石原延啓 ブログ
seeking deer man

nobuhiro ishihara blog 
 






先日実家を訪ねると「ここのところ怒りっぽいし、あとやたらと涙もろいんだよなあ」と父が言う。
私は「それはPTSD(心的外傷後ストレス障害)だよ」と冗談めかした。
震災直後に顔を出した時も「日本がこんなになってしまって悔しい」と目に涙をためていたが、
戦後日本の高度経済成長を支えてきた父親の世代にとって、今回の震災は想像以上にこたえているかもしれない。

そしてキング・カズ。
カズはやはりカズだった。
決めてほしい時に必ず決めてくれる。今までもそうだった。
試合前に5歳の息子が「カズは点を入れてくれるかなあ」と聞いてきた。
内心やってくれるんじゃないかと大いに期待していたにもかかわらず
「いやあ、さすがにそう上手くはいかないんじゃないか。カズはパパと同じ歳だぜ」と私はなぜだか照れて言った。
カズがゴールを決めた時、涙が溢れて仕方なかった。
息子はなんでパパが泣いているのか不思議だったんじゃないかな。
父と同じく涙もろくなっているのかもしれない。
同世代に本物のスターを持てて幸せを感じた。
ただ、被災地から離れて暮らす俺が励まされてどうする。
カズの思いが被災地の方々に届くといいな、いや必ず届くだろう。

そして已然現実は厳しい。
長年福島で有機農法で良質の野菜を作っていた農家の方が出荷停止決定の翌日に自殺されたそうだ。
被災地のニュースを見て胸を痛めるのとはまた別の意味でとても辛い。
何とかならないものだろうか。
震災から一日も早く現地の方々が癒されるのと共に、原発の件が一刻も早く落ち着くことを切に願わずにはいられない。


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既に東北関東大震災から2週間が経つ。
我が家は無傷ではあったけれども本棚がずれて数冊の本が飛び出て落ちた。
整理の途中で以前実家からくすねてきた司馬遼太郎の「十六の話」を見つけ、パラパラと読んでみた。
目にとまったのが冒頭にチェルノブイリの原発事故の記述がある「樹木と人」というエッセイ。
メソポタミア文明とギリシア文明が滅んだのは文明が栄えて人口が増え過ぎて、辺りの樹木を全部切り倒して畑や牧場をつくらなければいけなくなったからだとか。一度農地化された土地は灼熱の太陽に焼かれると砂漠化して二度と元に戻らぬらしい。
産業革命時のイギリスは危ないところだったがコークスの発明で森林を救った。
中国に於いても漢の武帝の時代に強大な軍隊を作り匈奴を破った代償として鉄の生産によって森林を切り過ぎ、諸々の理由も重なってその後近代まで眠れる大国となる原因を作ったと司馬氏は言う。

司馬氏曰く「日本人は自然への美意識が鋭敏だっただけでなく、それへの山や川や大きな樹木に、古代以来、霊魂(アニマ)を感じ続けてきました。が、二千年来、自然の改変を畏れるがごとくであった日本人が二十世紀後半になって、巨大な土木機械を持つようになってから、民族そのものが変わってしまったほどに、平然と自然を切りきざみはじめたのです。」
私はこの記述を読んで、形は違うにせよ今回の原発の事故を思い起こさずにはいられなかった。
私たちは私たちの国土を違った形で砂漠化しているようなものではないか。
そして緑を失った文明は滅ぶそうだ。

こんなぼやきは震災被災地から遠く離れた場所での空論にすぎず、現地の人たちは復興に向けて何とか立ち直ろうとしていて、
原発にしても命を張って頑張っている人たちがいるのは重々承知。
ただ、やはり本当に変わらなければ我が国は亡国の一途を辿ってしまうだろう。

それにしても、司馬さんは国単位のせめぎ合いの中で核兵器が使用されることを危惧していたけれども、世界中のグローバルな企業の大プロジェクトとしての原子力発電政策が国の存亡にかかわってくるだろうとは、17年前には想像できなかったのかもしれないなあ。
(別の本に書かれていたらすみません。)


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辛卯  




友人から「SBIホールディングスの北尾社長が今年の年頭に東北関東大震災を予測していた」というメールが届いた。
私はビジネスの世界に疎いので寡聞にして北尾さんがどのような方か存じ上げなかったが、件のブログ以外の記事も読んでみると、
さすがに大企業の社長をつとめる方は理路整然としていて大したものだなあと思う。
友人は私が敬愛する白川静が引用されていたのもあってメールを送ってくれたのだろう。以下

北尾吉孝日記

「年頭所感」2011年1月4日 11:00

新年明けましておめでとう御座います。
今年は悪天候のため帰省出来なかった人もおられるのではと思います。

さて、吉例にしたがいまして干支(えと)により今年の年相についてお話し致します。
今年は辛卯(しんぼう)であります。刑具に用い切ったり突いたりする鋭い刃物を描いた象形文字です。

白川静博士の『字統』によると辛の字は奴隷や罪人に入れ墨をする道具としています。
だから、舌を刃物で刺すような、ぴりっとした味のことをこの字を訓読みし「からい」と言うのである。
辛酸、辛辣、辛苦という熟語は、以上のような内容の意味合いがある。
さらに辛は上を表わす二と干と一の会意文字である。
干は冒す、一は一陽を表わし、説文学的には、一陽が上を、干(おか)す形とみる。
すなわち、今まで下に伏在していた陽エネルギーが色々な矛盾、抑圧を排除して敢然として上に発現する形であり、前年の庚(かのえ)を次ぐ革新を意味する。
その際、後漢の『白虎通義』にあるように、殺傷を生ずることがある。
故に『漢書礼楽志』にあるよう斎戒自新を要するものである。


他方、卯は後漢の字書『説文解字』によると音通で、卯は冒(ぼう)とよみ「万物地を冒(おか)して出(い)ず。門を開くに象(かたち)どる」とある。
新しい世界が開けていく年とみることが出来る。また卯には、『史記』律書によると茂(しげ)る意がある。
卯は茆(ぼう)で茅(かや)薄(すすき)等の茂みを表わしている。
茅や雑草の茂った未開墾地を思い切って開拓していくのが卯である。

上述した辛卯の字義に鑑みれば、今年はこれまで蓄積してきたエネルギーにより、過去手がつけられなかった分まで大がかりな新陳代謝を進め、閉塞を打ち破り、新たな発展へ向かう年と言えよう。

過去の辛卯の年をみると、自然災害など天変地異の異常や予期せぬ出来事が起き易い。特に地震である。
地下に蓄えられたエネルギーが地上に向かって動き出す。

240年前の1771年4月24日、死者、行方不明者約12,000人といわれた八重山地震。

120年前の1891年10月28日、日本最大の直下型地震濃尾地震が起こり、7,000人以上が死ぬ。
60年前の1951年、3月三原山の噴火。10月14日に九州上陸したルース台風では全国で死者572人。
9月8日サンフランシスコ講和条約と日米安保条約の調印。これにより日本は独立国として第一歩を踏み出した。
立ち上がろうとする意欲を共有した衝動は陽の躍動となり、様々な仕組み構築が始まり、経済的繁栄の道をひたすら進んでいくことになる。
1950年6月から始まった朝鮮戦争は激しさを増し、やがて休戦会議へ。

さて、このような年相なので今年は、
第一に全グループとして地震等の災害に向けた対策を十分にする。特にシステム面で万全を期すように。

第二に、去年からスタートした収益力向上を目指し、全グループ一丸となって敢然とブリリアントカット化のための革新を推進する。
第三に世界のSBIに向け、さらなる未開拓な有望な地域への進出を図る。
第四に今年を我グループのバイオ元年とし全力を挙げて美容、健康、医療など様々な新しい領域でALAの事業の推進を図る。
・・・・・
(以下SBIマネーワールドを定期購買しないと閲覧できず。)
http://www.sbi-com.jp/kitao_diary/archives/201101042379.html

友人は「やはり過去からしか未来は見えないと感じた」と結んでいたが、果たして私たちは今回の震災から何を学ぶべきか?
まずは被災地の復興支援に全力をあげることが第一だが、各種報道に胸を痛めながら自答している。


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人情  




女房からメールがあり、ガスレンジに使っている単一電池が切れたので仕事場に予備がないかとの問い合わせ。
生憎あまりがなかったのでコンビニや近所のなじみの電気屋さんをチェックしたが、4月になれば入るかもしれないけれども今はないとのこと。
ここで電気屋のおじさん曰く、家に2つだけあるから急いでなければ明日お分けしますよ。
とんでもない、申し訳ないと断ったけれども日本人の人情に涙。
幸いにも灯油ポンプや懐中電灯に使っているものがあったので併用すれば問題なし。

写真はネットで拾った良い話。

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友人の奥さんから家内へ問い合わせのメールあり。
彼女はロシア人で海外と日本とで報道の内容に温度差があり過ぎて不安だとのこと。
海外の友人たちから矢継ぎ早に避難勧告のメールが届く私としては、この悩みは良く分かる。
ただ、無責任なことは言えないので、もし不安で、尚かつ疎開先があるのならば一時的に退避すれば安心だし、あとで「大げさだなあ」と笑われても、それはそれで良いのではないかと伝えてもらった。

また、ある海外在住のアーティストの友人は以前より原発に関して警笛を鳴らす作品をつくってきた人だが、今回の事故に対して危機意識ある人とそうでない人(ここでは海外からの情報に耳を傾ける人とそうではない人)の隙間がますます拡がっているが、そこでストレスを生むのではなく、伝えることは伝えて後は各個人の自由意志ということでそれぞれの人々の意志決定を尊重していくしかないのかも知れないと言っている。

彼の意見は、まさに自己責任の発達した西洋的な意見であり、海外の友人から届くメールや諸国大使館の決定、海外メディアの報道などもそこをベースにしているように思う。

また別に今回の原発の危機を訴え続けている海外在住の友人は、彼の家族をはじめ仕事で東京を動けない人が寄り添う妻である女性も含めてfacebook内に沢山居るので本当の危機が来たと確信がある時点までネガティブ情報は極力我慢して表の板には貼らないようにしようと方向転換した、とメールしてきた。

推測するに、先のアーティストの友人の話ではないが、組織や社会に対しての責任や機能を個人単位の事柄よりも重要視する日本の社会、この場合は彼の家族や友人たちの意見との間で多少のストレスが生じたのではないだろうか。
それだけ今回のような状況下では日本と西欧との考え方に違いがあるように思う。

ただ、ここでは誰もが本当に真面目に皆の安全について考えている。
海外からの情報は流言ではないので、今のところは自己責任で取捨選択すべしといったところか。
ともかく原発に関しては全てが杞憂に終わり安全な方向に全てが収束すること、
これ以上被害が拡大せずに一刻も早く被災地が復興して人々が癒されることを誰もが望んでいるということでしょう。

写真:サッカー日本代表のゴールキーパー川島永嗣が所属するベルギー1部リーグのリールセのサポーターが日の丸を掲げて応援している。ありがたし

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世田谷美術館へ「白洲正子 神と仏、自然への祈り」展のオープニングへ赴く。
こういう時なのでレセプションは中止されて内覧会のみ。
前日プロデュースした白洲信哉さんへ問い合わせたところ「こういう時だからこそやるんだよ!」とのこと。
確かに日本国未曾有の危機に際して日本中の神仏が集まっているんだから訪ねぬわけにはいかない。
そして展覧会は素晴らしいものだった。

白洲正子の視点を通して、日本の先人たちが何を眺めて生きてきたのかが良く分かった。信哉さんが日本の原点を常に探している意味も伺い知れた。
自然の脅威にさらされ傷ついている日本。このような時だからこそ考えさせられる展覧会だった。

被災された上に新たな脅威にさらされている現地の方々の身を思うと本当に辛い。
そして現場で対応に追われている方々の心身にかかるストレスは想像だにできない。
これは全然人事ではないのだ。事態が好転するのを祈るしかない。


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震災  




この度の東北関東大震災に際して亡くなられた方々にお悔やみを申し上げると共に、これから出来るだけ多くの方々の命が救われ、被災された方々が一刻も早く癒されることをお祈り申し上げます。

上写真は2週間前に訪れた鹿島神宮の要石。
テレビの報道で参道の大鳥居が倒壊しているのを観た。地震を起こす大鯰を封じ込めているとされるこの要石も今回の震災では全く役に立たなかった。圧倒的な自然の力を前にしてただ呆然するのみ。被災地から遠く離れた自分ですら、震災の前後では違う人間になってしまったような気がする。
テレビの映像に見る津波の映像は、まさに村上春樹の言う解き放たれた「圧倒的な暴力」であり罪の無い多くの人々を飲み込んでしまった。
ただ「なす術もなく」と言いたくなるような絶望的な状況下でも猛威を振るった「圧倒的な暴力」に対して最後まで抵抗した方々が少なからずいた。以下ネットで拾ったニュースより

東日本大震災:「早く逃げて」命かけた防災無線…南三陸

 「早く逃げてください」--。街全体が津波にのみ込まれ約1万7000人の人口のうち、約1万人の安否が分からなくなっている宮城県南三陸町は、町役場が跡形もなくなるなど壊滅した。多くの町職員や警察官、消防職員が行方不明となったが、その中に津波に襲われるまで防災無線放送で住民に避難を呼びかけた女性職員がいた。

 「娘は最後まで声を振り絞ったと思う」。同町の遠藤美恵子さん(53)は、避難先の県志津川高校で涙を浮かべた。娘の未希(みき)さん(25)は町危機管理課職員。地震後も役場別館の防災対策庁舎(3階建て)に残り、無線放送を続けた。

 難を逃れた町職員(33)によると、地震から約30分後、高さ10メートル以上の津波が町役場を襲った。助かったのは10人。庁舎屋上の無線用鉄塔にしがみついていた。その中に未希さんはいなかった。

 遠藤さんは「(生き残った職員から)『未希さんが流されるのを見た』という話を聞いた。もうダメだと思う」とつぶやいた。

 地震直後、遠藤さんの知人、芳賀タエ子さん(61)は「6メートル強の波があります。早く逃げてください」という未希さんの放送の声を聞きながら、携帯電話だけを持ち、着の身着のままで車で避難所の志津川高校のある高台を目指した。停電で信号が動いておらず、周辺道路は渋滞していた。高台への道路を上がる時、振り向くと渋滞の列からクラクションが鳴り響き、その背後から津波が家屋などをなぎ倒しながら追いかけてくるのが見えた。

 芳賀さんは懸命にアクセルを踏み、数十メートルの高さの高台に逃れた。車を降りて避難所の階段を上がった。遠藤さんもたまたま避難していた。

 芳賀さんは遠藤さんの手を握って言った。「娘さんの声がずっと聞こえたよ」

 高台から見下ろす街は濁流にのみ込まれていた。【比嘉洋、写真も】



遠藤未希さんが無線で避難を呼び掛け続けた防災対策庁舎(右側の鉄塔付きの建物)。赤い骨組みだけが残っている=宮城県南三陸町で2011年3月13日午後1時11分、比嘉洋撮影
(毎日新聞 2011年3月13日 22時30分)


25歳のうら若き女性である遠藤さんは流される直前に何を感じどのような思いだったのだろうか。
このような方がいたと思うと日本人として誇りに思うし、同じ状況下で自分が同じように振るまえるのかと疑問に思う。
遠藤さんの安否は分かっていない。

生き残った私たちはもう一度自分の現実に立ち戻り、亡くなられた方々の分も真摯に生きなければいけないと切に思う。まずは、被災された方々に出来る限りの支援をすると共に、自分の人生を一生懸命に生きるということか。

海外の友人たちからも続々と見舞いのメールあり。
その中でNY在住で911テロに遭遇して多数の知人を失い、復興のボランティアをもした経験を持つ友人から「子供たちのケアをしろ!」との指摘をしてもらう。連日テレビで悲惨な状況を見つけるのは表に出さずとも子供たちには相当堪えるとのこと。被災した子どもたちはもちろん、被災地から遠く離れた子供たちに対しても注意が必要なようだ。



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facebookを通じて見知らぬ外国人弁護士?から笑えるスパムメールが届いた。
以下:
Dear Nobuhiro Ishihara,
I am Barrister Vincent Aligner,a solicitor at law.
I have an important message for you concerning the death of your relative ENGINEER Benson Ishihara,and the funds valued at US$12million he left behind in bank here in my country (Togo),Contact me for the full details.
I await your urgent response Asap.
Best Regards ,
Barr.Vincent Aligner (Esq)
Legal Practitioner and Solicitor.

親戚で技師のベンソン石原って。。。誰?
100万ドルはいいんだけれど、トーゴの銀行にお金を残したって言われてもねえ。


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3/3

エドガーのアポに付き合った後に久しぶりにトーキョーワンダーサイトへ。
世界のアートセンターの中でもトップクラスの評価を受けているオランダ、ライクスアカデミーの元校長、ヤンウィレムさんのレクチャーを聞くため。
来日する前にはメントーリングプログラムで韓国、GCCに立ち寄られたとのことで親近感が湧く。
実際に素晴らしい人格者でレクチャーの内容もライクスアカデミーのプログラムも素晴らしいものだった。
とにかく驚かされることだらけ。
アーティストは個別のスタジオをあてがわれるのはもちろんだけれども、2年間の滞在が義務づけられる。
その人数は約50人で一年に26人(オランダ、インターナショナルが半々)受け付ける。
最終学歴から3~4年を経ている26~35歳のアーティストが対象。その審査が面白い。
ジュリー(審査委員会)は5人、うち最低4人は著名なアーティストでクリティックはひとり。
粗よりを経て何度かふるいにかけられるんだけれど、まあまあ良いというアーティストよりも、こいつは嫌いだが特にこんなところが大嫌いかだとか、全然だめだけれどひとつだけ凄く気になるところがあるとか、ジュリーの議論が白熱する人の方を選ぶらしい。
よってアートの文脈やトレンドによって選ばれるというよりも、よりポテンシャルが要求されるとのことだ。
面白い。

驚いたのは重要要素とされる、コミュニケーション、マーケティングや社会性などと並んであげられている技術部門の充実。
今まで未経験の新しい技術をやりたいアーティストを助けるテクニシャンがほぼ常駐しているとのこと!!
普通のレジデンスでこれはありえない。
首都アムステルダムというロケーションといい2年という滞在期間も含め、アーティストがセカンドキャリアを積むには最高でしょう。

ヤンウィレムさんは相談役みたいなポジションに引き下がったみたいだけれど、少しポジションを変えただけで、今は国として問題を抱えアーティストが活動しにくい国とのネットワーク、プラットフォームつくりに力をいれているようだ。
オランダ政府のサポートで文化的途上国のアートインスティテュートに赴きアドバイスをして世界のアートプラットフォームで自立した活動を出来るようにアドバイスをするレインプロジェクトの話が印象深かった。

文化面に限らず、アジアの中に於ける日本の未来に参考になるような話だった。
日本の文化政策の傾向として、外国の有名作家作品を「持ってくる」、あるいは国内アーティスト(団体)を「助成する」ことに重きを置き、「exchange(人材交流)」ということがないがしろにされていると思う。
斜陽と言われる昨今の日本だけれども、未だあらゆる分野で優れたノウハウを持っているし、それらのソフトを羨望の眼差しで見つめるアジア諸国は多いと聞く。
そういった点を活用して、アジア諸国と充実したネットワークを構築して、日本(東京)がそれぞれの分野のプラットフォームの全世界に対する窓口として存在感を記すことができないもんかいなと思い続けて幾数年。






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