ダックのパパママストア

商店街に有る、パパママストア。
  何を売る店? 今日は、何をお探しですか....? 商店街で起こる色々なこと。

人権フェスティバル

2015-11-30 18:11:12 | 社会

一人ひとりがちがうのは あたり前
         おなじなのは 命の重さ

これは地元小学生T・Rさんの人権標語コンクールの表彰式で発表なった標語の一つである。
素晴らしいですね、正に言い得て妙が有る。

新潟地方法務局新発田支局、新発田人権擁護委員協議会が今年応募した、中学生人権作文発表・人権標語コンクール表彰式を見ていて、中学生の作文発表を聞いて感心しました。

壇上に上がる姿、朗読の声、内容がしっかりしているのです。

この若い方々の感性の鋭さ、追求心には感激しました。

3名の方の作品が選ばれたのですが、1名の方が欠席でしたが、ロビーで大きく飾られた、その方の作文も拝見いたしましたが、最後まで引きつけられる文面で素晴らしい。

市長が挨拶でこの活動が始まって今年で20年目と、小、中学校の生徒にも人権の啓蒙と云う事なのだろう。

選ばれた標語発表は壇上に並んだ作者が朗読し、それに手話を話す小学生がその内容を会場に伝える。

こんなに手話を勉強した子供たちがいるのかと感心しましたし、人の為にガンバルと云う心をそだてた手話教室が我が町にある事が素晴らしい。

 しかし、人権の啓発を願おうと始められた法務省の委託事業だが、頂いたパンフやプログラムに粗品があっても、標語の書かれたコピーがないのです。

受付の係の方に、感心した内容が多いので、何処かに標語の印刷物でも有るのかと聞けば、そんなものは無いとの事。

せっかくのキャチフレーズ、多くの人々に広めようと云うスローガン。人の目に触れてこそ、何ぼの物だろうが、その努力が無い。

ただ表彰式は行いましただけでは、標語の良さは世間には伝わらないだろう。何のための標語募集だったのか?それが残念です。

私が若い頃、こんな事が有りました。郷土の歴史編さんが始まり、その成果が発表になり昔の様子が研究者の尽力で、より詳しく地域の事柄がわかり昔の地図も復元されました。

城下町は生業を地域名とした地域も多く、我が町も紺屋町「染物の商い」桶町(おけちょう)「木を材料にして器物を製作し商い」などの、製造を商いとする店屋や職人が住んでいました。

その流れで、女郎、遊郭の地域を〇〇と表記すると「差別ダァー」の声が地域を利用して上がり、郷土の歴史編さんの発表が大きく出来なかったのです。

今の時代それを生業に生活している人など、その地域にいる訳もないが、大きな看板を上げ「人権侵害ダァー」と騒ぎたてるのです。

人権の侵害とは、人に指差され、あらぬ中傷、誹謗を受ける事ですが、自ら騒ぎ立てる?その地域が昔こうだったと、住宅街を見ても若い人たちは誰一人知りません。風化された過去の歴史です。それをガナリ立てる?

ちょとオカシイですネ。

しかし、人権問題は多義に渡る。初めてフェスティバルに昨日参加してみて、良い勉強になりました。

と、いうのは、生物学者、池田清彦さんと清美さんの講演会と親子対談「多様性を尊重する社会~セクシャル・マイノリティと家族」があったからです。

池田さん親子の対談が、私は美男子の息子さんだと思ったが、お父さんの話を聞くと、実は女性なのだそうだ。

話を聞かなければ男性で通るでしょうそれぐらの方です。お互いのお話を聞いても不都合さはありません。

兄が2人いるそうだが、3歳の時、初めて女の子が生まれた池田家には待望の女の子。スカートをはく様に、親は勧めるのだが清美さんはガンとして受け付けない。お兄さんのお下がりを着るのだそうだ。「親は経済的に助かったでしょう」と清美さんの弁。

そんなエピソードから始まって、それから思春期やら葛藤が始まる訳で、それをどう対処してきたか?問題の個所を頭文字を取ってLGBTと説明されていました。

生物学のお父さんの話では、人間のDNAは99%が黒人でも白人でも違いは無いそうだ。 何処が違うのか?人間の脳には「前頭葉」「頭頂葉」「側頭葉」「後頭葉」と云う大脳がある。それと小脳、脳幹と説明されるのだが、最近分かって来た事で脳の中には〇◇■△★とかと云うヴイが有り、(何か漢字で書かれたのだが忘れてしまいました)それが大きいと女性らしく、それが小さいと男性らしい行動と考え方が、身体のつくりに関係なく出て来るのだという。

本来、身体のつくりとヴイは、多くは関連しているのだろうが、1.7%位の方に、脳のつくりと身体のつくりが違う表れ方があり、それがまた、そのヴイの大きさが中くらいの方もいる訳で、生きて来た環境もそうだろうが、身体のつくりと脳のつくりは人それぞれで、骨格と同様、全ての人が同じ形と云う訳でなく、簡単におまえオカシイとか言えないのである。

エンジンには、チョトうるさいがターボ付で、急発進、急加速に優れている物もあれば、静かに廻り続ける物もある。どちらが良い悪いの話ではない。

人間の脳も外見からだけでは分からない。構造上、好むと好まざるとにかかわらず、人それぞれ自然の成り行きで授かったものだ。

互いに認め合い自分らしく生きる。そう考えれば啓発活動の目標が見えて来る。~考えよう 相手の気持ち 育てよう 思いやりの心~

みんなで築こう 人権の世紀。

巷では、同性愛はまごうことなく異常と見られている。その様な気は、礼節、勉学、社会性で自らが整える事と考えられてきた。

人間の性分が、授かった脳のヴイの大きさで表れているとしたら、人格はともかくとして、人間性、性格まで直るのか?果たして、その葛藤の中で一生苦しみ抜いて生きねば成らぬのか?

TVのバラエティを見れば色んな出演者がいて、キャラクターを作っているのかと思っていたが、色々な脳のつくりの人が居て、百羽一からげには出来ないと云う事です。

そんな話を聞けば、人と接して思い当たる節がある。この活動が正しく認識され、広く人々に認知される事を望むものです。

人権標語入賞作品クリックすると大きくなります。

 

中学生人権作文コンテスト

    

      ◎思いやりの心を育てる事の大切さについて   ◎ 丈夫な手足                     

 

◎新潟水俣病から考えた事

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

バスルーム・コンサート Ⅱ

2015-11-24 18:24:51 | Modern Jazz

この所、ラグビーの話題が人気をさらっている。

息子がラグビーをしていた関係で我が家も多少なりとも興味が有り、ワールドカップ南アフリカ戦の時、家内とTVを見ていたのだが、日本が追い付いても、すぐにリードを許す展開で、これは負けるなと思いつつ観戦していたが、後半30分近くに五郎丸選手がトライを上げた時、我が家も歓声と両手が上がり、「これはヒョッとして行くかも知れない!」と二人で大興奮していた事思いだします。

大会はランキング1位に君臨し続ける世界王者ニュージーランド代表オールブラックスが史上初の連覇達成しましたが、この国はラグビーばかりでは有りません。

マリオ族の血を引くニュージーランドの生んだ国際的オペラ・スター キリ・テ・カナワがいる。

私がモダンジャズに興味を持ち出した頃、オーディオの話題でクラシックやオペラの愛好家の方とも話すようになり、ある方の影響なのだが、クラシック、オペラのCDが棚の中に何枚かある。

それまでクラシック、オペラなど、じっくり聴いた事などないのだが、クラシックを始めるのなら、モーツァルトからと、その人のお勧めで1枚1枚買っている。

CDの枚数は覚えてないが、8割方がジャズのCDで次に多いのが浪曲、ソプラノ、クラシック、その他と続く。

色々レパートリーも多岐にわたってま~す。

今はCDを聴く行為はもっぱら風呂の中で、湯船に浸かりスピーカーが一つのコンパクト防水のプレイヤーで聴いている。

 あんなに音にこだわりがあった頃と違い、これで十分楽しめる。

日本酒と同じですね。あの銘柄、この銘柄とこだわりの有った時と違い、今はふところに優しく、赤いパックに入ったお酒で十分。

今、バスルームで聴くCDは、もっぱら女性ボーカルが多い。今CDを買う事はないのだが、昔買ったCDを今日はこれと、繰り返し気分に合わせ聴いている。

そんな中から、キリ・テ・カナワのソプラノをお聞き下され。

先月、キリ・テ・カナワさんが 福島復興祈念ーコンサートのために、来日されました。

私も余裕があれば出かけるんですがネー。

とは言っても、そんな身分では御座いません。湯に浸かりCDを聴くので御座います。

モーツァルトオペラ・アリア集から、   『ツアイーデ K.334』   6:38   録音:1982年7月

https://www.youtube.com/watch?v=BXZ2hDbfTTg 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新発田南部線を行く

2015-11-18 20:33:04 | 散歩道

10月の中ごろ、お客様の御婦人が「良かったよう...」と言う。

話によると、旦那さんと「林道新発田南武線」と云う所をドライブして来たとの事。紅葉があり景色が良かったのだそうだ。

「ヘェーそれは何処ですか?」地元に居ながら、名のある所らしいのだが初めて聞く名だ。

聞く所によると、主要地方道 新発田 津川線、中々山バス停のある所。夏に行ったサイクリングロードの終点地。このまま進めば5月の末に、家内と末娘と初めて訪ねた滝谷森林公園へと導く。渓流の流れが清々しいキャンプ場がある。左に曲がれば内の倉ダムへ行く。

ここから少し行って┠字型の道路を右へ。大きな看板が出ているから分かると云う話で、家内と出かけたのが10月の25日。

看板は大きくは無いが有りました。「あなた、わき見運転はしないでネ」と家内から忠告を受ける。

車で紅葉見物と言えば、日光いろは坂、磐梯吾妻スカイラインを思い出しますが、規模の大小を言わなければ、我が町にも、いろは坂はあるのダッー!

良くマァーこんな山奥まで舗装をしましたネ。道路は狭いのだが、所々路肩の広い所があり、対向車との便宜が計られている。

標高は500m位有るのだろうか、結構高低差があり登ったり下ったりで、先は景勝地「剣龍峡」に通ずるが、こちらから来ると剣龍峡の看板は残念ながら裏向きだ。私は剣龍峡に来るのは何十年ぶりかの2度目。

前は、駐車場から橋を渡って探訪したのだが、今回は路肩の階段を下りて行く。

まだ、紅葉には紅の色がなく、後日また訪ねて見たい想いに駆られる。このまま進めば月岡温泉が見える所に出る。

しかし、「剣龍峡」手前までの南部線、この道はしっかり管理されていて、午後5時以後はゲートが閉鎖されるばかりでなく、11月15日以後は交通止めになる。

それは如何してか?この道をバイクでツーリングした事のある同期は、「実は不法投棄があるのだ」と言う。

その対策が取られ、ゲートが閉められる。ノー天気に紅葉ダァーなんて騒いではいられない。

お客さんの何人かに聞けばドライブした事がある方も何人かおられる。

登山家で山を愛するお客様の言うのには、紅葉には黄葉も有り、今の時期に紅葉してなければ、その木々には紅くなる樹木はないのだと言う。

しかし、紅葉するのは雪が降りそうになってからとか、太陽の照り様が、今年はまだ少ないとかも考えられるのではと、勝手な解釈で15日の最終日、家内を誘いまた行って参りました。

あいにくの空模様で前日からの雨でございます。

しかし、午後から晴れ間が有り出かけた訳です。

南部線のゲートを過ぎればドラマが始まる。これがデジカメでの最初の風景。

しかし、車が進み標高が上がれば山頂は雲が漂っている。今にも雨が降りそうだが、陽が漏れて虹が見える。

残念ながら今年は紅葉の時期を逸したか、来年時期を見て、また訪ねて見たいと思う。

天候が悪く今回は途中で引き返したが、内の倉ダムを眼下に見た事は新鮮な驚きだった。

  

 

写真、右側上部に内の倉ダムの湖面が見える。(小さい方の写真をクリックすると、でかく成ります。)

一年にわずか数カ月間だけ開通する、公が管理する幅員5m、約12㎞の広域基幹林道である。

つわもののサイクリング愛好者にも人気が有る様だ。今の歳になって、この林道を自転車で駆け昇ろうとは思わないが、私も昔、伊豆半島の山を自転車で登った事が有る。

我が町のいろは坂に興味のある方、わき見運転にはくれぐれもご注意を!

景色を眺めるのに所々駐車できるスペースが有ります。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新発田藩を大河ドラマに!!

2015-11-12 11:23:52 | 社会

 

新政府軍の最大の標的は徳川慶喜(よしのぶ)であった。ところが慶喜は、鳥羽伏見の戦いで薩長軍に錦旗が翻ると途端に戦意を喪失し、大阪城に詰めていた大勢の兵を置き去りにして、ごく僅かな供回りを連れ江戸へ逃げ帰ってしまった。
それ以来、江戸城も明け渡して謹慎の日々を送っている。
慶喜の首を取るどころか、江戸城攻撃すら、させてもらえなかった薩長のフラストレーションは、もはや爆発をみる以外に収拾できない状況になっていた。そこで慶喜に代わって次の標的にされたのが会津藩である。・・・(最後の決断 より)

上記は、戊辰戦争、越後四藩の苦悩をテーマに書かれた渡辺れいさんのある一辺だが、会津藩が長州・薩摩の深い恨みを買ったのにはそれなりの経緯があるのだと、真実に突き進む。

時勢の流れる中、朝廷は新発田藩に対しこれまで勤皇に尽力したことを褒め、今後もなお一層尽力するようにという趣旨の賞詞を与えた。

これまで長きに渡り、幕府に忠誠を就くし領民を守って来たが、大政奉還後、世の流をくんだか新発田藩の使者が、上洛しているのである。

越後に討伐軍を派兵するにあたって、戦略的に有効な軍事力を持つ味方を作っておきたかったし、新発田藩の場合もまず幕府や大藩への嫌気があると云うよりも、時代の変貌を感じていた。

それは長い間大きな圧力にさらされてきた外様の小藩としては当然の事であろう。
「勤皇」はその圧力と対抗できる新しい政治勢力であったが、奥羽列藩同盟が成立し、越後諸藩中、独り新発田藩のみ加盟しないのは、いかなる理由なのか?もし異論あらば手始めに事に及ぶぞと、仙台藩、米沢藩、庄内藩らの談判の申し入れがあり、会津藩の謝罪嘆願をはじめ、皇国のため尽力する形を取ることになる。

しかし、真意とは裏腹に先鋒隊を言い渡された新発田藩は、その代償に大きな犠牲を払うのである。だが越後の各藩が焦土とする中、その選択が城下を戦火から守り、領民の生命、財産を守り切る事になる。

歴史好きの知人がこれを読んでみなと、私のヒマそうな姿勢を見てとったか置いて行った一冊である。

文献を訪ね地域の歴史をひも解くとは、すごい女性が表れたと、読み始めの時、著者名を見て思ったのだが勘違いだった。

新発田藩初代溝口秀勝候は、当初六万石から十二代藩主の幕末には十万国大名として三百年余りをいき抜いてきたことは、並みの苦心ではなかったと思料される。
城壁の石組も威を張らず穏やかな曲線美を訪れる人々に優雅に優しく、今も古き時代を語りかけてくれる。
新発田城は十九万余りの領民の生きるシンボルとしての名城で有り、他と争う素振りなど少しも示していない。(城下町新発田新聞H14.12,2随想より)

新発田藩を取り巻く事情、思いと云うものが人それぞれ、ひしひしと感じられ面白い。

来年のNHK大河ドラマが「真田丸」主人公は戦国時代を代表する武将、真田幸村に決まった。

ヒーローの登場ということになるのだが、それはそれとして個々自体と云うよりも、今は地域全体の創生や、あり様が広く問われているのではないでしょうか?

外様でありながら取り潰しにもあうことなく、12代にわたってこの地を統治し続けるのである。

そんな歴代には小藩といえどエピソードが数々残る。塩止め事件の井上久助、討ち入りの安兵衛、与茂七騒動の大竹与茂七、30年に及ぶ仇討の久米幸太郎、杉田玄白の父も新発田の出身とか、話題には事欠かないが領民も奮起して新発田藩を擁護するのである。
そして大倉喜八郎の登場となる。
歴代の新発田藩の出来事をたどるだけでも面白い。

激動の中、新発田藩は如何生き延びてきたのか?これを1年間の大河ドラマで、仮称「外様・新発田藩!」なるものを脚本家杉山義法に書いてもらいたいと若い頃思ったものでした。

もはや其れは叶わぬ思いだが、ある地方の小藩は歴代の中で如何領民を守って来たか?そんなテーマにふさわしい地域ではなかろうか。

新発田藩を捉えた書物は多くは無いがそんな中、乙川優三郎著の「露の玉垣」には家臣や領民の生きざまが描かれている。

今月の14日には、300人を超すボランティアが一同に集まり、新発田城の一斉掃除が始まる。

毎年繰り返される、この光景は日本一と言われ、市民のお城への思い入れが伝わって来る。

 

追記 : 新発田城市民清掃隊で活躍されている御仁からメールが届きました。

    作業に入ったら、雨が止みました。南東の風で暖かったです。

    

殿様の銅像に最敬礼している人もいました。さすが城下町!

     受付での最終集計は約700名近くでした。

    飛び込みの企業もあり、事後処理は来週になります。

    高校生の活躍、指導にあたられた先生に頭がさがります。

    

    定着し、受け皿もあるこの行事、

    執行部の運営体制を真剣に考えなければならない時期が到来しました。

    これさえクリア出来れば、誇れる行事として永く続いて行くことでしょう。

    所で、「決断」読み終えましたか?

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

味の饗宴

2015-11-04 17:13:01 | 社会

今年は、我が家の柿が、通年よりも多く実った。収穫するのも日をおいて少しずつだったが、先日皆捥ぎおいた。昔は柿には余り興味が無く、熟したものが鳥の餌になるかの程度で振り向きもしなかったのだが、孫の美味しいの一言で、身体が動かされている。

家内も大変で、さわしたり、干し柿にしたり、「柿いる?」と、近所の方へ声をかけている。

別に肥料も何もやらないのだが、今年は気候が良いのか、何処も柿が豊作の様で、我が家にも「柿いる?」と知り合いから声が掛かる。

さて、食欲の秋といえば、当市を代表する老舗料理店と割烹の9店が、地場産の共通食材で味と技を競う「あやめ城下町おごっつおう祭り」が、10月1~31日に開かれた。

新聞チラシを見れば“旬の食材と料理の技”を味わう新発田の秋開幕!とある。

各店の料理の写真が夜の花嫁御前(5500円)、昼の花嫁弁当(2700円)と並ぶのだが、どれを見ても素晴らしい。

今年の共通食材は´柳かれい`各店が共通食材をどう料理したか料理の説明の中に、その部分は赤字で表されていて、私達にどう食させるのか?料理人のこだわり、アイディアが満載だ。

こんな料理を食せる方はウラヤマシ~かぎりだが、何と!昨日(2日)の夜、第12回おごっつおう祭りのフィナーレを飾る、食探訪「味の饗宴」に、地域交流センターへ出かけて参りました。

実は、婦人会のメンバーのお一人が当日キャンセルになり、「貴方行かない?」とチケットが廻ってきた訳で、婦人会は補助金があるのだが、私は6500円自腹で御座います。

おごっつおう祭り参加店が、先付けからデザートまで焼き物は何処何処の店、煮物は何処何処と、参加各店が一品ずつ担当し合い、料理人が一堂に会し、会席料理を提供する「味の饗宴」を行い、城下町の“おいしい秋”を締めくくるという寸法。

食探訪実行委員会の企てだが、この繰り返しが料理人に切磋琢磨の向上心を呼び、食文化の継承につながって行くのだろう。

今回は柳かれいではなく、特別料理として、とらふぐの薄造り、ヒレ酒が付く。

ヒレ酒の、お変わりはないが楽しんで頂きたいと挨拶があったが、車で来られた隣席のお客様やら、婦人会のメンバーから、これをどうぞとヒレ酒の酒器が、思いがけなく私の前に並ぶ。

テーブルには地元酒蔵のお酒やら、ビールがズラリと並んでいるのだが、おかげさまで香ばしい味わいを堪能して参りました。

丁寧な日本料理が次から次と運ばれて、椀物のが美味しいねと隣近所から声が上がっている。

お品書きには、叩き海老小鯛茶巾蒸し清まし仕立て いんげん豆 揚げ栗麩 柚子 とある。

具材の食感に十分な歯ごたえがありスバラシイデス。

毎年先着100名様かぎりで、10年ぶりの参加だったが、思わぬ人との出会いも有り、あのはつらつとした各店の2代目3代目も10歳、歳を取れば熟練の顔形に。

地酒や、お食事券、各店オリジナル商品の当たるお楽しみ抽選会は、地元だけでなく、近県からの来場者にも多く当たりが出て、時と共に、このお祭りが県外にも評判を呼んでいることが感じられた。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする