<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

生まれないと死なない 死なないと生まれない

2016年10月08日 13時52分58秒 | Weblog

「死なないと生まれない」

 生まれないと死なない。死なないと生まれない。停止はしていない。変化をしている。次へ次へ流れている。そこへひとり留まろうとしても留まり得ない。己という一存在も存在の全体と肩を並べながら、常に流転をしている。いのちの旅をしている。
 生まれ変わり生まれ変わる。死を契機として生まれ変わる。だから死は凄まじいエネルギーを内包していなくてはならない。なにしろ大爆発がここで起きるのである。この力で転換が始まるのである。消滅でも凋落でもない。パワーが一挙に活動へ向かうのである。
 死は一時の位、ほんの一時の状態である。生はそうではない。一時ではない。死と死の間を続行するものである。江戸時代の駅(うまや)のようなものだ。ここで肉体という馬を新しくする。
  死は暗いものではない。忌むものではない。明るさへ向かう扉である。こちら側からは閉じるための扉だけにしか見えないが、そうではない。開けるための扉でもあるのだ。恐がるべきものではない。明るさへ向かう扉が開くのだ。これで次の世界へランクアップする。
 ここに死の明るい哲学がある。すべては留まってはいないのだ。ここは淀みではない。水流の早い早瀬である。転じて転じて行く。変化して変化して行く。いのちはすべての変化を楽しむ旅をしているはずだ。暗い死の因習に執着することはない。
 わたしは老いた。老いて終わり、死んで終わりではないと考えていると息が深くなる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

この次を狙おう

2016年10月08日 11時27分14秒 | Weblog

客人が赤ちゃんを胸に抱いてやって来た。赤ちゃんは男の子。男の子にしてはやけに色白だった。人見知りが始まっているらしくてわたしがおいでおいでをしても拒否を受けるばかりだった。わたしの老爺ぶりが嫌々をそそったのかもしれない。なにしろ禿げ頭である。火星人である。地球人には見えなかったものらしい。これで自然か。辛抱して近づいた。ミルクパンや野菜ジュースを差し出して。童謡も幾つも歌ってあげた。象さんの歌も熊さんの歌も。約1時間が経ってやっと笑みが一つこぼれた。危険ではないというのが分かったかもしれない。お父さんに抱かれているばかりだった。抱っこまでは漕ぎ着けなかった。客人は帰っていった。この次を狙おう。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ただ仏と仏のみの世界

2016年10月08日 10時00分05秒 | Weblog

ユイブツヨブツとは「ただ仏と仏とのみ」という字句である。法華経にある。仏さまがお二人座っておられる。向かい合ってお話をされている。その後に「乃ち能く(宇宙の真理を)究め尽くす」と続く。お二人がおられれば「この世は全てこともなし」なのである。All is right with the world この世は全て正しく丸く回っている。それは何故か。諸仏に究め尽くしてもらっているからである。仏は二人でなくてもいい。満座が仏で埋め尽くされていてもいい。

この字句は「仏さまにしかこの世のことは分からない」と取ってもよさそうだ。「分かっている方がいる」それだけでもいいのかもしれない。わたしが分かる分からないはほんの少量で小世界である。見たと思っても見えてはいないのかもしれない。見えていないとして実は見えているのかもしれない。

仏はつぶさにわたしを仏の世界に誘われてこれを見よこれを聞けという具合に丁寧懇切である。ないがしろにされてはいない。「凡(我々衆生界)聖(諸仏の真如界)一如」を実現されている。仏の世界を仏だけに限ってはおられない。そっくりそのままわたしたちが利用活用してもいいようだ。

仏を科学で証明することも出来ない代わりにそれを否定も出来ないのである。しかし望遠鏡を覗けば銀河が見える。わたしが望遠鏡を覗いて銀河を見なくともしかし、銀河そのものはそこにあるのである。有り難いことに「唯銀河与銀河(ただ銀河と銀河とのみあって究め尽くす)」の世界が成立しているのである。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シシトウがテボに満載

2016年10月08日 09時50分39秒 | Weblog

昼からは雨になるらしい。なるほどの曇り空が広がっている。まだ降ってはいない。今のうちにと張り切って家内がシシトウを摘んで来た。テボ(手籠)いっぱいに盛られている。一株だけだったのに、すさまじい量だ。これだけを我が家だけで食べきれるものじゃない。どうしよう。昨日の夕食で試食をしてみた。辛くはない。ピーマンくらいだった。ピーマンよりは色が白い。栄養分はあるんだろうか。収獲が延び延びになったせいか、どれも15cmくらいはある。欲しい人がもらいに来てくれたらいいのだがなあ。シシトウは虫に喰われていない。力が満ちているという感じ。虫除けはしなかったのになあ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夢の中のお婆様のこと

2016年10月08日 07時12分13秒 | Weblog

お婆様のことを話しておかねばならない。「話せ、わたしのことを話せ」と突っついておられる。毎晩毎晩うんうんうんうん魘されていた頃である。覚醒夢(かくせいむ)というものを見ていた。悪夢だ。恐怖に苛まれている。寝ているのに目覚めている。目覚めて目を閉じたままで眠って深い夢を見ている。「苦しい苦しい」を叫んでいる。叫んでいる己の声がしっかり聞き撮れる。大声で喚(わめ)き散らしている。喋り続けている。攪乱状態だ。誰と話しているか分からないが、渡り合っている。打倒せんとする大軍と渡り合って引かないで居る。ねじ伏せられた断末魔のわたしであるのに、強弁している。天井が割れて落ちて来るほどの大声である。乱闘である。修羅場である。それが一晩二晩ではない。延々と続いた。そしてこの夢格闘の末に、わたしは地獄を這い出た。お婆様がそれを褒められたのである。お婆様の居るところは高い高い塔の上。螺旋状の石段を登り詰める。塔の上に出た。広々とした大極殿の社殿である。やや仄暗い。でっぷりとしたお婆様がこちらへ来いと手招きしている。目が合う。あたたかい目に合う。とたんに涙が堰を切って溢れて来る。「見ておったぞ」「よくぞ苦難を凌いで来た」「よくぞこの濁流を泳ぎ渡って来た」そう言いながらお婆様の手が肩に置かれた。体中に火が点いたように熱くなった。100万ボルトの愛情電流が流れてきている。「ここを渡って来た者は光の珠玉を与える。これをお前の腹の中に収める。通力が発揮されるだろう」「もうお前には人を助ける力がついている」「人の肩にお前の癒やしの手を置け」「人を助けよ」「人を癒せ」そういう命令が下る。わたしは目を瞠(みは)ってこれに応えている。暗黙の約束が出来たのかもしれない。感激の涙が滂沱として落ちている。果たしてわたしの全身に力が満ちている。これで伝授が成ったのである。

「人を助けよ、人を癒せ」はその後しかし実行に移されては居ない。夢で見ただけである。あれからほぼ30年が経っている。人を助けたいとは思っている。でもお婆様のようにはできない。お婆様譲りの熱い電流の癒やしの手を人の肩に置いたことはない。今朝不意にまたお婆様の顔が現れた。約束不履行を責めておられる様子もなかったが・・・

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

このあたたかな手

2016年10月08日 07時03分55秒 | Weblog

さんざん、さんざん助けられた。ふっくらと手があった。それに抱きとめられていた。これで幾度も墜落が免れた。この手を感じるまでに長い時間が掛かってしまった。長い時間との格闘の末に、このあたたかな手がお尻に背中に感じられている。叩き付けられずにすんだわたしのお尻や背中に、そろそろと我が手を伸ばして撫で回してみる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マイナスはマイナスで終わらない

2016年10月08日 06時58分22秒 | Weblog

「マイナスはマイナスで終わらない」
                   
  40代の頃に鬱を患った。暗い地獄の底に引きずり下ろされて日夜苦しんだ。悪夢に魘(うな)され続けた。廃人のようになった。己の命の灯が危ぶまれた。正直もう駄目かと思った。だが長いトンネルが終わった。どうして抜けられたか分からない。トンネルは人生の一部であり、そのトンネルには出口があったのである。今度は脱出後の明るさに泣けた。
 そのことを今はこう思っている。あれで人生の幅ができた。地獄までの深さがわが人生の深さになった。その分呼吸が深くなった。わたしは結局は護られていた、導かれていた。その上で、つまり護られた上で、地獄で鬼どもの責めを受けられたのである。誰も誰もが鬼には会えまい。それが妄想の産物だとしても、わたしは異界の鬼にしごかれ、鍛錬されたのである。
   マイナスの深さがあると人生の原点ゼロが見え易い。極々普通が目出度く見えるのである。空気を吸えることだって極上のプラスに思われて来る。頭上に広がった青い空が嬉しい。ゼロが見えるとプラスが隣接する。暗さが明るさを明るくする。
 マイナスは決してマイナスで終わらない。どっさりプラスのおまけが付いて来る。病の地平に下りている人、諸事に窮屈を覚えている人にそれを伝えたいと思う。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

どこまでがわたしだろう

2016年10月08日 06時45分01秒 | Weblog

  「どこまでがわたしだろう」
             
 どこまでがわたしだろうか。そういう疑問を持った。わたしを主張するときに胸に手を置くから肉体が「わたし」であることは間違いない。では肉体がわたしのすべてだろうか。 人は肉体だけでは生きてはいまい。さまざまな内容物があってそれらが重複重層構造になっているのではないか。たしかに目に見えている範囲内であれば肉体が唯一絶対だ。肉体が「わたし」の筆頭株主である。事実この肉体にわたしの人生の大方をおんぶしてもらっているし、彼のご機嫌にわたしの全域がコントロールされてもいる。
 病気をすれば分かる。肉体が病むとわたしのほとんどすべては病んでしまうし、その他の内容物も右へ倣う。早い話、肉体が息を止めればわたしはそこで存在しなくなる。
 「自己」の外側に「他己」があるということを言った人がある。一人だったわたしを複数にしたのである。自己愛の対象を広げたのである。わたしを一肉体だけとしていたよりも鷹揚だ。わたしが無限数になればこれはロマンチックだ。その考えの先には「宇宙もわたしである」とする「宇宙己」がある。一人のわたしに限定されている狭い自己を解き放って「わたし」を空間面へ拡散したのである。
 「わたし」に国境はあるのだろうか。ここまでがわたしだという境界線は不動だろうか。「人は誰もが自己の国境内で生きねばならない」という厳格な掟があるのだろうか。
 道元禅師にもこの語があるが、先程の「他己」を尊重した人は大病をした。肉体の苦しみを嫌と言うほど嘗めた。己の肉体の苦しみが己の国境を作っていたことに反発して、彼は「己の苦しみ成層圏」を抜けるロケットを飛ばしたのである。
 わたしが肉体だけであるならば、そこに断絶が起こる。終わりが来る。でもわたしは「無限大無尽蔵の価値を有するわたし」をその狭い檻に閉じ込めておきたくはない。「宇宙己」の主張はわたしに対するわたしの主張だ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

道は続いている

2016年10月08日 06時39分15秒 | Weblog

「道は続いている」
 
 片足麻痺だから不自由をすることが多い。しかしこれはこれでなかなかいいところもある。人様のようにさっさと階段を上がって行けない。杖を突いて一段一段ゆっくり上がる。走れないから歩みを噛みしめる。人間は歩行する動物である。それを理解する。歩けるということの価値が高まる。歩けると言うことがどんなに素晴らしいことかということに得心する。不思議だ。麻痺を体験していなかったらここへは行き着かなかっただろう。
 能力を失って終わりではなかったのである。そこで得たものもたくさんあったのである。道は続いている。この道を歩かなかったら到達できていないところへ導かれて来た、そういうことを思い知らされる。
 早朝、小学生たちが駆け足で登校して行く。集団でばたばたばたと足音高く。それが嬉しいのである。神さまからの授かり物、歩く能力、神通力を彼らは素直に行使しているのだ、授けた方がさぞお喜びだろうなどと思う。
 この世のすべてのものには価値があると思う。同様に体の機能のすべてにも価値がある。大きな価値を付与されているが、この認識は普通は困難だ。ところが発揮できない非常事態になると、そこに感動の窓が開かれて来る。
 人間は病む。苦しむ。悲しむ。だがこれで明るい窓が広く開かれたりもするのである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

漫画昔話の田螺とは

2016年10月08日 06時34分44秒 | Weblog

「漫画日本昔話の田螺とは」
                
 昔、「漫画日本昔話」というのがあった。市原悦子さんがナレーションを務めていた時期もあった。そこに「田螺長者」という作品があった。子供に恵まれない夫婦が子供を授かるようにと水神様に祈る。「田螺でもいいから子供を恵んでくれ」と祈ったら祈りが叶ったのである。夫婦ははじめがっかりする。だがこれは水神様からの授かりものだと考え直して大切に育てる。するうちに田螺は二十歳の若者になる。若者の田螺は馬に乗って長者の家に米俵を運んで行くと、長者の家に娘が二人いて、情けの深い妹娘が田螺を見初めた。嫁となって田螺を助けると言いだした。不似合いに見えた二人は仲のよい夫婦になった。田螺だから空からカラスが狙うけれども、これを庇って助けた。水神様がこれを見ていて感動をした。神さまだって感動をなさるのである。そして田螺を育て上げた功績に鑑みてとうとうその田螺を人間の姿にされたのである。めでたしめでたし。そういう話だ。
 昔の人は「授かったものを大切にする」という考え方をすることが出来た。これを神さまからの授かりものとしたのである。この話の田螺は、ほんとうは自慢が出来ない「不出来の」人間の子供だったのではないか。人間の親が見たら「不出来だ」とする子供だっていたはずである。しかしそれを逆転させて肯定したのである。授かった授かりもので通したのである。これは子供から見た親の場合だってあり得る。夫婦間だって、職場の人間関係にだってありうる。不満足はどこにだってある。それをしかし「不満足としないで、十分な満足として受け入れる」としたところに慎ましい解決法を見出したのであろう。
 昔話の水神様信仰などは底の浅い俗信だと一蹴されようが、これはこれで理詰めに由らない昔の人たちの、温かい情愛や深い智慧に基づいているようにも思えるのである。今はもうこの「すべては授かりものだから」の考え方は幾分か形を潜めているけれども。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする