石原延啓 ブログ

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震災

2011-03-14 14:11:51 | Weblog


この度の東北関東大震災に際して亡くなられた方々にお悔やみを申し上げると共に、これから出来るだけ多くの方々の命が救われ、被災された方々が一刻も早く癒されることをお祈り申し上げます。

上写真は2週間前に訪れた鹿島神宮の要石。
テレビの報道で参道の大鳥居が倒壊しているのを観た。地震を起こす大鯰を封じ込めているとされるこの要石も今回の震災では全く役に立たなかった。圧倒的な自然の力を前にしてただ呆然するのみ。被災地から遠く離れた自分ですら、震災の前後では違う人間になってしまったような気がする。
テレビの映像に見る津波の映像は、まさに村上春樹の言う解き放たれた「圧倒的な暴力」であり罪の無い多くの人々を飲み込んでしまった。
ただ「なす術もなく」と言いたくなるような絶望的な状況下でも猛威を振るった「圧倒的な暴力」に対して最後まで抵抗した方々が少なからずいた。以下ネットで拾ったニュースより

東日本大震災:「早く逃げて」命かけた防災無線…南三陸

 「早く逃げてください」--。街全体が津波にのみ込まれ約1万7000人の人口のうち、約1万人の安否が分からなくなっている宮城県南三陸町は、町役場が跡形もなくなるなど壊滅した。多くの町職員や警察官、消防職員が行方不明となったが、その中に津波に襲われるまで防災無線放送で住民に避難を呼びかけた女性職員がいた。

 「娘は最後まで声を振り絞ったと思う」。同町の遠藤美恵子さん(53)は、避難先の県志津川高校で涙を浮かべた。娘の未希(みき)さん(25)は町危機管理課職員。地震後も役場別館の防災対策庁舎(3階建て)に残り、無線放送を続けた。

 難を逃れた町職員(33)によると、地震から約30分後、高さ10メートル以上の津波が町役場を襲った。助かったのは10人。庁舎屋上の無線用鉄塔にしがみついていた。その中に未希さんはいなかった。

 遠藤さんは「(生き残った職員から)『未希さんが流されるのを見た』という話を聞いた。もうダメだと思う」とつぶやいた。

 地震直後、遠藤さんの知人、芳賀タエ子さん(61)は「6メートル強の波があります。早く逃げてください」という未希さんの放送の声を聞きながら、携帯電話だけを持ち、着の身着のままで車で避難所の志津川高校のある高台を目指した。停電で信号が動いておらず、周辺道路は渋滞していた。高台への道路を上がる時、振り向くと渋滞の列からクラクションが鳴り響き、その背後から津波が家屋などをなぎ倒しながら追いかけてくるのが見えた。

 芳賀さんは懸命にアクセルを踏み、数十メートルの高さの高台に逃れた。車を降りて避難所の階段を上がった。遠藤さんもたまたま避難していた。

 芳賀さんは遠藤さんの手を握って言った。「娘さんの声がずっと聞こえたよ」

 高台から見下ろす街は濁流にのみ込まれていた。【比嘉洋、写真も】



遠藤未希さんが無線で避難を呼び掛け続けた防災対策庁舎(右側の鉄塔付きの建物)。赤い骨組みだけが残っている=宮城県南三陸町で2011年3月13日午後1時11分、比嘉洋撮影
(毎日新聞 2011年3月13日 22時30分)


25歳のうら若き女性である遠藤さんは流される直前に何を感じどのような思いだったのだろうか。
このような方がいたと思うと日本人として誇りに思うし、同じ状況下で自分が同じように振るまえるのかと疑問に思う。
遠藤さんの安否は分かっていない。

生き残った私たちはもう一度自分の現実に立ち戻り、亡くなられた方々の分も真摯に生きなければいけないと切に思う。まずは、被災された方々に出来る限りの支援をすると共に、自分の人生を一生懸命に生きるということか。

海外の友人たちからも続々と見舞いのメールあり。
その中でNY在住で911テロに遭遇して多数の知人を失い、復興のボランティアをもした経験を持つ友人から「子供たちのケアをしろ!」との指摘をしてもらう。連日テレビで悲惨な状況を見つけるのは表に出さずとも子供たちには相当堪えるとのこと。被災した子どもたちはもちろん、被災地から遠く離れた子供たちに対しても注意が必要なようだ。


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1 コメント

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日本人に対する天罰だそうだな (元祖天罰大佐ことカダフィ)
2011-03-16 01:49:18
東京都の石原知事は、東日本巨大地震について「天罰だと思う」と述べたことについて、15日の会見でこの発言を撤回し、謝罪しました。

 石原都知事:「日本人のアイデンティティーは我欲。この津波を利用して、我欲を1回洗い落とす必要がある。やっぱり天罰だと思う」
 石原知事は「被災された方には非常に耳障りな言葉に聞こえるかもしれないが」と言葉を添えたうえで、14日の会見でこのように述べました。この発言を受けて、都庁には多数の意見が寄せられたということです。石原知事は15日の会見で、この発言を撤回して謝罪しました。
 石原都知事:「行政の長である私が使った天罰という言葉が、添える言葉が足らずに、被災者の皆様、国民、都民の皆様を深く傷つけたことから、発言を撤回し、深くお詫びします」
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