石原延啓 ブログ
seeking deer man

nobuhiro ishihara blog 
 





2/23
アーティストの永岡君がアトリエを訪ねて来てくれて一緒に飲む。
彼が作品を発表し始めた頃から知っていて、ちょうど同じ時期にオーストラリアのレジデンスに行っていて彼が訪ねてきてくれたりと何かにつけ縁がある。また、話をしたり作品を観ていると彼の世界観と自分のものとの間に非常に似ているものを感じていた。彼もそれを感じていてくれたらしく、1年ほど前から今度一緒に飯でも喰おうといいつつ時が流れてしまっていたのだが、この度久々の会合が実現。突っ込んで話してみると面白い。面白い奴だとは思っていたが、ここまでぶっ飛んでいるとは思わなかった。近所の自称日本一のモツ煮込屋で一杯ひっかけつつ、場所を私のスタジオに移して彼の新作DVDを観たりしながら、ナラティブについて、あるいは神話について話は多岐に及んだ。

起承転結のつかない曖昧とも言える非常にプリミティブな神話性を持った作品を作り続けることで、「永岡大輔の概念」というものを作りたいのだと彼は言う。それは言語的に確実に説明してしまっては逃げて行ってしまう。そして「昔作られた神話は今自分たちが生きている時代には通用しない。僕たちは新しい神話を作らなければいけないのだ」と彼は言う。全く持って同感、っていうか全く同じこと考えてるなあ。
なんで動物をモチーフにするのかという私の問いに対しては、生まれ育った環境(山形)からの影響もあるし、今すでに自分が慣れ親しんだ環境は失われつつあるというだけでテーマ性を持ってくるということだった。
とにかくエリアーデはもちろんのこと、ラカンだかなんだかの哲学まで、まーよく勉強してるのにも驚かされました。
一番面白かったのはアニメを作る時に大体の筋とか着地点は決めて絵コンテらしきものは作るらしいんだけれど、結局10時間ぶっ続けでドローイングしていると、ほとんどあっちの世界へいっちゃってるから途中で入れるべきストーリーをすっ飛ばしてしまうらしい。昔は後戻りもしたらしいのだが、今はそこから強引に話を作り続ける為に、逆に自分が望む理不尽な世界が醸し出されるのだというところ。やはりライブなところでアートは生まれるということか。
彼の場合5分のアニメをつくるのに10時間ドローイングする訳だが、その間水分補給のみ。食べるのと眠るのは御法度だということだが、まあそれはそうだろうな。
最後に私がナラティブをより意識しながら次のプロジェクトを作ろうとしていて、数字の「3」を巡るストーリーを考えているという話をしたら、突然ムヒョヒョと笑い出してロンドン留学中に観た夢の話をしだした。やはり「3」にまつわる話だが、かなり怖い話。これはちょっと使わせてもらおうかなと思っているので今日はここまで。穏やかで何処から観ても善人なんだけれど、変なやっちゃ。

2/24はスパイラルの上のバーで「ワンピース倶楽部」定例会のゲストで呼ばれてアーティストトーク。アートオフィス・シオバラの塩原さんのアートのコレクションについてのお話の後にスライドを見せながら作品の説明をさせて頂いた。好き勝手にお話させてもらいとても楽しかった。トークのあとに大学でカオス理論を勉強しつつ学生の団体を運営する賢そうな若者から「面白くて共感させられました」と言われた時にはホッとしたし嬉しかったな~。

*ワンピース倶楽部とは石鍋博子さんが主催する現代アートマーケット拡大のため、楽しみながら、最低一年に一作品(ワンピース)を購入することを決意したアートを愛する人達の集まりです。
http://www.one-piece-club.jp/

*写真は永岡君の鹿ドローイングとアーティストトークの様子

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )






作品が思うようにはかどらないが何かと忙しない日々が続く。
そして何と朝青龍が引退!場所中の暴行事件の真相が明らかになるにつれ、これはただ事では済まないなあとは思っていたが、まさか詰め腹を切らされて引退まで行くとは思わなかった。朝青龍に関しては今回の件に限らず賛否両論あるところだが、いつのまにやら曖昧な国ニッポンも妙にロジカルな責任の取らせ方をするようになったものだ。個人的には今度は仕方がないかなと思いつつ釈然としないのはなぜだろう?
以前に朝青龍が怪我で巡業を休場したにもかかわらず、モンゴルでサッカーに興じて本場所を2場所出場停止になったことがある。その時にサッカーの柱谷幸一氏(現浦和レッズGM)がブログに面白い意見を書いていたことを思い出した。相撲が国際的な見地から見てひとつのスポーツとするならば朝青龍は充分に責任をとらされておりとやかく言われる筋合いはないが、昨今の非難のありよう見ていると、相撲というのは明らかに伝統芸能なのだ、うんぬん。
これにはなるほどと思った。
テレビで会見を見ていると朝青龍は全く反省していないことが分かる。不本意ではあるが日本の相撲界という社会の責任の取り方がこれならば仕方ない、といったニュアンスだ。少し前の別のインタビューでも、あれこれ言われているが、一生懸命やっているし、これが自分の表現の仕方だから変えるつもりはない。
なるほど。
実際に朝青龍は素晴らしいアスリートであり、ちょっとやそっとでは作ることの出来ない魅力的なキャラクターだった。相撲好きのうちの息子も非常に残念がっている(と思いきや、あっさりと「ならば次は日馬富士を応援する」と言っていた。。。)
問題は相撲界が近代化や国際化を宣言しながら昔ながらに曖昧なままでいることだろう。ちなみに私個人的には相撲は近代化して国際スポーツだ、なんて言わないで伝統芸能だと腹をくくってしまえばいいと思う。そもそも千秋楽に7勝7敗の力士が必ず勝ったり、決まり手を決めるにも早く手をついたり土俵を割っているにも関わらず「体が死んでいた」とかいう訳の分からない理由で勝負がついたり、相撲とは本来曖昧なものなのだ。日本特有の「もののあわれ」が分からない奴が「もっと透明性を!」なんて突っ込まんで欲しいのよ。昭和52年初場所以来の相撲ファンとしては何だかわからないけれど魁皇が8勝7敗で勝ち越しを続けてるのを見て焼き鳥喰ってビール飲みながら盛り上がりたいのよ。もちろん貴乃花は良かった!あの頃の相撲はガチンコだった。思い出しても涙がでそうになるくらい逸話が多かったなあ。
この度の悲劇は相撲界はあくまで旧態然とした相撲界であり、朝青龍はあくまで自己表現を変えない頑ななアスリート、外国では当たり前だが伝統を重んじる協会とは水と油だった。そして同時に今の相撲界の宝だったはずだ。なればこそ、本人に多少の人格的な問題はあれ、外国人なんだしきちんと指導してやらにゃあと思う。一番悪いのは、そう、「わいは朝潮や」の高砂親方でしょう。次に悪いのは指導力のない親方に責任を押し付けた協会でしょう。外国人力士が大量に増えた現在、相撲協会は部屋任せの指導方法のシステムを変える必要があるのではなかろうか。
分かってます、ここで出てくるのは全力士の上に立つ横綱としての責任、品格の問題ですね。社団法人としての体裁もある。でも本当の力持ち同士が切磋琢磨する相撲本来のあるべき姿に魅力がなくなりそれこそ消滅の危機にさらされたら元も子もない。朝青龍をここまで暴走させる前に打つべき手は沢山あったはずだ。
~というふうに長々と述べてきて相撲を愛する故に矛盾しまくってしまうが、実は私も本当は角聖・常陸山が叫んだように相撲は武士道であって欲しいのよ。貴乃花が目指したように。白鵬じゃなくて日本人力士が双葉山を目指さなきゃいけないんだよ。貴乃花親方の改革に期待したいのよ、本当は。
双葉山の先輩玉錦はけんかばかりしていた。しかしボロボロになるまで稽古した。同時代の相撲取りは飲む打つ買うばかりしていた。でも稽古した。
思うに武士道と同時に興行として成り立たせるならば、年6場所90番を見直して、もう一度お相撲さんを「一年を二十日で暮らす良い男」に戻す必要があるのでは?年二場所で一場所10番だったら毎日がタイトルマッチさながらになり大いに盛り上がるかも。あと平均的に体が大きくなった今、土俵を一回り大きくする必要もある。けが人は確実に増えるが相撲は面白くなるはずだ。
相撲界の古い体質、不祥事を考えるにつけ、不承不承一応腹を切った朝青龍をどうしても政界のあの大幹事長様と比べてしまう。透明性が求められつつグレーな曖昧さが混在して矛盾をきたしているのは相撲界だけではなさそうだ。

あ~、大感動したウィリアム・ケントリッジ展についても書こうと思ったが、長くなったので、今日はひとまずこれにて。

コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )