いとどしく老いにけらしもこの夏は我が身ひとつの寄せどころなき 良寛禅師
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良寬様はお腹が弱かったようである。瀉(くだ)り腹を抱えておられたようだ。腹を瀉すとそれとともに力も流れてしまう。それで禅師はげっそりとお痩せになられた。厠に行ったり来たりなさっている。そしてこの歌が口を突いて出てきた。ひどく年を取ったものだなあ、我が身一つをどう扱っていいのか分からなくなってしまった、と。その夜は夜中4度も厠を行き来なされたと人宛の手紙に書き記してある。
「初めはしぶりて少々くだり、二三度はさっとくだり、四度目は又少々くだり候。腹いたみ口の中辛く且つ酸く候。五(いつつ)時分丸薬を服し候」と。
新潟国上山の五合庵はやや登った山麓にある。狭いところだ。晩年の一人暮らしはさぞ辛かったであろう。あれこれ気遣ってくれる支援者もおられたはずだが。
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わたしも今日は下している。朝からもう3度。下腹部はもうすっかり空になった。食欲も湧かない。昼は、それでも、素麺を茹でてもらって少しだけすすった。わたしも老いている。痩せてもいる。しかし、家庭という身の寄せ処はある。夏茣蓙を敷いてごろんごろんとしているきりだが。
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