大阪城公園の野鳥 元山裕康のこんなん出てます!

●●情報も含めた速報です●●( 詳しくはそれぞれご確認を)

コアジサシ2羽の観察情報 2020.6.28

2021年06月28日 | Weblog
 快晴の空、かなり暑い。大将からコアジサシ2羽北外堀、オオタカ、ヒドリガモの観察情報をもらって、ちょっと楽しみはコアジサシ。

 もう7~8年も前になるが大阪城公園駅の東側の工場跡地でコアジサシが営巣し、盛んに大阪城公園にやってきた。
 ちょうど鳥が少なくなる時期に見られるので大歓迎。やがて見られなくなった。営巣地に何回か確認に行ったがまったく姿が無くなっていた。

 工場跡地は広い更地のままで、新しく工事が始まった様子もなく変化はなかった。
 犬か猫でも入ったのかと想像した。現在もその場所は変わらないまま。

 その後読んだ本でコアジサシは営巣地を移動することがよくあると。特別に影響を受けるような事柄が無くても営巣地を移動すると生態だと。ひょっとするとそれだったのかも知れない。

 今朝は残念ながらコアジサシは見られなかった。コンビニで缶ビールを買って、ベンチに座って北外堀を眺めながら飲む。先年繁殖した場所で再び営巣してくれたらなぁと想像しながら。

 出勤のともちゃんが通りかかる。OLの出勤時間に既に飲んでいる。しかし私も40年近く毎日地下鉄に乗って働きに行ったものだ。今はこんな贅沢も許してもらえるだろう。

●今日の野鳥
 コアジサシ、オオタカ、エナガ、シジュウカラ、ツバメ、カワウ、キジバト、ハシボソガラス、ハシブトガラス、ムクドリ、スズメ。

 「シギチファン」 という人たちがいる。シギやチドリの観察、特に識別や珍鳥の発見に強く興味を持っている人たちで、バーダーの中でも凝り性の人が多いように思う。

 「ワシタカファン」 という人もいる。カモを熱心に観察する人もいる。山野の鳥では、フクロウだけとか、エンベリザ好きや、ムシクイ専門という人もいる。

 私は大阪城公園の記録に特化しているので、各地へ出かけることは少なくなった。昔はシギチの観察に行くこともあった。
 当時はシギチファンの知り合いもいて、よく珍鳥情報を送ってもらった。今は付き合いもなく、どうされているか分からない。

 一方シギチに全く興味がないという知人もいた。彼の口癖は 「君子シギチに近寄らず」 語呂がいいからか、何度も聞かされて頭から消えない。

 彼はキアシシギもトウネンも知らないほど偏っていて、性格もやや偏っていたが、私には親しく接してしてくれた。
 既にかなりの高齢になっているはずだが、どうされているだろうか。懐かしいセリフをもう一度聞きたい気もする。

■■コアジサシ(2010.6.11 東外堀)
 「大阪城に絶滅危惧種」三流週刊誌(タイトルが大げさで、その割に中身が無い)みたいなタイトルにしてしまった。大阪城公園も鳥が少なくなって、ブログの中身が無い。するとタイトルを大げさにしたくなる。
 ただし、弁解をさせてもらうと間違った事を書いている訳じゃない。東外堀でコアジサシに出合ったのだ。コアジサシは環境省の RDBで絶滅危惧種Ⅱ類(VU)になっている。
 何だ!コアジサシか!と通り過ぎるのは勉強不足。見られなくなって、あの時・・・なんて言っても遅い。
 鳥陰も薄くなったし荷物になるから今朝はカメラを持たずに出かけようとしたが待てよ!そんな時に限っていい出合いがあり後悔するもんだ。これまで何度も地団太踏んで悔しい思いをした事があったことか。
 やはり東外堀でコアジサシ4羽の乱舞。ギィギィギィと鳴きながら後を追いかけたりしているのを見ると、幼鳥が親に餌をねだっているのか。濁って水中が見えないが垂直落下し盛んに飛び込む。こんな所で捕食できるのかなと心配していると小魚をくちばしにくわえている。大したもんだ。飛び回るのに合わせてシャッターを切る。簡単チェックするとOKなのもある。よしよし。カメラを提げてきて良かった。
 今朝は、これだけの事で十分満足。これまでの人生、実にいろいろな事があった。いい事、悪い事含めて満足している。人生の選択肢がほとんどなくなって終着駅に向かうレールの上。でもこれまでの人生で今が一番いい日々を過ごしていると言える。
 もし望み通りにできるなら、20歳に戻りたいか?と問われても今がいいと答える。
 今朝は大手桝形でイソヒヨドリに合わなかった。西の丸庭園では十数人のカメラマンがイソヒヨドリを取り囲んで撮影しているようだが、今日もよく現れているのだろうか。
 市民の森でハクセキレイに合う。多分♂。この時期だから間違いなくこの近辺で繁殖していると思う。やがて大阪城公園で夏季にハクセキレイ見られても、ごく普通の事に思われるようになるのだろう。それをこの目で見るかあの世から見るか・・・「興味を持つ事が多いほど人生は面白い」
 若い頃読んだ小説が突然頭に浮かぶ。“ナタナエルよ、君に情熱を教えよう。行為の善悪を判断せずに行為すること。善か悪かを懸念せずに愛すること。平和な日を送るよりは、悲痛な日を送ることだ。私は死の眠り以外の休息を願わない。・・・・満足して・・あるいは絶望しきって死にたいものだ。” ―アンドレ・ジッド 地の糧よりー 
コメント
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