久々の新幹線に乗れば、「本日もJR東日本をご利用いただきありがとう御座います」のアナウンスが聞こえて来る。
前は、たしか「本日はJR東日本をご利用いただき・・・」と言っていた様な気もするのだが、へりくだり挨拶をしていると云うのかもしれないが、余りにも客に媚びを売り、こんな所にも自虐史観的なペコペコ感が出ているとは、JRの自主性を重んじれば、「本日はJR東日本をご利用いただき・・・」でいいだろう。お客もその挨拶で何も文句は無い。
どうも、こんな言葉尻が気になるのは、穏やかさ、人生の潤いを無くした頑固オヤジになったからか?お盆あるいは、終戦記念日と云う季節柄のせいか?
扉の上に有る案内表示装置からは、次の停車駅やら、ニュースが流れて来る。
上越新幹線に乗って何時も思い出すのは、いくつかのトンネルをくぐるのだが、子供の頃、世界で一番長いトンネルが清水トンネルで、果たして今通っているトンネルは?
せっかくテロップがあるのだから「只今、大清水トンネル通過中・・・」とか「長さ第1位は青函トンネル・・大清水トンネル22.2㎞・・位」そんな情報を流せば、チョトした知識が旅の楽しさを増すと云うものだ。
お客へ媚びを売るよりも、地域々々の宝を生かす取り組みを、もっと発揮するべきだろう。それがお客様へのサービスということではないのか。
車窓の景色を追いながら、そんな事を思うので御座います。
息子夫婦に第2子が5日の日に生まれ、14~16日と東京の郊外まで出かけて参りました。
家内は手伝いの為に、3日の日に東京入り、お盆の時期に店を休んで出かけたのは、人生初経験で御座いました。
生まれたばかりの赤ちゃんは、こんなに小さかったか、もはや記憶から消えかけた思い出を、抱っこしながらたどるので御座います。
その日はダイニングキッチンで、息子家族揃っての久々の夕食。皆、にこやかな良い写真が撮れました。
翌日は娘夫婦もお祝いに駆け付け、孫も全員揃い久しぶりのハイタッチ!男共3人と孫4人は近くのグランドで小学生の野球チームの練習を見たり、坂を下り公園までお散歩。途中歩きたくないと愚図る子もいましたが、皆元気が良いですネー。
息子夫婦の住居の窓からは、眼下に墓地が見える。外を眺めれば、お墓参りに三々五々集まる人達が日々募る。
そんな様子を見て一句。
蝉しぐれ 花も込み合う 墓碑の杜 ダックのパパ
私はのんびりとお盆を過ごさせていただきましたが、16日は嫁さんのお母さんとバトンタッチです。
私達は午後別れを告げ、この時期の靖国神社に参拝し帰る事に。
大鳥居を通り、大手水舎で手と口を清め、拝殿まで行くのだが、その途中、境内には、今月の社頭掲示が掲げられている。
天皇陛下の御為に
陸軍曹長 木崎徹治 命
天皇陛下の御為に、米英撃滅の決戦の大空に悠久の大義に就かんとす。
男子の本懐此れに優(すぐる)無し。
長年の御教訓に遵(したが)ひ死所を得たる徹治は幸福者です。貧苦の中にも良き御教育の道を戴き有難うございました。
徹治戦死の報あるも決して悲しんで下さるな。一日も早く病全快せられ、御母様共々末長く達者で御暮らしの程御祈り致します。
彰介は立派な人間にして下さい。小生の貯金其の外は、弟妹等の教育費に御使用願ひます。
兄上木崎家の更隆を切に御願ひ致します。 弟妹達仲良く身体を大切に勉強して立派な人間になって孝養を盡(つく)すを怠るな。
嗚呼(ああ)、大東亜永遠の平和確立の暁を見よ快なる哉(や)。
徹治
父母様
兄弟妹様
(本文は縦書き)
昭和20年1月3日フィリピンミンドロ島にて戦死 埼玉県北葛飾郡豊野村出身 二十三歳。
戦後70年とはいえ、無念さもあっただろうが、若人の覚悟の強さが胸を打つ。
幾多の御霊、孫の顔を見ず逝かれた幾多の英霊に、頭を垂れ御冥福を御祈りして参りました。
昭和天皇御製
国のため命ささげし人々の
ことを思えば胸せまりくる
千鳥ヶ淵戦没者墓苑 (昭和三十四年)
追記 : 最初は、「蝉しぐれ 花が込み合う 墓碑の杜」と、主がボケてはならじと、のではなく花がだろうと書いたのですが、花がひとりでに墓石に咲く訳でもなく、人々の気持ちと共に供わるもの。
それで本文も「蝉しぐれ 花も込み合う 墓碑の杜」に訂正。
これで私のガンコさが少しは和らいだか?日本語は他に比べ奥深い。
まてよ、「蝉しぐれ 込み合う花や 墓碑の杜」か..?
冷静に思えば、「蝉しぐれ 花も込み合う 墓碑の杜」でしょう。