時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

赤毛のアンとは関係ない話:セントローレンス川流域回顧

2014年10月04日 | 午後のティールーム

 

Taddoussac, Quebec

セントローレンス川左岸タドゥサック(ケベック)の朝 



 朝の連続TVドラマ『花子とアン』は、かなり話題となっていたようだが、一度も見ないうちに終わっていた。元来、こうした番組を一貫して見たことはほとんどない。とりわけ若いころは朝の忙しい時間帯に、連続している番組を見る余裕もなかった。朝早く目が覚め、時間は十分にある今でも、TVニュース程度しか見ない。始まったばかりの『マッサン』なる番組についても、この習慣は変わらない。御嶽山噴火の惨事などの緊急性のあるニュースなどの合間に偶然、一部を見た程度だ。

 しかし、放映が始まったばかりの『マッサン』についても、終了した『花子とアン』も、新聞記事などで筋書きは大体想像がついた。それ以前に、こうした番組が作られ、放映されるはるか以前に、背景となる話や土地は訪れ体験していた。しかし、現地へ行った動機や背景は番組のそれとはまったく異なっていた。たとえば、「ひげのウイスキー」については以前にも記したが、セントローレンス川河口のプリンス・エドワード島(P.E.I.)についても、『赤毛のアン』はさほど大きな関心事ではなかった。

 当時j興味を惹かれたのは、この大河にまつわる探検・開発の歴史、水力発電などエネルギー源の可能性、植民による地域文化の形成など、TV番組とは遠く離れていた。それらの断片は、ブログのあちこちに図らずも書き残している。カナダの歴史家ティモシー・ブルックの『フェルメールの帽子』 (最近邦訳も刊行されたようだ)への言及なども、こうした旅のストックの中から生まれた。

セントローレンス川に沿って
 アンの故郷ともいうべき P.E.I. (プリンス・エドワード島)もすでに半
世紀近く前に訪れている。TV化される話などまったくなかった時代だった。そのほんの一部は、このブログの「セントローレンス川の旅」のいくつかに記した。最初に訪れたのは1966年の夏だったから、遠い昔の話だ。この時はセントローレンス川を5大湖の流出地キングストン近くから大西洋まで下ってみたいという思いに支えられていた。夏休みも課題に追われ、日本に戻るなどの余裕などまったくなかった頃であった。そこで、しばしの休養を兼ねて、大学院生の友人と小さなキャンピング・カーを借り、旅行の間はほとんど車の中か、テントで過ごした。その後、さまざまな機会にモントリオール、ケベックなどを拠点に、この川の流域はかなりの回数、訪れる機会があった。

 最初の旅は、体力もあったこともあって、ニューヨーク州北西部のバッファローからトロントへ走り、湖岸に沿ってセントローレンス川の起点とみなされるキングストン、その後はカナダ側のモントリオール、ケベックなどに寄りながら、ひたすら大西洋を目指して走り続けた。時には車を置いて、船に乗った。今と違って、どこへ行っても人影が少なく、素晴らしい自然に圧倒された。

 セントローレンスの河口付近でどこから大西洋になるのか、もとより定かではないが、ガスペからセント・ローレンス湾を望み、その荒涼として雄大な大自然に深い感激を受けた。ここまで来たからにはとフェリーでノヴァ・スコティアまで行き、大西洋を視野に入れた。開拓者たちが残した足跡を見た。秘境や新天地が消滅した今では考えがたいほどの環境で、冒険心と野心を発揮した彼らの挑戦の素晴らしさを思った。

 ノヴァ・スコティアへの途上、P.E.I(プリンス・エドワード島)にも立ち寄ったが、当時はほとんど日本人の姿は見なかった。L.M.モンゴメリが住んでいた所であることは知っていたし、村岡花子のことも知っていた。しかし、こうした辺境ともいえる地域にまでやってくる日本人は皆無に近く、全般に大変人影が少ない旅であった。結局、この旅の行程では、日本人には一度も出会わなかった。ケベックからガスペまでの道路でも、1時間くらい走っている間に、数台の車に出会うくらいの時もあった。ガスペまでの漁村には、どの村落にも干した鱈(cod)が、あたかも洗濯物のようにつり下げられていたのを思い出す。干鱈は寒い時期が長いこの地の人々にとっては、重要な食べ物でもあった。

 P.E.I. は、Lucy Maud Montgomery ルーシー・モード・モンゴメリ(1874-1942)『赤毛のアン』(邦題)(L.M. Monntgomery, Anne of Green Gables、1908)の出版が世界でさまざまに話題を生み、その後北米有数の人気スポットとなり、当初の欧米の観光客向けばかりか、日本人経営の民宿 B&Bまであるようだ。





素晴らしい景勝の地
 最初の旅の時は真夏であったが、オンタリオのガテノウ州立公園内のキャンプ場でテントを張り野営した折、朝方厳しく冷え込んで眠れなかったことを思い出した。テントが朝露で重くなっていた。朝靄の中に大きなムース(ヘラジカ)が見えた。ハイウエーで「鹿に注意!」との道路標識の多さに驚かされた。

 ブログ読者の皆さんの中に、サラダ好きの方がおられるならば、多分サウザンド・アイランド・ドレッシング Thousand Islands Dressing をご存知だろう。サラダの中に刻み込まれた胡瓜の細片は、セントローレンス川の出発地点にある高級別荘地 Thousand Islands の島々のようだ。この地点の川の中には多数の大小の島々があり、美しい別荘が建ち並んでいる。このドレッシングはこの地のホテルのオウナーがヨットで航行中、昼食時にシェフになにか目新しいものを作ってくれと依頼し、シェフが船中にあったピクルス、野菜などを刻み、香りの高いソースでドレッシングに仕立て上げたものといわれる。

 このドレッシングを見ると、あの川中に散在する美しい島々、色とりどりの別荘が目に浮かぶ。アメリカやカナダと日本の格差の大きさを感じさせられた。 

 このセントローレンス川の流域は紅葉がきわめて美しいことでも知られる。このたびの御嶽山噴火では、多くの登山客が紅葉見物を兼ねて出かけられ、不幸にも惨事に出会われたことを知り、紅葉時の光景を思い出した。確かに日本の山々の紅葉は、赤色系が多く鮮やかで素晴らしい。他方、アメリカ・カナダ東北部の紅葉も全視界が目を奪う美しさだ。アメリカ側のアディロンダック山系なども大変美しい。どちらかというと黄色系が多い。「赤毛のアン」の舞台となったP.E.I.付近も美しいが、セントローレンス川の下流に向かって左岸をケベックのタドゥサックなどから西へ入り込むと、さらに美しい自然が待ち構えていた。

 
セントローレンス川流域は、今が紅葉のシーズンだ。日本からも多数の人々が旅をしていることだろう。しかし、今回の御嶽山の惨事で露呈したように、予想外のことが起こりうることを知らされた。降り積もる火山灰や雨、そして硫化水素などの有毒ガスが漂う中、行方不明者などの探索、救出に当たる人々の並大抵ではないご苦労は、TV画面からもひしひしと伝わってくる。美しさも危険と隣り合わせの世界なのだ。自然は時に人間の傲慢を打ちのめすような冷酷な力を突きつける。自然に対する畏怖と尊敬の念を忘れると、鉄槌が墜ちてくる。人間は決して自然に打ち克ったわけではないのだ。




追記(2014/10/08)


 

Le Mason du Saguenay
Arvida, Québec, Canada
(carte postale)

この流域で管理人の思い出に残るホテル
古いフランスの荘園風に建てられ、広大な
芝生と庭園があった。ここからはサガニ川
の壮大な光景を望むことができた。残念な
ことに近年、所有者であった地域の主要
企業の売却で、閉鎖されることになった。

 

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