赤穂浪士の討ち入りといえば、長年、映画や講談などで語られて来たイメージだが、歴史研究家や探訪者の中には、調べれば調べるほど、この解釈はおかしいのではと云う見かたが出てくることがある。
人間というのは、幼い時から慣れ親しんだシナリオを信じ込み、それからはみ出した物を見ると、チト、これは違うだろう、自分の知っている知識こそが正しく、それから外れたものは、ウソの物語、ニセモノダァ~と考えてしまう事がある。
浅野内匠頭と吉良との葛藤・刃傷の原因すら不明という不思議な大事件「忠臣蔵」。松の廊下から赤穂浪士討ち入りに至るまで、事件の真相を当時の史料から読み解く事とはー。
日本の文化は共感が大事にされます。モノの考え方に、相手を敬い「本音と建前」を、お互いの内情を察して、考慮し合う交渉が行われて来た。
当時は、そこに武士道という精神が、色濃く残る。
「本音と建前」という文化は日本だけの考え方ではない。それを横柄な態度や、間違った解釈をすると、世界中で大変な事態が起きる。
小名木善行氏の著書「家康が築いた江戸社会」の本の紹介のページの中に、赤穂浪士について、これまでとはまったく異なる解釈を施したものですと、「赤穂浪士の討ち入り事件」の記載がある。
チョッと長い文面だが、読めば然もあらん、面白く、なるほど腑に落ちる。
私も色々な角度から、忠臣蔵をここで、何度か話題にしたことがありますが、そんな中から、10年ほど前の文面、三話をご紹介。