臆病なビーズ刺繍

 臆病なビーズ刺繍にありにしも
        糸目ほつれて今は薔薇薔薇

一首を切り裂く(073:自然・其の供Δ匹垢海ぜ然薯)

2012年03月31日 | 題詠blog短歌
(jun)
〇  自然薯は手塩にかけられ栽培されそれでも自然薯どすこい自然薯

 作中の「自然薯」とは、通常、「ヤマノイモ」或いは「ヤマイモ」と呼ばれる“担根体”のことである。
 フリー百科事典『ウイキペディア』の解説するところに拠ると、「自然薯」即ち「ヤマノイモ」とは、「ヤマノイモ科ヤマノイモ属のつる性多年草。または、この植物の芋として発達した担根体のこと。古くは薯蕷と書いてヤマノイモと読んだ。また、ヤマノイモ属の食用種の総称ヤム(yam)をヤマノイモ、ヤマイモと訳すことがある。学名は「Dioscorea japonica」であり、粘性が非常に高い。ジネンジョ(自然生、自然薯)・ヤマイモ(山芋)とも呼ぶ。ナガイモは、別種である。」ということである。
 作者・junさんの意図した本作の意は、「ヤマノイモを敢えて『自然薯』と呼ぶからには、その名の通り、野山に自然に生える薯でなければならない。然るに、昨今のいわゆる『自然薯』は、農作物生産者の手に拠って『手塩にかけられ栽培され』たものであり、『それでも』なお且つ『自然薯』という大袈裟な名を奉られてスーパーやデパ地下などで高価な価格で販売されている。そうした現実は、お相撲さんではないが『どすこい自然薯』といった感じである。」といったところでありましょうか?
 本作を傑作とした所以は、末尾の「どすこい自然薯」という一句の存在に係っている。
 この句は、相撲甚句の「朝もはよから、裸同士が抱き合って、汗を流して喚いてる。いい気にもんだよ、お相撲さんは。どすこい相撲」などという句を、短歌作品の表現に活用したものであり、作者・junさんの旺盛なる表現意欲及び風刺精神は大いに評価されなければならない。
 それだけに惜しまれるのは、初句が「自然薯が」となっていないで、「自然薯は」となっていることである。
 何故ならば、作者のjunさんにとっての「自然薯」は、自然の野山に生えている薯でならない。
 然るに、作者・junさんのそうした思いとは別に、市販されている「自然薯」は、農作物生産者の手に拠って「手塩にかけられ栽培され」た偽物の「自然薯」であり、「それでも」なお且つ、堂々と「自然薯」という名を奉られて市販されている、といった現実がある。
 だとしたら、其処には、作者のjunさんの、激しい意外感が示されていなければならないはずである。
 それにも関わらず、本作の上の句が「自然薯は手塩にかけられ栽培されそれでも自然薯」となっていたら、作者のjunの抱いた“意外感”がかなり希薄になり、併せて末尾に置いた「どすこい自然薯」という一句の持つ風刺性や皮肉さを損なうことにもなりましょう。
 ここはどうしても、「自然薯が手塩にかけられ栽培され?それでも自然薯?どすこい自然薯!!」と改めるべき場面でありましょう。
 短歌作品中に「?」や「!」といった記号を置くことは、必ずしも望ましいことではありません。
 だが、この場面では、その使用も大いに奨励されましょう。
 〔返〕  自然薯は擂っても煮ても旨くない!どすこす自然薯!出鱈目なもんだよ!   鳥羽省三


(伊倉ほたる)
〇  不自然な笑顔を映すコンパクトはみ出し気味に塗った口紅

 どんなに派手に装っても無駄な抵抗というべき年齢に達しているのにも関わらず、「コンパクト」から「はみ出し」そうな唇を真っ赤に塗りたくっている熟女がいるものであり、私は、昨日も友人と待ち合わせをしたJR恵比寿駅前で、そんな女性を三人も目にしたのである。
 本作の作者・伊倉ほたるさんも、そんな年齢に達したのでありましょうか?
 だとしても、徹頭徹尾写生に徹した本作の表現を通じて、私・鳥羽省三は、作者・伊倉ほたるさんの羞恥心と自制心とを窺がい知ることが出来るのである。
 醜い自己をも、遠慮会釈なく客観的に映し出すのが歌人の使命というものである、と言う。
 だとしたら、本作の作者・伊倉ほたるさんこそ、まさしく真実の歌人と言えましょう。
 〔返〕  不可解な言葉を並べたワンパターンめりはり無しの評言である   鳥羽省三


(ひぐらしひなつ)
〇  不適切かつ不自然な関係を結びに午後のバスに乗り込む

 「不適切かつ不自然な関係」とは、あまりに婉曲なもの言いであり、そのものずばりで言えば、「女子新入社員とその上司の不倫関係」乃至は「昼下がりの主婦の小遣い稼ぎの為の援交」でありましょうか?
 本作の作者・ひくらしひなつさんは、作風から推してみるに「女子新入社員」とは、到底思われませんから、或いは、小遣い銭稼ぎの為の援交に憂き身を窶す主婦の方でありましょうか?
 〔返〕  無節操無法な形で稼ごうと夕暮れの街で流し目呉れる   鳥羽省三


(みち。)
〇  かさぶたは自然に消えていくことを拒んで痒くなるのだろうか

 「かさぶた」のささやかな自己主張にご着目なさった佳作である。
 〔返〕  かさぶたを取りたい気持ちを我慢する者の気持ちは僕には解らぬ   鳥羽省三


(鳥羽省三)
〇  自然薯は精がつくから召し上がれ麦とろ天麩羅やま掛けも好し

 お題「自然」の始末にさんざん迷った挙句の、駄作中の駄作である。
 本作を前掲のjunさんの御作と比較した時、私は自分自身の至らなさが頻りに感じられて、穴が在ったら入りたいような気持になるのである。
 〔返〕  自然薯を折らずに掘った記憶なし旨いと思って食べた記憶も   鳥羽省三
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一首を切り裂く(073:自然・其の機秋立ちて黄葉あやなる自然薯の)

2012年03月30日 | 題詠blog短歌
(紫苑)
〇  秋立ちて黄葉(もみぢ)あやなる自然薯(じねんじょ)の葉裏に小さき零余子(むかご)いきづく

 ネット上の横書き短歌の難しさは、振り仮名をいちいち括弧書きしなければならない点にある。
 本作は、お題「自然」中の白眉とも言うべき作品である。
 しかしながら、三ケ所に及ぶ“括弧入りの振り仮名”が、見た目も宜しくなく、鑑賞の邪魔をしているように思われる。
 「黄葉・自然薯・零余子」といった語は、無理なく(つまり自然に)「もみぢ・じねんじょ・むかご」と読めるので、敢えて振り仮名を施す必要はないように思われるのであるが、作者としてはいかがでありましょうか?
 
 〔返〕  自然薯の紅く色づく葉もありて今年限りの秋は来にけり   鳥羽省三
 自作ながら、「自然薯の紅く色づく葉もありて」というところまではなかなか宜しい表現である。
 だが、それに続けて「今年限りの秋は来にけり」という“七七句”下手な境涯詠みたいにして納めてしまったのは甚だ宜しくありません。
 そこで、
 〔返〕  自然薯の紅く色づく葉も在りてとかく難しこの身の始末   鳥羽省三 


(おおみはじめ)
〇  『不機嫌な職場』の次は『不自然な職場』を書けと思ったりする

 作中の『不機嫌な職場』(河合太介・高橋克徳・永田稔・渡部幹の共著)は、“講談社現代新書”の一冊として2008年1月に刊行され、ビジネスマンや若いOLなどの間で話題となったビジネス書であり、「なぜ社員同士で協力できないのか」というサブタイトルが付いている。
 本作の作者・おおみはじめさんが、この書物をお読みになっておられるかどうかは知りませんが、著者の河合太介氏たちに拠って、その続編として『不自然な職場』が刊行されたりしたら、少しは話題になりそうな気がします。

 〔返〕  『不機嫌な職場』の次は『不可解な職場』でもいいような気がする   鳥羽省三
 『不可解な職場』のサブタイトルは「くたばれ東京電力!」であったりして。


(五十嵐きよみ)
〇  不自然な花形満の髪型も昭和を埋めるピースのひとつ

 野球漫画『巨人の星』に、主人公・星飛雄馬の宿命のライバルとして登場する「花形満」の「髪型」と言えば、あの独特な長髪であり、それに似た髪型のキリンが何処かの動物園に居るとか、居ないとか、ネット上でいろいろと物議を醸し出している「髪型」である。
 本作の作者・五十嵐きよみさんは、その「髪型」について、「不自然な花形満の髪型も昭和を埋めるピースのひとつ」という独特の見解を披歴なさって居られるのであるが、それはそれで、一つの見解として、私たち読者は受け入れなければならないのである。
 〔返〕  五十嵐きよみさんの御作は題詠短歌の希薄を薄めているか?   鳥羽省三
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一首を切り裂く(072: 汚・其の供η咼スに黒く汚れし雪の土手を)

2012年03月29日 | 題詠blog短歌
(西中眞二郎)
〇  排ガスに黒く汚れし雪の土手を両脇に見てバス走り行く

 本作の作者・西中眞二郎さんは、俗に「雪の回廊」と呼ばれている「立山黒部アルペンルート」を走る観光バスに乗車されたのでありましょうか?
 だとしたら、その時節は、「排ガスに黒く汚れし雪の土手を両脇に見てバス走り行く」という表現から推して、五月の連休過ぎのことと思われます。
 〔返〕  銀色に輝く雪の壁のなか室堂指して我がバスは行く   鳥羽省三


(髭彦)
〇  汚泥また核にまみれて溜まりゆく列島熱す梅雨明けの陽の

 「汚泥」も「汚泥」、その「汚泥」は、東電の福島原発のメルトダウン事故に因って垂れ流された核物質に塗れた悪魔の「汚泥」なのである。
「題詠blog2011」も七十一回目になりましたが、父祖の地を汚された作者・髭彦さんの怒りはますます激しくなるばかりである。
 この期に及んで、未だ株式会社・東京電力の存続などが云々されておりますが、私・鳥羽省三に言わせれば、「東電の幹部職員のみならず末端の職員まで、更には彼らの子弟に及ぶまで、自分らが東電から支給される給金によって粥を啜っているが故に、世間の人々から袋叩きの憂き目に遭ったとしても、なんら不思議なことでは無い」と言うべきでありましょう。
 〔返〕  東電の存続などは在り得ない!水に堕ちたる犬をも叩け!   鳥羽省三


(青野ことり)
〇  さまざまな意匠の蓋で塞がれて地下を流れる汚水、雨水も

 「さまざまな意匠」のマンホールの「蓋」を題材にしたのは、真に卓抜なる発想である。
 しかしながら、末尾の七音「汚水、雨水も」は、今ひとつパンチが効いていないから、もう一工夫が必要でありましょう。
 〔返〕  さまざまな衣装の蓋で身を飾り目には見えない泥水汚水   鳥羽省三


(松木秀)
〇  岡井隆を「汚海」と吐き捨てる人が数年前まで某所に居たり...

 「数年前まで某所に居たり」と朧化する必要はありません。
 「岡井隆」氏を「汚海」視したり、「お釜」視したりする者は、結社「未来短歌会」を含めた歌壇の随所に、いや、世間の随所に居りましょう。
 〔返〕  持ち上げてどんと落そうデブ加藤治郎は未来の妨げとなる   鳥羽省三


(佐藤紀子)
〇  「汚れなき」は嘘かも知れぬみどり児も親の気をひく嘘泣きをする

 作中の「みどり児」、即ち「嬰児」は「乳児」とほぼ同義語であり、「乳児」とはお母さんのオッパイを飲んでいる零歳から三歳ぐらいまでの児を指して呼ぶ語である。
 私の乏しい経験に照らしてみても、お母さんのオッパイにしがみ付いているような赤ちゃんが、「嘘泣き」をしているような場面を見たことがありますから、本作の作者・佐藤紀子さんの仰る「みどり児も親の気をひく嘘泣きをする」というご見解は的を得たものと思われる。
 しかしながら、それを根拠にして「『汚れなき』は嘘かも知れぬ」とご推測なさるのは、いささか無理かと存じます。
 何故ならば、人間を「汚れなき人間」と「汚れた人間」とに区別するのは、あくまでも相対的なものであり、一例を上げて説明すれば、昨今、何かと取沙汰されている現職の防衛大臣の奥方様、あの著名な女丈夫の奥方様を、ある筋の方々は「汚れなき人間」に分類なさって居られる、とのことでありますから。
 〔返〕  元総理・鳩山由紀夫は汚れなき人間の部類に入るでしょうか?
      

(五十嵐きよみ)
〇  解決のつかない悩みは脇に置き雨に汚れた靴下を脱ぐ

 雨の中を外出なさった方は、何はさて措き、ご帰宅なさったら直ちに「汚れた靴下を脱ぐ」のが先決問題でありましょう。
 したがって、「解決のつかない悩みは脇に置き雨に汚れた靴下を脱ぐ」という五十嵐きよみさんの振る舞いも亦、人間として、女性として、極めて正常なる振る舞いと申せましょう。
 〔返〕  解決のつかない悩みはさて措いてワンカップ大関の封印を切る   鳥羽省三


(雑食)
〇  昨晩の汚泥のような出来事を感じさせないきみのあいさつ

 ご自身みずから「雑食」と名乗られている方の前で展開された「昨晩の汚泥のような出来事」とは、一体どんなに淫らな「出来事」であったのでしょうか?
 その「昨晩の汚泥のような出来事を感じさせないきみのあいさつ」とは、一体どんな「あいさつ」であったのでしょうか?
 謎が謎を生む事の運びに、評者の臆病なる心は散り散りと乱れ行くばかりである。
 〔返〕  膝突いて「おはようございます」と挨拶す昨夜の君は何処へ行ったか?   鳥羽省三


(村木美月)
〇  真っ白なコンバースの汚れまで愛しく思う夏の終わりは

 「真っ白な」は使用前のことであり、夏一杯グラウンドで走り回った「コンバース」は真っ黒に「汚れ」ているはずである。
 「愛しく思う」余りに、作者の村木美月さんは、「真っ黒」と「真っ白」とを混同なさって居られるのでありましょうか?
 〔返〕  Babolatのラケット・ガットのほつれまで愛しく思う夏の軽井沢   鳥羽省三


(鳥羽省三)
〇  汚らしい!ぬるぬるしたのはわたし嫌!泥鰌は嫌い!鮎が大好き!

 駆け引き無しに、本当の気持ちを述べているだけのことです。
 〔返〕  野田の田圃にのた打ち回ってる泥鰌は汚らしくて食べたくありません。   鳥羽省三
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一首を切り裂く(072: 汚・其の機Ε泪襯札蝓璽里和し算習う)

2012年03月28日 | 題詠blog短歌
(原田 町)
〇  「汚れなき悪戯」という映画ありマルセリーノは足し算習う

 作中の『汚れなき悪戯』とは、1955年製作のスペイン映画であり、監督は“ヴァイダ・ラースロー(ハンガリー国籍)であり、主役を演じた当時6歳の少年“パブリート・カルボ”の名演技が話題となり、1955年のカンヌ映画祭で作品賞と特別子役賞を受賞した。
 HP「goo映画」の解説するところに拠って、その梗概を示すと、凡そ次のようなものである。

 聖マルセリーノ祭を迎えたスペインのある小さな村。楽しげに丘の上の教会へ村人達が向う頃、貧しい家で病床に伏す少女を訪れた一人の僧侶は、この日にまつわる、今は忘れられた美しい奇蹟の物語を話して聞かせる。
 −−かつて戦争で荒れ果てたこの村が平和をとり戻し始めた頃、三人の老いた僧侶が訪れて来て丘の上の廃墟に僧院を建てたいと村長に頼んだ。やがて農夫たちの協力で僧院は建立、十年後、いつか十二人となった僧侶らは静かな生活を送っていた。
 ある朝、門前に幼い捨子を発見。彼等は赤児の両親が今は亡いと知ると、その日が聖マルセリーノの日であったことからマルセリーノ(パブリート・カルボ)と名付け世話を始めた。
 僧侶らは心をこめた愛憎を注いだが、将来を考えた僧院長は子供を引取ってくれる家庭を探した。だが結局は失敗。それは彼等が心秘かに願っていたことだった。
 五年の後、マルセリーノは天使のように無垢な悪戯っ子になっていた。少年は僧侶らを見たままそれぞれ仇名をつけて呼んでいたが、いつか天国にいると思われる母親のことを想う日が多くなった。
 ある日、野原で出逢った農家の若妻に母の姿を見た少年は、同じ年頃のマヌエルという男の子がいると知って、彼を空想の友達と考えて、一人ぼっちの遊びも楽しいものにした。
 祭の日、村に行った少年の僅かな悪戯は思いがけぬ混乱に発展、負傷者まで出た。
 村長の後を継いでいた鍛冶屋は、これを僧侶らに対する攻撃の口実とし、一ヵ月以内に僧院退去を命じた。
 僧侶たちは失望。何も知らぬ少年は一人、空想のマヌエルと遊ぶ中、納屋で十字架のキリスト像を発見、飢えと寒さで悩むように思われるキリストの許へパンや酒を運ぶ。
 ある嵐の晩、やって来た少年にキリストは好意に報いようとその願いを尋ねた。
 少年は天国のお母さんに会いたいと答え、古椅子に寄ったまま永遠の眠りに就いた。そのまわりには、どこからともなく光が輝く。
 奇蹟は村中に伝わり、葬式には鍛冶屋始め総ての村人が参加した。
 −−話し終った僧侶が僧院へ戻る頃、教会から村人は帰途に就き、マルセリーノの祭も暮れようとしていた。

 婦女子禁断の僧院に紛れ込んでしまった聖天使「マルセリーノ」。
 その「マルセリーノ」が「足し算」を「習う」場面にご着目された作者・原田町さんの慧眼振りには感服させて頂く他ありません。
 〔返〕  天国の母に会いたいマルセリーノ(マルセリーノは聖職者の名)   鳥羽省三


(奈良絵里子)
〇  うわばきの汚れることが嫌だった 小学校の避難訓練

 作者の奈良絵里子さんは、「小学校の避難訓練」について、「うわばきの汚れることが嫌だった」と回想なさって居られますが、学童や生徒・学生時代、或いは教師時代を通じて「避難訓練」を何回と無く経験した私の感想を素直に言わせていただきますと、下記の返歌のようになります。
 〔返〕  誰ひとり真面目に逃げる者もなく無駄な行事だ退避訓練   鳥羽省三


(芳立)    〈卑湿淤泥〉 
〇  人知れず汚るる水の悲しみのあればぞ世には蓮の光れる   ※汚るる【よごるる】

 世俗倫理100パーセントの作品内容の是非はともかくとして、「※汚るる【よごるる】」との注釈が嫌味である。
 無用と思われる注釈を付け、平易な漢字の“よみ”までも示すのは、作者・芳立さんの親切心の表れと解釈するべきかも知れませんが、私には“嫌味”としか思えません。
 〔返〕  人知れず汚れる水はありません工場排水確信犯です   鳥羽省三
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一首を切り裂く(071: 謡・其の掘γ詫悗里海馗鳴りのごとくにて・改訂版)

2012年03月27日 | 題詠blog短歌
(紫苑)   (詞書)  能「船弁慶」を詠む
〇  地謡のこゑ潮鳴りのごとくにて怪士(あやかし)の眼の波間にひかる

 作中の「怪士(あやかし)」とは、“海上に現れる怪しげな火”を指して言ったり、“船を沈める船幽霊”を指して言ったりする言葉である。
 本作に詠まれた場面は、能楽舞台『船弁慶』の後段である。
 前段で前シテの愛人静御前と哀切な別れを演じた義経が、兄・頼朝に追われて西国に向って摂津国尼崎大物浦から船出しようとした時、後シテとして平知盛の亡霊が現れ、義経主従の乗った船を海中に沈めようと獅子奮迅の振る舞いをするのであるが、数珠を繰り経文を唱え懸命に祈る武蔵坊弁慶の働きによって事無きを得るのである。
 〔返〕  地謡の声の鎮まり知盛の亡霊徐々に遠ざかり行く   鳥羽省三


(今泉洋子)
〇  秋桜の暮れゆく影の揺らぎつつ田村の謡ひの響き止みぬる

 謡曲『田村』に謡われている光景は、桜花爛漫の清水の舞台である。
 したがって、能楽『田村』や『田村』のシテ役の坂上田村麻呂と「秋桜」との組み合わせは、やや異例と言えましょう。
 しかしながら、本作の作者は、それをご承知の上で、敢えて「秋桜の暮れゆく影の揺らぎつつ」といった近代的な抒情に彩られた視覚的場面の中に、「田村の謡ひの響き止みぬる」といった古色を帯びた聴覚的場面を配することに拠って、新たな抒情歌を創出なさろうとしたのでありましょう。
 五感の全てを駆使しての、作者・今泉洋子さんのそうした独自の試みは一応成功しているようにも思われる。
 だが、作者の今泉洋子さんが「秋桜の暮れゆく影の揺らぎつつ」と詠み、「田村の謡ひの響き止みぬる」と詠む時に、私たち読者の前に示されるものは、常套的な表現を避けようとする文学的な配慮と共に、作者ご自身の“老いの自覚”でもありましょう。
 〔返〕  老いぬればコスモスの花に心寄せ謡曲田村のひとふしを舞ふ   鳥羽省三


(コバライチ*キコ)
〇  近江の国竹生島には龍神の棲むと謡ひし翁の錆声
(佐藤紀子)
〇  声深き地謡ひに乗り仕手が舞ふ閉じたる扇右手(めて)にかざして
(船坂圭之介)
〇  花咲かば告げむと言ひし・・聞こえ来る鞍馬天狗の謡の一節
(鳥羽省三)
〇  地謡は能のコーラスグループで舞台右手に二列に並ぶ

 お題が「謡」であるので、能楽関連、謡曲関連の作品が相当数ありました。
 作中に「謡」というお題を詠み込むには、童謡や歌謡曲を題材とする手も在り得ましょうが、それを避けて能楽関連、謡曲関連の作品をお詠みになったのは、作者の方々の創意(乃至はプライド)の表れでありましょうか?
 これら六首の能楽関連、謡曲関連の作品に接した時に感じるのは、「お題『謡』を詠み込むのに、歌謡曲や童謡といった言葉を用いるのは、歌人としての自分自身の沽券に関わるから、何が何でも、他の人とは異なった作品に仕立て上げねばならない」とする、作者の方々の旺盛なる気概と屈折した自尊心である。
 これら六首の中には自作も含まれておりますが、作者の私とて、その例外ではありません。
 よくよく熟慮してみますと、歌人たちのそうした旺盛なる気概と屈折した自尊心とは、万葉以来の和歌史を彩り、近代以降の短歌表現を豊かにした原因の一つでもありましょう。
 ある作者は作中に謡曲の詞章を鏤め、ある作者は演能者の仕草に着目し、ある作者は演能舞台の特色を詠み込んでおりますが、こうしたささやかで細やかな配慮こそ、優れた歌を詠む為に奨励されるべき心配りである、と言えましょう。

 〔返〕  「高砂家」新柴又の居酒屋でお姉ちゃんたちが若くて綺麗   鳥羽省三
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一首を切り裂く(071: 謡・其の供Σ陵惷覆靴ない町に住んでいた・改訂版)

2012年03月26日 | 題詠blog短歌
(不動哲平)
〇  昨日まで歌謡曲しかない町に住んでいた気がしてしかたない

 例えば、演歌歌手の島津亜矢さんにジョーン・バエズ(JOAN BAEZ)が歌う『勝利への讃歌(Here's To You)』を聴かせたら、こんな感想を口にすることでありましょう。
 ところで、昨・3月25日からすっかり春らしい空模様になりました。
 昨日は六本木ヒルズの大展望台(東京シティビュー・海抜250m)から大東京を眼下にしたのですが、その時の私の気持ちを正直に申し上げますと、高さがわずか333mに過ぎない東京タワーは勿論のこと、高さ634mの東京スカイツリーさえも股座の下に置いているような気分を味わいました。
 また、六本木と言えば山の手中の山の手であるから、六本木から東京湾までは人の足で歩いて行けないほどの距離の隔たりが在ると思っていたのでしたが、その東京湾が東京シティビューの真下に見えたのには全く驚嘆してしまいました。
 すっかり春らしくなった大東京の上空には、東京湾の潮の香が漂っておりました。
 〔返〕 昨日まで冬しか来ない街に住む吾かと思い暮らしてました   鳥羽省三


(松木秀)
〇  小島ゆかりと話してみたい白秋の童謡の歌詞の怖さについて...

 北原白秋作詞の童謡の歌詞の怖さについては、既に定評のあるところであるが、その<怖い童謡>の代表的な例として、『金魚』及び『曼珠沙華』の歌詞を転載しておきましょう。

    『金 魚』

  母さん、母さん、どこへ行た。
  紅い金魚と遊びませう。

  母さん、歸らぬ、さびしいな。
  金魚を一匹突き殺す。

  まだまだ、歸らぬ、くやしいな。
  金魚をニ匹締め殺す。

  なぜなぜ、歸らぬ、ひもじいな。
  金魚を三匹捻ぢ殺す。

  涙がこぼれる、日は暮れる。
  紅い金魚も死ぬ死ぬ。

  母さん怖いよ、眼が光る。
  ピカピカ、金魚の眼が光る。
 

    『曼珠沙華(ひがんばな)』

  GONSHAN.GONSHAN. 何処へゆく
  赤い御墓の曼珠沙華(ひがんばな)、
  曼珠沙華、
  けふも手折りに来たわいな。

  GONSHAN. GONSHAN. 何本か。
  地には七本、血のやうに、
  血のやうに、
  ちやうど、あの児の年の数。

  GONSHAN. GONSHAN.気をつけな。
  ひとつ摘んでも、日は真昼、
  日は真昼、
  ひとつあとからまたひらく。

  GONSHAN. GONSHAN. 何故(なし)泣くろ。
  何時まで取っても、曼珠沙華、
  曼珠沙華、
  恐しや赤しや、まだ七つ。

 あの「小島ゆかり」さんが糞真面目な顔をして、お子様方や松木秀さんの前で「母さん、歸らぬ、さびしいな。/金魚を一匹突き殺す。」「まだまだ、歸らぬ、くやしいな。/金魚をニ匹締め殺す。」「なぜなぜ、歸らぬ、ひもじいな。/金魚を三匹捻ぢ殺す。」「涙がこぼれる、日は暮れる。/紅い金魚も死ぬ死ぬ。」「母さん怖いよ、眼が光る。/ピカピカ、金魚の眼が光る。」と歌ったり、「GONSHAN. GONSHAN. 何本か。/地には七本、血のやうに、/血のやうに、/ちやうど、あの児の年の数。」と語ったりしたら、お子様方はともかくとして、松木秀さんは肝っ玉がヒャッとすることでありましょう。
 「栗木京子と話してみたい」としないで、「小島ゆかりと話してみたい」としたのには、どんな理由が有るのでしょうか?
 〔返〕  臆面も無くご自身の娘さえ褒め讃える性格の怖さ   鳥羽省三      


(五十嵐きよみ)
〇  童謡の詞に隠された残酷さ生(あ)れては消えてゆくシャボン玉

 野口雨情作詞(中山晋平作曲)の童謡『シャボン玉』にも、怖くて残酷な内容が含まれているので転載しておきましょう、

    『シャボン玉』

   シャボン玉飛んだ
   屋根まで飛んだ
   屋根まで飛んで
   こわれて消えた

   シャボン玉消えた
   飛ばずに消えた
   産まれてすぐに
   こわれて消えた

   風、風、吹くな
   シャボン玉飛ばそ
 
 歌詞中の「シャボン玉消えた/飛ばずに消えた/産まれてすぐに/こわれて消えた」から、「堕胎」とか「水子殺し」といった人間の毒々しい欲望に根差した陰惨な因習の影響を感じるのは、そんなに困難なことではありません。
 〔返〕  堕ちて来たらもっと弾こうシャボン玉パチンと割れて生まれぬように   鳥羽省三  


(ちょろ玉)
〇  よく聞けば暗すぎるから童謡に「あかりをつけましょ」なんて思った

 本作の作者・ちょろ玉さんは、ペンネームに相応しく少々間抜けなので、サトウハチロー作詞(河村光陽作詞)の童謡『うれしいひなまつり』の一番の歌詞に「あかりをつけましょ」とあるのは、童謡と言われる種類の音楽全体の持つ雰囲気が「暗すぎる」から、それを救済するための措置であった、と気付いたことをこの作品を通じて告白なさって居られるのである。
 それは、全く彼らしい誤解ではあるが、童謡の持つ暗黒性にご着目なさった点は慧眼と申すべき他ありません。
 したがって、彼・ちょろ玉さんは、案外、頭脳明晰な人間なのかも知れません。
 彼の頭脳明晰振りを顕彰すると共に、彼の推理が必ずしも正しくなかったことを証明するために、童謡『うれしいひなまつり』の歌詞を転載しておきましょう。

    『うれしいひなまつり』

  あかりをつけましょ ぼんぼりに
  お花をあげましょ 桃の花
  五人ばやしの 笛太鼓
  今日はたのしい ひな祭り

  お内裏様と おひな様
  二人ならんで すまし顔
  お嫁にいらした 姉様に
  よく似た官女の 白い顔

  金のびょうぶに うつる灯を
  かすかにゆする 春の風
  すこし白酒 めされたか
  あかいお顔の 右大臣

  着物をきかえて 帯しめて
  今日はわたしも はれ姿
  春のやよいの このよき日
  なによりうれしい ひな祭り

 〔返〕  間違えて「あかいお顔の右大臣!」などと言っては笑われますよ   鳥羽省三
      赤顔で白いお髭の左大臣ハンサムな方が右大臣です
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一首を切り裂く(071: 謡・其の機Ε曄璽爐任肋赦族陵悗鰺悗Δ劼函Σ訂版)

2012年03月25日 | 題詠blog短歌
(小倉るい)
〇  ホームでは昭和歌謡を謡うひと我には永遠(とわ)に厳父であれかし

 本作に接した瞬間、私は未だ教師生活をしていた頃に毎朝出会った「オペラ歌手」という渾名の一男性を思い出してしまいました。
 彼・オペラ歌手は、私が横浜市港北区内のA高校に勤務していた当時、JR東日本・横浜線のB駅前のバス停でほとんど毎日のように顔を合わせていた中年サラリーマンである。
 因みに、彼に「オペラ歌手」という愛すべき渾名を奉ったのは私・鳥羽省三であり、私が彼を称して「オペラ歌手」と呼ぶようになると、「オペラ歌手」という語は、私が勤務する高校の職員、生徒を問わず、彼に対するごく一般的な通り名となり、朝の職員打ち合わせなどの話題として、何かの序でに彼の行状が取沙汰されるような場合は、校長を含めた全職員が、「オペラ歌手が『トゥーランドット』の『誰も寝てはならぬ』を歌っている時に、三年三組のS・T君が強引な割り込みをしたので、それが切っ掛けとなってS・T君の仲間の三年生たちが一斉に割り込み乗車をしようとしたので、大人の通勤客たちとの間のいざこざが始まったのです。」「オペラ歌手が“♪風の中の羽根のように”と、『リゴレット』の『女心の歌』を張り上げた時に、三年三組のS・T君がいつものように割り込み乗車をしようとしたので、・・・・・・・。」といったような話し方をするのが通例でありました。
 自分自身の無力さを曝してしまうようで真に恥ずかしいことではありますが、その当時のA高校の生徒たちの間には、三年三組のS・T君を初めとしてバスの割り込み乗車の常習者が数名居て、A高校生以外の乗客との間のトラブルが毎日のように発生していて、私たち教員は、朝一番の通勤途上から、そうしたトラブルの防止策に悩まされていたような次第でありました。
 私たちA高校教員のそうした悩みをよそに、彼・オペラ歌手は、毎朝のように超満員になる神奈中バスの車中や、B駅のホーム内などでイタリアオペラの名曲を大声を張り上げて歌っておりました。
 そうした次第で、本作に接した瞬間、私は、彼の「オペラ歌手」が“題詠2011”の投稿歌の中に登場したのか? と思い、一瞬、過去の亡霊が私の目前に蘇って来たのかとも思ってしまったのでありました。
 然るに、本作中の「ホーム」とは、JR東日本・横浜線のB駅のプラットホームを指して言うのではなく、高齢者介護ホームを指して言うのでありました。
 本作の作者・小倉るいさんの父親は、彼のオペラ歌手ほどの美声の持ち主かどうかは判然としませんが、ご自身が通っておられる高齢者介護ホームの懇親会などの際に、東海林太郎張りの美声を張り上げて『赤城の子守唄』や『国境の街』や『鴛鴦道中』などの「昭和歌謡」の名曲を披露して、高齢者仲間たちから拍手喝采を浴びているのでありましょう。
 作者の小倉るいさんは、父親の送り迎えをする介護バスの運転手の方や介護士の方から、ご自身の父親の施設内での父親らしからぬ行状を聴かされて少しは恥ずかしいとは思ったものの、「それはそれとして受け入れるに躊躇するところはないが、せめて私の前では、永遠に厳めしい父親であってくれ」と、祈るような気持ちになっているのでありましょう。
 〔返〕  波田ミクがトゥーランドットを歌うとき鶴見川原で鵥が孵る   鳥羽省三


(西中眞二郎)
〇  新しき歌謡曲とも縁遠く古き歌のみ歌うスナック

 私にとっての西中眞二郎さんは、永遠に顔を合わせることも無く、語り合うことも無い、私淑して止まない歌人の一人に過ぎません。
 しかしながら、私は、過日の朝日新聞紙上で、西中眞二郎さんのご尊顔を拝眼させていただいておりますから、本作に接した瞬間、「あの厳めしい顔つきの西中眞二郎氏が、事もあろうに、毎晩毎晩、スナック通いにお励みになられ、数多い音楽の中で、事もあろうに『高原列車は行く』などというヤワな昭和歌謡の歌唱に声を張り上げて居られるのだろうか? 厚化粧したママさんの顔にうつつを抜かしておられるのだろうか? だとしたら、それは大変けしからん話である! 国辱ものである!」などと、つい、うっかり肩を怒らせてしまったような次第でありました。
 若気の至りにて、大変申し訳ありません。
 〔返〕  ごくたまに『ポニシュシュ』などを踊ったり眞二郎氏のスナック通い   鳥羽省三  


(アンタレス)
〇  新年の歌会初め謡詠のあまりに長く歌心うすれし

 本作の出来栄えはともかくとして、作者のお気持ちには共感を覚えますから、敢えて採り上げさせていただきました。
 皇室内の年中行事の一つである「歌会始の儀」で披露されるご皇室の方々の御歌は、本年の天皇陛下の御歌「津波来し時の岸辺は如何なりしと見下ろす海は青く静まる」を初めとして、本質的には、国土の平安及び国民生活の安全を祈願し、併せて世界平和をも祈願する為の御歌、即ち「国鎮めの御歌」でありますから、「朗詠」という古色蒼然たる手続きを経てご披露になられるのが必然的なこととか思われます。
 したがって、ご皇室の方々の御歌のみならず、召人や選者の方々の詠進歌、更には一般入選者の方々の詠進歌を含めた全ての作品は、広義の意味での「国鎮めの御歌」と解釈して然るべきかと存じます。
 ところで、本年の皇后陛下の御歌「帰り来るを立ちて待てるに季のなく岸とふ文字を歳時記に見ず」には、この鳥羽省三も全身を震わせて感動してしまいました。
 皇后陛下のあの御歌こそは、従来の「国鎮めの御歌」のレベルを超越した本格的な短歌と思われ、我が国土の平安と私たち日本国民の生活の安全にも御心をお配りになられた本格的な「国鎮めの御歌」と思われます。
 〔返〕  皇潤の八千草薫は傘寿過ぎ石段さへもしやかしやか登る   鳥羽省三
      

(行方祐美)
〇  素謡のやうに雨降るひとときが手帳にありき もうぢき穀雨

 「もうぢき穀雨」と、二十四節季で逃げたのは頂けませんが、「素謡のやうに雨降る」という直喩には新鮮味が感じられる。
 〔返〕  素饂飩のような雨降り着た切りのどてらぐるみでずぶ濡れとなる   鳥羽省三


(梅田啓子)
〇  裃をつけて素謡するごとく紫紺あやめの列なりて咲く             *素謡=すうたい

 「紫紺あやめの列なりて咲く」様を「裃をつけて素謡するごとく」という直喩で言ってのけたのは、梅田啓子さんの実力のほどを如何なく発揮された結果でありましょう。  
 〔返〕  上下を倒置させたる歌を詠む三時のおやつを六時に採るとき   鳥羽省三


(原田 町)
〇  童謡も戦時の色にそめられて「めんこい仔馬」軍馬となりぬ

 昭和十六年と言えば、アジア太平洋戦争開戦の年である。
 その昭和十六年に流行った戦時歌謡曲『めんこい仔馬』(サトウハチロー作詞・仁木他喜雄作曲)は、東宝映画『馬』(監督:山本嘉次郎・主演:高峰秀子)の主題歌として作られたのである。
 この歌は敗戦後改変されて、現在は童謡として無邪気な少年少女合唱団などで歌われているが、元々は純然たる戦時歌謡曲であり、日米開戦に伴って、銃前銃後の民の戦意を鼓舞する為に作られたものであり、敗戦以前に歌われていた歌詞は、次の通りであった。

   ’┐譴浸毒呂歴Г髻”錣任蠅穃昭蠅膨の露 
    呼べば答えてめんこいぞ オーラ 駈けて行こうよ丘の道 
    ハイド ハイドウ 丘の道
  ◆]里両紊ら育ててよ 今じゃ毛並みも光ってる 
    お腹こわすな風邪引くな オーラ 元気に高く鳴いてみろ
    ハイド ハイドウ 鳴いてみろ
   紅いべべより大好きな 仔馬にお話してやろか
    遠い戦地でお仲間が オーラ 手柄を立てたお話を
    ハイド ハイドウ お話を
  ぁ\召里空は夕焼けだ 仔馬帰ろかお家には
    お前の母さん待っている オーラ 唱ってやろかよ山の唄
    ハイド ハイドウ 山の唄
  ァ〔斉は市場かお別れか 泣いちゃいけない泣かないぞ
    軍馬になって行く日には オーラ みんなでバンザイしてやるぞ
    ハイド ハイドウ してやるぞ
 
 原田町さんの御作「童謡も戦時の色にそめられて『めんこい仔馬』軍馬となりぬ」は、こうした歴史的事実にご着目なさって詠まれた佳作である。
 〔返〕  夕焼けて山はほんのり涙色駈けて帰ろう母待つ里へ   鳥羽省三


(猫丘ひこ乃)
〇  童謡のソノシート赤く透きとおる西日の強き叔母がいた部屋

 作中の「叔母」は、私・鳥羽省三と同年代の女性でありましょうか?
 「今は亡き、その『叔母がいた部屋』には『強き』『西日』が当たっていて、『童謡のソノシート』が『赤く透きとお』っていた」とのことですが、私にも「西日」が強く当たる「部屋」で「赤く透きとおる」「ソノシート」を聴いていた時期があります。
 その頃の私は、ワイシャツの釦付けも部屋の掃除をすることも出来ずに、ひたすら幸運の女神が天から舞い降りて来るのを待っておりました。
 〔返〕 学苑はシュピレスコールに満ちていたジャンヌダークは未だ寝ていた   鳥羽省三
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一首を切り裂く(070:介・其の機ζ辰妨譴譴觝を持たずに)

2012年03月24日 | 題詠blog短歌
(清次郎)
〇  芝居を前やってたんですよ、と自己紹介 特に語れる今を持たずに

 お名前がお名前ですから、ドサ廻り芝居の斬られ役を「やってた」ようにも思われるのであるが、意外にも、本作の作者・清次郎さんは、かつて新劇の花形俳優として名を馳せた方である。
 それにも関わらず、「新劇をやってたんですよ」とも、「俳優をやってたんですよ」とも言わず、「芝居を前やってたんですよ」とぶっきら棒に「自己紹介」するところに、彼が知識人として尊敬されている所以が在るのである。
 「特に語れる今を持たずに」という下の句は、いかにも清次郎さんらしい謙遜である。
 〔返〕  「古希を過ぎても紫式部と一緒に遊んでるんですよ」と自己紹介す   鳥羽省三


(南野耕平)
〇  一箱をあっという間に使い切る 介の字模様に貼るサロンパス

 「サロンパス」を「介の字模様に貼る」には、「サロンパス」が6枚必要である。
 で、現在、市販されている「サロンパス」の箱入りは、10枚入り(小売り希望価格・168円)から240枚入り(同・2,594円)まで幾段階か在りますが、普通の人は、80枚入り(同・1,008円)程度の品物を量販店などで買いますから、「一箱をあっという間に使い切る」と仰るのも、決して大袈裟な言い方ではありません。
 〔返〕  一箱が二週間ももちませんサランパスA馬鹿にならない   鳥羽省三


(原田 町)
〇  介護いずれ受ける身なれど天引きの保険料に溜め息をつく

 未だ都営バスに乗って墓地下の区立中学の同窓会にお出掛けになられるくらいのお元気があるご様子ですから、「介護」を「受ける身」になるまでには、まだまだでありましょうが、それにしても、雀の涙程度の年金から「天引き」される介護保険の「保険料」の高さには「溜め息」を吐きたくなるような思いがするものである。
 我が家の場合は、昨年の11月から家内と二人分ですから、かなりの高額になってしまいます。
 原田町さん、お互いに「溜め息」ばかり吐いていないで、出来るだけ介護施設のお世話にならないように頑張りましょう。
 その為には、毎日のお散歩が欠かせません。
 参考までに申し添えますが、作家の庄野潤三氏は2009年9月21日に、我が家の近所のご自宅で老衰の為にお亡くなりになったとのことですが、その数箇月前まで、1日20000歩余りのお散歩を欠かさなかったそうです。
 〔返〕  ハーモニカ吹く音聴こえる庄野坂登れば見える生田の街が   鳥羽省三
      夕闇が「ふるさと」の音を追っ駆ける生田界隈坂道ばかり


(砂乃)
〇  加藤、江藤、佐藤、近藤、工藤ええと名字は忘れたけれど「大介」

 一口に「大介」と言っても、姓はさまざまであり、「藤」の付く姓に限定しても、伊藤大介、遠藤大介、斎藤大介、衛藤大介、権藤大介、後藤大介、須藤大介、兵藤大介など、さまざまであり、何方のことだけさっぱり判りません。
 〔返〕  「大介と砂乃ちゃんとはできている!」信濃町駅のトイレの落書き   鳥羽省三


(五十嵐きよみ)
〇  一枚の上着を傘にして駆けるふたりで「介」の字になりながら

 「一枚の上着を傘にして駆けるふたり」の名は、「大介+きよみ」でありましょうか?
 それとも、「大介+砂乃」でありましょうか?
 〔返〕  夕立に相合傘して駈けて行く「大介・きよみのラブラブ同士!」   鳥羽省三


(牛 隆佑)
〇  新しい集まりに行き紹介をされないままに会合終わる

 「新入会員の牛隆佑です。牛は牛でも鈍間な牛ではありません。女性を見たら、素早く手を出す牛ですから、女性会員の方は、次回から下着を二枚重ねにお穿きになってご出席下さい」とか何とか、ひと通りの自己紹介とかをさせて遣るのが世間の常識と思われるのですが、一体全体、何様が集まっている「会合」だったのでありましょうか?
 〔返〕  何様の集まりであるかは判らねど自己紹介させるのが常識   鳥羽省三


(鳥羽省三)
〇  「仲介料礼金無しで即入居!」UR住宅それでも空き家?

 たったの一年だけでしたが、「UR住宅」に仮住まいしていた経験があります。
 「仲介料礼金無しで即入居!」との宣伝文句に釣られての入居でしたが、同じ広さなら、民間マンションの方が半分以下の家賃で入居出来そうな気がしました。
 〔返〕  「仲介料礼金無しで即入居!」UR住宅国籍問わず?   鳥羽省三
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一首を切り裂く(069:箸・其の機今年も太く名を書きており)

2012年03月23日 | 題詠blog短歌
(西中眞二郎)
〇  正月の朝の食事の祝い箸今年も太く名を書きており

 毎年毎年の決まり事ながら、最近は接する機会がめっきり少なくなった元旦風景である。
 西中家の皆さんは、どんな願い事を感じながらお屠蘇をお飲みになったのでありましょうか?
 〔返〕  丸餅に無病息災の願いごと周防大島岩屋権現   鳥羽省三


(紫苑)
〇  塗り箸に白蝶貝の桜ばなひそと散らうて春をしつらふ

 本作の作者・紫苑さんは、輪島塗に「白蝶貝」の「桜ばな」をあしらった螺鈿細工のお「箸」をお買い求めになられて、新春の趣きを感じられているのでありましょう。
 〔返〕  会津塗の赤いお椀に女川の若芽ひと盛り被災地支援   鳥羽省三


(五十嵐きよみ)
〇  幸せはささやかなほどいとおしい箸からこぼれてゆくうずら豆

 「『箸からこぼれてゆくうずら豆』は、産直の通販価格にしても『ささやかな』ものではあるが、それを見つめていると、命に対する愛おしさが感じられてならない」という理屈でありましょうか?
 〔返〕  幸せはささやかなほど愛おしい松前漬の数の子みたく   鳥羽省三


(紗都子)
〇  ふぞろいにわれた割箸対称をなくしたものは自由に見える

  言われてみると確かにそんな気もします。
 歪に育った西瓜や南瓜やメロンなどは、比較的に廉価で買うことが出来るようですが、本作の作者・紗都子は、そうした現象を指して「対称をなくしたものは自由に見える」と仰るのでありましょう。
 〔返〕  片脚が捥げたベッドに寝てるから自由自在に歌評が書ける   鳥羽省三


(今泉洋子)
〇  神様と人とを繋ぐ架け橋とふ箸の音冴えて神無月尽

 察するに、肥前国・佐賀には長い長い超合金製のお「箸」が存在し、それが「神無月尽」の前夜になると、東支那海及び日本海を渡って出雲国まで届く「架け橋」となり、佐賀県内の(旧)県社、即ち「荒穂神社・稲佐神社・伊萬里神社・唐津神社・祐徳稲荷神社・與止日女神社」などの「神様」たちを招来するのでありましょう。
 〔返〕  午前零時・祐徳様に虹架かり秋山祐徳太子殿ご帰館になる   鳥羽省三  


(粉粧楼)
〇  わたくしの内なる熾火見つめつつ火箸のように触れる人待つ

 「火箸のように触れる人」が現実に現れたとしたら、「わたくしの内なる熾火」は、如何なる反応を示すでありましょうか?
 地獄の業火のような炎熱と、新横浜アイスアリーナの氷よりも冷たい金属との運命的な邂逅。
 其処に、一体どんなドラマが展開されるのでありましょうか?
 〔返〕  わたくしの胸の熾火に水を掛け冷まして呉れる消防士募集   鳥羽省三


(鮎美)
〇  湧きいづる白きわたあめ割箸に絡めとられて恋に落ちたり

 「わたあめ」が「割箸に絡めとられて恋に落ちた」ということでありましょうか?
 それとも、夜店で「わたあめ」を売っている男性の手管に騙されて、鮎美嬢が「恋に落ちた」ということでありましょうか?
 よくよく考えてみるに、恐らくは、その両者を架けての一首であろうと思われますが、だとすれば、詠い出しの「湧きいづる白きわたあめ」という“五七句”は、本作の作者・鮎美嬢の柔らかで優しく甘い姿態の様を連想させて、真に適切な隠喩的表現と判断される。
 〔返〕  割り箸はいかなる手管で絡めたか?わたあめの如き鮎美さんの腰!   鳥羽省三


(はこべ)
〇  三輪山を守りおるごと麓には箸墓古墳みどりのなかに
(芳立)       〈秋夜墳丘〉 
〇  月かげのいたらぬ夜もまほろばの杜にねむるや箸墓の姫

 はこべさん及び芳立さんの御作中の「箸墓」は、奈良県桜井市纒向遺跡の箸中に所在する箸中古墳群に在る代表的な古墳であり、また、はこべさんの御作中の「三輪山」は、同じ桜井市に在る“式内社”である。
 したがって、ただ単に位置関係だけに着目して考えてみると、はこべさんの仰る通りに「三輪山を守りおるごと麓には箸墓古墳みどりのなかに」という見立ても成り立ち得ましょう。
 また、「箸墓」が現在は宮内庁によって、第七代・孝霊天皇の皇女、「倭迹迹日百襲姫命大市墓(やまとととひももそひめのみことおおいちのはか)」として管理されておりますから、芳立さんの御作中の「箸墓の姫」とは、「倭迹迹日百襲姫命」とするのが妥当な判断とも思われます。
 だが、かつては単なる伝説に過ぎないとして無視されて来た、「箸墓=卑弥呼の墓」とする説が、近年、十分な根拠のある有力な学説と看做されるようになって来たところから判断すると、芳立さんの御作中の「箸墓の姫=卑弥呼」という判断も成り立ち得ましょう。
 〔返〕  箸墓は女王・卑弥呼のピラミッド棺の周りを毒蛇が守護す   鳥羽省三  


(鳥羽省三)
〇  「箸墓は卑弥呼の墓か?」論争の邪馬台国は畿内で決まり!

 前項の記事をご参照の事。
 〔返〕  「やまとととひももそひめのみこと」とは舌が縺れて言うこと出来ぬ   鳥羽省三
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一首を切り裂く(068:コットン・其の掘Ε灰奪肇鵑乾くまで見る蒼い静脈)

2012年03月22日 | 題詠blog短歌
(砂乃)
〇  エタノールひたして絞ったコットンが乾くまで見る蒼い静脈

 「静脈」は青く見えるが故の「静脈」である。
 したがって、殊更に「蒼い」という形容詞を付けて言う必要がありません。
 それにも関わらず、敢えて「蒼い静脈」と言ったところに本作の作者・砂乃さんの病的心理が表現されているのでありましょうか?
 作中の私(≒作者)は、何かについて脅え苦しみ、何かについて思い詰めているのでありましょうか?
 或いは、ご両親に隠れてリストカットした後の傷口を消毒しているのでありましょうか?
 仮にそうだとしても、その傷跡は既に瘡蓋状態になっていて、リストカットした当人は、心身共に立ち直りそうな気配を示しているのでありましょう。
 〔返〕  御用邸の噴井の水の噴き乱れ弥生二十日過ぎ桜まだ咲かず   鳥羽省三  


(北爪沙苗)
〇  何事もなかったような空がありコットンシャツを着て跳躍す

 あれから二ヶ月余りの時間が経ち、かつては心身共にどん底状態にあった少女(≒作者)も「コットンシャツを着て」、春風が吹く校庭を走り回っているのである。
 三月二十二日、「コットンシャツを着て跳躍す」る少女の上には、「何事もなかった」ように、桜色した春の「空」が在るのである。
 〔返〕  過ぎ行けばすべてバラ色サクラ色コットンシャツの少女の笑顔   鳥羽省三


(ひぐらしひなつ)
〇  触れ得ないひとだと知った夕暮れのうす桃色がコットンに染む

 作中の「触れ得ないひと」とは、アトピー体質で身体中に「うす桃色」のぶつぶつが出来ている人を指して言うのでありましょうか?
 だとしても、その人の人生は必ずしも「夕暮れ」時に差し掛かっているとは限りませんから、本作の表現は、かなり差別的な表現と判断されます。
 〔返〕  夕暮れが薄桃色で迫り来るガーゼの肌着は取り込みなさい   鳥羽省三


(鮎美)
〇  女なることをこの身に知らしむるコットンひたひたの化粧水

 本作の作者・鮎美さんもまた世間並の女性であれば、自分自身が年若い「女」であることをしみじみと感じながら、「ひたひたの化粧水」を吸い込んだ「コットン」で素肌のお手入れをなさるのでありましようか?
 〔返〕  しずちゃんはリンクのロープに凭れつつ女なることしみじみと知る   鳥羽省三


(鳥羽省三)
○  コットンもシルクも全て印度産!中国産など使ってません!

 嘘偽りは決して申しません。
 〔返〕  靴下もベルトも財布も国産品!中国産など決して買わぬ   鳥羽省三
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一首を切り裂く(068:コットン・其の供Ρ募原稿手を離れたり)

2012年03月21日 | 題詠blog短歌
(佐藤紀子)
〇  コットンとポストの底に音をたて応募原稿手を離れたり

 それを言うならば、次のようなことも在り得ましょう。
 〔返〕  コットンと屑入れの底に落とされて応募原稿またボツになる   鳥羽省三


(伊倉ほたる)
〇  コイン式ランドリーには空がないコットンシャツの回る真夜中

 「真夜中」に「コイン式ランドリー」の椅子に腰掛けて、洗濯物が乾燥する間のひと時を、コミックを読んだり、ケータイゲームに興じていたりする年若い男女を見掛けることが多くなりました。
 彼らの日常生活はどうなっているのでありましょうか?
 また、彼らの子供たちは、一体どうなって行くのでありましょうか?
 〔返〕  コイン式ロッカー室には空が無い置き去りにされた嬰児は泣けず   鳥羽省三


(雑食)
〇  ゆるやかに深まってゆく猜疑心コットンシャツの黄ばみのように

 「黄ばみ」という言い方はしても、「赤ばみ・白ばみ・青ばみ・緑ばみ・黒ばみ・金ばみ・銀ばみ」という言い方はしないような気がします?
 その原因は、奈辺に存在するのでありましょうか?
 よくよく熟慮してみると、着衣が変色するのは人間の素肌の特定の箇所に接した場合に限られ、そうした場合の多くは「黄ばむ」のが通常であり、黒くなったり、白くなったり、青くなったり、赤くなったりすることが極めて少ないような気がします。
 〔返〕  藍ちゃんの出生の謎まだ解けずコットンパンツの黄ばみのように   鳥羽省三


(村木美月)
〇  コットンのシャツから香るダウニーが幸せ者の象徴となる

 「ダウニー (Downy)」 とは、「P&G社」がアメリカ・東南アジア・メキシコで発売している衣類用柔軟仕上げ剤のブランド名である。
 〔返〕  通販でダウニーを一ダース買いましたレノアやボールドと効き目は同じ   鳥羽省三


(今泉洋子)
〇  年齢の三倍が目安コットンで化粧水を日々叩き込む

 「年齢の三倍」を「叩き込む」のは、あくまでも、お肌の状態や還暦前の女性の年齢に応じての、一応の「目安」に過ぎません。
 明日明日、白寿を迎えようとしている女性が、「コットン」に「化粧水」をたっぷりと付けて「年齢の三倍」も叩き込んだとしたら、どういうことになってしまうか判りませんよ?
 〔返〕  年齢の何倍叩いても所詮無駄下手に叩くとお肌が腫れる   鳥羽省三


(粉粧楼)
〇  ためらいのままに書かれる文字ありてインクの滲むコットンペーパー

 「コットンペーパー」とは洋紙の一種であり、手触りが柔らかく嵩があるので、書類洋紙として用いることが多い。
 その名の由来は、開発当初に木綿繊維を用いて漉いたことに拠るのであるが、現在は化学パルプなどを原料としているので、実質的には普通の洋紙と見た目は変わりがありません。
 作中の「コットンペーパー」は、一応は「コットンペーパー」という名称で販売されているのであるが、何かの都合で紙面にインクの付いたペンを長く止めて置くと「インクの滲む」ような、粗悪な「コットンペーパー」でありましょうか?
 そうした事情も知らないのに、探偵趣味に執り付かれた本作の作者は、「インク」が滲んでいる状態で書かれている「コットンペーパー」の書類を手にして、「ためらいのままに書かれる文字ありてインクの滲むコットンペーパー」などと詠んで、悦に入って居られるのでありましょうか?
 〔返〕 AKDやASAなどの中性サイズ剤入り用紙は滲みません   鳥羽省三
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一首を切り裂く(068:コットン・其の機高品位ヒューマノイドの憂色)

2012年03月20日 | 題詠blog短歌
(飯田彩乃)
〇  高品位ヒューマノイドの憂色をアイシャドウごと拭えコットン

 「高品位ヒューマノイド」が顔面に「憂色」を浮べるという一点から、私たち読者は、昨今のロボット工学の進歩発展の目覚ましさを思い知らなければならないのである。
 〔返〕  ロボットの目尻に浮かぶ深い皺日毎に増さり逝く秋を知る   鳥羽省三


(野州)
〇  ゆるやかな起伏に沿いて暮れてゆくかつて栄えしコットンロード

 「コットンロード」という言葉に接した時、私たちロマンチストは、綿花の生産地のインドもしくはパキスタンからゴビ砂漠を経て、我が国の綿織物の主産地の群馬県や大阪府に至る壮大な路線を思い描くのである。
 だが、それはあくまでも私たちロマンチストの夢物語に過ぎなくて、現実には、「コットンロード」と呼ばれる道路は存在しません。
 本作の作者・野州さんは、永く病床に在るが故に、「ゆるやかな起伏に沿いて暮れてゆくかつて栄えしコットンロード」などという夢想境を、未だ果てし無く彷徨い続けているのでありましょう。
 現実には存在しない光景を夢想しながらも「ゆるやかな起伏に沿いて暮れてゆく」と、その末路を予測させるような表現をせざるを得ないところに、本作の作者・野州さんの哀しさが在るのである。
 〔返〕  夕闇に紛れて帰る故郷のかたりことりと母の織る機   鳥羽省三


(行方祐美)
〇  オーガニックコットンの袖長すぎて幾つも畳むときの重たさ

 「オーガニックコットン」とは、自社の製品に付加価値を付けて販売しようとする目的で、綿花の輸入業者や繊維業者たちが命名した名称と思われ、建前としては、「三年以上農薬や化学肥料を使っていない土壌で、自然のサイクルに逆らわずに栽培されたコットン」ということになっていて、関係団体のHPに記載されている解説に拠ると、「刺激の少ない柔らかで優しい肌触り。「農薬や化学肥料を使わないため、土や水、空気を汚染しません。土地の持つ自然のエネルギーをたっぷり吸収して、生き生きと育ったコットンは、人にも地球にも優しい大地の恵です。」「コットン畑で働く人達も、農薬や除草剤による呼吸器系や神経系の病気に悩まされることがなくなります。また、高いお金を払って農薬や化学肥料を買う必要もなくなり、借金をしなくてもよくなります。手間を掛けて収穫されたオーガニックコットンは、フェアトレードにより公正な価格で取引きされ、農家の人達の健康と生活を支えているのです。」ということである。
 しかしながら、綿花の主産国たる、中国・インド・アメリカ・パキスタン・ブラジル・ウズベキスタンなどの綿花栽培の実情を鑑みる時、「三年以上農薬や化学肥料を使っていない土壌で、自然のサイクルに逆らわずに栽培されたコットン」という解説を、現状に即したものと判断するのは困難であり、「オーガニックコットン製品」と称する繊維製品の中には、かなり怪しく贋物と判断されるに相応しい製品も多いことでありましょう。
 本作の作者は、「オーガニックコットンの袖長すぎて幾つも畳むときの重たさ」と詠んで居られますが、「オーガニックコットン製品」に限らず、輸入物の綿製品の衣服の「袖」が「長すぎて」畳む時には幾重にも畳む必要があって、「畳むときの重たさ」に充実感を感じる場合は、多々在り得ましょう。
 因みに申し上げますが、私が現在使っているベッドカバーは、三年前にあるデパートの福袋の中に入っていた品物であり、「オーガニックコットン製品」というレッテルが付されていたような気がするのであるが、この頃、私は肌にむず痒さを感じてなりません。
 私が使っているベッドカバーは、本作の作者・行方祐美さんのご愛用の御品とは異なり、贋物の「オーガニックコットン製品」なのかも知れません。
 〔返〕  オーガニックコットンのベッドカバーの重過ぎて虚弱な我が身は押し潰されそう   鳥羽省三


(新井蜜)
〇  新しいコットンパンツのポケットが深すぎ小銭を取り出しにくい

 「新しいコットンパンツのポケット」は、単に「深すぎ」るだけではなく、固過ぎるから「小銭を取り出しにくい」のである。
 お金が有ってお洒落な人は、「新しいコットンパンツ」を買わないということですが、彼らは、「新しいコットンパンツ」の、そうした側面を知悉しているからこそ、敢えて中古品を買っているのでありましょう。
 〔返〕  新しいコットンパンツのポケットには小銭だけしか入っていません   鳥羽省三


(原田 町)
〇  アイロンをかける手間など考えてコットン100のシャツは敬遠

 本作の作者・原田町さんは、さすがに主婦歴数十年の超ベテラン・カリスマ主婦。
 「アイロンをかける手間など考えてコットン100のシャツは敬遠」という、細やかな配慮こそは、まさしく現代社会を生きて行く為の奥義のようなものでありましょう。
 〔返〕  アイロンの消し忘れが多いから古希を過ぎたら使いたくない   鳥羽省三
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一首を切り裂く(067:励・其の機μ埆詁の街角に会う旧友と)

2012年03月19日 | 題詠blog短歌
(原田 町)
〇  猛暑日の街角に会う旧友とまず励ましの言葉をかわす

 骨董通りから青山通りに出る「街角」で、偶々、墓地下の区立中学時代の同級生とお逢いになったのでありましょうか?
 だとしたら、お互いに「お久しゅうございます。何年ぶりかしら?でも、貴女はちっともお変わりなくて、これからお嫁さんに行く人みたいですよ!私なんかお見掛け通りのよぼよぼで、ここ数年は、八千草薫さんに見習って、皇潤の厄介になっているのでございますよ。」とかなんとか言い交わすはずだったのである。
 だが、生憎、当日は朝からの「猛暑日」であったせいもあって、出会いがしらに、つい、うっかり、「まあ、まあ、この暑さの中をお出掛けですか。お互いに顔から汗をたらたら流したりしちゃって。でも、私も貴女も年齢に不足がありませんから、お互いに無理しないようにしましょう。まあ、ヘレンドのお中元セールスにお出掛けですか。私もそうなのよ。三星商事のショールームなら、赤坂郵便局の角を右に曲がると直ぐですから、お互いに頑張って行きましょう。」といったようなことを言い交してしまったのである。
 真夏の都会の「街角」での、旧友同士の偶然の出会いの場面を活写した大傑作である。
 〔返〕  ヘレンドの中元セールの福袋シノワズリのティーカップが二客   鳥羽省三


(空音)
〇  「励ましちゃいけない病気なんだよね」車内に響く罪なき言葉

 直前の原田町さん作に引き続いての大傑作と思います。
 だが、作中の「罪なき言葉」については、少々、解説を要するかと思います。
 「罪なき言葉」とは、一般的、辞書的な意味では「悪げがない言葉」「無邪気な言葉」ということになりましょうが、ごく特殊な場面では、「悪意を含んだ言葉」或いは「心配して言う風に見せかけながら、実は多分に悪口になることを意識して言う言葉」とも解釈せざるを得ないような場合もあります。
 本作中の「罪なき言葉」は後者の意味に解するべきかもしれません。

 〔返〕  「絆」という上から目線の言葉もて被災者たちを救えましょうか?   鳥羽省三
 当世流行の「絆」という言葉の中に、「上位の者が下位の者を管理し、保護する為に、自分の管理下に繋ぎ止めて置く為のシステム」といったイメージが在ることは否定できません。


(夏実麦太朗)
〇  励ましの言葉をかけているときの後ろめたさを憎みにくまず

 「励ましの言葉」は、「上位の者が下位の者を管理し、保護する為に、自分の管理下に繋ぎ止めて置く為のシステム上の一環として発せられる言葉」である。
 しかしながら、五句目に「憎みにくまず」という中途半端な七音を置いたところが、いかにも夏実麦太朗さんらしい優しさであると同時に、彼の限界でもありましょう。

 〔返〕  肩叩き「がんばれ!」などと言う時は後ろめたさも感じなければ!   鳥羽省三
 本日放映の「NHK短歌」(坂井修一選)の入選作の中に、夏実麦太朗さん作の「スペードのジャックの私うす笑いふるえる指にめくられるたび」が含まれておりました。
 夏実麦太朗さん、先ずは以っておめでとうございます。
 評者の私としては、“傑作”と申し上げる他はありません。
 〔返〕  夏実氏の歌を評して「傑作!」と記せる時は気分爽快!   鳥羽省三 


(薫智)
〇  みんなから励まされたら僕からも励ませる関係でありたい...

 「励ましたり励まされたりする関係は、対等な人間同士では成り立たない」ということは、よく耳にすることである。
 本作の作者・薫智さんも亦、そのことを十分に承知しているからこそ、「みんなから励まされたら僕からも励ませる関係でありたい」といった、屈折した心境を一首の歌に託して述べたものと思われる。
 〔返〕  みんなから激励される時ほどに惨めな気持ちになる時はない   鳥羽省三


(草間環)
〇  励ましの言葉飛び交う列島に背をむけている猫背のわたし

 「猫背のわたし」は何処の世界にも必ず居るもので、彼らは、見せ掛けだけの「励ましの言葉」が「飛び交う」この頃の日本「列島」には、特に「背」を向けたくなるのでありましょう。
 〔返〕  禿げ増しの言葉飛び交う劣等の意識掻き捨て故郷納税   鳥羽省三


(不動哲平)
〇  文学がやがて消え去る日にそなえ乾布摩擦の励行を説く

 「乾布摩擦」をやったからとて、「文学」の滅亡を防ぐことは到底不可能でありましょう。
 〔返〕  文学は次期世代エネルギーにて消え去らせるのは真に惜しい   鳥羽省三


(ちしゃ)
〇  蝉たちの生への叫び切実で励まされてる気もしなくない

 私見を申し上げますと、「励まされてる」と言うよりも、天国行きへの馬車に乗せられて、無理矢理、拍車を掛けられているような気がします。
 〔返〕  かなかなよ夕焼け時には鳴き止めよお前が鳴くと私も泣ける   鳥羽省三


(五十嵐きよみ)
〇  質問が通じたことに励まされカタカナ英語をさらに繰り出す

 「さらに繰り出す」なんて、三社祭のお神輿みたいですね。
 〔返〕  質問が通じて嬉しい(ワッショイショイ!)繰り出せ!繰り出せ!馬鹿丸出しに!   鳥羽省三


(じゃこ)
〇  励ましてくれへんひどいこんなにも一生懸命へこんでんのに

 作中の「一生懸命」は「一所懸命」とした方が宜しいかも知れません。
 〔返〕  へこんではくれへん!へたや!しょむないな!もぐら叩きはむつかしくて嫌   鳥羽省三


(今泉洋子)
〇  励まし合ひて歌詠みし友不意に逝き秋空ただに広くなりたり

 女流歌人には肥満体の人が多く見掛けられますが、作中の「励まし合ひて歌詠みし友」は、その中でもとりわけ肥満傾向が強かった歌人だったのでありましょう。
 〔返〕  土俵上がとたんに狭くなりました。臥牙丸も把瑠都も肥大漢である。   鳥羽省三


(藤野唯)
〇  励ましてほしいから泣いてるんだけどどうしてテレビの話してんの

 泣いてる奴なんかを励ましたって、壱文の得にもならんから、テレビの話をしてんの!
 〔返〕  テレビの音聞こえないから泣かないで!泣いてるやつは好きじゃないんだ!   鳥羽省三


(みち。)
〇  もしかして励まされてるのだろうか ザリガニが仁王立ちをしている

 威嚇と激励とを混同してはなりません。
 「ザリガニが仁王立ちをしている」のは、明らかに威嚇のホーズを保とうとしているのである。
 〔返〕  もしかして食われるのかと思ってか?ザリガニどもが仁王立ちしてる?   鳥羽省三


(鳥羽省三)
〇  日本を励ましに来たジャイアントパンダの名前リーリー・シンシン

 偽らざる気持ちを言えば、「出稼ぎに来た」と言うべきかも知れません?
 〔返〕  上野に行っても動物園には入りません!パンダを見るのは阿呆臭いから!   鳥羽省三 
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一首を切り裂く(066:豚・其の掘Εぅ戰螢各擇般召鬚弔韻蕕譴禿垢暴个襦

2012年03月18日 | 題詠blog短歌
(紗都子)
〇  イベリコ豚と名をつけられて店に出るショーウィンドウで光をあびる
(みち。)
〇  残酷な部分はだれかの手にまかせイベリコ豚はメロンの上に

 「メロンの上」に乗っけられたり、「ショーウィンドウで光」を浴びせられたりして、「イベリコ豚」という奴は豚の世界のエリート階級、乃至は吉原の「お職花魁」に位置する存在である。
 だが、所詮、豚であることには変わりなく、彼らの行く末には屠殺場で撲殺されてトンカツにされる運命が待ち構えているのである。
 〔返〕  トンカツなら「いもや神保町二丁目店」安くて旨くていつも満員   鳥羽省三


(うたのはこ)
〇  「好きなもの買ってあげる」と君はいう豚の貯金箱さかさまにして

 架空の話とは思われるが、「豚の貯金箱さかさまにして」という下の句の表現に現実感と共にユーモアが感じられる。
 作中の「君」とは満年齢三歳の女児?
 本作の話者の姪と想定される人物である?
 〔返〕  「うまか棒好きなだけ買え!」と君に言うポタラ宮模様の50元札を出し   鳥羽省三


(珠弾)
〇  餌やりを欠かさず豚の貯金箱 肥えたら郵便局に連れてく

 本物の「豚」ならば、「肥えたら屠殺場に連れてく」と言うのでありましょうか?
 「餌やり」とは、買い物の釣り銭として手に入れた1円玉や5円玉や10円玉(ごく稀には、100玉及び500円玉)を、作中の「豚の貯金箱」に投入することでありましょうか?
 〔返〕  どんぐりを欠かさず遣った豚だから鹿児島産でもイベリコ豚さ!   鳥羽省三


(峰月 京)
〇  ババ抜きに豚のしっぽに七並べ 子とのトランプ案外ハマる

 「ババ抜き」や「七並べ」はともかくとして、綺麗で若い女性たちと遣る時の「豚のしっぽ」には、私・鳥羽省三もハマってしまうことが再三である。
 アタックする時がとてもわくわくして楽しいのである。
 〔返〕  手だけでなく顔や臍にもアタックす綺麗な女性と遣る豚のしっぽ   鳥羽省三 


(ほきいぬ)
〇  肉食の眼をした君が耽々と狙う豚バラ半額シール

 「耽々と狙う豚バラ半額シール」との表現は現実感があって宜しい。
 ところで、作中の「君」とは、本作の作者・ほきいぬさんご自身ではありませんか?
 〔返〕  淡々とレジ打ち嬢はレジを打つ半額シールの豚バラパック   鳥羽省三


(今泉洋子)
〇  仕上げには醤油を入れし祖母の味舌が覚えて豚汁つくる

 味噌仕立ての「豚汁」の「仕上げ」に「醤油」をほんの一滴入れることは、ごく一般的に、全国的に行われていることでありますから、「祖母の味」と言えるような格別なことではありません。
 だが、その「ほんの一滴入れる醤油」が、佐賀市に在る醸造元「有限会社・北島味噌醤油店(所在地:佐賀市長瀬町4-1・電話:0952−23−3963)」醸造の「うに醤油」であったならば、それは地元の人しか知らないことでありますから、「祖母の味」と言っても差し支えがないような気がします。
 それはともかくとして、佐賀県民は地元意識が過剰で、あの危なっかしい玄海原発でさえも知事閣下の鶴の一声で再稼働されそうになったのですから、本当に参ってしまいます。
 〔返〕  ムツ出汁は元旦のお雑煮に宜しいがこの頃は手に入らなくなった   鳥羽省三
 

(飯田和馬)
〇  飲まされて薔薇に染まった豚の肌 肉を美味しくするためという

 「肉を美味しくするため」に、松阪牛や神戸牛にビールを飲ませるという話は聴いたことはありますが、「豚」にも飲ませるということは聴いたことはありません。
 〔返〕  遠山が諸肌脱ぎで決める時「いよー!ビールで磨いた玉の肌!」と叫ぶ   鳥羽省三


(鮎美)
〇  豚の鳴く農業高校斜向かひ自転車店主の祖父の一生

 「豚の鳴く農業高校」の「斜向かひ」の「自転車店」とは、いかにもありそうな話である。
 私の郷里の近くの「大曲農業高校」の近所にも、かつては流行らない「自転車店」が在ったのですが、店主一家はいつの間にか店を畳んで、今では一家離散してしまったように聞いております。
 ところで、本作の作者・鮎美さんの「祖父の一生」はどんな一生だったのでありましょうか?
 〔返〕  初孫を油塗れの手で抱いて「鮎美!鮎美!」と可愛がってた    鳥羽省三


(片秀)
〇  誰だろう鏡の中から見つめてる養豚場の豚を見る目で

 「誰だろう」とは、お惚けもいいところである。
 「養豚場の豚を見る目で」「鏡の中から」ご自身の顔を「見つめてる」のは、片秀さんご自身ではありませんか!
 〔返〕  誰あろう!養豚場に群れている豚を見る目で見るのは彼だ!   鳥羽省三


(鳥羽省三)
〇  豚さんは風評被害と無縁かも?値下げ情報トンと聴かない

 お題が「豚」であり、時期が時期であるから、「風評被害と無縁かも?値下げ情報トンと聴かない」と洒落ただけの、極めて出来の悪い作品である。
 〔返〕  我が家でもイベリコ豚を食べました。霜降り状のロース肉です。   鳥羽省三
      一昨日は福島の梨食べました。甘みが飛んでて美味しくなかった。
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一首を切り裂く(066:豚・其の供上目遣いが僕に似ている・決定版)

2012年03月17日 | 題詠blog短歌
(晴流奏)
〇  雑貨屋のレトロな豚の貯金箱上目遣いが僕に似ている

 音数合わせに置いたのでありましょうか?
 「雑貨屋の」という初句があまりにも無造作な感じである。
 初句の「雑貨屋の」が、「レトロな豚の貯金箱」の販売店としての役割りしか果たしていない。
 「レトロな豚の貯金箱」の「上目遣いが僕に似ている」という発見や着眼点には非凡なものがある。
 だとしたら、その非凡さを読者諸氏に十二分に理解させるべく努力をしなければならないのであるが、その努力とは、一首全体の表現を緊張感に満ち、ユーモアセンスに溢れたものにしようとする努力である。
 〔返〕  ボロ市のメタボな豚の貯金箱上目遣いが君に似ている   鳥羽省三  


(芳立)     〈吉野家紅〉 
〇  ちはやぶる神代もきかず吉野やま紅の生姜を豚に添ふとは

 「コクと香ばしさでうまい」と自画自賛している「吉野家の十勝仕立て焼味・豚丼」には紅生姜が付き物である。
 〔返〕  ちはやぶる神代も聴かず吉野屋と吉野山との掛詞の洒落   鳥羽省三   


(るいぼす)
〇  和食ならおにぎり中華は豚まんで 洋食だったらカレーパンがいい

 内容はともかくとして、「豚まんで」と「洋食だったら」の間の一字空きは手抜きとしか言いようがありません。
 〔返〕  和食なら濱田家中華は龍天門洋食はロオジエのフランス料理   鳥羽省三


(五十嵐きよみ)
〇  つぎつぎと崖から海へ身を投げる豚を数えて眠りにつこう

 今どきの若い娘は、サイパン島のバンザイクリフの悲劇を知らないから、こんな恐ろしいことを平気で言うのである。
 〔返〕  次々と崖から海へ身を投げる自決者たちを豚と呼ぶのか   鳥羽省三


(龍翔)
〇  将来は可愛い自分の為だけにトリュフを探す豚になりたい

 探しても探してもグルメと称する輩に食われてしまう哀れな境遇から脱却したい、と強く願うのでありましょう。
 〔返〕  来る秋は己の為の肝臓に脂肪を蓄える鵞鳥になりたい  鳥羽省三 
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