映画の話でコーヒーブレイク

映画の話を中心に、TVドラマや旅行の話などを綴ります

塀の中のジュリアス・シーザー

2013-02-03 | 映画 は行
シェイクスピアの「ジュリアス・シーザー」で思い出すのは2002年の「卒業の朝 The Emperor's Club」。
アメリカ東部の私立高校を舞台にケヴィン・クライン演じる教師が古代ローマの歴史を通して
生徒たちの人間形成に努めるなか、挫折を経験し、最後に希望を見出すというとても良い映画です。
生徒を演じたのが、今を時めく若手俳優、「イントゥ・ザ・ワイルド」のエミール・ハーシュ、
LOOPER」のポール・ダノ、「ソーシャル・ネットワーク」のジェシー・アイゼンバーグ、
TVドラマ「グッド・ワイフ」のジョシュ・チャールズら。

本作同様、生徒たちはローマ史の授業でトーガ(肩から掛ける白いローブのような衣装で、一人前の大人の証)を着てシェイクスピア劇「ジュリアス・シーザー」を演じ、劇を通して人間形成に必要な「人としての道」を学びます。
映画の中に登場する数々の先人の名言。どの言葉にも重みがあり、心にじわぁ~っと響きます。



       *********************

          塀 の 中 の シ ェ イ ク ス ピ ア

       *********************  


     
この映画・・・ドキュメンタリーなんです・・・よね?
イタリア、ローマ郊外にあるレビッビア刑務所。毎年囚人たちが様々な演目を演じ、
所内の劇場で一般客を招いて上演する、その姿を追っています。
今年の演目はシェイクスピアの「ジュリアス・シーザー」。
オーディションを経て、選ばれた囚人たちの配役が決まります。
主役はシーザーではなく、シーザー暗殺を謀るブルータスとキャシアス。
彼らは終身刑を含む重警備棟の囚人たちです。
暇つぶしや遊びではなく、強制されたからでもなく、本公演に向け刑務所内のあちこちで、
監房で、廊下で、遊戯場で、踊り場で、熱の入った稽古が繰り広げられます。

「ジュリアス・シーザー」には、古代ローマの政治を舞台に、陰謀、友情、愛国、正義、嫉妬、裏切りなど、いつの時代にもある人間の性と葛藤が描かれています。

件の映画「卒業の朝」ではシーザー暗殺時にアント二ーも共に殺害しようと提案するキャシアスに
ブルータスがシーザー暗殺の大義を説く場面に付いて、教師と生徒が議論するシーンがあります。
ブルータス曰く「 Let us be sacrificers, but not butchers. 我々は生贄を捧げる者であり、
者であってはならない」と。「シーザー暗殺は共和国のためという大義があるが、アントニー殺害
は単なる私憤だ」というようなことでした。「殺害」という行為は同じでも、意味が違うという
今でいう「白熱教室」にいたく感動したのでした。

銀座テアトルでは映画評論家の方々の感想など紹介する掲示板あるのですが、
どなたも「囚人たちはイタリアという土地柄マフィアがらみの犯罪者も多く、演じるにあたって
陰謀や裏切りなどそれぞれの過去がオーバーラップして演じる役柄と同化し迫真の演技に
繋がる」というご意見が多かったようですが、マフィアならずともブルータスとキャシアスの
「正義」を巡る葛藤シーンは胸に響きます。

終演となり、舞台上に全キャストが集まり挨拶し、観客はスタンディング・オベイションで
彼らの演技を称えます。その後、観客が帰り、照明が消え、演じ終えた囚人たちはそれぞれの
監房へと帰り、鉄の扉はが閉められ、看守が鍵を締める。
祭りの後はなんとも物悲しい。


冒頭と最後の本公演シーンはカラー映像で、オーディションや稽古の日常は全てモノクロ映像です。
モノクロ映像が、次第に熱を帯びる彼らの稽古に迫力を与え、まるで古代ローマにいるかのような
不思議な感覚にとらわれました。
この人たち本当に素人なの?囚人なの?とその演技力に驚かされます。
実際、ブルータスを演じた方は減刑されて出所後俳優をなさっているというオチまでついてます。
キャシウスを演じた方も本を出版するなど、劇を演じたことは彼らの人生に大きな影響を
与えたようです。
「芸術を知って、ここが本当の牢獄になった」というキャシウス役の方の最後の台詞、
彼は終身刑なのです。

演じるにあたって彼らの出身各地の方言で台詞を言うという指導がなされているのですが
イタリア語のわからない私にはそこいらのニュアンスは伝わりませんが、イタリア人が観ると
もっと感動が大きいのかも?

「人生、ここにあり!」といい、イタリア映画はなかなかユニークで面白いです。



にほんブログ村 映画ブログへ





最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。