ニュージーランド移住記録:みたび

移住は帰らなくてもいい終わりのない旅。人生そのものも旅。そして気づき始めたあの世への旅。旅と夢限定ブログ

夢見:香港でお寿司

2022年04月30日 | 浅き夢見し

「私」と夫は香港にいました。


一緒に11年間暮らした勝手知
ったる街。久々の再訪で2人
ともウキウキご機嫌でした


しかし夫の無理難題にドキっ
「KFC(ケンタッキーフライド
チキン)に行って食べたい



普段からファストフードは食
べない2人なので、一緒にKF
Cに行ったことがあったかど
うか。ナゼ、今、KFCなの


なんとか他の店に誘おうとし
ますが、夫には珍しく譲らず
「どうしよう、どうしよう💦」
と思っていると明るく電灯が
灯った、ひと際目立つ店が


「ココずっと前に来たよね?」

夫も朧げに覚えていた寿司屋
日本人の板前がいる店を前に
夫の気も変わって無事入店


そこにかつての同僚のあやこ
さんが1人、カウンターに座っ
て食事をするところでした。


不意の再会にお互い驚きなが
らも、一緒に座ってあやこさ
んが頼んだ海藻や野菜がたっ
ぷりの大きなもずくボウルの
ようなものを頼み、3人でズ
ルズルしつつ話に花が咲く🌸


彼女は仕事を再開し、メディ
ア関係の会社に勤めているの
で著名人によく会うと言い、
ご主人は完全引退で在宅とか


彼女のお勧めでさらにしゃぶ
しゃぶのような鍋を頼んで、
他愛もない話をしばらくして
別れ「古い友だちはいいな」
と思いつつホテルに戻る時に


「お寿司を食べるの忘れた💦」
と気がついて、大いに焦ると
ころで夢が終わりました。


=============


香港は単なる設定ですが、2
年間のコロナ禍を経て、夢の
中とはいえ、海外にいる自分
をリアルに思い描けるほど思
考が広がって来たようです。


この夢はちょうど古い友人と
一緒にNZで寿司屋に行く約束
を取り付けたところで見た夢
(※まさに夫が絶賛する店🍣)


再会と寿司への期待が先走っ
て夢にまで見たようでした



件のあやこ女史に連絡したら


『カーゴ便は減っていなくて
寿司ネタは日本からいいもの
がたっくさん入るから、香港
は高級鮨屋乱立。(コロナで)
日本に行けないけど寿司は食
べたいお金持ち香港人向け』


という返事が来て、香港でお
寿司はアリのよう香港に住
んでいた頃から、金満香港人
が日本人の板前を呼び寄せ、
店を出し、損得よりも自分が
気に入った料理を作らせ、自
分も入り浸る(笑)みたいな状
況はよくありました。元寛八
の板さんが何人いたことか


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ハワイ5回目行:名無しという名の猫

2022年04月29日 | ハワイ:マウイ島

2019年11月の5回目のハワイ


ラハイナの話を終える前に、
ぜひ書き残しておきたいもう
ひとつの話はこの猫のこと😼



プランテーションインにチェ
ックインして、「さあ出かけ
よう」と外に出たらとたん



待っていたようにクルマの下
から、にゅ~っと出て来た



なんとも風格のある大きな😼



うーんと伸びをしていたので
相当長い間そこにいたのか



のっしのっしとこっちに来て



毛はボサボサ、おまけに足を
引きずってヨロヨロなのに、

スゴい気迫


「これ絶対『世界ネコ歩き』
やった方がいいよね~(笑)岩
合さん好みの猫じゃない
と、猫バカ夫婦は大喜び



ラハイナ滞在の最初から一緒
だったホテルの茶白の高齢猫



ホテルに戻るたびに会えて、
まるで駐車場の管理ニャン😼



ノラ猫以上飼い猫未満の地域猫

ホテルの敷地は自由に出入り
できプールで水を飲んでいる
のを見かけたりもしました。


ボロボロだけど誰かにごはん
をもらっているんだろうな~



と思ったら、ある夜駐車場の
裏通りを10ぴきほどの猫が走
り回っていて、何ごとかと思
ったら、ごはんを持った猫お
ばさんと思しき女性が登場



毎日会っていた猫の名前は、

『名無し』でした。
No Name(名無し)をつなげて
Noname(ノナミ)とはナイス


以来、ノナミ、ノナミと呼ぶと



そばに来ていつでもナデナデ



ある日、プールサイドで朝食
中植え込みに入るノナミ発見



ナゼかピンと来て見に行くと

疲れ切ったように隠れてる
私たちとわかり出てきました。


ひょいっと飛び降りた姿に、



ケガしてる

とすぐにわかりました。


肉球か爪が痛んでいるよう。



重心が掛けられずに腹ばい



猫おばさんによると、ノナミ
は一帯のボスで若いオス猫と
激しく対立してケンカが絶え
ないとか。初めて会った時は
後足を引きずり今後は前足。
顔も傷だらけでした💦

去勢猫なのに満身創痍で闘う
ノナミ


確かこれが若いオス猫



いつまでも元気でね

またラハイナで会おう


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ハワイ5回目行:ペギー・チュン ペギーの足たち

2022年04月28日 | ハワイ:マウイ島

ハワイで最も愛される画家の
1人ペギー・チュンは、常に
全力で、自由で、大きな心を
持った人でした。新しい友だ
ちを作りながらも旧友を大切
にし、パーティーを企画して
はみんなをもてなしました。


朗らかで分け隔てなく、誰も
が認めるカリスマだったペギ
ー。彼女が2002年に筋萎縮性
側索硬化症(ALS)と宣告され
人工呼吸器装着を決めるのと
同時に、自発的に発足したの
が彼女を24時間体制で支える
有志の輪「ペグズレッグズ」
(ペギーの足たち)でした。


数人で始まったぺグズレッグ
ズは晩年には100人にもなり
まさにペギーの手となり足と
なって彼女を支援し続けまし
た。電気で作動する人工呼吸
器を使っている以上停電は命
取りで、ぺグズレッグズは急
な停電にさえ対応しました。


ペギーがホノルルのあるオア
フ島からマウイ島に行くスー
パーフェリー(現在操業停止)
に乗りたがっていたのを思い
出したぺグズレッグズの有志
で、ポータブル人工呼吸器を
持ちマウイまで行ったことが
あったそうです。ペギー以外
全員が船酔いしたそうです。


ペギーの周りには愛と笑いが
溢れ、ぺグズレッグズは彼女
を助けることを誇りに思い、
「ペギーが私たちを導いてく
れ、いつも楽しみがあった」

と、異口同音に証言します。


人工呼吸器、ペグズレッグズ
そして何よりも本人の意思で
ペギーは息子が結婚し、孫が
生まれるのを見届け、別れた
夫エルロイと再婚しました。


しかし、2008年の夏にはペギ
ーがずっと恐れていた、意識
があっても目を動かすことが
できなくなる状態にたびたび
陥りました。目は人とのつな
がり、コミュニケーションを
可能にする最終手段でした。


この病を深く知る彼女はこの
状態を「ロックイン」(閉じ込
め)と呼び、意思の疎通を図れ
ないまま自分の身体に閉じ込
められ、生命維持装置で命だ
けを長らえると恐れました。


2008年11月、発症から6年以
上が経過した日曜日、繰り上
げ感謝祭と称してペギーの最
期のパーティー、アロハパー
ティーが催されました。多く
の人が集まり、笑いと涙の中
で感謝と別れを告げました。


そしてペギーはロックインを
解かれ、愛と栄光に包まれつ
つこの世を去り、彼女が信じ
続けた神のみ元へと戻ってい
きました。享年62歳でした。



今度ハワイに行ったらペギー
の絵を探してみましょう。



そして彼女の黒猫の絵本も。



次回のマウイもペギーの絵が
かかるプランテーションイン
で過ごしたいと思います。



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ハワイ5回目行:ペギー・チュン 心で描く

2022年04月27日 | ハワイ:マウイ島

2019年11月の5回目のハワイ


西マウイ編を終える前に、
心に残ったことを綴ります。


ハワイで最も愛される画家の
1人ペギー・チュンが患った
筋萎縮性側索硬化症(ALS)と
は、手足や喉・舌などの筋肉
が徐々に痩せて機能が失われ
ていく病気です。問題は脳か
ら筋肉への指令が伝達されな
くなることで、筋肉自体は病
んでいないのに動けなくなる
ことで機能しなくなるそう。
そして治療薬がありません。


「車いすの天才科学者」とい
われた宇宙物理学者の故ステ
ィーブン・ホーキング博士が
この病と長年闘い続けていた
ので、発症から死に至るまで
通常数年とは知りませんでし
た。博士は享年76歳でした。


ALSは10万人に1.5~3人が発
症するといわれる非常に稀な
難病で、まず遺伝しないと言
われています。しかし、ペギ
ーは2002年に56歳でALSと診
断されるまでに、祖父、母、
双子のボビーをALSで失って
おり、自分が今後どうなって
いくのかが判っていました。


「やることはごまんとあるわ」
と、ペギーはすぐに人工呼吸
器の装着を決めました。装着
は寿命を延ばす可能性がある
一方で、辛い闘病も長引くこ
とになり、装着を選ぶか選ば
ないかは需要な選択でした。


ALSは筋肉が失われる反面、
感覚、視力、聴力、内臓など
の機能は保たれることが一般
的なんだそうで、ペギーは持
てる時間を精いっぱい創作
に充てることを選びました。


1年後の2003年、ペギーは右
手の自由を失うと、すぐに左
手で描くことを習得します。
しかし、それさえ2004年まで
で、その後は筆をくわえて描
きました。筆をくわえた満面
の笑顔のポートレートはその
頃に撮影されたのでしょう。

(※写真はコチラより)


懸命に生き、創作を続けるペ
ギーを病魔は容赦なく襲いま
す。全身が麻痺して筆が使え
なくなるとコンピューターの
視線入力で描き続けました。


それもできなくなると、板に
描かれたコマンドに視線を送
り、画学生がコマンド通りに
「右上から左下」といった具
合に代筆を行い、共同作業で
創作を続けていったのです。


同じ方法でペギーはアルファ
ベットをひとつひとつ目で追
いながら意思を伝えました。


最後は彼女の鼻に絵具を載せ
ケアギバーたちが紙を動かし
て描くというノーズペインテ
ィングまで試されました。


「結局のところ、絵は手で描
くものではなく心で描くもの」

ペギーは自分の言葉どおり心
で描くことを実践しました。


(つづく)

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ハワイ5回目行:ペギー・チュン ホテルでの出会い

2022年04月26日 | ハワイ:マウイ島

ラハイナの話を終える前に、
ぜひ書き留めておきたいこと
があり、もう数本続けます


宿泊したプランテーションイ
の部屋には素晴らしい絵
の複製が何枚もありました。



思わず見入ってしまったベッ
ドの上のハワイのコテージ

鮮やかさの中に気品があり、
思いもよらない色から植物の
瑞々しさが伝わってきます。


コテージが中央に描かれてい
ても、絵には主役も脇役もな
く、すべてのディテールが均
等に、美しく、丁寧に、心を
込めて描かれているようにみ
え、見入ってしまいました。


たわわに実る南洋のフルーツ

マンゴーでしょうか?


皇帝シダ(オキナワウラボシ)



葉の表面の星が特徴的なシダ



ホテルの庭にもありました。
 


画家の名前はペギー・チュン



このホテルかオーナーの故Sir
ランラン・ショウにゆかりあ
る中華系の画家なんだろうと
思いながらも、Chunという
スペルが北京語でも広東語で
もなく、19世紀早々に国を出
た華僑の子孫、華裔かもしれ
ないと思いました。当時は英
語表記が統一されていなかっ
たので、漢字は同じでもさま
ざまな表記方法があります。


検索して驚いたことに、ペギ
ーは白人のアメリカ人女性で
チュンはご主人の姓でした。
(※写真はコチラより)

絵筆をくわえた最高の笑顔に
は長く深い物語があります。



ペギーは1946年にオクラホ
マで双子姉妹の1人として生
まれ、1968年にハワイに移り
住みました。その後、ハワイ
モチーフのクリスマスデコレ
ーション事業で成功を収めま
したが、1987年に画家だった
双子のボビーが筋萎縮性側索
硬化症(ALS)で亡くなるのを
機に彼女も絵筆をとります。


才能はすぐに開花し、鮮やか
ながら柔らかで明るい水彩画
は、ハワイだけでなくアメリ
カ本土や世界からも認められ
ペギーはハワイで最も愛され
る画家の1人となりました。


画家としても順風満帆にみえ
たペギーですが、彼女は自分
にも病魔が迫ってきているの
を人知れず感じていました。


2002年56歳の時に、ペギー
もまたALSと診断されます。


(つづく)

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ハワイ5回目行:19世紀と21世紀の共存

2022年04月25日 | ハワイ:マウイ島

2019年の11月のハワイ5回目


3泊したラハイナ最終日。グル
グル回ってやって来たのが、

ボールドウィン家博物館


最初の夜に高校生がパフォー
マンスをしていた場所です。




1834年に完成した宣教師の家

本や木綿の服と引き換えに地
元の人が石、珊瑚、木材など
で造った時代を反映した家。


ボールドウィンの家と呼ばれ
マウイに現存する最古の住居
今は博物館になっています。

ボールドウィン夫妻は1835年
にアメリカからここに移り住
み、キリスト教布教に励むか
たわら6人の子を育てました。


ボールドウィンは牧師である
とともに医師でもあり、天然
痘が流行したときは患者を収
容し、島民に読み書きを教え
るなど夫婦で地域に貢献し、
ハワイ王族や外国船の船長ら
とも交友を深めたそうです。



絵にもあるブドウ棚も健在🍇



ボールドウィンがやって来た
頃にはまだパンノキがあり、
ハワイの朝食にはしばしば焼
いたパンノキが供されたと彼
の手紙に記されていたそう。



隣の石造りの建物も1834年完成



こちらは石がそのままの状態



ここは船長の読書室と呼ばれ



捕鯨船の船長や職員(オフィサ
ー)のために新聞や本、筆記具
が用意されており、当時とし
ては非常に珍しい施設でした。



ラハイナは1820年代に捕鯨船



と宣教師がやってきました。



命がけで漁に出る捕鯨船の船
員たちは陸での狼藉で知られ
ハワイだけでなくNZやオース
トラリアでも地元民との小競
り合いが絶えませんでした。
(※NZでもそっくりな話)


行く先々で酒・女・喧嘩、時
には殺傷沙汰となる中、ラハ
イナでは宣教師たちとの対立
も先鋭化したたため、両者の
関係改善に向けて、船員たち
に休息と娯楽を提供するため
読書室の建設に至ったそう。


今回は時間の関係で中までは
ゆっくり見学できませんでし
たが、再訪した時にでも



ラハイナには他にもいくつも
博物館があり周ってみたい



パイオニアミルのサトウキビ
列車にも乗ってみたいし🚂



19世紀が深く息づいていなが
ら、しっかりと21世紀を生き
つつ、両者が共存している町



それを矛盾なく保っているの
は、ゆったりと流れる時間



それをともに楽しむ地元民と
観光客の思惑が合ってこそな
んだろうか、と思いました。



歩いてよし



学んでよし



買ってよし



食べてよし



本当に充実したラハイナ滞在



そして西マウイ観光でした。

ぜひ次回を楽しみに


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ハワイ5回目行:ラハイナの木

2022年04月24日 | ハワイ:マウイ島

2019年の11月のハワイ5回目
コロナ前最後の旅行記です。


ラハイナ歴史博物館を出た後
旧裁判所の裏庭の、この町で
一番有名な樹ラハイナバニヤ
ンツリーを見に行きました。



そこには今まで見たことがな
い、生き物のような巨木が



たこ足のようになったここか
ら始まっているのが判っても
その大きさに圧倒され、どこ
までも広がる巨大なアーチは
1本の木とは信じがたい光景



カーテンのように下がって来
る無数の気根は地面に到達す
ると幹のようになっていく



ケアンズでさんざん見てきた
イチジクと同じ展開なのは、
この木もイチジク属だから



幹のように育った部分から、
また気根が垂れてきて、同じ
事を繰り返えして永遠の命を
手に入れるかのよう。一部を
切ったぐらいでは死にも倒れ
もしない不老長寿のような木



この木は1873年にキリスト教
布教50周年を記念してウィリ
アム・オーエン・スミスとい
う弁護士が植えたものでした。
だから裁判所の裏庭なのか

ウィリアム・オーエン・スミス
(※写真はウィキペディアより)


スミスは宣教師の子としてハ
ワイで生まれたアメリカ人。


50年前の1823年はカメハメ
ハ大王の妻にしてカメハメハ
2世と3世の母ケオプオラニ女
が、ハワイ王族として初め
てキリスト教に改宗✟した年

(※ケオプオラニ女王)


樹齢150年近いラハイナバニ
ヤンツリーは、米国で最大、
ハワイ最古のバニヤンツリー

(※1908年のメーデーの様子)


高さは20メートル近くあり



木が覆う面積は約1,800平米



バニヤンツリーパークとして
人々に巨大な木陰を提供し、
憩いの場となってきました。

(※2008年)


しかし、まさにここで今まで
ハワイで見かけた中では最も
悲惨な状況のホームレスを見
かけ、木陰とベンチがかろう
じて彼らを守っていました。

胸にバッジをつけた宗教関係
者と思しき人が彼らに話しか
けている姿も見かけ、木の来
歴を知ると一段と複雑な思い
で、早々に立ち去りました。


歩いているうちに気づいた、
この実



今しがた博物館で見てきた

パンノキ(パンの木)


15世紀のマウイのカカアラネ
オ王はラハイナにパンノキの
果樹園を築いたことで知られ
当時はタロ、バナナ、サトウ
キビ、サツマイモに並ぶ重要
な栽培作物だったそうです。

熟した実を調理するとパンの
ような食感があるそうです


しかし、今は食料としては廃れ



木に解説がついているほど、
珍しい木になっているよう。



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ハワイ5回目行:ラハイナ歴史博物館

2022年04月23日 | ハワイ:マウイ島

2019年の11月のハワイ5回目


目に留まった建物は1859年に
完成した裁判所兼税関で政府
機関が入居していたことも。
1925年に大改装が行われギリ
シャ復興様式を取り入れエン
タシスある壮麗な姿となり、
それからもかれこれ100年

ラハイナ歴史博物館(無料)
が併設されていたので見学へ


入ると外の明るさが際立ち、



裏には巨大なバニヤンツリー




200~130万年前
西マウイの海底火山が海面に
隆起🌋して島となりました。



西暦250~400年頃
ポリネシア民族が南太平洋か
らラハイナに到達。ここをレ
レと名付け、タロを植えて定
住。移住は数百年間も継続



400~1778年
人口が増え、灌漑によって食
料供給も安定し、古代ハワイ
の大酋長(アリイヌイ)の下、
平和と調和の時代が続きます。

ポリネシア人らしいタトゥー


マウイ島はラナイやモロカイ
など周辺の島も含めマウイヌ
イ(グレートマウイ)と呼ばれ
12カ所のモクに区切られて、



各モクは山から海へと通じる
地形で、農業と漁業ができる
ように配慮されていました。

大酋長ピイラニの偉業です。


ピイラニはレレを拠点に西マ
ウイを統治していました。



しかし、1700年代に入ると島
の支配を巡って他の酋長とた
びたび戦闘が繰り広げられ、



1778年にはキャプテン・クッ
クがやってきて、ハワイは初
めて西洋社会と接触します。

NZでもオーストラリアでも
ハワイでも、行く先々にこの
方あり。翌年ハワイで死去。


1802~03年
カメハメハ大王はラハイナで
戦闘用カヌー戦隊を造り上げ



1810年
カメハメハ大王がマウイを支配



1819年
大王没後カメハメハ2世即位



1920年
キリスト教伝道師がハワイに
プロテスタントの布教開始



同時に捕鯨船のラハイナ入港
が相次ぎ、貿易と混沌の開始



1824~1845年
2世の没後カメハメハ3世即位

(※みんな短命すぎ)


ラハイナはハワイ王朝の首都
となったものの、21年後の45
年にはホノルルへの遷都実施


ラハイナ



ホノルル

発展の差が歴然


1859年
ラハイナ裁判所完成

当初はラナイ(バルコニー)が大
きくパイオニアインに似てる


(※パイオニアインは1901年創業)



1893年
ハワイ王朝の崩壊

(※最後の様子はコチラでも)


1898~1959年
アメリカの支配下に入り1959
年より、アメリカの50州目に



1960年代
西マウイはサトウキビ栽培と
観光開発で今日の繁栄が開始



1999年
1860年創業のサトウキビ農園
パイオニアミルが操業停止。
西マウイ産業は観光業に特化

(※今も残るパイオニアミルの
煙突はかつての繁栄の象徴)


過去を大切に今を、未来を、
生きていくであろうラハイナ
ぜひ、また来ます

(※2階のラナイからの眺め)


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ハワイ5回目行:ラハイナ散策

2022年04月22日 | ハワイ:マウイ島

2019年11月の5回目のハワイ
ハワイ6日目、マウイ4日目


プランテーションイン最後の
朝食



一度も泳がなかったけれどプ
ールサイドはよかったです。



最後は私が挟みモノ系で(笑)

クロックムッシュ


夫はエッグベネではなく、ク
ラシックなポーチドエッグ
グラタン皿もフレンチです。

でも3個は多いよ、3個は(笑)


いいホテルでした。立地の良
さだけでなく、香港つながり
や他にも心に残ることがあり

次回のマウイでもぜひまた


朝のフロント通りはさすがに
人影もまばらで静かです。



滞在中ずっと海は穏やかで、



これだけ近いとラナイ島にも
ますます行ってみたくなる



最終日になってラハイナ散策

1916年完成のラハイナストアー


一段と古そうな木造3階建て



1903年完成のキシ・ビル

日系人所有だったんでしょう。


1919年完成のイチキ・ビル

ファサードは洋風でも後ろは
三角屋根で和風だったりして


これも1919年完成でエンタシ
スが特徴的。元銀行なのかな



高校生たちがパフォーマンス
やっていたのはここでした



ひと際古い石造りの2階建て



樹の下にすっぽり収まった家

屋根の真上の枝がギリギリ


やって来たのはラハイナ埠頭

その昔は鯨漁の荒くれ男が集
まり、その後は農作物の輸出
基地という、NZやオーストラ
リアによくある港町と同じよ
うな経緯を辿って来たよう。


今は観光船の桟橋がズラ~り

時代とともに用途は違っても
海は永遠に人を惹きつける


海辺に建つパイオニアイン



1901年創業。100年以上の歴
史があるホテル。乗下船する
人々を見続けてきた宿です。



プランテーションインの部屋
にあった1915年当時の写真

外観はほとんど同じに見える。


この灯台の初代はカメカメハ
3世が1840年に捕鯨船の航行
のために建てた太平洋初の灯
台だったそうです。灯火の燃
料は鯨油で、高さは3m弱。

現在のものは1916年に米国沿
岸警備隊から贈られたもの。


ひと際大きな建物に人が出入
りしており、さっそくGO



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ハワイ5回目行:マウイのメリマンズ

2022年04月21日 | ハワイ:マウイ島

2019年11月の5回目のハワイ


ハワイ5日目、マウイ3日目
の夜は前から予約していた

カパルアのメリマンズ


アメリカ本土や海外からの物
こそ本物、高級品と目されて
いたかつてのハワイの食
地産地消へのこだわりという
新しいコンセプトを吹き込み
「農園から食卓へ」のパイオ
ニアと目されている、ピータ
ー・メリマンの店メリマンズ



ハワイ島ワイメア

(※2017年)


カウアイ島ポイプ

(※2018年)


に続く、3回目3店目の訪問



前の2店とは比較にならない
大きさと、そこを埋める客席
にマウイの需要をみる思い。

こんな写真がやっとなぐらい
の混み方でここもいっぱいに


一番窓際の席でラッキー



と思いきや外席も延々とあり



みんな思い思いの場所に座り

みんな外れがなくラッキー


白シャツの親子は結婚式関係
者かな?でもジャンダル
なのがとってもハワイです。

キウイかオージーかも
NZでもオーストラリアでも
結婚式はこんなものです


テーブルには小さな虹



窓ガラスがプリズムになって
いるのかこういう演出なのか

どちらでもアガります


スマートカジュアルな雰囲気

ビールでも十分イケる店(笑)


旅先で気軽に楽しめる洗練



なにはともあれのシーザー
ピーター氏オリジナル



アペタイザーやサイドディッ
シュからあれこれ見繕って。



食材の90%が地元産だそうで



鮮度の良さが光ります



メインは2人ともシーフード



私たちにもちょうどいい量

適量はいい食事の条件


徐々に暮れなずんで行き



西海岸ならではの夕暮れ



パタヤかペナンか漁火か

潮風に揺れる裸電球がいい味


こんなムーディーな演出も。

ないと食事には暗いかも。


ここは結婚式の貸し切り👰



さすがにデザートはパスして

コーヒーで〆


これだけ大勢が一堂に会して
も、食事だけでなくこの場所
を思い思いに楽しめるという
のは、この店が培った長い経
験と客をもてなす引き出しの
多彩さなのだと感じました。

マウイだけでなくメリマンズ
はどの島でも再訪したい店


なぜかオアフ島は未デビュー
ぜひ、いつかの次回にでも


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ハワイ5回目行:南へのドライブ

2022年04月20日 | ハワイ:マウイ島

2019年11月の5回目のハワイ
ハワイ5日目、マウイ3日目


この日も快晴。ホテルのプー
ルサイドの朝食からスタート



夫はやっぱり挟みモノ系(笑)



私はミューズリーに



この日もドライブへ。ハワイ
の島巡りはクルマが前提なの
で、夫の運転に頼りっきり



この日は南へ



どこも絵になる景色ばかり。



空港からラハイナへの途中で
も見た風力発電のタービン



ひょうたん型のマウイ島の小
さい方の西マウイと大きい方
の東マウイの南境のキヘイ着

ケアリア池国立野生動物保護
区といういかにも私が好きそ
うな場所にやって来ました。


マウイ最大の池というか湖で
こんな場所を歩けるの~

と思ったのですが、何かの事
情で(←2年半前で思い出せず)
歩けませんでした(工事中)
ぜひ次回に


さらに南下してやってきたの
は南端に近いマケナ州立公園

フードトラックが来ていても


山火事注意の看板がある程度



の素朴な海水浴場という感じ

週末だったので子どもが大勢


地元の人が多そうな場所です。



みんな大荷物で1日いる構え



沖合の島はモロキ二島という
三日月型の無人島だそう。



ビーチの裏手には広大なブッ
シュが広がっていました。



確かに森林火災が起きやすそ
うな乾燥度で、オーストラリ
アのブッシュに似ています。



鹿もいるんだそうです



コーヒーを求めてやって来た

ザ・ショップス・アット・ワイレア
(👆非常にまんまの名前)


周囲に高級ホテルが建ち並び

こういう店が入居していて、


ここがマウイの最高級リゾー
トだというのがよくわかる



カフルイ空港にたくさん駐機
していたプライベートジェッ
トのお客がたくさんいそう



私たちはホノルルコーヒーで
飲みたかっただけなのですが



ルルレモンのアロハはげっと
しておくべきだったかな~と

杢グレーなんて一番好みだし、
夫も大の白好きだったのに(笑)


また虹が出て気分がアガる~



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夢見:中国への引っ越し

2022年04月19日 | 浅き夢見し

久しぶりの夢の記録です


いつものように長い長い夢で
したが、覚えているのは心が
最も震えた一部分だけです。


「私」は8歳ぐらいの少女で、
雑然とした家のような場所で
たくさんの荷物に埋もれるよ
うにしゃがんでいます。殺伐
とした光景ですが、「私」は
嬉しくワクワクしています。


「あれも、これも」と荷物を
手に持つ「私」に、近くにい
た制服を着た大柄の外国人警
備員が優しそうに言います。


「中国に引っ越すんだから、
そんなに持てないよ。大事な
物を2つだけ選んでごらん」


「私」の傍にはパカンと口を
開けた空のスーツケースがあ
り、この中に新しい生活に必
要なものを全部入れるのかと
視覚的に理解した瞬間「私」
は手にしたものを離します。


「もっと小さな、日本から来
たことがわかるようなもの」


8歳なりに考え、取捨選択を
し、新天地で新しい生活を始
め、新しい友だちを作ること
に胸を膨らませていました。


=============


他愛もない一場面ですが、な
ぜかこの部分に心が震え、起
きてからも思い出せました。


中国というのは夢の中でよく
ある突拍子もない比喩でしょ
う。本当の中国とは無関係で
8歳の少女にとり、「とても
遠くて、大きくて、まったく
知らない場所」の象徴です。


子どもの「私」が「まったく
知らない場所」に引っ越すこ
とに不安どころか胸を躍らせ
ていたことが重要で、実際の
私には起きなかった事です。


そして「私」も制服を着た大
柄のポリネシアンに見えた警
備員も実は私だったのです。


夢日記をつける中で気づき始
めた、登場する子どもも大人
も自分という設定。さまざま
なかたちと組合せで、何度も
何度も繰り返されています。


前回の夢見:離婚も状況はま
ったく違えど、夢としては同
じ趣旨のもので、養母と里子
という血縁ではない親子の可
能性に賭けようとしていた
目覚めた瞬間に悟りました。


今回は警備員という赤の他人
が声をかけ、見守ってくれる
だけで安心と自信を得て、新
生活を楽しみにできました。


居場所(中国)と身の安全
(警備員)さえ確保されていれ
ば、8歳の「私」はすでに1
人で生きていく覚悟でした。


警備員がポリネシアンだった
のはハワイ旅行記のために、
毎日毎日写真を見ていて、こ
ういう人を見ていたからか❓

明日は旅行記に戻ります



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ハワイ5回目行:マウイの醍醐味

2022年04月18日 | ハワイ:マウイ島

2019年11月の5回目のハワイ


マウイの2日目はまず島の最
北端ナカレレブローホール
で行き、その後は道なりに西
端のラハイナまで戻るコース



NZの地方同様、道が限られて
いるのでドライブもシンプル

センターラインに凹凸があっ
てスピードの出し過ぎや居眠
り運転予防になるのかな?


次に停まってみたのは名前が
変った小さなビーチでした。

カラフルな階段を降りると、


思いがけず広がる荒波の浜



ここはスローターハウスビー
チ(と殺場ビーチ)というおど
ろおどろしい名前で、1960年
代まで崖の上にホノルア牧場
の食肉処理場があったゆえに
この名前になったそうです。



でもハワイ語の名前モクレイ
アは生物保護区という真逆の
意。響きも美しくこれに一票

(※ハトまでビーチに)


一帯はハワイ語どおり、ホノ
ルア=モクレイアベイ海洋生
物保護区に指定されおり、釣
りなどすべての漁の禁止区域



次に立ち寄ったのはマウイの
高級リゾート地、カパルア

ノーフォークパインの並木に
こういうクルマが絵になる


一帯は1909年創業のマウイ
ランド&パイナップル社(なん
NY証券取引所上場企業)
が、100キロ平米の広大な土
地を住宅、ホテル&リゾート
商工業施設、ゴルフ場に一大
再開発して、高級リゾートの
カパルアを築き上げたそう。


高層ホテルやコンドミニアム
がたくさん林立していました
が、自分に興味がないせいか
写真はこの1枚だけでした

どこに行ったのかわからない
モンキーポッドの写真のみ


端整な教会



素朴で美しいモザイクだけれ
ど、心臓にナイフは痛いよ💦



1929年創業の雑貨店が今も食
料品店兼デリ&カフェになっ
ていて、ここでひと休み



他に店らしい店がないせいか
大勢で賑わっていました



ラハイナに戻ってアウトレッ
ト・オブ・マウイ
というマウ
イ島唯一のアウトレットへ



高層ビルではなくラハイナら
しい木造平屋の店が連なり、
海のそばの解放感もあってか
買い物派ではない私たちまで
ついフラフラと買い物へ



あまりの可愛さに知り合いの
可愛い兄弟にTシャツげっと



送迎バンもありました。



フロント通りの夕暮れ



すぐそばのイタリアンへ

サレぺぺ
世界中にありそうなイタリア
料理店前ですが、サーレ(塩)
も胡椒(ぺーぺ)も基本のキ


でも英語でソルト&ペッパーだ
とゴマ塩頭で店名にならない❓

イタリア語だとその辺クリア❓


生粋のニューヨーカーとイタ
リア人夫婦がマウイに恋をし
て開いた店だそうで、地元の
人と思しき人も大勢来ており

席があったのが奇跡的な混雑


ビールは「ビキニブロンド」



ココにいました👙(笑)



新鮮な生野菜とチーズたっぷり



メインの量も味もばっちり



正統派マルゲリータでした。

こういうのがありがたい


デザート、コーヒーへと進み



ワイワイガヤガヤの中で観光
客もすんなりなじめるいい店



ここは必ず再訪しそうです



ドライブ、ビーチ、買い物、
美食とマウイの醍醐味をコン
パクトに回った1日でした。


大勢が「ハワイはマウイ
という意味が、判ったかも


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ハワイ5回目行:見学は自己責任のブローホール

2022年04月17日 | ハワイ:マウイ島

2019年11月の5回目のハワイ
も、NZを出て機中泊を含めて
早5日目。ハワイで4日目
マウイで2日目を迎えました。


ホテルの宿泊は朝食込みで、
プールサイドでゆっくりと、



朝ごはんこれにジュース



そしてメニューから1品。

挟みモノ系好きの夫は
クロックムッシュ


私はイマドキ珍しいトッピン
グのないフレンチトースト

ホテル内のフレンチレストラ
ンで作っているからなのか。
フレンチトーストは基本形の
こうであってほしいと思う


「キミは誰かな?」



グリーンが目に鮮やかな

ヒロオヒルヤモリでした


ホテル住まいとはシャレてる。




食後はマウイ島の北端へ

ホテルから40分ほどの場所に
ある、ナカレレブローホール
ブローホールは潮吹き穴の事


標識がなくてもクルマがたく
さん駐車していて判ります。



標識らしきものは手書きのこ
れだけ。しかも潮でボロボロ

ブローホール
駐車と散策は自己責任で



なるほど~

遊歩道も柵もないので、どこ
まで行くかは自己責任か~


えっ



けっこう人がいる



波をかぶってる❓と思ったら



思いきりかぶってました💦



お年寄りは安全な場所から(笑)



荒波が岩壁に挑んで来るよう

火山島ハワイでよく見る光景


眼下も絶壁で轟音に包まれ、
どれが潮吹き穴の音なのか



近づいたら聞き分けられた❓



みんなの後をついて戻ると、



警告
ブローホールには近づくな
岩に挟まり命を落とすかも


・・て戻って来てから発見(笑)


近くにはお墓~

ホントにここで亡くなった方❓


ハワイは大自然の中、万事ユ
ルめで、個人がマイぺースで
楽しむ場所。でもご安全に



沖の岩島の周りの輝く白波



正面はモロカイ島

いつか行けるかな?


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ハワイ5回目行:マウイ最初の夜

2022年04月16日 | ハワイ:マウイ島

2019年の11月のハワイ5回目


路上のアウトドアみやげ店
マオリの彫刻に似ていたり、
タヒチの彫刻に似ていたり。

ポリネシアンの共通性を感じ
ます。こうした人型はハワイ
でもティキというそうで、マ
オリやタヒチと一緒です


ホテルに戻るのに裏通りを通
ったら、個性的なお庭発見



お気に入りが並んでいるよう。



キャストアイアンのゲートも
こんなにカラフルで個性的



これはパイナップルモチーフ



かつてパイナップルで当てた
パイナップル御殿か別荘か?



いったんホテルに戻って・・



日が暮れてから夕食へ

歴史博物館で合唱の最中


スマホで歌詞を見てるとか



フラもありました~💃



演奏も



パフォーマンスつき



地元の高校生の有志たちで、

「来年はアオテアロア(マオリ
語のNZ)にも行きま~す

とアナウンスがあり、こっち
までイェ~イとなりました
がコロナで中止だったでしょ
うから(NZはいまだに外国人
旅行者の受け入れ不可)残念


とうとう夕食となりました

マウイ最初の夜に乾杯


ここはダウン・ザ・ハッチ
いう魚料理レストランとかき
氷屋
が一緒にある不思議な店



アダルトシェーブアイスで
大人のかき氷🍧

どの辺が大人なんだろう


ロブスターとカニの焼きサンド

ラバラバ(溶岩流) ソースがけ


どこでもシーザーサラダ

ランチとディナー共通のメニ
ューと料金で軽く済ませたい
私たちにはびったりでした。
(👆ハワイは量が多めなので)


マウイの夜はまさにこれから



でも今日のところはホテルへ

また明日


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