時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

富岡→横浜→フランス→世界

2014年06月04日 | 特別トピックス



横浜浮世絵
横浜名所之内 

渡せん場
一港斉永林 明治5年(1872年)
神奈川県立歴史博物館蔵
(博物館ショップ絵はがき) 



 酷暑の1日、かねて気にかけていた展覧会を見に横浜まで出かけた。神奈川県立博物館で開催中の『繭と鋼:神奈川とフランスの交流史』と題した特別展(6月22日まで開催)である。今月はブログにも記した富岡製糸場の世界文化遺産指定が、決まるといわれている。今から150年ほど前、日本とフランスの間に国交を開かれて以来、生糸貿易を初めとして、多くの交易や文化交流が両国の間に展開した。


 とりわけ生糸、絹製品の貿易は明治初期、両国の交流において、きわめて重要な意味を持った。この流れの中で、多くの人がそれと気づかぬうちに、富岡製糸場と横浜は、富岡に技術を伝授したフランスを介在して、世界につながる太い糸となっていた。その実態の一端を今日に残る史料などを通して、実感してみたいと思ったことが、横浜へ出向いた理由であった。結果は期待をはるかに上回る素晴らしいものであった。その展示内容は感動的であり、日本人ならば富岡製糸場と併せて、是非見るべきものと思った。富岡の人気の急速な拡大にもかかわらず、こちらの展示は訪れる人が少なく、落ち着いた静かな環境で、十分時間をかけて見ることができた。

 大変多くのことを学ぶことができた展示であった。富岡製糸場の場合もそうであったが、「百聞は一見にしかず」である。このブログで紹介したことのあるティモシー・ブルックの『フェルメールの帽子』の日本版といってもよいかもしれない。富岡製糸場に代表される日本の養蚕、製糸の道は、横浜、そしてフランスを経由して世界につながっていた。

 そのひとつ、富岡製糸場の生糸の束に付された商標に、大きな感動を覚えた。そこには、立派な製糸場の写真に「大日本上墅國富岡製絲所」FILATURE DE TOMIOKA, PROVINCE DE KOTSUKE, JAPONと誇らしげに記されている。印刷は大蔵省印刷局である。この事業に全力そして青春を投じた人々の意気込みが伝わってくる。

 富岡製糸場の商標ばかりでなく、当時の日本の生糸貿易に関わった企業のさまざまな商標や記念物を見られるのが、この特別展の見どころのひとつでもある。そこにはいたるところに「大日本」、「愛國」の文字が記され、まさに発展をとげようとする在りし日のこの国の姿を偲ぶことができる。貧しくとも真摯に働く日本人がそこにあった。この国では自分の能力を生かす場がなく、台湾やヴェトナムなどにその場を求める今日の技術者とはまったく違った世界であった。

 この特別展は単に絹産業の貿易にとどまらず、横須賀製鉄所、造船所、さらに当時の日本や日本人のさまざまな姿を今に残す多くの写真や史料が展示されていて、きわめて興味深い。1872(明治5)年1月1日、横須賀造船所の開所式に行幸した明治天皇をオーストリアの写真家が密かに撮影した写真(直ちに発禁処分になり、外交問題になりかけた)まで含まれている。
 
 よく知られているジョルジュ・ピゴーの風刺画もある。朝鮮半島をめぐるロシア、清国、日本の緊迫した関係を風刺した絵もあり、最近の状況を改めて考えさせられる。

 見かけは小さな展覧会でありながら、内容はきわめて充実している。日本の在りし日、そして未来を考えさせる多くの材料がそこにある。酷暑を忘れ、この国の帰趨を考えるにお勧めの展覧会である。

  

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