時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

ラ・トゥールはイタリアへ行ったか

2009年10月29日 | ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの部屋

"The Sarrone Master." Christ and Virgin with Saint Joseph in his Workshop, Church of Santa Maria, Assunta, Serrone (Folligno)

ラ・トゥールのイタリア作品か

 ジョルジュ・ド・ラ・トゥールは、17世紀ロレーヌの画家たちの多くがそうであったように、イタリアへ行ったのだろうか。後世の美術史家の多大な努力にもかかわらず、これまでのところ、この画家のイタリア行きを証明するような記録は、なにひとつ発見されていない。そうした状況で、あくまで推論の範囲に留まるが、唯一検討の対象となりうる作品が挙げられてきた。

  30年ほど前、イタリア、ウンブリア Umbria
での体系的な調査の過程で、セローネ Serroneの教区の古い教会で一枚の興味深い作品が見つかった。発見された場所はローマからロレッタ LorettaとアンコナAnconaへ向かう途上から、少し横にそれた道にある村の教会であった。この油彩作品(263x183 cm)に、大工ヨセフの仕事場でのキリストとマリアが描かれている。教会翼廊のかなり大きな祭壇の上にかけられていた。

 作品には署名も記録も残っていない。この作品の発見については、1980年のイタリアの地方研究誌 Ricerche in Umbria (vol.2)に掲載された。それによると、カラヴァッジョの影響を受けたフレミッシュかフランスの画家の手によるものとされている。画面には不思議な詩情が漂い、卓越した色使いなど、比類がない出来栄えの作品だ。しかし、制作した画家は特定されず、暫定的にセローネの師匠、il Maestro di Serroneとされている。

 他方、ジャック・テュイリエやオリヴィエ・ボンフェのようなラ・トゥールの研究者によると、この作品を見ると、ラ・トゥール以外に思い浮かぶ画家がないという。年代としては
1612-20年くらいの時期に作成されたと推定される。仮に、ラ・トゥールとすると、画家が徒弟修業を終え、独自の創作活動のための画業遍歴をしていたと思われる20代の作品ではないかと思われる。いずれにせよ、かなり才能に恵まれた若い画家が作成したのではないかと推定されている。

 この時代を支配していたイタリア画壇の画風を前提にすると、この作品でのキリスト、マリア、ヨセフの描き方はきわめて斬新だ。作品の中心には未だ顔立ちも幼いキリストが描かれている。仮にラ・トゥールの手になるものとしても、『大工とキリスト』の幼いキリストともかなり異なった印象を与える。横に並んで描かれているマリアとともに、モダーンな印象を与える。リアルというよりは、かなり様式化されている。他方、ヨセフの容貌はかなり異なった印象を与える。カラヴァッジョ風にきわめてリアリスティックに描かれている。しかし、ヨセフの頭上には光輪が描かれている。今日ラ・トゥールの真作とされている作品には、光輪も天使の翼も描かれていない。

 幼いキリストが手にしている二枚の小さな板は、十字架を暗示するものだろう。マリアの刺繍箱からの糸で、板を結びつけようとしている。その笑みを浮かべた表情も、リアリスティックとは少し異なる微妙なものだ。そして、マリアはなにを考えているのだろうか。刺繍の仕事をしながら、一瞬それから離れて遠い先のことを考えているようでもある。そして、リアルに描かれているヨゼフもよく見ると目を半分閉じて、なにか瞑想しているようだ。

 子細に見ると、興味深い点が多々ある。室内に置かれたヨセフの作業台、工具などもかなり様式化されている。背景に描かれているゴシック風の窓が注目される。当時、イタリアで大きな影響力を持っていたカラヴァッジエスキの作品では、通常こうしたものを描いていない。さらに、ゴシック風窓の外に見える不思議な風景も気になる。なんとなく、レオナルド・ダ・ヴィンチの『モナリザ』の背景が思い浮かんだ。ラ・トゥールの作品を見たかぎり、背景らしきものはほとんど描かれていない。

 ジョルジュ・ド・ラ・トゥールという希有な画家の作品、生涯に魅せられ、長らく関心を抱いてきた一人の愛好者としてみても、さまざまな点で不思議な印象を受ける作品だ。ラ・トゥールではなさそうな感じはするが、断定もできない。画家が若い頃に描いた習作かもしれない。人物の描き方など、さまざまなことを限られた画題で試したということも考えられないわけではない。この画家を知れば知るほど、分からなくなるのだ。あの光と闇の作品の双方を見事に描き分けた画家の力量は、にわかに測りがたい。底知れぬ深さを持った画家である。新たな連想の糸がつながるまで、頭の片隅に残しておく作品なのかもしれない。



Reference
Jacques Tuilier. George de La Tour. Paris:Flamarion, 1992.

 

コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 美女の運命やいかに | トップ | ラ・トゥールはイタリアへ行... »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
素人の印象 (arz2bee)
2009-10-30 23:33:45
 ラ・トゥールを数枚写真で見ただけでの暴論ですが、やや明る過ぎて陰影の翳りに深みが足りないように感じます。イタリアの光のせいと言われればそれまでですが。
返信する
謎の画家は誰? (old-dreamer)
2009-10-31 11:42:29
コメント有り難うございます。一見した時、私もラ・トゥールの作品ではないと思いました。一部の研究者は依然としてラ・トゥール説を唱えていますが。しかし、ラ・トゥールでないとすると、誰がこの不思議な絵を描いたか。大きな謎です。画面に漂う詩情は、この作品の描き手が並々ならぬ力量の持ち主であったことを伝えています。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの部屋」カテゴリの最新記事