石原延啓 ブログ
seeking deer man

nobuhiro ishihara blog 
 






この週末、長男と一緒に神奈川県・足柄へ田植えに行く。
あの金太郎の故郷。
田植えと言っても「小さい頃に沢山自然に触れる体験をさせたい」と家内が農協のツアーに申し込んだものだ。
柄にもなく英才教育ってやつかな??
集合場所の新宿からバスに乗ると添乗員から定員割れしているのは諸々の理由で10人程のキャンセルがあったという報告があった。
これも先日お茶から規定量以上の放射性物質が検出されたという報道があった影響か?
さておき田植えは非常に楽しく、地元の方々のホスピタリティーも素晴らしく、お昼の豚汁がまた美味いこと美味いこと。
すべての食材は地元で穫れたもの。
更には大根抜きからお土産にピーマンやトマトの苗を貰うわで大満足。

小学生の時に生物オタクの私は図鑑で見る田んぼの生物たちにあこがれていた。
小魚を捕まえて生き血を吸ってしまうタガメ、水中カマキリ、トンボの幼虫ヤゴなどを想像し興奮を覚えたものだ、マジで。
今回見れたのはゲンゴロウとカエルだけだったけれども、都会に暮らしていると車に轢かれたヒキガエルしか見ないから、
シュレーゲルアオガエル(なんと懐かしい響きだろう!)を実際に手で持ったことは息子にとって貴重な経験になったろう。
裸足で入った田んぼの泥の感触はなんとも形容しがたい柔らかさ、温かさ(冷たさ?)であった。
親父の方が楽しんじゃった。

最後に地元農家の代表の方が終了のご挨拶の中でご自分が経営するブルーベリー農園の宣伝をするのはご愛嬌。
家に帰ってからウェブサイトを検索してみたら、とても魅力的(値段も)なので夏にもう一度金太郎の里を訪ねてみようかと思う。
http://dogu.boy.jp/

そしてこの方のブログもあったので気になる記述をざっと読んでみると足柄のお茶から放射性物質が検出された件についても述べられていた。
地元としては身を切られるような思いをされているだろうに、この方は東電を恨まずに自分たちの責任として引き受けようとしている。

このブログを通して知ったのだが、アメリカのネイティブ(インディアン)は核開発の原料となったウラン鉱石の存在を知りつつもこれを敬い手をつけずにいたという。そして「賢者の石」とか「神の火」と呼んだとか。
別のウェブからの引用だけれどもナバホ族インディアンの言い伝え
「この星、地球、この大地、この自然は先祖から譲り受けたものではなく、我々がほんのしばらくの間、子孫から借りているものなのだ」


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昨日Yahooニュースをチェックしていたら、岡本太郎の巨大壁画「明日の神話」に落書きという記事を発見。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110518-00000165-jij-soci
何だと!とあせって良く読んでみるとChim↑Pomの仕業だった。
記事では落書きとあったがスプレーで上描きしたのではなくて作品の一部に福島の原発を描いたパーツを勝手に付けたしたもの。
まあ、Chim↑Pomにしてはおとなしくて真面目(?)な作品なのでそんなに目くじらをたてるほどのことはないのではないかな。

もし敏子さんがご存命だったら、この作品に対して何とおっしゃっただろう?
いやそんなことより、太郎さんが生きていたら、今度の震災に対してどのようなリアクションをしただろう?
触発されてどんな作品を創っただろう?

「明日の神話」は1954年に米国の水爆実験で日本のマグロ船第五福竜丸が死の灰を浴びた事件をテーマに描かれた岡本太郎の代表作の一つ。
実はこの作品が再発見される前に、岡本敏子さんから
「太郎さんはあの事件を悲劇的に扱わないで、人類が未来、明日に向けてここから生まれ変わっていくのだという強いメッセージを込めたのよ」
といった話を聞かされたことがある。
もちろん現実には「やっぱりメルトダウンしていました」原子炉の処理、責任の所在、住民への補償、今後のエネルギー政策の見直し等、案件が山積みだけれども、それでも、尚、感情的にならずに私たちは近代を歩んで来た日本の歴史をふまえて自身の立ち位置を見直し冷静に判断していかなくてはならない。
なんせあと数十年は放射能と付き合って生きていかねばならない訳だから。

現実を簡単に風化させてはいけないけれども、「神話は過去のものではなく、明日、これから創る未来のためにある」というアーティスト・岡本太郎のメッセージもまた私たちの心に響く。



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できるだけ子供に絵本を読んであげるように心がけているのだけれども、近頃の昔話の絵本に関して不満がある。
現代のオリジナルの絵本は競争率が高い(?)理由からか、とてもよく考えられいて大人が読んでも感心してしまうくらい面白い絵本が多い。
対して従来の昔話を扱ったシリーズはマンガっぽい絵も内容も物足りないものばかり。
選者である私たちが安物買いの銭失いしているだけなのかもしれないけれど、アニメマンガ風の絵も毒気が骨抜きされている内容もいけてない。

そんなこんなで最近読み始めたばかりの本(「昔話の深層」河合隼雄著)の中に早速気になる記述を発見。
河合氏はこの本の中で現代人にとっての昔話の意義を解読していく上でまず「トルーデさん」を例にあげている。
この結末が「ええっ~!?」というくらいあっけなく、そして恐ろしい。
http://www.ab.auone-net.jp/~grimms/grimm32/trude.html

以下河合氏の解説が面白い。
昔話は子供たちへ教訓を与えるためにあると思っている人、単純な勧善懲悪式の教訓を考えている人は、この話の凄まじい結末にたじろぐことであろう。
(私は教訓めいた人ではないけれども、かなりたじろぎました。)
あるいはこの物語にたじろぐことなもなく「だから皆さんは親のいいつけにそむいてはいけません」などと平然と教訓を垂れることのできる人は既成の道徳の鎧によって生きた人間としての心の動きを被っているひとだと思われる。
このような人はその鎧を強化するために、もう一歩進んで話のかきかえすら試みる。
この話の結末を「こどもに聞かせるのにはあまりにひどすぎる」ということで柔らかくしたり、時にはハッピーエンドにしてしまったりする。

これってまさに私たちが生きる現代の日本の教育そのものについて書かれているかのようだ。
そして私が最近の昔話絵本に関して感じていた不満そのものだ。
私が見聞きしたかつての昔話は本当に怖かったはずなのに。。。

河合氏曰く、現代人は合理性や道徳性などに過剰に防衛され過ぎている。
だから昔話の「凄まじさ」についてまず知ってほしいとのこと。
同義でいえるのが現代人の死に対するあり方。
現代人がつとめて忘れ去ろうとしている死の戦慄は未開人にとっては真に重要なものであった。
エリアーデによるとある種族では成人する前のイニシエーションの過程で死を凄まじい恐怖と共に疑似体験する訳だけれども、このとき子供たちは初めて宗教的な畏敬と恐怖を感じるのだという。
彼らは超越した存在を実感し、それによって与えられた死を体験した後に成人へと再生していく。ここに於ける死と再生のプロセスは彼らの「実存条件の根本的変革」をもたらす。
昔話は人生における実存条件の根本的変革の瞬間を見事にとらえていることもできる。
よってその背後に存在する死の原型に力によって凄まじいものにならざるをえない。
人生をはいかに言いかえようとも、そもそも凄まじいものなのである~

冒頭からいきなりこれだけ興味深い本なので読み進めるのが楽しみなのだが、子供の絵本に対する不満だけではなく、率直な感想として今回の東北大震災に際してのマスメディアの報道においてもまた以上のような論理が働いて、悲劇的な状況を人々が克服していくことを感動的な論調でくくって終わらせているような気がする。
だからこそ、石鍋さんは「思い切って見に来て下さい。実際に見てもらわないとわからない。復旧したら実際に何が起ったが忘れられてしまう」とおっしゃていたのだろう。




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新聞でビンラディンが殺害されたニュースを読んでいると、「やはり悪い人だったのね!」と横から言う家内が妙に無邪気に感じられたので
「そもそも正義って何なの?」と私は問い返した。
この種の議論はアメリカ帝国主義vs イスラム原理主義ということで延々と語り尽くされているのではしょるけれども、突然に私は最近読み終えた隆慶一郎の「吉原御免状」を思い出す。
友人のコバちゃんが以前から隆慶一郎はジャパニーズアンダーグラウンドの歴史物を書く、これがまた面白いのよ!と熱く語っていたものを連休前に飲んだ時に借り受けて読んでみたら納得。
娯楽小説だし、どこまで史実に忠実かはともかくとして着眼点が面白過ぎる!
網野善彦の歴史観をがっつり踏襲していて私のツボにストライクだった。
弱法師の構えで刺客をやっつける主人公の振るまいなどは、私が近年最も着目している日本文化の基礎をなす「日本人の身体感覚」と関係しているし、物語の中枢をなす傀儡子の一族の登場は中世来の芸能、遊行の民の被差別の歴史を闇の中から浮かび上がらせてくる。
本当の自由、リベラルというものは反抗分子と結びつきやすくて体制側にとってはなはだやっかいなもの。
徳川家による幕藩体制が確固たるものになってゆく過程で遊行の民は意図的に差別されてゆく。この辺りの裏日本史は網野善彦の著作に詳しいけれども、ここで私は自分も含めて現代のアーティストの立場も思い起こさずにはいられない。

アーティストの立場というのは個人の主義主張というものは何人にも邪魔されるべきではないというものだから、まさに世界を網羅する資本主義とイスラム世界との戦いに於いてはガリガリやりすぎるなよアメリカさんと思うし、徳川農本体制と遊行の民とのせめぎ合いでは当然主人公の松永誠一郎に肩入れしてしまう訳です。
尤も911テロみたいな暴力は完全に否定するのもまたアーティストの立場ですが。ピース。

また、最近原発の報道に関してtwitterという新しいツールにお世話になってきたけれども、ここではまさに既成のマスメディアという体制と自由に行き交うフットワークの軽い情報源とがせめぎ合いをしていて、旧体制側は情報を統制するのに四苦八苦している訳だ。
(そこに小沢一郎みたいなのが利用しようとのこのこ出てきて客観的に見ていると興味深い。)

色々な価値観が乱立して世界中がバタバタしてきた今、自分はどういった立場をとっていくのか?家庭を持って自分がかなり保守的な人間であったと実感する今日この頃、マニュアル喪失の時代を迎えて悩みどころですねえ。

江戸期、吉原は自治が許されていたのはなぜか?という素朴な疑問から隆慶一郎はもの凄く話を膨らませまくったけれど、お話のベースとしては傀儡子の一族が女を守る為に吉原という「城」を造っていったことになっている。ふむふむ凄く良く出来た娯楽作品だったなあと思いきや、あとがきを読んでびっくり。

大正十二年の関東大震災で新吉原は壊滅した。
焼け跡には夥しい遊女の死体が転がり、この遊女達は互いの身体をロープでつながれていたことが評判となった。
楼主が逃亡を防ぐために牛太郎に遊女達をロープで結ばせ、惨状を招いたのだとされた。
だが、真相は違った。オロオロとしか逃げまどうことができなかった遊女達を誘導するために、牛太郎はロープをかけ多くの遊女を救ったが、誘導に失敗した牛太郎は遊女もろとも死んだ。若く、身も軽く、足も速かった彼らの方が犠牲者だった。
これは吉原のイメージとして象徴的な事件だったと隆慶一郎氏は語る。
足抜けを防ぐためにどんな残虐なことでもするというのは真実だったのだろうか?

奇妙なことに「遊女籠の鳥説」を追ってゆくと、噂を広げたのが、吉原自身ではなかったかと思われことだった。
なぜそうしたのか?

話がとめどもなくなっちゃったけれど、視点を変えてみると世界はとてつもなく広く、複雑で深いですね。

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大船渡でのボランティア活動は、地元消防士の千葉さんやワンピース倶楽部の石鍋さん等が立ち上げた大船渡サポートネットワーク.センター(OSN・C)の指示を仰いで行ったが、初日に千葉さん等、件の消防士さんたちと意気投合してしまった経緯もあり、翌日は実際にどのような活動をしているか見てほしいということで、レントゲンヴェルケの池内さんと私は比較的人が入っていない陸前高田の気仙川上流の河原の捜索に同行することになった。

ヘルメットにライフジャケット、防塵マスク、グローブはもちろん肘当てにニーパットまで装着。昨日繰り返し聞かされた救自、救共、救公の基本を思い出し、迷惑は絶対にかけられないと緊張する。
ある消防士の話では、前日この場所の少し下流を捜索している時に一人の老人と出会い、話してみると、息子さんが行方不明でずっと探し続けているとのこと。涙ながらにお願いされた、何とか見つけ出してあげたい。
ここはそういう場所なのだ。
現場に向かう前に遺体安置所となっている体育館に立寄り全員で焼香をする。
安置されているご遺体は4~5体だったが、館の端には木製の棺桶が山積みされていた。。。
正直、あまりの重さに言葉も出ない。
実際にこの体育館も津波は直撃して数人の命を奪った。一階天井近くに残る泥水の痕が生々しい。
私は真摯に敬礼をする消防士の後ろ姿をぼーっと眺めていた。

この日入った河原はかなり上流になるが、遡上した津波が下流から大量の瓦礫を押し流してきていた。
震災より一月以上経っているので既に泥が固まり、地面から毛布一つ引きはがすのもそれなりに力がいる。
私たちが来た時はそういう細かいところで見落としがないかを念入りにチェックしていく段階になっていた訳だ。
これが震災直後であったらどうであったろうか?思わず身震いをせずにはいられない。

前日に遠目でみていた瓦礫に中に入ってみて感じたのは、ものに宿った記憶の生々しさといったところか。
遠景も凄まじいが、中に足を部見入れるとディテールが延々と物語を語りだすのだ。
そこにあるのはゴミではなく、ついこの前まで続いていた日常が突然抵抗しようのない圧倒的な暴力によって根こそぎ流されてきたものだった。
椅子、ソファー、カバンなどの日用品からサッカーボールやバットなどの遊具まで。
それ等の中でも泥まみれの写真とぬいぐるみや子供の遊具(私の子供のものと同じ室内用のジャングルジムの残骸には参った)には特に胸を痛めた。

緊張していたので1時間半の捜索はあっと言う間に終わる。
リーダーの早川さん曰く、川の中も湾内も地上と同じように瓦礫の山だと。
ここに流され引き込まれたら助からない。あまりに危険を伴うので水中の救助は滞っているのが現状らしい。
帰りに見た竹やぶでは引き波で竹が何本も倒されていた。
なんという自然の猛威だろう。
そして改めてボランティアの消防士たちの真摯で地味な活動に頭が下がった。

後はOSN・Cの拠点である福祉の里センターで救援物資の仕分けや、各避難所へお手伝い、更には突然に五月末に決まったアートイベントの場所確保に市役所や小学校を訪ねるなどに同行させてもらう。

今回の東北行で私が一番に感じたのは被災地における温度差。
確かに東北道は道路がデコボコだったけれども、一関ICを降りて走ってみると、あの地震から一月半経って、ほとんどその痕跡を見ることが出来なかった。
のどかで美しい春の東北の自然に包まれて震災も放射能も忘れてしまうほどだった。しかし津波にやられた場所に来ると一変し文字通り地獄絵と化す。

津波にやられなかっとしても日常はすぐにれるのか?
答えはもちろん否。
例えば家を失ったお隣さんを招いて炊き出しをするとする。
そのお米代、食事代は一切補償されはしない。
そこで一体誰が文句を言えるだろうか。
被災地には様々なストレスが連なっている。

もう一つ、温度差と言えば避難所について。
最期とその直前に訪ねた避難所のあまりの違いに愕然とさせられた話。
最終日に訪ねたある避難所では地元の保険会社に勤める若いサラリーマンが仕切っていた。彼曰く、今は本業が仕事にならないので、社長が来た時にボランティアをしばらく続けろと命令されたとか。さておき、をの避難所は本当に活気があった。
韓国から来たボランティアが辛くない韓国家庭料理を炊き出ししていたり、領事館の外国人がじいちゃんばあちゃんの前で弾き語りをしていたり。要は現場の裁量で判断していることが第一。救援物資の流通もマニュアルにとらわれずに他の避難所や団体とリンクしていると豊かになってくるようだ。直後に訪ねた別の避難所は役所から派遣された女性が受付をしていたが、そのあまりに排他的な姿勢はマニュアル以外のものを絶対に受け付けていない証であり、実際にその避難所の寒々とした雰囲気は前述の避難所の活気とあまりに落差があったように見受けられた。

被災地と我々の住む非・被災地とでの落差が大きいのは当然と言えば当然。
報道でみる被災地と実際に訪ねた被災地の温度差には驚かされる。
報道を通して得たイメージは、東北は全てがっつりやられている印象だが、
実際には東北の中でも、被災地の中に限っても大小無数の温度差があるのだ。
これは決して幸せな状況ではない。
もし現場に入れなくとも、非・被災地に住む私たちもまた「想像」しなければいけないと思う。



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女房の所用に付き合って目黒雅叙園へ行ってみると、辻村寿三郎・人形展をやっていた。
子供たちに見せたら面白がるかなと軽い気持ちで寄ってみると。。。。
仁、義、礼、智、忠、信、孝、悌、いざとなったら珠を出せ~力があふれる~不思議な~珠を~
なんと!あの名作人形劇「新八犬伝」のキャラクターたちが入り口に!!!!
犬塚志乃、犬飼現八、犬田小文吾など懐かしい面々に思わず涙しそうになる。
そしてもちろん「ダン、ダン、ダン、ダン、ダン、我こそは~玉梓が怨霊ぅ~」あれはトラウマになるくらい怖かった。
まさかドラマに使用された本物の人形を間近で見れるとは思わなんだ。
帰りに劇場版のDVDを買ってしまいました。


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大船渡滞在では公民館で他のボランティアの方々と寝袋を並べて雑魚寝したのだが、その中でボランティアの消防士の人たちと一日の終わりに一緒に酒を酌み交わすうちになぜだか意気投合してしまった。
彼等の心意気と行動力には本当に頭が下がる。
そして今回の震災に於ける初動の不手際や救援体制の構造上の問題、さらには救援活動の本当の本当に芯となる部分「いのち」にまで話は及び、本当に多くのことを学ばせてもらった。

私たちが同宿したのは新潟、愛媛、兵庫の消防士。
彼等は行政の指導で各所在地から震災後に正式な消防部隊として一度現地入りしたが、一度帰郷した後に再度ボランティアで大船渡入りしているのだ。
(休暇を利用しているのだが、何度か行来している方もいた!)
さらに驚くべき事に、彼らは既成の日本の消防における救助をより発展させたシステムを模索していて、レスキューシステムジャパンというNPOの訓練に参加したり、自費でアメリカまで出向いて最新の救助法を勉強しているような勇士たちだということだ。
興味深いのは「USAR( アーバン・サーチ・アンド・レスキュー)」という救助方法の概念。
もとはアメリカ陸軍で戦場で傷ついた味方兵士を瓦礫の中から救出するために編み出された方法論らいしのだけれども、
それを災害時に使用できないかということで改良が重ねられたものらしい。
今回同宿したのは海外で独自に研修を積んだ方をリーダーのもと、意識の高い各地の消防士がチームを形成して救助捜索にあたっていた。
そういった防災の新しいプラットフォームの存在について、我々一般市民も災害へ対する危機意識とともに知識として知っておかねばならないと思った。
東海大地震の可能性が提唱されて早数十年、彼等は可能性として東京に於ける有事を想定している。
旧来の防災救援体制、各地域毎の救援隊や海外救援隊との連携、意思統一や訓練施設の問題など、徹底的に話し合い早期にUSARの概念を啓蒙推進実現していって欲しいと切に思う。

「僕ら、それぞれの消防署では浮いてますから~」
笑いながら言うカッティングエッジをゆく消防士たちの話を甚大な被害を受けたこの被災地で聞くと切実である。
男たちはガンガンに酒を飲みながら冗談を連発し、やたらと明るい。
しかし現場の話になった途端に神妙になり目に涙を浮かべながらとつとつと話す。
つかの間の時間、少しでも明るく勤めなければやっていられないような仕事だ。
私は救援と復旧の境がどこになるかを聞く。
地元大船渡の消防士の方曰く「救助とは、待つ人がいる限り続くものです。」
(後で捜索に同行させてもらい知ったが、行方不明者の捜索は本当に地道な作業だ。)

救助の基本はまず第一に自分の身は自分で守り、次に仲間の身を守る。そしてその次にはじめて助けを求める人を助ける事ができる。
ここで素人である私たちは何かもの申したくなるかもしれない。
あななたちプロなんだから助けてよ。
だが実は、日頃平穏に生きる私たちは忘れてしまっている。
生きていく上でもっとも基礎的な事柄「自分の身は自分で守る。」ということを。
基本さえできていれば、あとは応用すればどのような対処も出来る、と彼等は言う。
ある消防士が言った。
「あなたの隣に常に消防署があるわけではない。」

酒と共に夜は更け話は続く。
「自分の子供と他人の子供が助けを求めていたらどちらを先に救うか?」といった究極の問いかけまで出る。
前述の消防士が語る。
「私は息子を救います。いつも『例え何があっても絶対にパパはお前たちを救ってやる。』と言っている。
自分の子供も救えずに、何が消防士だと思っている。」
涙ながらに自らの家庭の状況から全てを真っ正直に告白する彼を見ながら私は確信する。
「ああ、この人たちは自分のだろうが他人のだろうが、自らの命を捨ててでも全ての子供たちを救おうとするだろう。」

前述の基本は、まず自分の身を守る。しかし同時に救援活動には究極のジョーカーが存在するそうだ。
自己犠牲。
何と悲しくも逞しい漢たちだろう!!

朝の4時半、リーダーが寝袋から外へ出てゆく。
後で尋ねると走って酒気を抜いていたそうな。
「自分は現役を退いて久しいから、こうして少しでも態度で示さないと若い彼等は命を張ってまでついてきてはくれないでしょう」
54歳の彼は私にコーヒーを入れてくれながら言った。

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