ニュージーランド移住記録:みたび

移住は帰らなくてもいい終わりのない旅。人生そのものも旅。そして気づき始めたあの世への旅。旅と夢限定ブログ

グレートオーシャンロード+アデレード3回目行:ライムストーンコーストに別れを告げて

2023年08月29日 | オーストラリア:ライムストーンコースト

2022年11月のオーストラリア
6日目。南オーストラリア州
第2の都市マウントガンビア
を出てアデレードへ一路北上



ただただ平地。ただただ直線
退屈を紛らわす美しい農村が
延々と続いていくのには感動



商業施設でもないのに沿道に
は数キロにわたって花が植え
られ、芝も刈られそれは見事



一帯はブドウ畑だったり、



果樹園や小麦畑だったり。



観光名所でもない普通の田園
風景なのにすべてが端正で、

グレートオーシャンロードと
はまったく異なる光景です。


NZでは見ない木の杭と水道管
でできた整然と並ぶ簡単な塀

動物除けなんだろうか?リサ
イクルが容易そうな地産地消
素材が自然な風景になじむ


温室効果ガスを大量に出すセ
メントを使わない努力が始め
られる以前から、こうして暮
らしてきたように感じます。


道端の遊休地もキレイに芝刈
りされ風力発電のタービンも

人工的なものは最小限です。


ここはまだライムストーンコ
ースト(石灰岩海岸)で.小さな
町や村が点在しているはずで
すが、高速道路沿道ではなさ
そうで、店はほとんどなし。

(※https://alchetron.com/Limestone-Coast)


通過するドライバー以外は目
にする者もいないのに、ここ
まで愛情と美意識をかけ流し
た農村風景に心打たれます。
暮らしぶりのゆとりなのか。

ロードトリップにはいい道


ライムストーンコースト北端
の町キースでひと休み。マウ
ントガンビアからアデレード
までのちょうど中間地点。写
真を撮ったり休んだりゆっく
り来て、ここまでで3時間半。

ヘンリー+ローズ


コロナ禍を脱しかけたばかり
の頃ゆえ、ネットで営業が確
認できた数少ない店でした。

確認して行っても閉まってい
ることがまだあった頃です。


カフェ+花屋+雑貨屋のワン
ストップサービスでクルマが
停まっては出ていくような店



ひと息つけてありがたかった。

手作りスイーツも美味しい


さーて、一路アデレードへ


と思ったら、この大雨

ワイパー最速が追いつかない
南極からの暴風雨にたじたじ


しかし、雨雲の絨毯攻撃が終
わればあっけらか~んと青空



この辺は降った形跡さえなく
麦穂が風にそよいでいます。



しかし、再び南西から黒雲が



山の向こうは降ってるよね



で、こっちもすぐこうなると

ここまで来ればもう市内です。


ただいま~ 所有するホテル
の1室『アデレードの子』(と
呼んでいる)にチェックイン。
2019年4月以来で感無量です。

ホテルの方針でオーナーでも
自室に泊まれるとは限らず、
別の部屋でしたがそれもよし


悪天候にも阻まれ7時間の運
転でヘトヘトなはずなのに夫
は元気にベトナム料理ご所望

クルマがないと行けない郊外
メイキッチン
2018年以来2回目でした。


とにかく混み合う店で大繁盛



コロナの反動が爆発してる(笑)

夫はビーフフォーでご満悦


私はチキンフォーでHappy



さぁ、いよいよアデレード


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グレートオーシャンロード+アデレード3回目行:ノーサンバーランド岬の物語

2023年08月26日 | オーストラリア:ライムストーンコースト

2022年11月のオーストラリア
5日目の午後はマウントガン
ビアからポートマクドネルへ


ここもまた『船の墓場』と呼
ばれた海域の一部でしたが、
1860年にポートマクドネル港
が開港するや、ヨーロッパへ
の小麦や羊毛の輸出基地とし
て、アデレード港に次ぐ南オ
ーストラリア州第2位の取扱
高を誇るまでに発展します。

(※ロブスターだけじゃない)


しかし、華やかな経済成長の
陰で船の航行の安全を確保す
るための地道で弛まぬ努力が
続けられ、それは時として大
きな危険を伴うものでした。


開港に先駆け1856年に最初の
灯台建設計画が始動します。


1857年には建物が完成しまし
たがイギリスに特注した照明
設備を待ち、1859年1月マク
ドネル灯台が点灯しました。



灯台が建設されたノーサンバ
ーランド岬は海に突き出た崖
の上で、暴風雨は元より崖の
浸食により灯台守の安全が危
ぶまれたことから、1881年
に転移し、解体されました。

ノーサンバーランド灯台とも
呼ばれた灯台は役目を終えて
(※当時の灯台と灯台守官舎)


灯台跡は展望台になりました。



移転後は陸地に再建。規模も
設備もより拡張されました。

(※1882年移転。写真は1906
年。灯台守とその子どもか?)


現在も同じ場所で稼働中



ノーサンバーランド岬での
歴代の主任灯台守と任期。

厳しい任務だったでしょう。


初代主任灯台守となったベン
・ジャーメインは『マクドネ
ル港の父』ともいうべき人物



灯台操業から7ヵ月後にポー
トマクドネルから40kmほど
北上した地点でオーストラリ
アの蒸気客船アドメラ号が難
破し、89人が犠牲になる痛ま
しい海難事故が起きました。



ジャーメインは荒海の中を小
舟を操ってアドメラ号に近づ
くことに成功し船長をはじめ
数人を救助し、この栄誉で数
数の勲章を授与されました。

(※ポートマクドネル周辺の海
難事故とアドメラ号沈没場所)


ジャーメインはまた、マクド
ネル港建設に向け、建設地の
調査と選択を任されました。


周辺の岩や岩礁を調べ上げ、

(※克明な記録)


こうしたひとつひとつを記録
していったのでしょうか



建設地を最終決定し、開港後
は初代港長に就任しました。

(※1862年完成の旧税関。港
長事務所もここにありました)


1861年には灯台近くで転覆し
た船の乗組員救助の際、ジャ
ーメインは手の指を数本失う
という大けがを負いました。


灯台跡があるノーサンバーラ
ンド岬に行ってみました。岸
はどこもかしこも岩だらけ。



陸も崩れやすく立ち入り禁止



浸食された石灰岩はボロボロ
でいつ崩れても不思議はなく



グレートオーシャンロードで
見てきたよりももっと脆そう



草木も生えない厳しい環境



ラクダ岩



ここは古の寺院の遺跡のよう



大きくひび割れて浸食が進む



オットセイが昼寝中でした



まるで海上修道院モンサンミ
ッシュエル石柱を十二使徒
と呼んで観光誘致に成功して
いる商売上手なビクトリア州
を真似てあれこれ呼べそう。

でもそれをしない南オースト
ラリア州の奥ゆかしさもいい


岬は州最南端でもあります。



晩年のジャーマインはうつ病
となり、1893年7月に失踪。
9月に自分の船の中で亡くな
っているのが発見されたそう。



ほぼ還暦だったそうです。



ポートマクドネル港は陸路の
発達もあり1914年の貨物船
カジノ号の寄港を最後に、漁
港としての道を歩みました。


カジノ号はあのグレートオー
シャンロード建設労働者の
大飲み会
の契機になったあの
貨物船🚢1924年の座礁も含
め数々の事故を乗り越えて、
1932年にアポロベイで沈没。


バス海峡の荒波の中、満身創
痍で2,500航海したそうです。


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グレートオーシャンロード+アデレード3回目行:ロブスター漁の中心ポートマクドネル

2023年08月25日 | オーストラリア:ライムストーンコースト

2022年11月のオーストラリア
5日目。午後はマウントガン
ビアからクルマで30分ほどの

ポートマクドネル


『ポートマック』の愛称で親
しまれ、内陸のマウントガン
ビアの海の玄関口として発展


マウントガンビアを含む一帯
ライムストーンコースト(石
灰岩海岸)と総称され、その中
でもポートマクドネルは南オ
ーストラリア州最南端の町。
南極まで5,700kmだとか🐧

(※https://alchetron.com/Limestone-Coast)


港らしく旧税関。しかし、そ
れは名前だけで警察署と留置
所、郵便局、裁判所、港長事
務所まで入居していたそう。

(※今は宿泊施設カスタムズハウス)


NZ最南端の町ブラフを彷彿と
させ、危険な海域の港として
同じような苦労をしたよう。



ブラフと言えばオイスター。
でもポートマックといえば、

(※壁画で有名らしいポートマ
クドネル&地方海洋博物館)


ロブスター🦞

1950年代の典型的なロブスタ
ー漁師と漁具。ライムストー
ンコーストは州内随一のロブ
スターやシーフードの産地。
その中でもポートマクドネル
は最大の漁船数を誇るそう。


前夜のロブスターもこの辺で
水揚げされたものだろうか?



2018年に国と自治体が共同で
整備したウォーターフロント



町の歴史の丁寧で詳細な展示



それによると、ポートマクド
ネルは1780年代からオースト
ラリアの東海岸に向かう貨物
船により存在を知られていま
したが、正式な測量を経て18
00年に「発見」されました。


1840年代にマウントガンビア
への農業移民が本格化すると

(※農地が続くマウントガンビア)


旅客と貨物輸送への必要性か
ら、最寄りの港としてポート
マクドネル港建設に白羽の矢
が立ち開発が始まりました。


しかし、石灰岩に覆われ南極
からの暴風雨がたびたび襲う
この地もまたシップレックコ
ースト(難破海岸)
同様に『船
の墓場』で、ポートマクドネ
ルでは21艘が沈没したそう。


1859年に初めてこの地に灯台
が建設されたものの、同年に
40kmほど北で蒸気船アドメ
ラ号が難破し89人が犠牲に。

(※アドメラ号)


潮の干満によって見えたり見
えなくなったりしそうな岩。



小さな小舟で操業するロブス
ター漁も危険な仕事でした。

(※停泊中の漁船。1890年)


現在のマクドネル灯台



今は港を抱くように長い長い
防波堤が建設されています。

1970年代建設。全長1.5km


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