鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」

連載中の「ぷらっとウオーク」などをまとめました。

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」・・・我が家のスキーと登山の思い出②

2018-03-25 | 「ぷらっとウオーク」 2017年~

我が家のスキーと登山の思い出②

                                                                               高知ファンクラブ、No.189、2(2018)

鳥海山と「お見合い」

 ようやくギブスが取れた5月中旬に、「お見合い」の話が持ち上がった。まだまだ結婚する気はなかったのだが、怪我の所為で少し気が弱くなっていたらしい。お見合いの場所は青山通り、でもかき氷の旗が出ている団子屋さんである。この時、ちえ子さんは東京女子大学を卒業し、すぐに名古屋の金城学院中学に就職し、英語を教えていた。両親の居る東京を離れて、縁もゆかりもない名古屋に赴任するとは、勇気のある、変わった女の子だなと思った。

 鳥海山に向かったのは3月上旬である。いつもの山仲間の2人と一緒である。羽越本線の吹浦駅で降りて山と反対側の海に向かった。登山靴を海水で濡らすためである。海抜ゼロから2236mまでの登山である。無人の営林署の小屋に一泊する。快晴の翌朝、スキーを横に乗せたザックを肩に、快調に頂上を目指す。この山域に居るのは我々3人だけである。頂上では何時ものように、握手をして「ありがとう」を交換する。山が許してくれたから、この仲間と巡り合えて一緒に協力したから、頂上に立てたのだの思いがこの握手には込められている。「山を征服した」は我々の感覚ではない。

 雪質の変化するところで、足を取られ不覚にも転倒した。捻挫したと思った。これからの降りが思いやられるな、片足加重の斜滑降だけで降りられるだろうかなどと、咄嗟に考えた。雪の消えるところまで来て、先に降りた仲間が呼んでくれたタクシーで駅に向かう。夜行列車で上野に戻り、母に電話を掛けて、病院に直行。くるぶしの骨折だった。仲間は返す刀でもう一山と言って途中下車して行った。

 「あの時、足を折らなかったら、まだ結婚する気になっていなかっただろうね。あなたとの出会いもなかったと思うよ」と言うような話をすると、ちえ子は「そんなこと言う必要のないことでしょう」と不機嫌になっていた。

ツエルマットからのマッターホルン

 金属間化合物の国際会議がスイスのヌシャテルで開かれた。会議に出席する前にツエルマットで3泊した。快晴の中、ゆったりとスキーを楽しむことができた。マッターホルンを背にしての滑りは最高である。尾根の向こうのイタリア側へ滑り込みたい衝動に駆られる。ゲレンデからも、街角の家々の間からも、ホテルの窓からも、見上げるような位置にマッターホルンが見える。ちえ子は「何処に行っても付いてくる。私達を見張っているようで、気に入らないね」と贅沢なことを言っている。私は10年ほど前にここに来ているが、見ることが出来なかったのである。

 料金を乗った回数で割って、1日券の元を取ったかを確かめる。スイスのスキー場、ツエルマットで3日券を購入した。スイス・フランをドルへ、ドルを円に換算、それを乗った回数で割るような暗算は、すぐにはできない。

 100人が定員のロープウェイに乗る。乗客が首から下げている搭乗券のほとんどが、写真付きで週単位が多い。有効期間3日以上にでは顔写真が必要になる。豪華な3日間のリフト券の筈であったのだが。ゲレンデの中のプチホテル前を滑り過ぎると、「あの年配のご夫婦はさっきからデッキチェアに座ったままだよ」とちえ子が気にしている。「あの夫婦は割り算などしないだろう」と答える。

 国際会議の受付を済ますと、旧知のアメリカ人研究者が声を掛けてきた。「スイスに何時来ましたか」、「ツエルマットやグリンデルワルトのスキー場はどうでしたか」と矢継ぎ早の質問攻めである。「スキーヤーのほとんどは1週間、2週間など、週単位の搭乗券が多いので吃驚しました」に対して、「その連中の違いに気が付きましたか」とジョークを思いついた顔つきで攻めてくる。「1週間はドイツ人、2週間はアメリカ人、3週間はフランス人だよ」と来る。「日本人は3日だね」とお返しをする。でも、ゲレンデで出会った日本人スキーヤーは「3日も滑るのですか。羨ましいな」と言っていたのである。

スキー学科卒の葉子

 採用試験の解禁日が近づく頃、「大手町や丸の内のオフィス街のと非yか敷いていたOLになりたいのだったら、どこが良いか言ってご覧。恥を忍んで大手の企業に頼みに行っても良いよ」と娘に尋ねた。「ありがとう。でも、スキーのインストラクターなりたいの」が彼女の答えだった。

葉子は甲子園に応援に行けるような高校が良いといって、桜美林高校を選んだ。入学した年の夏に西東京代表になったのである。桜美林大学に進学したが、専門はスキー学部スキー学科であり、クラブ活動が英米文学科だったと言った方が適切に思われる。「パパの教えてくれたスキーは全部インチキだよ」が初めてのスキー合宿から帰って来た時の報告であった。おむつが取れる前には肩車で滑り、その後は股の間に挟んで滑ったのである。

志賀高原や裏磐梯猫魔でのSIA(日本スキー教師連盟)のスキースクールでの冬の生活が始まった。「全くの季節労働者だね」と冷やかしていた。ちえ子と2人でスキーを担いで仕事ぶりを見に行ったものである。

偶然ではあるが、ちえ子の母の従兄弟の天野誠一さんがSIAの会長だった。「そんな偉い人が親戚に居るなど信じられない」が葉子の口癖であった。

 

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」高知ファンクラブに掲載 2017年~

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次のつづき(2016年~現在に至る)

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次のつづき(2012年~2015年

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次のつづき(2008年~2011年)

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次(2002~2007年 )



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