僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

退職の日

2009年03月31日 | 日常のいろいろなこと

退職をすることって、結構骨の折れることなんですよね。

1ヶ月以上もいろんな人たちからご好意あふれる送別会をしていただいた。
だから、どうしても飲みすぎになる。贅沢な悩みですけど

毎月血液検査をしてもらっている徳○会病院での、ガンマGTP(肝臓のアルコールによるダメージ度)の数値が、1月より2月、2月より3月と、グングン上がってきている。それでも、風邪気味の時はあったが、大幅に体調を崩すということはなく、昨晩、今月最後の送別会を楽しくに終えることができて、本当によかった。

28日の土曜日は、休日出勤して荷物を片付けた。

制服(事務服、作業服、防災服、合羽)は貸与されているので返さなければならない。しかし、人事課は、僕のネームの入った古い服を返してもらっても使い道がないので困るだろう。「適当に処分してください。まあ、市のマークも入った服だから軽率に扱わないようにだけはお願いします」とのこと。つまり、しっかり処分しておくように、ということだ。

29日の日曜日は、家で葉書の挨拶礼状を作ってプリンターで印刷した。
在職中、お世話になった皆さんに、お礼の言葉を書き、それだけでは愛想がないので、昭和58年に出場したニューヨークシティマラソンでのフィニッシュの写真をつけた。僕がゴールしている上には大きく「FINISH」の幕が写真に写っている。写真の下に「今回は38年間の公務員生活のFINISHです」とキャプションをつけた。

出すところは150枚ほどあった。
ところが、50枚ぐらい刷って行くと、だんだんと写真が赤みを帯びてきて、最後のほうは真っ赤に近い色になり、どうやってみても火事場のような写真になった。原因はわからない。仕方なく、途中から写真を大阪長居競技場でのマラソンのゴールの写真に変えて、「38年間の公務員生活のゴールです」と説明をつけた。そんなことで、29日は1日中、眼がかすむほどその作業に没頭した。

昨日の30日(月)は、市役所の7階から順番に下りて行って、下水道部、都市整備部、財政部、教育委員会、総務部、秘書室、市民生活部、保健福祉部へと、順番に回って、職員の皆さんに、お礼のあいさつに回った。
「長い間お世話になり、ありがとうございました」
「あ、ご丁寧に。長い間、ご苦労様でした」
これを、何10回と繰り返す。久しぶりに話す人もあって、全部回りきるのにかなりの時間がかかった。

職場に戻っても何人かの職員が訪ねて来て、餞別などをいただいたりした。

副市長は「長い間お疲れさま。これから退職しても、市の行事(たとえばハイキング大会や、美化キャンペーンなど)にはどしどし参加してや」と握手をしながら、言われた。市役所を辞めると二度と顔を見せない人もかなりいるが、僕はOB会の行事にもどんどん参加するつもりだし、役所へ顔を覗かせもしたいし、今回送別会などでいろいろお世話になった年下の人たちとは、今後も飲みに行ったりするつもりである。38年間在職すると、数多くの友人ができる。その付き合いは、これからも大切にしたい。

そんなことで、昨日は1日中、挨拶をしたり机を片付けたりしていると、なんとなく胸が熱くなってきた。退職なんてどうということはない、と思っていたのにね…。

夕方、職場を訪ねて来た一人の女子職員が、僕の前で涙を流した。

僕が役所に入ったときに同じ課だった女性で、ちょうど彼女は20歳の誕生日を迎えた頃だった。みんなでハッピーバースデーの歌を歌ったことを今でも懐かしく覚えているが、彼女もそういうことを僕の顔を見て思い出したようで、思わず涙をこぼしたのだった。こちらまで涙が出そうになった。
「あれから38年が経ったのですねぇ。早いですねぇ…」

夜、創作中華料理店で「山の会」(というグループ)の人たちが送別会をしてくれた。そのうちの2人は去年同じ役所を退職したばかりの人たちだった。その人たちとワイワイ話をしていると、昼間の、なんとなく感傷的になった気分も和らいできた。

でも、家に帰って、ベッドに入ると、やっぱり何かヘンだ。眠れない。退職をするということが、どういうことなのか、まだ、よくわからない。

もういくつ寝たら退職だろと指折り数えていたが
もういくつ寝てもずっと退職のままである。

スーツを着て、ネクタイを締めて出て行かなくてもいい。
どんな生活なんだ? と思う。
40年ほど前の学生生活みたいなものだろうか
あれはまあ、一応大学へ通っていた。
これからは、通うところもない。
どんなんだろう…?

そんなことを思うと、ほとんど眠れないまま日付が変わった。
午前3時には、もう起きた。起きて、このブログを書いている。

今日は9時10分頃に議長から「議会事務局出向を解く」という辞令をもらい、
9時半に市長室へ行き、市長から退職辞令をもらう。

健康保険証と職員証を人事課に返す。

そして職場に戻って、最後のあいさつをし、見送られて、そのまま帰る。
今日は議員さんたちが、僕を見送ってくれるそうである。

それで、38年間の役所生活のすべてが、終わる。

4月1日と2日は、モミィを連れて、妻と3人で和歌山県の白浜温泉へ。

3日は議会事務局の、新任の事務局長も含めての歓送迎会。

5日~9日は、妻と2人で「青春18切符」を使って、大阪から、東京~仙台~盛岡~青森~秋田と電車に揺られ、秋田から飛行機で帰って来る。


              

それでは、葉書の印刷は途中で失敗したNYマラソンの写真ですが、
ここでその写真を使わせていただき、皆様に退職のご挨拶を申し上げます。

明日から何の仕事も持たないフーテンおじさんになりますが、
ブログは続けますので、今後とも、よろしくお願いいたします。

 

  

  1983年(昭和58年) ニューヨーク マラソンでの フィニッシュ。
  今日は、38年間の 公務員生活のフィニッシュで~す。 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする