ニュージーランド移住記録:みたび

移住は帰らなくてもいい終わりのない旅。人生そのものも旅。そして気づき始めたあの世への旅。旅と夢限定ブログ

クライストチャーチ2回目行:おいしい27段

2019年09月30日 | 南島:クライストチャーチ
クライストチャーチに戻って
さっそくやってきたのは、
前日に下見をしておいた

ニューリージェントストリート


お目当てはここのレストラン



トゥエンティ―セブンステップス



27段という店名に心惹かれて
「最後の夜はぜひここで」
と決めていました。


オーナー夫婦はアカロアの
元リトルビストロ経営者
2015年にここに移ったそう。

前回リトルビストロに行けず
思いがけずリベンジ(笑)


素晴らしい窓際の席でした。

気分が上がるグラスが
立ち並ぶ光景


そんなに飲めないけど

まずアンティポデスの炭酸水


ワインはこれにしました。

グラスに店のロゴ入り


自家製パン

つけだしからボリューミー
がんばらなきゃ


春先らしいアスパラガスのスープ

確かこのシーズンの初物でした。
ゴートチーズとスモークパプリカ
が香りと彩を添えています。


イカ男の夫はもちろんコレ(笑)

迷いません


メインは2人とも「今日のお魚」
ガルーパ(ハタ)

香港時代から刷り込まれている
ガルーパ=高級魚
のイメージそのままの
洋風アレンジで登場
期待通りの美味しさ。


2年も前のことなのに
こんなに良く覚えているのは

こんな姑息な写真を
残していたから(笑)


でも写真が切れていて

デザートの正体は不明
タピオカたっぷりで
別腹もいっぱいでした(笑)


夫はココットなので間違いなく
グレ―ムブリュレ

フルーツのテンコ盛りが
贅沢で華やか


〆のコーヒー

素晴らしい食事になり、
今まで空振りが多かった(笑)
チャーチでは最高の場所に


レストラン部分は完全に2階で

満席に近い賑わいだったので
店内の写真は遠慮しました。


1階のバーは食前に混みそう。



「2」と「7」は私のラッキーナンバーで
それだけで選んだら、まさかの
リトルビストロつながり。

ご縁を感じた場所でした。


いつかこの階段を上る日が
また来ますように

(※階段は本当に27段でした)


窓から漏れる灯りもレトロな
ニューリージェントストリート




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クライストチャーチ2回目行:リトルリバー

2019年09月29日 | 南島:クライストチャーチ
「・・・・



「ママ~、ヘンなヒトいる~




去りがたいアカロア

湖のように穏やかなアカロア湾
ヨットが絵になります。


メルボルンで見て来たばかりの
ブライトンビーチのような
カラフルなボートハウス



デュバウチェル桟橋

観光客がいなければ
人影もなく、これが
普段のアカロアなのか。


帰り道で立ち寄った

リトルリバー


ここはかつての鉄道の駅です。



1866年に開通し1962年まで
使われていたそう。



赤く塗られた車両が



そのままになっています。



芝に覆われて消えていく線路

廃線からの歳月を感じます。


興味深かったのは廃駅と

電気自動車の充電器スタンド
というNZらしい対比


ここにはリトルリバーダイナー
というカフェ兼レストランがあり

アカロアに行く人たちの
絶好の立ち寄り場所


隣接するのはサイロステイという

宿泊施設


「ここのことだったのか
とすぐに思いついたサイロ群

共同購入サイトのグラブワンで
おなじみ(笑)


一度見たら忘れない

不思議な建物群


一棟一室になっているようで

子どもがいたら楽しそう


いなくても楽しいかも



ここにはテスラ専用充電器

こうきたか(笑)


それ以外は地域の集会場兼
図書館がぽつんとあり



あとは廃屋が1軒



山間の緑が美しい
静かな場所でしたが
観光シーズンには
賑わうんでしょうね。




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クライストチャーチ2回目行:やっぱりかわいいアカロア

2019年09月28日 | 南島:クライストチャーチ
2017年10月のクライストチャーチ。
私は4回目、夫は7、8回目。


郊外のアカロアはお互い
2012年に続いて2回目で、
あの時はまだ次男が一緒
だったかと思うと隔世の感
(※本人はただ今エジンバラ在住)


町のアイコンが



あちこちに。



ここもアイコン的な
超派手なお土産屋



そのすぐそばにあるこの家



メゾンデフルールという
宿泊施設になっていた



前回は民家でしたが、
夫婦で気に入り

(※これは前回の写真)
アカロアのベストハウス
と言っていました。
アカロア泊の機会があれば
ぜひ泊ってみたいです


この辺は住んでもよし
別荘にしてもよし
貸別荘にしてもよし
という感じの建物。



夏映えしそう



ここもかな?



アカロアはとにかく
古い建物がステキ



童話の挿絵のような家が



たくさんあります。



1876年に建てられた



築140年のコテージは

プロバンス風


古色よりもピカピカの
ペンキ塗りたてを好む
キウイにはないテイスト



それはそれでステキ



NZは雨が多く湿気があるので
ペンキを塗り替えた方が



家としては長持ちするはず。




でも築100年以上の家が
たくさんあるのだから

なんとかなってる


走り回っていた
別荘管理会社のクルマ

別荘を持つ人が多いNZ
こういう会社なくしては
なかなか成り立ちません。


飛び切りかわいいここは



1875年に建てられた

図書館


今度は泊りがけで来れるかな?



ぜひまた、いつか



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クライストチャーチ2回目行:南島のプチフランス

2019年09月27日 | 南島:クライストチャーチ
2日目はクルマで郊外へ

「南島はヒツジが多い~」
と思います。


春先ならではのキュン死光景



「所有地を何に使おうが勝手
ということで、牧場のど真ん中で

林業(笑)


やってきたのは

アカロア


フランスがNZ植民地化の
足場にしようとして
果たせなかった場所。
今でも地名などに
フランスの名残がある
南島のプチフランス


春霞の中

息をのむ美しさ


クライストチャーチとは
こんな位置関係。

チャーチから75Kmほどの距離。


湖のように見えるアカロア湾
手前のピンクがバリーズベイ
奥のブルーがデュバウチェルベイ
(※フランス語ではなく
英語読みらしい

中央は潮の干満によって
島だったり半島だったりの
オネウェ


オネウェの先まで行くには
ここを所有する南島の
マオリ部族ナイタフに
許可を得る必要があるそう。


1832年のマオリ部族の抗争で、
1,200人がここで命を落とした
ナイタフの聖地なのだそうです。


アカロアも2012年以来5年ぶり



翻る三色旗



前回迷って食事をしなかった
リトルビストロ

オーナーが変わって
グッとカジュアルに。


当時は次男がまだ子どもで
大人な雰囲気に遠慮しました。

(↑今や社会人


季節性が高い観光地なので
地元客がつかないと大変

この時はビジネスの売却を


いくつも見かけました。

売るのも大変そう


でもクルーズ船がつくと
町中ごった返すそうです。

行った時はシーズン直前でした。


海を見つめていた
電動車椅子のご老人



目の前は穏やかなアカロア湾



ランチはここにしました。

レスカルゴルージュ


好きなものをちょっとずつ

カウンターフードが充実していて
とっても美味しかったです



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クライストチャーチ2回目行:ニューリージェントストリート

2019年09月26日 | 南島:クライストチャーチ
ホテルだとは気づかなかった

ヘリテージホテル


壁画のある建物の間には線路が通じ



トラムの駅になっていました。



ここはカセドラルジャンクションで、

ガラスの天井の両側はホテル。


ストリートアートが至る所に



やってきたのは

ニューリージェントストリート


大恐慌のただ中の1932年に
オープンしたブティック街

その前はタクシーの車庫でした。


当時大流行だった
スパニッシュミッション様式

可愛いバルコニー


色も形も華やかで装飾的で
確かに「ココはどこ」な雰囲気

いつの時代も女子の
つかみそう(笑)


アラベスクなタイル

これも当時からのでは?


震災後2013年にリオープン
2017年でも屋根に足場



修復したにせよ、これだけの
街並みが残ったのに感動



ここには舞い戻る予定があり
ますます楽しみになりました。



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クライストチャーチ2回目行:震災から前へ前へ

2019年09月25日 | 南島:クライストチャーチ
2012年から5年目の再訪だった
2017年10月のクライストチャーチ


一番気になっていたのは2011年の
クライストチャーチ地震からの
復興の様子


しかし、目に入ってきたのは

まるで工事現場


道路が遮断されていたり



センターラインまである道が

プツりと途切れていたり


道ではなくなるのか



オックスフォードテラス
という道だったよう。
1日3ドルのパーキングも
もちろんなくなっています。



全面的に工事中で

今頃は全く異なる場所に
生まれ変わっているはず。


周辺も取り壊したまま、



更地の場所が多数。



ショッキングだったのは
取り壊されることもなく
かつての地下(駐車場?)が
池になっていた建物。

大きさからして
ホテルだったのか?


カモが泳いでいました。

更地にする資金も
その必要もないのか?


周囲が取り壊されて

ポツンと残った建物。


ここは街並みが残っている



でも、実は隣が更地とか。



地震でも建物にはほとんど
被害を受けなかったノボテル

2013年に立ち入り禁止の
レッドゾーンが解除されて
営業が再開されました。
手前は再建中だった建物。


すぐそばのにこんなに古い
建物は健在でした。

ガバメントデパートメンタルビル
1913年完成のパラッツォ様式


こんな場所だったので、

まったく気づきませんでしたが、
この時点でヘリテージホテル
として営業中だったそうな
看板のひとつもない
歴史的建造物だから?


チャーチ在住の友人によれば、
常にどこかで工事をしており、
道の迂回も日常茶飯事で、
『慣れっ子』とのことでした。


旅行者には胸に迫る光景でも

(※これは建物に載っていた塔?)


地元の人たちには日常の風景。
日々の暮らしは前へ前へと
とっくに進んでいました。

(※塔付きで売りに出てました)



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クライストチャーチ2回目行:アディングトンコーヒーコープ

2019年09月24日 | 南島:クライストチャーチ

2017年10月に夫の出張への便
乗でクライストチャーチへ


1993年、2002年、2012年に
続いて私には4回目の訪問。
夫は出張や子どもと来たりで
さらに3、4回多いはずです。


このブログではお初ですが
移住後2回目なのでクライス
トチャーチ2回目行とします。


国内旅行といえばクルマで
回る北島旅行が中心で、
「飛行機に乗るぐらいなら」
と南島よりも海外に出始め、
そうなるとますます機会が少
なくなってしまうのが南島


せっかくのなので1日延泊し
2泊にして見て回ることに


到着早々にやって来たカフェ

アディングトンコーヒーコープ


ここは利益の70%を
社会に還元しています。

地元の学校の校舎の建設や
職員の増員、エチオピアでの
教員宿舎の建設など使い道は
内外にわたっているそうです。


We exist solely for others
(他者のためだけに存在している)

と言い切れるのも普通の
企業や個人が真似できない
レベルのコミットメントを
成し遂げているからでしょう。


ここが存在することで、
雇用が発生し、
顧客が集まり、
生産者が必要で、
利益が生まれる。



その利益を従業員や
生産者だけでなく
社会に還元するために
存在し続ける

理想郷のような現実が
ここにはありました。



ここに身を置くだけで
理想のような循環に
加われることが嬉しく

滞在中2回行きました。


目の前で焙煎された



香り豊かなフェアトレードの

コーヒー


食事も新鮮な手作りで
どれも素晴らしかった

気持ちが入ると味も変わる
と信じています。


みんなの古道具を持ち寄ったのか

チャリティーショップで揃えたのか


てんでばらばらな椅子

新しいものを使わず、
環境に迷惑をかけずに
持続可能な姿が美しい


チャーチに来るときは
必ず立ち寄りましょう




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メルボルン行備忘録:2017年10月

2019年09月23日 | 海外:オーストラリア備忘録

不動産投資に先駆けて
見ておきたかった
オーストラリアの
三大都市の最後の
メルボルン


自分でも意外だったほど
何をどうすればいいのか
わからない迷子状態(笑)


それでもせっかくの4泊5日
あちこち周って楽しみました。


旅行記は途中の中断を挟み
2ヵ月がかりで計26本に


2017年のシドニー旅行記
2016年のサンシャインコースト・
ブリスベン旅行記
の27本には
1本及びませんでした
(※同じ店ばかり行ったから?)


「でも、同じような本数になるな~」
と自分でも感動しました。



オーストラリア三都物語

ヌーサでの物件購入直後という
ややこしいタイミングで高飛び


メルボルンセントラル

大きさと黄色っぽさが
オーストラリア(笑)


カフェ街デグレーブスストリート

コーヒーの都と呼ばれる
メルボルンでのカフェ街


ストリートアートのホイザーレーン

インスタ映えする
ストリートアートの通り


聖パトリック大聖堂

オーストラリア最大のゴシック建築


未完のビクトリア州議事堂

これが未完だったとは


メルボルンの中華街

華人博物館に行ってみたい!


ヤラ区

ヤラ区にヤラ川
なんでもヤラ(笑)


ヤラ川リバークルーズ下り編

オーストラリアの大都市は
どこも川があってステキです


ヤラ川リバークルーズ上り編

急に川幅が狭くなり
緑豊かな風景に。


デグレーブスストリートの実力

観光客の駆け込み寺的存在


プリンスズ橋とコートオブアームズ

地味にコートオブアームズ好き


キングスドメイン散策

おっかないビクトリア女王(笑)


再び中華街

2晩連続で上海料理


クイーンビクトリアマーケット

メルボルンの台所へ


世界遺産の王立展示館とカールトン庭園

見るだけの世界遺産


メルボルン博物館

アボリジニのポッサムの
マントにみる生き方


キリニーコピティアム

シンガポール料理店を発見


マーケットレーンカフェ

混み合っていた人気カフェ


ビーチボックス

メルボルンのアイコンを
観に電車で郊外へ


ブライトン散策

塔があるお屋敷のある街


いまさら目抜き通りへ

4日目にして目抜き通り散策


アートの街の歩き方

アートの街といわれるメルボルン


残念な建物群

限られた予算で
アートと実用が
せめぎ合うと


メルボルンの迷子

コーヒーの都と食の都で迷子に


またいつか

次は7年後


まさかの2ヵ月がかりで
ほとんど2周回遅れに
引き続きがんばります




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メルボルン行:またいつか

2019年09月22日 | オーストラリア:メルボルン
2017年10月の初メルボルン
とうとう最終日を迎えました。


メルボルンの迷子と化したので
別のカフェを試すでもなく

再びマーケットへ行き、


マーケットレーンカフェへ。

2回目は念押しをしてマグで。


日曜日だったので、マーケットの
出店も人も多く、



華やいでみえました。



最後の最後まで街歩き

交差点の中で一時停止する


不思議な曲がり方



ちょうど同性婚の是非を巡る
国民投票が始まっていたので

街中至るところで見かけた



には圧倒されました


11月15日の結果はもちろん、
YES



最後に移住博物館へ。



いつの時代であっても
どの民族、家族、個人でも

移民にはみな物語がある


迫害され続けた原住民にも。



1851年にメルボルンで
金が見つかると、10年間に
50万人という爆発的な
人口増が起き、ヤラ川岸に
テント村ができたそう。



1854年には中国人採金者
3,000人が到着して反発を招き、


1855年には人種差別の象徴である
悪名高い中国人人頭税10ポンドが
課されるようになりました。


1857年には人頭税を免れるために
南オーストラリアに中国人を
乗せた船が入港するようになり、


そこから金鉱まで何百キロも歩く



後にグレートウォークと呼ばれた
過酷な旅が始まりました。



1888年に「白豪主義」が唱えられ、
反中国人政策が廃止される中でも
有色人種全体への差別が続き、



なんとかイギリスからの移民だけを

受け入れようとあの手この手。


白豪主義の提唱から100年以上を経て

国籍を取る人たちの顔ぶれも多彩に。


中国人たちの暮らしぶりも



時代の経過とともに



変わっていきました。



最後にここで腹ごしらえ



周波数を合わせるのが



難しい街でしたが



4日間楽しみました。



また、いつか



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メルボルン行:メルボルンの迷子

2019年09月21日 | オーストラリア:メルボルン

オーストラリア三都物語
最終章としてやってきた
2017年10月のメルボルン


しかし、その街で私たちは
迷子になってしまいました。


「コーヒーの都」といわれる街で

なかなか美味しい
コーヒーに巡り会えず


「食の都」といわれる街で
検索しても歩き回っても
「ぜひ今夜はココで
という店に出会えず

毎晩アジア食に逃げ込み


いくらでも見て歩けるはずの
不動産も早々にギブアップ



シドニーの不動産価格が
目先のピーク
をつけた直後で
メルボルンの供給圧力も
相当なものにみえました。



しかし、開発を止められず、
1戸でも多く売りさばき



少しでも早く完工しようと

フル回転のようでした。


街の規模に比べた供給過多に、
利回りを計算するまでもなく
下見は中止

ここはエアビー物件か?
よくあるタイプの鍵


それ以前に、この街に投資して
何回も訪れるというイメージが
まったく湧きませんでした。

シドニーやブリスベンでも
そう感じていましたが、


この街はそれ以上に
遠い存在に感じられ、
距離感も方向性も
楽しみ方も見いだせず
迷子と化しました。



次男がよく言っていた、
「オーストラリアに住むなら
メルボルンがいい。」

というのとは程遠い感覚で
感受性のせいなのか
世代のせいなのか(笑)


いつかまた旅行者として
訪ねてきましょう



シドニーは到着した日から、
「5年に1回来ればいいかな?」
と感じていましたが、
ここは7年に1回かな


忘れた頃にヒョコっと来ましょう。

その前にオールブラックスの
試合を観に来てるかな(笑)



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メルボルン行:残念な建物群

2019年09月20日 | オーストラリア:メルボルン

アートの街の歩き方
楽しむのと同じぐらい
スルーも大事でした
と言っていましたが、


いかんともしがたかったのが
メルボルンの建物でした


住宅にしろ商業物件にしろ



実用的なものに



どこまで芸術性を
持ち込めるのか



そんな課題を実践して
いるような建物を
いくつも目にしました。

(※RMIT大学の建物)


しかも、

非常に限られた予算で


芸術を装っただけの安易すぎる
カルチュラルアプロプリエーション
(文化流用)もあり

(※これは多分アパートメント)
「これだけの街で
と驚きました。


供給があること以上に
需要があることに驚き

立地といい造りといい
決して安物件ではなさそう。


何よりも衝撃だったのが、
RMIT大学のこの建物



壁に打ち抜かれたギザギザの穴が



19世紀の古い簡素にして重厚な
美しい建物を飲み込もうとする
おぞましい口に見えてしまい

正直ゾッとしました。


レンガとミラーという異素材、
異時代、異文化、異設計、
異なる美意識を調和させる
のではなく、古いものを
浸食していくような光景。



こんなにも醜悪な建物を
目にした記憶がありません。



この建物は限られた予算
ではなさそうながら、結果は

チープにしてアグリーという
心が刺々しく荒むような
見るに堪えないものでした。


この一帯は建築基準の緩和が
あったばかりなのか、新しい
高層ビルが競うように建ち、

「オークランドも一歩間違えれば
こうなっていたのかも
と思うとドキリとしました。
(※NZは地震もあるし)


前ブラウン市長の時にCBDでの
高さ制限全廃を検討していて、
政府の介入で全廃案は廃案に。


思わずパリのルーブルを
思い出してしまいました。


石造りのルーブル美術館に
ガラスのピラミッドという
斬新にして美しい異素材と
異設計を持ち込み、
新旧の見事な調和を実現

(※写真はウィキペディアより)


ちょうどパリで暮らしている時に
建設中だったので、賛否両論で
喧しくやっていましたが、
あれから30年以上が経ち、すでに
歴史の評価は下っているでしょう。


建物の場合はアート作品よりも
遥かに長く、恒常的に、
大勢の目にさらされ、
スルーすればいい
というものではありません。


ふと目にしたこの光景も
絶句する無秩序ぶりで

乱開発が進むアジアの街
ならいざしらず、これが
オーストラリアかと思うと
美しい場所が多いだけに
残念でなりませんでした。



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メルボルン行:アートの街の歩き方

2019年09月19日 | オーストラリア:メルボルン

次男は学生時代に何度も
オーストラリアに行っており、
「オーストラリアに住むなら
メルボルンがいい。
ご飯が美味しくて
アートの街だし。」
と言っていました。


アートの街というのは
早々に実感できました。

レベルが高い


しかし、創造は往々にして
破壊がつきもの。

完成度の高い美しいものが
チープに破壊されていく
という様子を目にするたびに
複雑な気持ちになりました。


街の至る所にアーティストがいて



アートに触れることができます。



歩行者専用のウェブ橋も



シーフェラーズ橋も

橋という実用インフラながら
デザイン重視は明らかで
その分費用もかけています。


ヤラ川の周りにはたくさんの作品が。



勢いこんなミスマッチも起きます



作品を見て歩く

アートトレイルもあるよう


ポップアップグローブの劇場が

感動するほど周囲になじんでいて、
公演がメルボルンから始まった
のがわかる気がしました。


400年前のシェイクスピア劇場だった
グローブ劇場を原寸大に復元した

豪華な仮設劇場
私たちも2ヵ月後に
オークランドで
「真夏の夜の夢」
を観に行きました。


アートは好きだし



人生に欠かせない

とも思っています。


しかし、楽しめる範囲を超え



自分の感性と合わないと



重いものだというのも実感。



「アートのおかげで
なんとか生きている」


と書かれた公衆トイレ。


心が育ち、安らぐような
いつまでも大切にしたい



アートを求めていても、



創造と破壊
安定と不安
期待と失望
といった
衝撃や混沌



傍若無人から
承認欲求まで
疎まれたり
求められたり



安らぎどころか
緊張と疲労を
迫るものも。



アートの街の歩き方は



楽しむのと同じぐらい



スルーも大事でした

描き終わったそばから
みんなに踏まれていた
ポケモンたち





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メルボルン行:いまさら目抜き通りへ

2019年09月18日 | オーストラリア:メルボルン

旅行から2年近くも経ち
今やどうしても思い出せない


なぜブライトンの帰りに
ココで電車を降りたのか

エルスターンウィック駅


来た時のように中央駅の
フリンダースストリート駅
になぜ戻らなかったのか?



写真を見返しても、何か
目的があった訳ではなく
長い間バスを待ちました。

目の前にこんな和食店(笑)


ハンガリー料理の店も発見

グーラッシュもある?
飲んでみたいけれど、
もうビーフ
は食べないしな~
と思いつつバスを待つ


通りがかったスケボーの
中学生ぐらいの男の子に
「ハロー
と元気良く挨拶されたり、


この自撮り全盛の時代に
「写真撮って
と可愛い女の子たちに
せがまれたり(笑)

この4人最高


さっきまでいたブライトン
とはまるで違う人懐っこい
下町風情な場所でした。

距離にしたら5キロもない。


これってオークランドの
セントへリアスからGIこと
グレンイネスの距離感
こちらもきっかり4キロ。

GIをこよなく愛する私です


なぜバスに乗ったのか
思い出せないので、
なぜ降りたのかも
思い出せない(笑)

なんとも派手なビル。
アパートメントかな?


1852年に完成した
セントポール大聖堂

「難民を受け入れよう」
という大きなポスター


タウンホール



マンチェスター
ユニティービル

1932年完成の
ゴシック様式の
オフィスビル
バブル期に計画され、
完成時には大恐慌
おかげでこんなに
美しい建物が残った


ブロックアーケード

1893年に完成した
ビクトリア期の最も
美しいアーケード
なんだそうですが、
一歩も入らなかった


もっと古い1870年完成の
ロイヤルアーケード



こちらは入りました。

十二分に美しかったです


オーストラリアのH&Mは
クラッシックビル入居率が
高いんじゃないかな



トラムがひっきりなしに来て

ショッピング客の足を支え、
クルマ中心のオークランド
ではあまり見ない買い物袋を
たくさん提げた人が新鮮


オーストラリアの二大デパート

マイヤーと


デビッドジョーンズ

夫がここでネクタイを新調
小さな旅のおみやげ


トラムの架線で網がかかったよう

中央郵便局の時計台


ときどき見かけるレトロな車両



見た目は古くても速っ(笑)



「明日は帰る
という4日目にして
慌てて目抜き通り散策
旅に買い物を求めないと
ついこうなってしまう


夜はまさかのキリニー再訪

2日続けての登場
店の人にもウケました。


チキンカレーと空芯菜の
サンバルカンコン



ハイナニーズチキンライス

チキン攻めの
シンガポールナイトで
メルボルン最後の夜を
締めくくりました


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メルボルン行:ブライトン散策

2019年09月17日 | オーストラリア:メルボルン

2017年10月の初メルボルンも
4日目になり、郊外散策です。


カラフルなビーチボックスが並ぶ

ブライトンビーチは


デンディーストリートビーチ
と呼ばれ(←ややこしい



1859年にブライトンビーチまで
鉄道が延長されたことで
人気の行楽地に一変したそう。

レンガのブライトンビーチ駅
2色使いが古さを物語ります。


突端はグリーンポイントと呼ばれ

1860年代はこんな感じだったよう。
なぜフランス国旗なのかはナゾ


現在はこんな感じで面影が残ります。



たくさんのイベントが開催され

現在も続くブライトンサンディ
フード&ワインフェスティバル

(Bright n Sandy Food and Wine Festival)
もここが発祥だそうです。


海岸の岩場はひび割れていて

長い年月をかけてゴールドの
砂浜になったんでしょうね。


絶対に食べられそうな海藻(笑)

美味しそうに見えるレベル
でも行政にとってはゴミ


沖合のヨットが街に似合って優美



街歩き開始



建物が大きくて高級感が漂います。



「イヌまで高そ~(笑)



塔のある家



この家のは本格的

実は私の長年の憧れ
子どもの頃に読んだ
塔に幽閉されている
ラプンツェル姫という
ありえない状況に
痛く心を惹かれたせい


お屋敷というべき家が



たくさん並んでいます。



こういう家が普通に見える(笑)



ナイキの店までレンガ造り



ブライトンスクールハウス
という旧校舎を利用した



カフェ

すごく好みの雰囲気だったのに


ナゼかこちらへ



ファッションブランドの
カントリーロード内のカフェ

ブライトンブイ
ちょうど2ヵ月前に
オープンしたところ


店内はニコール・キッドマンが

着たら絶対に似合いそうな
(↑つまり私には似合わない。
1着しか持ってないかも
オージーファッション
かなり私たちらしくない場所


食事はカントリーロードの
威信にかけてか(笑)



質が高く美味しかった



ビーガンメニューも充実



周辺もオシャレな店が鈴なりで



一帯の需要がよくわかる



商店街にダイアモンド専門店が
あるのがいい証拠(笑)

私なんか一生足を踏み入れる
ことはないでしょう


こっちは行くかも

不動産屋


帰りは隣駅のミドルブライトン
から乗車しました。

日帰りで来るにはいいところかも
こういうところもオークランドなら
セントへリアスかな



コメント (2)
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メルボルン行:ビーチボックス

2019年09月16日 | オーストラリア:メルボルン

フリンダースストリート駅
からやってきたのは



20分ちょっとで着く

ブライトンビーチ


オークランドでいえば 
シティーからセントへリアスに
遊びに来るようなもの

目の前は海。


静かなビーチが広がるものの



中心部からたった13キロなので

摩天楼がよく見えます。


望遠だとめちゃ近っ(笑)



お目当てはコレ



そう摩天楼につながるように見える



カラフルな家々



でも家ではなく

バスイングボックス
(Bathing Box)
と呼ばれる海水浴のための
更衣室、自前の海の家です。


ビーチボックスとも
呼ばれているよう。

水道も電気もない
部屋というよりも箱


メルボルンのアイコンで
絵葉書や観光案内でも
よく出てくる場所です。



とにかくカラフルで



夏映えしそう



いや、それ以前に



インスタ映え

この辺は完全に狙ってそう(笑)


浪裏もあります

この辺はプロに頼むのか?


一番人気はオーストラリア国旗

撮影するのに行列ができていて


みんな堂に入っています



競うようなカラフルさの中



抑えたグレーの木目が

美しかったこの1室


ビーチボックスの値段は
家1軒分並みです

2017年には空き地だった
オレンジの左隣に市が
2軒を新築し、2018年4月の
オークションで32万豪ドルと
過去最高の33万7000豪ドルで
落札されました~
これって1軒2,500万円なり


今年3月にはこのコアラの1軒が

過去最高レベルの非公開価格で
売却されたそう


これを買えるのは地元の自治体の
住人だけなので、このエリアが
高級住宅地というのも
お値段だけでわかります




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