臆病なビーズ刺繍

 臆病なビーズ刺繍にありにしも
 糸目ほつれて今朝の薔薇薔薇

今週の朝日歌壇から(7月25日掲載・其のⅤ・早朝再訂版)

2011年07月31日 | 今週の朝日歌壇から
[佐佐木幸綱選]

○  水路泳ぐわが丈ほどのくちなわは上がらんとして垂直に立つ  (高槻市) 奥本健一

 「大きな蛇がぐいっと身を立てた瞬間である。シャッターチャンスを的確にとらえた写真のように、鮮明な映像が目に浮かぶ」との選評である。
 あれはきっと、水路の主の青大将かも知れませんね。
 ハワイには、元々蛇が棲息していなかったのであるが、この頃ではペットとして飼われていた蛇が逃げ出したり、飼い主が放置したりすることが原因となり、あちらこちらに出没し時ならぬ蛇騒動が現出している、という報道が、先日の朝日新聞に写真入りで為されておりましたが、その蛇の胴回りは人間程にも太かったのである。
 〔返〕  ハワイではメタボになったくちなわがこのごろ街に這い出すと言う   鳥羽省三
      沼主の身の丈ほどのくちなはに一飲みされむと身竦むる蝦蟇  


○  山麓に巣をかけふたり子を為して手をひき蛍を見せて育てる  (つくば市) 横井久美

 選評に「自然豊かな土地に住み、深く自然になじみつつ子どもを育てる母親の歌」とある。
 なるほど、人間の住む家は、鳥が棲息する「巣」というわけですか。
 また、親が我が「子」の為にしてやるべき行為の中で、「子」の「手を引き蛍を見せる」ことは、かなり上位にランクされるべきことでありましょう。
 でも、それも「山麓に巣をかけ」て居ればこそ可能な行為と思われます。
 〔返〕  霧が晴れ雲が切れたら出掛けなむ蜂の子を掘り佃煮にせむ   鳥羽省三      幻のホタルツリーに出逢はんと川幾つ越ゆ乙女なる久美


○  さえずりはアップテンポにひびきおりたった15グラムのきびたき  (四街道市) 佐相倫子

 この点は人間でも同じことであるが、身体が小さく知恵が回らないやつほど「アップテンポ」で囀るのである。
 この頃、我が家の裏山では、鶯の谷渡りが盛んに行われております。
 あれは、今年生まれたばかりの雛鶯が、何かに脅えて逃げ回る時の声なのでしょうか?
 とは言え、その雛鶯を脅かせている「何か」は私ではありません。
 鶯の雛の焼き鳥は骨ばかりでとても食えたものではありませんから。
 〔返〕  囀りはスローテンポになりにけりきびたき一羽虫を啄ばむ   鳥羽省三


○  図書館に男どすんと眠りおり「人体」という本を投げ出し  (岡山市) 奥西健次郎

 眠っていても「どすん」とした感じを与える「男」がいるものです。
 まして、本を読むことに専念している人ばかりの「図書館」内での出来事であったら、その感じは普通以上であり、まるで「『人体』という本」を三つの椅子に「投げ出し」ているようなイメージでありましょう。
 〔返〕  碌で無し本も読まずに寝そべって此処はカプセルホテルではない   鳥羽省三   


○  こぼたるる家からひびくチェンソーに夕かたまけて口笛まじる  (大阪市) 末永純三

 「家」の解体作業が予想以上に順調に進んでいるのでありましょう。
 母屋の大黒柱を一本解体してしまえば「チェンソー」なんか使わずに古材をダンプカーに積むだけだから、ついうっかり「口笛」を吹いてしまうのである。
 〔返〕  吉野杉の大黒柱は銘木だダンプに積まずにリサイクルしよう   鳥羽省三  


○  半分にすれば折り目が顔にくる少しずらして「山本作兵衛」  (八千代市) 砂川壮一

 “読んで字の如し”であるとは思われるのであるが、実際のところは実物を見なければ分かりません。
 画家と言えども、「山本作兵衛」ほどの苦労人であれば、若い選炭婦の「顔」が「折り目」に「くる」のを避ける為に、構図を通常より「少しずらして」描いたのでありましょうか?
 それにしては、「少しずらして『山本作兵衛』」という下句の音の響きがなかなか軽快である。
 “佐佐木幸綱選”ならではの入選作と申しましょうか。
 〔返〕  刺青に驚き乳房を抱ける娘(こ)炭鉱(やま)の風呂場は男女混浴   鳥羽省三


○  気がつけば被爆していたそんなことあってしまったこの国のいま  (福島市) 美原凍子

 「そんなことあってしまったこの国のいま」としたところが、いかにも美原凍子さんらしい表現である。
 「フクシマのいま」程度では、収まりが着かなくなったのでありましょうか?
 〔返〕  夕張も福島も駄目ならばとて何処にも行けぬ和泉式部は   鳥羽省三


○  年若き主婦もカツオは一本買い気仙沼ではみなさばけます  (岩沼市) 山田洋子

 気仙沼では場外市場で仲買人から直接買えるから、街の魚屋より安く買え、また「一本買い」せざるを得ないのでありましょう。
 〔返〕  高齢の年金所帯を維持するに一本買いはかえって無駄だ   鳥羽省三
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

今週の朝日歌壇から(7月25日掲載・其のⅣ・歌人必読再訂版)

2011年07月30日 | 今週の朝日歌壇から
[馬場あき子選]

○  みちのくの七夕の夜を翔けりゆく千羽鶴いま万羽となりて  (福島県) 美原凍子

 地震ネタにもそろそろ厭きが来たのかな?
 とも思われますが、「千羽鶴いま万羽となりて」「みちのくの七夕の夜を翔けりゆく」という倒置表現に、被災地の人々や犠牲者の霊魂に対する思いをそれとなく託したのかも知れません。
 〔返〕  あの日から百日余りの七夕よ千羽万羽と空翔ける鶴   鳥羽省三


○  被災地の土葬を見つつ経を誦む老師は白き防護服着て  (八戸市) 山村陽一

 山村陽一さんらしからぬ作品である。
 「経を誦む老師」が「白き防護服」を「着て」いる点に着目したのは宜しいが、その「老師」の目が「被災地の土葬を見つつ」あるという叙述は、「老師」が「経を誦む」場面の単なる説明でしかありません。
 特に、「土葬」に「被災地の」という形容語句を被せた点は、音数合わせだけに終わっているのではありませんか?
 こうした推敲不足の作品に登場すると、「老師」が「老師」に相応しからぬ“生臭坊主”のようにも見えて来るのである。
 〔返〕  土饅頭一つ増えたる被災地の墓所に上がる煙り茫漠    鳥羽省三
      時折りはお布施の額も気になりて経読む声の調べ未だし  
 

○  「原発は明るい未来」と静寂の人消えし町に掲げあり今も  (本宮市) 廣川秋男

 「原発は明るい未来」と記したポスターは、電力会社や悪徳政治家の悪巧みの実現の為に動員された役場職員や町内会役員たちの恥の来歴を示す記念碑以外の何者でもありません。
 〔返〕  「原発は明るい未来」を創ったか? 節電停電心は闇夜!   鳥羽省三


○  大往生といひ手を合はすどくだみの花の匂ひす僧侶のこゑに  (箕面市) 大野美恵子

 お寺の周り一面に「どくだみの花」が咲き、喪家に駆け付ける前に「僧侶」が煎じ薬にする為に、「どくだみ」摘みをしているような、鄙びた地方の葬儀風景を詠もうとしたのでありましょうか?
 「大往生といひ手を合はす」「僧侶」の大袈裟な仕草とはミスマッチ的な関係にある「僧侶のこゑ」の「どくだみの花の匂ひ」がユーモラスな感じを醸し出しているのである。
 しかし、あの「どくだみ」の「匂ひ」こそはまさしく仏様の「匂ひ」という感じがしないでもありません。
 〔返〕  「大往生」と誦しつつも僧侶は目を馳す喪服姿の妖艶   鳥羽省三


○  開拓の父母も飲みたる湧き水で喉を潤し豆の草取る  (三次市) 佐藤昌樹

 「父母」がこの地に開拓者として入った頃と今とでは事情がかなり異なると思われますから、いかに「湧き水」と言えども、飲料には適さないのではありませんか?
 あの頃は、田圃の畦に大豆を植えていて、その大豆の草を取ろうとして畦を歩いていると、足元の田圃の中には、鮒やタナゴや泥鰌がうようよと群がって居たのですが、そんな田圃は日本中の何処を探しても見られなくなりました。
 〔返〕  ファンタにて喉を潤し田の草が生えないように除草剤振る   鳥羽省三


○  放牧の牛千頭をつぎつぎと呑み込み霧は丘這い上がる  (稚内市) 藤林正則

 「放牧の牛千頭」という表現中の「千頭」は、“嘘八百”や“白髪三千丈”という慣用句中の“八百”や“三千丈”と同様な意味で用いられているのかとも思われるが、土地柄が土地柄だけに、「放牧の牛」は、本当に「千頭」以上も居るのかも知れません。
 〔返〕  放牧の牛千頭に食べさせる藁の産地は宮城県かも   鳥羽省三


○  パレードの先頭をゆく鼓笛隊あとに元気な老人続く  (川崎市) 山根繁義

 本作の作者・山根繁義さんは川崎市にお住いの方とのことですが、本作に詠まれた風景は、いかにも川崎市らしい風景である。
 昨年の秋に、川崎北部市場を会場にして行われた「宮前区の秋祭り」に於いても、本作に詠まれた光景と同じような光景が展開されておりました。
 「パレードの先頭をゆく」のは、区内の小学校の連合「鼓笛隊」であり、その後には「元気な老人」たちが歩武堂々と行進しておりましたが、その「元気な老人」たちは、区内の町内会の役員の方々や民生委員の方々とのことでありました。

 〔返〕  パレードの先頭を往く鼓笛隊可愛い女児が指揮棒を振る   鳥羽省三
      パレードの先頭を行く鼓笛隊リコーダ組は元気が無いぞ
 かくして、「パレードの先頭を行く鼓笛隊」にも、大人社会さながらのさまざまな難問題が見え隠れしているのでありました。
      パレードの先頭を行く鼓笛隊差別意識をまるまる覗かせ   鳥羽省三


○  さくらんぼたっきゅうびんでやってきたママのママからパパにとどいた  (笠間市) 高野花緒

 本作の作者の高野花緒さんにお訊ね致しますが、「たっきゅうびんでやってきた」「さんらんぼ」が、「ママのママから」「ママ」自身に直接「とどいた」のでは無く、どうして「ママのママからパパにとどいた」のでありましょうか?
 かくして、汚れを知らない少女が詠んだ作品の中からも、日本社会の陰湿な習慣が読み取れるのである。
 このような清純な作品を詠んだ高野花緒さんも、やがては「ママ」になり、更には「ママのママ」にもなり、娘の夫に「さくらんぼ」を「たっきゅうびん」で送るような、ややこしい習慣を踏襲するのでありましょうか?
 〔返〕  さくらんぼ今年はとうとう届かないバーバの姉さんどうしたかしら   鳥羽省三


○  ゆったりと校庭を歩む猫もいる今テスト中なり男子の高校  (渋川市) 長坂興作

 いくら何でも「男子の高校」という言い方はありませんね?
 せっかくの題材なのに、下句の表現の緩さがあまりにも惜しまれるのである。
 〔返〕  ゆったりと校庭歩む猫がいる僕は数学とても不得意   鳥羽省三
      ゆったりとコート横切る猫が居る男子高校テスト二日目
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

今週の朝日歌壇から(7月25日掲載・其のⅢ・猛暑の折り悪戦苦闘汗みどろ版)

2011年07月29日 | 今週の朝日歌壇から
[永田和宏選]

○  筋肉にバッグ三個を食い込ませ高校球児の夏来りけり  (吉川市) 鈴木征夫

 本作に詠まれた「高校球児」は、先発メンバーの「高校球児」でありましょう。
 同じ「高校球児」でも、補欠選手や女子マネの多くは、先発メンバーに比べて、どちらかと言うとかなり虚弱な肩の持ち主である。
 然るに、彼らは、自分のや他人のやらの「バッグ」を五個も六個も、在りもしない「筋肉」に「食い込ませ」て、練習や試合に出掛けるのである。
 折しも、夏の甲子園大会の神奈川県予選の決勝戦「桐光学園高校×横浜学園高校」の試合が、二回裏まで進んだところである。
 今のところ、0対0の緊迫した投手戦が展開されているが、両チームの投手とも完投能力があるとは思われませんから、その内に大波乱がありましょう。
 〔返〕  筋力をサンドバックで鍛へ居りスピードガンを脅かすため   鳥羽省三


○  赤ちゃんの靴が片っぽ載せてある公園のフェンス 寂しい夜だ  (広島市) 楯田順子

 思わせぶりな作品であるが、作者としては、鑑賞者たちに、「寂しい夜」に「公園のフェンス」の上に「赤ちゃんの靴が片っぽ載せてある」理由をいろいろと推測させたいのでありましょう。

 〔返〕  片っぽだけ置かれた靴は赤ちゃんが履けなくなった靴だとか言う   鳥羽省三
 「赤ちゃん」誘拐とかの悲惨な事件の存在が想定されるのであるが、その真実は意外に平凡なものである。


○  一切を流されし娘が嬉しげに「安かったのよ」と骨董皿見す  (仙台市) 斎藤澄子

 敢えて文語の助動詞を用いて詠まなければならないような内容の作品でしょうか?
 〔返〕  一切を流された娘(こ)が嬉し気に「安かったのよ」と蕎麦猪口を出す   鳥羽省三


○  雨を得て沢蟹は朱を塗り直し繰り出して来る座敷にまでも  (西海市) 前田一揆

 「雨」に降られれば「沢蟹」の甲羅の「朱」色は「塗り直」したように増すのでありましょうか?
 私は迂闊にも、「沢蟹」の甲羅の「朱」色を鮮やかにする為には、熱湯漬けにするしか方法が無いものと思って居りました。
 我ながら全く以って迂闊なことでありましたので、作中の「沢蟹」さんには、平にご謝罪申し上げます。
 ところで、本作は、昔話の『猿蟹合戦』に取材した作品のようにも思われるのであるが、その実は、鄙びた温泉旅館の夕食のお膳に乗せられた「沢蟹」を見て、思い付いた作品でありましょう。
 〔返〕  沢蟹は朱を増し甘酢を掛けられてお皿の中に鎮座まします   鳥羽省三


○  向日葵の群れに立ちおる青年の風にふくらむ青きシャツ見ゆ  (高松市) 山本悦子

 今年の夏は、何処も彼処も、猫も杓子も、豚もお亀も「向日葵」流行りであると聴いております。
 ところで、作中の「向日葵」は、“東北激励支援旅行”中に福島県の被災地で目にした“向日葵”でありましょうか?
 〔返〕  向日葵の花に群がる熊ん蜂もメルトダウンの被害者だろうか?   鳥羽省三


○  あのときは負けたチームの悔しさに思い至らずはしゃぎし我ら  (大津市) 纓坂佳子

 作中の「あのとき」とは、過日行われた“女子サッカーワールドカップ大会”の決勝戦を指して言うのでありましょう。
 言われてみれば、確かに「あのときは負けたチームの悔しさに思い至らず」「我ら」日本人は「はしゃぎ」捲りました。
 アメリカさん御免なさい。
 〔返〕  あの時は負けた試合に勝ったのだはしゃいでばかりは居られませんね   鳥羽省三


○  影長く巫女は桃の実供ふなり裏返り咲く夏至の芍薬  (鹿角市) 柳澤裕子   
 なにやら、曰く有り気な場面ではありますが、要するに、本作の作者の柳澤裕子さんは、「巫女」が祭壇に「桃の実」を供える時の仕草に、軽いエロティシズムを感じただけのことでありましょう。
 「裏返り咲く夏至の芍薬」という下句の表現にも、妖艶さとエロティシズムが感じられます。
 〔返〕  髪長き巫女の姿は仮のもの街に行くとき金髪である   鳥羽省三 
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

今週の朝日歌壇から(7月25日掲載・其のⅡ・猛暑の折り悪戦苦闘版)

2011年07月28日 | 今週の朝日歌壇から
[永田和宏選]

○  地震の歌止めむと思ふも湧きくるは多く地震の歌四月になるを   (仙台市) 坂本捷子

 本作は、「私は『地震の歌』を詠むのは『止め』ようと思うのであるが、その度に私の胸中に湧いて来るのは、あの『地震』があってから既に『四月』も経つのに、未だに『多く』の『地震の歌』が詠まれたり、入選作として紙上に掲載されたりしているという現実である。だから、私は『地震の歌』を詠むことを『止め』ない」といった歌意でありましょう。
 しかし、如何せん、本作は歌意を多くの人々に理解させ得る程には明解ではありません。
 しかも、作者の胸中には、「地震の歌」を詠むのを止めたいという思いが在ります。
 古代中国に、「隗より始めよ」という格言が在ります。
 そこで、先ず、言い出しっぺの坂本捷子さんから、「地震の歌」を詠むのを「止め」ることを始めて下さい。
 何故ならば、地震の犠牲者となった人々や地震で深刻な被害を受けた人々は「地震の歌」を詠むことは殆ど無く、「地震の歌」を詠んでいるのは、被災地に居住していても被害の程度が比較的に軽かった人や、テレビや新聞の報道で被災地の事情を知った人々が殆どと思われ、彼らの詠んだ「地震の歌」の「多く」は、格好の題材を得たとばかりに詠み、地震の犠牲者や被災地の人々を食い物にしているような印象を受けるような作品であり、また、この頃詠まれている「地震の歌」の多くは、“類想歌”や“模倣歌”ばかりであり、短歌の発展や普及にとっては、“百害在って一理無し”という現状を呈しているからである。
 〔返〕  累々と類型歌のみ堆積し読むに耐へざる震災の歌   鳥羽省三
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

今週の朝日歌壇から(7月25日掲載・其のⅠ・悪戦苦闘版)

2011年07月27日 | 今週の朝日歌壇から
[高野公彦選]

○  県の花ネモトシャクナゲ、県の鳥キビタキ、県の××ゲンパツ  (福島市) 美原凍子

 「東日本大震災や福島第一原発のメルトダウン事故に対する、作者・美原凍子さんの心の在り方を説明しているような一首と思います」とだけ申し上げておきましょう。
 〔返〕  県民が望んで抱えた原発も今となっては大きな荷物   鳥羽省三
      百年に一度の大きな題材だ今度はどんな手で来るだろう


○  津波の泥浚い掻い出すスコップが真っ赤に錆びる一夜明ければ  (中央市) 前田良一

 選評に「東松島町でボランティアに参加した折の作」とあり。
 本作の作者の居住地の名称は“中央市”である。
 市町村など地方公共団体の名称は、通常、その土地の風土や歴史を表し、他のそれと区別する為に在るものと思われます。
 場所柄を弁えない言い方ではありましょうが、「中央市」というあまりにも漠然としていて、抽象的かつ大風呂敷を広げたような市名の何処に、甲府盆地の一廓に在る僻陬の地の風土や歴史が説明されていると言うのでありましょうか?
 其処に見えるものは、当該地域の住民や行政職員の無知やエゴだけでありましょう。
 こんな名称は、法律で断固禁止するべきである。
 また、住民もこんなしめいを選択するべきではありません。
 〔返〕  「おところは?」「中央市です!」「ふざけるな!何県の何処とはっきり言って!」  鳥羽省三
      塩分を含んだ泥で鉄分が理の当然として錆びるのである


○  日常の会話も悲し線量と逃げる逃げない堂々巡り  (郡山市) 渡辺良子

 本作を入選作とするかどうかの段階で決定的な役割を果たしたのは、このところ急に流行語として脚光を浴びているような感のある「線量」という言葉を使っていることでありましょう。
 だが、本作を解釈する上では、「線量」というこの言葉の据わりの悪さが原因となって、本作を意味不明瞭な作品としているのである。
 五句目に「堂々巡り」とありますが、その「堂々巡り」の中身は、昨今、福島第一原発の被災者たる福島県民の間で日常的に取り交わされているに違いない、「この地域の住民のセシウム吸収『線量』は、実際に人体に影響が出るとされる年間100ミリシーベル以下であるから『逃げる』必要が無い。いや、100ミリシーベルトを下回っていても人体に全く影響を与えないという訳では無いから逃げなければならない」などと言う内容の小田原評定的な会話でありましょう。
 然るに、「日常の会話も悲し線量と逃げる逃げない堂々巡り」というだけの本作の舌足らずの表現からは、その「堂々巡り」の実態が少しも見えて来なく、「線量」という作品の骨格を成すべき言葉が、装飾的、パッチワーク的に作中に置かれているに過ぎないのである。
 それとは別に、そもそも根本的に問題なのは、自分たちを一方的に犠牲者の位置に据えている福島県民の姿勢なのである。
 原発が厄災をもたらす魔女のような存在になってしまった今となっては、福島県民は国策の犠牲者として、国内的にも国際的にも同情されているのであるが、元を正せば、福島原発の設置に当たっては、当該市町村や該当県にも選択の余地が与えられていたのであり、その与えられていた選択の余地の中から、敢えて原発の積極的誘致というカードを選んだのは、当該市町村や福島県の首長や住民の責任であったとも言えましょう。
 作中に「逃げる逃げない堂々巡り」とありますが、税負担の軽減、更には雇用の創出及び道路や箱物の整備という欲得や役得に目を眩ませた首長や住民の無責任と無知が原因での、原発の積極的な誘致という悪魔のカードを選択してしまったことが原因となって、今では、日本中、いや世界中の騒動となり、地球規模での「逃げる逃げない」の「堂々巡り」が展開されているのである。
 自己責任を一方的な棚上げにして、福島県民は福島県以外の土地に「逃げる」ことが出来ても、それはあくまでも一時的な措置に過ぎず、やがて、その「逃げる逃げない」の「堂々巡り」が、全国的規模、或いは地球的な規模にまで拡大したら、私たち“地球市民”は、いったい何処に「逃げる」ことが出来るのでありましょう。
 そのように考えてみると、事は極めて重大である。
 私たち日本国民の一人として、事故発生の責任の一端を担うべき福島県民が、「日常の会話も悲し」などと、澄まして歌って居られるような場合ではありません。
 私たち日本人は、つい先日まで、「チェルノブイリ、チェルノブイリ」と、旧ソ連の政治家及び政治体制の無責任と住民の無知を馬鹿にしていたではありませんか!
 今や、私たち日本国民は、私たち日本人及び福島県民がその責任の一端を担うべき“福島第一原発メルトダウン事故”の発生によって、その悪名高い“チャルノブイリ”以下の悲惨な状態に陥ってしまったのである。
 しかも、その責任の大半を、菅直人という愚直で目立ちたがり屋の一人の男性に押し付けて!
 〔返〕  宰相はジャンヌダルクだキリストだ誰が遣っても堂々巡りだ   鳥羽省三
      気休めの歌を詠んではいけません事は重大地球の危機だ
 

○  気仙沼の町に活気を取り戻す光る弾丸カツオが揚がる  (岩沼市) 山田洋子

 久々に揚がった「カツオ」を「気仙沼の町に活気を取り戻す光る弾丸」と呼んだことが、本作の手柄でありましょうが、事態は極めて重症であり、まだまだ先が皆目見えません。
 〔返〕  気仙沼ちゃん生きているやら死んだやら魚料理が美味しかったよ   鳥羽省三
      気休めの歌を詠んではいけません前途多難だ先が見えない     
   

○  田の稲がタコの足ほど根付けよとタコ食むならい半夏生きょう  (松戸市) 猪野富子

 今年の「半夏生」は、去る七月二日(土曜日)のことでありました。
 千葉県の松戸市界隈では、今でも、「半夏生」の当日に、「田の稲がタコの足ほど根付けよ」との願いを込めて、「タコ」を「食む」「ならい」が継続的に行われているのでありましょうか?
 〔返〕  デパートが起死回生を図らんと躍起になっての土用の丑の日   鳥羽省三
      田の稲が蛸の足ほど根付いても二百十日の風に倒れる
      田の稲が台風の風でやられたら食糧自給計画破綻


○  骨盤より妊娠回数わかるといふ博物館にて縄文人Bさんのプライバシー覗く   (新潟市) 川崎里絵子

 覗き見もいけませんが、リズムを無視した“字余り”は“覗き見”以上にいけません。
 いや、それ以上にいけないのは、かかる作品を入選作とした選者の無定見である。
 〔返〕  妊娠が可能かどうかを骨盤の大きさで決め結婚決意   鳥羽省三


○  痛いとふことばを知らずあぎとへる若鮎濡れて青笹のうへ  (大分市) 岩永知子

 作中に「あぎとへる」という語句が用いられておりますが、それは、「①顎を動かして口をぱくぱく開く。②魚が、水面に出て、口をぱくぱく開く。」(『大辞林』参照)という意味の文語動詞「あぎとふ」の已然形「あぎとへ」に、完了の助動詞「り」の連体形「る」が接続したものであり、その意味は、「口をぱくぱくさせて開けている」といったところでありましょうか?
 「若鮎」は、あのスマートな体型にも似ず、あの鋭い歯で以って川底の石を噛んだりすることから、「痛いとふことばを知らずあぎとへる若鮎」という表現が成り立ったようにも思われるのであるが、串に刺され、炭火で焼かれ、皿に盛られても、さも澄ましたように口を開けているから、「痛いとふことばを知らずあぎとへる若鮎」という表現が成り立ったのである、とも思われます。
 だが、四句目から五句目に跨る部分の表現に「濡れて」という語句があることに留意すると、作中の「若鮎」は、未だ串に刺されたり炭火で焼かれたりする前の「若鮎」であり、やがてこの「若鮎」を見舞うはずの運命を予測しての表現のように思われます。
 〔返〕  落ち鮎の塩焼きを食うとき我はよくぞ日本に生まれたと思う   鳥羽省三   


○  原発に明かり点滅事もなく文月一日海開きの夕べ  (福井県) 大谷静子

 昨日までは“希望の灯火”であった「原発」の「明かり」が、今や、不安の材料となったので、本作の作者・大谷静子さんは、「原発に明かり点滅」として、「点」よりも「滅」の方にご注目なさって居られるのでありましょう。
 日常茶飯事を記録した日記のように見せ掛けながらも、「原発」に対する不安の気持ちを詠んでいるのでありましょう。
 〔返〕  海水に混ぢる微量の物質が素肌に滲みて死に至るかも   鳥羽省三  


○  まるつけにわたなべ先生ぶたを書くみんなのノートぶたがいっぱい  (岸和田市) 谷歩希音

 作中の「わたなべ先生」は、学期末テストの採点の時に、正答には「まる」を「つけ」、誤答には「ぶたを書く」のでありましょうか?
 だとしたら、「みんなのノート」に「ぶたがいっぱい」なのは、本作の作者・谷歩希音の所属クラスが、既に学級崩壊の状態になっているからでありましょう。
 したがって、事は重大であり、本作の内容は、一種の“内部告発”的なものとして理解する必要がありましょう。
 〔返〕  まるつけに渡辺教諭が豚を描く最大理由は児童への迎合   鳥羽省三


○  梅雨明けの空は大きなお弁当エビフライ雲ハンバーグ雲  (越湖結衣)

 食いしん坊の越湖結衣さんの初入選作品である。
 越湖結衣さん、この度は本当におめでとうございます。
 これからもますます頑張って下さい。
 お勉強や運動の方もよろしくね。
 〔返〕  梅雨明けの日から学校午前だけ給食は無い面白くない   鳥羽省三 
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

『NHK短歌』鑑賞(佐伯裕子選・7月24日分・短歌ファン必読決定版)

2011年07月26日 | 今週のNHK短歌から
[特選一席]

○  噴きあげる風に木の葉は煽られて薬草園にひしめく笑ひ  (京都市) 大石悦子

 いま一つ納得の行かない点がありましたので、作中の動詞「ひしめく」の意味を、敢えて『大辞林』を開いて調べてみました。
 即ち「ひしめく」とは、「①ひとところに多くの人やものが推しあうようにしている。また、混雑して押しあい騒ぐ。②きしんで鳴る。ぎしぎし鳴る。」という意味である。
 本作の理解し難さは、作中のこの動詞「ひしめく」の曖昧さに在り、その曖昧さは、本作の理解し難さと同時に本作の魅力にもなっているのである。
 そこで、この動詞「ひしめく」を、前掲の説明の「①」及び「②」の意味に採って本作を解釈すれば、「『薬草園』の中に『噴きあげる風』に『木の葉は煽られて』ぎしぎしと鳴るので、『薬草園』の中に押し合いへし合いしてする人々の「笑ひ」が、まるで木の葉がきしんで鳴るように響くのであった」ということになりましょう。
 場所柄が場所柄だけに、作者の大石悦子さんが「木の葉」のきしむ音やその音にも紛う人々の「笑ひ」声に対して違和感を持ったという訳でありましょうか?
 〔返〕 吹き上ぐる地下街の風に煽られてスカート捲れてマリリン特出し   鳥羽省三
     地下鉄の通風孔の風に舞ひモンローウォークのお尻丸出し
 

[同二席]

○  庭木々と寡黙のうちに語るらし園丁老いて一樹のごとし  (うきは市) 大津留直

 「庭木々と寡黙のうちに語るらし」というのは、あくまでも作者の推測に過ぎません。
 その真実は、「園丁」が「老いて」、「一樹」の如く、ただ単に呆然と立ち尽くしているだけのことかも知れません。
 だとすると、“年老いる”ということは、ご当人にとっては、決して悪いことだけでは無いことになるのであり、本作の場合は、年老いて呆けてしまって、仕事もしないでいる「園丁」の姿を、“無手勝流”の剣豪か達観した哲人のように捉えたということになりましょう。
 〔返〕  ひねもすにのらりくらりの園丁が寡黙の聖者と誤解されたり   鳥羽省三
      園丁のひねもすのらりくらりして一樹と影に紛れて暮らす


[同三席]

○  わが胸に園の入口二つあり哀しき時は右に入りゆく  (横浜市) 清水 峻

 「園」と言っても、植物園、動物園、幼稚園、霊園、庭園と色々様々でありましょう。
 本作の「園」とは、横浜市中区に在る“三渓園”を指して言うのでありましょうか?
 作中に「哀しき時は右に入りゆく」とありますが、左側の「入口」よりも「右」側の「入口」の方が、何となく人出が少なくて静かな感じがしますが、作者の清水峻さんとしては、どのようにお考えになられ、「哀しき時は右に入りゆく」のでありましょうか?
 〔返〕  我が胸にフクシマへの思ひ二つあり邪悪な思ひは右側に在り   鳥羽省三
      「右→福島、左←須賀川」の標識に芭蕉主従の二の足踏めり



[入選]

○  楽園にしていたあなたのマンションに亀裂が入り逃走しました  (杉並区) 平岡淳子

 「亀裂」が入ったのは、「あなたのマンション」の壁では無く、「あなた」と私の仲でありましょうか?
 〔返〕  楽園を地獄に変えた大震災 杉並エゴと逃げ出しました   鳥羽省三
      割れたのはマンションの壁と夫婦仲壁の穴から逃げ出しました


○  絶滅危惧種並ぶ植物園のなか展示されるという植物のかたち  (国分寺市) 大平千賀

 「絶滅危惧種」であろうが無かろうが、「植物」というものは、「植物園のなか」に植えられていたり、生えていたりするのが通常の状態である。
 それなのに、「展示される」というのは、かなり差別的な、或いは不当な「かたち」である、と、本作の作者は気がついたのでありましょう。
 そのことの不当さは、他人の詠んだ歌をかくまでも熱心に鑑賞する者、即ち鳥羽省三は「絶滅危惧種」であるから、市役所前の檻に入れて「展示」すると言うのに等しいかと思われます。
 〔返〕  絶滅を危惧する歌会始めの儀寄人になりし岡井隆氏   鳥羽省三    

○  幼稚園のときに見上げた鉄棒が怯えたようにわたしを見てる  (豊中市) 松本紗矢子

 「松本紗矢子ちゃんも、とうとう私を裏切ったのか!、描き眉などして恐ろしい形相の女になったものだ!」といった感じで、「幼稚園のときに見上げた鉄棒が怯えたようにわたしを見てる」と、本作の作者の松本紗矢子さんは思っていらっしゃるのでありましょうか?
 だとすれば、お子様をお迎えにいらっしゃった時のお化粧が、かなりけばけばしいのを、ご自身が気になさって居られたせいで、そのような感じを持たれたのかも知れません。
 〔返〕  厚化粧入園禁止の立て札が門柱脇に掲げられてる   鳥羽省三


○  翠鳥園、白鳥と続く坂道にひかり満たして小鳥屋ありぬ  (富田林市) 橋本恵美

 作中の「翠鳥園」及び「白鳥」は、大阪府羽曳野市内の町名であるが、「坂道」の多い場所でありましょうか?
 因みに、羽曳野市内の地名を五十音順に列挙すると以下の通りとなるので、参考までに記録しておきましょう。
 「飛鳥(あすか)・伊賀(いが)・碓井(うすい)・恵我之荘(えがのしょう)・大黒(おぐろ)・学園前(がくえんまえ)・樫山(かしやま)・軽里(かるさと)・河原城(かわはらじょう)・川向(かわむかい)・蔵之内(くらのうち)・郡戸(こおず)・駒ケ谷(こまがたに)・誉田(こんだ)・栄町(さかえまち)・島泉(しまいずみ)・尺度(しゃくど)・翠鳥園(すいちょうえん)・高鷲(たかわし)・通法寺(つうほうじ)・壺井(つぼい)・西浦(にしうら)・野(の)・野々上(ののうえ)・白鳥(はくちょう)・埴生野(はにゅうの)・羽曳が丘( はびきがおか)・羽曳が丘西(はびきがおかにし)・東阪田(ひがしさかた)・広瀬(ひろせ)・古市(ふるいち)・南恵我之荘(みなみえがのしょう)・南古市(みなみふるいち)・向野(むかいの)・桃山台(ももやまだい)」

 〔返〕  羽曳野は飛鳥・白鳥・翠鳥園・羽曳が丘に高鷲も在り     鳥羽省三
      そのかみの古市古墳の羽曳野市チョーヤ梅酒も忘れないでね
 本文中に、羽曳野市内の町名が列挙されているのを見た妻が、「またアスペルが始った」などとくだらないことをほざいておりましたが、何かの機会を通じて、知らない土地の名称に触れることは、私にとっては、決して無駄なことではありません。   


○  紫陽花の青き中より園児らが浚われるごとバスに乗りたり  (徳島市) 矢野秀子

 鑑賞者は、「浚われる」と「攫われる」との違いに着目しなければなりません。
 「浚われる」の「浚」は、浚渫の「浚」であり、本作の意は、「川の中から砂利や砂などがまるごと掬い取られるようにして、『園児ら』が『バスに乗り』込んで行った」といったところでありましょう。
 また、季節柄、通園バスの停留場に咲いている「紫陽花」が、若々しく青い色して咲いていたのでありましょう。

 〔返〕  浚はれて園児が去りしバス停の紫陽花のあを突如褪せたり   鳥羽省三
      園児らはお迎へバスに浚はれて遠き越後に向ふにあらむ
 遠き越後に攫われて行った「園児ら」を待つものは、角兵衛獅子や瞽女になる為の厳しい修業鍛錬の日々である。


○  静かなる丘にあけぼの園がある、ひと際しずかに母を包んで  (田川市) 野口賢司

 「高齢者介護施設を設置したり、入所したりする場合は、設置者や関係者は、その名称に大いに拘る」という話を、何方かから聴いたような気がします。
 「静かなる丘」に在る、高齢者介護施設の名称が「あけぼの園」とは、何と設置目的に適った素晴らしい名称でありましょうか。
 人生の暮れ方に在る人々が居住する施設の名称が“ゆうぐれ園”では無く「あけぼの園」とは、其処に設置者のさまざまな思いも重なっての命名でありましょう。
 また「ひと際しずかに母を包んで」という月並みな表現にも、「母」及び「あけぼの園」に対する作者の思い入れの強さが極めて強く感じられます。
 〔返〕  暮れ方にあけぼの園を見舞ひたり窓辺の夕陽身にぞ沁み居る   鳥羽省三
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

一首を切り裂く(010:駆・其のⅢ・話題テンコ盛り歌人必読版)

2011年07月25日 | 題詠blog短歌
(紫陽花)
○  駆け出しの初々しさも円熟の色気も持たずされどわれ見よ

 「駆け出しの初々しさも円熟の色気も持たず」に、本作の作者の紫陽花さんは、一体、何を売り物として「われ見よ」と豪語なさるのでありましょうか?
 〔返〕  紫陽花は七彩変化移り気が私の魅力男ども知れ   鳥羽省三
      アラフォーは図々しさだけが売り物で出しゃ張りくちゃべり嫌われて居る   鳥羽省三


(B子)
○  新月の闇を切り裂き真夜中を駆け抜けてゆく(TSUTAYA、閉まるな)

 本作の作者・B子さんの「B」も、作中の「TSUTAYA」も半角文字である。
 半角には、全角とは異なった特別な魅力が存在するのでありましょうか?
 それとも、単なる手抜きでありましょうか?
 「新月の闇を切り裂き真夜中を駆け抜けてゆく」とあるから、怪盗・隼小僧の登場の場面かと思って、胸をわくわくさせたのであるが、「(TSUTAYA、閉まるな)」には、がっくりと来ました。
 しかし、鑑賞者に大きな期待感を抱かせながら、肩透かし的にがっくりさせるのも、短歌表現としての有効な手段の一つかと思います。
 また、「(TSUTAYA、閉まるな)」という下句の表現には、“B子さん的な日常”という場面を考えた時、かなりのリアリティが感じられました。
 〔返〕 満月に導かれつつあくがるる真夜のTSUTAYAは我のオアシス   鳥羽省三
     清水ゆ祇園をよぎる桜月夜花見小路のTSUTAYAに寄りぬ
  

(珠弾)
○  飛ぶように歩く 気持ちは駆けている 街道沿いに茶屋はあったか

 「茶屋」と言っても“日本橋・山本山”などのような茶葉の販売店を指して言うのではありません。
 本作での「茶屋」とは即ち“出会い茶屋”、つまりは現代の連れ込み専用のホテルやモーテルのような性格の宿泊乃至は休憩の為の施設を指して言うのである。
 本作の作者・珠弾さんは、「街道沿いに茶屋はあったか」などと、さも心配げなことを仰っておりますが、当節のモーテルなどとは異なり、珠弾さんが現役の遊び人であった頃の“出会い茶屋”は、「街道」筋から少し離れた静かな所に在るのが普通であるから、珠弾さんが「街道沿いに茶屋はあったか」と心配げに仰るのも尤もなことでありましょう。
 自分自身の当面している行動を分析して「飛ぶように歩く」と言い、「気持ちは駆けている」と言い直しているのは、かなり余裕のある態度と申せましょう。
 だが、それは表面だけのことであり、その内実は、焦りに焦っているのでありましょうし、また、寵愛する陰間の待つ“出会い茶屋”に急ぐ中年男の気持ちは、そうしたものでありましょう。
 〔返〕  飛ぶように歩くも駆けるも気持ち的には同じこと君は焦ってる   鳥羽省三  


(月原真幸)
○  駆除したい ネズミ ゴキブリ スズメバチ わたしの心の中の弱虫

 「わたしの心の中の弱虫」は、上記の四個の「駆除したい」もの中で、最も「駆除」することが容易いものであると同時に、最も「駆除」することが難しいものでもあるのである。
 何故ならば、「わたしの心の中の弱虫」以外の三個は、多少の経済的な負担は伴うものの、それ専門の「駆除」業者に依頼することによって、「わたし」自身は指一本動かさずに「駆除」することが可能なのである。
 それに対して、「わたしの心の中の弱虫」は、それ専門の「駆除」業者は在りませんし、仮に在ったとしても、「わたし」自身がそれらしい気持ちにならなければ、「駆除」することが出来ないのである。
 だとすると、私の前述の意見とは異なり、「わたしの心の中の弱虫」は、上記の四個の中で、最も「駆除」することが難しいものと言わなければならないことになるのであるが、それは一方的な考え方であり、当節の人間の心の中が、極めて容易く変化するものであることは、「なでしこジャパンから元気を貰ったから死ぬのを止めた」などということを、けろっとして言う輩が居ることによっても証明されましょう。
 〔返〕  駆除しよう自民公明みんなの党小沢鳩山菅も立ち枯れ   鳥羽省三
      駆除しよう庭の蟷螂根切り虫ゴーヤ西瓜もみな食べられた


(今泉洋子)
○  鍵盤を透明の手が駆けめぐりカノン奏づる夜の夢タウン

 本作の作者・今泉洋子さんは、あの玄海原発の在る佐賀県にお住いの方である。
 私たち平均的な日本人の常識(私・鳥羽省三が平均的な常識の所有者であるか否かの論は、この際、ご無用に願います)からすれば、佐賀県と言えば、“ガタスキー”を履いてのムツゴロウの捕獲以外の楽しみが無い、と思ってしまうのでありますが、その佐賀県佐賀市内に、「ゆめタウンさが」という超大型ショッピングセンターがオープンしたのは、2006年の歳末のことでありました。
 センター内には、「紀伊国屋書店・スーパースポーツゼビオ・トイザらス・ニトリ・ベスト電器・アパマンショップホールディングス・アビバ・ヴィレッジヴァンガード・ABCクッキングスタジオ・ABCマート・X-SELL・河合楽器・キデイランド・ケンタッキーフライドチキン・サンマルク・ジェイティービー・スターバックス・大創産業・宝くじ売り場・ドトールコーヒー・ナムコ・ペッパーランチ・マクドナルド・モスバーガー・ユニクロ・ライトオン・良品計画」などの160店舗が煌びやかに開店し、「夢」の無い佐賀県民に「夢」を売ろうとしているのである。
 本作は、その「ゆめタウンさが」内の“河合楽器”のショールームで、過日行われたピアノ演奏会の風景をお詠みになったのでありましょうか?
 私見に述べさせていただきますと、いかに河合楽器の主催とは言えど、僻陬の地・佐賀に、一流のピアニストが出掛けるはずはありませんから、音楽通、クラシック通の今泉洋子さんの御目には、地元のピアノ教室の先生の弾くピアノの音が「鍵盤を透明の手が駆けめぐりカノン奏づる夜の夢タウン」という具合に見えたのでありましょう。
 それにしても笑止千万なのは、「鍵盤を透明の手が駆けめぐり」という上句の表現である。
 諫早湾の汚泥に塗れ、“ひねもすのたり”ムツゴロウの捕獲に余念の無いピアニストの「手」が「透明の手」であろうはずは無く、おそらくはお年のせいで、本作の作者・今泉洋子さんは色覚に異常が帰たしたのでありましょう。
 末筆ながら、本作の出来栄えについて申し上げますと、内容も表現も極めて通俗的であり、「ゆめタウンさが」のコピーとして採用され、一万円の商品券を獲得する可能性もありません。
 〔返〕  干潟のなか日がな一日駆け巡りムツゴロウ捕る性(さが)の人かも   鳥羽省三


(田中彼方)
○  設計図どおりに作ったはずなのに、またミニ四駆のギアがあまった。

 そういう事って、よくありますよ。
 私の場合は、定型に拘って詠んだはずの短歌の三句目が、まるまる欠けていたりするのであります。
 でも、そうしたことが“たまたま”の出来事では無く、「またミニ四駆のギアがあまった」ということになりますと、本作の作者・田中彼方さんも亦、直前の作品の作者や私と同様に、お年のせいなのかも知れません。
 〔返〕  今月もまた余ったと妻が言う遣り繰り下手で日にちが余る   鳥羽省三


(村上 喬)
○  疾駆する噂の跡をなぞるごと不安の種は発芽していく

 「疾駆する噂」という表現は、真に卓越した表現ではありますが、「噂」が自分で勝手に「疾駆する」訳はありませんから、どなたかが悪意を持って「疾駆」させたのでありましょう。
 その「疾駆する噂の跡をなぞる」ように「不安の種は発芽していく」という、追い詰められたような心理状態になることは、昨今の我が国の世情の中にあっては、極めて当然のことでありましょう。
 〔返〕  脱線の秘密を握るコクピット壊して埋めるお国柄かも   鳥羽省三


(鳥羽省三)
○  駆け出せば止まること無き松野さん福岡市会議員さんです

 初稿は、「喋り出せば止まること無き明美さん福岡市会議員さんです」でありました。
 平成の大型市町村合併の結果、かの松野明美さんは、今や政令指定都市・大福岡市の「市会議員さん」として、日夜、ご奮闘中とのことであります。
 〔返〕  口もまた脚同様に八丁で松野明美氏タレント議員   鳥羽省三
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

一首を切り裂く(010:駆・其のⅡ・必読増補豪華決定版)

2011年07月24日 | 題詠blog短歌
(紗都子)
○  校庭につかのまの雪とけてゆく駆けるこどもの足跡つれて

 「雪」が「とけてゆく」と共に「雪」の上を「駆け」て行った「こどもの足跡」が消えて行った現象を見て、本作の作者は、「雪とけてゆく駆けるこどもの足跡つれて」と言ったのでありましょう。
 それとは別のレベルの話でありますが、「校庭」を「つかのま」白く染めていた「雪」は、自分の命が「とけていく」のがとてもとても辛いので、未練がましくも「こどもの足跡」を道連れにして「とけてゆく」のでありましょうか?
 〔返〕  校庭を白く染めにし淡雪の消へ行く時は未練がましも   鳥羽省三
      校庭をつかのま染めし白雪の子らの足跡つれて消へ行く    


(髭彦)
○  電網を民が駆使せる革命の起きうる世をば誰想ひけむ

 本作中の「革命」とはチュニジアなどでの独裁政権の崩壊、いわゆる“ジャスミン革命”を指して言うのでありましょう。
 〔返〕  電網を駆使させぬ某大国で革命騒ぎは在り得ぬことだ   鳥羽省三


(那緒)
○  駆け引きに頼らないひと 毎日のごはんおいしく食べているひと

 本作の内容は、上句と下句の間に“一字空き”が在ることから判断すると、「駆け引きに頼らないひと」及び「毎日のごはんおいしく食べているひと」と、作者・那緒さんのタイプの男性を並べただけのことでありましょう。
 〔返〕  関取は八百長に手を貸さぬこと野球賭博に手を出さぬこと   鳥羽省三
      ブランドを欲しがらない人ブランドの良さを知らない訳ではない人   


(夏樹かのこ)
○  すり減った靴底の分駆けてきた今年もきっとはなびらを踏む

 「すり減った靴底の分駆けてきた」ことは事実としても、そんな真面目なセールスマンが「今年もきっとはなびらを踏む」とは限らないと思います。
 〔返〕  折れ釘や犬猫の糞踏むでしょう磨り減った靴で歩き回ると   鳥羽省三
      磨り減った靴の分だけ契約を取ったかというとそうも言えない
      磨り減った靴の分だけ神経をすり減らしたらとても持たない


(砺波湊)
○  全細胞駆動ってカンジに走り終えた馬の大きな静かな目玉

 「感じ」をカタカナで「カンジ」としただけのつまらない作品である、との評価もなされましょうが、「全細胞駆動」という突飛な言い方を思い付いた点も見逃してはなりません。
 〔返〕  全速力2本の脚を駆動して100メートル走9秒58  


(五十嵐きよみ)
○  身をかがめ駆け出す前の静寂を背負う横一線の走者ら

 「用意!」からスタートのピストルが鳴るまでの間の会場の静まりを「静寂」と表現したのでありましょうが、「静寂」と言うよりはむしろ「緊迫」もしくは「緊張」と表現するべきかも知れません。

 〔返〕  緊迫に耐へ得ずボルトが飛び出して一発失格おじやんとなりぬ   鳥羽省三  
 この場合に大事なのは、世界記録保持者の「ボルト」が「失格」となって「ボルト」自身だけが「おじやん」となっただけでは無く、レースそのものが「おじやん」となったことを理解することである。
 本命が出場しないレースほど詰まらないことはありません。


(砂乃)
○  雪道へ駆け出す元気はもう無いと母はゆっくり轍をたどる

 とは言え、「雪道」の「轍をたどる」のも、脚が縺れたりしてなかなか難儀なことでありましょう。
 〔返〕  雪道へ駆け出すこともままならずママも轍をそろそろ辿る   鳥羽省三
      雪道を駆け出すことも難儀だが砂の上駆け出すのも難儀


(南葦太)
○  恋人は駆けつけられず遠くから心配してる設定の夜

 それだったら、遠くから「駆けつけ」た「恋人」を抱き寄せられずに、空しくチャンスを逃してしまう「設定の夜」だって在りましょう。
 〔返〕  恋人は駆け付けられぬほどメタボだが心配性でないから安心   鳥羽省三


(花夢)
○  駆け引きが上手なひとを好きになるあんたの負けよ、はないちもんめ

 「駆け引きが上手なひと」は、必ずしも頭のいい人とは限らず、ただ単に「駆け引きが上手な」だけの「ひと」であったりする場合もありましょう。
 本作の作者は、そういう場合も在ることを想定出来ないで、「駆け引きが上手なひとを好き」になった彼に対して「あんたの負けよ」と言い、「はないちもんめ」というパッピーエンド紛いの言葉を五句目に置き、「彼」に花を持たせようとしたのでありましょう。
 そして、そうした配慮の底には、「この際、何が何でも、相手は誰でも、花夢段階を卒業して、花嫁段階に突入したい」という魂胆が見え見えなのである。
 しかし、それでも尚且つ「めでたし、めでたし」という具合に事が運ばずに「彼」に捨てられてしまったのは、「駆け引きが上手なひと」を自認するだけの彼女らしい失敗と言えましょう。
 つまり、本作が私たち読者に与える教訓は、“自業自得”という極めて単純なものでしかありません。
 〔返〕  駆け引きの好きな女は捨てられる天網恢恢疎にして漏らさず   鳥羽省三
      ひたすらに愛せらるる日を待ちませう駆け引きだけで花は咲かぬぞ


(伊倉ほたる)
○  駆け引きを身に付けていく五つ目の嘘に被せる濡れたハンカチ

 本作の作者も亦、直前の作の作者が踏んだ轍にむざむざと嵌ろうとしているのでありましょうか?
 本作をまともに解釈すると、作者は、自らが「駆け引きを身に付けていく」過程を、自らの成熟の過程であるなどと誤解して、それを故意に見せびらかしているような感じである。
 年増女の「嘘」は、一つ目や二つ目ならともかく、「五つ目」ぐらいになると、どんなに「濡れたハンカチ」を被せても誤魔化し切れません。
 〔返〕  君を待つ地獄の業火 アラフォーよ駆け引きなどに身を委ねるな   鳥羽省三
      

(神楽坂朱夏)
○  たそがれがぼくらの日々を駆けてゆく きみの声すら思い出せずに

 そうです、そんな感じです。
 「ぼくらの日々」は、ひたすら「たそがれ」だけが追い「駆けてゆく」ような感じなのです。
 「えっ、黄昏が何を追い駆けて行くのかって?」
 「それは決まってますよ。黄昏はただひたすらに黄昏自身を追い駆けて行くんです。だから、僕らの毎日は、とても暗くて怖いんですよ!」
 〔返〕 朱夏の日が奈落に沈む神楽坂十三七つで襟替えされた   鳥羽省三    

(理阿弥)
○  ジョイフルに選びあぐねる殺してもよい鼠らを駆除するクスリ

 「ジョイフル」はファミレスですから、「選びあぐねる」もあぐねないも無く、「殺してもよい鼠らを駆除するクスリ」などは販売しておりません。
 それにしても、理阿弥さんともあろうお方が、ファミレスで殺鼠剤について考えているとは、とんでもない話です。
 “人は見掛けによらず”とは、よく聴く話ではありますが。

  〔返〕  ジョイフルの目玉商品ステーキは国産牛でないから安心   鳥羽省三
 上記のような戯れ言を書いて公開したところ、早速、南葦太さんから、次のようなコメントを頂戴致しました。

 「Unknown (asita)/2011-07-25 00:32:47/…耳の痛い話ではありますね。たとえそれが自らが選んだ"設定"なんだとしても。/お節介がてら。/理阿弥さんの歌の「ジョイフル」は、レストランのジョイフルではなく「ジョイフル本田」というホームセンターのことかと推察致します。/レストランで供される食品が我々を殺す害悪なものである云々の批判、という読みも出来なくはないですが、それでは流石にジョイフルさんに名誉棄損で訴えられます。」

 上記の南葦太さんからのコメント中、「耳の痛い話ではありますね。たとえそれが自らが選んだ"設定"なんだとしても。」までの部分については、本作とは直接関係ありません。
 本作に関わる部分は、それ以降の部分、即ち「お節介がてら。/理阿弥さんの歌の『ジョイフル』は、レストランのジョイフルではなく『ジョイフル本田』というホームセンターのことかと推察致します・・・・・云々」の部分であります。
 
 南葦太様、ご教示まことに有難く御礼申し上げます。
 ご教示賜るまでも無く、小生も、作中の「ジョイフル」とは、恐らくはファミレスの「ジョイフル」では無く、ホームセンター「ジョイフル本田」の、理阿弥さんなりの略称だろうと思っていたのですが、ホームセンター「ジョイフル本田」で、あの修業者のような理阿弥さんが、「殺してもよい鼠らを駆除するクスリ」を「選びあぐねる」という内容の歌をまともに解釈しても、少しも面白くも可笑しくもありませんから、作中に「ジョイフル本田」では無く「ジョイフル」とあったことにいいことにして、あのような戯れ言を述べたまでのことでありました。
 ご指摘の「ジョイフルさんに名誉棄損で訴えられます」という事態に至ったとしたら、別途、対策方法はいろいろと考えさせていただきます。
 何はともあれ、南葦太さんには大変お世話になりました。
 また、本作の作者・理阿弥さんには大変失礼申し上げましたが、略称の安易な使用は、時と場合によっては、南葦太さんのご指摘の通り、裁判沙汰にもなりかねませんから、お互いに充分に気をつけましょう。
 それから、これは、南葦太さんや理阿弥さんだけに向って申し上げるのでは無く、本ブログの読者の方全員に向って申し上げるのですが、私・鳥羽省三の記した、短歌鑑賞の記事には、時折り(と言うよりも、“いつも”かも知れません)、故意に誤解紛いのことを記すこともありますが、そのほとんどは、戯れの為せる業でありますから、枉げてご承知おき下さい。
 何卒、宜しくお願い申し上げます。        七月二十五日早朝・鳥羽省三
 それにしても、また、真夏日がぶり返しましたね。
 理阿弥様や南葦太様を初めとした読者の皆様方、ご健康には充分にご留意なさって下さいませ。
 〔返〕  この際は牛肉もりもり食べましょうコレステロールの摂り過ぎ注意   鳥羽省三
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

一首を切り裂く(010:駆・其のⅠ・訂正版)

2011年07月23日 | 題詠blog短歌
(西巻真)
○  考へるのに飽きたロダンは2ミリづつ今年も駆けださうとしてゐる

 上野公園の国立西洋美術館の「ロダン」作の『考える人像』が「今年」も「2ミリづつ駆けださうとしてゐる」ように見えたとしたら、それはこの度の大地震の結果としての地殻変動が原因、或いは、これから起きるだろう大地震の前兆としての地殻変動が原因のように思われます。
 いずれにしても碌なことではありませんが、そもそも、「考へる」ことによってのみ自己の存在を主張する事のできる人間が、「考へるのに飽きた」としたら、それは自己否定以外の何ものでもありません。
 私・鳥羽省三でさえ、考えながらこうした駄文を書いているのですよ。
 〔返〕  店を閉めマダムロタンはどうなった柿の木坂の籐家具の店   鳥羽省三  

(tafots)
○  ミニ四駆つくったことも無いくせに子ども心が分かるって顔

 それも確かに一つの理屈ではありましょうが、「子ども心が分かるって」かどうかの判断を、そんな低次元の事で決め付けることは出来ません。
 それに、「ミニ四駆」なるものは、予め用意されているキットを買って来て、“作る”と言うよりも“組み立てる”といった感じですね。
 〔返〕  一年に千首も詠めば世間並み歌人と呼ばれ恥じること無し   鳥羽省三
      ミニ四駆組み立てたことが切っ掛けでデザイナーの道歩まんとした


(西中眞二郎)
○  ぐっしょりとお尻濡らした若き娘(こ)が雨の列車に駆け込んで来ぬ

 作中の「若き娘」が「ぐっしょりとお尻」を「濡らした」理由については言及しないところが、西中眞二郎短歌の奥深いところでありましょうか?

 〔返〕  ぐっしょりと濡れてしまった若き娘が私の夢に割り込んで来た   鳥羽省三
 西中眞二郎氏の高尚なる傑作に応えて、かかる下賎な作品を詠むのが、私・鳥羽省三の鳥羽省三たる所以でありましょうか?


(鮎美)
○  萌黄色の園服姿忘れ得ず駆け落ちのそののちは知らざり

 「萌黄色の園服姿」とは、とても可愛く希望に満ち溢れたイメージである。
 そんなに可愛く前向きな少女が「駆け落ち」騒ぎの主人公になるのですから、両親としては、自分たちの子供はいつまでも子供のままでいて欲しいと願うのでありましょう。
 〔返〕  それなのに、ああ、それなのに今日の日が在るとは誰も思わなかった   鳥羽省三
      ヨコハマで鮎美という名で出ています最初の彼とは別れちゃったの


(猫丘ひこ乃)
○  駆り出されバケツリレーをするうちに瞳に炎ゆらしておりぬ

 本作の作者・猫丘ひこ乃さんは、「ひこ乃」というお名前から判断しても、“大正ロマン”の全盛期にお生まれになった方かと思われます。
 したがって、第二次世界大戦中の「バケツリレー」をご経験なさったのも、極めて当然かと存じます。
 そこで、猫丘ひこ乃さんにお伺い致しますが、あの「バケツリレー」というやつは、嫌々乍らも、在郷軍人や隣組の役員たちに強制されて遣るものだと、私は理解していたのですが、遣っている「うちに瞳に炎」が立ち上がるような魅力的なゲームだったんでしょうか?
 〔返〕  サッカーのサポーターという例もある遣ってるうちに瞳に炎   鳥羽省三
      つまらない歌を読んだりする事も遣ってるうちに面白くなる


(浅草大将)
○  夏草の跡も残さでつはものの夢は枯野をなど駆けめぐる

 こちらのお方は、“大正ロマン”を遥かに通り越して“元禄ロマン”でありましょうか?
 時恰も、彼の地は世界遺産に登録されたと言う。
 ところで、私が子供の頃には、あまり手入れのなされていない公園などの「夏草」の乱れで以って、前夜、その「夏草」を敷いて若い男女がどんな振る舞いに及んだか、いうことが、子供心にもそれとなく解ったものでありましたが、近頃は、野外でのそんな振る舞いにお目にかかることも無くなりました。
 それともう一点、ウィンブルトンのセンターコートの芝生もかなり乱れていて、クルム伊達公子さんにはお気の毒でした。
 別に、私が謝罪しなければならないような事項ではありませんが。
 〔返〕  夏草のみどり疎らなコートにて大暴れしたクルム伊達公子   鳥羽省三


(紫苑)
○  疾駆する馬ともまがふ朝焼けの雲は不穏を乗せて向かひ来

 きっと、間も無く押し寄せて来る大地震の前触れだったのに違いありません。

 〔返〕  奔馬ひとつかすみの奥に現れつ我が国のみの原発事故か   鳥羽省三 [註]  「奔馬ひとつ冬のかすみの奥に消ゆわれのみが累々と子をもてりけり」(葛原妙子『橙黄』より)


(アンタレス)
○  人生の持ちし夢をば奪われて闇の年月今駆けぬけぬ

 作中の末尾の「けぬ」は、「消ぬ」即ち「消えてしまった」という意味でありましょうか?
 だとすれば、「消ぬ」とは文語表現でありますから、三句目の「奪われて」は「奪はれて」とするべきでありましよう。
 また、詠い出しの「人生の持ちし夢をば」という“五七句”は、あまりにも無理な表現であり、極めて推敲の足りない作品と思われます。

 〔返〕  乙女なりし夢の全てを捨て去って八頭身を病床に臥す   鳥羽省三
 なんだか、往年の伊東絹子さんみたいですね。
 でも、現実の自分はたとえ六頭身でも、この場面では、自己を「八頭身美人」と滑稽化し、お笑いの対象とすることに拠って、救いの無い内容に救いを齎そうとしたのです。
 また、こうした戯画的な措置は一種の“遊び心”です。
 短歌は、ひたむきに詠むことも必要ですが、“遊び心”を持って詠むことも大切です。
 アンタレスさんの作品に何よりも欠けているのは、その“遊び心”というやつです。
 現実が苦しければ苦しいほど、“遊び心”を忘れないようにして下さい。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

今週の朝日歌壇から(7月18日掲載・其のⅢ・堂々二十首決定版)

2011年07月22日 | 今週の朝日歌壇から
[永田和宏選]

○  選手として違う境地にいるような笑窪は深いクルム・伊達公子  (四街道市) 佐相倫子

 「私もクルム伊達の健闘にエールを送る一人。たとえ負けていても、彼女にはどこかオーラのような神々しさが漂う」との選評である。
 本作の作者の言う「選手として違う境地にいるような」感じも、永田和宏氏の言う「オーラのような神々しさ」も、やるだけのことはやったうえで引退宣言をし、再び若者たちとゲームを楽しむようなつもりでコートに立っている者の強さが齎す効果でありましょう。
 また、“クルム伊達(公子)”という、すごい格好の良い複合姓も伊達や酔狂で背負っている訳ではありません。
 〔返〕 褒められて凹みもつかぬ笑窪かもクルム伊達公子膨れ顔なる   鳥羽省三


○  剥き出しの岸辺に佇てば一群のいちはつ避けて重機並びぬ  (石巻市) 須藤徹郎

 「一群のいちはつ避けて重機並びぬ」という場面は、本作の泣かせ所でありましょうか?
 本作をお詠みになる際に、作者の須藤徹郎さんの脳裏に在ったに違いない、「いちはつの花咲きいでて我目には今年ばかりの春行かんとす」という作品は、正岡子規の辞世とも言える傑作である。
 「一群のいちはつ」の「花」を「避けて」「重機」が被災地の川の「岸辺」に並ぶ光景も、「今年ばかり」のことであれば宜しいのですが。
 〔返〕  並び居る重機を前にいつはつの花咲かむとす一歩も引かず   鳥羽省三


○  百歳まで保証しますとこの人もことなげに言ふご勘弁を  (浜松市) 仲村正男

 「ご勘弁を」などと仰って居られますが、それはあくまでも照れ隠しであり、ご当人は、案外そのつもりなのかも知れません。
 〔返〕  事なげに百歳過ぎまで生きましょう元気溌剌仲村正男氏   鳥羽省三     

○  地図に置く人差し指に子の任地親指の下に原子力発電所  (平塚市) 高橋英子

 縮尺にもよりましょうが、「人差し指」と「親指」との間は少なくとも五センチメートル程度である。
 仮に一万分の一の地図だとしたら、作中の「子の任地」と「原子力発電所」との隔たりは、わずか五百メートルでありますから、いざといった場合は極めて危険である。
 と言うことは、歴代の自民党政府が推進した原発依存のエネルギー政策は即座に止めさせなければならないことになりましょうか?
 〔返〕  原発を枕にして寝た如きもの御前崎グランドホテルの一夜   鳥羽省三  

○  夕映への渚に棒切れ一本が傾ぎ立ち居り沖縄忌けふ  (佐渡市) 神蔵 久

 「沖縄忌けふ」という七音を五句目に置けば、大抵の“五七五七”が反戦歌になるような気がします。
 即ち、「有り明けの厨に猫が寝てゐます僕は起きてる沖縄忌けふ」、「夕焼けの水平線に帆が消えたゆらりともせず沖縄忌けふ」、「丑三つの井戸に蛙が飛び込んだほちやんと音す沖縄忌けふ」、「五年余で五つの内閣潰れちゃう菅は粘るね沖縄忌けふ」など等と。
 〔返〕  鷗外の墓前に立ちて嘔吐せる若者たちの桜桃忌けふ   鳥羽省三     

○  吾のへその穴に片目を押し当てて姉が弟の棲か家を覗く  (和泉市) 星田美紀

 あの星田美紀さんらしくもなく、かなり危なっかしい一首である。
 〔返〕  吾の臍の下に口当て「出て来なさい。姉さんですよ。」と娘は呼びぬ   鳥羽省三


○  ノンフィクション映画の中で唯一のフィクションかも知れぬ夕焼けの赤  (桜井市) 田村美由紀

 映画の画面中ではたったの数秒に過ぎない「夕焼けの赤」を得たい為に、少ない予算を遣り繰りしながら、酒田市の浜辺で一週間も野宿をしたという経験を持つ「ノンフィクション映画」の助監督の手記を読んだことがあります。
 〔返〕  ノンフィクション映画の中の最高の傑作は『ゆきゆきて神軍』   鳥羽省三


○  地蔵川湧く水すがし藻を曳きてゆたにたゆたに梅花藻の咲く  (吹田市) 小林 昇

 本作にも用いられている「ゆたにたゆたに」という万葉語の使用例として知られているのは、『万葉集』巻七に“出典不明歌”として収められている「我が心ゆたにたゆたに浮き蓴辺にも沖にも寄りかつましじ(あがこころゆたにたゆたにうきぬなはへにもおきにもよりかつましじ)」でありましょう。
 出典不明かつ作者不明のこの和歌は、「私の心はあの沼に浮いている蓴菜のように、ゆったりとしたり、ゆらゆらと動揺したりして、ただの一時として同じ状態に定まっている事は無い」といった意味であり、叙景歌と言うよりも、恋しい異性を前にした時の若い男(或いは女)の不安定な心の状態を詠んだ恋歌である。
 本作は、その万葉の恋歌から「ゆたにたゆたに」という言葉を借用しての、清新な叙景歌であり、その意は、「『地蔵川』の川底から『湧く水』は清清しい。そして、その『水』の中では、さ緑いろの水藻を『曳きて』、ゆったりとしたり、ゆらゆらと揺れたりしたりしながら『梅花藻』が『咲く』」といったところでありましょう。
 万葉集の名歌を下敷きとした、本作を是とするか、否とするかの判断の境目は、万葉人が蓴菜というぬめぬめした水中植物の揺れる様に託して、恋ゆえに激しく揺れる自分の心の状態を表そうとした「ゆたにたゆたに」という複雑な言葉を、「地蔵川」の水中に「咲く」「梅花藻」の揺れる様を表す言葉として用いたことに対する評価に係っているのでありましょう。
 ここで、私見を述べさせていただきますと、恋歌としての万葉集の歌を下敷きとして、それとはがらりと趣の変わった叙景歌を詠んだのは、本作の作者・小林昇さんの並々ならぬ見識と発想の冴えでありましょうか?
 〔返〕 蓴菜のぬるぬるしたる鰻重を食へず仕舞ひに過ぎし土用か   鳥羽省三  

○  なぜだろうあなたの前に立ってるとオレらしくないポーカーフェイス  (柏原市) 狩股竜至

 自戒の意味を込めた作品とも思われますが、「読んで字の如し」といった感じだけの、毒にも薬にもならないような作品でありましょう。
 〔返〕  「何故かしら?」優れた歌には毒もあり薬もあって意味が重厚?   鳥羽省三  



[馬場あき子選]

○  豆ほどの蝸牛(まひまひ)一つころげ落ち朝採りレタス土の香匂ふ  (三鷹市) 増田テルヨ

 たとえ「豆ほど」の大きさでも、「蝸牛」が這いずり回った後の「レタス」の葉は、ぬるぬるしているような感じで、私はとても食べる気がしません。
 そんな私の我が儘は別として、「豆ほどの蝸牛」が「一つころげ落ち」、「土の香」が「匂ふ」ような無農薬有機栽培の「朝採りレタス」の味は最高でしょう。
 〔返〕  時により青大将も居たりして有機栽培とてもむつかし   鳥羽省三


○  泣きじゃくる妹をパパがそっと見る葉の陰のかたつむりみたいに  (富山市) 松田梨子

 「第二首と第三首とは幼い姉妹の作。姉さんの方は少しおとなっぽい眼を持ちはじめた変化が楽しい」との選評である。
 首席の増田テルヨさんの作品に「かたつむり」が登場したので、それにあやかっての次席入選とも思われますが、「葉の陰のかたつむりみたいに」という直喩が卓抜な、大人顔負けの佳作と言えましょう。
 〔返〕  妹は泣きじゃくってても構わない宿泊学習の予行演習   鳥羽省三  


○  さみしくて泣いちゃう予定だったけどすぐに寝ちゃった宿泊学習  (富山市) 松田わこ

 あれあれ、パパやママを心配させながら、あれほど綿密に予行演習して来たのに、「すぐに寝ちゃった」とは、松田こちゃんもまだまだ寝んねですね。
 以下、“高野公彦選”を参照されたし。
 〔返〕  さみしくて泣いちゃう予定も忘れちゃい寝ちゃったなどとわこ無責任   鳥羽省三


○  七十億の驕れるヒトを育みて零さぬ地球に月光やさし  (岐阜市) 棚橋久子

 「地球」には、重力というものが働いておりますから、表面上は「七十億」の一人たりとも零す訳がありません。
 「驕れるヒト」や「驕らないヒト」、或いは「奢る人」や「奢らない人」の別け隔て無く、一切の「ヒト」や“人”を零したりするようなことは決してありません。
 でも、その内実はどうかしら?
 我が国に於いては総人口の一割方、我が国の最寄りの某経済大国に於いては総人口の九割方が零されているのかも知れません。
 そんな屁理屈は別として、本作の作者・棚橋久子さんは、真夜中にふと目覚め、自分の身体を包んで輝いている「月光」の「やさし」さに打たれ、この「月光」に照らされている「地球」の総人口が「七十億」も在ることに気付き、更には、その「七十億」の全てが「地球」や「月」などの環境の「やさし」さに守られて生きていることにも気付き、しばし呆然となさって居られるのでありましょう。
 真夏とは言え、夜風はお身体に毒ですから充分にお気を付け下さい。
 〔返〕  朝顔の露も零さぬ程のかぜ頬をくすぐる病み明けの朝   鳥羽省三


○  農家には以前と違う農繁期まず塩水を除き田を植う  (八王子市) 斎賀 勇

 本作の作者・斎賀勇さんは、被災地の宮城県もしくは岩手県の沿岸地方に、いわゆる“出作り小屋”を構えていらっしゃり、『農繁期』には彼の地にご出張なさって居られるのでありましょうか?
 だとしたら、「まず塩水を除き田を植う」といった正しい手順をご存じなのも、極めて当然なことでありましょう。
 〔返〕  作っても売れるはず無きササニシキひとめぼれかも純情米かも   鳥羽省三


○  父の日に吉きことのあり老妻が豆腐買ひ来て晩酌に添ふ  (埼玉県) 安良岡正二

 「豆腐買ひ来て晩酌に添ふ」とは、今時珍しい程の極めてささやかな「父の日」の「吉きこと」でありますことよ!
 かかる敬虔なるお暮らし向きのご夫婦に神様のお恵みあれ。
 〔返〕  豆腐屋へ二丁駅まで約半里群馬県太田市安良岡町    鳥羽省三


○  いくたびも田の水抜きし田鰻はサギに捕られて畦に横たう  (高槻市) 奥本健一

 「天網恢恢疎にして漏らさず」という場面でありましょうか?
 でも、「サギ」も食わない「田鰻」では、鰻丼にも出来ませんから残念無念。
 〔返〕  幾たびも田の水抜いてその挙句川に逃げちゃう鰻は憎い   鳥羽省三


○  博多より友来て曰く東京は暑くて暗く階段長し  (東京都) 夏目たかし

 でも、「博多」だって、あの玄海原発という恐ろしいものを抱えているから、何時いかなる時に、「暑くて暗く階段長し」という状態に陥るかも知れませんよ。
 〔返〕  九州に櫨が生えとる櫨蝋で明かり灯せる東京とちゃうで   鳥羽省三


○  町に入る私鉄の鉄橋今はなく痩せたる川に鮎の上がらず  (日立市) 加藤 宙

 「私鉄」は地下に潜り、上流にダムが出来た為に「川」が「痩せ」て「鮎」が「上がら」なくなったのでありましょうか?
 〔返〕  町に入る私鉄の鉄橋桁ばかり痩せたる川にブラックバス棲む   鳥羽省三


○  心の石ずしりと重くパソコンを開きて日本の新聞を読む  (フランス) 松浦のぶこ

 原発推進の最先端を切っているフランスに不安はありませんか?
 〔返〕  心の石さらり投げ捨てフランスへ行きたしと思うもあまりに遠し   鳥羽省三      
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

今週の朝日歌壇から(7月18日掲載・其のⅡ・必読決定版)

2011年07月21日 | 今週の朝日歌壇から
[高野公彦選]

○  パリよりの朗報届けば五月雨の金色堂はなほ光りたり  (奥州市) 及川ゆき野

 松尾芭蕉の『奥の細道』に「五月雨の降り残してや光堂」という名句が在る。
 “藤原三代”と“義経”と“松尾芭蕉”の「平泉」もいよいよ“世界遺産”ですから、いくら「五月雨」の中とは言え、「金色堂」も輝く訳でございましょう。
 〔返〕  ドイツより朗報届く“なでしこ”の優勝決定“どいつ”も笑顔   鳥羽省三


○  レディー・ガガ口紅つけしティーカップ復興祈ると手書きしてあり  (川崎市)  山根繁義

 選評に「レディー・ガガは先ごろ来日した歌手。日本の復興を応援する、と表明した」とある。
 派手好きでメッセージ好きな「レディー・ガガ」のことですから、どうせ、公演先の彼方此方でメッセージの安売り販売をするのでありましょうが、「復興祈る」との「口紅」での「手書き」のメッセージとあらば、少しぐらいは被災者の方々の癒しとなりましょうか?
 〔返〕  復興に励める者に毒々しレディー・ガガの紅きくちびる   鳥羽省三
 

○  痛み持つ人が痛みを持つ人のからだをさする梅雨の避難所  (埼玉県) 小林淳子

 「避難所」生活の場面に限らず、ごく一般に、「自分で『痛み』を『持つ人』だけが他人の『痛み』を知る」と言われますが、本作は、その人間的かつ世俗的な真実を、東日本大震災の被災者の為の「避難所」というドラマチックな舞台に据えて、短歌形式に仕立て上げた作品である。
 〔返〕  弱み持つ者が弱みを持つ者の弱みに付け入ることも真実   鳥羽省三


○  目に見えぬ放射能ありひたひたと黒揚羽飛ぶ生の輪郭  (熊谷市) 内野 修

 「放射能」とは、「物質から放射線が放出される性質」、即ち「物質が持つ放射線を放出する能力」を指して言う言葉である。
 したがって、本作をまともに解釈すると、作者の内野修さんは、作中の「ひたひたと」「飛ぶ」「黒揚羽」に人体に有害な放射線を放出する能力を感じて、薄気味悪くなった、ということでありましょう。
 だとしても、五句目に唐突として置かれた「生の輪郭」という観念的な言葉の意味があまりよく解りません。
 〔返〕  ものみなに放射能ある夏の午後オーラ感じる短歌読みたし   鳥羽省三


○  浜風がひそやかに野を山を越え太郎を眠らせセシウム降り積む  (福島市) 青木崇郎

 本作は、申し上げるまでも無く、四季派の詩人・三好達治の詩『雪』を下敷きにした作品である。
 だが、「太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。」という三好達治の作品が、短歌に類似したスタイルの名作であるだけに、小細工だけが目立つ作品と見られてしまうのは、作者としては甚だ残念なことでありましょう。
 〔返〕  藁屋根にセシウム降り積む夜なれば太郎も次郎も安眠出来ず   鳥羽省三


○  美味しいね何度か言って再婚の妻のカレーに舌が慣れゆく  (大阪市) 渡辺たかき

 何事につけても「慣れ」というものは恐ろしいものである。
 人間に普遍的に備わった、この「慣れ」という悲しい習性に着目して、三十代の後妻が、七十代の夫の食事に微量の砒素を入れて一年がかりで毒殺を図る、という推理小説を読んだことがあります。
 本作の作者・渡辺たかきさんの場合は、そんなことも無く、当初はぎこちなかった「再婚」の奥様との生活万端が、日数の経過と共に次第に軌道に乗って行くのでありましょう。
 〔返〕  この頃は抱き合っても柔らかし日々に熟れ行く妻のほとかも   鳥羽省三  


○  道草をもう腹いっぱい食ったのにデザートにまだ海を見ている  (垂水市) 岩元秀人

 「道草」を「腹いっぱい食った」とて、心の足しにはなっても腹の足しにはなりません。
 また、「道草」を「腹いっぱい食った」後に「海」を見たとて、決して「デザート」にはなりません。
 本作の作者・岩元秀人さんはそんなことを解らない男性とは思われません。
 だが、歌枕の地・垂水市にお住いなので、「道草をもう腹いっぱい食ったのにデザートにまだ海を見ている」などと、戯れ言めいた一首をお詠みになったのでありましょう。
 「職が人を造り、時が人を造る」という言葉が在りますが、“居住地”即ち“所”も亦、人を造るのでありましょうか?
 〔返〕  政治屋にいつもいっぱい食わされてそれでもなおかつデザートを食う   鳥羽省三


○  愚痴一つ言わずに逝った叔母なれど薬剤の染む骨ぞ語れる  (神戸市) 北村可織

 本作の作者・北村可織さんは、“お骨上げ”の際に、抗癌剤が滲み込んで変色したお「骨」を目にする事によって、生前は「愚痴一つ言わずに逝った叔母」様の、癌との闘いの日々の苦しみを、まざまざと知らされたのでありましょう。
 〔返〕  愚痴一つ零さず逝きし叔母様の苦しみ思ひ零るる涙   鳥羽省三           

○  さみしくて泣いちゃう予定だったけどすぐに寝ちゃった宿泊学習  (富山市) 松田わこ

 「栴檀は双葉より香ばし」とは、この事を指して言うのでありましょうか?
 本作の作者・松田わこさん(10歳)は、「宿泊学習」に向うに際して、予め「さみしくて泣いちゃう予定」を立てていたのである。
 だとすれば、女の涙と原発伝説を信じていた私は馬鹿でした。
 でも、「泣いちゃう予定だったけどすぐに寝ちゃった宿泊学習」という運びになるのですから、栴檀と言えども、松田わこさんはやはり小学生ですね。
 〔返〕  さみしくて言うんじゃないが替えろかな俺の入れ歯もそろそろ替え時   鳥羽省三


○  いもうとのおふろあがりのかみのけは食パンみたいなにおいがするよ  (武蔵野市) 長岡夏菜子

 本作の作者・長岡夏菜子さん(七歳)の「いもうと」さんは、シャンプーをしっかりしなかったんですね。
 〔返〕  我が妻のお風呂上りの新聞紙ジャスミン革命の記事が濡れてる   鳥羽省三  
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

今週の朝日歌壇から(7月18日掲載・其のⅠ・必読決定版)

2011年07月20日 | 今週の朝日歌壇から
[佐佐木幸綱選]

○  吹き抜けに子らの泣き声響かせて図書館の夏開幕となる  (横浜市) 桑原由吏子

 夏休みに入る直前の七月の土曜日の出来事でありましょう。
 野毛山公園の一廓に在る横浜市立図書館が、当日から夏休み末にかけて、学校での勉強から解放された(或いは、行き場を失った)児童生徒の為に、童話絵本の“読み聞かせ”などの子供向け行事も企画したということで、午前十時の開館と同時に大勢の人々が駆け付けた。
 中には教育熱心なお母さんに連れられた就学前の幼児も居たのである。
 開館と同時に、椅子席の大部分は高校生や高齢者などに占領されてしまった。
 そこで、格別勉強することを目的として遣って来たという訳でもない児童や幼児たちの多くは、閲覧室前の「吹き抜け」に群がり、中には「泣き声」を「響かせ」る者さえ出て来るという始末となったのである。
 本作の作者・桑原由吏子さんは、同館の司書職員、或いはボランティアの方でありましょうか?
 「図書館の夏開幕となる」という、かなり硬直した言い方からは、図書館職員としての作者の、「今年の夏もいよいよ始るのか!」という、期待感の伴った緊張感が感じられ、なかなかの佳作とは思われるのであるが、それでもやはり、「開幕となる」という硬直した表現にたいしては、かなりの違和感を覚える鑑賞者が居ると思われるのである。
 〔返〕  吹き抜けに一輪車の子も遊び居て読書もならぬ夏の図書館   鳥羽省三


○  くまんばちはなばちてふてふあぶも来る瓦礫の庭にラベンダー咲き  (いわき市) 伊藤雅水

 被災地“いわき”の「瓦礫の庭」にもいよいよ本格的な夏が訪れたのでありましょう。
 数年前に植え付けた「ラベンダー」が季節を忘れないで道端の「瓦礫」の中に「咲き」、その花の蜜を慕って「くまんばち」「はなばち」「てふてふ」、更には「あぶも来る」のである。
 「くまんばちはなばちてふてふあぶ」と昆虫名を並べ立てた表現の部分は、「熊ん蜂・花蜂・蝶々・虻」と漢字書きにする手もあったと思われる。
 だが、作者としては、ひらがな書きにすることに因って、柔らかさや優しさなどを醸し出す狙いもあったのでしょう。
 また、それと同時に、「蝶々」を「てふてふ」と表記して、作者ご自身の“古典仮名遣ひ”や“文語”に対する趣味傾向をも表したかったのでありましょう。
 〔返〕  町長がてふてふ頭に止まらせて反町長派と丁々発止   鳥羽省三


○  呑まれたる町に干し物揺れる家荒野に花の咲いているがに  (仙台市) 村岡美知子

 作者としては、首尾良く仕立て上げたつもりの一首でありましょうが、評者の語感覚からすると、末尾の「がに」という上代の副助詞の使用に違和感が感じられるのである。
 結社誌などにも、時折り、この副助詞「がに」を用いた作品が見られたりするのであるが、いかにも知ったかぶり、或いは“苦肉の策”という感じが否めないのである。
 何よりも、「荒野に花の咲いているがに」といったように、末尾にこの濁音の「がに」を置くと、せっかく咲いた「花」の美しさが損なわれてしまうような感じになってしまうのである。
 〔返〕  藻屑がに高脚がにに鱈場がに蟹は旨いが価格が高い   鳥羽省三


○  恥ずかしくて素直になれぬ吾がこころハグする替りに肩もむ仕草  (下野市) 石田信二

 「ハグする」という流行語を用いているが故の入選のようにも思われますが、同じことを理由にしてこの作品を否定する鑑賞者も居りましょう。
 恥ずかしがり屋は何処にも居るもので、学生やOLなどの若者が「ハグする替り」にと「肩」を「もむ仕草」をしている光景は、この頃では、地下鉄駅や街角などの至る所で目にすることの出来る、現代的な風俗である。
 〔返〕  ハグすると思わせ頭の毛を毟る禿になりそうだから止めてね   鳥羽省三


○  はじめての子がかあちゃんと呼び始め我の呼称もかあちゃんになる  (横浜市) 小澤寛子

 “佐佐木幸綱選”中第一の傑作と思われる。
 私の連れ合いの翔子は、かつては、自分の二人の息子たちから「かあさん」と呼ばれていたのであるが、実の妹の家で子供が生まれ、その子がやっとカタコト言葉を話せるようになった頃に、翔子のことを「伯母さん」と言えずに、あろうことか「おす」と言うようになったことが原因で、妹の家の二番目の子も彼女のことを「おす」と呼ぶようになり、遂には、自分の二人の息子や自分の連れ合い、即ち、私からも「おす」と呼ばれるようになってしまったのである。
 この際、彼女の名誉の為に弁解させていただきますが、彼女、即ち、私の連れ合いの鳥羽翔子は、決して「おす」的な存在ではなく、どちらかと言えば、メス中の「めす」的な存在なのである。
 〔返〕  「鳩ぽっぽ」と呼んで下さいなどと言う男も居たね気持ち悪いね   鳥羽省三


○  海峡にくっきり浮かぶ下北は風力強し大間原発  (函館市) 武田 悟

 「海峡にくっきり浮かぶ下北は風力強し」までは大変宜しい。
 だが、その後に「大間原発」と付けたのは宜しくありません。
 〔返〕  晴れた日はくっきり見える下北も原発容認知事を支持した   鳥羽省三


○  笠ケ岳雪の馬形母の居し施設の春を思ひ出しぬ  (岐阜市) 後藤 進

 「笠ケ岳」に見える「雪の馬形」から、「母の居し施設の春を思ひ出しぬ」への繋がりが、かなりの力業と思われます。
 〔返〕  白馬に種まき爺さん見えたから鯛焼きシーズンそろそろ終わり   鳥羽省三


○  六月の梅雨の切れ目の昼前のうす日の中を猫が帰り来  (川越市) 小野長辰

 「六月の」「梅雨の」「切れ目の」「昼前の」「うす日の」「中を」と、随分と長く重々しい連体修飾語を背負っての「猫」のご帰館である。
 〔返〕  台風の雨の晴れ間の夕方の薄日の中の猫の眼のよう   鳥羽省三


○  ちちははを仲良く並べ朝の風軽トラはゆく早苗田のなか  (兵庫県) 高垣裕子

 軽トラの荷台に人間を乗せてはいけません。
 だが、走行している道路が“農免道路”であるから、地元の警官も大目に見ているのでありましょう。
 〔返〕  早稲田出のピツチャーどいつも使えない軽トラ程度の急速だから   鳥羽省三  


○  紫陽花に記憶辿ればまだあやめ組だった頃の我が呼ぶなり  (桜井市) 田村美由紀

 「紫陽花に記憶辿れば」と詠い出し、「まだあやめ組だった頃の我が呼ぶなり」と纏める、花関連の展開にはかなりの強引さが感じられ、いただけません。
 〔返〕  紫陽花に記憶辿れば大船の駅で食べたる駅弁の味   鳥羽省三
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

『NHK短歌』鑑賞(坂井修一選・7月17日分・訂正版)

2011年07月19日 | 今週のNHK短歌から
[特選一席]

○  「四捨五入すれば」にするなの声あがり吾に友らに近き七十路  (仙台市) 坂本捷子

 松島観光ホテルで行われた同級会の一齣でありましょうか?
 通常は、還暦を挟んで、その前後の前厄及び後厄と三年連続の集まりが行われた後、古希までのしばらくは集まることが無いのであるが、同級生の中で、「昔の私と比べたら地と天の差が在る。だから、お金を支払ってでも、同級生たちに今の私の羽振りの良さを見せびらかしたい」などと内々に思っているような者が居たりした場合は、経費の三割方は発起人持ちで、後厄の後も、毎年のように同級会の集まりが持たれるのである。
 〔返〕  鰥夫居て寡婦も居るから花が咲く実る事無きダンスの花が   鳥羽省三


[特選二席]

○  旅人はシャワーを浴びているらしい椅子に置かれて輝く眼鏡  (世田谷区) 黒沢 竜

 本作の作者・黒沢竜さんは、ヨーロッパ赴任時代のフランス人の友人・某氏を、都内赤坂のホテルに招待したのでありましょう。
 しかし、当日は折悪しく、午後から急に重役会議が行われたので、黒沢竜さんが待ち合わせ現場の赤坂のホテルに駆け付けたのは午後七時過ぎであり、フランスからの「旅人」は、予め黒沢竜さんが押さえていたホテルの一室に入室済みであった。
 「いかに仕事の都合とは言え、わざわざパリから訪れたお客様に失礼してしまった。これは大変だ」などと思いながら、黒沢竜さんが慌てふためいて待ち合わせの部屋に入ったところ、シャワールームの前の小机の上には、数年前に黒沢竜さんがその友人にプレゼントした、国産最高級腕時計“GRAND・SEIKO”及びイタリア製の高級「眼鏡」“MOMO・DESIGN”の新型が置かれていて、国産最高級腕時計“GRAND・SEIKO”は午後七時二十八分三十七秒を正確に刻み、イタリア製・最高級「眼鏡」“MOMO・DESIGN”は、室内の間接照明の光を浴びて煌々と輝いていたのである。
 〔返〕  旅人は女性と二人連れらしいシャワーの音と嬌声がする   鳥羽省三  

[特選三席]

○  一匹で子をなせどなあプラナリア二匹で飼はむペットボトルに  (瑞穂市) 渡部芳郎

 ヒルやサナダムシと同じ“扁形動物”である「プラナリア」に向って、「一匹で子をなせどなあ」と、いかにも親しげに言葉を掛けるところから判断すると、本作の作者・渡部芳郎さんは独り身のように思われる。
 でも、「プラナリア」とは異なり、生身の人間の男性である渡部芳郎さんを二つに引き裂くわけには行きませんし、仮に引き裂いたとしても「子」を成すことは出来ません。
 また、「二匹」の「プラナリア」を飼う「ペットボトル」は、一昨日から昨日に掛けて、渡部芳郎さんがお飲みになられたウーロン茶の空き瓶でありましょうか?
 〔返〕  独り身で四十過ぎてもなあ俺は子を成すことを諦めないよ   鳥羽省三



[入選]

○  ユーラシア大陸ふかく沼いくつ詩の輝きを夢みる水よ  (つがる市) 松木乃り

 “湖”としないで「沼」としたのは、音数の関係だけの理由でありましょうか?
 また、「沼」と“湖”とを明確に区別するとしたら、その違いは、面積を基準にしてのことでありましょうか?
 〔返〕  沼幾つ津軽平野に在るならむ林檎の腐臭立つにやあらむ   鳥羽省三


○  疑問符のごと傾げたる小首のびてXの解に子の目輝く  (茨城県城里町) 川 英治

 「お子様の知的興味の高まりに興奮を覚えている父親の姿が髣髴とされる作品である。それにしても、『小首』を『疑問符』の如くに『傾げ』るのは、人間技とも思われないような荒業である」などと冗談めかしたことを申して、評言とさせていただきます。
 〔返〕  ト音記号の如く巻いたる轆轤首ぴんと伸ばしてピアノ弾いたり   鳥羽省三


○  目を閉じた私の上に君の汗が一粒落ちて重力を知る  (藤沢市) 花戸みき

 いくらなんでも大袈裟です。
 〔返〕  目を閉じた私の顔をいつも舐めポチと暮らせる侘しさを知る   鳥羽省三


○  底板のべらべら笑ふ靴がゐて怒鳴りちらかす靴の上のわれ  (伊賀市) 今西秀樹

 ある程度の価格の革靴には粘着力と復元力がありますから、出先にて「底板」が「べらべら笑ふ」ような状態になっても、しばらく全体重を掛けていると、帰宅するまで歩けるような状態に復元されますから、「靴の上」に乗って「怒鳴りちらかす」必要はありません。
 〔返〕  靴紐がすぐに解ける靴履いてタンゴを踊ればどうなるかしら   鳥羽省三   


○  ホームランつひに逆転くもる顔かがやく顔を左右に分けて  (高槻市) 長沢英治

 父母と息子の三人家族が、巨人対阪神戦をテレビで観戦していたのでありましょうか?
 坂本選手が「ホームラン」を打った瞬間、息子の右側に座って居た父の顔は「かがやく」やら、息子の左側に座って居た母の顔は「くもる」やらで、悲喜交々のリビングルームでありました。
 〔返〕  「サヨナラ」と父は喜び母怒る熟年離婚の理由は野球   鳥羽省三


○  弟の吾は白髪で兄は禿輝く兄は世の中照らす  (宮崎県新富町) 中田 毅

 本作の作者・中田毅さんのお兄さんは、宮崎県に於いて“鏡製造会社”もしくは“和蝋燭製造会社”を経営なさって居られるのでありましょうか?
 〔返〕  弟も兄の私も禿だから停電対策万全でしょう   鳥羽省三
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

今週の朝日歌壇から(7月12日掲載・其のⅣ・訂正版)

2011年07月18日 | 今週の朝日歌壇から
[永田和宏選]


○  探索は会へずに終りほつとして『ホームレス歌人のいた冬』を閉づ  (仙台市) 坂本捷子

 「三山喬氏の本は、本欄の公田耕一氏の消息を尋ね歩いたトギュメンタリーだ。遂に会えなかったことに安堵する思いは、本欄投稿者の本音でもあろうか。安否を知りたいという思いと、謎は謎のままにという思いが相半ばする」との選評である。
 選評スペースの全てを費やしての肩入れ振りではあるが、自分たちの創出した謎のヒーロー・公田耕一さんのお人柄や作品に対する共感的な反応が未だに絶えないのは、創出者の一人としての永田和宏氏にとっては、選評スペースの全てを費やして述べても到底述べきれないくらいに嬉しいものなのでありましょう。
 公田耕一氏の作品を、殆ど毎週、入選作として掲載することが、他の多くの作者による関連作品の投稿・入選という思いがけない余波を引き起こすことになり、それがまた、三山喬氏著の『ホームレス歌人のいた冬』という関連書籍をベストセラー化することにもなり、その読後感とでも言うべき本作が“永田和宏選”の首席に選ばれるという食物連鎖的な現象をも生み出したのである。
 なお、『ホームレス歌人のいた冬』の著者の三山喬氏は、元・朝日新聞記者であると言う。
 だとすれば、“ホームレス歌人・公田耕一さん現象”は、朝日新聞の現役記者とOBとが一体となって創出した感動的ドラマでありましょうか?
 終わりに、朝日歌壇の入選作となった公田耕一さんの作品中で、私にとって最も興味深い作品を転載させていただき、併せて、その感想なども記してみよう。

○  (柔らかい時計)を持ちて炊き出しのカレーの列に二時間並ぶ  (ホームレス) 公田耕一

 2008年の歳末の“朝日歌壇”に掲載された、ホームレス歌人・公田耕一さんの初入選作である。
 作中の「(柔らかい時計)」とは、あのシュルレアリスムの画家“サルバドール・ダリ”の代表作『記憶の固執』に描かれている“メルトダウン化”した「時計」を指して言うのでありましょうか?
 私は、東京の上野公園内の国立東京博物館や国立西洋美術館などに出掛けることが多いのであるが、その際、公園内のブルーシート小屋で寝起きしているホームレスの人々が、慈善団体などの主催する“炊き出し”の列に並んでいる様を目にしたり、時折りは、自分自身がその列の端に加わってみたい、などとの誘惑に駆られることもある。
 あの「炊き出し」の「列」に連なる一人に、本作の作者・公田耕一さんのような優れた歌人が居て、「カレー」を入手するまでの「二時間」余りの時間の長さに耐え切れず、あの『記憶の固執』に描かれている時計のように、脱力した体内時計を胸に潜めながらも、それでも尚且つ、空腹状態から解放される為に、必死になって列に加わることを止めないのでありましょうか?
 「(柔らかい時計)を持ちて」という言葉を出すことに因って、「カレーの列」に並んだ「二時間」が、単なる個人的な忍耐と屈辱の「二時間」であることを超えて、人間全ての空腹からの解放の為の「二時間」となり、或いは、束縛からの解放の為の「二時間」ということにもなるのでありましょう。    
 〔返〕  俵万智以来のヒーロー取り逃し選者一同顔が真っ青   鳥羽省三
      探索は予定通りに終了し迷宮入りして目出度しめでたし


○  三陸の海に栄螺の生き延びて明るいニュースと言へぬのがさびし  (結城市) 鯨井一義

 「三陸の海に栄螺の生き延びて」いるのは、極めて当たり前のことであるから、作者にとっては、「明るいニュース」とは言えないのでありましょう。
 〔返〕  当分は三陸産しか食べません魚や貝を食べての支援   鳥羽省三   


○  放射能の恐怖が皆のものとなり分かってもらえた被爆者我等の  (アメリカ) 大竹幾久子

 「分かってもらえた被爆者我等の」“気持ち”という運びになるのでありましょう。 だが、鑑賞者の私としては、在米中の本作の作者の大竹幾久子さんが、いかなる意味に於いての「被爆者」であるか、ということを知りたいのである。
 〔返〕  廣島も長崎もありアリゾナやスリーマイル島そしてビキニも   鳥羽省三


○  つぶやけば「リアス」とは美し「リアス」とはかなしき入江みちのくに梅雨(あめ)  (福島市) 美原凍子

 ごく真面目に考えれば、「本作の是非は、『リアス』という言葉の呟きに美しさを感じるかどうかに係っているのでありましょう」などと記すべきでありましょう。
 だが、もう少し楽な気持ちで余裕を持って考えてみると、「つぶやけば『リアス』とは美し」というフレーズは、それに続く「『リアス』とはかなしき入江」というフレーズとワンセットとして、本作の発想と同時に、作者・美原凍子さんの心中に出来上がっていたのかも知れません。
 〔返〕  晩年の入江たか子はあはれなり化け猫女優としてのみ知られ   鳥羽省三


○  吾に向けてピース作りし細き手は一二度揺れてオペ室のなか  (東京都) 海老根清

 作中人物は、「吾に向けてピース作りし」段階で、もはや俎板に乗った鯉のご心境であったのかも知れません。
 だが、それでもなお且つ「細き手」が「一二度揺れてオペ室のなか」に入って行ったのは、人情の然からしむるところでありましょうか?
 〔返〕  細き手の一二度揺れてオペ室に今頃麻酔が効いてる頃か   鳥羽省三


○  野の風に吹かれていつもねむたそうしろつめ草っていうんだよ  (川越市) 小貝はるり

 「いつも」「野の風に吹かれて」いるばかりの「しろつめ草」に「ねむたそうな」感覚をお感じになられたのは、本作の作者・小貝はるりさんの極めて優れた感性の賜物でありましょう。
 作者の心中には、むしろ「野の風に吹かれていつもねむたそう」という上句と「しろつめ草っていうんだよ」という下句との間に、「だから」という順接の接続詞を付け加えたいような気分が在るのかも知れませんが、それは論理とは関わらない微妙な感覚なのかも知れません。
 〔返〕  春風に吹かれて眠りたい気持ちシロツメクサの咲きたる野辺よ   鳥羽省三  


○  一ユーロ持ちてトイレに並びおりお使いに行く子供のように  (箕面市) 遠藤玲奈

 イタリア旅行に出掛けた自慢話みたいですね。
 〔返〕  一ユーロ支払い入るトイレット汚れているしペーパーも無い   鳥羽省三


○  黒髪で硬派が好みいつの日も傍にいる人なぜだか真逆  (大阪市) 安田佐織

 軟派で金髪染めの男性は、何一つとして魅力がありませんからね。
 〔返〕  黒髪で硬派の男は応援部太鼓叩いてスタンドに居る   鳥羽省三


○  おじぎ草ちょんとさわったらとじちゃったはずかしいのかなわたしみたいだ  (諏訪市) 宮澤ななせ
  
 恥ずかしがりや同士の“お触りごっこ”だったのでありましょうか?
 〔返〕  おじぎ草は夏休みの宿題として栽培してたんでしょうか?   鳥羽省三   
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

今週の朝日歌壇から(7月12日掲載・其のⅢ・訂正版)

2011年07月17日 | 今週の朝日歌壇から
[高野公彦選]

○  亡き父の遺ししものの数多あり庭飛ぶ蛍も形見のひとつ  (松阪市) こやまはつみ

 「亡き父の遺しし」「数多」の「もの」の「ひとつ」として「庭」を「飛ぶ蛍」を数え上げたい 、ということであり、取り合わせの良さとその風情に騙されてしまいがちである。
 しかし、「遺ししもの」と言ったうえで「形見」と重ねていうなど、まだまだ推敲の余地の在る作品である。
 
 〔返〕  新盆の闇に飛び交ふ蛍さへ父の形見の一つに数ふ
 ところで、これは私事でありますが、「庭」を「飛ぶ」場合でも、「新盆の闇に飛び交ふ」場合でも、「蛍」という風情の有るものの場合は、「父」の「形見のひとつ」としたくはなりましょうが、長患いした挙句に亡くなった父が、六千万円の借財と、母親の違う妹の認知証と、廃屋同然の二戸の葛屋であったりしたような場合は、それはそれで歌材となるのでありましょうか?
 〔返〕  腹違い顔も見知らぬ妹も父の形見に相違なからむ   鳥羽省三
      借財と崩れ落ちたる草屋根を父の遺産の一つに数ふ   


○  寝袋に横たわるホテル床ゴーゴーバリバリ余震六強石巻  (鳥取県) 高塚一雄

 「ホテル床」とし、「ゴーゴーバリバリ」という擬音語を用いるなど、題材に面白さは在るが、所詮はそれだけのことである。
 それにしても、本作の作者は、鳥取県から東北の被災地まで、はるばるボランティアの為にお出掛けになられたのでありましょうか?
 だとすれば、それはそれで真にご奇特な志と申せましょう。
 〔返〕  「デリバリーもやってます」との看板が宅配ピザ屋が何のデリバリー   鳥羽省三  


○  雨の日は体育館が使えずに音無く廊下走る体育  (岩沼市) 山田洋子

 なにしろ、史上空前の大震災であり、国家存亡の危機でありますから、「音無く廊下走る体育」も致し方無きところでありましょう。
 本作の作者・山田洋子さんの居住地である、宮城県の岩沼という地名に私が初めて接したのは、小学校3年時に読んだ学習雑誌の記事でのことでした。
 その記事には、「七夕と言えば、仙台市の七夕が有名ですが、その仙台市の在る宮城県に、仙台市の七夕の一月遅れで仙台市の七夕のそっくりさんの七夕を行う町が在ります。その町の名は岩沼町。一月遅れで行われる岩沼町の七夕が仙台の七夕のそっくりさんなのは、一月前に仙台で飾られた七夕の飾りが、一月後の岩沼町の七夕でまた再利用されるからなのです」との趣旨の内容でありました。
 かつての岩沼町にも今では市制が布かれておりますが、仙台の七夕のそっくりさんの岩沼の七夕は、今でもご健在でありましょうか?
 〔返〕  七夕もこの頃元気がありませんなにしろ不況加えて震災   鳥羽省三


○  大震災に健気にのこるわが家を写真にとりて一時帰宅終る  (東京都) 半杭螢子

 「健気にのこる」とありますから、壁一枚、柱一本欠けていなかったのでありましょう。
 それでも、東電の福島第一原発のメルトダウン騒ぎで、立ち入り禁止区域に指定されているのでありましょう。
 〔返〕  健気にも大東京の人となり半杭さんはたびたび登場   鳥羽省三


○  自らの色で濃くなる苺ジャム私は私でありつづけよう  (広島県) 大堂洋子

 今ひとつ作者の心の在り所が分からない作品である。
 作者の大堂洋子さんは、「自らの色で濃くなる苺ジャム」を好きなのでありましょうか?
 それとも、嫌いなのでありましょうか?
 〔返〕  触媒の力を借りて藍になる人は一人で生きられないよ   鳥羽省三


○  午前五時雨戸繰れば目交いに今日を選んだ杜若の青  (町田市) 大西亜進

 「今日を選んだ杜若の青」という考え方が大変素晴らしい。
 そうです。
 町田市の大西亜進さんのお宅の青い「杜若」も、我が家の庭の紫の朝顔も、菅総理の官邸の白い胡蝶蘭も、みな全て「今日を選」び、その場所を「選ん」で、それぞれの色に咲いたのでありましょう。
 〔返〕  まなかひの鏡に映る我が鼻は己が場所を選び鎮座す   鳥羽省三


○  夜遅く降り立つ駅の潮の香が海開く日の近きを教ふ  (逗子市) 荒木陽一郎

 それ以前に、住民総出の海岸掃除が行われ、海の家を組み立てる金槌の音が、付近一帯に響いているのではありませんか?
 そうと知りながら、「夜遅く降り立つ駅の潮の香が海開く日の近きを教ふ」などと仰る、荒木陽一郎さんの芸の細かさよ。
 〔返〕  広報で海開きの日を知りながら潮の香で知ると言う歌びと   鳥羽省三


○  生と死の境になにがあるだらう花枝たわむ雨のあぢさゐ  (須崎市) 森 美沢

 「生と死の境になにがあるだらう」などと、深刻めいたことを「花枝たわむ雨のあぢさゐ」に語り掛けながら、自分自身は「雨」の中の「あぢさゐ」の美しさに見惚れているのでありましょう。
 昔から「あぢさゐ」に長雨は付き物である。
 「眺める」という言葉の意味の一つとして、「(もの思いにふけりながら)ぼんやりと見る・また傍観する」(『大辞林』より)と意味が在りますが、本作の作者の場合は、長雨の中を色が変わり行く「あぢさゐ」の色に身を入れて見惚れているのでありましょうから、「眺める(眺む)」という言葉には該当しないのである。
 〔返〕  長雨に色移り行く紫陽花を眺め居ること「眺め」とぞ言ふ   鳥羽省三 


○  甲羅もつおまえいいなあ首、四肢をひっこめ亀は全宇宙絶つ  (和泉市) 長尾幹也

 「甲羅もつおまえいいなあ首、四肢をひっこめ」までの叙述は素晴らしい。
 だが、それに続く「亀は全宇宙絶つ」という断定に対する評価はさまざまでありましょう。
 因みに、評者は全然買いません。
 特に「全宇宙」という虚仮脅かし的な語に対しては反感すら覚えます。
 〔返〕  銭亀は首と手足を引っ込めて我ら濁世と没交渉なり   鳥羽省三


○  たんとたんと召し上がりゃぁせと垣越しに茗荷団子(ぶんたこ)湯気立てて来ぬ  (岐阜県) 棚橋久子

 岐阜地方の方言で「団子」のことを「ぶんたと」と言うと聴いたのも初めてのことであり、「茗荷団子」というお菓子があることも全く知りませんでした。
 ところで、何方かご存じの方にお尋ね致しますが、「茗荷団子」とは、野菜の茗荷を原料とした「団子」では無く、「茗荷」の葉っぱの上に乗せるか、「茗荷」の葉っぱで包むかした「団子」ではありませんか。
 もし、そうだとしたら、私の郷里に、青い笹の葉の上に黄色い団子状の餅菓子を乗せた素朴な和菓子が在り、“なると”という名で販売されておりますが、作中の「茗荷団子」と“なると”とは、お菓子が乗った葉っぱの違いに過ぎないのではありませんでしょうか?
 〔返〕  じっぱりといただぎましてありがどう。お礼に“なると”を食べてたんせ。   鳥羽省三
コメント
この記事をはてなブックマークに追加