ニュージーランド移住記録:みたび

移住は帰らなくてもいい終わりのない旅。人生そのものも旅。そして気づき始めたあの世への旅。旅と夢限定ブログ

パース行:ハッシュ・スペシャリティーカフェ

2021年09月30日 | オーストラリア:パース

「ダメだ~。また来なきゃ💦」
と言いながら歩いていたパー
ス2日目の午後。しかし長居
もできずまた出直すことに。



ストレリッツ・ビルディング

1897年完成の倉庫兼事務所


ドイツ系ストレリッツ兄弟は
金や交易で財をなし、ここや
パースにビルを建て、兄弟で
オランダ、デンマーク、スウ
ェーデンの領事を務めるなど
(当時は自国民でなくてもよか
った) 、事業でも外交で
も成功しましたが、第一次大
戦中(1914~18年)は敵性外
国人として拘留されました。


ノートルダム大学の校舎



これまたデコりにデコった20
世紀初頭のゴールドラッシュ
に想いを馳せるような建物



フェデレーションフィリグリー
様式で1901年完成のP&Oホテル

今はここもノートルダム大学
の学生寮でこんなところに数
年でも住める学生が羨ましい


1895年完成のユニオンストア

当時は街最大の工具店だった
そうで今は市の所有で本屋に


入口のタイルの美しさたるや



セントラルチェンバース

1907年完成のフェデレーショ
ンフリークラシカル様式。ハ
イストリートに舞い戻って、


ハッシュ・スペシャリティー
カフェ




ウエストエンドを歩き回って
いた時から目を付けていた店



外からは想像もつかなかった

こんな広さと2階と内装と


オーストラリアらしいセンス

誰もいない2階席にしました。


家ではできないレトロシック

エアコンもカモフラっぽく


壁を剥がした剥き出しのレン
ガに間接照明が温かさを醸し



全体にザラザラした空間に鏡
が上手くポイントになって、



さらにツルツルの天井レリーフ



完ぺきな形で残っています。



これは頻繁に来たくなる店



学生寮が多く学生も多そう



おネエさんがこれまたお洒落

フリーマントルに来る時には
必ず再訪します


緑の方はどこかの段階で敷地
を売ったのか2/3になってる



ANZ銀行の昔の金庫



めちゃくちゃ気になったデリ

リトルシスター


また来なきゃまた来なきゃ💦

と言いつつ、バス停に戻って


パース市内に戻りました。



レプリカトラムの観光バスで
周るのがなかなか良さそうで
すが、現在はコロナで運休中

次回はフリーマントルに宿泊
してがっつり周りたいと思い
ますが、それはいつだろう


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パース行:ラウンドハウス

2021年09月29日 | オーストラリア:パース

パースを中心とする西オース
トラリアの近代史は、1829年
にイギリス領のスワンリバー
植民地として始まりました。


翌1830年には初の常設の建物
としてラウンドハウス建設が
始まりました。なんと刑務所



植民地建設はまず刑務所建設
からだったというこのリアル



完成は1831年で、今も西オー
ストラリア州最古の建物です。

古さを感じる独特な階段


西オーストラリアの流刑植民
地化は1849年からなので、こ
こは地元犯罪者のために建て
られ、1885年に流刑囚により
建設されたフリーマントル刑
務所
が収監を始めると、ここ
の囚人もそちらに移され、刑
務所としての幕を閉じます。

モデルが女囚といのもリアル


丸い建物には丸い中庭があり
8つの独房と看守の住居はす
べて中庭に面しています。



1833年に中庭に掘られた井戸



中庭に置かれたベルはかつて
ラウンドハウスの外に置かれ
1850~68年の間、毎晩9:50
に鳴らされていたそうです。

その目的はホテルのバーで飲
んでいる仮釈放中の囚人に10
時の門限を知らせるためで、
10時までに戻っていないと、
警察に捕まってラウンドハウ
スで一夜を明かすことになり
刑務所の後は留置所として、
1899年まで使用されたそう。


その頃の写真

(※19世紀後半のラウンドハウス
ウィキペディアより)


壁には収監の理由(殺人、放
火、豚殺し、家畜泥棒等も)
支給された物の品目
1日の食事と内容
囚人に課せられた仕事



ここの囚人も井戸、道路、埠
頭建設など重労働が刑として
課され、重労働者には毎日塩
漬け肉が200g出されました。
そうでなければ肉は週1回。

どっちも辛いかも


ナゼか内部の写真がなくこの
バーチャルツアーをご参照


ラウンドハウスの外には海に
向かって大砲が設置され、こ
れは1900年に設置された時刻
を知らせるためのタイムボー
ル(報時球)と砲台だそうです。



毎日午後1時になると高い場
所に掲げられたボールが落ち
空砲が鳴らされていました。
今でもボランティアの手によ
り時報が続けられています。



ここはアーサーヘッドという
場所でため息が出る美しさ



どうしてこんな脱走したくな
るような場所に最初の刑務所
を造ったのかと思う風光明媚



灯台もあり古から船の往来も
多そうで、脱走しやすそう

(👆脱走する気満々の視線)


港も近く賑やかな場所です。



沖合にはロットネスト島



現在は市民の憩いの公園に



とても好みだったノアの箱舟
風パブリックアート



メルボルンのブライトンビー
チのビーチボックスのよう



1851~1862年に建てられた
軍の兵站基地。今は博物館



ホテルもレストランもたくさ
んあり観光客が大勢いそう。



とても1日では時間がなくこ
の辺は出直してこないと~💦



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パース行:ウエストエンドまで

2021年09月28日 | オーストラリア:パース

2019年8月の初パース2日目


フリーマントル刑務所を出て



街に出ればビクトリア時代に
足を踏み入れたかのようで、



街並みがそのまま残っていて
改装され今でも現役です。



フリーマントルタウンホール

1876年に計画、1887年完成


円形広場に面した高い塔のあ
る、まさに街のランドマーク



後では大きな工事が進行中で

一大再開発中のようでした。


周囲の建物も同時代のものと
思われますが入居者募集中



タウンホール隣のイギリス国教会

1843年に創建された最初の教
会を取り壊す際に、敷地の一
部を市に売却してタウンホー
ルが建設されたため、1882年
に再建された現在の教会と、
タウンホールは隣同士です。


自転車でのパトロールが長閑



ナショナルホテル

1868年に店舗として建てられ
その後ナショナル銀行が入居
1886年に銀行が転居しホテル
になりナショナルホテルに💦
(👆イージーすぎるネーミング)


後に金で一財をなしたオーナ
ー兄弟が1902年に2階建てを
地下を含めた5階建てに増築
し、ゴールドラッシュ建築の
典型のひとつになったそう。

2009年以降の再改装もありま
すが周囲と比べてひと際派手


フリーマントル刑務所と同時
期1853年の建物で、ペディメ
ントが刑務所の礼拝所のよう



周囲に馴染むように建てられ
たらしい警察署。2階が銀行



旧コマーシャルホテル

レンガだし20世紀の建物かな
と思ったら、1908年に3階建
てに建て替えられ、今はバッ
クパッカーになっています。


フェデレーションフリークラ
シカル様式というそうで、オ
ーストラリアで1890~1915年
頃まで商業物件で盛んに用い
られた建築様式。時代柄アー
ルヌーボーを取り入れたりし

ステンドグラスに名残りが


これもそうかもしれない

(※コマーシャルホテルでは
ない別の建物のファサード)


すぐ隣りのかなりデコったこ
のビルも1900年頃に建てられ
たフェデレーションフリーク
ラシカルのピアーススビル



左に行くとハイストリート。
英連邦でこの名前の通りがあ
ったら、まずかつての街の中
心。オークランドにもあるし



壁のように19世紀の低層の建
物が並び、奥には港のクレー
ンが見え、かつて交易で栄え
たことがはっきり分かる場所

ホノルルのチャイナタウン
彷彿とさせますが、あちらは
砂糖やパイナップルこち
らは金となると、時代もズレ
ますが豪奢さも格段に違う


これまた美しい1903年完成の
ホテル、オリエントホテル

フェデレーションアカデミッ
ククラシカル様式というそう
で、勉強不足でフリーとアカ
デミックの違いが判らない💦


派手なオーストラリア色の建
物は1907年完成の旧クレオパ
トラホテル。現在はすぐそば
のノートルダム大学の学生寮

フェデレーションフリークラ
シカル様式だそうで、学生寮
でもアカデミックじゃない


いかにも元銀行という建物

1892年完成の旧ニューサウス
ウェールズ銀行。典型的ネオ
クラシカル様式だそうです。


これはまた不思議な建物で周
囲とまったく違います。1903
年にドイツ領事館として建設
されたそうで雰囲気の違いに
納得。現在は宿泊施設らしい



これもまたフェデレーション
様式。だんだん目が慣れてき
1900年頃に完成した
海運会社ハワードスミスビル
1階部分がストーン、2、3階
が塗装したレンガなのが特徴

現在はノートルダム大学の
看護師・助産師学校が入居


美しい配色でひと際目立った
P&Oビル。強い日差しと青
空に映えるライトブルーと白
1903年完成のフェデレーシ
ョンフリークラシカル様式

ここもノートルダム大学の
看護師・助産師学校が入居


一目で一帯のシンボルと判る
ウィルヘルムセンハウス

1902年完成のフェデレーシ
ョンフリークラシカル様式


一時は塔の屋根以外真っ白に
塗られていたようですが、今
はオリジナルの色に戻り、海
運会社が入居していました。

オーストラリアらしいシドニ
ーのサンドストーンのような
黄色の石は、州内産のコテス
ローストーンだそうです。


ため息が出るほど美しい扉



このクリフストリートとフィ
リモアストリートの交差点は
ウエストエンドと呼ばれる歴
史的建造物指定を受ける古い
建物群が並ぶエリアの入口で
知らずに反対から歩いて来ま
した。知れば知るほどとても
見切れる数ではないらしく、


「これほどの数、規模がまと
まって残っている場所は他に
思い当たる所がないな~」

と思ったら、ウエストエンド
には250軒以上の歴史的建造
物があり、西オーストリア州
最大の歴史指定登録エリアで
した。大都市こそ開発が進ん
でしまっており、全国的にも
大きなエリアなのでしょう。


いや~調べに調べて書いた回
写真を頼りに1軒ずつ。いい
復習と予習になりました~


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パース行:脱走、暴動、そして閉鎖

2021年09月27日 | オーストラリア:パース

3本目ですがフリーマントル
刑務所
の話を続けます


フリーマントルという地は、
冬は厳寒な上、夏は40度を超
える酷暑になるそうで、その
気候は非常に過酷でましてや
刑務所内はなおさらでした。


独房の大きさは2.1m×1.2m
とシングルベッド並みで、そ
の中に担架のような粗末なベ
ッドがあるだけで、世界的に
も稀に見る狭さでした。トイ
レはバケツ1つが与えられるだ
けで劣悪な衛生状態でした。


それに加え食事の質も著しく
低く、脱走や暴動が絶えず、
脱走は成功するか失敗して厳
罰に処せられるかのいちかば
ちかの命がけの挑戦でした。


最初の脱走は1863年で47人
が集団脱走し、2度と見つか
らなかったそうです。連れ戻
された場合は鞭打ち100回や
食事や水の制限など、厳しい
現実が待ち受けていました。


暴動は1868年~1988年まで
120年にわたり断続的に続き
食への不満から1902年には
キッチン暴動も起き、8人が
足かせの刑に処されました。



フリーマントルは刑務官にと
っても厳しい職場でした。

(※初期の制服)


流刑囚には連続殺人犯など凶
悪犯も含まれるようになり、



近代に入ってからも、老朽化
した施設や食事への不満で暴
徒化する受刑者、度々の暴動



特に1988年の最後の暴動は



刑務官5人を人質に取って大
怪我を負わせ、施設を放火。



屋根が焼け落ち、刑務所閉鎖
の引き金となる事態に



3年後の1991年にフリーマ
ントル刑務所は136年間の悪
名高い歴史に幕を閉じ、受刑
者は州立のカジュアリーナ重
警備刑務所に移されました。


『刑務所受付』と題された閉
鎖した1991年の受刑者の写真



展示物や写真を見ているだけ
でも重苦しい雰囲気に包まれ
る中、思わず顔がほころんだ
流刑囚の制服

今ならこのまま街に出られる
シンプルシックな洗練度


長めのトップス、ハット、色
(特にオフホワイトのコットン
パンツがツボ)にオーストラリ
アンファッションの原点を見
るようですが、すべてイギリ
ス製で年1回支給だったそう。


ここは現在州立刑務所に収監
されている受刑者のアートギ
ャラリーで値札もあり購入可



アボリジナルアートの典型で
ある点描画が多く、受刑者
に占めるアボリジナルの多さ
という別の問題を見る思い。

オーストラリアらしいマンゴ
色の夕焼けと点描画


ビビッドな色彩も特徴的で、



このR.BARR氏の作品は色彩
といい作風といい好みでした



いくつも作品がありました。

右は売却済みでした。


オオトカゲや



ヘビもアボリジナルアートの

重要なモチーフ。


ここはツアーもたくさんあり
いつかまた再訪しましょう。


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パース行:19世紀の新たな奴隷制度

2021年09月26日 | オーストラリア:パース

2019年8月のパース2日目の
フリーマントル刑務所は個人
的に非常に興味深い場所だっ
たので、もう数本続けます


刑務所という概念がなかった
1700年代までは、犯罪者は絞
首刑、鞭打ち、火あぶりなど
公会刑に処されましたが、社
会の発展とともに、犯罪者へ
の処罰は刑務所という非公開
の場所へと移されました。


流刑囚時代の処罰は鉄の足か
せをつけての重労働、独房監
禁、鞭打ち、食事の制限など
で足かせ以外は1900年代に入
っても続けられたそうです。



足かせや鞭打ちはブリスベン
の博物館
でも見ていました。

(※ブリスベン博物館にて) 


西オーストラリア州での流刑
植民地(Penal Colony)の建設
は1849年から始まりました。


1788年のシドニーを中心とす
るニューサウスウェールズ州、
1824年のブリスベンを中心と
するクイーンズランド州より
大きく遅れて始まり、終了も
また1868年と遅れました。


約18年間に延べ43隻の船が計
9,721人の主に20、30代の若
い流刑囚をフリーマントル刑
務所に送り込み、1868年の囚
人船の廃止以降も流刑者移送
は1886年まで継続したそう。


1840年代の西オーストラリア
は深刻な労働者不足からイン
フラ整備が進まず、入植者が
東海岸へ移る中、植民地崩壊
の危機に立たされ、本国に懇
願し流刑植民地として再出発
することになったんだそう。


囚人の受け入れに当たり、本
国に3つの条件を出しました。
①女性流刑囚の受け入れ
➁政治犯の受け入れ不可
③重犯罪者の受け入れ不可


①は最初から実施され、➁③
は早々に反故にされました。


工事や製造の『熟練者求む』
という条件もあったそうで、
本国は現地の要求に応じて、
人繰りを確保する人材派遣業
のような役割を負い、流刑者
がアフリカの黒人に代わる新
たな奴隷だったことは明白で

足かせがその象徴に思えます。


処罰の対象となる囚人は所内
の鍛冶場で足かせをはめられ
その重さは刑に応じて30~40
ポンド(14~18kg)で、刑罰を
終えるまでつけさせられ、外
した時には足首が硬くなって
跡は一生残ったといいます。

(※ブリスベンで刑期を終えた
J・ウィリアムズと足かせ痕)


1850~60年代のフリーマント
ルでは、早朝からジャラジャ
ラという聞き慣れた鉄鎖の音
が鳴り響き、『チェーンギャ
ング』と呼ばれた足かせをさ
れた囚人たちがゾロゾロと現
場に赴いて行ったそうです。


囚人たちは矢印のついた派手
な囚人服を支給されました。



この時からすでにオーストラ
リア色で、カウボーイハット
を被っているのには驚き



この姿で現場へ行き1日10時
間の長時間労働と粗末な食事

囚人は刑罰のためではなく植
民地建設のために送られた。

と言われる訳がわかります。


当時の書物には囚人を指し、
『まるで国家の奴隷
(Crown serfs)のような』

と記され、中世の農奴(serfs)
を彷彿とさせる残酷な状況。


1850~62年の間に囚人たち
は、まず自分たちが収監され
る刑務所を建設し、その後は
高速道路を含む563マイル(約
1000km)の道路、橋梁239基
を建設し、井戸44本、排水溝
543本を掘り、桟橋2ヵ所、主
要道路沿いの36マイル毎の宿
泊所なども建設し、伐採した
樹木は4千本、切り出した石は
数えられないことでしょう。


囚人たちが造ったライムスト
ーンの塀の前を行く少女たち



コメント (2)
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パース行:フリーマントル刑務所

2021年09月25日 | オーストラリア:パース

2019年8月のパース2日目の
リーマントル散策
が続きます。


フリーマントルといえばコレ

なんだそうで、初めて知った


フリーマントル刑務所の存在



州や国家遺産だけでなく2010
年には国内10カ所の史跡とと
もに『オーストラリアの囚人
遺跡群』として世界遺産(文化
遺産)に登録されたそうです。



オーストラリア建国の歴史は
イギリスからの流刑囚なくし
ては語れないということを、
オーストラリアの都市部を回
るたびに実感してきましたが

パースもまた、そうでした


オーストラリアには1788~
1868年までの間に16万5千人
の流刑囚が送り込まれ、うち1
万人がパースに送られました。


刑務所は流刑囚施設として、
1851~59年にかけ石灰岩で建
設され、1855年より収監が始
まりました。1868年に流刑制
度が廃止されて以降は通常の
刑務所として使用されました。

偽札造りで1863年に流刑囚と
して到着した建築士兼土木技
術者トーマス“サタン”ブラウ
ンが1864年頃に描いた施設


刑務所は1991年に136年の役
目を終え、長い本格的な修復
を経て、今は流刑囚の歴史を
伝える博物館兼観光施設に。



1912年頃のゲートハウスと門衛

1855年完成。時計はロンドン製


ゲートハウスには小さな博物
館があり今は気軽に入れます
が、収監された者はどんな思
いでこの前に立ったことか。

入所と出所は必ずこの門から
行われていたんだそうです。


当局はこの重要な歴史的建造
物の永久保存に取り組んでお
り、『永久』という明確な目
標的への情熱を感じました。

19世紀から21世紀。そしても
っと先まで伝え続けたい史実


建物の中央に位置するイング
ランド国教会の礼拝堂の変遷
左が改装前、右が改装中・後



2005年の改装前。ペディメン
トにはVR(ビクトリア女王)1855年



改装後は文字が取り払われ
元来のライムストーンに



ゲートハウスの内側。中庭の
ような造りでカフェや店も



古の囚人たちはまず石の切り
出しから建設を始めました。



労働力欲しさにスリなど軽犯
罪でも流刑になった史実もあ
るそうで、植民地政策は先住
民だけでなく、犯罪者にも過
酷な政策だったのが分かり、



アメリカの独立で広大な植民
地を失い、奴隷制も諦めざる
をえなかった19世紀イギリス
の新たな植民地政策として、



流刑制度はいつまでも語り継
がれるべきことでしょう。



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パース行:フリーマントルマーケット

2021年09月24日 | オーストラリア:パース

2019年8月の初めてのパース


オークランドからだと直行便
でも7時間半かかり、時差が
4時間とはいえ、ほぼ日中の
半分を失う感覚で、早2日目


朝からバスに乗ってやや遠出
車窓から。ここもレインボー

まさに『レインボー』と名付
けられた地元アーティストに
よる古いコンテナをアップサ
イクルしたパブリックアート
(※コチラは制作現場の様子)


自治体が発注したそうで、市
へのウェルカムゲートかも


コンテナに迎えられたのは、
19世紀の街フリーマントル市

(※フリーマントル駅)


1829年よりイギリスからの入
植が始まり、街はビクトリア
時代から時が止まったような
19世紀を色濃く残した場所。



フリーマントルマーケット

1897年開業のランドマーク


1970年代に一大改装が行われ



現在は150店が軒を連ね、土
曜日だったので激混み



あちこちに行列ができていて

このラーメン店も朝ラー客で
外まで並んでいました


夫と手分けしてコーヒー
ブラットワーストサンドと



プレッツェルと席をげっと



アデレード中央市場に比べて
グッと観光地色が強いですが



場所柄重要な観光資源なのも
よくわかり、みやげ屋多数
でも気になるのは食品です。

NZは肉類の持ち込み不可なの
で現地で消費するか見るだけ


やっぱりバナナが気になるお
サル夫婦 高い~

と思ったらクイーンズランド
産で、まさかの東海岸から


おみやげはマーケットのオリ
ジナルジュート麻バッグに

NZの標準サンズよりひと回り
大きく今も重宝しています。


時代を感じる小さな出入口



フリーマントル技術訓練校

ここは2020年に民間企業に
売却され、専門学校やレス
トランができるそうです。


1900年代の古いビルに似合う
典型的パブ。パースはバーで
はなくパブと言う店が多い?

もっとイギリスっぽいのか?


19世紀のライムストーンの家



レンガが普及する前の古い家

ポーチやベランダが独特で、
古さと手造りのぬくもりと。


ポーチが多肉園になっている
家が何軒かあり、どれも豪快



夏の陽射しの強さがしのばれ



南欧のようなこんな空間が必
要で街に似合うのでしょう。

あえて冬に行きましたが、私
たちには快適な気候でした。


これまた古そうな建物

スタジアムかな?


楕円のボールだけどこれはラ
グビーじゃなくてフッティー
(オーストラリアンフットボー
ル、オージールールズと呼ば
れる競技)と思われるプレー



フリーマントルオーバル
古そうな入口ですが1986年❓

しかし、19世紀にクリケット
場だったのがフッティーの台
頭で、1895年以降はそっちが
メインになり125年近い歴史


フリーマントルは地ビールで
も知られ、11月にはビールフ
ェスもあり、ココも醸造所

FREO(フレオ)はフリーマント
ルの地元の人のニックネーム


ここもモンク(修道士)というブ
リュワリー(おいっ)でしたが

コロナで閉店しました💦


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パース行:16世紀のレプリカ、ロンドンコート

2021年09月23日 | オーストラリア:パース

2019年8月のパース旅行の目的
のひとつは、コレでした

オールブラックスvsワラビーズ
というラグビー国対抗試合を
現地に乗り込んで行って観る
という初の海外観戦遠征です。


試合のための特設会場がある
と知り、歩いて行きました。

しかし、美しい時計台


イスラム頭巾のヒジャブを纏
っている人が多く感じます。



突然出現するチューダー調の
大きな建物。なにコレ~

シェークスピアが出て来そう


これはロンドンコートという
ショッピングアーケードで、
金で当てた大金持ちクロード
・ド・バーナルズが私財を投
じて1937年に建設。完成時は
住居兼店舗だったそうです。

時計台も凝っていて、これは
ヘイストリートモール側。


中に入ると予想外のレインボ
ーの傘が色鮮やか~



多様性バンザーイ🙌な光景



16世紀のチューダー/エリザ
ベス様式を模したものだそう
で、まだオーストラリアが地
図上になかった時代の再現



粋狂な大金持ちがいなかった
らありえなかった、今となる
と貴重な歴史的建造物で大事
な観光資源になっています。



古色蒼然で傘がなかったら、
ちょっと寂しげだったのか?



当時の最新技術を導入して建
設され、空調設備や地下には
食堂も造られたそうです。



こちらは反対のセントジョー
ジステラス側の時計台です。



細部にまでこだわった見飽き
ない建物で、レプリカとはい
えかれこれ築100年にならん
とする歴史があり、美しい遺
産を残してくれたことに感謝



この真っ黄黄のオーストラリ
アらしい大きく重厚な建物は
かつてのコモンウェルス銀行

今のH&Mというのがウケる~


H&Mの前に国旗のよだれかけ
を掛けて立つ巨大なワラビー



スクリーンではベン・スミス
トラ~イ



ここが特設会場でしたが、準
備中でやや閑散としてます。

ここでNZのホークスベイ出身
の御仁に声を掛けられ、私た
ちがNZからと分かり御仁、話
が止まらない 絶大な郷土愛
とパース愛のどっちもLOVE
 

「NZに帰らないんですか?」
「帰らないさ。パースはいいぞ。
でもラグビーとなったら、も
ちろんオールブラックスさ」


元ダンス教室を経営していて
今はリタイアしているそうで
もっと話し込んでいたら、
Shall we dance
となりそうな愉快なキウイ


陽も暮れてきたので夜ご飯の
あてもないままホテル方面へ
飲み系の店は多くてもレスト
ランは少なそうでした。



ここは煌々と灯りが点いてい
ますがビュッフェでパス



初日から人民公社行っちゃう
のもどうかと、ここも通過



このグローブナーホテルのパブ
は一段と混み合い週末全開



さらに通過してパースミント

ライトアップ❓防犯対策❓
いずれにしても夜に浮かび上
がり綺麗に輝いていました。


そろそろホテルに着くという
ところで、やっとお店決定



初日の夜を飾るに相応しい



まさかの韓国料理

プルコギBBQ
(※評価高~い)


お袋の味的な店で

夫のデンジャンチゲ


私のキムチチゲ



モチカリ決定版のチヂミ

日中は暑くても夜はこれぐら
い温まってもよさげなパース


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パース行:初のワイルドウエスト

2021年09月22日 | オーストラリア:パース

2016年に遅いオーストラリア
デビューを果たしてから、遅
れを取り戻すべくせっせと
隣国に出向いており、2019年
8月はパースに行ってました。


初めての西海岸。東海岸とは
違うワイルドウエストを堪能


長くなりそうですが(←自分で
も何回になるか判らない)
旅行記開始します


=============


到着時の写真もなくいきなり

ホテル(笑) 今回は便利そうな
マントラ・オン・ヘイ・パース


オークランドからパースまで
は直行便でも7時間半かかり
「あと少しでハワイに行ける」
という距離感ゆえに、2人と
もクタクタでお腹ペコペコ


「お店?カフェ?」

と飛び込んだ近所の店は、ど
っちものイタリアンでした。


まさに食べたかったもの

こういう場所はコーヒーも


夜のレストランにもおいでよ」
とお店の人に誘われて、外の
メニューをしっかりチェック

「これはぜひ行こう


生涯一度ぐらい住んでみたか
った(←既に過去形)こんな家



ペニーレーンという小径発見

ビートルズ好きの夫がアガる


えっ💦

ナニナニ、この重厚な建物


パースミント

ミントに造幣局という意味が
あるとは知りませんでした。


ミントと言ったらコレかと



資源で潤ってきた西オースト
ラリアの本丸のような場所
でしたが、また日を改めて


金曜日で混み合っているバー



オサレなベンチ独特の形は
街の景観と人が寝ないように
という両方の目的のためかも



なんちゅー名前の餃子屋



こういう店が入居しているぐ
らいだから中華系率高そうな
街中の便利なアパートメント



名前からして高そうな女子高

メルセデス・カレッジ


でもメルセデスはスペイン語
で『慈悲』なんだそうな

歩くだけでも勉強になる街


ド―ンとそびえるウェスティン

こんなに部屋の電気が点いて
いて、混み合っているよう


西オーストラリア州地方裁判所



これが州のコートオブアームズ

(👆コートオブアームズ好き)

西オーストラリアはとにかく
白鳥&黒鳥だとは、この時点
ではまだ知りませんでした。


バーやカフェが入居するビル



なんとも華洋折衷な建物



古い建物がたくさんあって、
私には興味が尽きない場所

でもFOR LEASE(入居者募集)
というのも目につきました。


大きなアールデコのホテル。

ということは築100年近い?
と調べたら、ホテルとしては
1848年創業で現在の建物は
1937年に建て替えられ市内
唯一の現存アールデコホテル


これだけの規模は全国的にも
貴重な歴史的建造物では?



1901年完成のオーストラリ
ア色の建物も入居者大募集中



古い建物の規模の大きさに古
からの発展がしのばれます。



20世紀初頭に街が一気に形成
されていったのでしょうね。



そしてパースタウンホールと
その時計台のある交差点到着



=============


リアルでは今日、オーストラ
リアのビクトリア州で大きな
地震が発生。メルボルンなど
が影響を受けているようで、
被害が広がりませんように。


コメント (2)
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夢には2つのタイプがある

2021年09月21日 | 夢の周辺

長年、夢日記をつけてきて気
づいたことは多々ありますが
その中のひとつが、夢には2
つのタイプがあるという事。


ひとつは自分の好奇心から、
寝入った身体を抜け出して幽
体離脱状態で気の向くまま、
興味の向くままに、どこかに
飛んで行っている能動的な夢
で数では圧倒的にこれです。


例えば、最近見た夢なら、
ふってあげる
たまたま耳にした曲のシーン
を自分なりに再現したよう。


少し前の夢ですが、ふと30年
来の友人を訪ねていった夢
4階建ての家


そんな野次馬的物見遊山的夢
にも気づきがある事を、後か
ら気づくこともあります。


『4階建ての家』に関しては
私にとり夢の中での『建物』
や特にその中にある『部屋』
がいかに大切かを改めて知る
きっかけとなり、この件は
夢は見るべくして見ている
という1本にまとめました


もうひとつの夢は、能動的な
夢ではなく、どこからともな
く降って来るメッセージを受
け取る受動的かつ希少な夢。


割と最近の夢では、
コロナは背中からやってくる


夢の中でもNZの新型コロナ
対策を率いる実際の医務技監
が登場することが重要で、
これについてもまた書こう


今から10年も前の夢では、
福音:スネヲヒヤスナ
これなど夢に脈絡なく割り込
んできたメッセージでした。


いずれも夢の中で衝撃を受け
起きてからもそれが続いて、
書き残しておいたものです


いまだにメッセージに敬意を
払って、いずれも日々の生活
に活かすようにしています。


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ウェリントン6回目行備忘録:2019年7月

2021年09月20日 | 国内:北島備忘録

5ヵ月ぶりだったNZの首都、
ウェリントンでのABs観戦 
今や2年と2ヵ月前の話です。


オークランドはただ今、通算
5回目のロックダウンです。
これがなければ8月に再訪し
ていたはずですが、今は写真
と旅行記で、ガマンガマン


計4本の自分用備忘録です


空港から歩いて外に出る

生涯初めての経験でした


マラヌイカフェ

最高だった初めてのカフェ


街歩きとオールブラックス戦

充実の街歩きとまさかの結果


空港に歩いて入る

歩いて出たら歩いて入る、と


珍しく国内旅行記が続きまし
たが、次は再びかの国へ

        
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ウェリントン6回目行:空港に歩いて入る

2021年09月19日 | 北島:ウェリントン

2019年7月のウェリントンも
3日目の最終日。国内旅行も
北島となるとほとんど2泊3日
で、行っては帰る感じです。


いつものラムトンキーではな
く、ソーンドンキーに宿泊し
たので、ウェリントンらしい
官庁街をカメラに収めながら

やっぱり朝から歩きます


ビーハイブ、いわば議員会館



NZ最高裁判所



1909年完成のパブリックトラ
ストビル。市民の遺言を作成
保存する建物として、より威
厳のある壮麗な建物として建
され、現在は文化歴史遺産省



荷物を交代で持ちながら来た
のは朝から混み合うラムトン
キーの中心にあるカフェ

昨晩のオールブラックス観戦
者が多数いそう(含:自分たち)


アストリア

外席も含め150席もある、ヨ
ーロッパのカフェを彷彿とさ
せるクラシックな雰囲気の店


そんなカフェに似つかわしい
ラテアートのないコーヒー

しかし、創業25周年直前の20
20年12月に惜しまれつつ閉店


これは2棟の古いビルの上に
増築したんだろうか?地震が
心配なこの街であえてやる



ラムトンキーはやはり便利
ということになり、今後も
この周辺に宿泊することに。

ここからバスに乗って・・


やって来たのはミラマー

エリザベス女王に手を振って
もらって大笑いの巻


「カモメがあんなところに

と思ったら動きません


可愛いビラに遊び心が合う



そしてたどり着いた、満席で
写真が撮れない神カフェ

ブログで何度も登場している
ラーダー


アストリアはコーヒーだけに
して、ここで本格ブランチ



新鮮で美しく、もちろん美味



シンプルな料理にこそ違いが



この店のすべてが好きです



ボンボローニはお土産にも



6kgの荷物にボンボローニを
持ってさらに歩く私たち

なのでここの真下にも来れ、


釣り人も見かけました



そして車窓からしか見たこと
がなかった壁画の目の前に



映画の街らしく白黒のフィル
ムに収まる首都の移り変わり



来た時とは逆に、左の空港へ



途中でオールブラックスを乗
せたバスが過ぎていきます。



出たのと同じ場所から空港へ



この時、NZ航空の国内線ラウ
ンジは改装中で、狭い場所に
オールブラックス関係者がひ
しめき 選手もいました。



やっぱり首都が好き
ウェリントン旅行記終了です。


コメント (2)
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ウェリントン6回目行:街歩きとオールブラックス戦

2021年09月18日 | 北島:ウェリントン

2019年7月のウェリントン。


マラヌイカフェを出た後は、
バスに乗って市の中心部へ

首都は公共交通機関が発達し
ているので助かります


クルマも借りず、徒歩とバス
で乗り切れる数少ない街かも



やって来たホテルは初めての

クエスト・オン・ソーンドン


クエストは長期滞在向けサー
ビスアパートメント兼ホテル
のコンセプトと、一部屋ごと
ばら売りして別々のオーナー
がいることで有名な宿泊施設

なのでホテルよりも家っぽい


長期滞在にはいいのでしょう。



こういう物も部屋にあります。

コロナ禍の今、多くのサービ
スアパートが賃貸住宅として
市場に出ているのも分かる


お隣はマオリのマラエ(集会場)

道はソーンドンキー


道の向こうの黄色い古色蒼然
とした建物はウェリントン駅

駅であっても主に郊外線なの
で中心部からやや外れた位置


わざわざここに泊まったのは
オールブラックス観戦のため

強豪南アフリカ戦の日でした。
(※バーの南アフリカ国旗)


中心部には万里の長城のよう
にチャーターしたバスの壁

チーム関係者やサポーターが
続々首都入りしていました。


テクテクとお得意の街歩き

2階建ての古い建物に3階を載
せた、オークランドだったら
取り壊して再建しそうな建物


これはなんだろう

色ガラスがはまったファサード
歴史的建造物の保存なのか?


でもルーバー風の実際にはあ
り得ない壁で、古い建物の廃
材をリメイクしたものとか

調べてみたらサブジェクト・
トゥ・チェンジ
(変更の可能性)
というパブリックアート


歴史とコンテンポラリーと
なんともウェリントンらしい


到着したのはこの日新規開店
だった和食のKAZAGURUMA



試合時間から逆算して開店と
同時に行ったら、お客第1号
と2号になってしまいました。

隠れ家的な店内の2階席


時間がなかったのが残念で



サクッと食事サクッと退散

(※この時の話はコチラでも)


前回食事したジャノの前から

バスに乗って、


真っ黒なサポーターに混じり
(※いや、ただ暗いだけかも)

いざ球場へ


駅にたくさん電車が停車する

オークランドにはない光景
電車で観戦に来る人が多そう


ウエストパック・スタジアム

(※現在はスカイ・スタジアム)


景気づけの花火が上がって



オールブラックスのハカ



しかし結果は、まさかの

引き分け
前回と同じ


消化不良のまま前回同様、
繁華街コートニープレース

再びマレーシア料理のKCへ


夫のミゴレンはすぐ来て



私のラクサはなんと45分待ち
注文忘れ+テイクアウト優先
で後手後手になり苦情を言っ
てもまぁなんとも高ビー対応

さらに消化不良でトホホな夜


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ウェリントン6回目行:マラヌイカフェ

2021年09月17日 | 北島:ウェリントン

2019年7月首都ウェリントン


6kgの荷物を2人で交代で持ち
ながら空港からテクテク歩い
てやって来たライアルベイ


それがどの辺かというと、

この辺


このカフェに来たかった



マラヌイ・サーフライフセー
ビングクラブが経営する



マラヌイカフェ

(※ハリーとメーガンも来てた)


入口正面にはドーンとロゴ

有志のライフセーバークラブ
2011年で創部100周年でした。


カフェは2階で真っ赤な階段
手すりがボートのオールです。

『行列があっても落ち着いて。
5~10分で席が空きます』
とあり、夏は混み合いそう


いや、7月の真冬でも満席



大きな荷物を見て、店の人に
「空港から来たのか?」
と声を掛けられ、滑走路をグ
ルっと周って来たというと、


「トンネルがあったのに~」
と言われお互いビックリ仰天


40分ほど歩きましたが滑走路
の下のトンネルを通れば、半
分の時間で来れたようです💦


気の毒に思ったのか混んだ中
でテーブルを用意してくれ、



その後、窓際の特等席が空い
た時に案内してくれました

湾の向こうに空港が見え



離発着が見える絶景ポイント

おニイさん、ありがとう


眼下の冬のビーチも美しい



ヒトには寒くても最高だワン



海岸のカモメは不思議ではな
いけけれど、ここだけ密集



この水はどこからか流れ込ん
で来て、海に注ぐ淡水です。

何十羽も一緒に水浴び中
海鳥がわざわざ淡水で水浴び
するとは初めて知りました


「オヌシ、なかなかやるの~」



「ドヤっ



ずっと見ていたいような眺め



火曜日はオールデーブレック
ファストセットがコーヒー付
20ドルぽっきり(笑)

海を見ながら朝ご飯かぁ


放課後の学生向けにミルクセ
ーキ2杯とフライドポテトの
セット15ドルもありました。
ティーンのデートコース


ここは食べ物も非常に好みで



再訪決定の鐘が鳴り響く~

カフェ事業はライフセーバー
の貴重な活動資金のはず。


NZ航空のブラックボディー

やはりアガるこの真っ黒


ここはトイレまで



遊び心と100年の歴史を物語る



次回はぜひトンネルを通って



また来ましょう



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ウェリントン6回目行:空港から歩いて外に出る

2021年09月16日 | 北島:ウェリントン

2019年7月はオールブラックス
戦観戦で、ウェリントンへ


首都ウェリントン空港



今回と言わず、人生初企画
空港から歩いて外に出てみる

こんな表示があること自体、
そうしている人が多い証拠


左は立体駐車場、右は開業し
たばかりのホテルで空港直結



首都の空港という保安上の拠
点ですが木造の塀と鉄条網



まるで個人の私有地のよう(笑)



塀が途切れれば、この通り。



機体がこの近さで見えてギョ

石を投げたら当たりそう
(※ムリムリ)


『非核シティ、ウェリントン
にウェルカム』とありますが

NZは核のない非核国


歩道はあっても歩く人などい
ない自動車道路をテクテク



オールブラックスののぼり

ここを周り滑走路の反対側へ


今度は左手の芝地上が滑走路



だんだん街中に入ってきて

消防署


マオリ旗が翻る集合住宅



レンガ調の建物が建ち並び



思ったとおり有料老人ホーム

日本で言えばサ高住に近い


その真正面は葬儀場

キウイのことだからホームの
中でいろんなジョークが飛び
交っていそうだし、友人の葬
儀だ何だでよく行ってたり
なんとも思い切った立地~


『路面電車局1924年』とある

戦前の建物にバスが入ったり


出てきたり。バス車庫らしい



一帯は広大な市有地のよう。



オークランドにはないウェリ
ントンらしい山肌の住宅地



横道の向こうに空港の管制塔
と立体駐車場のビルが見え、



湾の向こうは空港で1kmもな
い距離。離発着も見えます。



海の近さを感じるプレート



やってきたのはライアルベイ



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