日暦(5月28日)

2013年05月28日 | 我が歌ども
北さんが紫谷山頂極めしも島伝説の一つにならむ   鳥羽省三
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日暦(5月27日)

2013年05月27日 | 我が歌ども
今朝もまた夏目雅子に似た女医が手術しくじり辞めた夢見た   鳥羽省三

 何を隠そうか、私の夢の中に出て来る医者は全て女医さんであり、その殆どが今は亡き女優・夏目雅子のそっくりさんなのである。
 また、その夏目雅子のそっくりさんが、幽霊になって出て来る場合も極くたまにはある。
 フロイト的に分析すれば、私と夏目雅子とはどんな関わりがあるのでしょうか?
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日暦(5月26日)

2013年05月26日 | 我が歌ども
丑三つの夢に大鵬現れて「孫を宜しく頼む!」と言った   鳥羽省三
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一首を切り裂く(009:テーブル・其のⅣ)

2013年05月26日 | 題詠blog短歌
(ろくもじ)
独り言並べた白いテーブルの端が私とプリンの居場所

 彼は「白いテーブルの端」に座って、バイト帰りの昨夜、「ディスカウントストア・Trial」から1個75円で買ってきた「森永の焼プリン(希望小売価格105円)」だけの貧しい朝食を取ろうとしているのである。
 だが、何を隠そう、その「白いテーブルの端」こそ、今となっては赤の他人同然となってしまった彼の妻と同居していた頃からの、たった一箇所の彼の居場所だったのであり、彼の日課の一つは、その「白いテーブルの端」に座って、有り金全部・30万円及び残高7260円の郵貯銀行の貯金通帳を持ち逃げしたまま未だに帰って来ない家出妻への呪詛めいた「独り言」を呟くことであり、何と驚いた事に、その「独り言」は、彼が貧しい朝食を摂るためにこの「白いテーブルの端」に座ってからバイト先の千葉市内のスナック「善魔」に出勤する時間・午後3時半まで延々と続くのであった。
 彼が座っている「白いテーブルの端」には、間も無く彼の口に入れられる運命にある、1個75円の「森永の焼プリン」がちょこんと置かれているのであるが、インターネットで検索してみれば分かる通り、その「森永の焼プリン」の宣伝文句は、「カラメルソースのほろ苦さがクリーミィなプリンにぴったりです。遠赤外線オーブンでじっくり焼き上げたシンプルな味わいを、ゆったりとリラックスしてお楽しみください」である。
 〔返〕  ほろ苦いカラメルソースの口当たり拐帯妻は未だ帰らず   鳥羽省三


(円)
幾度も畳まれしことその疲弊テーブルクロスの折り目は浮けり

 「折り目」が浮くようになれば、「テーブルクロス」の耐用年数が過ぎてしまったいるのである。
 御主人の「円」さん同様に、家来の「テーブルクロス」も、今や疲労困憊の極地に達しているのですから、この際、新調する必要がありましょう。
 前述の「ディスカウントストア・Trial」では、台湾産の素晴らしい絵柄の「テーブルクロス」が、3枚・398円で超特価販売されているのである。
 ですから、この際、是非、是非、是非、「テーブルクロス」を新調なさって下さい。
 〔返〕  円安の今となってはもう買えぬサンキュウパ―のテーブルクロス   鳥羽省三


(西中眞二郎)
テーブルに置きしグラスに日の差せば小さき虹の輝き見せる

 「テーブル」に置かれたままになっている「グラス」も、それに焼酎の梅割りを入れてあおる人間と同様に、極くたまには、それなりの大きさの「虹の輝き」を見せるのである。
 焼酎の梅割りをあおる人間には、その人間の身の丈に合った「虹の輝き」が見られると同様に、「テーブル」に置かれたままになっている「グラス」にも、その「グラス」の身の丈に合った「虹の輝き」が見られるのである。
 〔返〕  欄間から西日射し入るリビングに梅割りあおる我の倦怠(アンニュイ)   鳥羽省三


(魚住蓮奈)
交合の記憶をすんと吸う朝の食卓塩はテーブルにある

 「交合の記憶」を「すんと吸う」との受け答え佳し。 
 〔返〕  交合の朝の匂ひは新鮮なサラダ思はせ食卓塩振る   鳥羽省三
      背伸びして使ってみたかっただけのこと交合の二字やや月並みか?


(浅草大将)
ふらんすもまこと近しと草まくらたびたび開くタイムテーブル

 「旅」に係る枕詞「草まくら」から副詞「たびたび」を導き出し、「たびたび開くタイムテーブル」と結んだお手並みは、さすがに見事なものである。

   『旅 上』

 ふらんすへ行きたしと思へども
 ふらんすはあまりに遠し
 せめては新しき背広をきて
 きままなる旅にいでてみん。
 汽車が山道をゆくとき
 みづいろの窓によりかかりて
 われひとりうれしきことをおもはむ
 五月の朝のしののめ
 うら若草のもえいづる心まかせに             (萩原朔太郎『純情小曲集』より)

 〔返〕  フランス麺麭あまりに高く買えませんせめて揚げパン買おうと思う   鳥羽省三


(砂乃)
テーブルにおかれたままのオレンジの影がくずれて夜が始まる

 「夜」の始まり方にもさまざまの形態が在ると思われ、本作の場合は「テーブルにおかれたままのオレンジの影がくずれて夜が始まる」のである。
 フォルム佳し、調べ良し、発想善しの三拍子揃った傑作である。
 〔返〕  照明を消してしまへば影も無し古テーブルの上のオレンジ   鳥羽省三
      折からの十六夜月に照らされて黒き影なす紡錘形の      
      テーブルに置かれたママのオレンジの影が崩れた(腐ったみたい)  


(鳥羽省三)
テーブルマウンテン(標高1086m) ケープタウンを眼下に置き平らかに佇つ

 何せ、この大幅な字余りですから、到底、添削出来そうにもありません。
 〔返〕  テーブルマウンテンよ、君はあのアパルトヘイトの全貌を見下ろして佇んでいたのかい!  鳥羽省三
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一首を切り裂く(009:テーブル・其のⅢ)

2013年05月25日 | 題詠blog短歌
(紫苑)
それぞれのテーブルにゐるふたりにて背(せな)にたがひの気配ききをり

 文京区内のとある中華レストランで行われた同級会に於いて、本作の作者・紫苑さんと彼女の高校時代の彼とは、皮肉なことに別々の円卓の背中合わせの座席を占めることになってしまったのである。
 お互いに二十年ぶりに出逢った元の恋人の顔は見たいけれども、あまり頻繁に後ろを振り向く訳にはいかない。
 そこで彼女と彼とは、お互いにウルトラQ級の意志伝達方法で以って、二十年前の愛の残り香を確認しようとしたのである。
 ところで、「背(せな)にたがひの気配ききをり」とは、「(背け合った)お互いの背中同士が、相手の気持ちを探り且つ感じている」ということであり、結果が吉と出たならば、これを契機として焼けぼっくいに火が着く可能性も、大いにあり得ましょう。
 〔返〕  二次会に向う振りして二人連れ千駄ヶ谷までタクシー飛ばし   鳥羽省三


(青野ことり)
向かい合うテーブルさえも邪魔なほど伝えたいのは声ではなくて

 本作の作者も亦、二十年ぶりに開かれた同級会に於いて、元カレと出逢ってしまったのである。
 だが、紫苑さんの御作の場合とは異なり、本作の作者・青野ことりさんと元カレとは、長方形のテーブルの向かい合わせの座席に座っているのである。
 ところで、青野ことりさんのことですから、「伝えたいのは声ではなくて」<性衝動>そのものであったのかも知れません?
 〔返〕  邪魔っ気な盛り花などは除けちゃって彼の胸毛にしがみ付きたい   鳥羽省三


(原田 町)
流し台ガステーブルなど磨きおり昨日も今日もそしていつまで

 良妻賢母であることに甘んじている作中人物は、結婚してこの家の人になって以来ずっと、「昨日も今日もそしていつまで」も、キッチンの「流し台」や「ガステーブル」を磨くことを日課としているのである。
 〔返〕  姑の黒き位牌を磨きをり己が義眼の映れるまでも   鳥羽省三
      いつまでも良妻賢母では居られないそのうち必ずお迎えが来る


(伊藤真也)
いいんですいいんですええお構いなくテーブルの下が落ち着くんです

 これは亦、遠慮深いお婿さんですこと!
 この度、伊藤真也さんは結婚して間もない奥様のご実家に、初婿として訪れたのである。
 〔返〕  いいんです!お酒もビールも飲まなくて!水道水で十分ですから!   鳥羽省三


(矢野理々座)
ポークソテーブルーベリーが意外にも合うのよ今度作ってあげる

 「ブルーベリー」の微細な種は、入れ歯の隙間に挟まる可能性が大であるから、そのメニューはお相手次第である。
 〔返〕  ポークソテーにバルサミコソースを掛けたうえブルーベリーを五個ほど添えたい   鳥羽省三
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日暦(5月25日)

2013年05月25日 | 我が歌ども
背を丸め貴闘力に似た人がエレベーターから出て来た夢だ   鳥羽省三

 あの貴闘力は、あれからどんな暮らしをしているのだろうか?
 
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一首を切り裂く(009:テーブル・其のⅡ)

2013年05月24日 | 題詠blog短歌
(なまにく)
いつの間にテーブルマークなんていうおしゃれな名前になったの 加ト吉

 一昨夜の「ラジオ深夜便」を聴いていて知ったことであるが、詩人のサトウハチロー氏は類い稀れなヘビースモーカーならぬチェーンスモーカーであったそうだ。
 彼が亡くなってから既に四十年の歳月が経つが、それかあらぬか、昨今ではチェーンスモーカーはおろか喫煙者そのものさえも滅多に目にすることが出来なくなり、以前に比べれば微々たる存在とも云うべき彼らの喫煙姿は圧倒的多数の国民大衆の間では「社会悪の一つとして認識されている」とも言えましょうか?
 また、かつての国営企業・日本専売公社が「日本たばこ産業株式会社(JT)」と呼ばれるようになってから四半世紀余りの歳月が経つのであるが、この間に同社は親方日の丸としての国家的財政的な後ろ盾を失ったばかりか、国民大衆の多くから肺癌の元凶視され、憎悪の対象として白眼視されているのが現状であり、その為、同社は、煙草の生産及び販売以外の分野に活路を見出そうとして懸命になっているのである。
 ところで、「加ト吉」と言えば、田舎臭く野暮ったい商号ながらも冷凍食品業界に於いては一廉の実績を示すと同時に、「加トきっちゃん、加トきっちゃん、食べて美味しい、加ト吉の海老フライ」という、あのテレビCMでもお馴染みの食品生産販売会社であった。
 その「加ト吉」が「テーブルマーク株式会社(英文社名:TableMark Co.,Ltd.)」という、旧社名とは打って変わって「おしゃれな」商号に改めたのは、去る2010年1月1日のことであったが、その蔭には、資本提携していたJTと一体となっての過去六年間に亘っての組織ぐるみの架空売り上げ疑惑及び、煙草の生産販売以外の分野への進出を企てていたJTの飽く無き商業的な野望が見え隠れしているのである。
 以上、興味の赴くままに記して来たが、本作の解釈及び鑑賞に当たっては、これらの知識の大半は必要としない。
 私たち本作の読者は、本作の作者のなまにくさんと共に、要は「どんな理由があってなのかは知らないが、あの加トきっちゃんがいつの間にかテーブルマークというおしゃれな名前になっていた」と喜び囃し立てればいいだけのことである。
 〔返〕  知らぬ間に日本たばこの子会社にされてしまった元の加ト吉   鳥羽省三
      売れぬのに売れたふりした加ト吉が日本たばこの煙に巻かれた  鳥羽省三


(五十嵐きよみ)
テーブルに必ずナイフがあるように二幕で食事を取るスカルピア

 作中の「スカルピア」とは、イタリアの作曲家、ジャコモ・プッチーニ(1858・12・22~1924・11・29)作曲のオペラ『トスカ』の悪役であり、共和制が崩壊していた18世紀末のローマに於いて、王政側の警視総監としてさまざまの悪巧みを廻らせ、このオペラのヒロインのトスカとその恋人のカヴァラドッシとの恋路の邪魔立てをする肥大漢である。
 彼・スカルピアは、オペラ『トスカ』の二幕目の幕開けに、当時の彼が公邸として使っていたファルネーゼ宮殿で、宮殿の外から聞こえて来る戦勝祝賀会の歌声を聴きながら夕食を取るのであるが、本作の作者は、その場面を以って、「テーブルに必ずナイフがあるように二幕で食事を取るスカルピア」とお詠みになったのでありましょう。
 だが、本作の鑑賞に当たって、私たち本作の読者は、この意味深な詠い出し「テーブルに必ずナイフがあるように」という叙述の意味するところを熟慮しなければならないのである。
 「テーブルに必ずナイフがあるように」とは「極めて当然の如くに」という意味であるが、女性ながらも極めて観察眼の鋭い本作の作者・五十嵐きよみさんにとっては、時の権力者(その実は、裸の権力者)・スカルピアが、このオペラの二幕目という極めて重大な時点に於いて、極めて当然の如くに「食事を取る」ということは、遣ってはならない行為なのである。
 何故ならば、このオペラの第一幕目の終末に、彼・スカルピアの元に、「王制側の軍が共和制を掲げるナポレオン軍を破った」という知らせが齎されたのではあるが、それは全くの誤報であり、彼・スカルピアはその誤報を誤報と知らなかったが故に、いつもの通りに、極めて当然の如くに、自分の権勢を周囲の者に誇示するが如き態度で夕食を取っていたのである。
 本作の作者は、誤報を誤報と知らずに、いつも通りに極めて当然の如くに夕食を取っているスカルピアの態度を皮肉って「テーブルに必ずナイフがあるように二幕で食事を取るスカルピア」と、お詠みになったのでありましょう。
 〔返〕  白鵬の相撲の如く危なげの無き五十嵐きよみさんの作   鳥羽省三


(桃子)
テーブルの花も時計の秒針も 君の帰りをひたすら待ってる

 つい先日、目にしたばかりの朝日新聞の記事に拠ると、「我が国の昨今の一般家庭に於いては、数年前に何かの事情(身勝手な事情)があって家出した父親(或いは母親)が、数年間の行方不明状態の別居生活を経て帰宅した場合、その間の家庭生活を維持していた人々(留守家族の人々)が、何一つ問題が無かったような態度で受け入れる傾向が見られる」とのこと。
 菊池寛に『父帰る』という戯曲が在るが、我が国はアベノミクスの余慶に縁って、第二の「父帰る」時代に突入したのでありましょうか?
 〔返〕  靖国の桜の花も英霊も君の失脚ひたすらに待つ   鳥羽省三


(夏樹かのこ)
テーブルの上のカレーを食べながらラジオのように過ぎゆく安寧

 「カレーライス」と言えば、今や不動にして人気抜群の国民食である。
 本作の意は、「その人気抜群の国民食たるカレーライスを食べながら過ごす一時こそ、まさしく〈NHK第一放送〉の第一、第三、第五火曜日の〈ラジオ深夜便〉を聴きながら安らかに眠るが如き『安寧』の時間である」ということでありましょうか?
 因みに申し添えれば、「ラジオ深夜便」の第一、第三、第五火曜日の担当者(アンカー)は
あの国民栄誉賞受賞者的人気の須磨佳津江アナである。
 〔返〕  レトルトのカレーライスは食べませんラジオも今は聴いていません   鳥羽省三  


(椋)
向かい合いカップを見つめる今はまだ テーブル分の貴方との距離

 「ベッタリコンとくっ付いて居たい」などと思っていてはいけません。
 「テーブル分」の「距離」と言えば、お互いにテーブルの下から手を伸ばせば、ガッチリと握り合えるような距離ではありませんか。
 付かず離れず、これが恋人同士の節度というものでありましょう。
 〔返〕  お互いに支払い伝票気にしてる割り勘以上の仲にはなれず   鳥羽省三
 


(コバライチ*キコ)
抽斗にライトテーブル仕舞われて律儀な顔で出番待ちおり

 本作に接して、作中の「ライトテーブル」について、その詳細を調べようとしたら、最初に当たったのが、「1.天板がガラスなどで出来ていて、下から明かりが灯るインテリアテーブル。」、「2.絵や図面のトレースのために、下から光を当てる台。ライトボックス、トレース台とも。」という解説記事であり、次に当たったのが、「病院の診察室に、X線写真を見るための白く光る装置がありますよね。あんな大がかりなヤツじゃなくて、あれをもっとコンパクトにしたのがライトテーブルです。タブレットで直接スクリーンに絵を描くようになってからはめっきり出番が減りましたが、紙に描いていた頃は、よく使っていました。で、絵を描く目的では使わなくなりましたが、これがあると何かと便利なんです。電子工作しかり、プラモ制作しかり(スモーク貼る時とか)。撮影台としても使えます。私が持っているライトテーブルは結構古く、小さなものです。照明媒体は冷陰極管でしたが、いつしか故障して点灯しなくなりました。――実は、これがきっかけで何年も前にLED化していたのですが、4000cdの白色LEDが9灯だけだったので暗く、下の写真のように、まだらに光っていたので、非常に使いにくかったのです。」という、極めて具体的かつ懇切丁寧な解説記事でありました。
 しかしながら、作中の「ライトテーブル」即ち「抽斗に」「仕舞われて」いて、「律儀な顔をして出番」を待っているような「ライトテーブル」は、上掲の二つの解説記事に示されている「ライトテーブル」とは、その形体も用途も異なっているように思われます。
 つきましては、お伺い致しますが、作中の「ライトテーブル」とは、如何なる形体の如何なる用途の「ライトテーブル」でありましょうか?
 〔返〕  手鞄に近藤さんが潜み居て律儀な顔で出番待ち居り   鳥羽省三


(湯山昌樹)
三人の家には広いテーブルで家族の増えるをひたすら待てり

 父と母と、それに「彼女居ない歴三十五年」の僕を加えての三人家族である。
 〔返〕  独り身の我にはあまり広すぎてダブルベッドは廃棄しました   鳥羽省三


(海)
テぇいぼぅ!と発音するのは照れ臭くあえてテーブルと読む六限

 「テぇいぼぅ」とは、なかなかに本格的な発音ではありませんか。
 〔返〕  「テぇいぼぅ」と発音していたつもりだがテーブルと発音したのか?笑われました   鳥羽省三
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日暦(5月24日)

2013年05月24日 | 我が歌ども
この頃は糞害騒ぎも少なくて平和なるかな町田駅前   鳥羽省三
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一首を切り裂く(009:テーブル・其のⅠ)

2013年05月24日 | 題詠blog短歌
(山本左足)
家具店に繋がれているテーブルが月に向って吠えている夜

 「IKEA(イケア)」という商号の郊外型超大型家具店が我が国に進出してから久しい年月が経つ。
 それかあらぬか、我が国の戦後の都市風景の一翼を担っていた、あの駅前型(商店街型)の大型家具店、一例を挙げて説明すれば、昭和から平成初期に掛けての一時期に「家具の〇●堂」として名を馳せた、あの「家具店」にも、私たちはめっきり行かなくなってしまったし、通りすがりにそれと無く覗いて見ても、来客も無く店内は閑散としているような様子である。
 古希を過ぎてしまい、今更新しい家具などを必要としていない私などが行かなくなってしまったのは当然の事としても、結婚前や新婚ほやほやの若者たちの姿があの「家具の〇●堂」の店内から消えてしまったのは、経営者ならぬ私としても真に寂しいことである。
 しかし乍ら、あの「家具の〇●堂」も、苟も「家具店」を名乗っている以上は、あの暗くて閑散としている店内には、〇ラ〇スベッドが並べられたり、信州家具や北海道家具のテーブルや机や椅子や食器棚などが並べられていることでありましょう。
 想像を逞しくして申せば、本作は客足の途絶えてしまった「家具の〇●堂」の深夜風景に取材した作品である。
 客足が途絶えてから久しく、行き先を失ったままに生色をも失い、暗くて閑散としている店内に置かれたままになっている四足の家具、即ち「テーブル」や机や椅子などは、満月の夜ともなれば、あの萩原朔太郎の詩に登場して来る狂った犬の如くに、煌々と照り輝いている「月に向って吠えている」のでありましょうか?
〔返〕  のをあある とをあある やわあ  「テーブルは病んでいるの?お母あさん。」「いいえ子供、テーブルは恨んでいるのです。IKEAを。」 鳥羽省三   


(やや)
ひからびた心パキンと割れぬようテーブルの下に隠しています

 「パキンと割れ(ぬよう)」という、擬声語を用いた表現に質感が感じられて宜しい。
 人間の「心」も「ひからび」てしまえば、あの発泡スチロールの緩衝材のように「パキン」と音を立てて「割れ」てしまうのでありましょうか?
 本作の作者・ややさんと誰かさんとは、バイト先で知り合って衝動的に同棲生活に入ったものの、今となっては愛情もへったくれも無くなってしまい、お互いの「ひからびた心」を1DKのアパートのキッチンに置かれた汚い「テーブルの下に隠して」いるのでありましょう。
 〔返〕  干乾びた心のままに抱き合って心太など啜り合ってる   鳥羽省三


(稲生あきら)
幸せな恋人たちに囲まれて窮屈そうなテーブルの花

 「壁の花」という言葉は、テレビ放送業界に於いて既に熟語化しているが、これからは「幸せな恋人たちに囲まれて窮屈そう」にしているファミレスの「テーブルの花」も亦、熟語化することでありましょう。
 即ち、熟語としての「テーブルの花」とは、「恋人たちの幸せ感を更に煽り立てる為の近景としてのテーブルの上の花」を指して云うのである。
 〔返〕  ダイソーで三本一組105円香港ふらわーテーブルの花   鳥羽省三
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日暦(5月23日)

2013年05月23日 | 我が歌ども
○  夕闇の濃くなる方に消えなむと携帯電話をOFFにして出づ   鳥羽省三



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一首を切り裂く008:瞬・其のⅢ)

2013年05月23日 | 題詠blog短歌
(船坂真桜)
蜜柑より檸檬を選べ二文字に瞬発力を求めるならば

 「『蜜柑』よりも『檸檬』の方がビタミンCの含有量が多いから」という訳でありましょうか?
 〔返〕  檸檬より大蒜を選べ二文字に精力絶倫求めるならば   鳥羽省三


(青野ことり)
二人になり三人になり四人になり瞬く間もなくふたりになるね

 青野ことりさんに申し上げますが、「『瞬く間もなく』元の一人(独り)になってしまう」という事も決して忘れてはいけません。
 〔返〕  黄昏の隠れん坊の鬼にされ夜になっても帰れなかった   鳥羽省三
      

(原田 町)
百分の一秒という瞬間に金メダル逃がす選手もありき

 去る4月29日に広島市の「エディオンスタジアム広島」で行われた「陸上・日本グランプリシリーズ第3戦:織田幹雄記念国際陸上競技大会兼世界選手権代表選考会」の男子100メートル走予選3組に於いて、洛南高校3年生の桐生祥秀選手が10秒01(追い風0・9メートル)という我が国歴代2位の好記録を出したのであったが、この記録は同競技の世界ジュニアタイ記録として公認されない運びとなってしまった。
 その理由は、同大会が行われたエディオンスタジアム広島には、国際陸連が世界記録の公認に必要として定めた「超音波式の風力計」が設置されていない為とか?
 国際陸連は、世界記録の公認には〈1〉超音波式の風力計〈2〉不正スタート発見装置の設置を義務づけているのであるが、ジュニア記録は〈2〉は必要としてはいない上、日本記録は両機器がなくても公認される為に、国内の競技場には両機器がほとんど用意されていないのが現状である。
 思うに、「百分の一秒という瞬間に金メダル」を逃がしてしまった「選手」もなかなかに哀れであるが、我が国の高校3年生の好記録が、国際陸連の恣意的とも言える判断に因って、男子100メートル走の世界ジュニアタイ記録として公認されなかったのも、それ以上に哀れなことである。
 〔返〕  追い風の2.0m/s迄を公認しそれ以上の場合は参考記録とす   鳥羽省三

 
(矢野理々座)
一瞬のフィギアの技の名の長さトリプルアクセル、トリプルルッツ

 NHK総合テレビ放送の解説者の某は、「あつ、トリプルアクセル!」「あっ、今のはトリプルリッツ!」「浅田真央さん、やりました!やりました!」などと、いち早く得意げな口調で絶叫するのである。
 あれでは、まるで「早口言葉大会」みたいではありませんか!
 〔返〕  八木沼純子その実力は二線級、早口言葉は誰にも負けず   鳥羽省三


(伊藤真也)
くしゃみするその時でさえ瞬きもせずに飛沫を散らす石破は

 自由民主党幹事長・石破茂氏、その通り名は「アンパンマン」。
 彼が国政壇上でクシャミした時に飛ばす鼻汁の「飛沫」は、真に汚らしいね!
 〔返〕  そんなにも勿体ぶらずに喋れよな!あれで坊ちゃん?マジかよあれで!   鳥羽省三


(虚空津日高)
古稀を過ぎかへりみすれば流星の瞬くがごと淡き人生

 本作も亦、石破茂氏の演説と同様に、真に勿体ぶった作品である。
 これでは、明治初期の御歌所派以前乃至は未満の作風ではありませんか?
 〔返〕  「虚空津日高」別名「底津石根」、一人で二人とは不孤不思議なり   鳥羽省三


(円)
鍋の湯を落とす一瞬流し場はままごとに似た色に染まれり

 例えば新鮮な法蓮草を茹でた後の「湯」を、「鍋」からキッチンのシンクに流した時の湯の色などは、まるで「ままごとに似た色に染ま」っている、と云う訳でありましょうか?
 「ままごとに似た色」という比喩が、真に素敵な作品である。
 〔返〕  億ションはままごと色に染まりたり夕暮れ時の六本木通り   鳥羽省三  


(砂乃)
男性が消えた瞬間口あける女子のおしゃべりアサリに似てる

 丸の内界隈のオフイスの午後の給湯室風景に取材した作品でありましょうか?
 だとしたら、本作の作者・砂乃さんも亦、我らが憧れの「丸の内レデイー」ということになりましょうか?
 それは扨て措いて、「男性が消えた瞬間」の「口あける女子のおしゃべり」は恰も「アサリに似てる」という表現は、真に辛辣にして適切な表現と申せましょう。
 でも、年若い同僚女性の「おしゃべり」に目くじらを立ててばかり居ると「お局さん」呼ばわりされてしまいますよ。
 〔返〕  年若き女性が去りしオフイスは昨夜の戦果の披露合戦   鳥羽省三  


(鳥羽省三)
法華津瞬 我が青春を彩りて三十路で逝きしよか男の名

 作中の「法華津瞬」は、その名に背いて、神奈川県下の某県立高校の公式野球部の正選手である。
 キャプテンにして正捕手兼4番打者であった。
 彼のご両親は熊本県の出身であるとか?
 彼が不意の交通事故に因って尊い命を落としたのは国道二百四十六号線。
 わずかに三十二年の儚い生涯でありました。
 〔返〕  法華津瞬 我が青春を震撼し絶命せしは青山通り   鳥羽省三  
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一首を切り裂く008:瞬・其のⅡ)

2013年05月22日 | 題詠blog短歌
(夏樹かのこ)
瞬きの隙間から見た日常が剥離してゆく花萌えは春

 「花」が萌える「春」ともなると、猫さえも恋をするから、万物の霊長たる人間が煌め瞬くのは、極めて当然なことでありましょう。
 また、私にしろ、本作の作者・夏樹かのこさんにしろ、一人の人間が煌め瞬いている間は、その人間の本来の状態、即ち「日常」から離脱した状態である、と言えましょう。
 ところで、本作の作者・夏樹かのこさんは甚だ自制心に富んだご性格の女性であり、ご自身が有卦に入っている状態、即ちご自身が煌め瞬いている状態に居ても常に平常心を失うことが無く、ご自身が煌め瞬いている状態の「隙間」からご自身の客観的な状態を覗かんとしているのである。
 覗き見たその客観的な状態とは、果たして如何でありましょうか?
 〔返〕  覗き見れば鹿の子まだらの我なるも花に浮かれて身を肥らせて   鳥羽省三


(諏訪淑美)
すれ違う車に瞬時見えたるは知っている顔名前が出て来ぬ

 本作の作者の場合は、何しろお年がお年ですから、或いはそういう事だって在り得ましょう。
 でも、それだからと言って、ご自身を「呆け老人になってしまった」などと思ってはいけませんよ。
 何故ならば、人間は失意のどん底に在ってこそ、本来の実力を発揮する動物なのだから。
 と云うことは、諏訪淑美さんの人生の花はこれから咲くのである。 
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一首を切り裂く008:瞬・其のⅠ)

2013年05月22日 | 題詠blog短歌
(稲生あきら)
絶え間なくひとつひとつの瞬間が繋がってゆくことの不思議さ

 本作は、古代ギリシャの哲学者・ゼノンが提示したとされている「四つのパラドックス」を敷衍した作品である。
 即ち、本作の作者は「アキレスは必ず亀に追いつくはずである事」を信じ、「矢が、弓から放たれて的に向っている矢である以上、それは必ず飛んでいるはずである事」を信じていると同時に、その事に対して限り無い憧れを感じているロマンティストなのである。
 〔返〕  三本の矢は違う速度で飛ぶはずだ!アベノミクスの破綻は必至!   鳥羽省三
      三本の矢が同じ速度で飛んだとて畢竟アベノミクスは破綻!     鳥羽省三


(佐藤紀子)
一瞬をきらめくものの残像を瞼に残し流れ星消ゆ

 上掲のゼノンのパラドックスノ流儀に従って講釈すると、作中の「流れ星」は、己自身が煌めいているその瞬間瞬間に於いては「流れ星」では無く、単なる「星」でしかないのである。
 そのままでは永久に「流れ星」として認識することが出来ない存在、即ち、その瞬間瞬間を煌めいているに過ぎない、ただの「星」を、本作の作者・佐藤紀子さんが「流れ星」と認識出来るのは、人間の網膜を発現場所とする「残像効果」に因るのである。
 老いたりと言えども、本作の作者・佐藤紀子さんも亦、視覚作用を備えている人間の一人には違いがありませんから、夜な夜な「残像効果」をご駆使なさって「流れ星」をご追跡なさって居られるのでありましょうか?
 ところで、私は本稿を綴るに当たって、不覚にも重大なミスを犯してしまいました。
 それは、作中に用いられている「きらめく」という現象についての認識である。
 星などが「きらめく」とは、如何なる現象を指して云うのか?
 「きらめく」とは、「光の連続的な明滅」を指して云うのでありましょう。
 だとしたら、人間が星の煌めき自体を把握することさえも「残像効果」に因るものと認識しなければならないのである。
 〔返〕  残像は単なる星を流星に認識させて歌材とはなる  鳥羽省三


(五十嵐きよみ)
その瞬間、脳裏をよぎった疑いがオテロの中で肥え太りゆく

 イタリア・ロマン派の作曲家「ジュゼッペ・フォルトゥニーノ・フランチェスコ・ヴェルディ(1813・10・10~1901・1・27)」の生誕200年を記念して、フェニーチェ歌劇場初の海外公演(即ち日本公演)が、東京・渋谷の道玄坂のオーチャードホールで行われたは、今年の4月半ばのことであったと記憶しております。
 演目は本作にも示されている通りの『オテロ』。
 即ち、イギリスが産んだ世界的文豪・シェイクスピアの戯曲『オセロー』を原作としたあの名曲。
 ヴェネツィアの将軍オテロと妻デズデーモナの愛と死の物語である。
 主役のオテロを演じたのは、現代イタリアのオペラ界が誇る名テノールのグレゴリー・クンデである。
 本作の作者・五十嵐きよみさんは、公演当日の4月17日の夜に、不逞の輩が出没して危険極まりない、あの渋谷の道玄坂までわざわざおみ足をお運びになられ、あのグレゴリー・クンデの一発芸に痺れたのでありましょうか?
 〔返〕  最前ゆ兆せる疑惑が肥大してオテロの脳裏を占めたる殺意   鳥羽省三


(ひじり純子)
一生は瞬くあいだの出来事とこの世を去るとき思うかどうか

 「思うかどうか」は、他ならぬひじり純子さんの重大事ではありましょうが、私にはトンと解かりませんので、これ以上の詮索は止しときましょう。
 それはそれとして、一般的なことについて一例を挙げて説明すれば、上掲の五十嵐きよみさんの御作中に登場する、あのオテロの場合でも、現在只今の自分自身の脳裏全体を占領している、「最愛の妻・デズデーモナに対する底知れない疑惑」が、煌めきながら生きて居る「一生のあいだ」の、ほんの「一瞬」の「出来事」でしかないのである。
 だが、人間という者は不幸なことに、その「一瞬の出来事」を「一瞬の出来事」として認識出来ないなまに、最愛の妻を殺戮してしまおうとまで思ったりもするのである。
 〔返〕  本作が例えば愚作だとしてもそれはそれまで一瞬の恥   鳥羽省三
 即興的な返歌の上でのことではありますが、ひじり純子さんには、真に失礼なことを申し上げてしまいました。
 何卒、お許し下さい。
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