(jun)
〇 自然薯は手塩にかけられ栽培されそれでも自然薯どすこい自然薯
作中の「自然薯」とは、通常、「ヤマノイモ」或いは「ヤマイモ」と呼ばれる“担根体”のことである。
フリー百科事典『ウイキペディア』の解説するところに拠ると、「自然薯」即ち「ヤマノイモ」とは、「ヤマノイモ科ヤマノイモ属のつる性多年草。または、この植物の芋として発達した担根体のこと。古くは薯蕷と書いてヤマノイモと読んだ。また、ヤマノイモ属の食用種の総称ヤム(yam)をヤマノイモ、ヤマイモと訳すことがある。学名は「Dioscorea japonica」であり、粘性が非常に高い。ジネンジョ(自然生、自然薯)・ヤマイモ(山芋)とも呼ぶ。ナガイモは、別種である。」ということである。
作者・junさんの意図した本作の意は、「ヤマノイモを敢えて『自然薯』と呼ぶからには、その名の通り、野山に自然に生える薯でなければならない。然るに、昨今のいわゆる『自然薯』は、農作物生産者の手に拠って『手塩にかけられ栽培され』たものであり、『それでも』なお且つ『自然薯』という大袈裟な名を奉られてスーパーやデパ地下などで高価な価格で販売されている。そうした現実は、お相撲さんではないが『どすこい自然薯』といった感じである。」といったところでありましょうか?
本作を傑作とした所以は、末尾の「どすこい自然薯」という一句の存在に係っている。
この句は、相撲甚句の「朝もはよから、裸同士が抱き合って、汗を流して喚いてる。いい気にもんだよ、お相撲さんは。どすこい相撲」などという句を、短歌作品の表現に活用したものであり、作者・junさんの旺盛なる表現意欲及び風刺精神は大いに評価されなければならない。
それだけに惜しまれるのは、初句が「自然薯が」となっていないで、「自然薯は」となっていることである。
何故ならば、作者のjunさんにとっての「自然薯」は、自然の野山に生えている薯でならない。
然るに、作者・junさんのそうした思いとは別に、市販されている「自然薯」は、農作物生産者の手に拠って「手塩にかけられ栽培され」た偽物の「自然薯」であり、「それでも」なお且つ、堂々と「自然薯」という名を奉られて市販されている、といった現実がある。
だとしたら、其処には、作者のjunさんの、激しい意外感が示されていなければならないはずである。
それにも関わらず、本作の上の句が「自然薯は手塩にかけられ栽培されそれでも自然薯」となっていたら、作者のjunの抱いた“意外感”がかなり希薄になり、併せて末尾に置いた「どすこい自然薯」という一句の持つ風刺性や皮肉さを損なうことにもなりましょう。
ここはどうしても、「自然薯が手塩にかけられ栽培され?それでも自然薯?どすこい自然薯!!」と改めるべき場面でありましょう。
短歌作品中に「?」や「!」といった記号を置くことは、必ずしも望ましいことではありません。
だが、この場面では、その使用も大いに奨励されましょう。
〔返〕 自然薯は擂っても煮ても旨くない!どすこす自然薯!出鱈目なもんだよ! 鳥羽省三
(伊倉ほたる)
〇 不自然な笑顔を映すコンパクトはみ出し気味に塗った口紅
どんなに派手に装っても無駄な抵抗というべき年齢に達しているのにも関わらず、「コンパクト」から「はみ出し」そうな唇を真っ赤に塗りたくっている熟女がいるものであり、私は、昨日も友人と待ち合わせをしたJR恵比寿駅前で、そんな女性を三人も目にしたのである。
本作の作者・伊倉ほたるさんも、そんな年齢に達したのでありましょうか?
だとしても、徹頭徹尾写生に徹した本作の表現を通じて、私・鳥羽省三は、作者・伊倉ほたるさんの羞恥心と自制心とを窺がい知ることが出来るのである。
醜い自己をも、遠慮会釈なく客観的に映し出すのが歌人の使命というものである、と言う。
だとしたら、本作の作者・伊倉ほたるさんこそ、まさしく真実の歌人と言えましょう。
〔返〕 不可解な言葉を並べたワンパターンめりはり無しの評言である 鳥羽省三
(ひぐらしひなつ)
〇 不適切かつ不自然な関係を結びに午後のバスに乗り込む
「不適切かつ不自然な関係」とは、あまりに婉曲なもの言いであり、そのものずばりで言えば、「女子新入社員とその上司の不倫関係」乃至は「昼下がりの主婦の小遣い稼ぎの為の援交」でありましょうか?
本作の作者・ひくらしひなつさんは、作風から推してみるに「女子新入社員」とは、到底思われませんから、或いは、小遣い銭稼ぎの為の援交に憂き身を窶す主婦の方でありましょうか?
〔返〕 無節操無法な形で稼ごうと夕暮れの街で流し目呉れる 鳥羽省三
(みち。)
〇 かさぶたは自然に消えていくことを拒んで痒くなるのだろうか
「かさぶた」のささやかな自己主張にご着目なさった佳作である。
〔返〕 かさぶたを取りたい気持ちを我慢する者の気持ちは僕には解らぬ 鳥羽省三
(鳥羽省三)
〇 自然薯は精がつくから召し上がれ麦とろ天麩羅やま掛けも好し
お題「自然」の始末にさんざん迷った挙句の、駄作中の駄作である。
本作を前掲のjunさんの御作と比較した時、私は自分自身の至らなさが頻りに感じられて、穴が在ったら入りたいような気持になるのである。
〔返〕 自然薯を折らずに掘った記憶なし旨いと思って食べた記憶も 鳥羽省三
〇 自然薯は手塩にかけられ栽培されそれでも自然薯どすこい自然薯
作中の「自然薯」とは、通常、「ヤマノイモ」或いは「ヤマイモ」と呼ばれる“担根体”のことである。
フリー百科事典『ウイキペディア』の解説するところに拠ると、「自然薯」即ち「ヤマノイモ」とは、「ヤマノイモ科ヤマノイモ属のつる性多年草。または、この植物の芋として発達した担根体のこと。古くは薯蕷と書いてヤマノイモと読んだ。また、ヤマノイモ属の食用種の総称ヤム(yam)をヤマノイモ、ヤマイモと訳すことがある。学名は「Dioscorea japonica」であり、粘性が非常に高い。ジネンジョ(自然生、自然薯)・ヤマイモ(山芋)とも呼ぶ。ナガイモは、別種である。」ということである。
作者・junさんの意図した本作の意は、「ヤマノイモを敢えて『自然薯』と呼ぶからには、その名の通り、野山に自然に生える薯でなければならない。然るに、昨今のいわゆる『自然薯』は、農作物生産者の手に拠って『手塩にかけられ栽培され』たものであり、『それでも』なお且つ『自然薯』という大袈裟な名を奉られてスーパーやデパ地下などで高価な価格で販売されている。そうした現実は、お相撲さんではないが『どすこい自然薯』といった感じである。」といったところでありましょうか?
本作を傑作とした所以は、末尾の「どすこい自然薯」という一句の存在に係っている。
この句は、相撲甚句の「朝もはよから、裸同士が抱き合って、汗を流して喚いてる。いい気にもんだよ、お相撲さんは。どすこい相撲」などという句を、短歌作品の表現に活用したものであり、作者・junさんの旺盛なる表現意欲及び風刺精神は大いに評価されなければならない。
それだけに惜しまれるのは、初句が「自然薯が」となっていないで、「自然薯は」となっていることである。
何故ならば、作者のjunさんにとっての「自然薯」は、自然の野山に生えている薯でならない。
然るに、作者・junさんのそうした思いとは別に、市販されている「自然薯」は、農作物生産者の手に拠って「手塩にかけられ栽培され」た偽物の「自然薯」であり、「それでも」なお且つ、堂々と「自然薯」という名を奉られて市販されている、といった現実がある。
だとしたら、其処には、作者のjunさんの、激しい意外感が示されていなければならないはずである。
それにも関わらず、本作の上の句が「自然薯は手塩にかけられ栽培されそれでも自然薯」となっていたら、作者のjunの抱いた“意外感”がかなり希薄になり、併せて末尾に置いた「どすこい自然薯」という一句の持つ風刺性や皮肉さを損なうことにもなりましょう。
ここはどうしても、「自然薯が手塩にかけられ栽培され?それでも自然薯?どすこい自然薯!!」と改めるべき場面でありましょう。
短歌作品中に「?」や「!」といった記号を置くことは、必ずしも望ましいことではありません。
だが、この場面では、その使用も大いに奨励されましょう。
〔返〕 自然薯は擂っても煮ても旨くない!どすこす自然薯!出鱈目なもんだよ! 鳥羽省三
(伊倉ほたる)
〇 不自然な笑顔を映すコンパクトはみ出し気味に塗った口紅
どんなに派手に装っても無駄な抵抗というべき年齢に達しているのにも関わらず、「コンパクト」から「はみ出し」そうな唇を真っ赤に塗りたくっている熟女がいるものであり、私は、昨日も友人と待ち合わせをしたJR恵比寿駅前で、そんな女性を三人も目にしたのである。
本作の作者・伊倉ほたるさんも、そんな年齢に達したのでありましょうか?
だとしても、徹頭徹尾写生に徹した本作の表現を通じて、私・鳥羽省三は、作者・伊倉ほたるさんの羞恥心と自制心とを窺がい知ることが出来るのである。
醜い自己をも、遠慮会釈なく客観的に映し出すのが歌人の使命というものである、と言う。
だとしたら、本作の作者・伊倉ほたるさんこそ、まさしく真実の歌人と言えましょう。
〔返〕 不可解な言葉を並べたワンパターンめりはり無しの評言である 鳥羽省三
(ひぐらしひなつ)
〇 不適切かつ不自然な関係を結びに午後のバスに乗り込む
「不適切かつ不自然な関係」とは、あまりに婉曲なもの言いであり、そのものずばりで言えば、「女子新入社員とその上司の不倫関係」乃至は「昼下がりの主婦の小遣い稼ぎの為の援交」でありましょうか?
本作の作者・ひくらしひなつさんは、作風から推してみるに「女子新入社員」とは、到底思われませんから、或いは、小遣い銭稼ぎの為の援交に憂き身を窶す主婦の方でありましょうか?
〔返〕 無節操無法な形で稼ごうと夕暮れの街で流し目呉れる 鳥羽省三
(みち。)
〇 かさぶたは自然に消えていくことを拒んで痒くなるのだろうか
「かさぶた」のささやかな自己主張にご着目なさった佳作である。
〔返〕 かさぶたを取りたい気持ちを我慢する者の気持ちは僕には解らぬ 鳥羽省三
(鳥羽省三)
〇 自然薯は精がつくから召し上がれ麦とろ天麩羅やま掛けも好し
お題「自然」の始末にさんざん迷った挙句の、駄作中の駄作である。
本作を前掲のjunさんの御作と比較した時、私は自分自身の至らなさが頻りに感じられて、穴が在ったら入りたいような気持になるのである。
〔返〕 自然薯を折らずに掘った記憶なし旨いと思って食べた記憶も 鳥羽省三
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