時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

最初の一枚・最後の一枚

2009年12月21日 | 午後のティールーム
 このブログで音楽について記したことはあまりない。絵画に比して、筆者の音楽についての表現能力が十分でないことがひとつの原因なのだが、関心がないわけではない。かなりのめりこんだ時期もあった。LP時代から始まっている。CD全盛時代を迎える少し前に、数度の転居や陋屋での保管場所の問題もあって、手持ちのLPをかなり整理したことがあった。今となってはかなり残念な思いがないわけではない。幸い、CDは一部を除きレイオフを免れて生き残った。

 LP時代からCD時代に移行してからも、仕事場で手元近くに置いて絶えず聞いている数十枚のCDがある。その中で、累積するとずば抜けて登場回数が多い一枚が、ディヌ・リパッティDinu Lipatti(1917-1950)の「ショパン・ワルツ集」だ。LPプレイヤーを自力で買い、最初にかけた一枚がこの演奏家だった。たちまち引き込まれた。その清流のような、そして凛とした演奏は、心が洗われるようで別格の感じだった。33歳という若さで世を去った天才への思いも多少は手伝ったかもしれない。写真でみる風貌も貴族的な感じがする。針音がかなり目立つが、飽きることなく聞いてきた。CD盤になってからは、音質がかなり劣化したような気がしている。LP盤のような格調の高さが失われているようだ。

 リパッティには、師のコルトーのような厚みや深みはなく、またその後の演奏家のような技巧にたけた所がない。しかし、何度聞いても飽きることがない純粋さがある。聴衆の期待に応えるがために、間もなく死に至る重い病をおして鍵盤に向かった最後のリサイタルについての逸話が語るように、演奏家としての強い責任感が胸を打つ。とりわけ、その後のドタキャンが多い演奏家などをみると、その精神力は一段と印象的だ。

 後にこのピアニストの母国、ルーマニアを訪れる機会があり、優れたピアニストを数多く生んだこの国の風土を思ったこともあった。あまりに若くして世を去っているため、もしより長い命に恵まれたら演奏家、そして作曲家としてどのくらいの高みへ上ったかは分からない。しかし、時代や国境を超えて評価の高いその演奏は、多くのことが錯綜し不安に満ちた今の世の中で聴くと、クリスタル・グラスの響きのようにも思える。 1950年12月、この希有なピアニストが世を去ってから、すでに半世紀を超える年月が経過したことに気づいた。
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