臆病なビーズ刺繍

 臆病なビーズ刺繍にありにしも
 糸目ほつれて今朝の薔薇薔薇

一首を切り裂く(018:準備・其のⅠ・いわゆる準備期間が長すぎて)

2011年10月31日 | 題詠blog短歌
(tafots)
○  いわゆる準備期間が長すぎて寿命のほうが先に尽きそう

 「いわゆる一流大学出」「いわゆるインテリ」「いわゆる良家」「いわゆるお嬢様」「いわゆる歌人」と、昨今の世の中は「いわゆる」付きの時代であり、つい先日も、「いわゆる御曹司」の巨額賭博資金の借り入れ問題が明るみに出たばかりである。
 ところで、本作の作者の言うところの「いわゆる準備期間」とは、慶応義塾幼稚舎のお受験の準備から始まり、私立中学受験準備、高校及び大学の受験準備、就活、婚活、更には終活に至るまでの「いわゆる準備期間」を指して言うのでありましょう。
 かく申す私なども、終活をしなければならない年齢に達しながら、「一首を切り裂く」という大袈裟なタイトルで極めて低級な文章を書こうとしているのであるが、その準備に要する時間は馬鹿になりません。
 「題詠2011」も「いわゆる」佳境に入り、これからの二ヵ月間、私は目一杯の努力をして何方にも読んで貰えないような文章を書かなければなりません。
 「寿命のほうが先に尽きそう」とは、私の事を言っているのでありましょうか?
 〔返〕  いわゆる付き短歌ばかりの中に在り本作などは「いわゆる佳作」   鳥羽省三


(西中眞二郎)
○  ごみ捨て場のパイプ組まれて公園は花見の準備整えており

 さすが西中眞二郎さんである。
 千鳥ヶ淵公園で、霞が関のお役人方がお「花見」をする為には、東京都土木部公園課に出入りの業者の下請けたちがあれこれと準備をしなければならず、その手順の最初は「ごみ捨て場のパイプ」を組むことである、という訳でありましょう。
 〔返〕  ほどほどのところで止めて帰りなさい千鳥ヶ淵の河童は怖い    鳥羽省三
      酔いどれて千鳥ヶ淵に飛び込んで溺れた馬鹿なノンキャリも居た   


(オリーブ)
○  堕ちていく準備はいまだできぬまま しずかに正す制服の裾

 都内ならば、女子御三家の“桜蔭”“女子学院”“雙葉”に加えて“お聖心”“渋渋”“青山”“学習院”“慶応女子”などさまざまであり、横浜には“横浜雙葉”“横浜共立”“フェリス”の女子御三家が在る。
 「堕ちていく準備はいまだできぬまま」「制服の襟」を「しずかに正す」のは、何処のお嬢様でありましょうか?
 〔返〕  渋きまま摘まれもせずに堕ちて行くセーラー服のオリーブ嬢よ   鳥羽省三

今週の朝日歌壇から(10月24日掲載・其のⅣ・就活が漂白しゆく)

2011年10月30日 | 今週の朝日歌壇から
[高野公彦選]

○  就活が漂白しゆく午後五時の蜜色の町愛づる心を  (東海市) 成田真帆

 この頃、お隣りの奥様・今西和代さんが黒いスーツを着て買い物にお出掛けになられるので、大変失礼ながらお訊ねしてみた。
 「イオンに買い物に行くのに、スーツをお召しになってお出掛けになるとは驚きました。イオンと今西さんのお宅とは、スーツをお召しになって行き来しなければならないような特別な関係があるのですか?」と。
 すると、和代さんはにっこりと笑って、「まあ、鳥羽さんのご主人様ったら、そんなとこまで見てらしたんですか!恥ずかしいわ!歌なんかお詠みになられる方を隣人に持つと本当に油断がなりませんね!困っちゃうわ!実はね、この服は娘の就活服なんですの!ご存じの通り、私んとこには娘が三人も居て、一昨年、上の娘が青山学院大学を卒業する時に、冬から夏に掛けて六ヵ月ほど就活をしましてね。就活服にも、厚手の冬用と薄手の夏用があるんですが、今、私が着ているこの服は夏用の薄手なんですよ!今年、双子の下の二人が大学を、一人は立教、もう一人は横浜国大を卒業する予定になってまして、私は、その二人の娘のどちらにとも無く、『お姉ちゃんがこの服を着て、就活をして上手く行ったんだから、この服はとても縁起の良い服じゃないかしら?サイズもあなた方にぴったりだし、それほど色も褪めていないから、あなた方の中のどちらでもいいから、この縁起の良い服を着て、就活したらどうかしら。それに新しいのを買うのも、なんか勿体ないわ!』と、二、三回ほど勧めてみたんですけど、どちらの娘も、“型が古い”とか“センスがイマイチ”とか、生意気なことを言い張って着ようとしなかったんですよ。それでね、私がお出掛けする時にこの服を着て行くようになったんですよ。私のサイズは三人の娘とぴったりですから、着ることにしたんですが、やはり、どこか変なところがあるんですかね!おほほほほ」と答えたのである。
 そこで、私は、「いいえ、どこも変なところはありませんよ。それにお母さんが二十代前半の三人の美しい娘さんたちとサイズがぴったりだなんて、うちの家内が聞いたら、びっくりして嫉妬心をむらむらと燃やすに違いありません。お疲れになっておられたところを呼び止めて、真に申し訳ございません。それでは失礼致します」と言って、慌てて我が家の生垣の下の草取りをまた始めた次第でした。
 例の如く、長々と無駄話をしてしまいましたが、そろそろ本題に入りましょう。
 この暑い最中を、一日中、厚ぼったい就活服を着て会社回りをして迎えた「午後五時」、本作の作者・成田真帆さんは「就活が漂白しゆく」と感じたのである。
 「就活が漂白しゆく」とは、一体、どんなことを言おうとしているのか?
 「就活」が上手く行きそうな感じである、と言おうとしているのか?
 絶望的である、と言いたいのか?
 作者の成田真帆さんはそれ以上のことを何も仰っておりませんが、作中の三句目・「午後五時の」に続く四、五句目の“七七句”「蜜色の町愛づる心を」は、上句中の語「漂白しゆく」と共に、その謎を解く手掛かりになりそうな気がする。
 「漂白しゆく」とは、“色が褪せて行く”という意味であるから、少なくともそれには“成功感”は伴わず、むしろ、その対極にある“徒労感”乃至は“失望感”を伴っているのでありましょう。
 即ち、本作の作者・成田真帆さんは、この猛暑の最中に、あの厚ぼったく真っ黒い就活服を身に纏い、あちこちと会社回りをしたのであるが、何れの訪問先からも色よい返事を貰えないままに「午後五時」という夕焼け時を迎えたのである。
 彼女の心の中は「漂白」されて失意のどん底状態に在るのであるが、時刻は「午後五時」即ち夕焼け時であるから、彼女が彷徨っている「町」には、夕暮れの「蜜色」の気配が漂っているのであり、彼女の灰色の心の中にも、その「蜜色の町」の気配に包まれているような感覚を覚え、その光景に安らぎを覚え、親しみを感じたのでありましよう。
 「眺望は人を養う」と仰ったのは、あの優れた詩人・大岡信氏でありましょうか?
 私は、この言葉を、八年間の田舎暮らしをしていた折りに通い慣れた、ある循環器内科医院の待合室の壁に掛かっていた大岡信氏の色紙を見て、深く感じるところがありました。
 眺望というものは、まさしく人間の心を癒し養うものでありましょう。
 本作の作者・成田真帆さんも亦、「午後五時の蜜色の町」の眺望に心をお寄せになり、癒され、養われ、明日からの「就活」に再びファイトを持って臨まれるのでありましょう。
 ところで、今から十数年前、我が家の長男も亦、人並みの就活服に身を包んで、会社訪問を遣っていたように記憶しておりますが、あの就活服は、私の連れ合い・翔子が見立てて購入してやったものであったのでしょうか?
 それとも、長男自身が、“丸井”か何処に一人で出掛けて買ったのでありましょうか?
 この優れた作品を鑑賞させていただいて、ふと、そんなどうでもいいことまで考え込んでしまいました。
 〔返〕  終活の一環として今朝もまた灰色の部屋でブログの更新   鳥羽省三  


○  夫と入る蔦の葉赤き美術館ローランサンの少女に逢ひに  (宇治市) 山本明子

 「蔦の葉赤き美術館」と言えば直ぐに思い出されるのは、“メルシャン軽井沢美術館”でありましょうか?
 それとも、倉敷市の“大原美術館”でありましょうか?
 「ローランサンの少女」と言えば、長野県の蓼科には、そのものずばりの“マリー・ローランサン美術館”というローランサン専門の美術館が在り、あのローランサン特有のパステルカラーの「少女」たちが、私の訪れるのを待ち焦がれているはずであったのですが、今年の九月一杯で同美術館は廃館とのことである。
 これから先、あの淡い印象の「少女」たちは、一体、何方のコレクションに納まるのでありましょうか?
 本作について申せば、「夫と入る⇒蔦の葉⇒赤き⇒美術館⇒ローランサンの⇒少女に⇒逢ひに」と、あまりにも世俗的な道具立てを揃え過ぎたような感じが否めません。
 でも、この広い世の中には、「蔦の葉」と言えば「赤き」、「蔦の葉赤き」と言えば「美術館」、「美術館」と言えば「ローランサン」、更には、「美術館」に一緒に行くのは、「夫」か“恋人”と決め付けているような風潮も見られるので、こうした作品が大量に再生産されるのも、致し方の無い現実でありましょう。
 つまるところは、私がこうした作品を好きになれない、というだけのことでありましょうか?


○  フェルメールに会いにゆく朝首筋に一滴一滴香り纏いて  (福山市) 金尾洵子

 “ローランサンの少女に逢ひに”の次には、「フェルメールに会いにゆく」である。
 しかも、「首筋に一滴一滴香り纏いて」とまで、俗な事を仰るのである。
 こうなれば、作者と言うよりは、選者の高野公彦氏の趣味に問題でありましょう?
 西洋絵画を題材にした、上記の二首の作品には、“言葉と言葉とのショッキングで新鮮な組み合わせ”といった、短歌作品として積極的に評価出来る要素は殆ど見られず、ただ単に、詠み慣れた作者が詠み慣れた手法で、“五七五七七”を揃えているだけのことである。
 高野公彦氏ともあろう選者が、かかる作品を入選作として称揚するのは如何と思われます?
 〔返〕  首筋にメンソレータムをこってりと塗り付け今朝も草刈りに行く   鳥羽省三  

 
○  宇宙から猫を識別するという時代にあれどあなたがあわい  (垂水市) 岩元秀人

 作中の「あなた」とは、記憶が薄れて行くばかりのかつての恋人、しかも今は亡き人でありましょうか?
 それとも、昨夜、身体を重ねたばかりの女性のことでありましょうか?
 鹿児島県垂水市の岩元秀人さんと言えば、“馬場あき子選”の入選作「もうちょっと楽しいことを思えよとパンチ人形起き上がりくる」とか、10月17日の“馬場あき子選”の「信号の赤も熟れゆく夜なれば淡き記憶の実を摘みにゆく」といった作品の作者として、私の記憶に新しいのであるが、三首とも仕掛けに目新しいところが在り、好感の持て、これからも大いに期待される作者と言えましょう。
 手慣れた手法や常套的な言葉の運びで以って一首を仕立てようとしないのが、この作者の優れた持ち味でありましょうか?
 〔返〕  昨日の夜慰め合った仲なのに一夜過ぎれば貴女は淡い   鳥羽省三


○  辺見じゅんさんの訃報の届くこの夕べ衛星は地球に落下するとふ  (宇部市) 伊冬みなお

 上記、岩元秀人さんの作品を採った序でに、同じ「衛星」関係ということで、本作も亦、入選の運びとなったのでありましょうか?
 評者の感想を述べさせていただきますと、「辺見じゅんさんの訃報」と「衛星」の「地球」への「落下」とを結び付けるのは、やや“こじ付け”に過ぎると思われ、好感を持てません。
 〔返〕  NHK短歌の選者を辞めたあの日より幾許も無く失せし辺見さん   鳥羽省三

 
○  病みいてもハモニカを吹く力あり「ふるさと」「アリラン」つづけて吹きぬ  (大阪府) 金 亀忠

 老いて尚「ふるさと」も「アリラン」も忘れず。
 昨今は、金亀忠さんも“朝日歌壇鑑賞会”で取沙汰されなくなりましたが、御作を鑑賞することは、私の余生の楽しみの一つでもありますから、一日も早くお元気になって下さい。

 朝鮮民謡『アリラン(아리랑)』の原詞及び日本語訳

      原詞
   아리랑 아리랑 아라리요
   아리랑고개로 넘어간다
   나를 버리고 가시는 님은
   십리도 못 가서 발병난다

   아리랑 아리랑 아라리요
   아리랑 고개로 넘어간다
   청천하늘엔 별도 많고
   우리네 가슴엔 꿈도 많다

   아리랑 아리랑 아라리요
   아리랑 고개로 넘어간다
   저기 저 산이 백두산이라지
   동지 섣달에도 꽃만 핀다
   
     日本語訳
   アリラン アリラン アラリヨ
   アリラン峠を越えて行く
   私を捨てて行かれる方は、
   十里も行けずに足が痛む。
   
   アリラン アリラン アラリヨ   
   アリラン峠を越えて行く
   晴れ晴れとした空には星も多く、
   我々の胸には夢も多い。
   
   アリラン アリラン アラリヨ
   アリラン峠を越えて行く
   あそこ、あの山が白頭山だが、
   冬至師走でも花ばかり咲く。
 
 〔返〕  星も出ず花も咲かない大阪で汝は幾年「アリラン」を吹く   鳥羽省三
    

○  誕生日夫が忘れしこんな日はバス旅パンフレット一人眺むる  (西宮市) 田中洋子

 女性に年齢をお聴きするのは、大変失礼なことと言われておりますが、本作の作者・田中洋子さんは、一体、何歳におなりになられたのでありましょうか?
 私・鳥羽省三などは、妻の翔子がまだ30代の頃から、彼女の「誕生日」のことなど一切気にせず、勝手に酒場歩きをしていたものでした。
 「誕生日夫が忘れしこんな日はバス旅パンフレット一人眺むる」とは仰いますが、是を以って“女々しい”と申すのでありましょう。
 〔返〕  ご勝手に津和野辺りに出掛けたら!パンフレットなど眺めたりせず   鳥羽省三


○  はじめてのこうしきせんでシュートしたおい風味方に決めたぞゴール  (笠間市) 高野真気

 「こうしきせん」は「公式戦」と、「おい風」は「追い風」と漢字でまともに書きましょう。
 高野真気くんは、双子の姉さんの高野花緒さんと一緒に、短歌を詠むという小学校での教育課程とは懸け離れたことをなさっているのでありますから、作品の表記についても、漢字表記する場面では小細工をせずに漢字表記しましょう。
 〔返〕  公式戦と言うも大袈裟サッカーのクラブ対抗ゴールを決めた   鳥羽省三  


○  ときょう走2位のわたしと1位の弟でもまあいいかしょう品同じ  (笠間市) 高野花緒

 「ときょう走」は「徒競走」と、「しょう品」は「賞品」と漢字でまともに書くべきである。
 高野花緒さんは、双子の弟の高野真気くんと一緒に、短歌を詠むという小学校での教育課程とは懸け離れたことをなさっているのでありますから、作品の表記についても、漢字表記する場面では小細工をせずに漢字表記しましょう。
 〔返〕 姉が2位弟が1位の徒競走 他の児童はやってなれない   鳥羽省三  

今週の朝日歌壇から(10月24日掲載・其のⅢ・タマが戯れ付く神無月かも)

2011年10月29日 | 今週の朝日歌壇から
[佐佐木幸綱選]

○  ゆったりと猫追う母の小さき背音もなく秋深まりゆけり  (さいたま市) 五十部麻

 「母」と言えば「小さき背」との固定したイメージ。
 その固定的なイメージ即ち常套的な表現と、これ亦それ以上に常套的な表現、即ち「音もなく秋深まりゆけり」という“七七句”とを連ねて、季節の深まりを歌う佳作を詠み得たと自認するならば、本作の作者・五十部麻さんの短歌観は余りにも月並みだ、と言わなければなりません。
 作者個人の表現欲を満たすには、それで十分かと思われますが、本作が我が国の短歌史に寄与する点が少しも見当たらないことを思うと、この作品が“佐佐木幸綱選”の首席作品として掲載されていることに対して、一抹の寂しさを感じざるを得ないのである。
 新聞歌壇に投稿される作品は、所詮、その程度に過ぎないのでありましょうか?
 現代短歌を深化させ、深化させる役割りを担うのは、結社に所属している歌人だけなのでありましょうか?
 “朝日歌壇”の入選作とは、作者が自己満足するだけのレベルの作品なのでしょうか?
 〔返〕  腰伸ばし柿を捥がむとする祖母にタマが戯れ付く神無月かも   鳥羽省三


○  海釣りも畑仕事もジョギングもみな奪われて福島にいる  (福島市) 武藤恒雄

 本作の作者・武藤恒雄さんは、「海釣りも畑仕事もジョギングもみな奪われて」も尚且つ「福島にいる」と仰って居られるのである。
 武藤恒雄さんにとっての「福島」は、それ程にも愛すべき故郷なのでありましょう。
 だが、「福島」をこよなく愛し、ありとあわゆる楽しみを「奪われて」も尚且つ「福島にいる」と仰る武藤恒雄さんから、ありとあらゆる楽しみを奪ってしまったのは、“福島第一原発”のメルトダウン事故であったと判断したならば、それはあまりにも即断に過ぎると言えましょう。
 本作の作者・武藤恒雄さんからありとあらゆる楽しみを剥奪した、その真因は、我が国が広島及び長崎、そして第五福竜丸での被爆にも懲りずに、原子力の平和利用などという無謀な試みに加担し、その一環としての“福島第一原発”の設置を福島県民が受け入れたことにありましょう。

 〔返〕  「廃炉まで三十年超要す」と言う東電福島第一原発   鳥羽省三
 10月29日付けの朝日新聞・朝刊の第一面の見出しに「『廃炉まで30年超』原子力委・福島第一の工程案」とありました。


○  起こされし感触肩に残りつつ未知なる駅に立っている夜  (東京都) 豊 英二

 本作の作者・豊英二さんは、ご宿泊を伴うご出張の途中で、お名前に相応しくも無くケチって、「未知なる駅」のベンチで一夜を過ごそうとなさったのでありましょうか?
 それとも、深夜残業の帰宅途上の車中で、つい、うっかり居眠りしてしまい、車掌さんに「起こされ」た挙句に「未知なる駅」に下車して、人っ子一人居ないホームにしょんぼりと「立っている」のでありましょうか?
 〔返〕  お財布が豊かであればタクシーを飛ばして帰る我が家なりしも   鳥羽省三


○  「息子(あれ)は息子(あれ)」今日も呪文を繰り返すやってなれない思春期の親  (西宮市) 田中洋子

 「息子」さんのことでも“愛犬”のことでも“破れた靴下”のことでも、「あれ」「あれ」で済ませてしまう、田中洋子のご性格が「思春期の親」を「やってられない」事態に陥らせているのかも知れません。
 「呪文」のようなことばっかり言ってないで、「息子」さんに対してはお名前を正確に「ダイスケくん」と呼び、破れた靴下のことは「破れた靴下」と明確に呼びましょう。
 〔返〕  あれ、あれ、あれ?“あれ”と“あれ”とがくっ付いた!やってらんない、思春期の親!   鳥羽省三


○  福島から鳥が消えたと友の文ウグイス・カッコウ・カラスにスズメ  (名古屋市) 諏訪兼位

 作中の「友」は、我が国を代表するの科学者歌人の諏訪兼位さんの友として相応しくない人物かも知れません。
 何故ならば、彼の周辺のご事情はどうあれ、「福島から」「鳥」即ち「ウグイス・カッコウ・カラスにスズメ」などが「消えた」との報道は、新聞でもテレビでもラジオでも為されておりませんから?
 また、本作の作者の諏訪兼位さんも、そんな出鱈目な「友の文」を真に受けて、科学的には全く出鱈目な内容の歌を詠んではいけません。
 〔返〕  福島の人は少しは減りました凡そ五万数千人ほど   鳥羽省三   


○  ドイツ語で我等ゲンパツやめると言う原発という日本語をつかう  (福岡市) 鬼塚夏子

 「フジヤマ・ゲイシャ・スキヤキ・サシミ・ヒロシマ・ナガサキ・フクシマ・ゲンパツ」と、みんなみんな「日本語をつかう」のでありましょうか?
 〔返〕  ドイツ語でカルテを書けぬ医師が増え患部症状みんな絵文字か?   鳥羽省三


○  小走りに半蔵門線へと乗りかえるがくがく笑う営業の膝  (東京都) 斎木てつ

 東京メトロ・銀座線の赤坂見附駅で永田町駅まで「小走りに」走って「半蔵門線へと乗りかえる」のでありましょうか?
 だとすれば、両駅間の距離は一キロメートルぐらいですから「営業の膝」でも“就活の膝”でも「がくがく笑う」に違いありません。
 〔返〕  走らずに千代田線から銀座線乗り換えましょう表参道   鳥羽省三
      もっと楽。降りたホームが銀座線。半蔵門線・表参道。


○  堤防に夕語りする二老人二匹の犬も友達同士  (水戸市) 檜山佳与子

 最近、よく見掛ける光景ではありますが、あまりの長話は「犬」たちにとってはかなり迷惑なことと思われます。
 〔〕  堤防に長話する二老人犬のウンチは誰が処理する   鳥羽省三


○  校庭の木でリス二匹駈けている大きいざくろ食べに来たのかな  (横浜市) 高橋理沙子

 いいえ、クルミの木の方へ行っちゃいました。
 〔返〕  校庭でリスが木登りしているが理沙子さんには柘榴が気懸り   鳥羽省三

今週の朝日歌壇から(10月24日掲載・其のⅡ・猿の尻茸の山の入り口に)

2011年10月28日 | 今週の朝日歌壇から
[馬場あき子選]

○  猿の尻茸の山の入り口にのつそりとありゆつくりと行く  (熊谷市) 内野 修

  東北地方に、「山に茸狩りに出掛けた若い夫が雌猿ども摑まって帰って来ないので、探す為に妻も山に出掛けたのであるが、彼女も亦、雄猿どもに寄ってたかって犯されてしまった。結局、夫婦ともに悪猿どもに弄ばれた挙句、へとへとになってから解放されることになったのであるが、お互いに猿を相手に狂態を演じてしまった後なので、悪猿どもの手から逃れて山を下りる時には、お互いに顔を見合わせ黙しているばかりであった」という哀れな話があります。
 私は、その話を小学生の頃に、江戸時代に生まれた近所の古老に聴いたのであるが、「その後、村に帰ってから、その夫婦はどんなことになってしまったのか?二人はそのまま夫婦関係を続けることが出来たのかしら?」と心配になって、夜も眠らずに考えたことでした。
 ところで、本作の意味は、「茸の山の入り口」に「猿の尻」が「のつそり」とあったので、それを見てしまった「われ」も茸狩りに「ゆつくり」と行った、ということでありましょう。
 山に「ゆつくり」と行ったのは悪猿どもに悪さをされるのを警戒してのことでありましょうか?
 まさか、「“のつそり”に対しての“ゆつくり”の言葉遊びだけの作品」ではありませんね?
 〔返〕  美丈夫は雌猿どもに犯される内野修氏は美丈夫なのか?   鳥羽省三


○  もうちょっと楽しいことを思えよとパンチ人形起き上がりくる  (垂水市) 岩元秀人

 「もうちょっと楽しいこと」を知ってるんだったら、わざわざゲーセンまで足を運んで「パンチ人形」を叩いたりするような馬鹿なことはしません。
 「パンチ人形」は明らかに、岩元秀人さんに“無い物ねだり”をしているのである。
 〔返〕  垂水にゲーセンが在り歌詠みの岩元秀人氏時折り行かむ   鳥羽省三
      歌詠めぬ時は出掛けて思いきりパンチ人形叩いたりせよ


○  病院裏の甕に誰かが飼う鮒はただ一匹でしずかに生きる  (平塚市) 西 一村

 「ただ一匹でしずかに生きる」「鮒」が飼われている場所が「病院裏の甕」である、という点が、何とも寂しくて悲しくて遣り切れない感情を引き起こすのである。
 作中の「誰か」とは、かつての入院患者の一人であり、今となっては亡き人の数に入る人でありましょう。
 〔返〕  水を引き水車を廻す苑も在り佐久平なる総合病院   鳥羽省三


○  辛うじて「はせを」とだけは読めるなり草に沈むがごとき碑  (坂戸市) 山崎波浪

 「はせを」とは、即ち“松尾芭蕉”のことである。
 「草に沈むがごとき碑」という下句に時代が感じられるのである。
 〔返〕 碑の半ばは苔に覆はれて「ふるいけや」とのみ辛ふじて見ゆ   鳥羽省三


○  海を見て町を見てそしてお弁当を食べる私を見る赤とんぼ  (富山市) 松田わこ

 見ている自分と見られている自分の微妙な関わりを認識するのは、歌人として必要な感性である。
 松田わこさんは未だ若年にして、早くもその感性を身に付けたのでありましょうか?
 〔返〕  海を見て町を見るのは赤とんぼ 弁当食べるのだけがわこさん   鳥羽省三


○  秋雨に木の葉散り積む通学路傘さす君と歩く幸せ  (所沢市) 松角加奈美

 どうぞご勝手に、「君と歩く幸せ」を感じていて下さい。
 〔返〕  晴れた日も木の葉散り敷く所沢?ライオンズ負けろ!西武くたばれ!   鳥羽省三


○  和太鼓の数多津波に流されて子供らは打つタイヤの太鼓  (奥州市) 大松澤武哉

 今や、日本国中何処も彼処も「和太鼓」流行りであり、猫も杓子も人耳を憚らずドンドコ叩いている。
 作中の「子供ら」の「打つ」「タイヤの太鼓」の名称は、“復興太鼓”or“リサイクル太鼓”でありましょう。
 〔返〕  水沢牛・江刺林檎の奥州市 南部鉄器に岩屋堂箪笥   鳥羽省三


○  三陸の磯駆け上がる夫婦波なほ鎮まらぬたましひ多し  (仙台市) 小野英雄

 相変わらずの“三陸哀話”ではありますが、秋が深まった頃の「三陸の磯」の侘しさを知っているだけに無視出来ない作品である。
 〔返〕  三陸の磯もとどろに寄する浪砕けてものを思ふこの頃   鳥羽省三


○  野薔薇もヘクソカズラも実を結び一億年前の土の色ぬくし  (伊那市) 小林勝幸

 作中の「ヘクソカズラ」を漢字で表記すれば“屁糞葛”である。
 あの特有の臭気を放つが故に嫌われている植物は、「野薔薇」などと同じく道端のフェンスなどに絡まって咲いているのであるが、その悪臭は、動物や昆虫などからの食害を防ぐ為の大切な防衛手段であると言う。
 だとすれば、私たち人間とは異なり、あの「ヘクソカズラ」も自分の身の始末を自分で着けていることになり、疎かに扱うことはなりません。
 『万葉集』の巻十六に「かわらふじに延ひおほとれる屎葛絶ゆることなく宮仕えせむ」という“高宮王”作の歌が収録されており、昨中の「かわらふじ」とは「サイカチ」を指し、「屎葛」とは「ヘクソカズラ」を指すのだと言う。
 さすれば、「ヘクソカズラ」という植物は、「一億年前」はともかくとしても、数千年前からの命を長らえているのでありましょう。
 〔返〕  堰堤に生き蔓延これる屁糞葛行く末永く歌詠みななむ   鳥羽省三  


○  朝空に響く鍬の音一鍬づつ父は若さを取り戻しゆく  (八王子市) 瀧上裕幸

 作中の「父」も亦、「ヘクソカズラ」の如く長生きなさることでありましょう。
 〔返〕  一鍬が寿命一日延ばしたらヘクソカズラの如く生きなむ   鳥羽省三

今週の朝日歌壇から(10月24日掲載・其のⅠ・生き物は生きねばならぬ物なれば)

2011年10月27日 | 今週の朝日歌壇から
[永田和宏選]

○  生き物は生きねばならぬ物なれば餌を求めて走る豚の子  (鎌ヶ谷市) 正治伸子

 いくら「豚の子」でも「物」扱いすることはないだろう、と評者は切に思うのである。
 〔返〕  荒地にて蒲(かば)茅(かや)などの生ひたれば鎌ヶ谷村とぞ呼ばれしならむ   鳥羽省三
      鎌ヶ谷の言葉荒くて寂しけれ「生きねばならぬ物」などと言ふ
      言葉遣ひの間違ひなどは正すべしそれも選者の役目にあらむ


○  フクシマの車で県外走るとき人目はばかる我情けなし  (福島市) 伊藤 緑

 「人目」を「はばかる」のも、人情として当然のことかと思われますので「情けなし」と思う必要はありません。 先日の朝日新聞には、「“福島ナンバー”や“いわきナンバー”の中古車は開発途上国などに輸出することが出来ないので、一先ず廃車扱いにした上で他県ナンバーを付け、国内の中古車販売業者の間で秘密裏に転売されている」という記事が掲載されておりました。
 私自身の周囲の問題としても、「首都圏に住む人々の中には、路上を“福島ナンバー”の車が走っていると、身体を堅くして構えて眺めるような者も居る」のである。
 また、「関西方面に行くと、東京以東の“ナンバー”を付けた車には通常よりも車間距離を多く置く」という話も聞いております。
 かくして、福島第一原発のメルトダウン事故に伴う直接被害や風評被害には絶大かつ絶望的なものが在り、私たち日本国民は、生活レベルをバブル景気以前のレベルまで戻すことを覚悟した上で、電力の“原発頼み”を直ちに止めなければなりません。
 〔返〕  敦賀市民は市長を直ちにリコールせよ原発頼みの暮らしを止めよ   鳥羽省三


○  陸奥のしかも今年の秋桜悲しいほどの青空に揺れる  (新潟市) 岩田 桂

 本作も亦、相変わらずの“フクシマ哀話”である。
 〔返〕  うす紅のコスモスの花揺るる苑 母は私の嫁入り支度   鳥羽省三


○  国道の脇の工場の水たまり裏銀シジミ羽開き閉ず  (鶴岡市) 大沼二三枝

  “ムラサマシジミ”という蝶がおりますが、「その“ムラサマシジミ”が“ムラサキシジミ”と呼ばれるようになった理由は、翅の表の色が紫色をしているから」とのことである。
 この伝で行くと、「作中の『裏銀シジミ』は、翅の表の色がオレンジ色をしているから“オレンジシジミ”とでも呼ぶべきである」と、私は思うのである。
 ところが、彼女の名はあくまでも「裏銀シジミ」。
 “ムラサキシジミ”の場合とは逆に翅の裏の色が銀色をしているから、そのように命名されたのでありましょうが、同じ蝶の仲間でも、裏から眺められて名付けられるとは、「裏銀シジミ」は随分と不公平な扱いをされているように思われるのである。
 ところが、この「裏銀シジミ」という蝶は、止まっている時は殆ど翅を閉じて居り、私たち人間の目に映るこの蝶の翅の色は、まさしく「裏銀シジミ」そのものなのである。
 それはそれとして、「裏銀シジミ」の棲息地として、「国道の脇の工場の水たまり」というのは、必ずしも珍しくはありません。   
 「国道の脇の工場の水たまり」の周りに葛の葉の生え茂ったような場所がよくありますが、「裏銀シジミ」という名の蛾と蝶の合いの子のような蝶は、そんな場所に卵を産み、孵化する場合が多いのである。
 〔返〕  大阪の大和川沿ひに繁茂せる葛の葉に巣食ふ裏銀シジミ   鳥羽省三  


○  妙義嶺に落つる陽速し山麓に掘られし葱の太根かがやく  (相模原市) 中村健次

 作中の「妙義嶺」即ち“妙義山”は、赤城山、榛名山と共に“上毛三山”の一つに数えられる名峰である。
 この山は、急勾配の斜面と尖った姿を特徴としていて、日本三大奇勝の一つとされたり、日本百景に選定されたりしている。 
 妙義山とは、白雲山・金洞山・金鶏山・相馬岳・御岳・丁須ノ頭などを合わせた総称であり、その中でも取り分け、群馬県下仁田市側から眺める金洞山(標高1104m)は別名“中之嶽”と呼ばれ、下仁田葱の故郷の下仁田地方の人々から“中之嶽”即ち“故郷の山”として親しまれて来たのである。
 作中の「太根かがやく」「葱」とは、その“中之嶽”を望む下仁田地方に産する“下仁田葱”でありましょう。
 詠い出しに「妙義嶺に落つる陽速し」とありますが、山が険しくて「陽」の沈むのが速ければ、秋口から冬に掛けての昼夜の寒暖の差が激しいことになりましょう。
 これからの鍋料理に欠かせない“下仁田葱”は、そうした寒暖の差の激しい下仁田地方の厳しい風土に鍛えられ、あの太い根を輝かせているのでありましょう。
 〔返〕  下仁田を「シモネタ」と言う鷲塚君それでも葱が大好きらしい   鳥羽省三
      下仁田の葱は太くてぬるぬるで好き焼き鍋には欠かせません
      中之嶽 峰より落つる秋風に畑の葱の太くなるらむ


○  出てゆけと言ってしまったあの日から息子の帰り待って百年  (和歌山市) 勝田鉄也

 いくら何でも「百年」は大袈裟過ぎましょう。
 〔返〕  「出て行く!」と言葉の弾みで言った日よ!二度と帰らぬあの若き日よ!   鳥羽省三


○  食堂のマスター吾を「おばあちゃん」と親しく呼ぶが聞き捨てならぬ  (鎌倉市) 正田敬子

 いくら親しいからとて、古都・鎌倉の「食堂のマスター」である「吾」を掴まえて、『おばあちゃん』と「呼ぶ」に及んでは「聞き捨て」になりません、という訳でありましょうか?
 鎌倉の住人としてのプライドが許さない、という訳でありましょうか?
 〔返〕  「マスター」or「シェフ」と呼べ!「婆さん」や「おばあちゃん」では聞き捨てならぬ!   鳥羽省三


○  風ひやりわたし去年の今頃もどうやらあなたを好きだったみたい  (南魚沼市) 山本麻菜

 勝手にしなさい!
 どうせ片思いでしょう!
 〔返〕  風邪ひいた!わたし去年の今頃も風邪をひいてて会社休んだ!   鳥羽省三


○  ブラウスに秋風うけて膨らんであとはわたしが舵をきるだけ  (さいたま市) 五十部麻

 「舵をきる」とは、具体的にどんなことを指すのでありましょうか?
 「ブラウスに秋風うけて膨らんで」という上の句が、何と無く思わせ振りな作品である。
 〔返〕  「舵を切る?」女だてらに生意気に「舵を切る」とはどんなことだい?   鳥羽省三
      麻すずしブラウス膨らみ帆も孕みヨットは何処に漂ひ行かむ
      風も無く波も無いのに揺れる艇 舵手の女は舵を切ったか?  

『NHK短歌』鑑賞(佐伯裕子選・10月23日分・其のⅡ・死の間際まで予定はつづく)

2011年10月26日 | 今週のNHK短歌から
[入選]


○  偶数は緑奇数は空の色階ごとの団地の扉  (鶴ヶ島市) 神谷小百合

 階層毎に扉の色を塗り分けた「団地」が在ったりするものであるが、本作も亦、そうした「団地の扉」に取材した作品である。
 ところで、作中に登場する「団地」は、UR住宅とか県営住宅とか、即ち公営の中高層の賃貸住宅でありましょう。
 何故ならば、「分譲住宅の扉の色を塗り分けたなら、扉の色が嫌われて特定の階の売れ行きが良くない」という現象が生じるものと思われるからである。
 〔返〕  「緑」でも「鈍い緑だ」UR中層賃貸住宅のドア   鳥羽省三


○  音階に色を付けたら高いほど淡くなりゆき天辺は白  (白井市) 毘舎利道弘

 「てっぺん」と“ひらがな書き”せずに「天辺」と漢字で表記したところが宜しい。
 また、「音階に色を付けたら」「高いほど淡くなりゆき」「天辺は白」とは、まさしく言い得たりと申すべき傑作である。
 〔返〕  音階が色を持つなら低いほど鈍くなりゆきどん底は黒   鳥羽省三


○  予定メモ階段の壁に並べおく死の間際まで予定はつづく  (練馬区) 三井 透

 階下から二階へと上がる階段の板壁に「予定メモ」代わりのカレンダーを貼っているのでありましょう。
 絵や写真が印刷されている訳でも無く、ただひたすら数字とその余白に鉛筆書きの「予定メモ」だけが記されているカレンダーそのものは、今年の分だけ貼られているのでありましょうが、残り少ない余生を送っているというご自覚をお持ちの本作の作者・三井透さんとしては、「死の間際まで予定はつづく」とお思いになられるのでありましょう。
 かく申す、私・鳥羽省三とて、不治の病いを抱えながら古希を過ぎた余生を生きている身の上である。
 一年余り毎日欠かすこと無く書き続けて来た、この短歌鑑賞の為のブログ『臆病なビーズ刺繍』を、あと幾日書き続けることが出来るのでありましょうか?
 今日・平成23年10月26日(水曜日)、私は早朝4時34分に起床してこのブログを書いて居りますが、書斎の窓越しに望む秋の明け方の空には、私が思っていた以上に多い星が瞬いて居ります。
 私はいつの頃からか久しい間、夜空の星を見る習慣を失っておりましたが、こうして夜空を眺めていると、残り少ない私の余生が夜空の星や明け方の清々しい大気に包まれていることをしみじみと感じるのであります。
 〔返〕  ああ、あれがアンタレス。さそり座の赤く輝く一等星だよ。  鳥羽省三


○  屋上に続く階段友達と「グリコ」をしたなよく負けてたな  (横浜市) 水野真由美

 「グリコ」で三段、「チョコレイト」でも「パイナップル」でも六段、「屋上に続く階段」を駈け上り、「屋上」に早く着いた方が「勝ち」というゲームでありましょう。
 付け足しみたいな「よく負けてたな」が宜しい。

 と、ここまでまともな事を書いて来て、突然、可笑しげなことを申し上げたくなったのでありますが、「グリコゲーム」に於いて、“グー”が「グリコ」で、“チョキ”が「チョコレイト」であるところまでは宜しいのであるが、“パー”を「パイナップル」としなければならない理由は何処に在るのでありましょうか?
 “グー”が「グリコ」、“チョキ”が「チョコレイト」とお菓子の名前であるから、“パー”を果物の名前である「パイナップル」としないで、「パイ」としたならば、階段を駆け上がる段数も、“パー”が「パイ」で二段、“グー”が「グリコ」で三段、そして“チョキ”が「チョコレイト」で六段と、“お菓子尽くし”で大変面白く、かつ極めて合理的なゲームになるのである。
 それなのに、敢えてそうせずに、「チョキ⇒チョコレイト⇒六段」と同じ段数の「パー⇒パイナップル⇒六段」としたのは、子供たちの遊び事とは言え、全く納得の行かないことだと、私は心底から憤慨しているのである。
 “パー”を「パイ」としてしまえば、“お菓子尽くし”で変化が無くて面白みに欠けるから「パー⇒パイナップル⇒六段」としたとする理屈ならば、いっそのこと、もっと変化を付けて「パー⇒パンティ⇒四段」としたならば、階段を駆け上がる段数も“グー”が「グリコ」で三段、“パー”が「パンティ」で四段、“チョキ”が「チョコレイト」で六段となり、しかも、“パー”を出して勝った可愛い女の子が「パンティ」をチラチラさせて階段を四段も駆け上がる時には、少しエッチなお父さんたちの顔にも笑みが零れたりして、年齢や性別を問わない地球規模に楽しいゲームとなるはずである。
 其処の辺りがかなり惜しまれる昨今の私である。
 〔返〕  パーで勝ち石段四つを駆け上がり一年生は恥ずかしそうだ   鳥羽省三


○  チョコレート包める紙で夫の折る鶴は小さく美しき金色  (茨城県城里町) 所美惠子

 茨城県の城里町という所にお住いの“所美惠子”さんの御作も亦、“チョコレイト”ならぬ「チョコレート」の包装紙に関わる因縁話にご取材なさった作品である。
 本作に接して、私が真っ先に思ったのは、あの佐佐木幸綱氏の傑作「父として幼き者は見上げ居りねがわくは金色の獅子とうつれよ](『金色の獅子』より)である。
 作中の「夫」は、病床の退屈紛れに、見舞客の持って来た「チョコレート」の包装紙で「美しき金色」の「鶴」を折っているのでありましょうか?
 妻にしろ、子供にしろ、「夫」即ち父親の人生が「金色」に輝く人生であって欲しい、と切なく願うものである。


○  きざはしを歩いて向かう棚田にはたわわの稲穂刈り取りをまつ  (燕市) 高橋チヅ子

 「棚田」の畦道を階段に見立てて、「きざはしを歩いて向かう」と言ったのでありましょう。
 その「きざはし」にはみ出すようにして、「たわわ」に実った「棚田」の「稲穂」が「刈り取り」を待っているのである。
 〔返〕  畦道を歩いて行こう棚田には彼岸花混じりに稲穂が実る   鳥羽省三

『NHK短歌』鑑賞(佐伯裕子選・10月23日分・其のⅠ・影はいよいよ新月になる)

2011年10月25日 | 今週のNHK短歌から
[特選一席]

○  階段の稜ひとつずつひたしゆく影はいよいよ新月になる  (仙台市) 横田竜巳

 月齢二十八日頃の夜半の月影が「階段の稜」を「ひとつずつひたしゆく」場面を眺めてお詠みになっているのでありましょうか?
 〔返〕  階段の踏み込みさへも輝きて明日はいよいよ満月になる   鳥羽省三


[同二席]

○  一階から二階は呼ばれる食事だと生きているかと見にも来られる  (八王子市) 菊地威郎

 二所帯同居でありましょうか?
 それとも、引き篭もりでありましょうか?
 「生きているかと見にも来られる」に、何とも言えない肉親の情愛が感じられる。
 〔返〕  「おーい、二階。お汁が冷たくなっちゃうぞ!」階下の父のいつもの呼び声   鳥羽省三


[同三席]

○  階段を降りくる人を待つ夕べ足の先より人を知りゆく  (アメリカオハイオ州) 西岡徳江

 本作に接して、私は、半世紀前に郷里の“光座”という映画館で観た成瀬巳喜男監督による名画『女が階段上る時』を思い出しました。
 その粗筋を説明すると、「夫と死に別れ、暮らしの為に銀座の高級バーで雇われマダムとして働いている圭子(高峰秀子)という美しい女性とその周辺の人物たちの関わりを描くことに拠って、女が生きて行こうとする時の、心と身体の哀しみと苦しみとが浮き彫りにされて行く」といったものである。
 映画のタイトルが『女が階段上る時』となっているのは、ヒロインの雇われマダム・圭子の店が、銀座のあるビルの二階に在り、このビルの階段を上り下りする圭子の姿をリアルに描くことに拠って、一人の女性が銀座の夜の世界で伸し上って行く時の複雑な心理と人間模様を象徴的に描こうとしたのでありましょう。
 本作の作者・西岡徳江さんは、「日本女性でありながら海の向こうのアメリカのオハイオ州で暮らしを営まれ、その暇に短歌創作にお励みになって居られる」とのことですが、時には、自分自身が「足の先より」他の人々によって見られるような思いをなさる時もありましょう。
 どの世界にしても、人間が生きて行くのは、取り分け、女性が夜の世界や異国で生きて行くのは、人知れぬ苦しみや哀しみを味わわなければならないことでありましょう。
 〔返〕  階段で裾の乱れを直すとき圭子の脚は冷たく濡れる   鳥羽省三


[入選]

○  チョコレート包める紙で夫の折る鶴は小さく美しき金色  (茨城県城里町) 所美惠子


○  偶数は緑奇数は空の色階ごとの団地の扉  (鶴ヶ島市) 神谷小百合


○  音階に色を付けたら高いほど淡くなりゆき天辺は白(白井市)毘舎利道弘


○  予定メモ階段の壁に並べおく死の間際まで予定はつづく  (練馬区) 三井 透


○  屋上に続く階段友達と「グリコ」をしたなよく負けてたな  (横浜市) 水野真由美

 「グリコ」で三段、「チョコレイト」でも「パイナップル」でも六段、「屋上に続く階段」を駈け上り、「屋上」に早く着いた方が「勝ち」というゲームでありましょう。
 付け足しみたいな「よく負けてたな」が宜しい。



○  きざはしを歩いて向かう棚田にはたわわの稲穂刈り取りをまつ  (燕市) 高橋チヅ子

 「棚田」の畦道を階段に見立てて、「きざはしを歩いて向かう」と言ったのでありましょう。
 その「きざはし」にはみ出すようにして、「たわわ」に実った「棚田」の「稲穂」が「刈り取り」を待っているのである。

今週の朝日歌壇から(10月17日掲載・其のⅣ・瓢箪から尾駮の駒も飛び出さむ)

2011年10月25日 | 今週の朝日歌壇から
[佐佐木幸綱選]

○  原燃は「尾駮の駒」が駈けた牧戻って欲しい昔のように          (三沢市) 遠藤知夫

 作中の「原燃」とは、日本原燃株式会社の通称である。
 「ウランの濃縮・原子力発電所等から生ずる使用済燃料の再処理・原子力発電所等から生ずる使用済燃料の再処理
に関する海外再処理に伴う回収燃料物質および廃棄物の一時保管・低レベル放射性廃棄物の埋設・混合酸化物燃料の製造」等を事業目的とする同社の本社は、青森県上北郡六ヶ所村大字尾駮字沖付4番地108に在るのであるが、同地は、平安朝の昔から“尾駮の牧”と呼ばれた放牧場であり、「尾駮の駒」として知られた優駿馬の生産地として有名であった。
 本作の作者・遠藤和夫さんは、「この地から一日も早く『原燃』が無くなり、『昔のように』『尾駮の駒』が駈ける“尾駮の牧”に『戻って欲しい』」との、ご自身の切ない願望をお詠みになったのでありましょう。
 ところで、フリー百科事典『ウィキペディア』の解説に拠ると、「原燃」本社の所在地である青森県上北郡六ヶ所村は、「エネルギー関連施設の存在によって、2006年度(平成18年度)予算においては年間60億円もの村税が納入されるなど税収は豊かである。国、県への依存財源は25%あまり存在するが地方交付税交付金を受けておらず、村の予算規模は周辺同規模の町村の倍以上となっている。このような財政状況を反映して村内に下水道・浄化槽施設、診療所、健康施設が整備されるなどインフラ整備は進んでいる。1995年(平成7年)改定の合併特例法にかかる平成の大合併においても周辺市町村との合併には否定的であった」とのことである。
 また、「原燃」の従業員数は2011年4月1日時点で2,442名であるが、その半数以上の1,309名が青森県出身者であることが、同社のホームページで公表されている。
 更に言えば、六ヶ所村及び青森県内には、「原燃」や同社の関連会社の他にも電力や石油関係の会社が多く存在し、六ヶ所村や青森県の経済や雇用に果たすこれら各社の役割りが無視出来ないことは、福島第一原発事故騒動の最中に行われた青森県知事選挙で原発容認派の現職が再選されたことによっても証明されましょう。
 したがって、“尾駮の牧”の再現を願望した本作は、“夢の中のまた夢”とでも言えましょうか?
 〔返〕  瓢箪から尾駮の駒も飛び出さむ夢を語らむ大きな夢を   鳥羽省三
      

○  檻の中むきを変へては歩く虎に万歩計などつけてやりたし  (大阪市) 末永純三

 難しい事の例えとして「虎の首に鈴を付ける」という諺が在りますが、「虎に万歩計」をつける事もそれと同じように難しい事だと思われます。
 それはそれとして、「檻の中むきを変えては歩く虎」と言うのも、なかなか観察の行き届いた表現と思われます。
 〔返〕  日曜は朝から晩まで歩いてる峰松三男氏若葉台の宝   鳥羽省三


○  三社より一社となりて日系の新聞もまた生き残り賭く  (アメリカ) 西岡徳江

 国内でも、地方紙の殆どが夕刊の発行を止めてしまった現在、異国・アメリカに於いて邦字新聞を維持して行くことには、私たちには全く伺い知れないような苦労が伴うことでありましよう。
 したがって、「三社より一社となりて日系の新聞もまた生き残り賭く」とは、まさしく仰るであり、我が国の全国紙の場合でも、三大新聞の座から「毎日新聞」が脱落してから久しいものがあり、「読売新聞」の独走態勢を許したくないとして、私の購読している「朝日新聞」なども、“オピニオン”欄や“歌壇・俳壇”欄及び“声”欄などの充実を図ろうとするなど、さまざまな改革が行われようとしています。
 かなり持ち上げ過ぎたような感じでもありますが?
 〔返〕  三社より氷川一社の祭り好きお田植祭は五月中旬   鳥羽省三


○  町内に交通安全の旗立つる坂を幾つも上り下りて  (函館市) 竹田光彦

 “日の丸”や“軍艦旗”ならともかく、「交通安全の旗」は、「立つる」ものでは無くて「立てる」ものでありましょう。
 「交通安全の旗」などという極めて今風の旗を話題にして、「立つる」などという文語を使ったら子供たちに笑われましょう。
 〔返〕  函館に祭り提灯ぶら下げる坂を幾つも上り下りし   鳥羽省三


○  われの名が松田わこさんと並んでるわこさんの短歌(うた)は産みたて卵  (長野市) 関 龍夫

 本作の作者・関龍夫さんは、「われの名が松田わこさんと並んでる」と大喜びをしておりますが、彼の作品と「松田わこさん」の作品とが「並んで」掲載されたのは、九月十九日付の朝日歌壇の“馬場あき子選”でありましょう。
 即ち、十首掲載中の八首目に関龍夫さんの作品「とうさんのしごとはそのままでかあさんの家事も為してかあさん介護す」が掲載されており、その後に「手の中に月のかけらがあるみたい夜店で買ったレモンの氷」という松田わこさんの作品が掲載されております。
 したがって、本作は「われの名が松田わこさんの前にあるわこさんの歌は産みたて卵」と改作されて然るべきでありましょう。
 ところで、本作の下句は「わこさんの短歌(うた)は産みたて卵」となっておりますが、因みに、私・鳥羽省三の両作についての鑑賞文を当日の記事から抜粋して転載させていただきましょう。

○  とうさんのしごとはそのままでかあさんの家事も為してかあさん介護す  (長野市) 関 龍夫
 「とうさん」こと“関龍夫”さんは、近頃、獅子奮迅の働きである。
 〔返〕  倒産し仕事無ければ家事もして倒れた妻の介護をもする   鳥羽省三

○  手の中に月のかけらがあるみたい夜店で買ったレモンの氷  (富山市) 松田わこ
 言われてみれば、「夜店で買ったレモンの氷」と「月のかけら」とは瓜二つである。
 さすが松田わこちゃんは、目の付け所が他の少女とかなり異なります。
 〔返〕  手に持った月の欠片に導かれ松田わこちゃん鎮守の森へ   鳥羽省三

 私・鳥羽省三にとっての当日は、極めて多忙な日であったと思われ、両作品についての鑑賞文の記事は極めて簡略なものである。
 だが、それでも、関龍夫さん作については、「『とうさん』こと“関龍夫”さんは、近頃、獅子奮迅の働きである」と極めてぞんざいな扱いをした上に、返歌も「倒産し仕事無ければ家事もして倒れた妻の介護をもする」と、大真面目な関龍夫さんを茶化したような内容である。
 それに対して、松田わこさんの作品については、短文ながらも「言われてみれば、『夜店で買ったレモンの氷』と『月のかけら』とは瓜二つである。さすが松田わこちゃんは、目の付け所が他の少女とかなり異なります。」と、禿げ頭も隠さずに脱帽をしたような格好である上に、返歌の方も「手に持った月の欠片に導かれ松田わこちゃん鎮守の森へ」と、かなり身を入れたような作風である。
 思うに、松田わこさんの短歌が、関龍夫さんが本作中で仰る通り「産みたて卵」であるとしたならば、関龍夫さんの短歌は「無精卵」か「未成熟卵」であるみたいだと、私・鳥羽省三はその時点で感じたのでありましょう。
 〔返〕  無精卵未成熟卵と貶しつつ関さん作に感服してる   鳥羽省三
 関龍夫さん、これからもうんと頑張って下さい。
 放し飼いの烏骨鶏の卵のような作品を期待しておりますよ。


○  夕暮れに畑荒らしにくる猿の群れ親の背中の子も南瓜もつ  (沼田市) 笛木力三郎

 「親の背中の子も南瓜もつ」との着眼点や発想には卓抜なものが在るが、一首全体のリズムの乱れが気になります。
 「夕暮れに畑荒らしに来る猿の親の背中の子も南瓜もつ」となさったらいかがでありましょうか?
 〔返〕  己が背に南瓜持て乗る子猿をば「俺に遣せ」と怒る親はも   鳥羽省三


○  昨日よりさらに撓いて枝先の林檎がゆれる夕日の裏庭  (アメリカ) ソーラー泰子

 米国産の「林檎」は食べたくありません。
 だが、本作は「昨日よりさらに撓いて枝先の林檎がゆれる」と、観察の実に行き届いた作品である。
 あの黒みを帯びた赤い光沢の実、米国産の「林檎」の実に「夕日」が射している光景は、実に輝かしく荘厳な光景でありましょう。
 〔返〕  去年(こぞ)よりも更に歪つで小粒なるアメリカ産のリンゴは売れぬ   鳥羽省三


○  大柄で大汗かきのパヴァロッティー想いつつ聴く「フニクリフニクラ」  (舞鶴市) 吉富憲治

 作中の「大柄で大汗かきのパヴァロッティー」とは、“プラシド・ドミンゴ”及び“ホセ・カレーラス”と共に「三大テノール」としても知られる、イタリアのオペラ歌手“ルチアーノ・パヴァロッティ”(Luciano Pavarotti、1935年10月12日 - 2007年9月6日)のことである。
 彼に限らず、著名なオペラ歌手の大半は、男女を問わず「大柄で大汗かき」である。
 舞台の直下、客席の最前列に座し、彼や彼女の口から出る唾や顔や体内から迸る「汗」をまともに被りながら聴くのが本場流のオペラ通だ、という話を自称元ペラゴロの某君から私は聞いたことがあります。
 「大柄で大汗かき」の彼・パヴァロッティが客席に汗や唾を飛ばしながら、「♪痴漢電車が出来たから、触ろう、触ろう。触ろう、触ろう。あの娘。触ろう、触ろう。あの娘。フニクリ、フニクラ」と大口を開けて歌うのを聞いたら、どんなに爽快なことでありましょうか?
 〔返〕  横暴で大嘘吐きのフィクサーもそろそろ年貢の納め時かも   鳥羽省三

今週の朝日歌壇から(10月17日掲載・其のⅢ・この町が夜ふけて見しらぬ町となりゆく)

2011年10月24日 | 題詠blog短歌
[馬場あき子選]

○  生きざまを長く見られたり壁にいるモジリアニの「少女」は少女なるまま  (御所市) 内田正俊

 窓から射し入る西日の為に色褪せ皺が寄っても「モジリアニの『少女』は少女」のままに年老いて行くのでありましょう。
 創作意図は十分に汲み取れるのであるが、字余りを解消するとか、「モジリアニの『少女』」の存在をもう少しリアルに示すとか、更なる工夫が必要な作品である。
 具体的に言えば、詠い出しの「生きざまを長くみられたり」という句を捨てるくらいの大胆さが必要である、と評者としては言いたいのであるが、作者とすれば、其処が一首の要だと言いたいのでありましょう。
 〔返〕  西日浴び色褪せつつもモジリアニの「少女」は少女のままに老ひゆく   鳥羽省三
 それなりに考えて詠んだ返歌ではあるが、未だすっきりしない感じである。
 作者・内田正俊さんの着想の良さに魅力を感じているから、自分の詠んだ返歌にすっきりした感じを覚えないのである。


○  徘徊の父を探せばこの町が夜ふけて見しらぬ町となりゆく  (東京都) 長坂八代江

 「夜ふけて」からまで「徘徊の父」を探しているが故に、住み慣れた「この町が」「見しらぬ町となりゆく」という意味でありましょう。
 だが、評者として一言申し上げれば、「探せば⇒見知らぬ町となりゆく」と因果関係で結んだ点が面白くありません。
 「徘徊の父」を探すという哀しい行為が、住み慣れた「この町」と自分との間に違和感を齎した、というのでありましょうが、其処まで言われてしまうと、“着き過ぎ”という思いが否めないのである。
 〔返〕  住み慣れし町の灯りに隠れつつ父は今宵も徘徊せるか   鳥羽省三
 この返歌も亦、すっきり感の極めて薄い作品である。
 私は一種のノルマを果たすような感じで返歌を詠ませていただいているのでありますが、ノルマ達成に難しさを感じることもよくあります。
  

○  はやばやとつばめの去りしこの冬の寒さを言ひつつ種を蒔く人  (瀬戸内市) 児山たつ子

 「はやばやと⇒つばめの⇒去りし⇒この冬」が前提として存在し、そんな具合の「この冬の⇒寒さを⇒言ひつつ⇒種を⇒蒔く⇒人」が存在するのである。
 つまり、本作は、末尾の名詞「人」以外の全ての語句が連文節を成して末尾の名詞「人」に係って行くのである。
 末尾の名詞「人」は、その重さに耐え切れません。
 名詞止めの歌の難しさはこんな点にもありましょう。
 何処かで「人」を働かせなければなりません。
 〔返〕  はやばやとつばめの去りしこの冬の冷えを言ひつつ父母は種蒔く   鳥羽省三
      はやばやと燕去りたるこの冬の寒さ想ひて蕎麦の種蒔く
 少しぐらいはすっきり感が漂って来ましたかな?


○  雲間より夏陽真っすぐ漏れ来れば呼ばれしごとく空を見る牛  (佐世保市) 近藤福代

 本作も亦、直前の児山たつ子さん作と同様な欠陥を備えた作品のように思われる。
 即ち、末尾の名詞「牛」に一首の重量感の全てが係って行き、「牛」は重さに耐え切れず死にそうになっているのである。

 〔返〕  雲間より夏の陽射しの漏れ来れば呼ばれし如く牛は空見る   鳥羽省三
 こんな感じで歌評を記し、併せて添削めいた返歌を詠んでいると、いつものように決まって、匿名の方から「あなたは、何方かから依頼されて、こんないいかげんな歌評を書いているのですか?現代歌壇を代表するような著名な歌人がお選びになった作品を、事もあろうに貴方如き老人がこき下ろし、頼まれもしないのに添削までするとは、思い上りも甚だしい。今直ぐにブログを閉じなさい。ブログを閉じてさっさと高齢者介護施設に入りなさい。最後通告ですよ。」といった趣旨のコメントが寄せられるのである。
 文体や言葉の調子から判断して、中年の女性のようにも思われるのですが、私に酷評されたくなければ、短歌を発表しなければいいだけのことである。
 コメントの発信者と作品の作者との関わりは皆目見当がつきませんが、全く困ったことです。
 でも、私は止めませんよ。
 文句があったら、本名及び所在を明らかにしてコメントをお寄せ下さい。
 所在の明らかでないコメントには一切お応え致しません。


○  大池のちびっこ動物園のひよこちゃんそっと抱いたらすうっと寝ちゃった  (横浜市) 高橋理沙子

 横浜市旭区万騎が原の大池自然公園内の「ちびっこ動物園 」を題材とした作品である。
 私も横浜市旭区の住民であった頃、少年野球大会やソフトボール大会などで大池自然公園に数回行ったことがあるので、本作に接して格別な親近感を覚えました。
 「そっと抱いたらすうっと寝ちゃった」のですか。
 それなら、高橋理沙子さんの優しい気持ちが「ちびっこ動物園のひよこちゃん」に通じたのでありましょう。
 本当に良かったですね。
 〔返〕   大池の主かも知れぬ青大将ひよこちゃんをいじめちゃだめよ   鳥羽省三


○  上陸の台風一過鵙の来て瓦欠けたる屋根で高鳴く  (浜松市) 桜井雅子

 「てっぺん欠けたか。てっぺん欠けたか。」と鳴くのは「鵙」でしたっけ?
 〔返〕  上陸の台風一過常緑の松の大樹が倒れちまった   鳥羽省三
 

○  からす瓜ぽつりと灯す夕明かり伊那谷暮れて山稜黒し           (川崎市) 藤田 恭

 赤く色づいた「からす瓜」の実を、灯火に見立てた短歌は枚挙に暇がありません。
 そこで、この種の作品の評価は、下句の出来栄え如何に係っていると言っても過言ではありません。
 そうした観点に立って「伊那谷暮れて山稜黒し」という本作の下句を見た時、「山稜黒し」という最終句に物足りなさを感じるのは、私だけでありましょうか?
 〔返〕  烏瓜ポツリと灯す胸の灯を頼り迷ひて黄泉路を行かむ   鳥羽省三


○  鳳仙花の種子爆ぜつづくフクシマのみ寺に僧の在さぬ彼岸会  (下野市) 若島安子

 「フクシマ」に限らず、日本全国各地の僻地のお寺から住職の「僧」が居なくなってしまった、という話はよく聞く話である。
 仏の道と言えども、檀家が少なくなってお布施を貰えなくなれば、住職はご本尊様や檀家の人々を捨てて逃散してしまうのでありましょうか?
 本山は、それをそのまま放置して置くのでありましょうか?
 だとすれば、真に仏の道に背く話である。
 「種子」の「爆ぜ」が「つづく」「鳳仙花」に、破戒僧たちの堕落し切った心理と肉体とを覗くような感じの作品である。
 〔返〕  この秋は僧の在さねば彼岸会のお萩も召さで暮れ行くばかり   鳥羽省三


○  信号の赤も熟れゆく夜なれば淡き記憶の実を摘みにゆく  (垂水市) 岩元秀人

 「夜」になったからとて、「信号の赤」が「熟れゆく」はずは決してありません。
 本作の作者の岩元秀人さんはそんなことは百も承知の上で、ご自身の胸の思いの「熟れゆく」のに任せて、「淡き記憶の実を摘み」に夜の巷に出て「ゆく」のでありましよう。
 したがって、問題は、岩元秀人さんの胸の内を占めている「淡き記憶の実」にありましょうか?
 〔返〕  戯れに唇(くち)を交はせしのみなるに淡き記憶の今に残れり   鳥羽省三
      たはむれにからだ重ねしのみなるに昏き記憶のいまに残れり


○  朝顔の緑のカーテン役目終へ公民館に種採る人あり  (前橋市) 荻原葉月

 「朝顔の緑のカーテン」は如何かと思われます。
 「朝顔」の葉は、確かに「緑のカーテン」の役割りを果たすかも知れませんが、「朝顔」のイメージを葉に求める人も居ませんし、そうした見方を格別に新鮮な見方として、驚きを感じる人も居ないかと思われます。
 とは言え、「公民館に種採る人あり」という表現には、かなりの現実感が感じられます。
 東京やその近辺では、「公民館」という公共施設を見掛けることはありませんが、関東地方と言えども、前橋市では「公民館」という名称の公共施設が存在するのでありましょう。
 ところで、私の短歌の唯一の師とも申すべき歌人は、北東北地方のある田舎町の公民館長を長らく務めておりました。
 高校生のアルバイトの賃金よりも少ないような給料が支払われていたということでしたが、恐らくは、彼の乗り回していた車のガソリン代にもならなかったことでありましょう。
 〔返〕  朝顔の花期も過ぎたる公民館熟女幾人(いくたり)句座に集へる   鳥羽省三

今週の朝日歌壇から(10月17日掲載・其のⅡ・あの日よりたゆたうごとく時過ぎて)

2011年10月23日 | 今週の朝日歌壇から
[永田和宏選]

○  「かなしい顔している字」だと言いながら幼は〈谷〉と半紙に書きたり  (広島市) 小田優子

 未だ「幼」にして「谷」の哀しみを知る。
 前途洋洋と申すべきか?
 多難と申すべきか?
 いずれにしろ、書写のお稽古をしっかり為されるようにお伝え下さい。
 〔返〕  人偏に憂ひと書いて優子の優 祖母たる吾も哀しみを知る   鳥羽省三


○  ここは風呂ここは居間なり大槌町矩形につづく基礎石のみが  (熊本市) 大畑靖夫

 「基礎石」と言っても、古民家のそれのように河原から拾って来た石を配置した礎石ではなく、混凝土を打って作ったものであるから「矩形」を成しているのでありましょう。
 昨今のテレビ画面には、本作に詠まれている如き、「基礎石」が剥き出しになっている光景がやたらに映し出されますが、その事は即ち、瓦礫の撤去作業がかなり進んでいる、ということを証明するのでありましょう。
 〔返〕  馬屋の脇藁打ち石が一つのみ南部の曲り家津波に襲はる   鳥羽省三


○  あの日よりたゆたうごとく時過ぎて敬老の日来る秋彼岸来る  (久慈市) 三船武子

 手元に在る辞書『新明解国語辞典・第五版』の解説するところに拠ると、「たゆたう」という動詞の意味は、「①水に浮いている物などが止まらずに、あっちに行ったり、こっちに来たりする。②決しかねて、心があれこれと迷う。」ということである。
 久慈市にお住いの三船武子さんにとっての「あの日」とは、勿論、今年の3月11日のことである。
 本作の作者・三船武子さんは、「あの日」即ち西暦2011年3月11日より、波間を漂う小舟のようにして、あっちに行ったり、こっちに来たりしながら、あれこれと心を迷わせて「時」を過ごした結果、気が付いてみたら、「敬老の日」を迎え、更には「秋彼岸」を迎えることにもなったのでありましょう。
 「たゆたう」という、必ずしも珍しくも無い動詞はこうした場面でこそ使われるべきである、と言っても過言とは言えないような佳作である。


○  自らを置物なのだと思ひこむ時間が猫にはあると思へり  (仙台市) 武藤敏子

 裏返しをして言えば、本作の作者・武藤武子さんは、「自らを置物なのだと思ひこむ」ことが出来るような、落ち着いた時間を欲しているのかも知れません。
 飼い猫の動作を観察していたら、ふとそんなことを思いついたのでありましょうか?
 〔返〕  自らが客寄せパンダだと識ってから上野のパンダは竹を食わない   鳥羽省三
 上野動物園のパンダには、平常は40キログラム程度の竹を餌として与えている、とのことです。


○  母なくしもうすぐ父もなくす姪遠くカナダに身籠りてをり  (三島市) 渕野里子

 本作の作者・渕野里子さんの「姪」御様は、「母」を既に「なくし」、「もうすぐ父をなくす」ような身の上ながらも、「遠くカナダ」の地に於いて「身籠りてをり」ということでございますが、せめて生まれて来る赤ちゃんを、「もうすぐ」お亡くなりになるに違いないお「父」様に抱かせたいものだ、切なく思って居られるに違いありません。
 格安の航空券が簡単に入手出来る昨今のことですから、夢を叶えることはわりかし容易なことかと思われます。
 〔返〕  カナダから「母子とも元気♡お父様も頑張ってね♡♡」とのメール届きぬ   鳥羽省三


○  秋雲の影を置きたる父祖の墓草とるわれもその影の中  (三豊市) 磯崎啓三

 「秋雲の影」を置いた「父祖の墓」の微かな昏さが、同じように「秋雲の影」を置いた「墓」の周りで「草」をとる作者の心に、不安とも安らぎとも言えない微妙な「影」を置くことになるのでありましょう。
 〔返〕  やがて入る墓と思って草を取る秋雲の影薄く射す午後   鳥羽省三


○  「どうだった?」って聞かれても「ビミョー」で収める子の面接指導  (滋賀県) 川並二三子

 最近の生徒は、教師に対してなかなか心を開かない。
 でも、それで居て、自分の身の始末を自分で着けるのかと言うとそうでもない。
 作中の「どうだった?」という質問は、筆記試験を受けてきた生徒に対して、学級担任の川並二三子先生が、その結果を聞きたいという思いで発したのでありましょう。
 それに対しての件の生徒の応えは「ビミョー」とだけ。
 その応えたるや、「微妙」でも「びみょう」でもなく、まさしくカタカナ言葉の「ビミョー」なのである。
 そんな生徒に対する「面接指導」の煩わしさは、学級担任教師の頭痛の種とも言えましょう。
 三句目から四句目に掛けての「『ビミョー』で収める」という言葉の運びは、微妙で心憎い表現と思われる。
 〔返〕  先生の「どうでした?」との問い掛けに「どうでした、とは?」と問い返す生徒?   鳥羽省三
 いろいろな師弟関係が在りましょう。
 

○  をちこちにラ行変格活用で秋の虫鳴く夕暮の道  (京都市) 道家俊之

 文語動詞「有り」を実例に挙げて、文語文法の「ラ行変格活用」の活用表を以下に示しましょう。
 基本形<有り>・語幹<有(あ)>
    未然形<有ら>・連用形<有り>・終止形<有り>・連体形<有る>・已然形<有れ>・命令形<有れ>

 即ち、作中の「秋の虫」は、「ラ・リ・リ・ル・レ・レ」と「夕暮の道」の「をちこち」で涼しく鳴いたのでありましょう。(音順については、そんなに窮屈に考える必要はありませんが。)
 本作の成立に当たっては、あの永井陽子さんの著名なる歌集『樟の木のうた』の一首として知られた「べくべからべくべかりべしべきべけれすずかけ並木来る鼓笛隊」という作品の存在が大いに手伝っているのでありましょう?


○  まなちゃんはびっくりさせるとなくんだよまだまだ小さいちょっとかわいい  (東海市) 杉江真実

 「まなちゃん」というお名前ではありませんが、私のかつて知人の一人にも「まだまだ」小さく「ちょっとかわいい」のに、「びっくりさせる」と直ぐに泣く娘が居りました。
 その知人夫妻は、その「ちょっとかわいい」娘を「ちょっと」で無く「かわいい」と思ったのか、タレントにしようとして彼方此方の伝手を頼っていろいろと画策していた様子でしたが、その「ちょっとかわいい」娘は、ご両親の言うことに耳を貸さず、現在は東京工業大学の大学院生として数学の研究に明け暮れております。
 〔返〕  美紀ちゃんはちょっと触ると泣くんだよピーピー泣いて嫌われてるよ   鳥羽省三

今週の朝日歌壇から(10月17日掲載・其のⅠ・流されて風に抗ひ翔ぶときも)

2011年10月22日 | 今週の朝日歌壇から
[高野公彦選]

○  流されて風に抗ひ翔ぶときも番の鳩は羽揃へたり  (熊本市) 高添美津雄

 「仲良きことは美しき哉」とは、今は亡き武者小路実篤氏の名言である。
 あの「茄子や南瓜や人参などの色彩の異なる野菜を描いた色紙」に墨黒々と書かれたこの言葉を見なくなってから、私たち日本人は半世紀以上の月日を閲しているのでありましょう。
 〔返〕  流されて風に抗うこと忘れ我がジパングの行方知れずも   鳥羽省三


○  人類はゴミダシエンス ヒマラヤへ 海へ 宇宙へ ハズカシエンス  (大津市) 井上賢三

 かつての滋賀県人は、あの琵琶湖に、工場の排水、糞尿、化学洗剤をたっぷり含んだ家庭の下水などを遠慮会釈無く流し、人類史上有数の「ゴミダシエンス」「ハズカシエンス」と呼ばれて居ましたが、この頃はそうでもなくなりました。
 でも、琵琶湖の北方二十キロ足らずの位置に、あの悪名高い美浜原発や敦賀原発が在りますから、ゆめゆめ油断がなりません。
 琵琶湖の環境保全に尽力なさった、元知事の武村正義氏は未だご存命でいらっしゃいますが!
 〔返〕  有史以来黄砂を四方に撒き散らし某大国はハズカシエンス   鳥羽省三


○  戻れない家と識りつつ部屋々々にゴキブリホイホイ据えて町去る  (いわき市) 多田千恵

 「戻れない家と識りつつ」という詠い出しの五七句中の末尾文節を「知りつつ」としないで「識りつつ」とした点はやや嫌味に感じられるが、意図するところは何方にも理解されましょう。
 問題は、一首の末尾の「町去る」である。
 詠い出しが「戻れない家と識りつつ」」となっておりますから、結びの部分は「町去る」では無く「立ち去る」とか「捨て去る」でありましょうが、作者としては「家」と言うよりは、故郷の「町」そのものと別れ「去る」といった心境になっていたのかも知れません。
 〔返〕  一、二階間数二十の家なればゴキブリホイホイ馬鹿にならない   鳥羽省三


○  浴室の電球ひとつ減ずれば淡き光のやさしさを知る  (東京都) 小川茂代

 一時代前までは「浴室」を含めて、家中のありとあらゆる部屋を明るくするのが文化の象徴、経済力豊かな家の誇りのような考え方をしておりましたが、他の部屋のことはともかくとして、「浴室」だけはあまり明るくする必要はない、と思われます。
 薄っすらと明るい「浴室」の鏡に豊満な我が裸体を映し出している時は、宗教的な法悦感さえ感じられますし、生暖かい湯気に頬を撫でられながら薄暗い浴槽に身を沈めている時には、神様に癒されているような気持ちさえ味わえますから。
 また、民主党政府が推進しようとしている“節電方針”に協力するのも、そんなに悪いことではありませんから。
 それにしても憎いのは、東電を初めとした電力各社の役員どもである。
 東電社員に未だにまともな給料を支払っていることをおかしいし、ましてや、彼らがボーナスを貰えるなんてことは、私たち庶民には考えられないことである。
 〔返〕  東電の社員の妻子は岡場所に身売りするべき身を沈めるべき   鳥羽省三  


○  デートまで台無しにするいつからか季語の顔してゲリラ豪雨よ  (日田市) 石井かおり

 「いつからか季語の顔して」という表現はたまらなく可笑しい表現である。
 現代短歌の表現は、全てかく在るべし。
 〔返〕  二階まで水攻めに遭い秀吉の高松城攻撃想い出させる   鳥羽省三


○  日本海と太平洋からもらいし名「日洋」くん五カ月ごくごく母乳のむ  (上越市) 三浦礼子

 作中の「五カ月」の乳児のお名前は「日洋」と書いて「はるひろ」くんとお呼びするんだそうです。
 〔返〕  作中の「日洋」くんの成人後 職にあぶれて毎日<日曜>   鳥羽省三


○  どこからかオニヤンマさんやってきたもうスピードで食どうぬけた (京都市) 室 文子
○  月の夜ピアノソナタの短調のシの♭はおばけが出そう (笠間市) 篠原 空
○  万騎小の田んぼに立ったかかしさん十二本並んでお米守ってね         (横浜市) 高橋理沙子
○  がくどうでけんだまけんていどっきどきおおざらこざらで七きゅうごうかく  (京都市) こまつかな

 若年にも関わらず、それぞれご健闘なさって居られますが、鑑賞対象から除外させていただきます。

『NHK短歌』鑑賞(坂井修一選・10月16日分・其のⅠ・さめたる風を見たる寂しさ)

2011年10月21日 | 今週のNHK短歌から
[特選一席]

○  パソコンの画面に反射医師の目にさめたる風を見たる寂しさ  (岐阜市) 後藤 進

 昨今の病院の「医師」の役割りは、「パソコンの画面」に映った映像や数値を見ながら患者の病状を判断して治療方針を決定したり、患者に適当な指示を与えたり、施薬の為の処方箋を書いたりすることにある。
 したがって、現代社会の医療現場に於ける「パソコンの画面」の果たす役割りは「医師」以上に大きいと言っても過言ではありません。
 本作の題材となっている出来事としては、患者として診察室の椅子に座っている本作の作者・後藤進さんという素朴な姓名の方を前にして、主治医である作中の「医師」が「パソコンの画面」に見入って居る時、たまたま、その「パソコンの画面」に自分自身の冷めたような諦めたような表情を映してしまい、それを目敏く患者たる後藤進さんが見てしまった、というシリアスな場面が想定されましょう。
 そうした場面に置かれた患者としての後藤進さんの立場について述べれば、それを見てしまったことに堪らない「寂しさ」を感じ、併せて、その「医師」の医者としての技量や見識に対して大きな疑いを抱き、更には自分の病状に対する絶望的な疑いをも持つに至ったとしても、少しも不思議ではありません。
 見なければいいものを見てしまった時の「寂しさ」及び“哀しさ”。
 それは人生全般に通じる普遍的な「寂しさ」であり“哀しさ”でもありましょう。
 〔返〕  「見なければ、知らなければ」と思ひしに知つてしまひし時の寂しさ   鳥羽省三
      「わたくしは悪い場面に出遭ったか?」作中の‘われ’の悩み尽きなし
      「癌細胞はわたしの全てを蝕むか?」作中の‘われ’は懼れ慄く


[同二席]

○  パソコンと山の神とは異母姉妹突然プイと不機嫌になる  (岡崎市) 林 建生

 「山の神」にもNEC社製の「パソコン」ほどの知性があれば、私も苦労無しなのに?
 この「異母姉妹」は、どうやら「山の神」の方が「パソコン」よりもかなり末期症状に陥っていると思われる。
 〔返〕  パソコンと山の神とで店仕舞いネット販売割に合わない       鳥羽省三
      パソコンを新しい機種に買い替えよプイと不機嫌になることはない


[同三席]

○  夜更けまで慣れぬパソコン打つわれにずんだ餅ひとつ夫は差し出す  (仙台市) 小野寺寿子

 「夜更けまで慣れぬパソコン」を打っていて、間食に甘い「ずんだ餅」など食べていたら、早晩糖尿病に罹患して死んでしまいますよ。
 したがって、「われにずんだ餅ひとつ」を差し出した「夫」も、自殺幇助罪の嫌疑が掛かってたちまち警察にしょっ引かれましょう。
 〔返〕  夜更けまで慣れぬパソコン打つ勿れラジオ体操時々しよう   鳥羽省三
 一枚のタオルを持った両手を左右に開いて前方に差し出し、空中に八の字を描くような動作を力一杯数回繰り返すと、ラジオ体操をしたのと同様の効果がある、とのことです。



[入選]

○  娘の家のベランダにシャツ干されいてパソコンにみる遠き地の町 東京都 大田区 倉地 優輔

 題材となっている場面は、真夏の白昼に人工衛星から撮影したのでありましょうか?   
 〔返〕  孫の家のベランダ越しに忍び入り怪盗ルパンが下着盗む場面   鳥羽省三


○  青年期一年待った点訳書今は茶の間でパソコンで読む  (浜松市) 大須賀貞夫

 「パソコン」の画面で「点訳書」を読むことが可能なのでありましょうか?
 目の不自由な読者の方は「パソコン」の画面に直接触れることによって凹凸を感じ、訳書の内容を読み取ることが出来るのでありましょうか?
 全く知らなかったことなので、お尋ね致します。
 〔返〕  出始めは貴賓室みたいな部屋で使ったが今のパソコン御不浄でも使う   鳥羽省三


○  パソコンに休めし指の十本や我引き時を思い巡らす  (三島市) 村上 徹

 何事に於いても「引き時」が大切かと思われます。
 「パソコン」を使うような場合でも、「“四十五分間使って十五分間休む”といった肌理の細かい配慮が必要だ」との医師の指示が私には下されました。
 それにしても、中日の落合監督の「引き時」と言うよりも「引かされ時」については、かなりの疑問を感じます。
 中日がこのまま日本選手権で勝ったとしたならば、他の十一人の監督たちの首はどうなるのでありましょうか?
 〔返〕  再来年巨人の監督落合氏原監督は来年限り     鳥羽省三
      中日の落合博光監督は連覇遂げてもむっつり右門


○  重きソフト背負はされたるパソコンの立ち上がるまでの呻きの時間  (名古屋市) 田中稔員

 世に「一リットルの枡には一リットルのガソリンしか入らない」という諺が在りますが、本作の作者・田中稔員さんがお使いになって居られる「パソコン」の機種は“XP”ではありませんか?
 だとしたら、“XP”は今となっては、言わば“一リットルの枡”のようなものですから、問題は、新機種を導入すれば即座に解消されましょう。
 「呻き」の声を上げている時間などありません。
 〔返〕  XPは一リットル枡の如きもの入れる情報限られましょう   鳥羽省三
      XPは一合枡の如きもの立ち上がりの遅さ欠伸が出そう


○  魚を飼うパソコンゲーム久々に開ければ河豚が死して浮きおり  (高知県越知町) 宮橋敏機

 人伝てに耳にした話では、昨今では「魚を飼うパソコンゲーム」どころか、「財界人や暴力団員が国会議員を飼っている」といった内容の「パソコンゲーム」が流通し、しかもその「パソコンゲーム」に登場する人物は、飼う側も買われる側も明らかに実在の人物が想定されるのだそうです。
 「パソコンゲーム久々に開ければ」、某元総理や某党総裁が「死んで浮きおり」といったこともあるのでしょうか?
 〔返〕  判決を待たずに死んだ闇将軍彼の黒幕はA国のR社     鳥羽省三
      宰相になれずに終わる某総裁女学校長がお似合いかもね
      北電に飼われていたか某知事は泊原発疑惑の闇に


○  パソコンの待受け画面を流れ行く飛行機雲は空を知らない  (長崎県長与町) 中上鉄郎

 マイPCの「待ち受け画面」に鎮座しているのはかなり悩殺的な裸のギャルである。
 だが、私は、彼女の氏名も愛称も所番地もケータイの番地も知りません。
 ところで、私の常識では若い男性の「パソコンの待ち受け画面」を占領しているのは、たいていギャルのヌードだと思われるのですが、この世の中には「飛行機雲」を「パソコンの待ち受け画面」に入れているような非行少年も居るんですね。
 大変感激致しました。
 〔返〕  パソコンの待ち受け画面に現れるジェットの機首に突き刺されそう!   鳥羽省三
      パソコンの待ち受け画面を流れ行く飛行機雲の果ては鹿屋か?

今週の朝日歌壇から(10月10日掲載・其のⅢ・イージス艦見ゆ土塁のごとく)

2011年10月20日 | 今週の朝日歌壇から
[馬場あき子選]

○  満月が瓦礫の山を上りゆく閑かなることレクイエムのごと  (静岡市) 篠原三郎

 「レクイエムのごと」が俗に過ぎます。
 〔返〕  満月が瓦礫の山を映し出す露はなること野戦の如く   鳥羽省三


○  エイ泳ぎくれば頭上に闇生まれガラスのトンネルに人暗みゆく  (アメリカ) 悦子ダンバー

 「頭上に闇生まれガラスのトンネルに人暗みゆく」とあるが、それほどにも「エイ」の身体は巨大なのでありましょう。
 〔返〕  小魚はエイが来れども驚かず仲間同士で餌を争ふ   鳥羽省三


○  鳴き声のする方見れば金木犀あえかに薫り抱卵の鳩  (名古屋市) 山田 静

 作中の「あえかに」とは、「美しくかよわげなさま。はかなげなさま。」を意味する形容動詞「あえかなり」の連用形である。
 したがって、本作の文意は、「『鳴き声のする方』を見たところ、其処には『金木犀』の花がはかなげに薫っていて、卵を抱いている『鳩』が居た」といったところでありましょう。
 作中の「あえかに」という形容動詞は、「金木犀」の花の「薫り」を修飾しているのであるが、「抱卵」している[鳩」の“美しくかよわげなさま”をも表し、効果的な使い方である。
 〔返〕  泣き声のする方見れば破落戸の居丈高に女将を脅せる   鳥羽省三


○  法師蝉渾身に鳴く樹林下にイージス艦見ゆ土塁のごとく  (舞鶴市) 吉富憲治

 本作の骨格は、「法師蝉○○に鳴く○○に○○見ゆ」「○○のごとく」という文語の二文であるが、作中の「○○」の部分が、「渾身」「樹林下」「イージス艦」「土塁」と全て音読する語であり、音読するこれら四語が、漢詩的とも言える本作の韻律形成に重要な役割りを果たしているのである。
 〔返〕  イージス艦土塁の如く望まるる舞鶴湾内波浪鎮静   鳥羽省三


○  城の下塩町魚町豆腐町紺屋川には金魚が泳ぐ  (大和郡山市) 四方 護

 本作中の「塩町」「魚町」「豆腐町」という、いかにも藩政時代からの歴史を想わせる町名に魅されて、本作の作者・四方護さんがお住いの奈良県大和郡山市内の町名について検索したところ次のような町名が在ることが判りましたので、先ずは五十音順に示しましょう。

 【あ】朝日町(あさひちょう)・池沢町(いけざわちょう)・池之内町(いけのうちちょう)・石川町(いしかわちょう)・伊豆七条町(いずしちじょうちょう)・泉原町(いずみはらちょう)・櫟枝町(いちえだちょう)・井戸野町(いどのちょう)・藺町(いのまち)・今井町(いまいまち)・今国府町(いまごうちょう)・植槻町(うえつきちょう)・魚町(うおまち)・永慶寺町(えいけいじちょう)・大江町(おおえちょう)・大宮町(おおみやちょう)
 【か】柏木町(かしわぎちょう)・上三橋町(かみみつはしちょう)・冠山町(かんざんちょう)・観音寺町(かんのんじちょう)・北鍛冶町(きたかじまち)・北郡山町(きたこおりやまちょう)・北大工町(きただいくまち)・北西町(きたにしちょう)・九条町(くじょうちょう)・九条平野町(くじょうひらのちょう)・車町(くるままち)・小泉町(こいずみちょう)・小泉町東(こいずみちょうひがし)・小林町(こばやしちょう)・小林町西(こばやしちょうにし)・小南町(こみなみちょう)・紺屋町(こんやまち)
 【さ】堺町(さかいまち)・材木町(ざいもくまち)・雑穀町(ざこくまち)・塩町(しおまち)・椎木町(しぎちょう)・下三橋町(しもみつはしちょう)・昭和町(しょうわちょう)・白土町(しらつちちょう)・城の台町(しろのだいちょう)・城見町(しろみちょう)・新紺屋町(しんこんやまち)・新庄町(しんじょうちょう)・新中町(しんなかまち)・新町(しんまち)・城町(じょうちょう)・城内町(じょうないちょう)・城南町(じょうなんちょう)・城北町(じょうほくちょう)・杉町(すぎまち)・千日町(せんにちちょう)
 【た】高田口町(たかだぐちちょう)・高田町(たかだちょう)・田中町(たなかちょう)・丹後庄町(たんごのしょうちょう)・代官町(だいかんちょう)・茶町(ちゃまち・)長安寺町(ちょうあんじちょう)・筒井町(つついちょう)・天井町(てんじょうちょう)・天理町(てんりちょう)・洞泉寺町(とうせんじちょう)・豆腐町(とうふまち)・外川町(とがわちょう)・豊浦町(とようらちょう)
 【な】中鍛冶町(なかかじまち)・中城町(なかじょうちょう)・奈良町(ならまち)・新木町(にきちょう)・西岡町(にしおかちょう)・西観音寺町(にしかんのんじちょう)・西田中町(にしたなかちょう)・西奈良口町(にしならぐちちょう)・西野垣内町(にしのがいとちょう)・西町(にしまち)・額田部北町(ぬかたべきたまち)・額田部寺町(ぬかたべてらまち)・額田部南町(ぬかたべみなみちょう)・野垣内町(のがいとちょう)
 【は】八条町(はちじょうちょう)・発志院町(はっしいんちょう)・番匠田中町(ばんじょうたなかちょう)・番条町(ばんじょうちょう)・稗田町(ひえだちょう)・東岡町(ひがしおかちょう)・東奈良口町(ひがしならぐちちょう)・藤原町(ふじわらちょう)・本庄町(ほんじょうちょう)・本町(ほんまち)
 【ま】馬司町(まつかさちょう)・満願寺町(まんがんじちょう)・南井町(みなみいちょう)・南鍛冶町(みなみかじまち)・南郡山町(みなみこおりやまちょう)・南大工町(みなみだいくまち)・美濃庄町(みのしょうちょう)・箕山町(みのやまちょう)・宮堂町(みやどうちょう)
 【や】矢田町(やたちょう)・矢田町通(やたまちどおり)・矢田山町(やたやまちょう)・柳(やなぎ)・柳町(やなぎまち)・山田町(やまだちょう)・横田町(よこたちょう)
 【わ】若槻町(わかつきちょう)・綿町(わたまち)

 奈良県大和郡山市と言えば柳沢氏の城下町、或いは、金魚の一大生産地として有名であるが、1954年1月1日の市制施行に当たっては、福島県の郡山市と区別するために“大和郡山市”と定められた、と言うことである。
 北東北生まれの私にとっての関西人のイメージは、面の皮が厚くて、ひたすら図々しいだけの存在でしかなかったのであるが、市名決定の理由に関しては、其処に関西地方らしからぬ遠慮深さが感じられ、私にとっては頗る興味深いことである。
 とは言え、私はこの街を修学旅行の高校生を乗せたバスに同乗して数回通り過ぎただけであり、この度、本作に接することに縁って、その全町名を検索して、それぞれの町名が成立した由来などについて、しばし思いを馳せる機会を得たので、朝日歌壇の短歌を鑑賞させていただいた余禄の大きさも馬鹿にならないものだと思うのである。
 〔返〕  大工町中鍛治町に車町藩政時代の職人の町     鳥羽省三
      いにしへの環濠集落の面影を今に留めし稗田集落


○  除草剤の薬効切れて田草咲く沢瀉白し小水葱は青し  (山形県) 佐藤幹夫

 「除草剤」という名の“枯葉剤”が普及する前の、かつての水田には、白い「沢瀉」の花や青い「小水葱」の花が咲いていて、畦道を歩いている子供たちに安らぎを与え、癒しの効果を齎したものでありました。
 その頃の田圃には、泥鰌や鮒やタナゴなどがわんさかと群がっていて、夕方になると、一日中草取りに励んだ大人たちが、思い思いに泥鰌や鮒や鯰などが入った魚籠を腰に下げて家路に就く風景は、季節の風物詩とでも言うべき懐かしい風景として記憶しております。
 〔返〕  放射線値ゼロになったる未来まで泥鰌の末裔はびこるならむ   鳥羽省三


○  千年の月が仮設の屋根屋根をひそと照らして秋を降らせり  (福島市) 美原凍子

 感じるところがありまして、“東日本大震災”関係や“福島第一原発人災”関係の作品の鑑賞は遠慮させていただきます。


○  夕闇をおしわけおしわけゆく列車ただ秋草の匂いを残して  (垂水市) 岩元秀人

 廃止以前の“旧国鉄大隅線”を走行していた、蒸気機関車(貨物列車)が鹿児島の山野の「夕闇をおしわけおしわけ」て走る様を想像してお詠みになって居られるのでありましょうか?
 〔返〕  石炭と鉄の匂ひと秋草の匂ひ残して大隅線消ゆ   鳥羽省三

 
○  「こおろぎのうた」を手紙でくれた祖母「ちょっとしゃれてる」母がにっこり  (笠間市) 篠原 周

 “馬場あき子選”らしからぬ入選作として鑑賞させていただきました。
 〔返〕  ユニクロをちやっかり着てる祖母の写真「ちょっとイカすね」と母もにっこり   鳥羽省三  

今週の朝日歌壇から(10月10日掲載・其のⅡ・されどひまはりことしのひまはり)

2011年10月19日 | 今週の朝日歌壇から
[高野公彦選]

○  植ゑて来しひまはり除染はせぬと聞くされどひまはりことしのひまはり  (埼玉県) 小林淳子

 拙作に「せつかくの奥千本も葉桜でされどもさくら吉野の櫻」という作品がある。
 しかし、その拙作とて、「何方かの作品の物真似みたいだ」という思いがあったので結社誌などへの投稿を見合わせたのである。
 したがって、本作に対する「既視感あり」との非難は免れ得ないところでありましょう。
 〔返〕  福島を離れてもなほ歌に詠む哀しきふくしま私のフクシマ   鳥羽省三


○  ペアになり下る時待ち赤とんぼ磐梯山の山頂に群る  (熊谷市) 内野 修

 選評に「福島県にも美しい風景がいっぱいある、との心で詠んだ歌か」とある。
 詠い出しに「ペアになり下る時待ち」とあるが、「作者の内野修さんと何方かが『ペアになり』、『磐梯山』を『下る時』を待って」という意味でありましょうか?
 だとしたら、「赤とんぼ」が「磐梯山の山頂」に群がったのは、念願叶ってやっと「ペア」になることが出来た内野修さんをからかい方々祝福する為でありましょう。
 〔返〕  ペアになり下山するとき恵比須がほ磐梯山頂歌垣の朝   鳥羽省三
 でも、まさか、“高野公彦選”の次席を占めている本作の歌意がそんなくだけた内容であるはずはありません。  と、すると、「ペアになり下る時」を待って「磐梯山の山頂」に群がっているのは人間ではなく、「赤とんぼ」のことかと思われます。
 つまり、本作は、“おんぶバッタ”ならぬ“番いとんぼ”たちが「磐梯山の山頂」に群がっている風景を詠んだのでありましょう。
 〔返〕  それぞれに交む相手が居ると見ゆ赤蜻蛉の群れ山頂を下る   鳥羽省三
 でも、それが「福島県にも美しい風景がいっぱいある、との心で詠んだ歌か」と言う、選者の選評通りの歌と言えるのでしょうか?
 〔返〕  交接は究極的な美であれば磐梯山頂美の顕現地   鳥羽省三

 
○  自転車のカゴに財布を入れっぱなし翌朝無事なこの町が好き  (東京都) 上田結香

 自転車が安物の“ママチャリ”で、「カゴ」の中の「財布」も小銭しか入っていないような安物の「財布」であったので、誰も盗まなかったのかも知れません。
 〔返〕  置きっぱなしの財布の金が増えているそんな我が家が僕は大好き   鳥羽省三


○  上見れば秋の雲なり山見れば夏の雲なり葛の咲くころ  (高松市) 菰渕 昭

 北東北地方の著名な“童歌”の文句に「上見ればシガこ。下見ればユキこ。」というのが在る。
 つまり「上見れば」と対を成す文句は「山見れば」ではなく「下見れば」なのである。
 だとしたら、本作は「上見れば既に秋空 下見れば夏の雲見ゆ 北岳山頂」とでもする必要があるかとも思われます。
 本作は「歌」と言うよりも、「『葛』の花が『咲くころ』の四国瀬戸内沿岸地方の『雲』の特質を説明した文」と言うべきかも知れません?
 と言っても、評者は、「短歌中の“対句”は“対語”を以って整然と表現されなければならない」などという屁理屈を捏ねるつもりは少しもありません。
 あくまでも、「本作の場合は、“上下”の“対語”で以って表現された方が宜しい」と思っていると言うだけのことである。
 〔返〕  上空に羊雲見ゆ 山頂に入道雲見ゆ 葛の花盛り   鳥羽省三


○  夏雲の残れる閖上昆虫のように動ける黄色い重機  (名取市) 樋本幸恵

 「夏雲の残れる閖上」という上句と「昆虫のように動ける黄色い重機」という下句との対比、つまり“上空と眼下との対比”、“静と動との対比”に優れた作品である。
 瓦礫の除去に忙しく働いている「黄色い重機」を「昆虫のように」とした直喩もなかなかの表現と思われます。
 言い忘れましたが、また、下し立ての「重機」は「黄色い」色をしております。
 東日本大震災関係の作品ではありますが、敢えて触れさせていただきました。
 〔返〕  上空に積乱雲をいただきて甲虫のごと動ける重機   鳥羽省三


○  精霊は月に宿りて松に降る陸前高田秋巡り来て       (川越市) 平井正一
○  二十キロ内高台に並び無人街見下ろしている三十頭の牛   (須賀川市) 中山孤道
○  五十円の桃に驚き近づけばフクシマとありフクシマと泣く  (所沢市) 森コハル

 感じるところがありまして、“東日本大震災”関係や“福島第一原発人災”関係の作品の鑑賞は遠慮させていただきます。


○  舞台から去る間際まで叫んでるロック・シンガーのようなカダフィ  (八尾市) 水野一也

 その「カダフィ」大佐も亦、かつては救国の英雄として国民に仰がれていたことを、私たち人類は決して忘れてはいけません。
 〔返〕  首吊りをする日も『プカプカ』歌ったか西岡恭蔵成仏し給え   鳥羽省三


○  ラベンダー色のジャケット通勤の電車の中にもう一人の吾  (八王子市) 青木 凪

 本作の作者・青木凪さんは、いつもとは違って「ラベンダー色のジャケット」を着て「通勤」「電車」の車内に居るご自身の姿を客観的に見ているのでありましょうか?
 〔返〕  地下鉄の車窓に映った今朝の僕?ラベンダー色のジャケットなど着て!   鳥羽省三



[永田和宏選]

○  復旧が進めば復旧できぬこと明らかになる忘れることしか     (盛岡市) 菊池 陽
○  「閖上」を見てから帰れといはれ来て町ありし広き原を見て立つ  (函館市) 佐藤 純
○  放射性物質検査通りたるきのこの並ぶ秋のスーパー        (横浜市) 滝 妙子

 感じるところがありまして、“東日本大震災”関係や“福島第一原発人災”関係の作品の鑑賞は遠慮させていただきます。


○  友の目の動き一つが腹痛の原因となるらし十二歳には  (匝瑳市) 木村順子

 「目の動き一つ」で以って、「十二歳」の子に「腹痛」を起こさせる人物が存在するとしたら、それは「友」と言うよりも“迫害者”と言うべきでありましょう。
 事ほど左様に、現代社会に於ける友人関係は複雑怪奇なものになっているのである。
 こうした人間関係は、何も「十二歳」の子供社会に限定されるものでは無く、大人社会に於いても全く同様でありましょう。
 〔返〕  学校の友だちみんな死んじまえ!(七夕様への私のお願い)   鳥羽省三
 

○  「もう一年就活します」と言う学生の黒いスーツとかたい靴音  (池田市) 河田久美

 「年齢が増える程に就職は難しくなるのである」ということも、近頃の「学生」は知らないのでありましょうか?
 「就活」や“婚活”などという響きのいい言葉を作って若者たちを騙し、挙句の果てには“終活”などという、切羽詰まった高齢者の気持ちを煽り立てるような言葉まで作って、連日のように書き立て、言い立てるマスコミも宜しくありません。
 〔返〕  就活は青木ばかりを儲けさせこの頃ユニクロ業績不振   鳥羽省三


○  「休み中渋谷などには行かぬよう」そこは私のふる里ですけど  (東京都) 上田結香

 「『渋谷』如き下賎な所に行くと女性としての価値が下がる」と言うのでありましょうか?
 〔返〕  死んだとて秋田などには知らせるな!秋田は私の故郷だけど!   鳥羽省三


○  夫が眼のレンズ取り替ふ病室の窓から見ゆるニコライ堂の屋根  (川越市) 吉川清子

 「眼のレンズ」を取り替える手術が成功したら、入院している「病室の窓」から「ニコライ堂の屋根」を見ることが出来るでしょう。
 〔返〕  君の目のレンズも取り替え3Dの劇画を見たらどうかね   鳥羽省三


○  九十五歳あんな年まで生きたくないわいつもの声がついて来る廊下  (札幌市) 横川 満

 「九十五歳」ともなれば、年齢に不足はありません。
 つきましては、“幻聴”ということもありますからご注意下さい。
 〔返〕  九十五歳そんな年まで生きたいわいつものように噂している   鳥羽省三


○  帰る頃草を抜きつつ門で待つ父に会いたし風の日はなお  (古河市) 池澤悦子

 娘である作者がお座敷に跪いて、「それでは、お父様、お世話になりました。お刺身もお肉も美味しかったわ。いつもご馳走になるばかりですみません。お正月には姑さんも一緒に一家揃ってお邪魔しますから宜しく。それでは失礼致します。お父様もお母様もお元気でね」などと、挨拶されるのが照れ臭いから、さり気無く昼食の座席を外して、前庭の「草を抜きつつ」「門」の辺りで、可愛い娘を見送ろうとする算段なのでありましょうか?
 〔返〕  晴れた日も雨の降る日も風の日も可愛い娘が心配である   鳥羽省三 

今週の朝日歌壇から(10月10日掲載・其のⅠ・桃太郎が山車におさまるまでを見つ)

2011年10月18日 | 今週の朝日歌壇から
[佐佐木幸綱選]

○  桃太郎が山車におさまるまでを見つえのころ草のなびく空地に  (久慈市) 三船武子

 「えのころ草のなびく空地に」という下句の表現に因って、題材が津波でやられた被災地の人々が行っている秋祭りの準備であることが解る。
 〔返〕  頼光も足柄山も流されて今年の山車は桃太郎のみ   鳥羽省三


○  せっかくの青空入る隙間なし望遠レンズの中で走る子  (水戸市) 川上若奈

 “何が何でも可愛い我が子だけを写したい”、という親心があればこそ、被写体となる「子」は画面いっぱいに走り回り、「せっかくの青空」を撮影画面に入れる余地を与えないのである。
 でも、元気で素直なお子様というものは、大概そうしたものです。
 青空の下にピースサインを出して笑顔で画面に納まっているような優等生もおられましょうが、そんな子ばかりが可愛い子だとは言い切れないのである。
 〔返〕  よそ様の目をもて見れば悪餓鬼も親からみれば可愛い我が子   鳥羽省三


○  福島に住むこと忘れ穏やかな日なかとなして障子貼る病妻(つま)  (本宮市) 廣川秋男

 「今日の日和が『穏やか』であるかどうかの基準は、被災者としての我が心中に在り」といったご心境でありましょうが、ご心中お察し致します。
 表現上の問題点について申せば、「日中となして」とせずに「日なかとなして」と表記した点や「病妻」を「つま」と読ませた点などは評価が二分されましょう。
 〔返〕  久々の秋晴れなれば病む妻も障子を貼れる被災地の午後   鳥羽省三  


○  軽トラの荷台の籾の重ければ喘ぎ喘ぎて農道行けり  (村上市) 北里牛蔵

 長距離ドライブをして居て、自分の乗った車が国道を外れて地方道に入るや否や、其処は「軽トラ」の天国のようなものである。
 特に、山形や秋田に於いては、「軽トラ」は一家に一台の生活必需品のようなものである。
 それから、対向車が「軽トラ」だからとて侮ってはいけません。
 「軽トラ」の運転者の中には、「道路交通法など糞食らえ!」といった無謀運転車が多いからである。
 彼らの中には、“無免許運転歴半世紀”といった古強者さえいるのである。
 〔返〕  軽トラの積載量は三百キロあんまり積むとエンスト起こす   鳥羽省三
      軽トラの積載量は三百キロそれ以上積むとサツの目怖い


○  ま、いいかが口癖だった麻痺の友せつなかったね言った数だけ  (さいたま市) 伊藤麦緒

 手足が不自由な事を理由に馬鹿にされたり差別されたりしても、その都度「ま、いいか」と呟いて、我慢して過ごして来たのでありましょうか?
 〔返〕  クラクションを鳴らされても「ま、いいか」と呟きながら我慢の歩行   鳥羽省三


○  満月の光の中にわたくしの影が土塀にくの字に映る  (名古屋市) 松尾利男

 「何だか、忍者の蜘蛛の陣十郎になったような気分だ!」などと呟きながら、満月に照らされた夜道をゆっくりゆっくり彼女と一緒に歩いたのでありましょうか?
 〔返〕  時折りはあらぬ思いの陣十郎その気になれば彼女もその気   鳥羽省三
      満月が胸の中までお見通し調子に乗ってはならぬ陣十郎


○  ペットにも王子様にもなりながら大きくなってゆくわが息子  (和泉市) 星田美紀

 まるで、“某経済大国の一人っ子政策の申し子”みたいな「息子」さんですね。
 お名前は「大輝」くんですか?
 それとも「拓翔」くんですか?
 〔返〕  娘なら奏音(かのん)と名付けるはずだった当てが外れて拓翔(たくと)になった   鳥羽省三


○  少しずつ母のどこかがこはれゆく歌壇俳壇ひらかずなりぬ  (長野市) 縣 展子

 “朝日歌壇”や“朝日俳壇”は思わぬ所で大きな役割りを果たしていたのである。
 認知症の進行に伴って、「歌壇俳壇」の頁を開かなくなったのでありましょうか?

 〔返〕  縣とふ文字に寄せたる思ひ述ぶ賀茂真淵の旧居・縣居   鳥羽省三
 国学者・賀茂真淵翁の旧居「縣居」の跡は、東京都中央区日本橋浜町に在ります。
 大正七年四月に東京都(当時は東京市か?)指定の重要文化財となり、現在も旧居の近くの道路に面して、「あがた居の茅生の露原かきわけて月見に来つる都人かも」という真淵翁作の和歌を刻した記念碑が建っております。


○  勉強のねえちゃん飛んで来ないよう静かに静かにぎょうざを包む  (富山市) 松田わこ

 小学五年生にして、かくまでの心憎い御心配り。
 さぞかし気疲れなさって居られることでありましょう。
 餃子は、週一回、ご近所のスーパーで特売販売している、“味の素の冷凍餃子”や“大阪の王将餃子”でも十分に賞味に耐えられますよ。
 お勉強の時間を割いて、敢えて手作りするには及びません。
 それにしても、「ねえちゃん」も「ねえちゃん」である。
 妹のわこちゃんが「ぎょうざを包む」お手伝いをしていると、お勉強を止めて「飛んで」来ると言うんですからね。
 妹さんが「静かに静かにぎょうざを包む」訳ですよ。
 〔返〕  お勉強嫌いなのかな梨子さんは? 短歌だけでは食べられません   鳥羽省三


○  奈良漬けの守口大根もち上げてあらあら長いと背伸びする母  (四街道市) 佐相倫子

 「守口大根」の「奈良漬け」は、長いと言うよりは高過ぎます。
 いくら長くても1メートル足らずでありましょう。
 だとすると、10センチ当たり100円以上に付くに違いありません。
 一切れ100円もする「奈良漬け」を食べるような経済的な余裕は我が家にはありません。
 〔返〕  奈良漬の守口大根買う前にあらあら安いと見栄張るママよ   鳥羽省三