ダックのパパママストア

商店街に有る、パパママストア。
  何を売る店? 今日は、何をお探しですか....? 商店街で起こる色々なこと。

我が町にもあれば良いのに・・

2019-10-25 15:32:52 | 社会

 来月9日、天皇陛下御即位をお祝いする国民の祭典が、延期になった祝賀パレード「祝賀御列の儀」の前日に開催される。

「国民の祭典」の画像検索結果

皇居前広場で行われる「天皇陛下御即位をお祝いする国民祭典」の第1部「奉祝まつり」に、 当市の泉町・上町・下町・三之町・四之町・両町の「しばた台輪」全6台が参加する。

参加する人集めも、なかなか苦労した話も聞くが、名誉な事なので、我が同期も息子さんに勧められ共に参加すると、お茶飲みに来て語っていたが、スマホを懐に用意して、台輪と皇居をバックにして、良い所で写してもらい、それを来年の年賀状の写真にして、まだまだ元気にガンバッテイマス!と、アッピールしたいのだと云う。

当町内では、我々よりもご高齢のお囃子担当者達も参加されている。

先発隊の後、ひきて本隊は、当日午前4時半集合、5時バスを連ねて出発する。

寒さに気を付けガンバって来いと!!エールを送る。

私が30年前に参加した時の祭典は、銀座を含むメインストリートでのパレードでしたが、それ以後の会場は皇居前内堀通り、皇居前広場で、都内に住む御仁から、彼のスマホに会いに行く、応援に行くとメールが届く。

ポスターを見てお気づきだろうか?全国には錚々たる祭りの数ある中で、日本の祭りを代表して右端に、しばた台輪の有志が写っている。

全国にPRするポスターである。

残念ながらこのポスターは当市に貼られて無いのです。

本来、市も早急に問い合せをして 、市庁舎の壁面などに貼り出すべきなのだろう。

前々から思っているんだが、当市はPRが下手と云うか、せっかくの伝統文化を、外に向けてアッピールする事が積極的では有りません。

全国の方々が気付いているのに、地元が素晴らしさに気付いていない?地域のPR活性化を計り、培った伝統、文化財、観光面にも、多いに利用して、もっと郷土を繁栄させて行きましょう。

 

追記 :天皇陛下即位国民祭典新潟県新発田市しばた台輪令和元年11月9日

 全国の郷土芸能がパレード 皇居周辺で「奉祝まつり」

        天皇陛下の即位を祝う「国民祭典」 嵐が奉祝曲を披露へ

        天皇陛下の即位 「しばた台輪」も奉祝 東京で「国民祭典」

 

 

 

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視察研修

2019-10-19 21:49:55 | 社会

当市自治会連合会の視察研修に昨日出かけて参りました。

午前は新潟県庁に出かけ、エレベーターで17階まで行き、階段を上り18階の展望回廊をグルリと廻り眺めて参りました。

この建物は新潟の高層ビルの草分けで、後から出来た朱鷺メッセの万代島ビル、ネクスト21やメディアシップは、行った事はありましたが、ここからの眺望は初めてで、場所も変われば、風景もまた違ったおもむきがある。

 

県議会に来た記念に議場に通ずる階段を利用して、県議会議長と共に 記念撮影。

その後、議場に入り、新潟県議会、岩村議長より、議場の説明、県議会の役割や取組についての講話を伺う。

 

その後、議長室などにお邪魔して歓談 。

案内員に今度は議場内の案内を受け見学。恐れながら議長席の高台に座って参りました。

座ってビックリ、座席が自動的に前に進みテーブルに近づくのです。こんな仕掛けがあるのか、これは座らなければ分かりませんネ。知事席にも勝手ながら座らせて頂きました。ここも少しですが、ひとりでに椅子が前に動きます。

 

そんな思い出を頂いた後、にいがたふるさと村に行く。ここへ来たのは何年ぶりか?昼食後館内を散策。

 残念ながら、画面の中央、画面が小さくこの写真では良く見えませんが、今活躍中の、ラクビー日本代表、当県出身稲垣選手のサイン入りユニホームが飾られていました。

また、県内をPRするコーナーでは、TV画面からビデオが流れ、時節柄か平成2年11月の天皇陛下御即位奉祝 「全国日本の祭りパレード」で、県内から参加した、佐渡おけさ・新発田台輪の有志が映し出され、バスの出発時間も有り、最後まで観れませんでしたが、30年前の我輩の横顔もチラっと映っていて感激いたしました。

午後は、日本赤十字社新潟県支部へ行き、県支部の活動概要、協力金の使い道ついて、「日本赤十字社の活動」を組織振興課係長 三星女史より講話を頂く。

私達が払っている協力金500円は、すべて日赤の活動資金、救援物資の資金にまわされ、従業員の費用は、賛同いただいた協力会員からのご寄付で成り立っているとの事。

自然災害は、突然起こりますよね、医療チームの派遣、こころのケア要員の派遣、救援物資のお届け、医師の診察、薬の処方これらは、すべて無償で行なっている。

平時は、いのちと健康を守る講習会、血液事業、ボランティア・青少年赤十字の育成、医療事業・看護師養成、そして国際救援。

ビックリしたのは、地域での赤十字活動で、小学生に黄色の交通安全帽子の交付事業を、交通安全協会共々行なっている事を初めて知りました。

 

3階にある救援物資倉庫を見学した時、そこへ行く事務室からの通路は、床面の樹脂シートが劣化して、テープで止められている。

ビルが建って49年、耐震工事はなされた様だが、寄付金は支援物資用で、事務所の廊下には使えないと云う事か?なんだか頭が下がる様な気がしますネ。

普段、訪ねる事の無い所を見学出来て良い勉強になりました。

 

 

 

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大和魂はどこか・・

2019-10-11 15:31:15 | 文化・教育

ヒマにまかせネットを見ていると、興味深いものが見つかりますよネ。

日本の根源なるものは、如何出来て来たのか?学校では古事記や日本書紀の題名の紹介はあるが、本の内容を詳しく先生は教えませんね。

しかも今伝わって来るものは、何か一方向に限られた形の物で、ちょとした歴史書を読んで、オヤ?と思う事があるのです。

そんな疑問からこのブログでも、「文化の違い」「気流」と云うタイトルで、いささか思いを記した事がある。

紀元前一万年以上にも及ぶ日本のルーツには専門家ではないが、興味があり、それらに触れた、『神秘の国 日本の秘密』封印された神話を取り戻すと、ユーチューブに紹介されていて、古来の事柄が、「天孫人種六千年の研究」、「日ユ同祖論」など分厚い専門書を読まずとも、平易に語られていて面白い。

40分ほどのお話ですが興味のある方は、すんなりと聴けると思います。

難しい言葉ではなく、これだけの説明が出来るとは必聴です。

日本のルーツをご堪能あれ!!

【日ユ同祖論】神秘の国 日本の秘密  41:43

上記がカラー映像に成ったのがこちら

第二十一章 神秘の国 日本の秘密~日ユ同祖論~ (odysee.com)

 

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夢スター歌謡祭

2019-10-05 15:31:56 | 社会

我が青春の頃?こんな歌があったよナ~と云うか、往年の歌手20組が、我が街にやって来る新聞広告を家内が見つけ、大月みやこより、こちらに行きたいワと家内の弁。

チラシも何度か入って、2回目の新聞広告にもこの価格で、限定100名様を抽選でA席にご招待の文面に誘われつい応募。

残念ながらステージからは、はるかに遠い4階のE席のチケットが代引手数料付きで送られて来る。

それもそうだよナーと現実を見て、ため息でありますが、双眼鏡片手に家内と出かけて参りました。

よくよく思えば、入場料もスターを直に観れて、人数で割れば一人200円少々安い安いとは言っても4階席からは、小指位の大きさにしか見えませんネ。

チラシの顔は若いが、あれから何十年?・・

あべ静江さん、ロザンナさんはふっくらダルマさん?・・当時より大分御育ちが良い様で、でもカッコ良かったデ~ス!

ステージが始まる前から会場にはペンライトが売られ、多くのおばちゃま達が1本(500円)でなく2本買われる方も多く、両手で歌に合わせ声援を送られていました。

幕間には、何人かの歌手が客席に降り、CDの販売、キャーキャーお買い上げの方には握手がサービス。

満席の4階席にも比較的若いZEROさん達がやって来て、おばちゃま連中が私も私もと、アチコチ手を上げられアピール。CDの販売に握手にと大忙しでございました。

ステージが始まれば、舞台のバックに大きなスクリーンがあり、出演者の顔のアップが映し出され、これなら離れた席からでも歌手の方々の表情が分かるので良いアイデア。

昔、三善英史さんの「雨」をカラオケでよく歌いましたナー。本物の歌を聴くのは初めてで思っていた唄い方とチョッと違いました。

辺見マリさんはたしか、商店街が華やかしき頃、商店街の補助券を貯めると歌謡ショーが見れる売り出しを、商店街が毎年行なっていた頃、一度当市に来られた事がある。開場係をしていてショウーを観た様な気がしますネ。 観た様な気がするとは?チョッと歳を取り記憶もあやふやか。

フィンガー5の“リンリンリリーンリリリン”と云う、歌い出しの歌がありましたよね。よくTVの画面から聴いていましたが、グループの中で一番小さな少年で大きなメガネを掛けた子。あの子は何処へ行った?と思っていたが、晃と云うのヨと家内が教えてくれる。

歌手の名前も、曲名も分からなくても、“アイワナダンス・・チャ、チャ、チャ”直に流れて来ると、あぁ聴いた事がある。石井明美さんと云うのか。

“ボヘミヤアーン”と朗々と流れて来れば、この人が歌っていたのか、葛城ユキさんこの方は何んと今年70才に。それで「葛城古希デ~ス」と会場で挨拶。観客席はざわめいていましたネ。

皆さんが代表作を歌われ、朗々と響き渡る歌声は歳を感じさせませんネ。

「時には娼婦のように」と云う歌を期待したのでありますが、黒沢年雄さんは「ゆかいなじいちゃん」と云う曲。

歳を考えた新曲?でアピールしていました。

  

午後6時~8時半まで、あの頃、あの時に触れ、歌声と共に一時を堪能して参りました。

 当会場にもこの衣装での登場でしたネ。最近アップされた中から一曲。

葛城ユキ ボヘミアン  2:55

 

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中国建国70年

2019-10-02 15:16:11 | 隣国事情

中華人民共和国の建国70年となる国慶節(建国記念日)の祝賀行事が1日、北京の天安門広場で開かれた。

この日は、北京の天安門広場では過去最大規模の軍事パレードが行われ、香港では数万人の大規模デモに、警察が実弾発砲、催涙弾を発射、負傷者、多数を拘束するの新聞記事。

それが中国と云う国の現実ですよネ。

4年前に、こんな事がありましたと、私達の歴史認識の甘さから来る勘違いを指摘されるものが目にとまり、このブログでも取り上げた中から抜粋。

「抗日戦争勝利70周年」を祝う記念式典が始まりました。国旗を掲揚するため兵士が進み出ますが、その歩数は121歩。1894年に起きた日清戦争から今年までの121年間を表していて、式典は「中国共産党による抗日戦争勝利」が強調されました。ちょとオカシクありません?

そもそも日本は、中国に宣戦布告などしていなのだが、英米中ソから発せられたポツダム宣言を受諾し、中国にも降伏したのです。それも中国の代表は、国民党の国民政府だ。

この戦争は、中国共産党の毛沢東が中国国民党の蒋介石を台湾に追いやったのが歴史的事実で、日本が中国に根拠地を置いたのは、日清戦争、日露戦争などによって国際法上合法的に中国大陸に権益を得て、これを守るために条約等に基づいて、他の国と同様に軍を配置しただけである。

田母神俊雄氏の論文によれば、この日本軍に対し蒋介石国民党は頻繁にテロ行為を繰り返す。邦人に対する大規模な暴行、惨殺事件も繰り返し発生する。

これは現在日本に存在する米軍の横田基地や横須賀基地などに自衛隊が攻撃を仕掛け、米国軍人及びその家族などを暴行、惨殺するようものであり、とても許容できるものではない。

これに対し日本政府は辛抱強く和平を追求するが、その都度蒋介石に裏切られるのである。

実は蒋介石はコミンテルンに動かされていた。1936 年の第2 次国共合作によりコミンテルンの手先である毛沢東共産党のゲリラが国民党内に多数入り込んでいた。

コミンテルンの目的は日本軍と国民党を戦わせ、両者を疲弊させ、最終的に毛沢東共産党に中国大陸を支配させることであった。

我が国は国民党の度重なる挑発に遂に我慢しきれなくなって1937年8月15日、日本の近衛文麿内閣は「支那軍の暴戻(ぼうれい)を膺懲(ようちょう)し以って南京政府の反省を促す為、今や断乎たる措置をとる」と言う声明を発表した。

我が国は蒋介石により日中戦争に引きずり込まれた被害者なのである。(引用)

当然として、我が国は戦線布告などする気は無く、しなかったのです。

だから、これまで一度も中国は日本に戦争で勝ったとは言った事がなかった。

それが「抗日戦争勝利70周年」まぁーとか?唐突に出て来た言葉ですね。歴史をねつ造しないと政権が持たないのではと、世界から勘繰られるでしょうネ。

中国は日本に戦争で勝っていないし、中国は「戦争被害者」でもない。どちらかと言うと中国が加害者であって、日本は被害者なのである。

笹川陽平氏のブログの中で、中国のある学校の様子が紹介されている。

国語の授業で、先生は『なんと!』という副詞を使って作文を作るように生徒に言った。
明君はクラスでも成績優秀な生徒、早速次のような文を作った。
「1949年に建国したある国は『なんと!』、建国よりも早く、1945年に戦勝国になった」
勢いにのって、更に一文を作った。
「この国は建国66周年を祝う時、『なんと!』、軍事パレードで戦勝70周年を祝うことになっている」
しかし、発表を聞いた先生は激怒し、明君を教室から追い出してしまったとか・・・。

日本のジャーナリズムは、少なくとも中国の生徒並みに、真実を適切に指摘出来なければなりませんナ。

 

 追記 : 的確に語られている記事がありました。

戦後、「支那事変」の呼称は忌避され、日中戦争と呼ばれることが多いが、それは間違いである。  支那事変は日本対蒋介石軍閥の戦争だったから、日本と支那全体との戦争ではなかった。

それに日本が蒋介石軍に宣戦布告すると、本式の戦争となってアメリカの介入が起き、すぐさま対日禁輸措置に出るので、やむなく「事変」と呼称した。
 中共は日本軍は鬼畜で、人民を殺し苦しめたと抜かすが、事実は全く逆で、支那住民は日本軍を歓迎したのである。  治安が良くなり、略奪や強姦などが起きない地帯になるからだった。また、共産匪賊にすぎなかった八路軍はほとんど日本軍とは戦闘をしていない。現在の支那共産党の戦時中の話はすべてデタラメ。
 盧溝橋事件も上海事件も、そもそもそこに日本軍が他国の領土にいたこと自体が侵略だ、とサヨク日教組は言うけれど、それはまったく当時の情勢もルールも知らないたわごとである。
 租界が設けられ、外国軍隊が支那の主要都市に駐留していたのは1901年の北京議定書による、今日言う所のPKO国際平和部隊の一部であった。 (心に青雲より引用)

 当ブログ2015.9.5 「オカシイ国」より。

せっかくですので、歴史認識で一番、真実を知ってもらいたいのが、南京大虐殺です。

このブログでも取り上げていますが、ユーチューブの中で、今日の現実と、事件の分析を分かりやすく語られている中から2点ご紹介。

善行氏のお話は長いのですが必聴 です。これを文面からとなると大変。お勧めします。

 

中国による「南京大虐殺」のユネスコ記憶遺産登録が決定

 

「南京事件は4度あった」 小名木善行

 

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あと3カ月

2019-10-01 17:29:19 | 社会

早いもので今年もあと3ヶ月余り、先月の先々週には、まだブログネタにしていない地域に伝わる「地蔵講」の事でも書こうと思ったのでありますが、当店の機械に大きなトラブルがあり、先週末は当地域の敬老会があって、当町内からも米寿の方の御出席を頂いたのでありますが、参加予定者のお一人が、参加されず御近所の方に聞けば、10日ほど前に救急車が家の前に停まっていたよと・・・。

午後からは88歳になられたご親戚のお通夜があり、家内共々翌日の葬儀にと参列して参りました。

午前の早くにお別れ会をして、棺に花をそえ「天国でいっぱい将棋を指して下さい」と、手を合わせる。

霊柩車が自宅前に着けば小雨の中、地域の人々が集まっていて路地は傘で溢れる。広域の火葬場に着くと、もう待機されている方々がいっぱい。本日は五遺体を弔うと云う。

骨を拾い、来た道と違う道を通り斎場に戻る。

丁寧なお葬式で、ご焼香は4回行ないますの司会者の案内があり、何気なくご焼香の数を数えれば、たしか5回。

家内は4回だと云う。

お斎の席でその事が話題に、4回と言う人も入れば5回と言う人も、席の周りでは半々位か、「坊さんに聞いてみたら」「そこまでしなくとも」

今まで話して来た相手がいなくなるとは、さぞかしショックも大きいのだろうが、おばあさんは気丈にも杖を突き参列者に挨拶して廻る。

後日にもお坊さんが仏壇参りに来られたり、あるいはお寺に参拝したりと、日々のそんな習わしの数々が、気を張らせ自然と悲しみから救ってくれるのだろう。

 

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