ダックのパパママストア

商店街に有る、パパママストア。
  何を売る店? 今日は、何をお探しですか....? 商店街で起こる色々なこと。

トリック・オア・トリート

2018-10-29 17:56:37 | 商店街

TVのニュースや話題で、ハロウィンの言葉は聞いていたが、これは如何した事か?ハロウィン、ハロウィンと云う騒ぎが我が町にもやって来た。

市も町興しの一環としてか、今月の初めにハロウィン工作を楽しもうと、大きなお化けに塗り絵をしたり、顔出しパネルや仮装アイテムを作ったりする、子供向け工作イベントを、まちなかワイワイプロジェクト実行委員会が主催した。

当市の町中でハロウィンを楽しもう!の呼びかけで、今月22日から28日まで、最初は、マップを参考にしながら、ハロウィンパネルがある市関連施設、4か所にあるパネルを見つけて写真撮影!

写真を撮ったら、忘れずにスタンプラリーシートにスタンプを押せば、辻の広場で開催の「食まち新発田ラーメン縁日」の200円割引券がもらえるよ!からスタートし、駅前と中央商店街は27日~28日の土日の参加で、子供たちが作った顔出しパネル21枚を、ハロウィンパーク参加店にちりばめ、27店舗が、子供たちへのお菓子プレゼントに参加した。

市が商店街活性化にもつながるのではと始めた取組。当店も賛同して心意気を感じ日曜日も店を開ける。

実行委員会が前日、顔出しパネルと、ビニール袋に、やおきん うまい棒 やら色々なお菓子をいっぱい持って来た。

  

「えぇ~こんなにいっぱい」あまるかもナー。

両日は、新潟デザイン専門学校の学生達が顔や手などにハロウィンのかわいいペイントを行ってくれたり、ハロウィンのいでたちに仮装して街を歩く子供達も登場。

私は他の用事で土曜日は午前11時に店に戻って来たが、家内がテンテコ舞。

結構子供達、家族連れが訪れる。

PTAもラインの時代で、商店街で何かやってるよと、連絡網を通じ、誘い有って訪れるグループも。

「トリック・オア・トリート」と子供たちが声を上げ店内へ。

意味合いも色々有るようだが、それ受けてこちらは「ハッピーハロウィン」と返し、「一つだけどうぞ」と色々お菓子の入ったカゴを子供たちの前へ。

中には2ツ取る子も、「ダメダメ一つだヨ~」と注意。ついて来た親御さんも、ちゃんとお礼の言えない子には、注意して「ありがとうございました。」と云わせている。

これは良い社会教育にもなるみたいですネ。

しかし、こんなに多くの子供たちがいるとは。

残念ながら商店街に普段は子供たちが歩いている姿はほとんど見かけません。

若い世代の子連れの姿も久々に見る風景。

商店街を歩いて新たな発見をしてもらえたか、残念ながら売り上げにはつながらいですが、それは今度、個々のお店の工夫次第と云う事だろう。

追加のお菓子も一袋、実行委員会からもらいましたが、4時には、ついに無くなり店頭には「おかしなくなりました」の張り紙。同じ様に参加各店に貼り出されていた。

  

もう、日曜日用のお菓子が無いと思っていた時、実行委員会がダンボールに入ったお菓子を、明日用にと持って来てくれたが、揚餅の米菓がドッサリ!これでは子供たちに人気はイマイチか?

日曜日も子供たちがやって来る。

お昼近くに、これで最後と色々な種類の駄菓子が届く。

土曜日に当店に来た子供の数は、約200人、日曜日は300人位か?

こんなに人々が訪れるとは。

人数は数えていたんですが、次から次と、どやどやと来ると、数えるのを忘れたり、おおよそですがこんなに来るとはネ。

実行委員会も、当初予算の4倍程の出資か?何事も初めての経験でビックリしてしまいましたが、予算を使い過ぎ来年は出来るのか?参加店に負担を求めれば、参加店が増えるのか減るのか?

一夜明けた今日は、また元のもくあみシャッター通りでございます。

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山古志へ

2018-10-26 23:07:01 | 社会

14年前の10月23日、新潟県中越地震の激震地、山古志村を昨日、初めて訪ねて参りました。

山古志の近くまでは行った事はあるのですが、自治会の視察研修のバスツアーに参加して、震災発生時の行政と村落の連携や、復興への取り組みなど、どんな事が行われたのか、何が問題点だったのか、そんなお話を聞きに現地を訪ねた訳です。

予期せぬ災害が何時起こるのか?それに際し、町内住民の状況把握や安全確保が、町内会ごとに、行政からも求められていて、今年の初めには、当市のハザードマップも完成し、各家庭に一部づつ渡されている。

残念ながら当町内には、それら防災に対応した、町内としての組織がまだ出来ていない。

係を決めたとしても、いざと云う時その方が、何時もそこに居るとは限らない。そう云う時に、そこに居る隣人同士が、助け合う、安否を確認し合う、その連携を強めていく、そんな意識づけから始めなければなりません。

そんなヒントを求め、他の町内会は、どんな取り組みをしているのか?色々なお話を、お聞きする良い機会でもあります。

今は長岡市と合併し、山古志支所の隣に、体育館と、やまこし復興交流館「おらたる」が併設されていて、そこで山古志支所職員より講話をいただき、その後、当班は展示室を見学し、バスに乗り遺構見学、その後戻り、質疑応答があり、昼食はやまこし弁当を頂いて参りました。

  

おみやげに、「かぐらなんばん味噌」の小瓶を頂きましたが、現地遺構の見学の時、驚いたのは、今でも2軒の家屋が震災の爪痕と残されているメモリアルパークの山奥まで、スカーフを頭上からかぶる女性外人御一行やら、肌の黒い外人など始め、他の地域から来られた観光バスなども有り、闘牛で有名と言えど、その祭りも終わった平日にもかかわらず、訪ね来られる方々が、こんなにもおられるのかと、大きな驚きで御座いました。

 

ガイドの説明の後には、その近くにある「震災復興資料館さとみあ」により、かぐらなんばんの塩麹をおみやげに買って参りましたが、地震の遺構で観光客を呼ぶと云うよりは、本来であれば山菜の味で人々が訪ね来る事が本望なのだろうが、我々の観光バス3台だけでも、昼食の弁当も120食近く、他バスツアーなど観光客を数えれば相当な数に上がるのだろう。これは地元経済効果大か。

しかし、災害当時の住民登録数は2千人を超えていたが、今は1千人を下まう。

50数件の錦鯉養殖業者は若者も増えている様だが、棚田の収穫は、その家庭内での消費量位の作付けで農協出荷まではほど遠く、みんなサラリーマンとしての生活らしい。

これでは若者は雪深い里を離れるか?

山古志の空気を吸い、帰りは寺泊魚の市場通りにより、酒のおつまみをゲットし帰って参りました。

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先週の出来事

2018-10-22 21:46:16 | 社会

「昨日は如何してた?」とお茶のみが今日も訪ねて来る。

色々行った所もあるのだが、今回はまとめてご報告。

市展が始まり、油絵を出展している御仁と、先の金曜日の初日に観て参りました。

彼が迎いに来て、店の裏口から出て、天気が良いので駐車場の前で、「歩く?」と聞けば「どちらでもいい」と言うので歩くことに。

何気なく歩きだしたのだが、だいぶ経ってから道の方角が、だいぶ違う事に気付く。

文化の祭典と云えば、生涯学習センター、文化会館のイメージが強いのか、自然とそちらへ行く路を二人でしゃべりながら歩いている。

「オイ、道間違えたみたいだ」と言っても「大丈夫だそんなに違わない」と彼が答える。

しばらく経ち、彼も気付いたか文化の祭典といえば同じ心持だったのだろう。オイ歳取ったナーと、二人で大笑いでございました。

会場のカルチャーセンターとはだいぶ方向が違う。彼がさかんに私の足が速いと言う。同期の彼は歩くと云うよりも、足を引きづって歩いている様な歩き方だ。

彼に合わせ、だいぶゆっくり歩いたが、ウォーキングとは、かかとから着地するんだぞとレクチャー。

運営委員による油絵の鑑賞会は、明日と聞いていたが今日に変更になり、ちょうど聞く事が出来よかったです。

しかし、昔と比べると彼も言うが作品数が減ったか?どの部門も少し減少傾向か?

運営委員の論評を聴いて、色々あるのだがコメントはまたの機会に。

土曜日は、母校の中学校の創立70周年記念式典があり参列して参りました。

この町に市立の中学校が出来、2年後に中学校が新生中学になり、それぞれの地域の3校に分離独立した。

その一つが、城址内を利用し、本丸(ホンマル)中学校と名付けられ開校。

◎校門は表門を利用し右側に本丸中学校の校名が掲げられている。

その後、昭和28年に外ヶ輪(トガワ)校舎に移転、60年には現在の新校舎に移転。

今の歴代校長は15代目だが、私が通った外ヶ輪校舎は、まだ初代校長で、校歌を作詞されている。

この詞が素晴らしく何時までも心に残る。

修学旅行は東京だった。当時、ナイフ、フォーク仕様のまだ食べた事の無い、西洋料理が出ると言われ、見よう見まねでと云うよりも、その噂を聞いていて、俺は良く知っているのだと、フォークを裏返しに使い、そこに具材を載せ活きがっていましたネ。

上野動物園だったか場外アナウンスで本丸(モトマル)中学の皆さま、モトマル中学の皆さまと呼び掛けられ、オイオイ、ホンマルと言えぬか?とビックリもしたが、まさか、お城の中に中学校が有ったとは、全国広しと云えど我が母校だけ。

然(サ)もあらんナと思うので御座います。

 いざやたたえん 栄えあるその名 新発田本丸 われらが母校

式の後は、記念公演が有り、落語家、二代目三笑亭夢丸氏が登場。

演題は「夢に向かって~本丸そだち~」

実は、20年前の50周年記念の時は、本丸中学の生徒で、壇上を眺める身だったが、今壇上にいてお話させて頂いていると、語られていたが、小話、落語の他に、如何夢をかなえたか、生徒にその思いを語られていました。

日曜日は、市役所辻の広場で行われているトラック市を眺め、外ヶ輪小学校の文化祭を眺めて参りました。

小学校の文化祭を眺めるのは、何十年ぶり?昔と絵の描き方は、ぜんぜん違いますね。

 

我々が絵として描いていたのとタッチが違う。

教育指導も上がり学年ごとにテーマを決め、その事柄が表現されている。

工作、当地域の紹介文章を見ても、素晴らしいものがる。的確に把握している子たちがいることが素晴らしい。

この後、第21回全国花嫁人形合唱コンクール会場に出掛け、素晴らしい歌声を聴いて参りました。

私も審査委員ではないのだが、紹介プログラムに点を記しながら聴いている。

しかし、どのグループも甲乙つけがたい。

差を探すのが難しいのだ。出演団体の余りにもレベルが上がり過ぎたか、残念ですが、御当地の出演団体が無いのです。

これはホントにチョッと残念で御座いました。

表彰式まで観て参りましたが、優勝は名古屋から来られた「エシュコル」というグループ。来年は地元グループにも活躍を期待したいですね。

文化会館を出る時は、外は暗闇でしたが、今年も良いひと時を過ごさせて頂きました。

エシュコルのブログ

https://eshcol.exblog.jp/

 

 

 

 

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柿もぎもノコギリ使う・・・

2018-10-16 17:13:27 | 社会

どうも御無沙汰しております。

10月も、もう半月が過ぎ、一年はアッと云う間ですね。これもグチになるのか?

何か書こうとすると、ため息やらグチになり、グチてばかりでは、まだまだ修行が足りぬと言われそうですが、実りの秋も、商店街は寒風が吹くのか?

どうも停滞と撤退ムードで商店街は実りの秋もほど遠い。県都で唯一のデパート三越も撤退が決まり、当商店街では、商店街唯一の電気店が先月末で閉店した。

テレビや洗濯機、冷蔵庫と三種の神器などと、騒がれた品々など、我が家も色々お世話になったが、後継者が無く、商店街アーケードの蛍光管取り換えにも、足元がおぼつかなく、支えが必要な歳となり、店仕舞いで御座いました。

足元がおぼつかないとは私もそうで、バランス感覚が若い時に比べれば大分落ちたか、脚立に上がり、上を見れば足元がグラ・・オットット!

自宅には昔、栗の木や、イチジクの木も有った。私が小さい頃、父がイチジクの甘露煮にを作ってくれたのを覚えている。美味しかったですネ。栗の木は手入れがいやだったのか樹木も若く、父が隣りの家にさし上げている。イチジクの木は、私の代で2本とも、残念ですが枯れてしまいました。今は実がなるというと、柿の木が一番目立つ。

先の日曜日は午後から家内と、柿もぎでございました。

若い時に比べれば、何時しか柿の木も背丈が伸び、高枝バサミでも届かぬところも増え、「気を付けて!」と言われ脚立に立ち、届かぬ所は、枝ごとノコギリでバッサリでございます。

渋柿なのだが取れれば、御近所の方々にも差し上げて感謝をいただいている。

あとは家内がヒマを見ながら、さわし柿やら干し柿を作ってくれる。

柿もぎも ノコギリ使う 共に齢   (ダックのパパ)

これって?俳句になっているかナ?

出来上がった柿を、孫に送るのが今から楽しみなのであります。

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