石原延啓 ブログ
seeking deer man

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仙台から画商のSさんが上京。
ピアニスト東誠三さんのコンサートに誘っていただき紀尾井ホールへ行く。
生誕200年記念ということでリストの特集だったのだけれども素人目(耳)にもかなり難しい選曲だったと思う。
東さんの人柄通り、作曲家の作り上げた音をリスペクトして一音一音魂を込めて打ち込んでいくような演奏。
ひとつひとつの音が立ち上がり踊って溶けあって腹に響いてくるような感じがする。
アンコールでようやくリストではおなじみの愛の夢やカンパネッラなど。
これら耳慣れたアンコール曲はともすれば甘い雰囲気に流されがちになりそうなものだが、東さんがそれを許すはずもない。
ラ・カンパネッラは力強さと透明さを合わせ持った本当に瑞々しい演奏であった。
素晴らしい演奏に感動して子供&自分の為にCDを購入(写真)

コンサート後はSさんとがっつり飲みタイム。
いせ源(あんこう鍋)→やぶそば→山の上ホテルのバーとこてこての東京を満喫。
Sさんとの会話はいつも本当に楽しい。
今回驚いたのは仙台のお雑煮の話。
干したハゼ(!)で出汁をとり、それを最後にお椀にどっかり乗せるのだとか。
いつの日か食べてみたい。
そして一日も早く被災された方々がいつも通りの楽しいお正月を迎えることができるようになる事を切に願う次第です。


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サッカーの岡田前日本代表監督が中国の中堅クラブチームの監督就任に前向きだというニュースを見て、いちスポーツ業界に留まらない視野の広さはさすがだなあと思う。以下発言を抜粋
「自分自身のチャレンジということでも刺激を受ける。(中略)それとともに中国はこれから世界のあらゆる部分でキーになっていく国です。そういうところを自分が直接見てみたいという気持ちがあった。」
「ゆくゆくはヒデ(中田英寿)とかの、ヨーロッパとか世界で名前の知られている人物が(海外で監督を)やればいい。中国で日本人が指揮を執るということは、いろんな面で影響がある。国レベルではできないことができるかもしれない。アジアもこれから、流動性の高い世界にならないといけない。」

先日タイ人アーティスト、ウィットのトークを聞きにTWSへ行った。
テーマが311やバンコクに洪水など震災に対してアーティストがどのように向き合うことができるかということだったので興味を惹かれたもの。翌々日にはベトナムのディンQ・リー、韓国のヨンヘ重工業、日本からは米田知子さんを交えて同じテーマでテーブルセッションをやったらしいがこちらは残念ながらミスした。
トークセッションの後、久しぶりにTWS館長やプログラムディレクターと話したのだけれども、今アジアが面白いと言う。
その中で印象的だったのが、以前東南アジアへ出張した時に、各国アート関係者と英語でコミュニケーションする訳だけれども、ふと気づくと自分と話す以外は皆中国語(マンダリン?)で話していたことになるほどと思ったとのこと。
アジア諸国には華僑をはじめ中国系の移民も多く、もちろんアート関係者も例にもれない。
新しいかたちのネットワークが作られつつあるようだ。

私はサッカー北朝鮮代表選手であるチョンテセ選手のブログを好んでよく読んでいるのだが、在日の彼はJリーグで活躍した後にドイツのチームに移籍して、同じくヨーロッパでプレーする日本の選手たちとの交流を面白おかしく書いている。
日本の選手と在日の選手が異国の地で助け合いながら切磋琢磨し、チーム同士の戦い、そして代表チーム同士の戦いでは絶対に負けまいとして足を削り合う。
そこには個人のアイデンティティをがっつり背負いつつ、国や政治を超えて人と人とが対等に向かい合うことの出来るプラットフォームが存在している。
(もちろん北朝鮮という国には大いに問題があるのは忘れてはいけないけど。)

アジアの将来、アジアの中に生きていく日本ということを考えたときに、岡田さんの言う「流動性」というのはキーになってくるのではないだろうか。今後の動向に注目したい。


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12/4

日曜日に武蔵村山市にある中学校の解体現場へ救助犬訓練の見学へ行く。
春に大船渡で知り合った消防士の救助隊の訓練をしている教官の方と日本救助犬協会の方に誘われたもの。
震災被災地で彼らから聞いた現場の話も「え~っ!?」の連続だったが、今回も大変ためになるものだった。

まず、我ら一般人は各地の消防など行政に救助犬というものを育成している機関があると思いがちであるが、実は全くのボランティアで民間人である。
だから3.11の時は震災翌日には仙台まで到達していたにも関わらず、実際に被災地に入れたのは人命救助の目安となる72時間後であった。
震災直後は行政側が混乱していたこともあるが、犬を扱うハンドラーは民間人であり、危険な現場では身の安全を保証できないというのが大きな理由らしい。
知人である教官の方曰く、日本ではまだまだいざという時にICS(Incident Command System:災害時指揮命令系統)が機能していない。
彼は実際に現場に入ってオランダからきたボランティアの救助犬や消防、そして自衛隊と救援活動にあったったが、オランダ人はもちろんのこと自衛隊も垣根を越えた自主的な協力体制に慣れていて、非常にスムースに現場で事が運べたと言う。
大災害に於ける救援活動では消防、警察、自衛隊、民間の協力体制が必要不可欠であるが、現状では救援方法ひとつとっても統一されておらずUSAR(Urban Search and Rescue : 都市型捜索救助)の方法論の普及が望まれている。



今回は各地の件の教官や救助犬協会の方の人脈を利用して各地の消防士と救助犬協会の共同で実現した画期的な訓練の現場を見学することが出来た。
実際に生きた人を瓦礫の中に隠し、救助犬とともに消防士たちが声を出しながら歩いていく後を私も付いて歩かせたもらったが、かなりの緊張感があった。
その中で、救助犬協会の方々が持っていた胃カメラみたいなスコープ(?下写真参照)は瓦礫で隠された場所を見るのに活用されていて、一般の消防士の方たちにとっては驚きのツールであったようだ。



救助犬協会の設立は意外に歴史が浅くて阪神淡路大震災の後であった。
このような解体工事現場での訓練にはなかなか許可が下りず、ここまでくるのには大変な道のりであったらしい。
一般に震災に対して危機意識が高まっている現在、このように訓練が出来る現場の確保と垣根を超えた共同の訓練の頻度を上げることが必須であるとのことである。

犬を育成するのには3年かかる、そして育った犬は実働約5年とのこと。
常に優秀な犬を確保するには頻繁に世代交代が必要で、それには分母となるボランティアの方々の数を増やす事が必要だ。



また、消防士の方々のミーティングは大変勉強になった。
救援活動に不可欠なロープひとつとってもまちまちで、これから先に統一された基準を設けていく事が必要ではあるが、本来音頭をとるべき総務省もアメリカから真っ先にUSARの方法論を導入した大都市に対して後から指導しにくいなどの問題も耳にした。休みを使って参加している若い消防士が「これから先、救助方法がどのような方向で統一されていくのでしょうか?」という質問は命の現場を預かる立場からすると切実な問題であろう。
それにしても、消防士ってのは日頃から命張ってるだけあってカッコいいねえ。


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11/23
六本木アートカレッジというイベントで旧友の栗ちゃんが「あの」中田英寿氏と対談する(!)というので聞きにいく。
一体何話すのかと思ったら「伝統が開く日本の未来」だって!?
「旅人」となった中田氏は日本の各地を訪れるうちに伝統工芸に興味を惹かれた。
そしてその火を消すまいぞと決心して彼が作った財団主催でアーティストと伝統工芸のコラボで作品を作るというプロジェクトを数年前より続けているらしい。
ゆくゆくはプロダクトをつくりたいが、まだまだ予算が足りないとのこと。
今は盛大なガラパーティーでオークションをやって、その収益を次年度のプロジェクトに当てている。

聞いていてNHKのBSでやっている番組「たけしのアートビート」を思い出した。
その中で初めてイタリア人以外でフェラーリのデザインをした奥山さんという人が山形で鋳物の職人とコラボしてプロダクトを作っているという話。
http://www.nhk.or.jp/takeshi-art/backnumber/housou15.html
中田氏の活動が啓蒙活動にとどまらず、何とかプロダクトを作るところまで発展してくれることを切に願う次第である。
でもサッカー選手中田英寿の大ファンとしては、チャリティーだけではなく、現役復帰でも監督でも良いから戦いの場であるフィールドに戻ってきて欲しいというのが私の本音。
実際に見る中田さんはどえらく物腰の優しいジェントルマンなのでかなり驚きました。

事前に栗林になんでこんな企画が実現したの?と電話で聞いてみると「ああ、ヒデっすか?飲み友達なんですよ」と言う。
実際に講演を聞いてみると今回のプロジェクトのテーマが「和紙」であり、中田氏が森アートセンター館長の南条さんに相談したところ、昨年の展覧会で和紙を使って壮大な森を創った栗ちゃんに白羽の矢が立ったとのこと。
なんだよクライアント兼スポンサーじゃねーか!
中田氏は「本当に間に合うのか心配していたのに栗林さんはすぐに飲みにいこうって誘うんですよ」を優しく笑っていた。

講演中に笑いを取りまくっていた栗ちゃんが最後にポツリと言った言葉には思わずほろり。
「僕は中田さんがイタリアで活躍しているのと同じ時期に同じヨーロッパ(ドイツ)にいて、たまにペルージャまで試合を観に行ったりしてました。まさか将来このように一緒に仕事をする時がくるなんて想像できませんでした。人が何と思おうと、自分の信じたことを続けていれば色々なことが繋がってくるんですね。」
栗林のドイツでの苦労を知っている身としては拍手喝采だし、改めて非常に大切なことを教えられた気がした。

写真はコラボで生まれた地球儀の作品。南極大陸から頭を突っ込むと地球上の各地が浮かび上がる。デザインの元がビーチボールと聞いて場内大爆笑。



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