ニュージーランド移住記録:みたび

移住は帰らなくてもいい終わりのない旅。人生そのものも旅。そして気づき始めたあの世への旅。旅と夢限定ブログ

夢見:捨て子

2023年06月28日 | 浅き夢見し

すっかりサボり気味ですみま
せん。今週末からNZは冬休み
に入ることもありチャリティ
ーショップに寄付するアクセ
サリー作りに励んでいます。



1点平均500円でも10点なら
ば5000円の寄付になり、孫
のためにじいじばあばの財布
の紐が緩む学校休みは商機


子ども向けを意識しながら在
庫の積み上げに勤しみます。



とはいえ、印象深い夢を見た
ので記録に残しておきます。


=============


思い出せるは夢の途中から。


「私」は雨の中、知り合いの
不動産エージェントと道端で
立ち話をしていました。近く
で赤ちゃんの泣き声がして、


「捨て子かしら?」
と信じれない気持ちで言うと


「最近そういうのがよくある」
と不動産屋は冷淡に言い、雨
の中を小走りに行ってしまい
ました。彼とは最近リアルに
不快な思いをしたばかりで、
夢の中でも「こういう人だっ
たんだ」と失望しています。


赤ちゃんはすぐに見つかり、
生後1ヵ月ぐらいに見えまし
た。おくるみごと雨に濡れて
いましたが、大きな声で泣き
「助けられる
と直感し家に連れ帰ります。


家は2021年まで住んでいた旧
居で、夫と息子以外に40年来
の付き合いの、気心知れた日
本人の女友だちもいました。


「私」が連れ帰った赤ちゃん
をみんなでのぞき込みながら
「大丈夫、大丈夫
と彼女が力強く言い、慌てて
必要なものを買い揃え、唐突
に子育てが始まりました


赤ちゃんは数日で見る見る育
ち嬉しく思いつつ心の中では
「役所に届け出なきゃ」
と思っていました。なぜか警
察ではなく役所で、自分で育
てるつもりだったようです。


何日後かに猛烈に忙しい日が
ありました。息子が引っ越し
て行くらしく、1日中目まぐ
るしく動き回っていました。


夕方になり女友だちが仕事か
ら帰って来ました。彼女の顔
を見たとたん血が引く思いで
「きょう、赤ちゃんに1回も
ミルクあげてなかったわ。」
と言うと彼女はこともなげに
「大丈夫、大丈夫
と、出かけなくてはいけない
「私」の後を引き受けました。


「赤ちゃんって1日ミルクを
飲まなくても平気なもの?」
「でも1度も泣かなかったし」


外に出てからも混乱していま
したが、後は友人に託そうと
覚悟を決めました。そして、
「本当に役所に届け出なきゃ」
とそっちが気がかりでした。


=============


今の時点では意味不明な夢


以前、還暦を迎える友人が
ちゃんになって夢に登場
した
ことがありましたが、今回は
私の覚悟の方が焦点なのか


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グレートオーシャンロード+アデレード3回目行:世界最長の戦争記念碑

2023年06月22日 | オーストラリア:グレートオーシャンロード

2022年11月のオーストラリ
ア2日目。ビクトリア州の海
岸線全長243kmを行くグレ
ートオーシャンロードの旅



起点のトーキーを抜けたもの
の、それらしい標識はなく、
「もう始まってるんだよね
と言いながらさらに行くと、


「これだ

忽然と現れた大きな木製アー
チ。写真で何度も見ました。


大きいですが素朴な造りで、

グレートオーシャンロードと
ありブログ7本目にして到達
イースタンビューという場所


ここにアーチがあるだけで、
グレートオーシャンロード自
体はやはりトーキーが起点。


なのですでに40kmを走って
いました。大らかな大陸、細
かいことは気にしちゃダメ


グレートオーシャンロードは
第1次大戦(1914~18年)の復
員兵の福利と雇用の促進のた
めに民間が中心になって始め
た海岸道路建設計画でした。

また戦争で命を落とした兵士
への慰霊事業でもあり、グレ
ートオーシャンロードは今も
世界最長の戦争記念碑です。


調査と初歩的な工事は1919
年から徐々に始まり、資金と
復員兵の数に合わせて段階的
に進められ、計3,000人の復
員兵が建設に携わったそう。

完工したのは1932年でした。


「採掘者」と名付けられた記
念碑。軍服を脱いで銃をつる
はしに持ち替え、手掘りで新
たな道を切り開いた男たち⛏

重機などなく、そもそも道が
ないので周囲の岩や木材を使
い、運搬は荷馬に頼るばかり


海岸線は岩盤だったり砂のよ
うに柔らかかったり。夏は猛
暑、冬は南極からの寒波が押
し寄せる過酷な環境での労働



山側にはテント村が用意され
ました。復員兵には十分な報
酬が支払われ、料理人がいて
ピアノまであったという逸話
には、国のために戦った彼ら
への敬意が感じられました。



彼らへのオマージュなのか、
山肌にテントそっくりな家が



ここにアーチがある理由は、
最初の区間がここからローン
までの10kmだったため。19
22年に有料道路として開通。



アーチの正式名はグレートオ
ーシャンロード戦争記念アーチ




初代のものは料金所も兼ねて
おり1936年の無料化で解体

(※アーチというよりゲート)


2代目は1939年に完成し、19
73年に道路拡張に伴い建て替
えられ、3代目は1983年に起
きた森林火災「灰の水曜日」
(発生した当日が復活祭より
46日前の灰の水曜日だった) 
で焼失し、現在は4代目です。


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グレートオーシャンロード+アデレード3回目行:グレートオーシャンロードの起点

2023年06月21日 | オーストラリア:グレートオーシャンロード

2022年11月のオーストラリ
ア2日目。クイーンズクリフ
を後に帰宅するらしい下りの
クルマに混じって南下すると



サーフコーストシャイアに。

これが自治体名というのだか
ら驚き。自治体名に「サーフ
海岸」サーフ海岸市長とか


どこかでコーヒーが飲めない
かと、望みを託してやってき
たのは自然食品とカフェの店



店はやってましたがカフェの
営業は終了していて買えず💦



海岸の町らしいこんなアート



OEC(おいしい)という脱力
系ネーミングのすし屋も

でもコーヒーは見つからず(泣)


駐車場には軍関係者のような
遊び心満載のようなクルマが
停まっています(多分、後者)



自治体の中心はトーキーとい
う町で、そこがグレートオー
シャンロード
の起点だそう。



しかし、これといった標識も
ないまま左手に海岸線が続き



降りてみるとけっこうな岩場



土色の砂のせいなのか濁る波



ここでサーフィンしちゃう



もちろん、するよね~(笑)



最高の放課後かもね



1人でずんずん入っていく



ライフセーバーもいます

ボランティアなのにスゴい


だから安心して1人でも行け
るし、親も出せるのかな

こういう所で育つとすべてが
自然にこうなっていくのか。


標識はなくても迷いようのな
い海岸線の一本道。すぐアー
レイズインレットという町に



どこからでも見える美しい灯
台はスプリットポイント灯台



しかし、それ以外これといっ
た観光名所はなく、先へ先へ

(※観光案内に「ピクニック
に最適」とあったバークハッ
ト公園。外国人はどうする?
木の皮で葺いた屋根の小屋)


「もうグレートオーシャンロ
ードに入ってるんだよね?

と2人でキョトキョトしなが
ら、宿泊先まであと1時間半


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グレートオーシャンロード+アデレード3回目行:クイーンズクリフ

2023年06月20日 | オーストラリア:グレートオーシャンロード

事前に書き上げておかない限
り、旅行をしていると旅行記
が進まないというこの事実


数日シドニーに行っていまし
た。その話は11月頃にでも。


=============


ビクトリア州の州都であるメ
ルボルンは広大なポートフィ
リップ湾(ほぼ大阪府の大き
さに匹敵)の一番奥に位置し、
両側から蟹の爪のような半島
が伸びる湾は知多湾のよう。


ウロウロしていたクイーンズ
クリフは湾の西側のベラリン
半島に位置し、東側はモーニ
ントン半島。半島間を結ぶフ
ェリーが運航していました。

半島突端の最東部にあるフェ
リーターミナルに来ました。


シーロードフェリー

(※トラベルビクトリアより)


対岸まで40~45分。カーフ
ェリーでもあり飲食が充実し
た観光船でもあるようです。


新しいターミナル建設が急ピ
ッチで進んでいるところで、

労働者を大勢見かけました。


建設現場に女子トイレがある
ところが最近のNZやオース
トラリア。建設女子の増加ぶ
りがリアルにうかがえます。



両岸をつなぐ橋の建設計画も
あるそうですが、新ターミナ
ル建設への大型投資ぶりを見
ると、まだまだ論議の段階か


ベラリン半島最南端ショート
ランドブラフ。1840年代に建
設されクイーンズクリフ灯台



ここから先はタスマニアとの
間のバス海峡で外洋です。



左はモーニントン半島



狭いポートフィリップ湾の入口



右はロンズデール岬



その先端にも灯台。この辺は
灯台が多数建設されました。



一帯はポートフィリップ湾に
出入りする船の難所で、航行
の安全は最重要課題でした。


特に1850年代に金が発見され
ゴールドラッシュが巻き起こ
るとその重要性は飛躍的に増
し、メルボルンひいては州全
体の発展に欠かせなくなり、
ここには港や船に関するいく
つもの記念碑がありました。


地元民間海難救助組織の活動
(1856~1976年)を称える碑

漁師や灯台守が担ったそう。


水先案内人の功績と犠牲者に



第2次大戦で沈没したオース
トラリア海軍の艦艇と詳細

犠牲者の数に胸が痛みます。


どんな戦争でもそうですが。



さらに先に向かいます



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グレートオーシャンロード+アデレード3回目行:ジーロング周辺

2023年06月16日 | オーストラリア:グレートオーシャンロード

2022年11月のオーストラリ
ア2日目。ジーロングのニュー
タウン
を出て先を急ぎます。



なにせグレートオーシャンロ
ード
は全長240km。途中の宿
泊先もすべて予約してあるの
で、予定通り行かなくては💪



それでもせっかくなので立ち
寄ったのは、ジーロング港🚢



周囲は殺風景な工業地帯で、



そこから延びる長い貨物線

延々続く車両が大陸的な感じ


そして大きなカーフェリーも



スピリット・オブ・タスマニア

タスマニア島とを結ぶ唯一の
大型客船。約10時間の船旅


この時はタスマニアに行くこ
となど考えてもいなかったの
に、その5ヵ月後には実現。
(※NZからの直行便ですが)

人生は判らないものです(笑)


次はクイーンズクリフ駅へ



周囲は草ぼうぼうで運休中



クイーンズクリフ支線は1879
年にビクトリア鉄道の一部と
して運行を開始した鉄道で、
1886~1958年にかけては近
くのスワン島の軍事施設への
物資輸送に利用されました。


1979年以降は観光列車べラリ
ン鉄道
として地元の鉄道愛好
家により運行されています。

(※これはレストラン列車)


トーマスもコロナで休業中?

今は運行が再開しています。


1881年に建設された駅舎は
州の歴史建造物指定を受けた
古色蒼然としたたたずまい。



スワン島を見ようと入ってき
た駐車場にはペリカンたちが



のっしのっし歩いています。

太公望からのおこぼれ狙いの
ようですが本人は電話中(笑)


スワン島には橋が架かってい
てクルマが走行しています。



でも、行ってみたら一般車両
厳禁。軍事施設ですものね💦



観光地ばかりではなく、普通
の場所を通過していくのがロ
ードトリップの楽しみかも

(※クルマ慣れしているカモメ
近寄っても動きもしません)


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グレートオーシャンロード+アデレード3回目行:新町という名の古い町

2023年06月09日 | オーストラリア:グレートオーシャンロード

2022年11月のオーストラリア
2日目。ビクトリア州第2の街
ジーロングのニュータウン着

名前は新町でも古い町並み。


「読みが当たった

と思ったのは、クイーンズラ
ンド州の州都ブリスベンにあ
ニューファームを思い起こ
させる光景だったからです。


ニューファームの商店街



レトロな色合いも良く似てる

(※ニューファームデリ)


思うにニュータウン(新町)に
しろニューファーム(新畑)に
しろニューと付く地名は街の
発展が始まったごく初期(18世
紀~19世紀初頭)にかけて開発
された所が多く、広い道に大
きな敷地の屋敷が立ち並び、
今では高級住宅地化している
可能性が高い場所なのでは?


オークランドのニューマーケ
ット(1851年命名)も、それに
近いものだと考えられます。


ゆえに口の肥えた住人に鍛え
られた、いい店に出会える

ニューファームデリは私たち
にとってオーストラリアの神
カフェ、ベストカフェです


ググった結果期待を寄せた、

ウィンターズ・カフェ


名前に惹かれ、メニューに惹
かれて、やって来ました



丁寧な作りの絶品ファラフェル



夫も洗練されたブレッキーで



予約なしで入れたのはランチ
タイムよりやや早かったから



食事を終えた頃には予約して
ある馴染み客がわんさか到着

平均年齢が高いのもニューフ
ァームデリと似ているな、と


こんな感じもニューファーム

レトロな褪めたグリーンで。


地元の素朴な商店街風なのに




いかにも老舗風ピザ屋だったり



こういう店が入居してたり

NZ全国で8店しかないのに(笑)


ブランド服もキッズ服を展開



ちょっと歩いただけで平均所
得が推察できちゃいそうかも



歴史が感じられる大きな樹木
で縁どられた美しい街の景観



古いレンガの建物も似合う。

落ち着いた、いい街でした。


コメント (2)
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グレートオーシャンロード+アデレード3回目行:240kmのロードトリップ

2023年06月06日 | オーストラリア:グレートオーシャンロード

2022年11月のオーストラリ
ア行きは「グレートオーシャ
ンロードを走破し、投資物件
があるアデレードまで行く」
ということが旅の目的した。


グレートオーシャンロード
は、メルボルンを州都とする
ビクトリア州の南岸を東西に
走る、名前どおりの海岸道路



全長243kmで1919年着工、
1932年完工という100年前
に建設されたかつての州道。


今やオーストラリアきっての
観光ルートで、私たちもポス
トコロナ記念にやって来まし
た。途中宿泊しながら無理の
ない旅程を組んで(by全行程
運転する夫)、臨みました。


夫は「生命保険には入ってる
けど」と言いつつ、私が運転
するクルマには乗りたくない
そうで旅行中は本人の運転
私は記録係に徹しています。


2日目の朝はメルボルンから
クルマで小1時間ほどの港町
ジーロングへ。ビクトリア州
第2の街で現在国内でも屈指
の成長を遂げている場所とか



ジーロングのニュータウン着



名前は新町でも古い町並みで

事前の読みが的中しました🏹


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グレートオーシャンロード+アデレード3回目行:ポストコロナの旅

2023年06月05日 | オーストラリア:メルボルン

過去最長のタイトルとなりま
すが、2022年11月は再びオ
ーストラリアへ。一時は3年
遅れが見えていた旅行記も、
とうとう7ヵ月遅れまで来て
年内には追いつきそうです。


=============


8月にヌーサから戻って3ヵ
月後、再びオークランド空港

(※NZ航空ラウンジ)


その間、自宅も階下の借家も



同時進行でリノベーションを
続け、上に住んだり下に住ん
だりしながら、なんとか終了



オーストラリア便が出る前は
いつもごった返すラウンジも

午後便だったせいか閑散と。


アメリカ直行便の宣伝が遥
か遠くに感じられた頃ですが

今や息子たち2人はとっくに
アメリカを往復しています。


また自由に海外に行けるよう
になったんだと感じる光景。



飛んで飛んで



雲の合間から田園風景が見え



NZなら南島のようながら



比較にならないほど広大で



パックリ口を開けた鉱区がな
んともオーストラリアらしい



着陸後はカンタス機がズラっ



到着したのはメルボルン

オーストラリア第2の都市


宿泊はエアポートホテルの
ントラ・タラマリン
に1泊だけ


先を急ぐ旅程だったので市内
にも行かずに、部屋から眺め



ホテル内のレストランで夕食
にしたものの、周辺になにも
ないため超人手不足のところ
に夕食難民旅行者が押しかけ

(※夫の旅先の定番バーガー)


このメニューで1時間半待ち

(※私も定番のシーザーで)


スタッフの必死さもひしひし
と伝わってきてコロナも大変
ながらポストコロナも大変💦


客がスタッフに労いの言葉を
かけるところがオーストラリ
アやNZらしいです。私たち
ももちろんそうして、食事が
できるだけでもありがたい


でもどうせ大変なら自由で安
全な方がいいに決まってる


レンタカーのナンバーが3HK


HKは私たちにとり永遠に香港
(👆NZ移住前に暮らしていた)
小さくアガって翌朝には出発


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夢見:無数の椅子

2023年06月03日 | 浅き夢見し

「また椅子


夢の中でさえそう思っていた
無数の椅子がこちらに向いて
びっしりと並んでいる光景。


確かタイ滞在中の夢で最初の
光景を見た気がします。スト
ーリーは何ひとつ思い出せま
せんが、黒光りした重厚なチ
ーク材の硬そうな椅子がこち
らに向かって並んでいます。


暑い南国にありがちなまった
くクッションのない椅子。汗
ばむ場所には適していますが
如何せん硬くて座りにくい💦


2回目か3回目は、素朴な木製
の椅子が教室のような部屋の
真ん中に寄せ集められ、これ
もまた無造作に、こちらに向
いてぎっしり並んでいます。


「私」は夢の中でさえ
「クライストチャーチみたい」
と思っていました。


白く塗られた185脚の椅子

それはクライストチャーチ地
震の犠牲者1人1人に捧げられ
メモリアルアートでした。
(※現在展示は終了しました)


しかし、夢の中の椅子は死者
を連想させるものではなく、
ただただこちらに向かって無
言で並んでいるばかりです。


=============


同じような光景を確か3回見
ました。どれも夢の内容は思
い出せません。ただ視界いっ
ぱいの椅子、座ることを迫っ
てくるような圧迫感、そして
どれにも座らなかった「私」
という点が共通しています。


何回も見て思うに「あの椅子
はタイの残像だった」という
こと。活気あふれるバンコク
はどこも人、クルマ、バイク
に広告、看板、さらにそれら
を取り巻いている高層ビル群
で視界が覆われていました。



思考を許さず、とっさの判断
が無限に求められる光景が無
数の椅子として登場し「私」
は座る場所が見つけられず、
居場所がなかったようです。


そこには焦燥感や疎外感とい
った感情は一切なく、夢の基
本形である傍観者として、眺
めて、消え去るだけでした。
旅行者もまた同様でしょう。


かつてはこよなく愛したタイ
でも今の私に居場所はなく、
「タイは若いうちに行け」
というタイ航空のコピーは格
言だった、と気づきました。



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夢見:飯田橋

2023年06月02日 | 浅き夢見し

思い出せるような夢は何ひと
つ見なかった、タイ旅行中



戻ったとたんに怒涛の夢見。


ところが今度は多すぎて長す
ぎて思い出せない(笑)ただ、
夢を見続けていたことだけは
しっかりと記憶にあります。


夢見は自分のベッドが最強


何本立てかで見たのですが、
思い出せるシーンを追うとー


=============


「私」はどうやら日本にいる
ようでした。どこかに行きた
く、グーグルマップで検索し
ようと、自分のスマホ(珍し
く携帯してた!)や、どこか
でもらったらしい不思議なノ
ートパソコンに地名を打ち込
みますが上手くいきません。


自分ではIidabashi(飯田橋)
と打っているつもりなのに、
スペルが勝手に大文字と小文
字のミックスになってしまい
なかなか検索ができません。


宣伝用にもらったらしいノー
トはリングファイルにペラペ
ラのモニターが数枚綴じてあ
り、1枚1枚に検索窓があり、
Iidabashiと打ち込むと稚拙
で怪しげなサイトに誘導され
ます。中には中国語サイトも
あり怖くなってやめました。


=============


飯田橋は学生時代3年間アル
バイトで通った場所です。し
かし、記憶に残る地名として
登場しただけで、場所そのも
のには意味がなさそうです。


これがまったく土地勘のない
地名だったら、覚えているこ
とはなかったことでしょう。
(※覚えていても意味ない?)


行きたいところに行けずに不
安なはずなのに、なんとなく
諦めてもいて、焦りはありま
せん。近くに人の気配もあり
どこか安心してさえいます。
それは長男だったようです。


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旅行中の夢

2023年06月01日 | 夢の周辺

少し前に夢は旅という記事を
書いていました。私の夢には
「駅」「電車」「ホテル」と
いった非日常のシンボルが繰
り返し出てきます。夢の中で
も「いつもと違う」いう意識
を漠然と持っているらしい


では非日常そのものである、
旅行中の夢はどうなるのか


夢は見続けていますが、どう
もスケールが小さく感動が薄
い泡沫的なものが多いよう。


夢が、私が思うように幽体離
脱だとしたら、すでに自分の
身体の代替でも家を出ている
旅先は、離脱が始まった状態
に近く、さらに身体を残して
繰り出す必要がないのかも。


さらに、戻るべき自分の身体
が家のベッドではない別の場
所、宿泊先のホテルにあるた
め思い切った離脱ができない
のではないかとも思います。


心に余裕がないと夢は見ない
という記事も以前に書きまし
たが、旅行中は顕在意識では
楽しんでいても、潜在意識で
はある程度の緊張感を保ち続
けているのだと思われます。


楽しみと緊張ーーそれこそが
非日常なのだと気づきます。


20年ぶりにタイに行っていま
した。思い出せるような夢は
何ひとつ見ませんでした(笑)



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