臆病なビーズ刺繍

 臆病なビーズ刺繍にありにしも
 糸目ほつれて今朝の薔薇薔薇

『NHK短歌』鑑賞(坂井修一選・5月20日分・お黙りおやすみ分かってるから)

2012年07月19日 | 今週のNHK短歌から
[特選一席]

○  ちろちろと我が飼うへびの赤い舌お黙りおやすみ分かってるから   (横浜市)  横山美智子

 「わかってるから」だけでは、「我が飼うへび」とて何の事だかさっぱり解りません。
 いっそのこと、「もうじき私も入って行くから、お前は私のベッドの中に先に入って、大人しくして居なさい!」とまで、言って上げなさい。
 「ちろちろと我が飼うへびの赤い舌」という上の句が、鑑賞者の心を淫靡な想像に誘い、薄気味悪さを醸し出しながらも、魅力ある一首を成す要素となっているのである。
 〔返〕  ちろちろと我が陰を這ふ赤き舌私の彼は五尺の大蛇   鳥羽省三  ※陰(ほと)              


[同二席]

○  ニュートリノ光には勝てずまた舌を出してるだろかアインシュタイン  (目黒区) 南本禎亮

 相対性理論で知られた天才物理学者・「アインシュタイン」を印象付ける肖像写真は、彼の七十二歳の誕生日に撮られたと言い伝えられている、あの「舌出し写真」である。 
 昨年の9月に、「素粒子の一つであるニュートリノの速度が、光速を超えた」との発表がなされ、「あの天才物理学者にも間違いがあったのか?」との、有り難くない噂が立ち、アインシュタインの名声が、一夜にして崩れそうになったのであるが、その後の再実験の結果、「ニュートリノの速度が光速を超えているという発表は、実験装置の不備が原因の間違いであった」の訂正発表がなされて、一件落着の運びとなったのである。
 と言うことは、「あのアインシュタインの名声が、結果的には微塵も揺るがなかったことになり、あの天才物理学者が、天国に於いて、再びお得意の舌出しポーズをしているだろう」ということになり、取りも直さず、そのことが本作の趣旨でもある。
 数年来話題となっている「ニュートリノ」と「アインシュタイン」との組み合わせ自体には、格別なる新鮮さは見られないが、「アインシュタイン」を題材するに当たって、あの有名な「舌出し写真」に着目したことは、本作の作者・南本禎亮さんの手柄と言えましょうか?
 〔返〕  「ざまー見ろ!あっかんべー!」とばかりにお得意の舌出しポーズで仕返し   鳥羽省三


[同三席]

○  舌を切る老婆の役を貰いしが悲しかりける小一の冬  (カリフォルニア州) 石井志おん

 「舌を切る老婆の役を貰いし」時期、即ち「小一の冬」には、本作の作者・石井志おんさんは、未だ祖国日本に滞在していたのでありましょうか?
 小学時の学芸会で主役を貰い損ねて悔しがった記憶は、何方にとっても永久に忘れられない悲しい思い出となっているのでありましょう。
 かく申す私・鳥羽省三も、桃太郎劇の青鬼役しか貰えなかったのが悔しくて、学芸会当日、学校を無断欠席して街の盛り場をほっつき歩き、ぼんやりと野犬の交合を眺めていたことがあります。
 〔返〕  赤鬼は石屋のせがれの悪太郎猿と雉子とは鍛冶屋の双児   鳥羽省三


[入選]

○  注射器の水の雫に老い犬が舌を動かす我に抱かれて  (諫早市) 峰由美子

 本作の作者の峰由美子さんはペット専門の若い獣医さんでありましょうか?
 それとも、独り身の小学校の女性副校長先生でありましょうか?
 〔返〕  首筋の愛咬のあと消せざるも診察服の似合ふ梅ちやん   鳥羽省三


○  湿舌がペロリと舐めて列島の田圃に梅雨という宝物  (西海市) まえだいっぽ

 鎌倉三大将軍・源実朝の作に「時により過ぐれば民の嘆きなり八大竜王雨やめたまへ」という、降り過ぎた「梅雨」を「民の嘆き」として捉えて歌った作品がある。
 何事も程度問題であり、程々の「梅雨」は稲作農家にとっての「宝物」でありましょうが、程度を越えた「梅雨」は「民の嘆き」になるのでありましょう。
 先日来、九州地方を襲った梅雨の終わりの豪雨は、まさしく「民の嘆き」というべきでありましょう。
 〔返〕  蕎麦つゆの旨さが店の宝物信州辰野の万五郎そば   鳥羽省三

 
○  舌見せて茫洋と空仰ぎをり日本の春を生きる河馬たち  (桑名市) 佐藤浩子

 我が国の詩歌壇には、無類の河馬贔屓が居て、「馬鹿」を歌ったのでは優れた詩歌と評価されないが、「河馬」を歌うと、それだけで傑作として評価されるような傾向が無きにしもあらずである。
 そうした傾向を巧みに察知して、一躍「河馬ブーム」といった傾向を齎したのが坪内稔典氏の俳句であり、その代表句として知られている「正面に河馬の尻あり冬日和」「ぶつかって離れて河馬の十二月」「秋の夜の鞄は河馬になったまま」「万年の水のかたまり夏の河馬」「桜散るあなたも河馬になりなさい」「恋人も河馬も晩夏に腰おろし」「横ずわりして水中の秋の河馬」「水中の河馬が燃えます牡丹雪」などは、いずれも、「河馬」の大きな図体と優しく「茫洋」とした味わいのある風貌に着目しての作品である。
 本作中にも「茫洋と」という副詞が用いられているが、このことは、本作が坪内稔典流に連なるものであることの何よりの証明である。
 本作の表現について申せば、歌い出しの五音を「舌見せて」としたのは、やや遣り過ぎのようにも思われ、ここは素直に「口を空き」とするべきであるかと思われる。
 また、「日本の秋を生きる河馬たち」という下の句は、昨今の我が国の現状が現状であるだけに、広大なアフリカ大陸の湿地帯で自由に棲息していた「河馬たち」が、よりによって、大震災と津波と放射性物質の国「日本」の檻の中に繋がれでいなければならない悲哀が醸し出されていて、坪内稔典氏の句作の亜流を脱する秀句である。
 〔返〕  愛咬の痕も露はに今日もまた諸肌脱ぎで水撒く女将   鳥羽省三 


○  雨の日のお化けのやうな竹林はペロリ舌出しかぶさり来たる  (日進市) 植手芳江

 私の居住地である多摩丘陵の特色の一つとして挙げられるのは、家並の背後に鬱蒼とした「竹林」が見られることであり、折も折、梅雨の時期である現在は、本作に詠まれたような光景に至る所で展開されているのである。
 本作の作者・植手芳江さんの居住地である愛知県日進市には「竹の山地区」と呼ばれている区域が在るようですが、多摩丘陵同様に、日進市も亦「竹林」が多く見られるのでありましょうか。
 それにしても、「雨の日のお化けのやうな」という雨天の日の「竹林」についての直喩、そして、梅雨の長雨の為に重くなった笹の葉が道行く人の傘の上に被さって来るような光景を「ペロリ舌出しかぶさり来たる」とした擬人法的表現は、なかなか見事である。
 〔返〕  風の日は笹の葉さやさや呟いて妻なき男を寂しがらせる   鳥羽省三
 今月上旬から来月の半ばに掛けて次男の居住している川崎市宮前区鷺沼のマンションがリフォーム中であるが、昨日の午後、その工事の進捗状況を見るために出掛けたところ、マンション内の掲示板に訃報を知らせる紙片が貼られていた。
 次男の語るところに拠ると、お亡くなりになった方は彼の隣室に住む高齢者男性であるとか。
 偕老同穴の夫を失ったお婆さんのこれからの生活はどうなるのでありましょうか?
 また、葬儀はどのような形で営まれるのでありましょうか?
 〔返〕  笹の葉がささやくような語らいの聴こえる夜さえ時折りありき   鳥羽省三
 
    
○  飴玉を二つに割いて妹と舌に転がし遊びし昭和  (本宮市) 廣川秋男

 「飴玉を二つに割いて妹と舌に転がし遊びし昭和」などと言えば、「昭和」という時代がいかにも貧しかったような印象であるが、決してそんなことはありません。
 〔返〕  蛙の尻にストロー刺してお腹を膨らませて遊んだ昭和   鳥羽省三


○  今カノを紹介されて少しだけ舌がもつれたことのくやしさ  (仙台市) 成田智恵

 元カノとしては、決して彼に見せてはならない場面を見せてしまったことに因る「くやしさ」でありましょう。
 〔返〕  「元カノを紹介します!」と言われちゃいかなり慌てた昨夜のホテル   鳥羽省三
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一首を切り裂く(028:説・其のⅠの改訂版・九月の閉鎖病棟)

2012年07月14日 | 題詠blog短歌
(ひぐらしひなつ)
〇  読みさしのままの小説枕辺に伏せて九月の閉鎖病棟

 一昨日、このブログに丁重なるコメントをお寄せになった五穀米と仰る方からご教授賜ったことに拠ると、本作中の語「“閉鎖病棟”とは“精神病院”を指して言うのであり、“精神病院”には、“喫緊を要する患者”を収容し看護する“閉鎖病棟”と“療養的な意味を持つ”“開放病棟”の区別があり、本作中の“閉鎖病棟”とは、前者を指して言うのである」とか。
 記憶を新たにして言えば、作家の帚木蓬生氏が山本周五郎賞を受賞された小説のタイトルは『閉鎖病棟 Closed Ward』であり、その内容は、九州の、とある病院の精神科病棟(即ち、閉鎖病棟)に収容されている患者たちの明るく生きようとしている日々の暮し振りと、その途中で発生した殺人事件を扱った内容であったようだ。
 さすれば、本作の意は、「『読みさしのままの小説』を『枕辺に伏せて』『九月の閉鎖病棟』のベッドに臥している精神病患者」ということになりましょうか?
 それにしても、本作中の「机辺に伏せて」いる「読みさしのままの小説」とは、どんなタイトルの「小説」であり、その「小説」の作者は、何方でありましょうか?
 また、「読みさしのままの小説」を「枕辺に伏せて」「九月の閉鎖病棟」のベッドに臥している人物は、一体全体、如何なる理由に因って精神病者と判定され、「閉鎖病棟」に隔離されているのでありましょうか?
 そして、彼を「閉鎖病棟」を喫緊を要する精神病者と判定し、「閉鎖病棟」に隔離し、拘束している人物が棲息している社会とは、一体全体、如何なる社会でありましょうか?
 ここまで書いて来て、たった今、思い付いたことであるが、私たち、正常な精神状態にある者(“私たち、正常な精神状態にある者”などと殊更に取り立てて言えば、私・鳥羽省三が“正常な精神状態にある者”であるかのようにも推測されるのであるが、それは保証の限りではありません)の棲息している社会こそ、「閉鎖病棟」ならぬ「閉鎖社会」であり、現在、「閉鎖病棟」に収容されている患者たちを精神異常者と蔑視して「閉鎖病棟」に隔離している自称・健常者たちこそ、本来的には「閉鎖病棟」に隔離されるべき存在なのかも知れません。
 気の赴くままにさまざまなことを書き連ねて参りましたが、「読みさしのままの小説枕辺に伏せて九月の閉鎖病棟」とは、何と静謐感に満ちた表現でありましょうか。
 よくよく考えてみると、「読みさしのままの小説」を「枕辺に伏せて九月の閉鎖病棟」のベッドに横たわっていて、永久なる静謐を保っている精神病者たちこそ、真の意味の健常者と言うべきでありましょう。
 私は、一昨日、友人の北さん(北さんは、芸術で以て“村興し”を企ている島・香川県の粟島の半住民であり、考えようによっては、粟島こそは、北さんのような半住民たちにとっての“閉鎖病棟”みたいな存在である)と同行し、東京・上野の二つの美術館(東京都立美術館・国立西洋美術館)で、十七世紀・オランダ絵画の巨匠「ヨハネス・フェルメール」の傑作として著名な絵画『真珠の耳飾りの少女』と『真珠の首飾りの少女』を鑑賞して来たのであるが、「ヨハネス・フェルメール」が描く絵画の主題は「静謐感」であるそうだ。
 僅か方二尺余りに過ぎない古ぼけた額縁の中に収まっている二人の少女たちは、確かに静謐感に満ちた笑みを顔面に浮かべてはいたのであるが、それを観る為に、平日であるのにも関わらず、美術館の前に数時間も並び、首尾よく入場してからも、鑑賞する作品の前に立つ為に小一時間も押し合いへし合いしなければならない人々(その多くは、額縁の中に収まっている少女に数倍する年齢の、いわゆる“おばさん”たちであった)の目には、静謐感どころか血柱が立っていたのである。
 そこで、よくよく熟慮してみると、彼女たち(フェルメール作品の鑑賞者)こそ、本質的な意味での「閉鎖病棟」に隔離されるべき精神異常者なのかも知れません。
 〔返〕  耳飾りの少女が湛える静謐を乱すオバンの胡乱な眼差し   鳥羽省三
      首飾りの少女が纏う静謐を壊すオバンの狂気三昧
      耳飾りの少女に群がるオバサンの嗅ぐに耐えない化粧の匂い
      耳飾りの少女に見入るオバサンの嗅ぐに耐えない腋臭の匂い
      陽に焼けし“からんどりえ”を壁に掛け小中英之若き日を病む
      陽に焼けし“からんどりえ”を壁に貼り小中英之真夏日を病む
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『NHK短歌』鑑賞(来嶋靖生選・6月3日分・神様の涙だというドロップを)

2012年07月13日 | 今週のNHK短歌から
[特選一席]

○  涙さえ明るき春の味になる新玉葱を刻みておれば  (川西市) 原田洋子

 本作の評価は、偏に「新玉葱を刻みておれば」と「涙」との取り合わせをどう評価するかに掛かっているのでありましょう。
 遠慮無く評者の感想を言わせていただきますと、こうした予定調和じみた取り合わせは月並みな表現とも思われ、それほど高くは評価出来ません。
 〔返〕  三年味噌も明るい春の味になる新大蒜に付けて食べれば   鳥羽省三


[同二席]

○  堪へゐし涙のどつと溢れたり夫の病状を母に告げつつ  (武蔵野市) 平井千恵子

 「なんと夫思いで、なんとお姑さん孝行なお嫁さんですこと!」などと、つい、うっかり、皮肉の一つも言いたくなるような作品である。
 〔返〕  「つれ合わぬ、嫁さん貰ったせいかしら!」息子の死期の旦暮に迫る   鳥羽省三


[同三席]

○  ゆつくりと鏡に変はる夕暮れの列車の窓に映る涙目  (長野市) 原田浩生

 「ゆつくりと鏡に変はる夕暮れの列車の窓に映る涙目」は、何が原因で流す涙の故とも知れません。
 敢えて言うならば、本作の作者の原田浩生さんの目は、旅先の車中で夕暮れに出遭うと、極く自然に涙で曇るような仕掛けになっているのでありましょう。
 〔返〕  おセンチで乙女チックなやつでして日暮れになると涙を流す   鳥羽省三



[入選]

○  神様の涙だというドロップを口に含めば梅雨空の味  (茨木市) 山上秋恵  

 寡聞にして評者の私は、「ドロップ」と言えば「佐久間のドロップ」か「別所毅彦投手のドロップ」しか知りません。
 作中の「神様の涙だというドロップ」は、一体、何方の投げる魔球なのでありましょうか?
 そう言えば、昨今では「ドロップ」という言葉も聞かれなくなりましたが、かつての「ドロップ」を、今の球界では、何と呼んでいるのでありましょうか?
 〔返〕  神様の涙だというドロップの今の呼び名は縦のカーブだ   鳥羽省三


○  お互いの涙は見ないようにして夫と共に劇場を出る  (横浜市) おのめぐみ

 「お互いの涙は見ないようにして夫と共に劇場を出る」と言っておりますが、そんなことをしていたら、何の為に映画を観に行ったのか解らなくなるではありませんか?
 御夫婦がお揃いで映画を観に出掛けるのは、お互いに相手の優しさを確認して安心する為なんですよ。
 「なーんだ、あなたも涙を流していたのか!あの場面では、私も涙を流してしまったんですよ!私たち夫婦は二人とも優しい心の持ち主だったんですね!安心しました!」などと、「劇場」を出てから話し合って、再び二人の愛を確認する為なんですよ!
 おのめぐみさんよ、反省しなさい!
 〔返〕  お互いの瞳を見ながら確認す涙の量は愛の深さだ   鳥羽省三 


○  風出でてたわむ葉の露乱れ散り我がほほ濡らす涙のやうに  (千葉市) 宮古梨絵

 本当の事を言えば、宮古梨絵さんは「ほほ」を濡らして「涙」を流しているんですよ。
 本作は、それと無くそのことを述べているんですよ。
 〔返〕  風が出て胡椒の壜が倒れちゃい涙が流れてたまんないのよ   鳥羽省三


○  見せまいと思う涙が溢れきて用あり顔につと席を立つ  (日立市) 滑川皓一

 「用あり顔につと席を立つ」という心掛けが真に芳しく、これあることに因って、人は歌を詠み歌人と言われることにもなるのである。
 〔返〕  流すまいと思えど涙が流れ出てジャケットの袖を濡らしてしまった   鳥羽省三


○  太陽の涙のようなミカン食む空も海も青い瀬戸内  (岩沼市) 山田洋子

 一見すると、ただ単に瀬戸内海の景色を褒めているだけのような作品ではあるが、作者の居住地が岩沼市であるところから判断すると、本作も亦、あの大震災の惨禍を回顧しての作品でありましょうか?
 〔返〕  太陽の恵みのような牡蠣を食む島も翠の松島の海   鳥羽省三


○  続く続く瓦礫の道を走り抜け友を探せり陽は沈みゆく  (一関市) 須藤雄治郎

 本作こそは正真正銘の大震災の惨禍を詠った作品である。
 ところで、本作の作者は、「続く続く瓦礫の道を走り抜け」ただけで、「友」を探すことが出来るのでありましょうか?
 〔返〕  目を覆う瓦礫の山を掘り崩し友を探せりブルトーザーで   鳥羽省三
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『NHK短歌』鑑賞(花山多佳子選・6月10日分・液状化する人の波見ゆ)

2012年07月13日 | 今週のNHK短歌から
[特選一席]

○  終電の鏡の窓にぐにゃぐにゃと液状化する人の波見ゆ  (高石市) 金井広隆

 本作の作者・金井広隆さんがお住まいの高石市は、臨海部に巨大な石油コンビナートを擁する工業都市という性格と、内陸部が大阪市のベッドタウンという性格を備えた大阪府の泉北地区に位置する人口総数6万人の町である。
 高石市には、南海鉄道及びJR西日本の阪奈線が乗り入れ、市内には六つの鉄道駅が設置されているので、作中の「終電」とは、大阪市からの帰宅客を運んで来た深夜0時過ぎの電車と思われ、作者ご自身も、その「終電」の乗客の一人であると思われる。
 事の序でに、作中の「終電」の乗客たちについてもう少し拘泥してみますと、彼や彼女は、かつて「天下の御台所」と言われた大阪市内の職場で朝早くから夜遅くまで働いたり、遊んで来たりした人々であり、更に詳しく言うならば、その多くは、一日中、汗塗れ、涙塗れ、油塗れになって酷使されてきた若い男性社員や女性社員、立場上サービス残業をせざるを得なかったり、接待宴会の座に連ならざるを得なかったりした中間管理職クラスの中高年男性社員、更には、スナックや酒場などの夜の職場で、へべれけに酔い痴れた酔漢たちに胸部や恥部などをべたべた触られ、飲酒を強要されて来た綺麗なお姐さんたち、学校や職場などから解放された後、道頓堀や梅田などの盛り場をほっつき歩いて来た遊び好きの若い男女でありましょう。
 これらの老若男女の共通点はただ二つ、その一つは心底から疲労困憊していることであり、後の一つは、そのような生活から一日も早く解放されたい、と強く願っていることでありましょう。
 本作の作者の金井広隆の場合もその例外では無く、疲労困憊の極に達した彼の眼に映った「終電」の車内風景が「ぐにゃぐにゃと液状化する人の波」であり、虚ろな眼をした彼は、目の前の「終電」の窓に映っているそうした車内風景を目にした時、身体の底からしみじみと今日一日の疲れを感じているのでありましょう。
 〔返〕  終電の窓に映れる汝が顔のぐにゃぐにゃしててスケベたらしい   鳥羽省三
      終電の窓に映れる我が顔のぐにゃぐにゃしてて惨めたらしい


[同二席]

○  山道をのたうち走る巨木の根ひと息入れて眼鏡拭きたり  (生駒市) 西田義雄

 「のたうち走る」という言い方は評者としても初見であり、通常は「のたうち回る」という言い方でありましょう。
 また、仮に「のたうち走る」という変則的な言い方が許容されたとしても、それは「『巨木の根』が苦しみもがいて其処ら中に走り回っている光景」と解釈される可能性が大であり、作者の意図するところは、読者諸氏に充分に理解されないことにはなりませんか?
 〔返〕  けもの道をのたうち回るつちのこのひと息入れて沢水飲めり   鳥羽省三
      山道をのたうち回る山おんな息せき切って「助けて!」と云う
[同三席]

○  星よりも遠きところにある如し万華鏡から見える模様は  (茨木市) 山上秋恵

 「万華鏡」を逆さにして覗いた時に見み光景の印象を一首の歌にしたものでありましょう。
 〔返〕  手を伸ばし掴めるような花模様万華鏡から見える世界は   鳥羽省三
      手を伸ばし掴みたくなる星くずのしばしの後は崩れて夢か


[入選]

○  自家製のこわれかけたる望遠鏡帰省せし兄修繕しおり  (西之表市) 尾形之善

 「帰省せし兄」は、西表島に生い立った後に就学か就職といった事情に因って島を離れて生活をしているのでありましょう。
 その「兄」が久しぶりに「帰省」したのは4月末から5月初めに掛けての大型連休であり、折も折、5月21日の金冠月蝕、6月4日の部分月食、6月6日の金星の太陽面通過と続く、いわゆる「天体ショー」を前にした時期であったので、年端の行かない弟や妹たちの為に「自家製のこわれかけたる望遠鏡」を「修繕」していたのでありましょう。
 本作の作者の尾形之善さんは、その優しい「兄」の父親でありましょうか?
 〔返〕  賜物の望遠鏡を引き出して天体ショーに興じる子供   鳥羽省三
      お日様を望遠鏡で見てはダメ優しい兄を悲しませるな


○  母逝きし齢はるかに超えしいま鏡の中にも母は在さず  (高知県佐川町) 永田ヱミ

 本作の作者の永田ヱミさんは、かつては、佐川小町の評判の高かったお母様と瓜二つの美形であったのであるが、その「母」の「逝きし齢」を「はるかに超えしいま」となっては、その面影も無くなってしまった、と愕然としているのでありましょう。
 〔返〕  老ひたりと言へども何処か母に似て佐川小町の名残り薫れる   鳥羽省三


○  幼子は双眼鏡を逆に見て「かあさんがとおい、ぼくはさびしい」  (三原市) 岡村禎俊

 「よく出来た話」と言いましょうか?
 作為が気になる作品である。
 〔返〕  幼子は三面鏡の前に立ち「ぼくはイケメン!春馬にそっくり!」   鳥羽省三
      小三は双眼鏡を逆に見て「富士山は小さく!日本は狭い!」
 馬鹿馬鹿しくてやってられませんよ!


○  内視鏡入るがままにいつぽんの管そのものとなりて横たふ  (岐阜県池田町) 太田宣子

 ご自身の内蔵の中に入って行った「内視鏡」の行方を感覚的に捉えて詠んだ作品でありましょう。
 診察台に座らせられて、これから自分の小さな口から入って行って、自分の内蔵の中をいろいろと探索するに違いない「内視鏡」を目前にした時の驚きと、その「内視鏡」が実際に自分の身体の中に入って行った時の、「心配していた程の事は無かった!」という思いとの感覚の違いが表現されているのでありしょう。
 〔返〕  麻酔とは恐ろしいもの!あの太い内視鏡さえするりと飲み込む!   鳥羽省三


○  現実は鏡の中と思わせてじわりと拡がる春の黄昏  (足利市) 茂呂田誠

 「現実は鏡の中と思わせてじわりと拡がる」のは、「春の黄昏」だからなのである。
 これが「夏の黄昏」や「秋の黄昏」や「冬の黄昏」であったならば、感覚的にはかなり違って来ることでありましょう。
 〔返〕  現実はゴビの砂漠と思わせてじわりと寄せ来る夏の黄昏   鳥羽省三
      現実はタイガの森と想わせてびりりと罅割れる冬の黄昏


○  多面体の鏡となれるビルとビルひとつの雲を受け渡しする  (宇都宮市) 木里久南

 「ひとつの雲を受け渡しする」とは、まさしく真昼のビル群のガラス張りの壁面の光景を、よく観察し得た光景かと思われる。
 〔返〕  一面の鏡となれる飾りまど佇む汝を美しくする   鳥羽省三
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『NHK短歌』鑑賞(坂井修一選・6月17日分・王将守る駒が飛び交ふ)

2012年07月06日 | 今週のNHK短歌から
[特選一席]

○  花終へし桜並木の青葉陰王将守る駒が飛び交ふ  (大分市) 佐野弘一

 桜花爛漫の頃は、屋外での遊びに興じるには風が少し冷た過ぎる。
 そこで、花が散り、葉桜の頃ともなると、町内のあちらこちらの桜青葉の陰で縁台将棋が展開されるのである。
 ところで、一口に縁台将棋と言ってもそのレベルはピンキリであり、「王将守る駒が飛び交ふ」ならまだ宜しいが、「飛車を守れる駒が飛び交ふ」或いは「香車を守る駒が飛び交ふ」という場面も見られるのである。
 〔返〕  葉漏れ日の縁台将棋のきりも無く午前になつてもまだ続きをり   鳥羽省三
      裏店の縁台将棋の果ても無く燭を灯してまだ続きをり


[同二席]

○  百年の屯田開拓語り継ぎどろのき巨木ぼうぼうと鳴る  (北見市) 浅野昭久

 作中の「どろのき(ドロノキ)」は、「ヤナギ科・ハコヤナギ属」の落葉高木であり、別名「ドロヤナギ・ドロ」などとも呼ばれているが、川岸や河川敷などの湿地帯を好んで生え、木質が柔らかいので用材としては殆ど役に立たないことから、このような蔑視的な名称で呼ばれるようになったものでありましょう。
 ところで、本作の作者・浅野昭久さんの居住地は北海道北見市であり、北見市は、一級河川の常呂川及びその支流の訓子府川・無加川などの流域に在るので、「どろのき」の「巨木」が、冬の河川敷の強風に煽られて「ぼうぼうと鳴る」光景を見ることもそれほど珍しくないものと思われる。
 北海道開拓の歴史に関心を寄せている本作の作者は、居住地たる北見市の河川敷や湖沼の畔などに生えている「どろのき」の「巨木」が、北端の地に吹く冷たい風に煽られて「ぼうぼうと鳴る」光景に接し、その激しい風音を、恰も「百年」に亘る「屯田開拓」の歴史の苦労話を「語り」継いでいるかの如く感じたのでありましょう。
 〔返〕  無加川の川面に臨む泥柳屯田兵の労苦を語れ   鳥羽省三
      開拓の苦労話をするごとくドロの巨木のぼうぼうと鳴る  


[同三席]

○  首伸ばし火星の陰の木星を見ているようなキリンの瞳  (岩沼市) 山田洋子

 仙台市の八木山動物公園の「キリン」の首の長さが、せめて東京スカイツリーの高さ程度であったならばまだしも、あの程度の長さでは、どのように遣り繰りしても、「キリンの瞳」に「火星の陰の木星」の姿が映るはずはありません。
 しかし、本作の作者としては、「キリンの瞳」の澄み切っている有様を観ている時には、あの「キリン」は一所懸命に首を伸ばし、澄んだ「瞳」を更に澄ませて、「火星の陰の木星」を「見ている」ように感じたのでありましょう。
 〔返〕  首集め選挙に有利な党名にしようと語らう小沢の一党   鳥羽省三
      ちびっ子のやわら議員も首伸ばし日本の未来を夢見るかしら


[入選]

○  鴎外を傍らにして寝転びぬ我を斑に葉桜の陰  (京都市) 渡邊健紀

 本作を読みながら、不肖・私は、短歌の鑑賞者にあるまじき胡乱な考えに陥ってしまったことを、此処に告白しなければなりません。
 と申すのは、私は本作を「『鴎外』の著書を『傍ら』に置いて『寝転』んだ私の全身を『斑』に染めて『葉桜の陰』が射している」いった意に解しながらも、作中に登場する「鴎外」なる人物は陸軍の軍医総監という役職に在った軍国日本の巨魁であり、彼の著書を側らに置いて寝転んだ本作の作者の全身が「葉桜の陰」によって「斑」模様に染められたとするならば、それは、兵士の象徴たる迷彩服を着ているような状態になってしまったようにも思い、それに拠って、明治の文豪・森鴎外のもう一つの側面・即ち「日露戦争」に軍医として参戦したことを感じ、それと同時に戦争の惨禍をも感じてしまったからであります。
 こうした点については、恐らくは、本作の作者・渡邊健紀さんが予想だにしなかったことであろうと思われ、短歌の深読みの弊害とも申せましょう。
 〔返〕  「森林太郎墓」とのみ刻まれて津島修司の側に眠れる   鳥羽省三 


○  鉄筋の校舎の陰に残りゐる木造校舎の屋根の輝き  (大津市) 坂田紀子

 昭和の遺物たる「木造校舎の屋根」が、「鉄筋の校舎」のそれと比較して、格別な「輝き」を発揮する理由はありません。
 したがって、仮に、作者の眼にそのように見えたとするならば、それは、骨董的な存在に片寄せしているが故の、作者の心理的な錯覚と申せましょう。
 〔返〕  娘らと肩を並べて佇つ時の坂田紀子の顔の輝き   鳥羽省三


○  たから箱を開けるがごとき始業式二年一組三十五人  (各務原市)  堀田桂子

 思うに、公立小学校の教師と思われる堀田桂子先生は、新学期になって新たに担当する「二年一組」の児童たち「三十五人」が、一体全体、どんな顔ぶれなのだろうか?と、心中密かに心配していたのでありましょう。
 ところが、この場面に於いての作者は、そうした心中の心配事をおくびにも出さず、「たから箱を開けるがごとき始業式二年一組三十五人」と、さらりと詠いのけているのである。
 ということは、本作の作者・堀田桂子先生こそは、「期待される教師像」に合致する人物であり、大阪市長閣下とも気が合うような存在なのかも知れません?
 少し“褒め過ぎ”、或いは“ふざけ過ぎ”のような感じのする鑑賞文になってしまったかも知れませんが、その点についてはご容赦下さい。
 〔返〕  児童たち三十五人に母が居て三人くらいはモンペであるかも   鳥羽省三


○  緑陰は我が銀河なり木漏れ日を星屑のごと足に散らして  (新潟市) 長谷川和司

 本作の作者・長谷川和司さんは、「緑陰」に身を潜めて読書中なのでありましょうか?
 だとしたら、長谷川和司さんは、「木漏れ日を星屑」のように「足に散らし」て「銀河」に横たわっている“知性の神”にでもなったような気分に浸っているのでありましょう。
 〔返〕  濡れ縁は我が思索の場葉漏れ日を日がな一日浴びて歌詠む   鳥羽省三


○  二十四人生徒は皆な高齢者古語辞典の陰虫めがねある  (笛吹市) 古村ますみ

 題材となっているのは、かなり古ぼけた「二十四の瞳」ならぬ「二十四人」の「生徒」である。
 その「二十四人」の「生徒」さんたちを相手に、本作の作者・古村ますみさんは、「枕草子鑑賞講座」といった内容の、古典文学講座を開講しているのでありましょうか?
 〔返〕  老いたりと云へども瞳は四十八一語一語を忽せにせず   鳥羽省三


○  草陰にひからびてゆく冒険心とかげのしっぽは小さく光る  (綾瀬市) 高松紗都子

 正直に言って、作者の意図するところがよく解りません。
 思うに、若き頃の高松紗都子さんにとっては、人の気配を感じて「草陰」に逃げて行こうとする「とかげのしっぽ」を捕まえようとすることさえもささやかな「冒険心」であったのであるが、老境に達した今となっては、そのささやかな「冒険心」すら「ひからびて」しまったような気がする、という意味でありましょうか?
 〔返〕  歳ごとに募り行くのは保険心諍ひごとに口出しをせず   鳥羽省三
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『NHK短歌』鑑賞(来嶋靖生選・7月1日分・窓しめやかに春の雨ふる)

2012年07月05日 | 今週のNHK短歌から
[特選一席]

○  母の手術同意書まへに眼鏡拭ふ窓しめやかに春の雨ふる  (伊勢市) 川口明代

 「窓しめやかに春の雨ふる」という下の句に、「手術」を受ける者(=母)の娘としての万感の思いが込められているのでありましょう。
 「手術は成功するだろうか?」という思い。
 「開腹してみたら意外に病巣が深く、母の命が空しくなってしまうのかも知れない?」という思い。
 「いやいや、これから季節がますます温暖になって行くばかりだから手術は必ず成功し、母は再び元気になるに違いない!」という思い。
 と言った、さまざまな思いに浸りながら、本作の作者は、病院の「窓」や街路を「しめやかに」濡らして降る春雨のしっとりとした雨音と緩やかな空気の流れを身体全体で感じながら「母の手術」の「同意書」に署名をするべく、「眼鏡」の曇りを拭っているのでありましょう。
 〔返〕  同意書に川口明代と記すとき我が胸中のかすかな湿り   鳥羽省三
      病窓を濡らして降れる春雨の音しめやかに母に寄り添ふ

    
[同二席]

○  廃品のテレビは空き地に積まれゐて複眼のごと青空映す  (阿南市) 森岡圭子

 繁茂する雑草もろともに「空き地」に野積されている「廃品のテレビ」。
 その一台一台のガラス画面は、まるで昆虫や魚の「複眼」のような感じであり、其処にはそれぞれ、折からの春の「青空」がくっきりと映し出されているのである。
 「複眼のごと」という直喩に拠って、「廃品のテレビ」が液晶以前の旧型であることが分かる。
 〔返〕  雲を映し空を映して原っぱに野積されてる廃品テレビ   鳥羽省三
      原っぱに打ち棄てられたテレビには大島優子の生足映らず
      原っぱに打ち棄てられたテレビにも大島優子の生足映る   


[同三席]

○  閉じた眼に振り子時計の刻む音昭和の居間の家族が見える  (和歌山県有田川町) 上門善和

 「閉じた眼」であればこそ、「振り子時計の刻む音」に拠って、「昭和の居間の家族が見える」ということでありましょうが、やや安易な連想ゲームみたいな感じがしないでもありません。
 〔返〕  眼を閉じて振り子時計の音を聴く父祖伝来のからくり時計   鳥羽省三
      塞ぎ込む心に響く半鐘が八百屋お七を修羅場に誘ふ 


[入選]

○  二の腕で眼に流れ入る汗払い鍬振り上げて甘藷を刈り取る  (那覇市) 諸見武彦

 農具や農作業の習俗は、同じ国内と言えども地方によって大きく異なっているのである。
 察するに、沖縄地方では「甘藷」つまりサトウキビの刈り取り作業に「鍬」を用いるのでありましょう。
 また、「二の腕で眼に流れ入る汗払い」という上の句から連想される事柄は、サトウキビ(甘藷)の刈り取り作業が行われる二月から三月という時期でも暑い、沖縄という土地柄と、その暑さにもめげずに「鍬」を「振り上げて甘藷を刈り取る」、沖縄のサトウキビ農家の逞しい男性像である。
 〔返〕  振り下ろす鍬に染み付く甘き香にウチナンチューのこころ和みぬ   鳥羽省三
      汗拭いまた鍬を振り薙ぎ倒すサトウキビの香甘きその香よ


○  あちらでの暮らしに不便なきやうに眼鏡添へたり夫の棺に  (由布市) 近田千津子

 「あちらでの暮らしに不便なきやうに」という上の句は、亡き「夫の棺」を前にして詠んだ挽歌とも言えるこの一首に、言うに言われぬような飄逸な味わいを付与すると共に、作者・近田千津子さんの悲しみの情をも充分に表現するものである。
 〔返〕  こちらでの暮らしを早晩切り上げて追っ付けわたしも駆け付けますよ   鳥羽省三
      眼鏡また万年筆に一缶の両切りピースを柩に入れる


○  眼入りの端渓硯の彫深し摺れば黒にも彩りのあり  (浜松市) 鈴木利定

 上の句中の「眼入り」及び「彫深し」という語句と共に、「摺れば黒にも彩りのあり」という下の句の表現が、「端渓硯」に相応しい風格を与えているのである。
 〔返〕  眼入りの端渓硯の墨濃くて書くに書けない三行半を   鳥羽省三
      眼入りの端渓硯の墨の濃し記すに堪えぬ三行半は     ※三行半(みくだりはん)


○  持病あればゆっくり眼をあけ天井のまわらないこと確かめ起きる  (下呂市) 水谷美代子

 本作を目前にして、たった今、ふと思い付いたことですが、今から十数年前、未だ教育現場に居た頃の私は、本作に示されているような暮しぶり、即ち「持病あればゆっくり眼をあけ天井のまわらないこと確かめ起きる」といった日々を送っていたような気がしました。
 年齢が年齢ですから、あの当時の私の健康状態は、今の私のそれよりかなり良かったに違いないとは思われますが、「人間は気持ちの持ちようである」などという言い古された言葉を反芻しながら、只今、七月五日の午前三時三十四分、そんなことを思いながら、私はこの記事を書いて居ります。
 〔返〕  余命有れば今朝もむっくり起き上がり一首を切り裂き歌評書いてる   鳥羽省三


○  にこやかに迎へくれしは写真のみ兄なき今の実家は遠し  (川崎市) 柚木皖子

 本作を目の前にして、ふと思い出したのであるが、作中の「実家」の「実」の対義語は「虚」である。
 だとすれば、「実家」即ち、作中の女性の「生家」の対局に在るのは「虚家」と言わなければならない。
 「女は三界に家無し」という言葉は在るが、世の女性にとっては、夫や我が子と共に暮らす現在の家は、永久に「虚家」に過ぎないのでありましょうか?
 〔返〕  にこやかに迎へくれしは兄の妻香典しこたま袋に入れた   鳥羽省三


○  隅の地になかなか二眼を作れずに父との対局また負けるわれ  (清瀬市) 波多野浩子

 「作れずに」と言うよりも「作らずに」と言った方が宜しいのかも知れません。
 本作を鑑賞しながら思い出されてならないのは、今から半世紀も前の出来事である。
 ある晴れ上がった冬の午後、その頃、還暦を過ぎていた父親が私と弟の史朗を相手に降り積もっていた雪を踏み固めて作った土俵で相撲を取ったのである。
 ところが、その頃、成人に達していた史朗が、老境に達していた父を遠慮会釈無く土俵の上に叩き付けたのである。
 それに反して私はと言えば、十数番に及んだ父との勝負にただの一度も勝てなかったのである。
 いや、「勝てなかった」と言うよりも「勝たなかった」のである。
 〔返〕  隅の地に決して二眼を作らずに父の笊碁に負けたる娘   鳥羽省三
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『NHK短歌』鑑賞(来嶋靖生選・5月6日分・さくらはなびらまたひとつ散る)

2012年07月02日 | 今週のNHK短歌から
[特選一席]

○  言い足らぬ言葉のように間を置きてさくらはなびらまたひとつ散る  (阿南市) 木内照代
[同二席]
○  ペタルから足をはなせば海風と私だけの春の坂道  (さいたま市) 中込有美
[同三席]
○  父母も夫も在らねば迷いなく湯上りの夜更け足の爪切る  (西宮市) 竹村晴子
[入選]
○  娘らの襟足春の陽に透けて羽化をはじめる蝶々のごとし  (朝来市) 高橋久美江
○  やはらかく燃え立つ藁の火の中に足あぶりをり藺草植ゑ来て  (西宮市) 大谷睦雄
○  亡き母の足の形に窪みたる草履をはいて朝の庭掃く  (富士宮市) 林 充美
○  除染するしないの議論白熱し町内会の足並み乱る  (福島市) 児玉正敏
○  納棺師の指示に従い履かせたる脚絆の下の足の冷たさ  (仙台市) 石井千恵子
○  積りたる雪やわらかに解け始め布織るように春の近づく  (札幌市) 小西和子  
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