日々

穏やかな日々を

語れなかったヒロシマ、やっと一歩を 久保田智子さん

2017年08月06日 10時43分50秒 | 原子力
語れなかったヒロシマ、やっと一歩を 久保田智子さん
宮崎園子 久保田侑暉
2017年8月5日21時48分

広島平和記念公園で、思いを語る久保田智子さん=2日午後、広島市中区、上田幸一撮影

 「原爆」は過去のもの?
 いや違う。そう言って「ヒロシマ」と向き合う人々がいる。高齢化が進み、年々減っていく被爆者の記憶を受け継ごうとする人。ひたすらにここで何が起きたかを訴える人。様々な思いとともに、広島は6日、被爆から72年を迎える。
特集:核といのちを考える
「ナガサキノート」バックナンバー
 「会社の打ち上げで行ったカラオケの帰りに、先輩から『なんでヒロシマについて語らないの?』って言われて『うわー、やっぱりついて回るのかー』って思いましたね」
 表情は明るく、語り口はエネルギッシュ。自身のルーツ「広島」と被爆地「ヒロシマ」への複雑な思いをこう語る。
 父が広島県呉市出身の元TBSアナウンサー、久保田智子さん(40)は、中学1年生で横浜市から広島県東広島市へ転居。大学時代に留学した米国でも、被爆地の話を期待された。語れないのが、後ろめたい。2000年に入社したTBSでも、同じだった。
 転機は昨年の米大統領選だ。何か新しいことをしたいと退社を決意し、ニューヨークで働く夫と過ごすため渡米。ライターとして大統領選を取材した。日本の核兵器保有を容認するトランプ氏の発言を「なんてカジュアルな核武装論」と危惧した。ボタンを押せば核ミサイルは飛んでいく。72年間原爆が落とされなかったのは奇跡で、それが続く保証はどこにもないのに。
 一方で被爆者の高齢化は進み、いずれはいなくなる。「被爆者の方々に頼ってばかりもいられない時期を迎えたんだなって。次の世代が戦争を自分のこととして捉えていくしかない。語る資格の有る無しの問題じゃないと思ったんです」
 だったら自分の経歴を生かせば、被爆者から聞いた経験をみんなに聞いてもらえるかも知れない――。そう考え、広島市が進める「被爆体験伝承者」に応募した。秋には被爆者との対話を重ね、記憶を引き継ぐ。でも、葛藤はある。
 「(テレビで知られている)自分が語ることで人が集まるとは思うけど、そんな考えを軽蔑する気持ちもあります。コソコソやりたいけど、それじゃ意味がないとも思うし……。どうなっていくかわからないけど、40歳になって、やっと一歩を踏み出そうと思えたんです」

コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 人材流出、確保に課題 阿蘇... | トップ | こども保険年内に結論 社会... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

原子力」カテゴリの最新記事