<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

ままごとをする老爺いちにん

2016年12月05日 13時02分37秒 | Weblog

お昼時。光が降っています。そろそろ外へ出ます。赤玉葱を畑に植えます。機を外すとまた冷え込んで来ます。

ままごとをする老爺あり 畑(はた)に出て赤玉葱をほとほと植うる   釈 応帰

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苦悩するわたしが仏界の中心テーマ

2016年12月05日 10時08分57秒 | Weblog

1)観世音菩薩という方は実践者です。仏の説かれる法の実践者ですから、われわれの住む苦悩の娑婆世界に示現されます。そして利他行に邁進されます。

2)仏・菩薩を称する方々は、苦悩の衆生を救出しなければ、仏・菩薩ではなくなっておしまいになります。

3)理論だけでおしまいというわけにはいかないのです。行動主義でなければならないのです。

4)そこに苦悩する衆生がいれば、ただちに救出作戦をとられるのです。

 5)わたしたちの苦悩に応じてさまざまに姿形を変化されます。観音菩薩は三十三に分身して救出活動に当たられます。

6)梵天、帝釈天の天にもなられます。天神地祇の神にもなられます。わたしが頑迷固陋を続けますから、ともかく総出演されるのです。

 7)傲慢な言い方になりますが、苦悩するこのわたしと距離を置いた仏や菩薩の利他行はありえないのです。

8)そうです。これはとっても傲慢な態度です。苦悩を楯にとって利他行者を脅しているようなものですから。

 9)でも、敢えて言います。苦悩するわたしを救出しなければ、「我は仏なり」を説く方々、「我は仏の法を実践せり」とする方々も、途端にその座を明け渡してしまうことになります。

* 

1)わたしが鍵を握っているのです。その一点ではわたしは大きい顔をしていられるのです。

2)ここで一挙に、鍵を握っているわたしの苦悩が輝き出します。

3)なんという傲慢不遜な態度でしょう、このわたしの態度は。

4)「泥棒に三分の理」に近いかも知れません。

5)でも、それくらい苦悩のわたしが大切なのです。仏・菩薩にとって。苦悩するわたしの存在こそが仏界の中心テーマなのです。

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今日は月曜です 気分が月曜です

2016年12月05日 07時30分57秒 | Weblog

おはようございます、どなたさまも。月曜です。無職だから、毎日が日曜なのに、でも、ちょっとばかり気分が違います。どうしてなのでしょう。まだ習慣を引き摺っているのだろうか。それこそちょっとばかりですが、気分が引き締まります。ああ、みなさんお仕事に向かわれるのだなと思います。だったら、老爺といえどもぼんやりしていちゃ悪いなと思います。だらだらが少し改まります。6時に起きました。6時半には台所のテーブルにつきました。そこに座って新聞を広げただけですが。7時には朝食を摂りました。雨は上がっています。窓の向こうには青空が広がっていました。これなら外に出て野良仕事が出来そうです。お日様が高くなったら行動開始できるかもしれません。でもね、怠け者がすっかり板に付いた蒲鉾人間です。どうなることやら。

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