時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

思いがけないラ・トゥール

2008年02月03日 | ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの部屋

ナンシーの街角


  日曜日の『日本経済新聞』「美の美:光の旅」シリーズの第2回目にジョルジュ・ド・ラ・トゥールがとりあげられていた。第1回目がカラヴァッジョであったから、その連想からだろうか。ラ・トゥールがカラヴァジェスキと看做されることには抵抗があるが、日本でもようやくこの画家の存在が認められるようになったかという思いがする。ラ・トゥール・フリーク?の一人としては、とにかくうれしいことだ。

  新聞見開き2面を使っての記事なので、作品のカラー図版も大きく、かなり迫力がある(残念ながらネット上には掲載されていない)。取材にヴィック=シュル=セイユの「ジョルジュ・ド・ラ・トゥール美術館」まで行かれたようだ。ディス館長の背後に作品が写っている。昨年の今頃、同じ場所に立っていたことを思い出し、偶然とはいえ不思議な感じがする。



  解説の内容は、よくまとまってはいるがやや平板な感じがする。この画家についての日本の認知度からすれば仕方がないかもしれない。しかし、過去半世紀、この画家についての研究もかなり進んだ。その点からすると、物足りないこともある。

  そのひとつは見出しである。「揺らぐ炎に託した瞑想性 リアリズムに背、抽象志向」とある。前半は納得するとして、後半の「リアリズムに背」というのは、必ずしもこの画家の正しい理解ではない。このブログでも再三記したが、ラ・トゥールのひとつの特徴は、リアリズムの飽くなき追求にあった。生涯の後半では、マニエリスムの影響、抽象に傾斜した作品もあるが、少なくも前半の作品は、ここまで描きこんだかと感嘆するほどの迫真性があるリアリズムそのものである。1934年、そして昨年再現されたパリ、オランジュリー美術館の特別展のタイトルは、「現実の画家」LES "PEINTRES DE LA RÉALITÉ"であった。どちらをこの画家の本質とするかは議論があるが、驚くほど多彩な技能を持っていた画家であることは間違いない。

  苦言ついでにもうひとつ。ラ・トゥールばかりでなく、フェルメール、レンブラントなどについても言えることだが、ヨーロッパからアメリカに移った作品についての評価が低いことだ。たとえば、ラ・トゥールの場合、40点程度しかない真作のうち、10点近くはアメリカの美術館や個人が所蔵している。新大陸へ流出してしまったこれらの作品についての旧大陸側美術館関係者などの悔しさや日本の研究者の留学先などの関係で、ともすれば忘れられがちだが、いまやアメリカにある作品を評価することなくして、これらの画家の理解や研究は成立しなくなっている。アメリカに「移住した」ラ・トゥールも素晴らしいことをお忘れなく。

 

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