臆病なビーズ刺繍

 臆病なビーズ刺繍にありにしも
 糸目ほつれて今朝の薔薇薔薇

今週の朝日歌壇から(6月28日掲載分・再訂版)

2010年06月29日 | 今週の朝日歌壇から
○ 運動会バッチリ決まった組体操夏のラムネのはじける感じ  (志木市) 佐久間大輔

 本作を傑作とするか否かの判断の境目は、「夏のラムネのはじける感じ」という下の句が、「運動会バッチリ決まった組体操」という上の句の比喩として、適切かどうかということに尽きましょう。
 とすると、この作品を入選作の筆頭としてご推奨になった馬場あき子氏は勿論、これを入選作の一首に数えて居られる永田和宏氏も亦、この比喩を効果的な比喩として評価なさって居られることになる。
 「夏のラムネのはじける感じ」とは、一口に言えば、<爽快感>ということになりましょう。
 本作の作者がご体験なさった「運動会」での「組体操」も、それぞれの構成員がてきぱきとして役割りを果たし、終わってみた感じとしては「爽快感」に満ちたものであったのでありましょう。
  〔返〕 体育祭どうやらこうやら組体操 温いラムネを飲んだみたいだ   鳥羽省三


○ 若さとは声高きこと少女らのないしょ話が車内に満ちる  (佐倉市) 船岡みさ

 この一首で以って、本作の作者は、ご自身の<認識>と言うよりも、ご自身の<諦観>をより多くお示しになったのでありましょうか?
 「ないしょ話」だと断ってする話が「車内」全体に「満ちる」ことも気にせず、「声高」に話している「若さ」に、本作の作者は、嫉妬と言うよりも辟易しているのでありましょうか?  
  〔返〕 若さとは罪深きこと声高に内緒話を姦しき娘ら   鳥羽省三


○ 落花生播きて鳥追う糸を張る始終を電柱に鴉が見おり  (ひたちなか市) 吉澤まつ枝

 「電柱」にとまっている「鴉」は、何もかもお見通しなのである。
  〔返〕 焼き損じのディスク吊るして脅しても何のそれしきお茶の子さいさい   鳥羽省三


○ 手のひらは孫を愛しむ道具なり頭撫でたり尻叩いたり  (奈良市) 広田頼彦

 「尻叩いたり」と言っても、この頃のジージの掌は薄く出来ていますから、痛くも痒くもありません。
  〔返〕 孫の手は我を愛しむ道具なり背中掻いたり肩叩いたり   鳥羽省三


○ 夜通しをライトの点いた水槽の中に居るような地下街工事  (東京都) 津和野次郎

 「熱帯魚を飼っている『水槽』は、『夜通し』『ライト』が『点いた』ままになっているが、『地下鉄工事』の現場に居る時の感じは、そうした『水槽の中に居るような』感じなのである」という訳でありましょうか?
  〔返〕 夜通しを酔って嬌声上げて居て始発電車で眠り居る娘ら   鳥羽省三  


○ 「やめない」と言いつつやっぱりやめるんだ麦の穂からから色づく頃に  (長浜市) 広瀬耐子

 「麦秋の別離」という名場面である。
 それにつけても思い出されるのは、「女にて生まざることも罪の如し秘かにものの種乾く季」という、あの一首である。
 母になることを断念した富小路禎子さんと、恋人であることを断念せざるを得なくなった本作の作者と。
  〔返〕 「やめるよ」と言ひつつ結局やめられぬ子息庇ひし女優の去就   鳥羽省三


○ 歯科眼科接骨院に囲まれて商店細る街老いてゆく  (京都市) 柴田修三

 「歯科」「眼科」「接骨院」と揃っていたら、それなりの人口を擁する町である。
 それでもなお且つ、食品や生活雑貨を商っている「商店」の商いは「細る」ばかりであり、かくして「街」は、その町に住む人々と共に「老いてゆく」ばかりなのである。
  〔返〕 縁辺にユニクロが在りヤマダ在り中心地域は寂れるばかり   鳥羽省三  
      ユニクロとヤマダ・スタバを中心に再構築される都市の景観    々


○ 沖縄へ引き揚げますの挨拶状たたんだ店の屋号のままで  (アメリカ) ソーラー泰子

 「アメリカが『引き揚げ』ようとしない『沖縄へ引き揚げます』」との「挨拶状」が、アメリカ滞在中の作者の元に届いたのである。
 差出人の名前は、「たたんだ店の屋号のままで」であったから、「沖縄へ引き揚げ」てからも、元のご商売をなさるに違いありません。
  〔返〕 「<ジャズ喫茶・ジュゴン夫恋奴>ふるさとの辺野古の沖に開店します」   鳥羽省三  


○ 蓙・簾・南部風鈴備えたり砂漠に大和の夏風吹かむ  (アメリカ) 中條喜美子

 「砂漠に大和の夏風吹かむ」と仰るからには、本作の作者もまた、沖縄出身の方なのかしら。
  〔返〕 「蓙・簾・南部風鈴」それらみな風を吹かせる道具に非ず   鳥羽省三


○ どちらかが呆けにあるらしにこにこと連れそいながら老いが土手行く  (東京都) 高須敏士

 「どちらかが呆けにあるらし」と言いながらも、「にこにこと連れそいながら老いが土手行く」と言っている。
 「老い」たちを見つめる作者の心は温かい。
  〔返〕 二人とも金が無いらしにやにやと笑いながらも立ち読みしてる   鳥羽省三


○ クロスした腕がTシャツ引きあげる夏の身体よたくましくあれ  (綾瀬市) 高松紗都子

 作者のお名前を目にした瞬間、評者は、喜望峰の突端の街で知人に出会ったような気分になりました。
 「クロスした腕がTシャツ引きあげる」とは、熱戦が終わった後の、敵味方区別無しの、選手同士の交歓風景でありましょうか?
 「夏の身体よたくましくあれ」と言うのも、深夜テレビでワールドカップを観戦した後のご感想らしくて、上の句と一体となり、優れた一首を構成している。
  〔返〕 倒れてる選手に両手さし伸べてガッツ出そうと声掛けている   鳥羽省三


○ たたまれてはじまるものはやわらかい傘とタオルとアサガオの花  (高槻市) 有田里絵

 何もかも良く出来ていると、あら探しをしたくなるのが評者の悪癖である。
 ところで、「タオルとアサガオの花」はともかくとして、「傘」は、「たたまれてはじまるもの」では無く、「たたまれて」終わる「もの」ではないかしら?
 また、下の句は語順を少し換えて、「やわらかいタオルと傘とアサガオの花」としたらどうかしら?
  〔返〕 畳まずに返したきもの 釣り銭の千円札とお礼の言葉   鳥羽省三 


○ 測量士春の深さを測るごと蒲公英の地へ三脚を立つ  (東京都) 長谷川瞳

 建て売り業者・某が、僅か百坪足らずの裏の空き地に、四軒もの三階建て住宅を建てようとしているのである。
 それなのに、「測量士春の深さを測るごと蒲公英の地へ三脚を立つ」などと、本作の作者・長谷川瞳さんは、何処までお人好しなのか?
 日照最悪、眺望最低になりますよ。
  〔返〕 職務とし測量士らは地を測るスミレタンポポ悲鳴を上げる   鳥羽省三 


○ 朱雀門大極殿の間には踏切ありて電車過ぎ行く  (所沢市) 若山 咲

 平城遷都千三百年祭を記念しての平城京跡の再現事業は、まさしく観光地・奈良のリフォームなのである。
 元の骨組みをそのままにして内装だけを変えようとするから、「朱雀門」と「大極殿の間」に「踏切」が在って「電車」が「過ぎ行く」といったような奇妙な風景となるのである。
 しかし、それも亦、一興かも知れません。
  〔返〕 境内を横須賀線が走っててとても危ない鎌倉円覚寺   鳥羽省三


○ 黄の蝶と紋白蝶の道のあり近くにありて別々の道  (館林市) 阿部芳夫

 創作事情の一切を知らない私からすれば、「黄の蝶と紋白蝶の道のあり近くにありて別々の道」というこの一首は、観察の行き届いた客観写生の作品のように思われるが、作者からすれば、『鳥類観察図鑑』などからヒントを得て、机の上で創った作品なのかも知れない。
  〔返〕 をんな坂をとこ坂在る参詣路 途中の茶屋でまた出逢ったり   鳥羽省三


○ 余命あと僅かと知れる友どちとバカ話して病室を出づ  (大阪市) 高谷まさ

 「元気出して」と言ったって嘘。
 「まだまだこれから」と言ったって嘘になるから、お互いに「バカ話」を交わすしか無いのである。
 しかし、その「バカ話」に込められた断念の思いと友情の深さよ。
  〔返〕 振る話振られた話のバカ話馬鹿で話しているわけじゃ無い   鳥羽省三
      逝く者と逝かれる者のバカ話いずれ逝くみち同行二人       々     
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『NHK短歌』観賞(米川千嘉子選・6月27日放送・改訂版)

2010年06月28日 | 今週のNHK短歌から
○ 言葉なく遠吠えしたくなる夜を何もて鎮めむ人間われは  (松戸市) 豊本華乃子

 私は一昨日から、川村湊氏著『狼疾正伝~中島敦の文学と生涯~』を熟読中である。
 <狼疾>とは、不朽の小説家・中島敦に終世執り着いていて、彼をして、夜毎夜毎「遠吠えしたくなる」ような気分にさせたものであり、「何」を以ってしても「鎮め」難き<宿痾>だったのである。
 「言葉なく遠吠えしたくなる夜を何もて鎮めむ人間われは」という佳作を以ってして、<NHK短歌>の特選一席をせしめられた、本作の作者・豊本華乃子さんは、本作の内容から推察すると、一見、あの中島敦同様に、<狼疾>という終世不治の<宿痾>に魅入られた人のようにも思われるが、その実はまるで逆、いたって健康で常識的かつ魅力的な女性なのかも知れない。  
 だとすれば、本作を特選一席としてご推奨になられた選者の米川千嘉子氏こそ、中島敦の文学に毒され、本物の<狼疾>と偽物の<狼疾>との区別をもつかないような<宿痾>に魅入られた女性、それを敢えて名付けて言えば、<短歌疾>に囚われた女性なのかも知れない。
 ところで、評者は、中島敦の小説に親しみ、中島敦という人格に対する認識を深めるにつけても、「何もて鎮めむ人間われは」といった、大時代的かつ倒錯的かつ楽観的なる発想に対しては、嘔吐感すら感じるのである。
 「人間われ」なることを懐疑する者、即ち評者にとっては、「言葉」無き「夜」は在っても、「遠吠えしたくなる夜」は無い。
 そうした点が、本作の作者と評者との違いである、と言うよりも、「言葉なく遠吠えしたくなる夜を何もて鎮めむ人間われは」と言う一首に見られる本作の作者・豊本華乃子さんの心情は、悲観主義的、厭世主義的哲学や文学にかなり毒されている、と言うよりも、殆んど毒されてはいないにも関わらず、毒されているかのような境地に自らを置いて、その境地をお楽しみになって居られるのではないか感じる、とするのが、本作に対する評者の考え方である。
  〔返〕 金が無く泣きたくなった夜も在りけむゲゲゲの女房よくぞ耐へたる   鳥羽省三


○ 夏空を遠近法でかく男動くけむりをかきはじめたり  (松戸市) 吉田正男

 画家が「雲」や「動くけむり」を描いているという題材は、近代の詩人によって頻繁に歌われた風景であるので、私は、この一首から格別に新しいものは何一つ感得出来ませんでした。
 特選二席。
  〔返〕 風景を赤一色で描く画家が空往く雲をかき始めてる   鳥羽省三


○ 湧水を遠く遠くへめぐらせて温めて入れる谷津の植田は  (匝瑳市) 椎名昭雄
    
 「湧水を遠く遠くへめぐらせて温めて入れる」と、観察がよく行き届いていて、特選三席に相応しい佳作である。
  〔返〕 渓々に小魚湧ける曲(わだ)ありてその先にある早稲の植田は   鳥羽省三


○ コンビニも車椅子ならやや遠出媼はかむる水色の帽子  (小林市) 福留佐久子

 「媼はかむる水色の帽子」がよく効いております。
 作中のお「媼」さんは、都会で生活しているお孫さんが不要になって置いて行った「水色の帽子」を被って「車椅子」に乗り、少し遠出して隣り集落の<セブンイレブン>まで南瓜コロッケの買出しに来たのでしようか?
 今日は農協の組合長さんちの法事とかで、いつもやって来る移動販売車(通称=走るデパート)がお休みなのである。
  〔返〕 週二日家の前までやって来て何でも売ります<走るデパート>   鳥羽省三


○ 雨一過蟋蟀わっと生まれたり木屑を焼きし灰の中より  (神戸市) 名越順子

 「木屑を焼きし灰の中より」「わっと生まれたり」とは、「蟋蟀」という生き物の繁殖力のなんと旺盛なことよ。
 「雨一過」と「わっと生まれた」との呼応の素晴らしさよ。
  〔返〕 その宵は庭一面の大合唱耳に涼しき蟋蟀の声   鳥羽省三  


○ だあれにも今日で三日を会わぬなり望遠レンズは朴の花とらふ  (兵庫県) 江見眞智子

 末尾の語「とらふ」は、<摑まえる>という意味の文語動詞である。
 したがって、三句目の「会わぬなり」は「会はぬなり」としなければならない。
 天下の<NHK短歌>が、かかる初歩的なミスを見逃してはならない。
  〔返〕 望遠のレンズの捕へし朴のはな今しミツバチ飛び立つばかり


○ 遠き遠き砂漠の国の夫想ひまた顔を寄す父に似る子に  (伊勢市) 川口明代

 敢えて誉めて言えば、母子相姦的な怪しげな雰囲気を湛えた一首である。
 だが、森岡貞香氏作の『白蛾』に見られる「うしろより母を緊めつつあまゆる汝は執拗にしてわが髪乱るる」「拒みがたきわが少年の愛のしぐさ頤に手触り来その父のごと」などに見られるそれとは、比すべくも無く、まるで<ままごと>みたいなものである。
  〔返〕 遠き遠き砂漠の国のハレムでは膝を抱きて夫の寝ぬらむ   鳥羽省三  


○ 自転車の遠乗り愛する少年に風の理論を教はる五月  (桑名市) 佐藤浩子

 「風の理論」と言うのは少し大袈裟。
 せめて「風の作用」とでもしたらいかがですか?
 末尾を「五月」で逃げたのも安直過ぎると思います。
  〔返〕 自転車で家出企む吾子と知り風邪薬など持たせむとする   鳥羽省三


○ 爺ちゃんも変身ロボット遊びした?孫に問われし遥かな戦後  (名古屋市) 中村 泰

 「孫」という者は、どんな他愛無いことを言っても可愛いものである。
 しかし、我が孫の質問が余りにもくだらなかったので、カフカの愛読者であった作中の「爺ちゃん」は、「我らにとっての『戦後』とは何か?」と、悩むばかりなのである。
  〔返〕 我らはも何処より来て何処にか去るも去らぬも地獄の戦後   鳥羽省三


○ 遠い国の首相が失言悔いる顔間近に見せてテレビの魔法  (安城市) 内川 愛

 つい最近、ありましたね。
 あの女王様のお国の労働党内閣の首相の大失言が。
  〔返〕 「岡田ジャパン・四位確定・但し予選」これまた失言マスコミ懺悔   鳥羽省三


○ 追いかけてくねくねすべる滑り台孫といっしょに大蛇になった  (横浜市) 出羽紀子

 いくら「孫」が可愛いからと言っても、「追いかけてくねくねすべる滑り台」で「孫といっしょに大蛇になった」は無いでしょう。
 「大蛇」と言ったら、あの恐い「大蛇」ですよ。
 横浜の出羽の紀子お婆ちゃん、本当の「大蛇」をご存じですか。
  〔返〕 我が出羽の郷土力士の大蛇潟・緋縅・照国・清国・豪風   鳥羽省三 


○ テーブルを挟んだままで近づけず六畳半の部屋の二人は  (江戸川区) 中森 舞

 「六畳半の部屋」とはまた、中途半端な広さの部屋ですこと。
 「床の間を半畳と数えたのではないかしら?」とは、本日のゲストの真中朋久氏の弁でしたが、評者は、音数合わせの為に六畳を「六畳半」としたのだと思っている
  〔返〕 テーブルは四本脚の折り畳み次のデートで床の間入りだ   鳥羽省三
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一首を切り裂く(035:金)

2010年06月26日 | 題詠blog短歌
(珠弾)
   泥濘におちた金子を腰屈めひろう手つきが様にならない

 「泥濘におちた金子を腰屈めひろう手つきが様にならない」と言うことですが、そこで予め、念の為にお聞きしておきますが、作中の「金子」とは、「かねこ」という日本人の姓では無く、<お金>のことを少し気どって<きんす>と言っているのだ、と評者は解釈して居りますが、作者としてはいかがなものでありましょうか?
 もしそうだとすれば、そうした「手つき」が「様」になるのは、一月に15,000,000円ものお小遣いをママから頂戴している鳩山さんちのお坊ちゃまぐらいのものであり、月給30万円そこそこの中から毎月二万円のお小遣いをひねくり出して、慾の目に眩んでせっせせっせと競馬場通いをしていらっしゃる、本作の作者・珠弾さんクラスの、下々の人間ではどだい無理な話ですから、最初から諦めましょう。
 そもそも、通常の人間の取るスタイルの中で一番「様」になるのは、おしっこをする時のスタイルと食事をする時のスタイルぐらいのもので、それ以外のスタイルは、腰つきにしろ、顔つきにしろ、手つきにしろ、それが「様」になっているという段階に到達するまでには、ざっと見積もっても、最低半世紀ぐらいの月日を要するものだと言われております。
 そういう事ですから、毎週一度の競馬でコテンコテンに負け、オケラ街道を辿っている時に、前を歩いている人のポケットから落ちた百円玉を、「腰」を「屈め」て「泥濘」から拾い上げようとするような「手つき」をしようものなら、「様にならない」どころか、たちまち<拾得物隠匿罪>で御用になりますから、止めておきなさい。
 人には、生まれついての<分>というものがありまして、あなたの<分>は、出来るだけ競馬場に近づかない事と、毎日一度、「臆病なビーズ刺繍」をチェックした上で、あなたの全頭脳をフル回転させて、他人に読ませる価値のあるような短歌を作る事でありましょう。
 したがって、それ以外の「手つき」、腰つき、頭突きなどは、一切<ノー>と心得、ひたすら詠歌に励みましょう。
 それはそれとして、今回の作品はなかなかの傑作ですよ。
  〔返〕 「洋食のフォーク持つ手が様になり妻を射止めた男」の従弟   鳥羽省三
      学覧を腰だめにして穿くさまが様にならぬと交際を已め       々


(時坂青以)
   いやらしく見えない金歯じいちゃんと仲良しだからそう見えるんだ

 「金歯」もまた、「泥濘におちた金子を腰屈めひろう手つき」と同様に、なかなか「様」にならないものでありましょう。
 それはそれとして、本作は、「いやらしく見えない金歯じいちゃんと仲良しだからそう見えるんだろ」となっていますが、「そう見える」とは、一体全体<どう>見えるんですか?
  〔返〕 いやらしく見えない金歯じいちゃんと仲良しだから歯科助手に見え   鳥羽省三
      いやらしく見える金歯のじいちゃんと仲良くしたら遺産どっさり      々


(高松紗都子)
   金色に滴るひかりにとかされて思い出となる蓮華メレンゲ

 横浜中華街で<ふかひれスープ>でも啜っていらっしゃるのでありましょうか?
  〔返〕 夕暮れの順海閣で君待てば上海蟹がもぞと這い出す   鳥羽省三


(冥亭)
   金雀枝に抱かるる耶蘇に焦がれつつ逝きし波郷を妬めり邦雄

 塚本邦雄氏が、名著『百句燦燦』の冒頭に掲げて絶賛しているのが、あの石田波郷の句「金雀枝や基督に抱かると思へ」なのである。
 私は石田波郷の作品に詳しく無く、ましてや、あの塚本邦雄が何故に自著の冒頭にこの句を掲げて絶賛しているか、という点については疑問すら感じているから、この作品について、これ以上の詮索をすることは、墓穴を掘ることにもなりかねませんから止めておくことにしようと思います。
  〔返〕 十字架にまさに架かるとせん時に耶蘇は思ひぬ金雀枝抱くと 


(ふうせん)
   金魚草ゆれる朝(あした)はどこまでも澄み渡る空ひときわ高く

 よくよく考えてみると、この一首の内容は、<朝の空はどこまでも澄み渡っていてひときわ高い>と言うだけのことである。
 だが、お題「金」を「金魚草」という可憐な草花の中の一字として採り入れて、爽やかな朝の空気を醸し出したのはなかなかの工夫である。
  〔返〕 メダカ二尾藻草に遊ぶこの宵に耶蘇はまさしくピエタとなりぬ   鳥羽省三


(青野ことり)
   暗闇で獣のかたちしたものが金の眼で我を窺う

 本作の作者・青野ことりさんは、多分、風俗筋のスカウトにでも「眼」をつけられたんだろうと思われます。
 彼らの「眼」は一種独特、まるで「暗闇」で、豹か虎といったような猛獣が睨みつけるように、「金の眼」でこれといった獲物を睨みつけますから、美少女の外出は危険です。
 ああ、危なかった、危なかった、危機一髪とはこのことです。
  〔返〕 金の眼で睨まれるのも美しく魅力あるからなどと金髪     鳥羽省三
      金の眼で睨まれるのも時々はスリルあってとことりも言って    々


(鮎美)
   黄金のインカを目指す航空機見上げてゐれば部屋翳りゆく

 「黄金のインカを目指す航空機」とありますが、私の記憶するところに拠ると、現在、成田から南米リマへ一足飛びに飛んで行く、定期便・直行便の航空機は無いと思われますがいかがでしょうか。
 大抵は、ロサンゼルスかサンフランシスコに立ち寄って、それから南米の各地に向かうものと思われますが、最近は事情が変わって、南米リマへの定期・直行便が飛んでいるのでしょうか? 
 それはともかくとして、「黄金のインカを目指す航空機見上げてゐれば部屋翳りゆく」という一首は、言葉遊びの短歌としてはなかなか面白い。
 尤も、「航空機」を「見上げてゐれば」「部屋」が「翳りゆく」のは、その行き先が北京であろうと北極であろうと当たり前のことですが。
  〔返〕 タイ行きの飛行機の客視ていたらお粉をやってるような奴居た   鳥羽省三
      パリ行きの客は全員離陸後にパリパリパリパリ煎餅食べた       々


(理阿弥)
   暁のなか卯で五輪の賭け金を分けるホストらその額たるや

 北海道帯広市白樺16条西2丁目の<なか卯・帯広白樺店>は、二十四時間営業ですから、「暁のなか卯で五輪の賭け金を分けるホストら」に、本作の作者・理阿弥さんが目を見張るのも当然のこと。
 彼ら(彼女ら、と言うべきか?)の賭け金の「額たるや」、あの琴光喜も真っ青。
  〔返〕 大関の琴光喜関超デブで相撲辞めてもホストになれぬ   鳥羽省三
      男の値目方で量れるものならば元大関の浮かぶ瀬もあれ    々


(揚巻)
   こんにゃくで金剛石が割れたってあなたを好きになる日はこない

 相手にも選ぶ権利がありましょう。
 「<総角>は好きだけど<揚巻>や<揚げ出し>は大嫌い」って人だって沢山居りますよ。
  〔返〕 綿菓子でダイヤモンドを割れたって揚げ出し豆腐でハートは射せぬ   鳥羽省三   

(牛 隆佑)
   放たれる僕のお金よ見も知らぬだれかをせめて幸せにせよ

 ハチンコ屋の販売機に一万円札を入れる時などは、真実、「放たれる僕のお金よ見も知らぬだれかをせめて幸せにせよ」といった気にもなりますね。
  〔返〕 パチンコはまだまし配当率がいい国営賭博の宝くじ最悪   鳥羽省三


(中村あけ海)
   金色の招き猫にも管財の備品シールは貼ってあります

 時折り、神保町の古書店で「管財の備品シール」が貼られている書籍を見掛けることがあります。
 あのシール一枚で、販売価格が一桁下がるのでしょうが。
  〔返〕 給料が一億以上の役員に備品シールを貼ったらどうか?   鳥羽省三


(髭彦)
   黄金のジパンゴめざす幻想の果ての果てなる今しこの世は

 「果ての果てなる」に現実感が在る。
 大航海時代と呼ばれた時代や、その後の探検時代は未だ少しはましだったんですね。
 それから後は、欲の皮が突っ張るばかりの時代であると仰りたいのでしょう。
  〔返〕 あの本田圭佑われらの喜望峰想えば遠くへ来てしまったね   鳥羽省三


(西中眞二郎)
   娘住む町にてあれば金沢の天気予報に目を凝らしいぬ

 全く同感です。
 私も「天気予報」と言えば、新旧の居住地とそれに、息子の単身赴任先の大阪のそれに注視してしまいます。
  〔返〕 小絵ちゃんが「大阪晴れ」と言うだけで息子は元気と思ったりもする   鳥羽省三 
      小絵ちゃんが「横浜晴れ」と言うだけで息子が元気になったりもする     々


(古屋賢一)
   「世の中ね顔かお金かなのよ」という回文の誉めどころをあげよ

 「長き夜の遠の眠りの皆目覚め波乗り舟の音の良きかな(ながきよのとおのねむりのみなめざめなみのりぶねのおとのよきかな)」とは、事新しく評者ごときが解説するまでも無く、何方でもご存じの<回文和歌>の傑作である。
 私の知人の中古文学の専門家のお話に拠ると、回文で和歌を作ろうとする試みは、既に平安末期頃から行われていたらしく、前掲の作品などは、その一環として江戸時代に創作されたものらしい。
 ところで、本作は、「世の中ね顔かお金かなのよ」という、その昔の蒲田の歓楽街に屯していた淫売紛いの女性の口から漏れてしまった科白のような<カタコト回文言葉>を示して、その「回文の誉めどころをあげよ」という、傲慢かつ虫のいい話なのである。
 当然のことながら、「世の中ね顔かお金かなのよ」といったような中途半端な「回文」の「誉めどころ」を挙げることなどは、何処の何方にも出来ません。
 それどころか、したり顔してそんなことを仰る、本作の作者の品性の卑しさを指摘してそれでお終いにされるのが<落ち>でありましょう。
 そこで、評者から作者へ、一つ提案がありますが、この際どうでしょうか、あなたは、「題詠2010」のお題の全てを織り込んだ百首の短歌をお作りになって、この催しに再チャレンジなさってはいかがでしょうか。
 何卒、宜しくご努力の程を。
  〔返〕 回文は一文全てを回文にしてこそ意味のある試みだ   鳥羽省三 


(ひじり純子)
   金銀の色鉛筆がほしけれど欲しいと言えぬ子どもであった

 「金銀」の「色鉛筆」や<くれよん>への憧れは、昭和二十年代に小学校に通っていた子供なら、何方でも持っていたことでありましょう。
 本作の作者・ひじり純子さんが、「金銀の色鉛筆がほしけれど欲しいと言えぬ」のは、ご両親の質素な暮らし向きを知っていた「子どもであった」からでありましょうか?
 ところで、本作はもう少し手を入れて「金銀の色鉛筆が欲しくても欲しいと言えぬ子どもであった 」となさったらいかがでしょうか?
  〔返〕 ブランドのハンドバツクが欲しければ直ぐに買わせる女になった   鳥羽省三 


(行方祐美)
   金雀枝の箒に乗つて出掛けよう湖水も光る春の夜には

 「金雀枝の箒」とは、大変素晴らしい思い付きです。
 住宅の植え込みの生えていて、春になればいち早く金色の花を咲かせる、あの「金雀枝」こそ正しく、結社誌<水甕>きっての才媛・行方祐美さんが、<はんなりと桜も過ぎた>「春の夜」に「乗つて出掛けよう」とするに相応しい「箒」の材料になりましょう。
  〔返〕 「あら魚」の優しいおばちゃん黄色好き 金雀枝クロッカス水仙も好き   鳥羽省三 
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一首を切り裂く(034:孫)

2010年06月26日 | 題詠blog短歌
(中村あけ海)
   孫ほども年の離れた宮下を「ママン」と呼んで会長倒れる    

 本作の作者・中村あけ海さんが勤務されている会社は、フランス資本と思われます。
  〔返〕 孫ほども年の離れた宮下は会長秘書にて仏語堪能   鳥羽省三 


(アンタレス)
   来る筈の孫の来ずして買いおきし節分の豆声ひそめまく

 「孫」という者はみんな気まぐれです。
 アンタレスさんのお宅では、「買いおきし節分の豆」を「声ひそめまく」程度の被害で済んだのですから、まだましな方です。
 先日の我が家では、特上寿司の出前を六人前取り、四人前を捨ててしまいましたよ。
 仮名遣いについて一言。
 「買いおきし」は「買ひおきし」とするべきである。
  〔返〕 上トロと海胆とイクラはネタを食べ後の残りは棄ててしまった   鳥羽省三


(西中眞二郎)
   かあさんと呼べば妻と子二人して返事を返す孫らの来た日

 温泉地の老舗旅館を見習って、奥さんのことを「かあさん」と呼び、お孫さんのお母さん、つまりは娘さんのことを「若かあさん」と呼ぶしか解決方法はありません。
  〔返〕 未だ若く「バーバ」と呼べぬ妻なれば「かあさん」と呼びどぎまぎしてる   鳥羽省三


(理阿弥)
   孫の顔みせてくんろと母の言う鉢のムスクラ枯らしたばかり

 理阿弥さんのご子息殿は未だ結婚適齢期に達していないのでありましょうか。
 「鉢のムスクラ枯らしたばかり」という下の句がなかなか効いています。
  〔返〕 ムスクラの棘にも似たる母の言 いらいらとして花も咲かない   鳥羽省三


(木下奏)
   いつの日か孫ができたらあげたいなアイスクリーム作れる玩具

 大人が欲しくなる子供の「玩具」というものは確かに在りますが、本作の作者・木下奏さんにとっては「アイスクリーム作れる玩具」がそれに当たるのでしょう。
  〔返〕 固まらぬアイスクリームは爺婆に食べさせるから無駄にならない   鳥羽省三


(鮎美)
   蝉時雨 孫の構へるカメラ見てその笑みのまま遺影になりき

 先日のこと、私たちが長男宅を訪問したら、長男も長男の嫁も、やたらに私の写真を撮りたがるのでとても気になりました。
 そろそろお迎えが近いと思って、祭壇用の写真にでもしようと思ったのでしょうか?
 「その笑みのまま遺影になりき」とは、なかなか出来ない芸当です。
 よほどお覚悟の出来たご尊父様だったのでしょう。
  〔返〕 秋蝉の一声鳴いてそれつきり我は黄泉路に旅立ちぬめり   鳥羽省三


(中村成志)
   孫をもつあてのなき手よ大きなる白菜縦に包丁入れる

 本作の作者・中村成志さんご夫妻には、お子様がいらっしゃらないのでありましょうか?
 それにしても、「孫をもつあてのなき手よ大きなる白菜縦に包丁入れる」とは、奥様のことを、冷徹に観察なさっていることです。
  〔返〕 白菜に包丁入れる妻の居て孫を持つ気の無い我も居て   鳥羽省三


(南葦太)
   孫の手じゃかけないとこに触れているあなたの熱にまごまごしちゃう

 「あなたの熱にまごまごしちゃう」なんちゃって、南葦太さんは新婚ほやほやの奥様の何処に「触れている」のですか?
 いっそのこと、孫の手を逆さに持って、あの丸いゴムの球の付いた部分で「触れて」あげたらいかがですか?
 本当は、肩叩きに使うのでしょうが?
  〔返〕 孫の手じゃ掻けないとこに触れたけどし慣れないからまごまごしちゃう   鳥羽省三
 

(穂ノ木芽央)
   うれしげに母は出かける初孫の笑顔それから風邪をもらひに

 お土産を沢山持って行って、そのお返しとして「風邪」を貰って来るのである。
  〔返〕 孫からと思えば嬉しい貰い風邪嫁は憎いが孫は可愛い   鳥羽省三


(高松紗都子)
   海はるか生まれたものの子孫なる我が身ざぶりと揺らすバスタブ

 「海はるか生まれたものの子孫なる」と仰るからには、本作の作者・高松紗都子さんのご先祖様は、お雇い外人か新教の宣教師か何かであったのでありましょうか?
 「我が身ざぶりと揺らすバスタブ」という下の句が、絶妙な働きをしています。
  〔返〕 名も知らぬ遠き島より流れ来し者の裔にてバスタブが好き   鳥羽省三


(月の魚)
   うまれつき誰かの子であり孫であり そんな絆(ほだ)しが時に重くて

 人間、例外無しに「うまれつき誰かの子であり孫」であるのです。
 「そんな絆し」が「時に重くて」と感じるならば、<月の魚>となって、トンカラリ、トンカラリと丸い牢獄の中で機を織るしかありません。
  〔返〕 魚とて魚の子であり孫であるそんな絆しに耐えて子を産む   鳥羽省三


(村木美月)
   孫なのか娘なのかもわからずに祖母はひたすら思い出話す

 何処の「祖母」も祖父も、みんな似たようなものですよ。
 私もあなたも、早晩、そのようになるに違いありません。
  〔返〕 我の名を甥と間違へ気が付かぬ姉の哀れさ思ひ出尽きず   鳥羽省三
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一首を切り裂く(033:みかん・改訂版)

2010年06月24日 | 題詠blog短歌
(理阿弥)
   待てど待てど恋ほしき人の沙汰あらずみかんの種をがりっとくだく

 江戸に残して来た恋人の<お七>が火付け強盗を働いて捕まったという情報を手にしてから半年になる。
 だが、その後、彼女に下された「沙汰」に関する情報は、此処<八丈島>には届かない。
 本作の作者・理阿弥さんの分身たるやくざ者・悪阿弥は、流刑の地・八丈島で、彼女が<八丈送りの刑>に処せられることを首を長くして待っているのである。
  〔返〕 下された刑は獄門晒し首八丈で待つ悪阿弥がっくり   鳥羽省三


(飯田和馬)
   おみかんをひとつ下さい。後生です。紅い山茶花。真っ黒の腕。

 帯広と神戸とで、まさか相談したわけではないでしょうが、前掲の<理阿弥>さん作の前編のような作品を、<飯田和馬>さんは投稿して下さった。
 ありがとう、飯田和馬さん。
 篤く篤く御礼申し上げます。
 「おみかんをひとつ下さい。後生です。」と言う科白の話者は、前掲の理阿弥さん作中に登場する、後に<八丈島送り>となる<悪阿弥>であり、彼の両腕は刺青などで「真っ黒」になっているのてある。
 また、「紅い山茶花」とは、件の悪阿弥がその科白を口にした時の、お白洲の周りの風景なのである。
  〔返〕 「後生です、おみかんもひとつ下さいな。」お七の股には<悪阿弥命>と   鳥羽省三


(藻上旅人)
   冷凍のみかん片手に乗りこめば静かに始まり往くひとり旅

 前作や前々作に登場する<悪阿弥>や<お七>の場合は、裸馬に乗せられての「ひとり旅」であったが、こちらの「ひとり旅」は、「冷凍のみかん」を「片手に」しての山形新幹線での「ひとり旅」である。
 「冷凍のみかん」が融け行くにつれて、<藻上>さんの<旅人>としてのお気持ちは次第に高まって行く。
  〔返〕 雪未だ残して立てる蔵王見ゆ五月雨煙る最上川見ゆ   鳥羽省三 


(鮎美)
   冬の夜の隅の木箱でじりじりとみかんは蜜柑に潰されてゆく

 本作の作者・鮎美さんのお宅では、お歳暮やお年賀として、木箱入りの高級蜜柑を何箱もいただいたのでありましょうか?
 私共の家では、毎年一箱か二箱、しかも木箱入りの高級品では無く、ダンボール箱入りの中級以下の蜜柑しか貰えませんから、この作品をとても羨ましいと思いながら観賞させていただきました。
 「冬の夜の隅の木箱で」「じりじりと」「みかんは蜜柑に潰されてゆく」とありますから、その「木箱」には、 高級な「蜜柑」が、隙き間無くびっしりと詰まっているのでしょう。
 「蜜柑」の上に「蜜柑」が重なり、その「蜜柑」の上にも「蜜柑」が重なって箱に入れられている。
 しかも、三段重ね、五段重ねの「蜜柑」の「箱」の上に、更に三段重ね、五段重ねの「蜜柑」の「箱」が山積みされている風景。
 それは、いかにもお金持ちの家のお正月風景らしいお目出度い風景である。
 でも、その風景は単なるお目出度い風景だけで終わってはいない。
 何故ならば、「冬の夜の隅の木箱でじりじりと」という、上の句の重々しい措辞を無視してはならないからである。
 「冬の隅の木箱で」とは、<この世の賑わいから置き忘れられた位置で>ということである。
 その「冬の隅の木箱」の中で「じりじりとでじりじりとみかんは蜜柑に潰されてゆく」のであるが、この段階での「蜜柑」は、もはや単なる「蜜柑」では無く、この世の賑わいから置き忘れられて棲む人間なのである。
 いや、彼女(或いは彼)は、この世の賑わいから置き忘れられて一人住まいする人間なのではない。
 この世の賑わいの中に居て、その最底辺に居て、人々の為す賑わいや狂態や何やらの重さに「じりじり」と押し潰されている<犠牲者>であり、暗黒と孤独ともう直ぐ訪れる筈の腐臭とを強いられている<聖者>なのである。 
 表面は金満家の正月のお目出度い風景のように見せかけて、その底に一抹も二抹も三抹もの、暗さや重さや寂しさや侘しさや苦しさを表現しようとしたところが、この傑作の傑作たる所以でありましょう。
 親の重みで潰された息子の話は何度も耳にしましたが、「蜜柑」の重みで「みかん」が「潰されてゆく」という話は初耳でした。
 「冬の夜の/隅の木箱で/じりじりと/」「じりじりと/みかんは蜜柑に/潰されてゆく」と、この傑作を、もう一度ゆっくりと音読してみる。
 「冬の夜の/隅の木箱で/じりじりと」「じりじりと/みかんは蜜柑に/潰されてゆく」「じりじりと/みかんは蜜柑に/潰されてゆく」。
 素晴らしい作品は、何度読んでも素晴らしい作品である。
 歌人ちゃんたちの遊びでしかない、との評価もなされている「題詠2010」の瓦礫の中に、時折りこんな傑作が混じっているのですから、「一首を切り裂く」は止められません。
  〔返〕 冬の夜の囲炉裏の側でじりじりと雄と雌とは焙られて行く   鳥羽省三

 と言っても、この場合の「雄と雌」は、人間の男女のことでは無く、麹漬けのハタハタの「雄と雌」のことですから悪しからず。


(ひじり純子)
   冬になれば箱ごと買っていたみかん 母のこだわりの一つでもある

 同じ「箱」入りの「みかん」でも、<ひじり>さんちの箱入り「みかん」は、たった一箱だけの、しかもダンボール箱入りの、大小不揃いの規格外れの特売用の「みかん」なのである。
 したがって、本作での<みかん>は、「じりじりとみかんは蜜柑に潰されてゆく」といったような無駄なことも無く、<ひじり>家のご聖母さまが、どんなに目を光らせて、「一日、三個までよ。それ以上食べたら体に毒ですからね」などと嘘を言って管理していても、食い意地の張った純子ちゃんや純平くんたちに、たちまち食いつぶされてしまう「みかん」なのである。
 「あの頃はお父さんのお給金も少なかったから、お父さんと私は、自分たちは鰯の尻尾でご飯を食べながら、あなたたちには何一つ物惜しみしないで食べさせていたのですよ。だから、毎年冬になれば、お蜜柑だって、お林檎だって、お落花生だって、箱ごと買って、食べさせていたのよ。それなのに、あなたったら、あの碌でも無い男と駆け落ちなんかしてしまって.........」と、ひじり純子さんのお母様の老いの繰り言は尽きようもない。
  〔返〕 あの年のイブから来ないサンタさんちょうど純子の反抗期にて   鳥羽省三


(アンタレス)
   数う程無きみかんなり熟れたればムクドリの群れ食むを追えぬ吾

 本作の作者・アンタレスさんは、<古典仮名遣ひ>を用いた<文語短歌>を創作してみようとのご意志をお持ちでありましょう。
 だが、遣り慣れないことは、やはり遣るべきではありません。
 口語動詞「数える」の終止形を文語に改めると「数う」では無く「数ふ」となりますが、本作の場合は、その後に「程」という体言を随えておりますから、ここは、「数う」でも「数ふ」でも無く、連体形の「数ふる」としなければなりません。

 もう一点、「食むを追えぬ吾」という五句目中の「追えぬ」は「追へぬ」とするべきです。
  〔返〕 十指もて数ふる程の蜜柑なれ熟るれば惜しく椋鳥を追ふ   鳥羽省三   

 「我が家の蜜柑はそんなに少ない数ではありませんよ」などと仰るのでしたら。
  〔返〕 百粒に足らぬ蜜柑の熟れたるに群がる鳥を婆々声で追ふ    鳥羽省三

 或いは、もう少し気取りたかったら。
      百粒に足らぬ蜜柑の熟れたるに群がる鳥をソプラノで追ふ     々


(コバライチ*キコ)
   窓際の壁へと影を折り曲げて君はみかんの皮を剥きおり

 照明と「君」の位置関係が問題である。
 読みようによっては、作中の「君」は、本作の作者<コバライチ*キコ>さんに背中を向けて、ダブルベッドの隅っこで「みかんの皮を」剥いていたとも考えられる。
 「同じ『皮』を剥くなら、何で<キコ>さんの.......。」と言いたくもなります。
  〔返〕 あくる朝「行って来ます」も言わないで、君は手ぶらで会社に行った   鳥羽省三

 昨夜、何があったかは存じませんが、いつも通りの筍弁当ぐらいは持たせてやりなさいよ。
 しっかり「皮」を剥いてね。


(リンダ)
   デコポンをみかんと呼ぶには高すぎて二人で分ける高齢の父母

 同じ柑橘類ではあるが、「デコポン」は一個当たり百五十円もするから、年金生活の「高齢の父母」たちにとっては少し高価であるとも言えましょう。
 でも、一個のデコポンを「二人で分け」て食べるのは夫婦和合の秘訣でもありましょうから、それはそれで宜しいのではないですか?
  〔返〕 デコポンが好きだからとて五個も食べ毛穴の目立つ君のすっぴん   鳥羽省三
      昨日今日 高価な寿司を独り占め 私は特価のとろろ蕎麦食い      々 


(砂乃)
   もう旅は終りに近いやるせなくみかんのネットをただもてあそぶ

 「みかんのネット」とは、旅先の駅で買った冷凍蜜柑の入ったビニール製の蜜柑色した網袋である。
 お互いに配偶者を持つ者同士の疑似不倫旅行も終末が見えて来て、もう二駅で別れなければならないのである。
 「みかんのネット」のかさかさした手触りは、昨夜触れた彼の背中の手触りに似ている。
 表現上の問題点について一言。
 語句を少し入れ替えたり活用形を変えたりして、「旅はもう終りに近くやるせなく蜜柑のネットをもてあそぶだけ」とされたらいかがでしょうか?
 「私は彼に弄ばれただけなのかも知れない」といったような憔悴感や空白感が醸し出されて来て、それなりに味のある一首になると思いますよ。
  〔返〕 指の間を滑り落ち行く砂に似てざらざらとした彼のこころよ   鳥羽省三

 でも、<砂乃>さんのご旅行は、単なるご家族旅行か主婦同士のグルメ旅行であって、評者が想定したようなご旅行ではありませんよね、きっと。(面白くも可笑しくもない!)


(行方祐美)
   母となり行きたかつたよ入河屋みかん最中の十個を買ひに

 作中の「みかん最中」は、静岡県浜松市の和洋菓子司「入河屋」の売れ筋ナンバーワン商品である。
 その「入河屋みかん最中の十個を」を「母となり」、「買ひに」「行きたかつたよ」と言うのは、未だに「母」になれざる、本作の作者・行方祐美さんの切なる願いでありましょう。
 「母となり」及び「十個を買ひに」が、この一首の聞かせどころ、泣かせどころである。
 でもねェ、行方さん。
 あなたが恋い焦がれている、あの「入河屋」の「みかん最中」は、昨今ではインターネットで、「十個」どころか百個でも千個でも自由に買えるんですよ。
 いつまでも夢の世界に遊んでいないで、そろそろ現実の世界に帰りましょう。
  〔返〕 「もなか」とは読めぬ女が「さいちゅう」と読みつつ食べた<みかん最中>よ   鳥羽省三

 「最中」を「もなか」と読めずに「さいちゅう」と読みながらも、その最中をがつがつと食べ、お腹に入れていた女性が居た、というのは本当の話です。
 但し、彼女の食べた最中は、浜松の<入河屋・みかん最中>では無く、東京赤坂の<とらや>の最中でしたが。
 事の序でに、彼女のスキャンダルをもう一つ暴露すると、彼女は「とらや」の看板を「やらと」と読んでいました。
 昔の看板は、右から左への流れで書かれていましたからね。


(如月綾)
   ニャアとしか返事はこない でもいつか『みかん』のように喋るといいな

 <ニャンニャン>世界の出来事である。
 「でもいつか『みかん』のように喋るといいな」という下の句が面白い。
 「みかん」が饒舌という発想がユニークなのである。
  〔返〕 ニャアとしか返事の出来ぬ彼だけど二人になるとニャンニャンはする   鳥羽省三 


(伊藤真也)
   どうしたよ嫌いなんだろ?俺のこと 殴って来いよ!愛媛みかんで

 「愛媛みかん」は皮が薄いから、殴られたって痛くも痒くもないことを、本作の作者・伊藤真也さんはご存じなのである。
  〔返〕 皮厚く武器になるのは夏蜜柑 萩の武家屋の白塀越しの   鳥羽省三 


(野州)
   春潮にかかとを濡らしメバル釣るぼくらをみかん山で呼ぶ声

 数多い磯魚の中でも「春潮にかかとを濡らし」て「釣る」に相応しい魚といったら、やはり「メバル」でありましょう。 
 蜜柑山を背にした瀬戸内沿岸などでのメバル釣り風景でしょうか? 
 「春潮」は「しゅんちょう」と読むのでは無く、「はるじお」と読むのでしょう。
 また、「かかとを濡らしメバル釣る」は、「かかと濡らしてメバル釣る」とした方が、一首の流れが良くなるかとも思われます。
 更に欲張って言えば、下の句を「みかん山から僕らを呼んでる」としたら、いかがでしょうか?
  〔返〕 春潮に脛まで濡れてメバル釣る 蜜柑山から呼び声がする   鳥羽省三

 
(新井蜜)
   十日置きに箱のみかんを送りくる義母と僕らの心理戦争

 馬鹿馬鹿しいにも程がある。
 これが何の「心理戦争」ですか。
 卑しくも「戦争」と言ったら、<砲弾と砲弾の応酬>を指して言うのですよ。
  〔返〕 義母からは蜜柑爆弾飛び来るが此方側ではそれを喰うだけ   鳥羽省三

 とは申しましたが、そのお気持ちはよくよく解りますよ。「十日置きに箱のみかんを送りくる義母」の魂胆は、腹いせ以外の何物でもありませんからね。


(高松紗都子)
   秋冷をたずさえてきた君の手に香るみかんの愛しきおもさ

 「秋冷をたずさえてきた君の手に香るみかん」とは、伊予宇和島産の極早稲みかんである。
 その重量は、重からず軽からず程が好いので、それを称して、本作の作者・高松紗都子さんは、「愛しきおもさ」と述べられたのである。
 「秋冷」の一語、身に染み入りました。
 「十日置きに箱のみかん」を送って来て恨まれる、愚かな「義母」も居るし、たった一個の「みかん」に「秋冷」を感じさせた「君」も居るし、この世の中、本当にさまざまですね。
  〔返〕 「宇和島産極早稲みかん<秋冷>」と名付けし佳人に<秋冷>二箱   鳥羽省三

 賞品の<秋冷>二箱は、副賞の旅行券・十万円と共に、八月早々、愛媛県宇和島農協から送られて来るはずです。
 名付け親の高松紗都子さん、お楽しみに。


(チッピッピ)
   宅急便「何も入れぬ」という母が必ず入れる故郷のみかん

 贈り物はこういうのが宜しい。
 高松紗都子さん作中の<秋冷>「みかん」を頂いた時も嬉しいが、「何も入れぬ」という「宅急便」のダンボール箱の中から「故郷のみかん」の香りが漂って来た時には最も嬉しい。
  〔返〕 ふるさとの風の便りの早稲みかん母はこの秋傘寿を迎ふ   鳥羽省三


(南葦太)
   給食のみかん果汁に染まりゆくカッターシャツの白かった夢

 本作の作者・南葦太さんのご年齢から推して知るに、「給食のみかん果汁」とは、正確に言えば、国産の「みかん果汁」では無く、アメリカ帝国主義から強引に押し付けられた、有害農薬塗れの「オレンジ果汁」に違いない。
 したがって、本作の作者の見る「カッターシャツの白かった夢」には、社会民主党や日本共産党が主張している<反米思想>の萌芽に類する要素が認められる。
  〔返〕 給食のオレンジジュースに侵されてカッターシャツは褐色になる   鳥羽省三 


(虫武一俊)
   遠くへと行きたい望みかんからと鋼の箱に骨を鳴らして

 父母の遺骨を「鋼の箱」に入れて歩くと、その遺骨は彼の歩みにつれて「かんから」と鳴ると言うのである。
 劇画世界の出来事かとは思われるが、「本作の作者の人生観は何と冷め切ったものであろう」と、愕然としている評者である。
  〔返〕 かんからかんかんからかんと泣く骨はスペースシャトルに乗せて葬れ   鳥羽省三


(青野ことり)
   暮れてゆく まぶたもみかん色に染め 藍の帳はまたたくうちに

 「暮れてゆく」の後の一字空きに工夫が認められる。
 「暮れてゆく」と言っても、昼から夜に一気に傾いて行くのではない。
 最初、憂い顔の<青野ことり>さんの「まぶた」を「みかん色に染め」、それから徐々に周りの風景を色々な色彩で荘厳に彩り、その挙句に「藍」色の夜の「帳」が静かに下りるのである。
 四、五句目に「藍の帳はまたたくうちに」とあるが、「藍」色の夜の「帳」が「またたくうちに」下りるか、徐々に静かに下りるか、の判断は、見ている者の主観によるところが大きい。
 それなのに、「藍の帳はまたたくうちに」と感じられた<青野ことり>さんは、あと幾日の命を宣告されたか弱い小鳥みたいです。
  〔返〕 暮れて行く 瞼を染めて出掛けてく 社交嬢さん出勤タイム   鳥羽省三


(sh)
   つぶつぶのみかんジュースはきらいです 君が好きなら僕も好きです

 ひと頃の文壇や哲学壇で、<主体性論争>というやつが盛んに交わされましたがご存じですか。
 それにしても、この主体性の無さは、同じ日本人として非常に嘆かわしい。
 でも、昨今は、主体性のあるやつは嫌われますね。あの前亀井大臣みたいに。
 でも、でも、あの前総理大臣みたいに、主体性がまるで無いやつも困るし。
  〔返〕 粒選りの閣僚だけに安心だ参院選も絶対勝利?   鳥羽省三   


(穂ノ木芽央)
   今冬の最後のみかんの皮むきてあらゆる別離のことば考へ

 寂しい限りです。
  〔返〕 昨今はものの盛りも旬も無し柑橘類は年から年中   鳥羽省三


(B子)
   お手玉のみかん転げて日本海こたつ布団の波はうずしお

 作者名<B子>の<B>は半角の<B>であるから、ついうかっりすると、本作の作者を、世に言う<歌人ちゃん>と思ったりもするが、作品そのものはなかなかの出来栄えである。
 察するに、作中の「みかん」は山口県青海島産の「みかん」でしょうか?
 「お手玉の→みかん→転げて→日本海→こたつ布団の→波は→うずしお」と、何よりも、必要最小限の言葉だけを並べて一首としたお手並みは、なかなかのものです。
 この一首の何よりの取り得は独特のスピード感でしょう。
 本作の作者<B子>さんは、「お手玉」の腕前はBクラスでも、短歌の腕前はAクラス半でしょう。
  〔返〕 てんてんと転げたみかん手に取って毛利の殿様にっこり笑う   鳥羽省三
      てんてんと蜜柑転げて宇和海へ宇和海名産養殖真珠         々


(ふうせん)
   鉛筆で書いてみたけどまだ青いみかんだったねあの日の香り

 「あの日」の淡い「香り」を、「鉛筆」の淡彩で「書いてみた」と言うのが味噌。
 こうした淡彩の作品の鑑賞の要諦は、感じだけを味わい取り、意味についてはあれこれと詮索しないことである。
  〔返〕 12色揃って只の105円<キャンドゥ>よりは<ダイソウ>が良し   鳥羽省三   

(五十嵐きよみ)
   ぼんやりとみかんの皮をむいていた答えを考えあぐねるうちに

 何方にだってそういうことがあります。
 そういうところが五十嵐きよみさんの人間的なところでしょう。
  〔返〕 ぼんやりと爪のささくれ見つめてた宵の痛みを反芻してた   鳥羽省三  


(珠弾)
   巣ごもりの炬燵でうれてゆくみかん 当たり外れをえらんで食べる

 晩生種の蜜柑のネーミングとしては、「巣ごもり」もなかなかのものですね。
 「当たり外れ」の無い<完熟みかん>みたいで。
  〔返〕 巣ごもりの甘き蜜柑を剥きながら金杯レースの予想している   鳥羽省三
      金杯の予想も甘く明日はまたとぼとぼ辿るオケラ街道        々


(越冬こあら)
   日本の居間のみかんの支えおる小宇宙とも言える空間

 冬の「日本の居間」の風景を構成している要素として、「みかん」という存在は欠かすことが出来ません。
 したがって、「日本の居間のみかんの支えおる」「空間」は、温かくも優しい、確かな「小宇宙とも言える空間」でありましょう。
  〔返〕 セザンヌの画布を彩るオレンジの黄色にはつか見えたる腐敗   鳥羽省三


(あひる)
   瀬戸内は小舟浮かべて微睡めりみかんに白き花咲く五月

 「瀬戸内は小舟浮かべて微睡めり」という擬人化が宜しい。
 また「みかんに白き花咲く五月」も宜しい。
 これが「瀬戸内に小舟浮かべて微睡めりみかんの白き花咲く五月」だったならば、象徴も抽象も無く、ただの平凡な風景の写生みたいになってしまうからである。
  〔返〕 島影に浮かぶ番ひは水掻きの何の鳥なるあひるにあらぬ   鳥羽省三   


(牛 隆佑)
   ばら色とまでは言わないみかん色ぐらいでちょうどいいんだ僕ら

 「ばら色」は冷たく、「みかん色」は暖かい。
 この一首で、作者の牛隆佑さんがお示しになって居られる、「ばら色とまでは言わないみかん色ぐらいでちょうどいいんだ僕ら」という姿勢は、一見すると、極めて謙虚な姿勢のように見られるが、実の所はなかなかの計算尽くの頭のいい姿勢なのである。
 世に「華去就実」という金言が在る。
  〔返〕 ジョニ黒とまでは言わないユニクロのTシャツぐらい買いたい気分   鳥羽省三
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今週の朝日歌壇から(6月21日掲載分)

2010年06月21日 | 今週の朝日歌壇から
○ 疲れたり草刈るよりも半日を黙りこくってゐる総代会  (山形県) 佐藤幹夫

 本作での「総代会」は、土地改良区か森林組合の「総代会」でありましょうか?
 評者は子供の頃、どんな集団の「総代会」にしろ、「総代会」と言ったいかにも頭脳明晰で物持ちで金持ちの人々の集まりのように思わせる会合の名称を耳にしたら、その場はその地域を代表するような知識人や人格者の会合のように思っていたのであった。
 ところが、今にして思うと、「総代会」なる会合は、損害保険会社のそれにしろ、土地改良区のそれにしろ、寺院の檀徒たちのそれにしろ、単なる愚直ならまだしも、愚にして直ならざる人たちの集まりの場、保守的、因習的集団の生命維持装置、「半日」を「黙りこくってゐる」だけで、本作の作者のような感受性に秀でた人を「草刈るより」も「疲れ」させるような場でしかないことに気付いたのである。
 本作は、素朴なる表現の中に田舎集団の為す事の下らなさを余すこと無く抉剔した傑作である。
 誤解の無いように申し上げるが、評者の言う「田舎集団」とは、単なる田舎者の集まりを指すものでは無い。
 たとえその集まりが、都会人の集まりであったとしても、それが単なる、因習的、保守的集団の生命維持装置の役割りしか果たしていないような場合は、それを「田舎集団」と私は呼ぶのである。
 願わくば、短歌結社誌、短歌同人誌などの幹部クラスの人々の集まり、乃至は、某短歌結社誌中の<流星衆>といった集まりが、「田舎集団」と<後ろ指さされ組>にならないように。
  〔返〕 円寿組流星衆など気負っても結局南極田舎集団    鳥羽省三
      歌会始め選者経験歌人等の集まりもまた田舎集団     々


○ はつ夏をこうして抱かれていたいだけずっと年上このたぶの木に  (新潟市) 太田千鶴子

 「はつ夏をこうして抱かれていたいだけ」と、あなたに思わせるような「たぶの木」は、あなたよりも「ずっと年上」に決まっています。
 包容力といった偉大な力は、十年や二十年で獲得されるものではありませんから。
  〔返〕 青葉梟棲むよな洞を持つ樹々はたぶの木よりもずっと年上   鳥羽省三 


○ 大欅大楢伐られ青葉梟帰らぬ闇の深き空洞  (蓮田市) 斎藤哲哉

 つい先日、屋久島関係の報道映像を視ていた時に、「中世から近世初期にかけての寺院建築や城郭建築のブームが無かったならば、屋久島の森林相はもっともっと濃く、深かったに違いない」と感じました。
 「大欅大楢伐られ青葉梟帰らぬ闇の深き空洞」とは、まさしく言い得て妙なる表現かと思われます。
 「闇」の中の「深き空洞」とは、二重の薄気味悪さである。
  〔返〕 姉の家の隣りの寺の老ひ杉に棲みて夜な夜な五郎助奉公   鳥羽省三


○ 両の手で鍵盤を押さえるように独占したいあなたの心  (神戸市) 野中智永子

 「両の手で鍵盤を押さえるように」して弾いていたピアノ曲はなんだったのでしょうか?
  〔返〕 両手もて鍵盤叩きショパン弾く辻井伸幸神の申し子   鳥羽省三


○ 学校に山羊を預ける人のいて児等に見せたり山羊のお産を  (前橋市) 荻原葉月

 この長閑な一首に接して、その昔、夏休み中の鶏の世話が大変だからと、児童たちが可愛がって育てていた鶏を学校の敷地に穴を掘って埋めた狂頭先生が居たことを思い出しました。
  〔返〕 山羊のお産牛の交尾なども見せゆとり教育意外に難産   鳥羽省三
      校長は山羊のお産の済むまでを卒業証書の員数数え      々


○ 父母は薄闇に顕つ影にして吾が心弱る時に現る  (横浜市) 池松勝紀

 「父母」は草葉の陰で我が子を見守っているから「薄闇に顕つ影にして」と言うのでありましょう。
 その「影」は「吾が心弱る時に現る」とありますが、全くその通りでございます。
  〔返〕 薄闇で我を守れる父母の影心弱りのする日々に顕つ   鳥羽省三


○ テレビ見て酒くらいおり禅堂でひたすら坐りし夜もありしに  (三原市) 岡田独甫

 「テレビ見て」「酒」を食らっている場所は、「禅堂」では無く<方丈>でありましょう。
 いかなる生臭坊主でも、それぐらいの最低の常識は弁えているはずです。
  〔返〕 禅堂でひたすら坐りしあの頃も読経の合い間に酒を飲んでた   鳥羽省三


○ 野ネズミの子どもに出会う登山道五糎未満の身がまえ見たり  (鳥取県) 長谷川和子

 「五糎未満の身がまえ見たり」という表現が秀逸である。
 「五糎未満」の「野ネズミの子ども」の「身がまえ」に出会ったことはありませんが、犬嫌いの私は、<五十糎未満>の<仔犬>の「身がまえ」には、再三出会って居ります。
  〔返〕 身構えて「省くん嫌い!」と言う孫の雪菜と芽衣の顔の憎さよ   鳥羽省三 
    

○ 「視神経だいぶやられていますねェ」問診十秒精算子細  (蒲郡市) 古田明夫

 「視神経だいぶやられていますねェ」と言うだけの「問診」であるが、医療費自動支払機から吐き出される<医療費精算書>には、それ以外の事柄についても「子細」に書かれている。
 真に<医は仁術>ならぬ<医は算術>である。
  〔返〕 「脳神経ほとんどやられていますねェ」医者が言ったらそれでお終い   鳥羽省三


○ 四、五軒は同じ地名の向う岸かくも昔は暴れ川なり  (焼津市) 増田謙一郎

 焼津市内を流れている「川」と言えば、桜の名勝<木屋川>である。
 あの美しい川は、その昔は「暴れ川」で、これを挟んだ両岸に「同じ地名」の土地が在るのでしょうか?
 「四、五軒は同じ地名の向う岸」という捉え方が、言うに言われぬ絶妙さである。
  〔返〕 四、五軒のうちの三軒親戚で、残り二軒と犬猿の仲   鳥羽省三
 

○ 向い合う小さき工場に車満ち迷惑なれどなにか嬉しい  (堺市) 平井明美

 評者としては、「迷惑なれどなにか嬉しい」と言ったところが嬉しい。
 人の気持ちはみな同じようなものであるからである。
 「迷惑なれど」と言っても、朝夕の通勤時にブレーキ音や発車音などがする、といった程度のことでありましょうか?  
  〔返〕 向い合う小工場がビルを建てお蔭で陽射しが悪くなったよ   鳥羽省三   


○ うかうかと生きて白寿よ庭中の新芽の紅き紅葉を愛す  (東京都) かしまふさ

 「うかうかと生きて」とは謙遜。
 熱心にお仕事を励まれ、その余暇に「庭中の新芽の紅き紅葉を愛」された長年の生活の結果として、「白寿」をお迎えになったのでありましょう。
 何はともあれ、<かしまふさ>さん、おめでとうございます。
  〔返〕 生き抜いて白寿迎えし<ふさ>さんの両眼に映る楓の新芽   鳥羽省三   


○ 柚子胡椒すこしきかせただんご汁苗代寒の夜をあたたまる  (大分市) 岩永知子

 大分と言えば「柚子胡椒」であるが、作中の「柚子胡椒」は、岩永知子さんお手作りの品でありましょうか?
 その「柚子胡椒」を「すこしきかせただんご汁」は、「苗代寒」で冷めたご家族の体を心底から温めてくれるのでありましょう。  
  〔返〕 苗代に苗取る習ひは今無きも苗代寒の冷えは変はらず   鳥羽省三


○ らんちゆうの尾鰭と紛ふ夏衣逆光に透け肢体あらはに  (名古屋市) 木村久子

 美しい「らんちゆうの尾鰭」と、「逆光」を受けて「肢体」の「透け」て見える女性の「夏衣」姿の対比は見事である。
 当然のことながら、モデルは作者ご自身でありましょう。
 だとすれば、ナルシスムの極致をお詠みになったのである。
  〔返〕 艶やかな浴衣に袖を通しても透ける姿態か逆光を受け   鳥羽省三  
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『NHK短歌』観賞(東直子選・6月20日放送・改訂版)

2010年06月20日 | 今週のNHK短歌から
○ 清姫が水裂き渡りし日高川赤き夕日は眩しすぎぬか  (練馬区) かしまふさ

 <日高川伝説>に取材した作品である。
 「赤き夕日は眩しすぎぬか」が宜しい。
 蛇になって「日高川」の「水」を裂いて渡って行く「清姫」にとっては、「赤き夕日は眩しすぎぬか」と言うのでありましょう。
 この一首に、同性たる「清姫」の行為に対する同情ないしは共感の気持ちが託されているのであるとしたら、「清姫」も恐ろしいが、本作の作者<かしまふさ>さんも亦恐ろしい。
 女の執念は、「赤き夕日」よりも赤く、時には紅蓮の炎となって燃え上がるのである。
 特選一席。
  〔返〕 安珍の怯懦を責むる清姫の呪ひの如く紅き夕焼け   鳥羽省三  


○ 幾千のグリーン噴水噴くごとく外来イネ科草の凄じ  (昭島市) 奥山公子

 花粉症の原因になったり、牧草や飼料作物との競合を引き起こしたりして、昨今、何かと問題となっているのが、ネズミムギやオオクサキビなどの「外来イネ科」植物である。
 本作は、その生命力の逞しさと繁茂していく様子の凄まじさを、「幾千のグリーン噴水噴くごとく」と表現しているのである。
 特選二席。
  〔返〕 億兆の緑色悪玉球菌のはびこる如しオオクサキビは       鳥羽省三
      わらわらと土手も川原も喰い荒らし侵略者かもネズミムギらは    々


○ まじないのように「きれい」と呟いて流れ出る水舌で舐めとる  (長岡京市) 橋本沙恵

 特選三席。
 「『舌で舐めとる』この『水』は、官能的な『水』かも知れませんね」と仰る東直子氏の評言は、<NHK短歌>の選者に相応しい上品さと節度を持った言い方である。
 遠い原始時代に、瀕死の重傷を負った男性の傷口を舐め、献身的な看病をしている女性の姿をイメージして詠んだ作品のようにも思われる。
  〔返〕 「きれいね」の言葉と舌の情念が病める男を甦らせる   鳥羽省三


○ 水葬の死者はトポンと落とされき引き揚げ船の思ひ出を聞く  (和歌山県) 助野貴美子

 「水葬の死者はトポンと落とされき」までは、引き揚げ体験者から聞いた「引き揚げ船の思ひ出」である。
 「引き揚げ船」の甲板から「トポンと落とされ」たら、それでお終いなのである。
  〔返〕 稲藁の薦を蒲団に波枕トポンと海に落とす水葬      鳥羽省三
      真裸で胸に手を組み口閉じてトポンと海に落ちてお終い    々


○ 雪積もる道央に着きラーメンを食べてこよなく水を飲み干す  (和泉市) 橋本典子

 「ラーメンを食べてこよなく水を飲み干す」とあるから、「水」が美味しかったことは解るが、「ラーメン」が美味しかったかどうかは解らない。
  〔返〕 雪道に車輪取られて難渋しラーメンの味までは分からず     鳥羽省三
      オーダーの出て来る前のひと時にまざまざと知る雪の深さを     々


○ 籠いっぱい海水(うみみず)滴るひじき背にはにかみ砂踏む少年の春  (茨木市) 久次米笑子

 今どき、こんな「少年」も居て、こんな「少年の春」も在ることを知った。
  〔返〕 潮水の滴るひじき背に負ひて何をはにかむ神の少年     鳥羽省三
      真裸足で砂を踏み締め浜に立つ神の少年ひじき藻背負い     々 


○ 逃げそうな豆腐を選びすくう手の二の腕太き店主の寡黙  (城陽市) 松尾正一

 「逃げそうな豆腐」とは、型崩れしていない「豆腐」でありましょうか?
 だとすると、「二の腕太き店主の寡黙」という表現に、「逃げそうな豆腐を選びすくう」「店主」に対する、本作の作者の信頼感が託されているのでありましょう。
  〔返〕 二の腕の太き店主に掬われて絹目豆腐の淡き逃亡    鳥羽省三 
      二の腕の太き店主に掬われて木綿豆腐の無駄な逃亡     々


○ 嫁ぎたる娘の机の引き出しに「恋はみずいろ」残されてありぬ  (名古屋市) 田中稔員

 「恋はみずいろ」とは、1968年に<ポール・モーリア>が歌って世界的にヒットしたあの曲。
 あの曲のレコードを生家の「机の引き出し」に残して行ったところに、「嫁ぎたる娘」の秘密が感じられないでもないが、結婚した頃には、既にCD時代が到来していたのかも知れない。
  〔返〕 にじいろの恋の脚無く立つ瀬無く泣く泣く嫁ぎ行く他は無く   鳥羽省三


○ 水をみな抜いてしまへば砂時計三分持たぬ我かも知れず  (金沢市) 前川久宜

 「我」は「水」と「砂」だけで生きている、という、悲観的、否定的人生観に立って詠んだ一首である。
 そう言えば、たった「三分」だけしか活躍できない限定ヒーローが何処かのバーチャル空間に居たような気がしたが、本作の作者・前川久宜さんは彼らの仲間だろうか?  
  〔返〕 結論を言へば人間独りでは三分間も持たぬ今生   鳥羽省三


○ どなたにも合わせて穏しくよく動く水のようなり姉の生涯  (長野市) 堀あき代

 「水は方円の器に随う」とは言うが、遠慮無く私見を申し述べさせていただくと、「どなたにも合わせて穏しくよく動く」ような人間の「生涯」は在り得ないと私は思うし、仮に在り得たように見えるたとしたら、それはそのように見せた者の自己欺瞞であり、その自己欺瞞に他人をも巻き込んだまやかしに過ぎないと私は思う。
 何故ならば、人間は「水」と異なって、無色透明な存在でも融通無碍な存在でも無いからである。
  〔返〕 穏しかる水も時には湯となりて前後左右に気炎を上げる   鳥羽省三   


○ 放流の稚魚さながらに幼らは背を光らせる水の公園  (水戸市) 菊池和子

 「放流の稚魚」が効き目である。
 「水の公園」で「背を光らせる」「幼ら」は、「放流の稚魚」同様に、その員数が数え上げられ、管理可能な範囲内で泳がせられているに過ぎないのである。
  〔返〕 母川になれざる水の公園で背を光らせて泳ぐひと時   鳥羽省三 


○ 忘れたいことは記憶に残りいて水は澱みぬ義母の脳に  (茨城県) 吉川英治

 「忘れたいことは記憶に残りいて水は澱みぬ」とは、認知症を比喩的に述べたのであろう。
 「忘れたいことは記憶に残り」ながら<忘れられないこと>を忘れてしまうような種類の認知症も確かに在ると思う。
  〔返〕 水澱むところに棲める魚も居てちくりちくりと藻草をつつく   鳥羽省三  
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光背を背負へる

2010年06月18日 | 我が歌ども
○ 光背を背負へる吾にあらなくもともかく生きて古希の座に在り   鳥羽省三

○ 格別に目出度きことにあらねども養殖鯛の頭など喰ふ          

○ 幾たびの大患を経し命なれ鯛の骨までせせりてぞ居る

○ 思へれば去年の今日は引越しのどさくさ中で祝ひも得せず

○ 先生は何歳になりましたかと電話くれたる教へ子の在り

○ 我が歳を問ひたる彼は四十五で問はれし我は七十になる

○ 過ぎ去りし七十年のあらかたは無為に生き来しこれからもなほ

○ 生年は紀元二千六百年没年おそらく二十一世紀

○ 逢ふ前の二十八年逢ひし後の四十二年そしてこの後

○ あはれ この梅雨空のした十キロの米を抱へて妻は帰りぬ   
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さだまさし解剖学(『前夜<桃花鳥>』篇)

2010年06月17日 | ビーズのつぶやき
     前夜(桃花鳥)
             作詩・作曲 : さだまさし

 桃花鳥が七羽に減ってしまったと新聞の片隅に
 写りの良くない写真を添えた記事がある
 ニッポニア・ニッポンという名の美しい鳥がたぶん
 僕等の生きてるうちにこの世から姿を消してゆく
       わかってるそんな事は  たぶん
       ちいさな出来事  それより
 君にはむしろ明日の僕達の献立の事が気がかり
  I'm all right I'm all right
 それに僕は君を愛してる それさえ間違わなければ

 今若者はみんなAMERICAそれも西海岸に
 憧れていると雑誌のグラビアが笑う
 そういえば友達はみんなAMERICA人になってゆく
 いつかこの国は無くなるんじゃないかと問えば君は笑う
       馬鹿だねそんな風に自然に
       変わってく姿こそ  それこそ
 この国なのよさもなきゃ初めからニッポンなんてなかったのよ
  I'm all right I'm all right
 そうだねいやな事すべて切り捨てて こんなに便利な世の中になったし

 どこかの国で戦さが起きたとTVのNEWSが言う
 子供が実写フィルムを見て歓声をあげてる
 皆他人事みたいな顔で人が死ぬ場面を見てる
 怖いねと振り返れば番組はもう笑いに変わってた
       わかってるそんな事は  たぶん
       ちいさな出来事  それより
 僕等はむしろこの狭い部屋の平和で手一杯だもの
  I'm all right I'm all right
 そうともそれだけで十分に僕等は忙し過ぎる

 桃花鳥が七羽に減ってしまったと
 新聞の片隅に……

   桃花鳥(とき)が七羽に減ってしまったと
   新聞の片隅に
   写りの良くない写真を
   添えた記事がある


 表題の『前夜(桃花鳥)』は、1982年12月11日にリリースされたシンガーソングライター<さだまさし>の七枚目のアナログアルバム『夢の轍』のA面の5曲目として世に出た作品である。
 この曲を聴いてから二ヶ月ほど過ぎた冬のある日、私は、新潟県の<佐渡トキ保護センター>に電話を入れ、応対に出た係員にこの曲の存在を知らせたうえ、「さだまさしさんの曲にあるような内容の記事を書いた新聞の名をご存じですか」と尋ねたところ、その係員が答えて言うには、「そのような曲が発表されたことは知ってはいるが、私はまだその曲を聴いたことが無い。また、その曲に書かれているような内容の記事を書いた新聞があることは、私も知らないし、当センターとしてもおそらくは把握していないであろう」ということであった。
 そこで私は、重ねて「トキが七羽に減ってしまった時期はいつ頃ですか」と尋ねたのであったが、それに対する先方の答もかなり曖昧なものであり、結局私は、「桃花鳥が七羽に減ってしまったと新聞の片隅に/写りの良くない写真を添えた記事がある」という、この曲の歌詩が事実に基づいて書かれたものであるかどうかについては、何ひとつ確認することが出来なかった。
 しかしながら、フリー百科事典『WIKIPEDIA』の記すところに拠ると、<佐渡トキ保護センター>が、それまで佐渡島に棲息していた野生のトキの全部・五羽を捕獲し、それぞれ足環の色に基づいて「キ・アカ・シロ・アオ・ミドリ」と命名したのは、1981年1月のことであり、同センターには、それ以前に、2003年10月10日に自殺とも思われる壮絶な死を遂げ、<日本産・野生のトキの絶滅>として話題となった「キン」も保護されていたはずであるから、「日本産の野生のトキが七羽ないし六羽になってしまったのは、『夢の轍』がリリースされた時期から幾年も遡らない時期であろう推測される」とだけ述べて、この問題に決着を着けたいと思うのである。
 シンガーソングライター<さだまさし>は、『夢の轍』を出す以前に六枚のアナログアルバムを発表しているが、それらに盛られた曲は、どちらかと言うと、彼の私生活に取材したといったようなポーズで作詩したものや、私小説的題材に基づいて作詩した作品が中心であったが、この曲は、同アルバム・A面2曲目の『極光(オーロラ)』及びB面4曲目の『償い』と共に、マスコミで話題となったニュースに取材した作品である。
 したがってこの曲は、それまで自分自身の内部にしか関心を示そうとしなかったようなポーズをとっていた<さだまさし>が、「私は、私自身の生い立ちや私の性欲を刺激するような女性への関心だけでは無く、社会的な事件にだって問題意識とまでは行かなくとも、関心ぐらいは持っていますよ。あんまり見損なわないで下さいね」と宣言したような意味合いを持っている作品なのである。
 例によって、前置きともつかない本論ともつかないものを長々と書き連ねてしまったが、先を急ごうと思う。
 歌い出しの「桃花鳥が七羽に減ってしまったと新聞の片隅に/写りの良くない写真を添えた記事がある」までは、マイホーム主義者を装っていた<さだまさし>らしくも無く、最近読んだ新聞記事の紹介である。
 この記事の内容の真偽やこの記事の有無については、先刻決着済みのことであるから、それ以上の詮索はしないが、注目すべきは、この記事を紹介するに当たっての作詩者・さだまさしの<何気なさ>である。
 「桃花鳥が七羽に減ってしまったと新聞の片隅に/写りの良くない写真を添えた記事がある」という紹介の仕方は、昨今ならば、言わば「鳩山内閣が瓦解してしまったと新聞の片隅に、仏頂面した鳩山首相と小沢幹事長の白黒写真を添えた記事がある」という紹介の仕方とそれほど変わらない<何気なさ>なのである。
 したがって、それを聴いている私たち<さだまさしファン>の心の中には、格別な感動も湧いては来ないし、格別な失望の念が生まれるわけでも無い。
 しかし、それに続いて、ファン誑しの素質充分の<さだまさし>は、私たちのそうした心理を見透かしたようにして、「ニッポニア・ニッポンという名の美しい鳥がたぶん/僕等の生きてるうちにこの世から姿を消してゆく」と、今度はかなり気になるようなことを言う。
 このフレーズの中で特に注意するべき語句は、「ニッポニア・ニッポンという名の美しい鳥が」及び「僕等の生きてるうちに」という二つの連文節なのである。
 「カラスというあのけたたましい声で鳴く黒い鳥が」「今世紀中に」という言葉ならともかく、「ニッポニア・ニッポンという名の美しい鳥が」「僕等の生きてるうちに」という言葉が、他ならぬあの<さだまさし>さんの口から出てしまったら、私たち<さだまさしファン>としては、黙っては居られないような重大事が、他ならぬ私たちの<ご本尊様>からご託宣されたような気持ちにもなるからである。
 しかし、そこは、髪の毛の薄いことも人並み以上であるが、意地の悪いことも人並み以上の<さだまさし>である。
 彼<さだまさし>は、私たち単細胞植物系<さだまさしファン>をすっかりその気にさせて置いて、「わかってるそんな事は/たぶん/ちいさな出来事」と言い、そして、それに重ねるようにして、「それより/君にはむしろ明日の僕達の献立の事が気がかり」とまで言って、私たち<さだまさしファン>を安心させるような失望させるような気持ちにさせて弄ぶのである。
 評者がここまで述べてしまうと、私たち単細胞植物系<さだまさしファン>の中でも、ご先祖様から特に単細胞的なDNAを濃厚に受け継いでいる者は、「この論は根底から間違っている。何故なら、作中の『君』とは、私たち<さだまさしファン>のことでは無く、<さだまさし>さんの奥さんのことであるからである。この作品は、<さだまさし>さんが私たちファンに語り掛けているのでは無く、新婚間もない奥様に、生活を共にしていらっしゃる丸映子さんに、語り掛けているのである。作中に『君にはむしろ明日の僕達の献立の事が気がかり』と在るのが、何よりのその証拠ではありませんか」などとがなり立て、評者に喰ってかかって来るに違いない。
 だが、間違いはあくまでも間違いであり、単細胞植物系はどのように飾り立てて言ってもあくまでも単細胞植物系なのである。
 私は、<さだまさし>の伝記作者でも、ストーカーでも無いから、この作品を作った当時の<さだまさし>が丸映子さんという良き伴侶を得ていたかどうかを問題としない。
 その当時の<さだまさし>が妻帯者であろうが無かろうが、この作品の中で、さだまさしが「君」と呼び掛けている存在が、丸映子さんを含めた愛すべき日本人女性全体であり、「僕達」の「僕」とは、 <さだまさし>自身を含めた勤勉なる日本人男性全体なのである。
 評者がここまで言ってしまうと、「I'm all right」「I'm all right」と、優しく二度労わられ、「それに僕は君を愛してる」「それさえ間違わなければ」とも言われる幸福な女性が、他ならぬ貴女ご自身であることを、賢明なる<さだまさしファン>の女性、並びに<さだまさしファン>ならずとも<さだまさしファン>の女性同様に賢明なる日本人女性の方々は、「そんなことは、とうの昔に承知しておりますよ」と仰るに違いない。
 そうです。その通りなんです。
 それよりも、日本産トキが絶滅の危機を迎えているという事実よりも、私たちにとって一番大切なことは、日々の平凡な暮らしを大切にすること。
 男性が女性を愛していること。
 ご亭主が奥様を愛していること。
 「それさえ間違わなければ」、<あとはどうでもいい>と言うこと。
 と、ここまで書いてしまったが、私は少し調子に乗りすぎて、言わずもがなのことを言ったしまったようである。
 少なくとも、「日本産トキが絶滅の危機を迎えていることよりも、私たちにとって一番大切なことは、日々の平凡な暮らしを大切にすること。/男性が女性を愛していること。/ご亭主が奥様を愛していること。/『それさえ間違わなければ』、<あとはどうでもいい>と言うこと。」といった件(くだ)りについては、かなり注釈をして置かなければならないようである。
 ところで、この作品の中で<さだまさし>が数回繰り返す、「I'm all right」「I'm all right」という英語を、私たちはどのように解釈するべきであろうか?
 「私は問題無い。問題無い。」などと、何処かの翻訳サイトのような硬直した訳をするべきだろうか? 
 それとも、「僕は気にしない。気にしない。」などと、ごく軽く受け止めるべきであろうか?
 『滝川エミリの英語教室』では無いから、そんなことはどうでも良いことではあるが、「問題無い」とは、「問題とするべき要素そのものが存在しない」ということでは無い。
 「気にしない」とは、「気にかけるべき点そのものが存在しない」ということでは無い。
 この作品の中で、シンガーソングライター<さだまさし>が数回繰り返して歌う「I'm all right I'm all right」とは、日本産トキが絶滅の危機を迎えていることや、「どこかの国で戦さが起きたとTVのNEWSが言う/子供が実写フィルムを見て歓声をあげてる/皆他人事みたいな顔で人が死ぬ場面を見る/怖いねと振り返れば番組はもう笑いに変わってた」ことなどについては、大いに問題を感じていない訳では無いが、この場面では、一先ずは<気にしない>で置こう、と言うことである。
 <この場面>とは、<どんな場面>のことであろうか?
 <この場面>とは、「君にはむしろ明日の僕達の献立の事が気がかり」な場面であり、「僕等」が「この狭い部屋の平和で手一杯」な場面である。
 つまり、この作品は、「遠い明日しか見えない僕」が、少し余裕を持って「足元のぬかるみを気に病む君」の考え方を受け入れ、労わりを示した作品なのであるが、この場合の「僕」が<さだまさし>個人だけを指すものでは無く、<君>が<さだまさし>の<配偶者>個人だけないしは<恋人>個人だけを指すものでは無いことは、申し上げるまでも無いことである。
 話は少し変わるが、シンガーソングライター<さだまさし>の『関白宣言』が社会現象となったのは、1979年の7月のことであった。
 それから二年半遅れで発表されたこの作品は、あの『関白宣言』の<さだまさし>自身に拠る<アンサーソング>であったと推測しても、それは必ずしも的外れな推測ではない。  
 もしも、評者のそうした推測が的を得たものであるとすると、其処には、<女誑し・さだまさし>の面目の躍如たるものが在る。
 時にきつい言葉で叱り、時に優しい言葉で慰めるのが、<さだまさし>のみならず、私たち日本人男性の、古典的、伝統的な○○操縦法なのであり、彼<さだまさし>は、未だにその<因習的な轍>から脱却することが出来ないで居るのである。
 一度置いた筆を、更に手にして書きたいと思うのは、この作品の二番の歌詩にまつわる思い出についてである。
 私の教員時代の三番目の勤務校の英語科にNさんという仕事熱心、研究熱心、部活熱心な教師が居た。
 彼の最大の自慢は、国立の語学系の最難関大学の最難関学科を卒業したということであり、二番目の自慢は、ギターを弾かせたらプロ並みの腕を持っている、ということであった。
 彼は母一人、子一人の家庭で育ち、高校教員になってからの彼は、たった一人の母親の待っている自宅にもめったに帰らず、勤務校の研究室に所帯道具の一部、例えば、冷蔵庫、扇風機、電器釜、毛布や寝袋などを持ち込み、休日以外の大半は勤務校の研究室を塒にして居て、他の教員たちから大いに迷惑がられていたのである。
 その彼は大のアメリカ好きで、この曲の二番の歌詩は、彼の為に用意されているかのように錯覚することも、私にとっては再々であった。
 私は出勤時間が他の教職員より早く、毎朝、八時前には出勤していたのであるが、その私が勤務校の玄関扉を開けると、彼の弾くギターに合わせて、彼が顧問を務めているフォークソング部の生徒たちが、「今若者はみんなAMERICAそれも西海岸に/憧れていると雑誌のグラビアが笑う/そういえば友達はみんなAMERICA人になってゆく/いつかこの国は無くなるんじゃないかと問えば君は笑う/馬鹿だねそんな風に自然に/変わってく姿こそ/それこそ/この国なのよさもなきゃ初めからニッポンなんてなかったのよ/I'm all right I'm all right/そうだねいやな事すべて切り捨てて/こんなに便利な世の中になったし」と元気良く歌う声が聞こえて来たのであったが、それも、今となっては忘れられない思い出である。
 彼はそうした奇癖を持っている教員であるが故に、英語科の教員たちや一部の生徒たちからは嫌われていたが、彼から教わった生徒たちの大半は、他の教師から教わった生徒たちより、格段に英語の学力が高かったので、私は、彼の教師としての実力を高く評価し、他の教師と一風異なっていた彼の人柄に好感を持っていた。
 その彼も数年前に定年退職し、彼より五歳ほど年上の私は、今日・六月十七日に七十回目の誕生日を迎えた。
        足元の泥濘からも脱し得ず古希を迎ふる梅雨入り三日   鳥羽省三
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一首を切り裂く(032:苦)

2010年06月16日 | 題詠blog短歌
(牛 隆佑)
   先輩の苦労自慢にそうっすねそうっすねえと頷いている

 「そうっすねそうっすねえと頷いている」ところが、本作の作者・牛隆佑さんのお人柄の善いところであり、悪いところでもある。
 牛隆佑さん、「苦労自慢」ばっかりしている「先輩」にいつまでも付き合って居ると、勤務先でのあなたの先行きがどんづまりになりますよ。
 そろそろ本腰を入れて仕事に励み、来春はその「先輩」をリストラの対象にしましょう。
  〔返〕 後輩の苦労話は一喝す「君はヒヨコだ苦労はこれから」   鳥羽省三


(間宮彩音)
   良薬は口に苦しと言うけれど子どものころは甘い気がした

 確かにそのような気もしますが、昨今の処方薬はカプセル入りになったりしていて、全般的に苦みを感じなくなりました。
  〔返〕 良薬は口に苦しは過去のこと平成この方良薬甘い   鳥羽省三


(中村あけ海)
   もしかして秘書課は苦界? 先輩は結婚退社を身請けと呼ぶが    

 まさしく「秘書課は苦界」であるに違いない。
 何故ならば、「身請け」される以前に、代表取締役社長とか専務取締役とかという名の「楼主」によって、たっぷりと味見されているからである。
  〔返〕 もしかして庶務課は大奥? 最古参社員のお局新卒いびり   鳥羽省三  


(アンタレス)
   苦も楽も酸いも甘きも知り尽くし流す涙よ鹹きに徹す

 つい先日、<北欧グルメツァー>とかいう名の旅行から帰って来たばかりの知人を前にして、「中国の五行説では、<酸・苦・甘・辛・鹹>の五つの味を<五味>と言うそうだ。また、同じ<五味>でも、仏教の教えで言う五味とは、牛乳を精製する過程で生じる五段階の味、<乳味→酪味→生酥味→熟酥味→醍醐味>のことである」などと、ウイキペイデア仕込みの俄か知識を披瀝し、ことの序でにと調子づいて、「仏教で言う<五味>の最終段階の味である<醍醐味>とは、今で言えば、本場物の上等のチーズの味でありましょうか?」などと言ったら、「省三さん、あんたは本場物のチーズの味を知っているんですか。あれは、あんたの体から匂って来る腋臭みたいな匂いがして、とても食べられたもんじゃなかったですよ」と言われてしまいました。
 そう言われてみれば、私の食べるチーズは、雪印か森永か小岩井かの<6Pチーズ>ばかりでした。
 でも、私は腋臭ではありませんよ。
 誓って言います。
 知ったかぶりも時と場合によりけり、本当に笑っちゃいますね。 
 本作の作者・アンタレスさんの体内には、中国の<五行説>で言う<五味>が骨の髄まで染み渡っているのでありましょうか?
  〔返〕 苦も辛も酸きも甘きも知らずして流す涙のただ鹹(しほから)きこと   鳥羽省三


(髭彦)
   彼の国の首領称ふる狂乱にイズムの末路苦く思ひぬ

 「彼の国」と呼ぶ国は、人によってさまざまでありましょうが、「首領」様の鎮座まします「彼の国」はあの国だけでありましょう。
 かつて「世界史」や「倫社」をご教授なさって居られた本作の作者・髭彦さんとしては、「狂乱」を極める「彼の国」での「イズムの末路」は、確かに気がかりであり、苦々しく思ったり、憎々しく思ったりもするのでありましょうか?
  〔返〕 我が国の首相をめぐる狂乱に亀井静香の末路思ひぬ   鳥羽省三


(庭鳥)
   おじさまが吐き捨てている「あいつらは苦労知らずのハナタレども」と

 私は今朝の今朝まで、本作の作者・庭鳥さんを、鶏冠をかぶった中年男性とばかり思っていたのであるが、「おじさまが吐き捨てている」などという言い方から推測すると、もしかしたら庭鳥さんは、妙齢の女性なのかしら?
  〔返〕 新卒が吐き捨てている「おじさまの加齢臭いや」などとぶつくさ   鳥羽省三


(西中眞二郎)
   吾の知らぬ幼き日まで抉り出す友と飲む酒苦くて旨し

 竹馬の友と飲む酒でしょうか?
 本作の作者としては、「吾の知らぬ幼き日まで抉り出す」のも、彼ら一流の精一杯のリップサービスだと思っているから、「友と飲む酒」は「苦くて」かつ「旨し」なのでありましょう。
 一見、歌人ちゃんの作品めいた作風ではあるが、歌人・西中眞二郎さんがこの一首に託した感慨は見せかけ以上に深く、「酒」と一緒に飲み干す苦渋の味はかなり濃厚である。
  〔返〕 向きになり主客のあらまで抉り出す金一封は徒になりけり   鳥羽省三


(わたつみいさな)
   募金請う人らの前を俯いて苦い色した帽子をかぶる

 「俯いて苦い色した帽子をかぶる」が効いている。
 <何々募金><蟹かに募金>と、そのうるさい事、五月蠅いこと。
 本当に「帽子」を被って俯いて逃げるしか手がありませんね。
  〔返〕 「赤い羽根五百円です」と言いながら自治会長が集金に来る   鳥羽省三


(邑井りるる)
   人様の涙を頂戴いたすほどの正しい苦悩に欠けてきました

 「苦悩」に「正しい苦悩」も<正しくない苦悩>も無い、と思っていた評者でしたが、「人様の涙を頂戴いたすほど」の「苦悩」は「正しい苦悩」だと、今回初めて教わりました。
 ご教授賜わった<邑井りるる>さんに、感謝感激雨霰です。
  〔返〕 人様のお金にお手手出すほどに暮らしに困っておりはしません   鳥羽省三  


(リンダ)
   甘ったるい言葉のあとの苦言ほど本音に聞こえ怒らせたくなる

 「甘ったるい言葉」を言わせたのも、その「あとの苦言」を言わせたのも、<リンダ>さんという熟女の手管なのである。
 それなのにも関わらず、「本音に聞こえ怒らせたくなる」とは、とんでもないことです。
 遊び慣れた熟女の手管に翻弄されている男性のなんと愚かなことよ。
  〔返〕 甘ったるい睦語の後に本音言い「それがなんだ」とどやされちゃった   鳥羽省三 


(砂乃)
   転職は苦渋の選択だったろう海を離れて漁師退く君

 本作の作者・砂乃さんに対する評者の要求水準は高い。
 上の句の「転職は苦渋の選択だったろう」はともかくとしても、「海を離れて漁師退く君」という、かなり良く出来た下の句にさえも過剰表現を感じ、「もう一工夫あって然るべきか」などと、余計なことを言ったりするのである。
  〔返〕 転職は苦渋の選択だったろう船を下りにし鳥羽一郎の   鳥羽省三
      

(理阿弥)
   なお慣れぬ苦みなりノン‐アルコール麦酒でさへも酒呑みのもの

 「ノン‐アルコール麦酒」は、「酒呑みのもの」でも<下戸のもの>でもありません。
 あれは、一ダース買ってもコップ一杯も呑めない代物であります。
  〔返〕 十勝産砂糖大根原料の乙類焼酎本格派です   鳥羽省三


(水絵)
   何も無い苦労話に花咲かす 戦後世代の陽だまりにいて

 「戦後世代」の居場所は、まさに「陽だまり」であり、彼や彼女の話す「苦労話」は、苦労も何も無い「苦労話」でありましょう。
 でも、これからはそうは行きませんよ。
  〔返〕 何も無い苦労話は無駄話 戦後世代の井戸端会議   鳥羽省三


(鮎美)
   鈴蘭の花の可憐であるものかかくまで苦き早春の酒

 ついうっかり斜め読みをして、「かくまで苦き早春の酒」を、「鈴蘭の花」を原料にした「酒」かと思って吃驚しました。
 何かの諭しみたいですけど、あの「可憐」な「鈴蘭の花」は、猛毒を持っているんですよ。
 いいえ、本作の作者のことではありませんよ。
 「可憐」と言われるお年頃では無いと思われますから。
  〔返〕 清流を泳げる鮎に毒ありと思う人無し噛み付きもせず   鳥羽省三


(飯田和馬)
   柑橘の苦みがのこる強く強くあるべきとして人を殴って

 最近読んだ週刊誌に、「エリート教育には多少の暴力が必要だ」などとあった。
 この一首から推測するに、本作の作者・飯田和馬さんは、どうやら<暴力肯定派>でも、<暴力容認派>でもなさそうである。
  〔返〕 甘夏にさへ残り居る苦味かな今年の桜早々に散れ   鳥羽省三


(南葦太)
   眠い って決めつけられる 必殺の苦み走ったイイ顔なのに

 「必殺の苦み走ったイイ顔」は、他人、特に女性が下す評価であるから、勝手に自己評価してはいけません。
 そんな「顔」をしていたら、「あっ、南葦太さんは眠いみたい」って決め付けられるに決まっていますよ。
 新しい職場では、特にご注意を。
  〔返〕 必殺の苦み走ったイイ顔と独り決めしてにやにや笑う   鳥羽省三  


(虫武一俊)
   切れそうで切れない架線 片隅にたしかに苦悩は残り続ける

 「切れそうで切れない」のは「架線」のみならず。
 簡単に断ち切ってしまって<無足場>などと澄ましていてはいけませんよ。
 「片隅に」どころか、全面的に「苦悩は残り続ける」ことになってしまいます。
  〔返〕 悩みつつ切ってしまった関係の笑窪にはつか残れる苦悩   鳥羽省三


(青野ことり)
   気がかりがひとつ過ぎてもまたひとつ 母というのは苦しい生きもの

 とは言いながら、それを楽しんでいるのが「母という」ものである。
  〔返〕 楽しみが一つ過ぎたらまた続く三日やったら母やめられぬ   鳥羽省三


(高松紗都子)
   その毒がいつか薬に変わるとき飲めるといいね苦き言の葉

 「苦き言の葉」を「薬」に出来る人は、「毒」を「薬」として「飲める」人であるから、本作の作者の切なる願望はきっと叶うことでありましょう。
  〔返〕 この毒を薬に出来る人になら国を預けていいとも思う   鳥羽省三 


(すいこ)
   透明を握る苦しさ雨の日の通学路に咲く傘の色々
  
 「透明を握る苦しさ」というものは確かに在る。
 それは、見透かされている「苦しさ」、無防備な「苦しさ」である。
 折りからの「雨」の中、「通学路」には、赤や青や黄色の「色々」の「傘」の花が咲いているが、その「傘」の花の下には、「色々」の色で装って防備した可愛い少女たちの顔が在るのだ。
  〔返〕 透明のレインコートに包まれて雨の中行く身構えもせず   鳥羽省三


(すくすく)
   苦しさは半分こして楽しさは倍にしてゆく君と二人で

 その心掛けや良し、でも「そうは烏賊の足」ってところかな。
 「こして」の「こし」は、「濾し」なのか「越し」なのか?
  〔返〕 苦しみは半分越えた残るあと半分は楽しみながらやれ   鳥羽省三    


(珠弾)
   49「死」と「苦」しみを一身に負って助っ人ガイジン参上

 読売ジャイアンツの背番号「49」は「助っ人ガイジン」ゴンザレスである。
 今年の彼は絶不調、故に「49『死』と『苦』しみを一身に負って助っ人ガイジン参上」とは、まさしく言い得て妙なる一首ではある。
  〔返〕 「42」黒人初の大リーガー<ジャッキー・ロビンソン>永久欠番   鳥羽省三
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『NHK短歌』観賞(加藤治郎選・6月13日放送・改訂版)

2010年06月15日 | 今週のNHK短歌から
○ 透明なレインコートを着ていると私も雨のしずくになれる  (能美市) 山上秋恵

 「透明なレインコートを着て」雨の中を歩く時の、「雨」や「雨のしずく」に対する親和感を述べたものであろうとは思われるが、それだけでは些細な思いつきに過ぎず、これを詠んだ作者に対しては勿論、これを<NHK短歌>の特選一席にお選びになった、選者・加藤治郎氏に対しても大変失礼でありましょうから、もう少し深読みしてみたい。
 「透明なレインコートを着ている」時の人間の気持ちはかなり複雑である。
 何故ならば、自分の身を包んでいる「レインコート」が「透明」であることから、それに包まれている彼女(又は彼)は、一種無防備な状態で吾が身を世間様や冷たい雨の中に曝け出しているという感覚に囚われる一方、自分が身に纏っている物が「透明なレインコート」であることは、それに包まれ、保護されている自分自身もまた、まるで透明人間にでもなったかのような感覚に陥ることも有り得るからである。
 ここでもう一言注釈すると、「透明人間にでもなったかのような感覚」にも二種類在る。
 一方は、<透明人間=穢れ無き崇高な存在>とする考え方であり、他方はそれとは全く裏腹で、「自分は透明人間であり、他の人からは見えない存在であるから何でもやれる。例えば、向こうからやって来るヨン様に抱きついて犯す事だって出来るし、彼が指に嵌めている時価数千万円のダイヤモンドの指輪を強引に奪い取ることだって出来る」という考え方である。
 さて、本作に戻って、「透明なレインコートを着ていると私も雨のしずくになれる」と詠んだ時の作者の感覚は、一体どんな感覚だったのでありましょうか?
 これ以上のことは評者も知らない。
   
  〔返〕 百均のレインコートを着ていると私はなんでもやれる気がする   鳥羽省三
 こちらは、ダイソウで買ったレインコートを着ている時の評者の無頼感を述べてみたものであるが、この一首について、昨日夕刻、<りり>さんからご丁重なるコメントを頂戴した。
 そのコメントに於いて<りり>さん曰く、「こんばんは。/この中で一番好きだったのは鳥羽さんの返歌/百均のレインコートを着ていると私はなんでもやれる気がする/でした。/百均のレインコートってところがよかったです。」
 お褒めに与りまして、りりさん大変有り難うございます。
 そこで、<りり>さんに一言。
 「この作品は、あくまでも<山上秋恵>さん作に対する<返歌>として、即興で詠んだものであり、自立性のある作品とは申せません。それに、<百均のレインコートを着ていると私はなんでもやれる気がする>のですから、透明人間になった、この戯作の作者は、あなたの心を掠め取ることだって出来るし、あなたの家の畑の梨を無断で摘むことだって出来るのですよ。したがって、ご注意が肝要です。でも、冗談、冗談。これは冗談です。」
 

○ 岩肌にかそけく浮けるみ仏の衣のひだに雨粒宿る  (生駒市) 西田義雄

 五句目の「雨粒宿る」が秀逸である。
 「み仏」の寛大なる<御心>は、「雨粒」だろうが<御飯粒>だろうが受け容れるのである。
 とは、鑑賞力の不足を誤魔化す為の評者の苦肉の策であるが、私はかつて安曇野の一廓で、顔一面にご飯粒を付けたお地蔵様をお見受けし、「このお地蔵様の御心は寛大で、ご飯粒だろうがなんだろうが、気にせずに受容するんだなあ」と感じ、敬虔な気持ちになったことがある。
  〔返〕 身にまとう衣の襞に露宿す磨崖仏はも山の辺の道   鳥羽省三


○ ふにゃふにゃの教科書はみなあのどしゃぶりの夕方彼と帰った証  (田川市) 上水麻緒  

 「ふにゃふにゃ」を採ったのは、いかにも加藤治郎氏らしい。
 「教科書」が「ふにゃふにゃ」になってしまったのは、「どしゃぶり」の雨の中を回り道したからであろう。
 それとは別に、最近の「教科書」は、文科省の馬鹿官僚たちの陰謀に因って、中身が薄くなって、「どしゃぶり」の雨に打たれなくても「ふにゃふにゃ」になってしまった。
 その「ふにゃふにゃ」教育に毒されたような感じの若者たちが、一斉に歓声を上げている場面が、我が家のテレビ画面に映ったので視ていたら、昨夜のサッカーで日本が勝ったのだとか。
  〔返〕 びしょびしょに髪を濡らして雨の中バイト帰りの麻緒さんに会う     鳥羽省三
      ふにゃふにゃの顔して泣いて「カメルーンに勝った勝った」と大騒ぎする   々   
 以上三作は、特選一席・二席・三席に選ばれた作品である。


○ ドライバーにぎり家中のネジ全部締めてゆきたい雨の休日  (豊中市) 武富純一

 そうした気持ちになるのも解らないではありませんが、作品の出来としては、韻律の悪さが決定的である。
  〔返〕 鞭握り岡田ジャパンのイレブンを叱咤激励したい激戦   鳥羽省三


○ 雨降らぬ東京ドームに傘開くヤクルト七回好打順なり  (南丹市) 中川文和

 「雨降らぬ東京ドームに傘開く」という発見の面白さ。
 この頃は、七回の表になると「東京ドーム」でも「傘」の花が咲き、東京音頭の大合唱が始まるのである。
  〔返〕 雨降れば一度萎んだ傘の花ヤクルトアトムズ九回の裏   鳥羽省三
 こちらは神宮球場のスタンド風景です。


○ ワイパーに片寄せられて花びらは見知らぬまちにはこばれていく  (名古屋市) 吉田周子

 「まちにはこばれていく」という部分のひながな表記には、どんな意味があるのだろうか?
 「ワイパー」が何かを意味し、「花びら」も何かを意味するとしたら、<見知らぬ街に運ばれて行く>ということも、何かを意味して読者の哀れみを誘う。
  〔返〕 東風(こち)吹けば西に向かってレジ袋風を孕んで運ばれて行く   鳥羽省三 


     -Blowin` In The Wind-
○ あめのひのしょうきゃくじょうをでるはいはよけいにすったとうあんようし  (名古屋市) 中島くり人

 詞書風の「-Blowin` In The Wind-」にどんな意味が在ると言うのだろうか。
 まさか、本作の作者があの<Bob Dylan>の縁者だという訳ではないだろう。
 また、一首全体を<ひらがな表記>にしなければならない理由は、どの辺りに在ったのでしょうか?
 軽薄な<思わせ振り>だけが目立つ駄作である。
 何処かの学校でこういう風景が展開されているとしたら、たまらない気持ちにもなる。
 資源の無駄でもあるし、ご近所迷惑でもある。
 この一首は、将に<学校公害>を実証している。
 作者も選者も同罪である。
 〔返〕 吹き付ける風に飛ばされ飛ぶ紙は余計に刷った答案用紙   鳥羽省三
 

○ 大好きなお散歩今日もお預けでおそとしとしとわたししくしく  (名古屋市) 伊藤百恵

 作者はともかくとして、これを<NHK短歌>の入選作とした選者の短歌観を疑う。
  〔返〕 犬ころが<わたし>などとは言うかしら平成元禄ここに極まる   鳥羽省三
      犬ころを<わたし>など呼び恥知らぬ犬好きママの傲慢なこと     々


○ 雨のなか都心を流れる人の河われも流れて42.195㎞  (千葉市) 塚谷隆治

 <東京マラソン>、人呼んで<石原マラソン>。
 市民ランナーと称する人たちが、仮装したり、途中でおにぎりを食べたり、トイレに寄ったりして、東京の目抜き通りの交通をほぼ一日遮断して、大騒ぎをしているのである。
 そういう訳で、「都心を流れる人の河われも流れて42.195㎞」は、極めて適切な表現と言えましょうか?
  〔返〕 幹線を一日止めてなんのその石原マラソンあれがマラソン   鳥羽省三
      幹線を一日ストップなんのその石原マラソンあれで数億      々


○ 雨がやみ雲の切れ間の青空にすいこまれてく十九の私  (市川市) 小栗ひろみ
 
 一首の要点は、「雲の切れ間」に「すいこまれて」行く「十九の私」に在るのだろう。
 だとすれば、それ以外の語句、即ち「雨がやみ」「青空」は単なる字数合わせの過剰表現にに過ぎないだろう。
 という訳で、作者の年齢を考慮に入れても、入選作とするに相応しくない作品と思われる。
  〔返〕 夕空の雲の切れ間に彷徨うは十九の我の果てなき願い   鳥羽省三  


○ 雨音は私を私に閉じ込める私は永久に異邦人(エトランジェ)でいい  (さいたま市) 柳瀬和宏

 「雨音」に包まれている時の閉塞感を詠んだのであろうが、「私は永久に異邦人(エトランジェ)でいい」という下の句は、やや安易に流されたような感じである。
  〔返〕 雨音に包まれている日曜日私の心は明日も晴れぬ   鳥羽省三  


○ 雨の日は「ジャズ喫茶で」の合言葉、コーヒーいっぱい百円の頃  (アメリカ)  澪ローレンス

 作者の居住地が外国だったからとも思われますが、正直に言って、どこがいいのか解りません。
 懐旧感だけで作られた<C級風俗短歌>とでも申しておきましょうか。
  〔返〕 雨の日も「出掛けようか」と声かけて一日万歩の散歩にお出掛け   鳥羽省三   
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今週の朝日歌壇から(6月14日掲載分)

2010年06月14日 | 今週の朝日歌壇から
○ かのときは捨て石いまは要石ウチナーンチュは石にはあらず  (新潟市) 伊藤 敏

 「かのとき」も「いま」も石扱いされている「ウチナーンチュ」ではあるが、今の「ウチナーンチュ」は、「捨て石」になるのも「要石」になるのも、拒否しようとする固い<意志>を持っていると言いたいのであろう。
  〔返〕 寡黙なる石にはあらぬウチナーンチュ米軍基地は<NO>という意志   鳥羽省三


○ 幾千の牛の鳴き声轟かん鳴き交はし鳴き交はし殺されてゆく    (水戸市) 檜山佳与子
○ 豚という陽気なる奴牛といふ威ある生き物殺されてゆく               々
○ 処分さるる牛大きなる潤み眼に何心無く犢舐むらん                 々
○ 打ち上げられなかつたロケット薔薇色の靄に包まれ微睡んでゐる         々

 上から順に、高野公彦選、永田和宏選、馬場あき子選、佐佐木幸綱選の入選作である。
 私見を述べると、「打ち上げられなかつたロケット」を推奨したい。
  〔返〕 七年前打ち上げられた「はやぶさ」が豪州南部に帰還したとか   鳥羽省三 


○ 高齢者カップラーメン食べている食べている悲しいゴミの出る月曜日  (群馬県) 小倉太郎

 同年輩の人たちが、カップラーメンの入ったレジ袋を抱えてスーパーから出て来るのを見たり、マンションのコンテナに「カップラーメン」の空容器がいっぱい詰まっているのを見たりすると、他人事ながら心配になったり、「悲しい」気分になったりする。
 「悲しいゴミの出る月曜日」という措辞には実感が込められていると思う。
  〔返〕 三分待ち五分で済ませる夕食に蝕まれて行く吾・高齢者   鳥羽省三


○ 黄緑と緑の茂る森の中歩けば私の鮮度も上がる  (富山市) 松田由紀子

 「黄緑と緑の茂る森の中」を「歩けば私の鮮度も上がる」とは仰るが、それも年齢によって様々でありましょう。
 本作の作者・松田由紀子さんのご年齢は、果たして如何程でありましょうか?
  〔返〕 森の中歩けば罹る花粉症藪蚊突き刺す蛇に驚く   鳥羽省三


○ 波の上に二本の目玉つき出せり春の気配を窺う蟹は  (スペイン) 布川暁子

 スペインと言えば魚貝料理の美味しい国。
 そのスペインの海の「波の上に二本の目玉をつき出」して、「蟹」が「春の気配を窺う」とは、よく出来た図柄である。
  〔返〕 波の上に二本突き出たアンテナは春の気配を窺う蟹の目   鳥羽省三 


○ 「少年兵九条抱いて放さない」一句残して夫は逝きける  (秦野市) 相原伸子

 いかにも朝日歌壇の入選作らしい一首である。
 私は、今から半世紀前、たった一年間ではあるが秦野市内に居住していた。
 その際、「この町には相原という姓の家が多いな」などと感じていたので、本作に接した瞬間、そのことを思い出し、まるで親戚の人に出会ったような親しみを感じた。
 ところで、「少年兵九条抱いて放さない」という俳句は無季俳句では無いだろうか。
  〔返〕 妻子抱き九条抱きて逝きにける夫よ哀れ病死なれども   鳥羽省三


○ 薫風に白手袋して職員が被爆者名簿の「風通し」をす  (三原市) 岡田独甫

 意地の悪い読み方をすれば、本作に詠まれている「職員」は、「なんて優雅な仕事をしているんだろう」と言われるかも知れない。
 <聖域無き行政改革>という観点に立つと、作中の「被爆者名簿」を管理している行政機関は、早晩<事業仕分け>の対象とされ、「被爆者名簿」の管理方法や「職員」の職務などにも変更が加えられるかも知れない。
  〔返〕 時折りは白手袋をはずしたり被爆者名簿の皺のばしたり   鳥羽省三


○ 四方神四時間並び見て帰るキトラ古墳に初夏の満月  (宇治市) 山本明子

 キトラ古墳(奈良県明日香村)の「四方神」が特別公開されたのは、今年の5月15日(土)から昨日までであった。
 本作の作者・山本明子さんが見学に出掛けられ、「四時間並び見て帰」ったのは、5月28日のことであったと思われる。
 「キトラ古墳に初夏の満月」という下の句の存在がそれを証拠立てている。
  〔返〕 閉じられた扉の奥の四方神今夜の満月届くはず無し   鳥羽省三


○ この国に五百の雨の名のあるをうべない今朝の雨音を聴く  (京都市) 蓑坂品美

 思いつくままに、雨に関する名称を記してみよう。
 「春雨・秋雨・小雨・大雨・長雨・豪雨・五月雨・にわか雨・時雨・梅雨・空梅雨・菜種梅雨・山茶花梅雨・我儘梅雨・霧雨・霖雨・秋霖・篠突く雨・細雨・慈雨・本降り・小降り・雪雨・土砂降り・ざんざか降り・雷雨・煙雨・青時雨・陰雨・毛雨・軽雨・狐の嫁入り・卯の花腐し・煙雨・液雨・快雨・紅の雨・黒い雨・苦雨・若葉雨・村時雨・和雨・余花の雨・甘雨・山雨・虎が雨・遣らずの雨・暴雨・冬時雨・淫雨・夕立・ほろ時雨・麦雨・四温の雨・地雨・雪解け雨・氷雨・糠雨・淮雨・通り雨・涙雨・微雨・夜雨・昼雨・宵雨・暁雨」など等。
 半ば腐れ掛かった脳味噌を駆使して書いてはみたが、到底未だ「五百」には及ばない。
 本作の作者・蓑坂品美さんは、「今朝」どんな「雨音」を聴いたのでありましょうか?
  〔返〕 「関東は今日から梅雨に入る」と言うお天気キャスター半井小絵さん   鳥羽省三
      ウイークデーの十九時二十八分にお天気キャスター小絵ちゃんと逢う     々


○ 三叉路の石の佛にゆらゆらと風立つらしも木漏れ日の揺れ  (南魚沼市) 五十嵐とみ

   ひさかたの天の香具山この夕べ霞たなびく春立つらしも   万葉集巻十・柿本人麻呂歌集
   春過ぎて夏来るらし白たへの衣干したり天の香具山     持統天皇
   ほのぼのと春こそ空に来にけらし天の香具山霞たなびく   後鳥羽院

 『万葉集』以来の和歌の伝統が脈々と伝えられて、ここに「三叉路の石の佛にゆらゆらと風立つらしも木漏れ日の揺れ」という、五十嵐とみさんの一首が成立したのである。
 申すまでも無いことではあるが、本作の文脈に沿って解釈すれば、作者は「木漏れ日の揺れ」を目にしていて、「三叉路の石の佛にゆらゆらと風立つらしも」と感じたということになる。
 しかしそれは、あくまでも建前だけのことであって、本当は、ご自宅の近所の「三叉路の石の佛」の辺りの木々を「ゆらゆらと」揺らして「風」が吹いているのを見て、「三叉路に立っている石仏の辺りに風が吹いている。これでは、あの石仏様もどんなに涼しいことであろうか」などと感じているのでありましょう。
 しかし、それをそのまま正直に詠んだならば、<朝日歌壇入選>というこの栄誉には浴し得なかったかも知れないと思われる。
 歌詠みも時と場合に応じて、多少の必要な嘘はついても構わないと思われる。
  〔返〕 三叉路の石仏の手の風車くるくる廻し初夏の風吹く   鳥羽省三 


○ しゃぼん玉港の風に虹色に散らばるパウロの手紙の如く  (横浜市) 飯島幹也

 「しゃぼん玉」が「港の風」に運ばれて、「虹色」に彩られて四方八方に「散らばる」様子を目にして、本作の作者は「パウロの手紙」みたいだと直感的に感じたのでありましょう。
 「虹色に散らばる」という語句に、聖人「パウロ」に対する本作の作者の信仰心が示されている。
  〔返〕 愛を説く聖者・パウロの文のごと虹と輝く石鹸玉か   鳥羽省三


○ 当て所なく白き柳絮は浮遊する紫禁城にも摩天楼にも  (日立市) 鯉渕仁子

 「紫禁城」と言ったら北京、「摩天楼」と言ったらマンハッタンを指すのが通常であるが、「当て所なく白き柳絮は浮遊する」という上の句の措辞から推すと、本作での「摩天楼」は北京市内の高層ビル街を指すものと解釈するべきであろう。
  〔返〕 当て所無く北京城市を浮遊して永定門跡に迷ひ出でたり   鳥羽省三   

 
○ 終戦も敗戦もないリラ冷えの街静かなり「解放記念日」  (ドイツ) 西田リーバウ望東子

 「解放記念日」と言えば、オランダやイタリアのそれが著名であるが、ドイツにも「解放記念日」と称する祝祭日が在るのだろうか?
 本作についての、選者・馬場あき子氏の評言に、「ドイツの自立心の強い個々人の意識に支えられた『解放記念日』という言葉に、日本人のそれと比較しつつ感銘を覚える」とある。
  〔返〕 リラ冷えの札幌の街どよめかせ国籍不明の<YOSAKOIソーラン>   鳥羽省三   


○ 殺処分待つ牛がふと飼い主にいつもの朝のように顔寄す  (行方市) 鈴木節子

 素朴で素直な表現ではあるが、口蹄疫関係の作品としては秀逸である。
  〔返〕 逝く牛と逝かせる人と顔寄せていつもの朝の如き挨拶   鳥羽省三


○ ウミガメは産土にきて卵うむジュラ紀のような朝明けの浜  (浜松市) 松井 恵

 「ジュラ紀のような朝明けの浜」という<七七>に現実感が感じられる。
  〔返〕 産土の砂に卵を産み付けて何処にか行くアオウミガメよ   鳥羽省三


○ 降り積もる福木の花のさみどりを掃きては流す朝の川面に  (沖縄県) 和田静子

 ふと、「朝の川面」に流された「福木の花のさみどり」の行方が気になったりもします。
  〔返〕 降り積もる福木の花のさみどりを堆肥に生かす手段は無いか?   鳥羽省三 


○ よく指の撓る棋士にて白面の眼鏡の奥の険しき光  (岡山市) 光畑勝弘

 「よく指の撓る棋士にて」「白面の眼鏡の奥の険しき光」と言えばあの人。
 敢えて実名を言う必要は無し。
 おめでとうございます、名人。
 四勝無敗と、堂々の防衛戦でしたね。
  〔返〕 楽しみにザル碁などをも置いたりし勝ったり負けたりするとの噂   鳥羽省三


○ 凛々、蜆、雪、黒、喜喜と全部言う叱りたい猫一匹なのに  (山口市) 香西尭子

 この一首に接して、大の愛猫家・加藤元名人のことなどを、ふと思い出した。
  〔返〕 時折りは他所のお庭にしっこもし香西さんに叱られもする   鳥羽省三


○ そのかみの聖武の帝のみゆき道を自転車こぎて職場に急ぐ  (八尾市) 吉谷往久

 「自転車」族はエコ社会の皇帝の如き存在であり、独特のど派手な聖衣、独特の桂冠を戴いて、「みゆき道」を堂々と御幸まします。
  〔返〕 我が子にも自転車奇族が一人居てたまの休みは皇居一周   鳥羽省三  
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一首を切り裂く(031:SF)

2010年06月13日 | 題詠blog短歌
(空音)
   SFの『アバター』VS社会派の『ハートロッカー』受賞の行方

 「題詠blog2010」の主催者・五十嵐きよみさんが発表した今回の<お題>は、<半角>の「SF」となっているが、一首の中に「SF」と「VS」が共存している本作を目前にしていると、五十嵐きよみさんのそうした措置が、一種の手抜きによって生じたものであることがあからさまになる。
 すなわち、今回の<お題>は<半角>の「SF」では無く、<全角>の「SF」なのである。
 さて、本題に入ろう。
 本年度のアカデミー賞・各賞の受賞作品などを示すと次のようになる。 
 作品賞─「ハート・ロッカー」/監督賞─キャスリン・ビグロー(ハート・ロッカー)/主演女優賞─サンドラ・ブロック(しあわせの隠れ場所)/主演男優賞─ジェフ・ブリッジス(クレイジー・ハート)/外国語映画賞─「瞳の奥の秘密」/編集賞─「ハート・ロッカー」/長編ドキュメンタリー賞─「ザ・コーヴ」/視覚効果賞─「アバター」/作曲賞─「カールじいさんの空飛ぶ家」/撮影賞─「アバター」/音響録音賞─「ハート・ロッカー」/音響編集賞─「ハート・ロッカー」/衣装デザイン賞─「ヴィクトリア女王/世紀の愛」/美術賞─「アバター」/助演女優賞─モニーク(プレシャス)/脚色賞─「プレシャス」/メイクアップ賞─「スター・トレック」/短編実写賞─「The New Tenants」/短編ドキュメンタリー賞─「Music by Prudence」/短編アニメーション賞─「Logorama」/脚本賞─「ハート・ロッカー」/主題歌賞─「クレイジー・ハート」“The Weary Kind (Theme from Crazy Heart)”/ 長編アニメーション賞─「カールじいさんの空飛ぶ家」/助演男優賞─クリストフ・ワルツ(イングロリアス・バスターズ)。
 結果からすると、本作に於いて、作者・空音さんがご指摘になられた「SFの『アバター』VS社会派の『ハートロッカー』」「受賞の行方」は、見事に的中したことになる。
  〔返〕 本作はいつご投稿をなさったか? 時期によっては面白くない   鳥羽省三


(穂ノ木芽央)
  よのなかはSFなれどにんげんはおひつけなくてわらわれてゐる

 「SF」の件はさて措いて、本作は、作品全体をひらがな表記にし、<歴史的かなづかひ>にしようとするなど、表記表現にそれなりの工夫が凝らされているように見受けられるが、それだけに、五句目を「わらはれてゐる」では無く、「わらわれてゐる」とした点が惜しまれる。
 「弘法にも筆の誤り」の類か?
  〔返〕 世の中のミスとミセスの差は僅か昨日のミスが今日のミセスで   鳥羽省三


(斉藤そよ)
   パーキングエリアは濃霧 SFの扉のごとくひかる自販機

 冬の遠距離ドライブの途中に「濃霧」のかかった「パーキングエリア」に立ち寄り、「自販機」に幾許かのコインを入れ、熱い「缶コーヒー」などを買い求めようとすることはよくあることですが、そうした折、ガスのかかった「パーキングエリア」の「自販機」は、見ようによっては「SF」に出て来る秘密基地の「扉」のように見えないでもありません。
 日常生活の出来事に取材しながら、よくその日常を脱して、お題「SF」を生かし得た点が優れている。
  〔返〕 自販機の缶コーヒーは秘密めき我よ我よと煌めいている   鳥羽省三


(青野ことり)
   SFの表紙に指をかけながらためらう心地に少し似ている

 北東北の田舎住いをしていた頃の我が家の押入れには、「SF」に属する本が数百冊も堆積していたのであったが、昨年の転居に際して、私はその殆んどを読まないままに廃棄処分にしてしまった。
 したがって、本作中の「SFの表紙に指をかけながらためらう心地」という「心地」は、今の私には実によく解ります。
 ところで、「SFの表紙に指をかけながらためらう心地」に、何が「少し似ている」のでありましょうか?
 それを秘密めかして言わないところが、本作の作者の小賢しく小悪魔的なところであり、本作の魅力でもありましょう。
 作者が口を閉ざして言わなければ、向きになって言わせようとしたり、それも叶わぬと知ると、勝手に想像して言ってしまうのが評者が持っている数々の悪癖の一つである。
 察するに、本作の作者は、近頃ご自宅の周囲を徘徊している高校生たちの一人を、つまみ食いしたいと思ったりもするが、そんなことをしたら身の破滅だ、などとも思っているのでありましょう。
  〔返〕 口に出し言ってしまえば味気無し言わぬが花の<ことりごと>かな   鳥羽省三
      小鳥らはぽつりぽつりと突っつくが我の与える餌を食べない        々

(伊藤夏人)
   修羅場からSF的な展開で抜けられますよう切望します

 「修羅場」及び「SF的な展開」について、あれこれと想像してみるのが楽しい一首である。
 仮に、「ああ、憎い。そして愛しくて愛しくてならない。あなたのあそこが。こんなに憎くて、愛しくてならない物は、私一人で独占したい。だから、私はあなたのあそこを、この果物ナイフでちょん切ってしまおう」などと、往年の阿部定紛いのことを彼女から言われ、迫られたような「修羅場」を想定する。
 すると次に、その「修羅場」に於いて、最初、伊藤夏人さんのあそこが、夏の夜に子供たちが興じる安物の線香花火の火玉のように「じゅー」と音立てて消えたかと思うと、それに続いて下半身全体が消え、やがては伊藤夏人さんの逞しい肉体全部が消え失せてしまって、結局難局、危機一髪の所で、伊藤夏人さんが、その「修羅場」を脱してしまったなどという場面が想定される。
 作中の「切望」の一語が、消え入りそうな私の想像力を掻き立てたのである。
  〔返〕 その挙句修羅場脱した彼氏だがそれからずっと立つもの立たず   鳥羽省三


(髭彦)
   ル・グウィンのSFまでも百円で売られにけりなブックオフでは

 さすが髭彦さん、お題「SF」が<全角>になっている。
 「ル・グウィンのSFまでも百円で売られにけりなブックオフでは」とありますが、拙宅最寄りの
「ブックオフ」では、「ル・グウィンのSF」どころか、栗木京子著『けむり水晶』、坂井修一著『牧神』、澤村斉美著『夏鴉』、岩田正著『和韻』、奥村晃作著『ピシリと決まる』といった希覯本まで、たった105円で売って居りました。
 しかも、<謹呈>栞付きの美本です。
 そうした中でも、特に哀れをとどめたのは澤村斉美著『夏鴉』であり、これにはそれほど達筆とは思えない自筆の謹呈栞が添えられて居りました。
 「ブックオフ」の経営者やアルバイト店員の不見識にも程がありますが、それ以上に憎らしいのは、著者から歌集を「謹呈」されながら、読みもせず、謹呈栞も取らないで「ブックオフ」に売り払ってしまった有名無名の歌人どもです。
 その昔、神田の日本書房には、国文学関係の学術書が、宛名入りの封筒に入ったままで平棚に並んで居りました。
 また、その頃には、同じ神田の小宮山書店の特価品台に、あの塚本邦雄氏の歌集が山積みされて居りました。
 歌人や歌人ちゃんの皆さん、歌集を出すならインターネットで。
 インターネット歌集なら、「ブックオフ」の105円棚に並べられる恐れがありませんよ。
  〔返〕 ブックオフの105円棚に並べられ綺羅も褪せたり『けむり水晶』   鳥羽省三
 近頃の私は、あのブツクオフの105円棚に、栗木京子歌集『しらまゆみ』が並ぶ日を心待ちにして居ります。
  〔返〕 早々と『しらまゆみ』一冊並びたり 紀伊国屋書店否(いな)ブックオフ   鳥羽省三


(高松紗都子)
   SFの入口として幾たびも我をいざなう夏への扉

 「夏への扉」とは何か?
 それは、梅雨明けのくっきりと晴れ上がった空でありましょうか?
 それとも、<井上陽水・オン・ステージ>のオープニング曲『恋の神楽坂』でありましょうか?
 或いは、本作の作者・高松紗都子さんが気晴らしに飲みに出掛けた<スナック・夏>の「扉」でありましょうか?
  〔返〕 気晴らしに出掛けた団地の夏祭りバーバや婆々のふらフラダンス   鳥羽省三
 やや非情とも思われる一首ですが、昔気質の私には、「あられも無い。何もあそこまで」と思ったりもするのです。


(ひじり純子)
   図書室の貸し出しカード好きな子の名前を追って読んだSF

 私の知り合いにも、本作に見られるような過程をたどって<読書家>と言われるようなレベルに到達した人がいる。
 但し、彼女の場合は本作の場合とは異なり、「SF」ではなく時代小説であるが。
 その動機はどんなものであれ、彼女は、司馬遼太郎、池波正太郎、藤沢周平、などの作品を読破し、現在は『大菩薩峠』に挑んでいると聞く。
  〔返〕 申すなら図書室版のストーカー千夜千冊読んだら偉い   鳥羽省三   


(龍庵)
   SFに分類されし哀しみを星新一は語っているや

 上場企業・星製薬株式会社の社長を務めて事もある「星新一」の作品の多くは、「SF」と言うよりも「ショートショート」に分類した方が適当な作品である。
 彼には、また、父親や父の恩人・花井卓蔵らを描いた伝記小説『人民は弱し 官吏は強し』や『明治・父・アメリカ』などの作品もある。
 したがって、彼「星新一」を「SF」作家と分類する文学史家が居るとしたら、彼は文学史を知らない文学史家でありましょう。
  〔返〕 「SFは社長同様余技です」と星新一は語るだろうか?   鳥羽省三
 

(中村梨々)
   階段を踏み外したらSFの本を抱えたアリスに出会う

 「階段を踏み外したら」とは、言わば「奈落の底に転落したところ」ということである。
 「奈落の底に転落したところ」、其処に待っていたのは、あの「アリス」であった。
 しかも、あの「アリス」は「SFの本」を抱えて、本作の作者を待っていたのである。
 「アリス」とは<救済者>の別名であり、その救済者の「抱えた」「SFの本」とは<SF世界へ旅立つ地図>であり、<方位磁石>でもある。
 と言う訳で、この一首は、作者・中村梨々さんの<転落と救済の物語>である。
 「階段を踏み外し」て奈落の底に転落し、その転落の挙句に「アリス」と出会って救済された中村梨々さん。
 救済された彼女は、救済してくれた「アリス」に導かれて「SF」の世界に旅立って行ったのである。
  〔返〕 SFの世界で我を待つものはSMかしらと期待もしたり   鳥羽省三


(酒井景二朗)
   SFの舞臺のやうな團地裏拔ければ芒一面の原

 団塊世代の人々の多くが育ち、青春を過ごしたのは「團地」である。
 1950年代半ばに始まった團地建設は、1970年代半ばから1980年代にかけてそのピークに達し、いわゆる団塊世代の人々の多くは、その中で育ち、その中で青春の夢を紡いだり、挫折を味わったりしたのである。
 しかし、彼らが巣立って行った後の「團地」は、彼らにとっては、青春の夢の跡となってしまい、本作に見られるように、「SFの舞臺のやうな團地裏拔ければ芒一面の原」となってしまったのである。
  〔返〕 団地とふかなり汚れて蒼ざめて尾花そよげる夢の跡にて   鳥羽省三 


(五十嵐きよみ)
   SFにさほど興味はないけれどブラッドベリなら好きでよく読む

 「SFにさほど興味はないけれど」とまで言わせてしまうのは、本作の作者に相応しくない見得である。
 何故ならば、<レイ・ブラッドベリ>と言えば、現代アメリカを代表するSF作家であり、彼の代表作『華氏451度』や『火星年代記』などは、「SF」そのものだからである。
  〔返〕 SFとオカルトの間に引く線よその線越えぬブラッドベリよ   鳥羽省三
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一首を切り裂く(030:秤)

2010年06月11日 | 題詠blog短歌
(黒崎聡美)
   天秤のゆれ終わらせず分銅をひっそり載せて満ちるしずけさ

 「天秤のゆれ終わらせず」と「分銅をひっそり載せ」とは、一見、矛盾した行為のようにも思われるが、決して矛盾しては居ない。
 「しずけさ」は、そうした敬虔で日常的な行為の中に「満ち」ているのである。
  〔返〕 天秤の揺るるほどなる地震(なゐ)ありてその夜わたしは愛されてゐた   鳥羽省三


(南葦太)
   実用上秤量精度100g程度で済んでしまう日常

 「実用上秤量精度100g程度で済んでしまう日常」という一首に於ける「日常」とは、最近肥満気味の南葦太さんの体重測定の場面程度の、ごく限られた範囲内での「日常」でありましょう?
  〔返〕 ナノグラム単位で量る微妙さを示せ詠歌で南葦太氏   鳥羽省三


(斉藤そよ)
   天秤はゆれていなさい白黒をいわずしずかにわずかにずっと

 「天秤はゆれていなさい白黒をいわずしずかにわずかにずっと」とは、なかなかに厳しく細やかなるご叱責。
 「お前如きが物や者の重さを量ろうなどとは不届き千万」という訳なのでありましょう。
  〔返〕 天秤は揺れていなさい白黒は裁判員がきちんとつける   鳥羽省三


(髭彦)
   秤売る古色蒼然類なき店のありたり宮益坂に

 「宮益坂」に確かそのような「店」がありましたね。
 渋谷駅から青山通りに出る時、私はいつもその「店」の前を通るのですが、「古色蒼然類なき店」とは、言い得て妙な表現と思われます。
  〔返〕 秤屋は検定登録制度下の商売だから古色蒼然   鳥羽省三


(中村成志)
   そそくさと去る者ありてみぎひだり秤の針は揺れ続けおり

 「そそくさと去る者」は一体どんな理由があって、その場を「そそくさと」去ったのか?
 また、「そそくさと去る者」があった事と「秤の針」が「みぎひだり」に「揺れ続けて」いるのとは、どんな関係があるのか?
 「そそくさと去る者」がその場を「そそくさと」去った理由も分からないし、去った事と「秤の針」が「みぎひだり」に「揺れ続けて」いる事との間も、関係が有りそうで無さそうで有りそうで無さそうな感じなのであるが、そうした点が、この一首の魅力なのである。
 「秤の針」が「揺れ続け」ている間、私たち読者はその針を見つめているだけであるから、「そそくさと」去った者についての事はなに一つ明らかにならない。
  〔返〕 ぶつくさと言ふ者も居てその間にも秤の揺れは止まらざりけり   鳥羽省三


(アンタレス)
   損得を常に秤にかける人人の心は計り知れぬに

 「計り知れぬ」と判っているのに、「損得を常に秤にかける人」が居るから「人の心は計り知れぬ」と言うのでもありましょうか。
 でも、「損得」の勘定はともかく、人間というものは明日はどうなるかも分からないから、「計り知れぬ」とは知りつつも、自分や自分の身の回りのことなど、もっと大きく言えば、我が国の政治情勢や経済情勢、或いは国際的なそれについても気にかけたり、計ったりしているのではないでしょうか。
 そうしたことが即ち、<生きている>ことではないでしょうか?
 近頃の私はあるがまま、ふらふらするままに生きております。
 ふらふら揺れることを恐れずに生きております。
  〔返〕 計り知れぬ人の心を計るから秤はいつもふらふらしてる       鳥羽省三
      あるがままいつもふらふら揺れるまま計り知れない気持ちで生きる    々


(行方祐美)
   秤量瓶に溜まる吐息か昼過ぎて窓にゆつくり降る雪がある

 化学実験に行き詰った時など、化学専攻の学生たちは試料の代わりに「吐息」を「秤量瓶」に吹き入れたり、それを天秤にかけたりして無聊を晴らすのである。
 そうした折も折、実験室の「窓」に向かって、「ゆっくり」降って来る「雪がある」。
 その「雪」を見て、学生の一人が溜息を吐きながら言う。
 「ああ、この雪と秤量瓶に溜まった私の吐息とは、いったいどちらが重いのだろうか? おそらくはこの瓶の中の私の吐息の方が重いに違いない」などと。
  〔返〕 その内のうっすら曇る秤量瓶雪の舞い散る硝子戸に似て   鳥羽省三


(水絵)
   遠き日の天秤棒で売り歩く 夏の訪れ風鈴金魚

 一見すると、詠い出しの「遠き日の」は単なる字数合わせ、音数合わせのようにも思われる。
 だが、金魚売りや風鈴売りが担いでいる「天秤棒」が、彼らの歩みにつれてふらふらと揺れる様は、いかにも「遠き日の」風景といった感じであり、また、「遠き日の」という詠い出しは、そうした昔懐かしい光景を導き出すのであるから、この五音は単なる音数合わせ、字数合わせには終わっていないのである。
  〔返〕 遠き日の羅宇屋辻占よみがへり歩みも果てぬ谷中千駄木   鳥羽省三


(原田 町)
   天秤棒かつぎ金魚売る声のこだま探せり本郷界隈

 二句目の韻律の悪さを解消する為には、「金魚」を「きんとと」と詠ませる手もあるが、「金魚売る声の」を「金魚を売る声の」とする手もありましょう。
 本作は、前掲の水絵さん作の趣きに、「本郷界隈」という具体的な地名を入れて、よりイメージを鮮明にした点が手柄である。
 農学部構内などの鬱蒼とした木立をイメージすれば、「こだま探せり」という四句目の措辞が有効に働いていることが理解されるのである。
  〔返〕 売り声のこだま探してたどり着く本郷弥生農学部前   鳥羽省三


(野州)
   谷中銀座のメンチ肴に飲む酒の恋と食欲秤にかけて

 「谷中銀座のメンチ」を「肴に飲む酒」の味は、「恋」の甘さと「秤にかけて」も釣り合う程に旨いと言うことでありましょう。
  〔返〕 たかがメンチされどメンチの旨さかな剣菱三合熱燗が佳し   鳥羽省三


(理阿弥)
   「善人」の肉一ポンドと公正をはかりそこねし秤ありけり

 中世イタリアのヴェネツィア共和国には、そんな「秤」も在りましたね。
 確か<沙翁>とか言う方の作だったとか?
  〔返〕 金貸しのシャイロック馬鹿 人命と金が釣り合う訳は無いよね   鳥羽省三
      「沙翁とは俺のことか」と言う人の顔のコインも命に勝てぬ      々


(鮎美)
   天秤座のきみの打つときシンバルの左と右のいづれの鳴るや

 「天秤座のきみ」は鼓笛隊の「シンバル」奏者なのであるが、彼は左利きだから、彼が「シンバル」を「うつとき」は、彼の右手が握っている「シンバル」が鳴るのである。
 何故ならば、彼の左手が握っている「シンバル」はお仕置をする側であり、左手が握っている「シンバル」はお仕置をされる側なのである。
 お仕置をする側が泣いて、お仕置をされる側が泣かないのは、通常、在り得ないからである。
 本作の作者・鮎美さんに一言。
 「理路整然と思考すれば、どんな難題も解けるのである」とは鳥羽の屁理屈。
  〔返〕 天秤座の彼はのっぽで黙り屋でテンポ遅れてシンバル鳴らす   鳥羽省三
 我が家の長男が学童だった頃、彼が通っている小学校には、運動会での鼓笛隊演奏に命を賭けているような感じの音楽選科の先生が居て、その先生の指導に逆らった児童は、強制的にリコーダー組やカスタネット組に入れられてしまうとの専らの噂でした。
 私の家の長男は、最初、鉄琴組の一員でしたが、ある練習日に歯科医院の治療に出掛けたら、その次の日からリコーダー組に入れられて、親馬鹿の私をがっかりさせました。

 
(虫武一俊)
   砂、瓦礫、廃墟、亡骸、風の音、砂、瓦礫、廃墟、亡骸、風の音、天秤のない街、交差点
 
 「砂、瓦礫、廃墟、亡骸、風の音」と、不快感しか感じられない語句を上の句に列挙した挙句、「天秤のない街、交差点」と、イメージ転換をしたようなしないような感じで収束させるのは、いかにも「無足場ワンダーランド」の世界である。
 よくよく考えてみると、街角や交差点に「天秤」が無いのは当たり前のことであるが、この作品はこの作品なりのシアリティーが感じられる。
  〔返〕 街角に電子天秤置いていて空気の汚れを量る行政   鳥羽省三


(揚巻)
   錆びついたおばあちゃんちの台秤「きしきし昭和すぎし」と鳴くよ

 「『きしきし昭和すぎし』と鳴くよ」が宜しい。
  〔返〕 寂びついたお婆ちゃんちのラジオにて広沢虎造唸って居るよ   鳥羽省三


(飯田和馬)
   アヌビスが秤にかける心臓が移植をされたものならどうか

 「アヌビス」は<ミイラ造りの神>とされ、<医学の神>ともされているが、<ラーの天秤>を用いて死者の罪を量る役目をも担っていたとされている。
 この一首は、そうした事柄に精通している飯田和馬さんの作品に相応しい佳作である。
 ところで、「アヌビスが秤にかける心臓が移植をされたものならどうか」とあるが、「どうか」の先はどうなっているのでありましょうか?
  〔返〕 「どうか」など問いかけたまま焦らしてるいつもの遣り方手馴れた一首   鳥羽省三


(高松紗都子)
   目盛なき秤のように大らかに吾子をささえる母でありたい

 大変失礼ながら、それを以って<盲目の愛>と言うのでありましょうか?
 「大らかに」はややもすると「大まかに」と区別がつかなくなり、その結果として、途轍も無く野放図な育て方をしてしまうことにもなりかねません。
 <釈迦に説法><賢母に子育て>とは承知しながらも、一言知ったかぶりをさせていただきました。
 重ね重ね失礼申し上げました。
  〔返〕 針の無い秤の如く揺れもせず量りも出来ぬ無償の愛を   鳥羽省三


(中村梨々)
   屋根裏で秤がひとつ朽ちてゆき、まぶしい夏が差し込んでくる

 「屋根裏」で「朽ちて」ゆく「秤」とは、あの昔懐かしい、十六貫目入りの米俵を量る、鉄製の台秤でありましょう。
 米の配給制度が有名無実化して、供出米という制度が廃止されてからは、あの台秤たちの多くは、農家の納屋や「屋根裏」に格納されたまま、朽ち果てて行ったのでありましょう。
 「屋根裏」に「まぶしい夏」の光が「差し込んで」来て、その光を浴びながら、昔懐かしいあの台秤が、何の役割りも果たせないままに「朽ちて」行く。
 中村梨々さん、一世一代の傑作かと思われます。
 「でも、手柄を急がれるあまり、思わず不足の無いご年齢をあからさまにしてしまいましたね」などとも書こうと思いましたが、それは止めにしておきましょう。
  〔返〕 本当はお料理用だったりもして深読みの鳥羽また勇み足   鳥羽省三


(五十嵐きよみ)
   材料をいちいち秤に載せないと慣れないお菓子づくりは不安

 それはまた「不安」なことですね。
 でも、「上手の手から水が漏れ」という諺もありますから、「材料をいちいち秤に載せ」てやるのが一番手堅い方法かとも思われます。
  〔返〕 歌詠みもいちいち指を折ったりし意外に手堅い五十嵐さんだ   鳥羽省三  


(牛 隆佑)
   二十年かけて集めた天秤の一つ一つを狂わせてから

 本作の作者・牛隆佑さんは、「天秤」のコレクターでありましょうか?
 「二十年かけて集めた天秤の一つ一つを狂わせてから」、あの<開運!なんでも鑑定団>にご出演なさるおつもりなのでありましょう。
 「二十年かけて集めた天秤の一つ一つを狂わせてから」のご出演だけに、お値段の程は計り知れません。
  〔返〕 二十年かけて集めた天秤のふらふら揺れて値踏みされたり   鳥羽省三  


(丸井まき)
   人生を象徴してる産まれたら一番最初に秤にかけられ

 そう言われてみれば、確かにそうですね。
 私たちの人生は、最初から量られていたのでした。
  〔返〕 風袋抜き三千八百二拾グラム丸井まきちゃんまるまる肥えて   鳥羽省三


(じゃこ)
   きゃあきゃあとはしゃぐふりして女子たちはシーソー遊びで密かに秤

 「きゃあきゃあと」「はしゃぐふりして」いるが、「女子たち」には油断が出来ぬ。
 「シーソー遊び」の最中でも、彼女らは「密かに」、友だちを「秤」にかけていたのである。
  〔返〕 「きやーきゃー」とおデブはしゃぎてシーソーの上がり下がりの体重測定   鳥羽省三
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一首を切り裂く(029:利用)

2010年06月10日 | 題詠blog短歌
(時坂青以)
   片付ける利用者の癖想像すこの配置なら君左利き

 本作の作者・時坂青以さんは、色鉛筆やマジックインクといったカラー筆記用具の無料貸し出しセンターを自主運営なさって居られるのでありましょうか?
 「左利き」の「君」だから、逆に「配置」したとは慧眼である。
  〔返〕 時折りは一本足りなくなったりし頭に来ちゃうことなどもある   鳥羽省三  


(詩月めぐ)
   お互いの心の隙間埋めるため利用しあっただけだった よね

 気取らずに正直に言ってしまえば、それが<愛>や<恋>というものの本質なのかも知れませんよ。
 末尾の「よね」は、捨てられた女性のお名前のようにも思われます。
  〔返〕 <よね>という名前が辛気臭いから捨てられたのかも知れないの よね   鳥羽省三


(穂ノ木芽央)
   自らの利用価値など判らぬさ天に預けて嗤ひつづける

 「自らの利用価値」の判断を「天に預けて嗤ひつづける」とは、さすがに「白紙委任状」の管理者に相応しい覚悟と思われる。
  〔返〕 オバマ氏の利用価値さえ判らずに宰相捨てた男も居るさ   鳥羽省三
      自らの涙の価値を利用して内閣瓦解させた福島         々


(青野ことり)
   再利用できそうもなく朽ちてゆく後悔だとか失言だとか

 <後悔先に立たず>という言葉もありますが、一般的に言うと、人間というものは、激しく「後悔」しなければならないような「失言」をしてしまったような場合には、其処から必ず何かを学ぶはずです。
 それが「後悔だとか失言だとか」の「再利用」というものでありましょう。
  〔返〕 そのままに朽ちて行くよな後悔は後にも先にも決して在らず   鳥羽省三


(すくすく)
   ビル風が吹き上がるのを利用して空へ翔びたくなる昼休み

 それも一種の<上昇志向>というものでありましょうか?
  〔返〕 ビル風が吹き上がるのを利用して社内機密を空まで飛ばせ   鳥羽省三 


(夏実麦太朗)
   忘れるな市立図書館利用券ふいに家出をしたくなるとき

 「忘れるな市立図書館利用券」とは、平成日本の読書人階級たる夏実麦太朗さんらしい発想ではある。
 それはそれで宜しいのであるが、気になるのは、「家出」と言っても彼の「家出」は自宅からせいぜい十km以内ぐらいの範囲での「家出」だということである。
 夏実麦太朗さんの超ささやかな「家出」と比較的に思い出されるのは、都・パリーのアパルトマンの窓から見える景色が貧しいからとて、幾海里離れた南の島まで逃れて行ったあのフランスの画家の家出や、長安での官衙の柔らかい椅子の座り心地が悪いからとて、遠く西蔵まで旅立って行ったあの詩人の家出など、超馬鹿でかい「家出」なのである。
  〔返〕 置いてきた女房殿とばったりと閲覧室で遇ったりもして   鳥羽省三


(中村あけ海)
   始末書の例文集が庶務課にはありますどうぞご利用ください    

 庶務課中村課長が目配りをして置かなければならない範囲は、かくも広いのである。
  〔返〕 <内部告発>例文集は庶務課にはありませんからどうぞ任意に   鳥羽省三


(邑井りるる)
   <悪用を禁ず>る眼鏡は本当にスカート覗きに利用できるか

 ただ単に「スカート覗き」をする為ならば、何も高価な「<悪用を禁ず>る眼鏡」などを購入する必要は全くありません。
 また、「スカート」を透かして女性の体の秘部などを覗こうとする場合には、いかなる「眼鏡」を使ってもそれは不可能です。
  〔返〕 「覗き見は心の問題、道具ではありませんよ」とその道の師は   鳥羽省三


(畠山拓郎)
   夜もすがら溶け合うような愛しさで私的利用をしてみたい夏

 何を「私的利用」するのでしょうか?
 「夜もすがら溶け合うような愛しさで」と言う叙述がそれを説くヒントと思われるが、考えれば考えるほど、淫猥な答を出してしまいそうになるから困るのである。
 それにしても、真夏の「私的利用」は、いささか熱過ぎはしませんか。
  〔返〕 裏庭に南瓜の種を蒔いたからハロウィンには私的利用せよ   鳥羽省三


(理阿弥)
   ペンキ屋の余剰在庫を利用せしベビーピンクの母校はるかに

 「骨の髄まで冷え切っている北海道経済」などという見出しが新聞紙上に躍っていたのは、つい昨年のことでした。
 「ペンキ屋の余剰在庫を利用せしベビーピンクの母校」が登場したのは、その頃のことでありましょうか?
 もし、そうならば、それは帯広市当局による極めて有効な民間企業救済策かと判断されます。
  〔返〕 外壁がベビーピンクの教室で学びて元気十勝の児らは   鳥羽省三


(原田 町)
   細々と薄き文字にて記されし利用規約は読む気を失くす

 同感です。
 ウィンドゥズなどのあの「細々と薄き文字にて記されし利用規約(書)」は、何方でも「読む気を失くす」ように思われます。
  〔返〕 細々と薄き文字にて記されしあべさんからの水色の手紙   鳥羽省三 


(五十嵐きよみ)
   再利用できないままにためこんだリボンや包み紙があふれる

 この一首を以って、私は五十嵐きよみさんの人間的、庶民的な側面を覗かせて頂いた様な気が致します。
  〔返〕 南仏のリヨンで買ったチョコレートそれを包んだ紙やらリボン   鳥羽省三 


(佐藤紀子)
   利用価値ほぼ無くなりて姿消す会葬御礼のテレフォンカード

 私も、かつて集めたテレカの処分に無い頭を悩ませて居ります。
  〔返〕 来月でバスカードなども廃止され切れるカードはVISAカードだけ   鳥羽省三
      無い腕が時々痛むゲゲゲのゲ金に恨みは数々御座る            々


(黒崎聡美)
   十代の夜にうまれた詩の束を再利用せず火はゆきわたる

 「詩」というものは瞬時に生まれ、瞬時に消え去るものでありましょう。
 その瞬間の命の「詩」を「再利用せず」に、潔く焼却してしまった作者・黒崎聡美さんこそ、本物の詩人と申せましょう。
 焼却炉内を「ゆきわたる」「火」は、かつてのあなたの命のともし火であった「詩」を間違い無く永遠のものにしてくれるのでありましょう。
  〔返〕 聴いてるとしみじみ儚さ偲ばれる尾崎豊の『十五の夜』は   鳥羽省三     
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