ダックのパパママストア

商店街に有る、パパママストア。
  何を売る店? 今日は、何をお探しですか....? 商店街で起こる色々なこと。

目鼻立ちの良いまちづくり・・・・。

2018-11-29 10:15:37 | 商店街

まちづくりに関しては、当市商工会議所や市議会で話題になる一件だが、先週その報告会が御座いました。

連合商店街の会合では、商工会議所が「まちの顔づくり推進協議会」を立ち上げて「目鼻立ちの良いまちづくりに向けて」と云う20数ページの提言書をまとめ、その報告書を頂いた。 

目次を見れば、「中心市街地の現状と課題」が述べられ、「目鼻立ちの良いまちづくりに向けて」その方向性と具体案が提示されていたが、内容のコメントは割愛するが、これらは大きな問題点で、自分達の手で如何すると言う事柄でもなく、一朝一夕では語れない。

それは厳しい現実が商店街を語っているからだと言うほかは無い。

この状況を漠然と受け入れ商売をしているとしたら、もうどうにでもなれと未来に向かう闘争心を無くしたか、これで後継ぎの世代にバトンタッチが出来るのかと問わられれば、残念ながら未来は無い。

当中心市街地の主な商店街の利用率をみると、1980年代後半以後、年々低下しており、2015年では各商店街とも、1%を下回る利用率となっている。

主な商店街の利用率を合計しても、1.2%程度(2015年)となっており、1990年代前半と比べると30ポイント近く低下している。

一方、当市内の郊外型店舗の利用状況をみると、ある調査では、郊外型ではいずれも、ほぼ100%近くの人が自家用車である。これに対し、商店街型においては、70~80%の人が自家用車となっているものの、10~20%程度の人が自転車・バイクや徒歩としており、商店街周辺の近隣住民の利用が伺える結果となっている。

このコメントは衝撃的で、商店街型と郊外型のグラフを見れば、1992年の町の商店街の中で、当商店街の買物地区利用割合を見れば3.2%それが平成15年には0.2と、他商店街も同じ傾向で、市内郊外型店の合計は72.8と大差。

明らかに閑散とした商店街のあり様を示しているが、「来てよし 見てよし 住んでよし」の機能の再構築の提言である。

空き店舗・空き施設のリノベーション・再開発。まちづくり会社の新設。市民の交流機会の増大。高齢者にやさしい・子育て世代にやさしく教育環境にすぐれたまち・若者が回帰・定住しやすいまちづくりと方向性が示され、具体案は..。

さて、如何進むか?

土曜日には、議会報告会が開催され、平成29年度の一般会計決算を審査した議員により、その決算審査関係を中心に9月定例会で審議された内容の報告を受け、市民との意見交換も行われ参加して参りました。

前回も話題になっていたが、ある地域の農場の悪臭が大問題になっていて、一向に解決しない事柄を市民から指摘する声が大きかった。

あと、観光行政で、お城の看板が無くなったり、観光の看板が少ないのではと、事を荒立てず、柔らかく指摘したら、「参考意見とさせていただきます」の答弁で終わりでございました。

 

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ゴーン・ショック

2018-11-21 17:39:00 | 社会

日産自動車が代表取締役会長の逮捕で揺れている。

カルロス・ゴーン氏についてはこのブログでも大分前に、何かの記事を見ての事だったのだろうが、年収2億円とかと記した事が有る。それが今は、報酬は年10億円前後と有価証券報告書に記しているにもかかわらず、約50億円もの報酬を過少に記載したとされる。

あとは根掘れ葉掘り語られていますが、日本人の道徳心からすれば大きな搾取ですね。

日本人の生業としての「会社」と云うイメージと相当な開きが有りますよね。

しかし、これには極めて不自然な点が多々あると云う記者がいる。

それを抜粋。

まず50億円相当の役員報酬について「不記載」というのが容疑だとされています。要するに「カネが動いた」ということが当面の罪ではなく、カネの動きについて「役員報酬として、株主に開示する有価証券報告書に記載する金額に入れなかったから逮捕するというのです。

勿論、これは一種の別件逮捕であって、そのカネが不正に払われたことは「背任罪」として日産からの告発が出て来るのを待って捜査されるのかもしれません。また、その50億について「脱税」の問題も出てくるかもしれません。ですが、「背任」や「脱税」ではなく「有価証券報告書への虚偽表示」ということで、まず身柄を確保に行ったというのは、やはり不自然です。

そこには何かがあるのではと記事が続くのですが、今日のお話しの要点では御座いません。

日本人が思う会社と、欧米人が思う会社のイメージがそもそも違うのです。

日本では、社長が一番偉く、社員を共に導いて行くもので、成果を上げる為に、一家をなし、丁稚奉公のなごりか、終身雇用が当たり前で年功序列の賃金体系と、日本では古くから多くの企業で慣行となっていました。

日本人が持つ、人の道を誤らぬ規律、道徳心からなのだろう。

しかし、近年欧米の能力主義の影響を受けるとともに、企業の規模や個人の能力が重視され、正社員であれば誰でも終身雇用が保証されるということは難しくなっています。

会社を語るのに、CEOとかCOOとかやたらに横文字が増えて来ましたネ。

そもそも会社の始まりは、王様だったか資産家だったかが、優秀な船長に船を預け、儲けは半々だが、大航海をやって見るかと話を持ちかけ、財宝を手に入れたのだと。

ここで言う船長は、会社で云えば社長です。航海が進んで船長に勝手なことをされては困ると、船長室と同じ様な一室にCEOと云うお目付け役が、乗船する事になる。

CEOは資産家からの目付け役で航海に出ますが、船員の面倒は見ません。儲けの半分を王様に届けるのが仕事です。船員を見るのは船長の役目で、食事から給料まで、半分の儲けの中から、まかないます。

これが株式の体系でモデルケースなのだろう。

大しけに合うかもしれない大海原に、船を提供して大冒険をする訳ですから、船に乗らなくとも儲けの半分はもらうヨと云う事ななのだろう。

日本では、目に届くその地域、地域の生業で生きる会社が多くあり、儲けの半分を搾取するという考え方はありませんでした。今は大航海の船がその地域にも来るようになり、あらゆる業態で、その大資本の影響を受け、地方経済は、縮小ムードなので御座います。

その事柄に付いてはいずれまた..。

 

 

 

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ブロック視察研修

2018-11-11 21:13:05 | 社会

当地区の保健自治会へ、毎年市からのお呼びかけが有り、日帰りツアーでの視察研修を行っている。

平日に行われるので、働き盛りの方々の参加は難しく、御年長者が多くなるのだが、一つの町内で、人を集めるのも大変で、1丁目から4丁目までの合同事業と云う形をとる。

毎年、何処へ行くかは、市職員を交えて協議をしているが、「他の町内会は何処へ行かれました?」が、良い参考ヒントになりますね。

今年は、“食に付いて”学ぶことを主な目的に、市役所のマイクロバスに乗り、参加者20名で先日出かけて参りました。

最初に訪ねたのは、隣町の阿賀野市にあるバイオテックジャパンと云う会社。

 

バイオテクノロジーの技術革新を図り、植物性乳酸菌3000株を保有し、大手医療関係企業へ提供や、機能性食品の開発(緊急食品や低カロリー食品等)に取り組んでいる。

私達を迎入れ概要を説明してくれた若い女史のお話も素晴らしく、従業員は50人ほどで平均年齢は30歳前後と若い。それなのに特許取得も数々ある。 

味噌・醤油・漬物・酒に代表される植物性乳酸菌は、健康・肥満・生活習慣病といった現代人の悩みに対して、非常に多くの可能性を持つが、古来よりの製造元は作り手のカンに頼るのが常識で、植物性乳酸菌は科学的に解析されないまま、ある意味、曖昧な、伝統の技として継承されてきた。

これに科学のメスを入れ、植物性乳酸菌の数値化や利用方法を、学術的、かつ実務的に研究。

研究開発は、今まで工業レベルでは行われておらず、まさに大きなポテンシャルに期待し、植物性乳酸菌を中心とした、この地で産業都市化を目指す。

正面入り口の壁面には、「植物性乳酸菌のパイオニア」と記されておりました。

主要取引先は、医療医薬品業界、食品業界、商社など。

 

工場の見学コースからは、複数の乳酸菌を組み合わせ醗酵させる技術開発が進んで、糖尿病などで、ごはんを腹いっぱい食べられないという方に、醗酵技術でタンパク質が1/5~1/25カットされ低タンパクの、お米のパック品が数種類作られていてラインを流れていました。

こう云う会社がこんな山中にあるとは驚きで御座いました。

午後からは、また当市内の奥へ、江口浄水場を見学してきました。

こんな奥深くに大きな学校があるゾ。何んと云う学校?

 

エッ、これが浄水場とは、浄水場など見た事のない私は、大きなプールみたいな施設かと思っていたのですが、そう云う場所もあるのだが、これにはビックリ。

大きなコンピュータ室も有り、以前は職員もいたそうだが、今は無人の施設と案内してくれたのが、定年になり嘱託で水道局に勤められておられる方だった。

ここは加治川の水を取り入れ、1割ほどの地下水も使い、濾過、消毒して供給され、その他、阿賀野川の水も水道水として利用ている。

  

 人口減少により財政的に厳しい状況が続くことが予想される中、今後の課題として安全な水道水の安定供給や施設・設備の更新や耐震化などを挙げているほか、基本目標には「安全~安全でおいしい水道水の供給~」「強靭~大規模災害にも負けない水道づくり~」「持続~お客様を第一に考えた健全で効率的な事業運営の確立~」の3点を掲げている。

ある一室には、直接加治川の水が流れる蛇口、沈殿池からの蛇口、地下水からの蛇口、各家庭に供給される蛇口から、たえず水が流れ出ていて、それぞれの今の水質を知ることが出来る。そして水槽には金魚が飼われていて、金魚の様子も常時撮られ、水道の供給量も24時間、すべてこれ等は、コンピュータで管理され、あらゆる浄水場のデーターは水道局に送られている。

出来たばかりの水道水をコップに入れ飲んでみましたが、皆さんに「如何?」と尋ねられ、「まろやか」と答えて参りました。

小学4年生になると、ここへ勉強に来るそうだが、我々の時代にはマイクロバスも無く、こんな機会もなければ、一生訪ねる事も無い場所で、良い経験で御座いました。

 

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桜 有志21名

2018-11-03 12:38:06 | 社会

加治川堤防10里の、桜並木は日本ーと、かつて言われていた。

ソメイヨシノの桜並木が日本一なら、それは世界―に違いないと、何故?大人は世界一と言わぬのかと、幼少の頃思ったものだった。

まぁ~その間をとって東洋一とか、世界一と書かれた文面もあるにはあるのですが、どれが正しいの?世界一と言わぬのは、礼節を重んじる地域住民の謙虚さなのだろうか。

小学生の時の遠足でも訪れたが、花見時には桜の樹木の枝が、堤防沿いに大きくしなり、咲いた花々が土手下に着きそうなしだれ具合で、見事な花のトンネルの中を歩いた思い出が有る。

亡き父の残した「想い出の加治川の桜写真集」のアルバムを見れば、主に写真は白黒だが、戦前から33年間の刻まれた一時が記されている。

 

昭和16年4月20日加治川本流(水門付近)            昭和35年4月23日長畑付近

放浪の画家・山下清が1957年制作の記録映画のロケで加治川を訪れている。この写真は、スケッチブック片手の姿だが、ほかにも我が家には桜満開の土手を舟下りしている写真や、ラジオのインタビューに答える姿がアルバムに残されている。

  

一度目にした風景は頭に焼きついて細部まで覚えているという山下だが、加治川の桜は彼にどう映ったのだろう。

父が昭和49年に、一冊のアルバムに編集すと記されたページには、

大正四年、大正天皇の御大典記念として植樹された加治川の桜も、昭和四十一年七月、同四十二年七月の大水害により堤防が切れ、堤防上の植樹は土手を弱めるとの見解のもとに樹齢六十年の桜も、昭和四十三年から全部切り倒された。

植えた当初は堤防補強の為との事で植えたものと思うが、時代が変わると考えも変わる。

紫雲寺橋より下流の桜は(三〇〇本位)都合上残されたが、昭和四十九年五月以降に加治川河口迄の桜も全部切倒した。

加治川の桜と云えば日本中はおろか世界にも知られて居ったのだが誠に惜しいものだ。その替りとして内の倉ダムサイドに新しく桜を植えたが、西暦二〇〇〇年頃が見頃だろう。

附記 写真は旧加治川を主として撮影したとある。

また、別のページには、撮影の時は二分咲き位であったが、此の桜も四月三十日から切り始め、五月には全部切倒される。
約三〇〇本ある桜も約六〇年余の歴史を閉じると、写真との合間に記されていた。

日本人が桜の花を見てホッとして、日本人だと云うアイデンティティを思い出すのは、時としてその風土を桜が語ってくれるからなのだろう。

桜並木の復元を望む声が多く、平成元年に国の「桜づつみモデル事業」として認定を受け、桜並木の復元も進み、その思いを後世に伝えるべく同期が今、加治川を愛する会の会長を務めている。

加治川を愛する会も出来て今年で20周年。記念植樹際にミスインターナショナル日本代表もお迎えして記念式典もこの春あったようだが、植樹やら毎年クリーン作戦、ウォークラリー、花まつりなどが開催され、加治川と共に生きるとご尽力頂いている。

その創立20周年記念植樹に際し、「桜の里親」のお誘いが同期の幹事役に有り、なんとかせねばのお誘いを受け、それじゃーと云う事で、俺も々々と予定以上に人数が集まり、「新発田高校18回卒業有志21名」が里親になり、先週土曜日に、県、市の協力のもと、植栽環境の整備された米子桜橋の堤の、植樹式に12名が参加して参りました。

同期の中には、会長夫婦はじめ、夫婦で「桜の里親」になられている方々もいて、この話を知らなかった同期が、店に来れば「次の植樹の時には夫婦で申しこんだら」と話している。

植樹式の時、会長が言っていたが、この場所は潮風が有り、まだ雑木林は切れないが一番風の当たる端の所に会長夫婦の記念樹が植えられ、我々はネームプレートを掛け端から4番目。

この日は、NPO法人「日本里山の森林を育む会」が主体となって、新規に15本、枯れたり、生育不全に8本、計23本を植えました。

  

早速、幹事役が写真を同封して、有志21名に送れば、東京に居る御仁から、「高校生の時、加治川で応援歌の練習をした事が懐かしく、古稀を記念しての植樹は良い思い出になります。植樹御苦労さまでした。」とメールが届いたと言っていました。

今年の秋の褒章で、同期が一人選ばれている。叙勲の二人と来年は、この桜の花が咲いた頃にでも、みんなで一献如何ですかな。

 

 

 

 

 

 

 

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