石原延啓 ブログ
seeking deer man

nobuhiro ishihara blog 
 





9/27
GCC滞在も残すところあと4日。
9月一杯で滞在を終えるキカ、ヨハイ一家、そして私の為にお別れパーティーをやってもらう。
ビール>マッコリ>駆けつけてくれたシャーマン夫妻の差し入れ、恐怖のグレープどぶろく>キカが香港で買ってきちゃったマオタイ、という最悪のコースを辿り泥酔。
最後はお約束の大カラオケ大会。
レイナーに誘われ奇妙なダンスをして腰が痛くなる。
最初はどうなるかと思った今回の滞在でしたが、私の人生の中でも印象に残る二ヶ月だったと思う。
あとで総括しま~す(多分。)

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9/26
仁川よりGCCへ戻る。
やらなければいけない事が目白押し。
夜は第四回目のアーティストのプレゼンテーションセッション。
今回はブラジル人のキカとオーストリア人のレイナー。
レイナーは滞在先にあるあらゆるものを使い、ばらし、組み立てて全く違うものに作り替えてしまう。
工業用のバンド(トランクを締める時に使うようなものだけど、より強固)があるのだけれど、それを利用して鉄筋まで組み上げていた。
ここGCCでも自分や人の部屋の家具をばらしてまるで違う部屋にコーディネートしてしまっていた。
写真は北京で自作の自転車を漕ぐレイナーと、彼が二階ベッドの梯子を組み合わせたハイソファー(?)に座り上機嫌の私とレイナー。
面白かった~。
火曜日のディナーは彼がホストになるらしい。
食事もまた重要な作品だとか。楽しみ。

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この週末はincheon art platformのプロジェクトのリサーチで再度仁川市へ。
用意してくれた通訳と共に歴史館やら韓国近代史の象徴的な場所・江華島へ行く。
韓国もしんどい歴史を持っているね。
大国と陸続きのプレッシャーっていうのは生半可じゃない。
モンゴルに攻められ、秀吉に攻められ、清に攻められ、近世はフランスとドンパチしてアメリカとやり合い、日本に占領され、ロシアの策略にやられて内戦になり~。。。

そんな場所を巡った影響からか、現在の日本の外交について考えてしまう。
かつての日本のように資源を求めて、今度は中国が圧力をかけてきている。
この外交上の緊張感っていうのはここ数十年なかったんじゃないかな。
冷戦時代のソ連も怖かったけれど、やはりアメリカがいるから安心していられたのだと思う。
小沢一郎はアメリカの属国から中国の属国へと方向転換しようとしれるのかもしれないが、現実的には今一度日米関係を修復すべきだろう。
安全保障の必要性を再認識してから国民全体で沖縄の基地問題を考えていくのが筋だと思う。
何処かの鳩が呑気にホーホー鳴けば全て上手くいくのならば政治なんて必要ない。
今、本当に日本の政治力が問われていると思う。
感違いしてはいけないのは、誰も戦争とか軋轢なんかを望んではいないということ。
どうしたら平和を保てるのか、近隣諸国とお互いを尊重しながら利益を共有できるのか。
もはやアメリカは守ってくれない。
日本人はもう一度福沢諭吉が言った「独立自尊」とはなんぞやと考え直すべきなんだろうな。

incheon art platformでは初めてメインランドチャイナのアーティストと友だちになった。素朴で良い奴らだ。
個人レベルでの交流と国の政治レベルでの軋轢のなんと温度差のあることか。
GCCでもイスラエルのアーティストとアラブ人のアーティストが同じ場所で滞在している。
本当に微力ながら個人と個人の交流が平和に役立てばと切に願う。

写真は帰りのバスの車窓から。花で自らを埋めつくしたおめでたいバイク親父。
平和が何より。

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9/23
約一月居座っていた秋雨前線が南下してカラッと秋晴れが心地よい。
本日やっと、かねてから懸案だったGCCの裏山・堂山登山を果たす。

ここはこの地域の聖地であり、どうしても登ってみたかった。
奈良の三輪山みたいなもので本来は山自体がご神体だからむやみやたらに入山してはいけないのだろう、ゴミを捨てたり木を切ったりしてはいけないとスタッフから注意された。
2回登頂の経験のあるプシャモから分かりづらい登山道の入り口を聞いていざ出陣。とはいっても山頂まで15分の距離。
山頂には物見櫓と、かつてシャーマンが作ったという祭壇の跡みたいなものがあった。快晴の青空の下、景色もまた素晴らしかった。



GCC滞在も残すところ1週間を切って何かと慌ただしい。
しかも仁川のプロジェクトも抱えていて毎日朝から夜2時3時までアトリエで仕事。
登山を終えてそそくさとスタジオへ急いでいるとスタッフのサラから電話あり。
今ぶどう畑で以前話題に出た最も力の強かったシャーマンのビデオを見せてもらっているから来いと。
行きを切らしながら駆けつけるとすでに宴会が始まっていた。
以前聖なる泉を訪ねた折に出会ったお婆さん元シャーマンの娘さん、すなわち現役シャーマンはブドウ農家の奥さんでもある。
韓国のお盆時であり帰省客で賑わうこの時期は絶好の書き入れ時なのだろう、ブドウ畑脇の路上にテントを出して営業している。
そこではすでにGCCの面々(スタッフのサラ、ミナ。アーティストのレイナー、プシャモ、ジアード、ネイリ、ナムギ、後にヨハイ一家が参戦)がご馳走になりながらフレッシュ地ワインで酒盛りを始めていた。

皆、シャーマン(下右写真真ん中女性)から様々なアドバイスをもらう。
私は影響されやすい性格なので自分の道を通すように。
但し視野が狭いのでこの先も世界中を回って様々な人たちと交流するようにとのこと。
女房子供が許してくれればそうしたい!いやはや楽しいひと時でした。



初秋の気候も心地よく、昼間から外で飲む。今回の韓国滞在で一番心地よいパーティーだったのではないかな。
しか~し、案の定ワインとは名ばかりのグレープジュースのどぶろくは後に頭痛を引き起こした。
頭痛と闘いながら夜は2時まで2m四方のペインティングに従事しましたとさ、ジャンジャン。


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9/21
韓国は本日より3日間、人によっては1週間ナショナルホリデー。
外国人アーティストは定例の夕食会。
昨年秋にオープンしたこのGCCは色々な意味でまだまだ発展途上。
初期滞在のアーティストたちがお互いに知り合う機会を作ろうということで、毎週火曜日に各人食事を持ち寄りディナーパーティーを自発的に定例化した。
今週はチュニジアのアーティストのサナが皆にクスクスをふるまってくれる。
調理法はいたって簡単と本人は言うけれど、いやはやレストランクォリティー。
極めて美味でした。
今レジデンスは満杯状態らしく、この日もイスラエル、レバノン、チュニジア、ポーランド、オーストリア、ドイツ、韓国、チリ、南アフリカそして日本人の面々。他にも顔を見せなかったけれど、オーストラリア、アメリカ、ブラジルなどなど世界中から田舎の小さな島に集結している次第。


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9/16
朝は松島(ソンド)新都市でリサーチ、とは言っても路線バスでぐるりと回っただけだけれど。
いや~凄いところだった。
数えきれないくらいの巨大なコンドミニアム群、但し人が歩いていない。
未来都市ならぬ未来幽霊都市(ゴーストタウン)。
仁川をシンガポールの様な国際都市に!!と宣言していた市長は昨年あえなく交代してしまったそうな。



そのままソウルへ移動して元祖オルタナティブスペースのLoopでGCCの面々と待ち合わせてグループ展のアーティストブックに関してデザイナーとミーティング。
ギャラリーでは日本、韓国アーティストのグループショーをやってました。
日本側のキュレーターは建畠さん。
その後電車に揺られてGCCまで2時間半の旅。
3日ぶりの仙甘島はなんだか懐かしかった。
すっかりここに馴染んだのかな。


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9/15
午後からはアートプラットフォームが仁川市内の歴史的なスポットを巡るツアーを組んでくれる。
ガイド役の(近代)歴史家・李さんはいかにも昔は機動隊に投石でもしていたのではないか、というアクティビストが齢を経てまるくなった風の魅力的な人物で日韓中にフランス人を含むツアーを率いてくれた。
韓国語しか話せないが、漢字を読み書き出来るので、中国人アーティストや私とは筆談ができるのは助かる。
韓国近代史は日韓併合の歴史も含んでいるので、日本人の私にも配慮しながら解説をしてくれているのが伺えた。
印象的だったのが日本政府によって造られた造船所跡。
今は遠浅の入り江になっていて、上げ潮の時は釣り人で賑わう魅力的な市場になっている。
ここにかつてアジア最大のドックがあったとは想像しにくい。
歴史よりも気になったのがハエから魚の干物を守る装置。
扇風機に細く切った布をいくつかつけてスイッチオン。
たなびく布がハエを寄せ付けないという仕組み。
(動画アップが上手くいかず残念。。。)
仁川は横浜と同じように韓国で初めて開港された街ということで、主に船の玄関としての跡を巡った。
次に近くのスラムを訪ねる。開港に伴い租界を周りにも街ができて同時にスラムも生まれる。その後の朝鮮戦争などでは北からも難民が流れ込んだらしい。
他に日本帝国の軍艦の提督の名前がついた小島なども歴史を感じさせた。



外国人墓地では日本人にもなじみの長崎の武器商人、グラバーの娘・ハナのお墓も。蝶々夫人の娘さんってことですな。
ここで李さんが長崎チャンポンを巡る話を一席ぶる。
皆は蚊に刺され狂ってうんざりしてるw。

最後は李氏朝鮮時代は岬だった公園へ。
李さんは国は違えども人間は皆同じ、平和を目指すのが私の人生の目的だとまた一席ぶる。



私がトッケビについて尋ねると目を輝かせ、真剣な眼差しで私のノートに書き込んだ。
文明発展耶断節/少年と老人/精神世界毎記伝統社会/大問題
文明発展窮極的目的不
日本語が混ざったり漢文として正しいのかはともかくとして、歴史家である李さんから見ても急速な近代化による社会のひずみ、コミュニティーの崩壊は大きな問題と感じられているようだった。





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9/15
アートプラットフォームが主催する午後の仁川市内歴史探訪ツアーまで時間があるので近所を散策。
裏の丘を登ってみると公園があった。
そして何やら見覚えのあるような軍人の銅像が!
そう、日本人にはおなじみのマッカーサー元帥。そして朝鮮戦争の折、連合国軍の巻き返しのきっかけとなった仁川上陸作戦の記念モニュメントだった。
印象的だったのは何人ものお年寄りが熱心にお参りしていたこと。たぶん戦死した同士、親族を慰霊していたのであろう。
韓国の人たちが戦争に関連した施設にお参りする姿を見ながら、ふと靖国問題を考える。
義務を果たし、自国の為に戦い亡くなった先人たちを慰霊するのは万国共通、人としてごくごく自然な行為なのだろう。
どの時代も一部の人間を除いては戦争なんて反対に決まっている。
そういう人としての自然な気持ちが政治的な問題に左右されるのは悲しいことである。



公園を降りる途中の道にかなり充実したジムの設備が。
しかも野ざらし。
う~む、韓国の人たちの発想って大胆なんだよなあ。



中華街もすぐ近く。
なんでもジャージャー麺(シャージャーミェン)はここ仁川が発祥の地らしい!
ツアー集合前に昼飯。当然ジャージャー麺を食す。



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9/14
ひょんなことからIncheon Art Platformというレジデンスのプロジェクトにアクセプトされミーティングの為に仁川市に行く。
いやはやGCCから3時間の行程。もっと近いと思ったのだけれど。
但し着いてみたらロケーションはなかなか魅力的。
仁川は朝鮮が初めて開港した港町で中華街やかつて日本の占領時に建てられた洋館などが立ち並ぶ。
Art Platformも日本の租界があった場所で昔の赤煉瓦の建物を使用している。
ミーティングはそこそこに懇談の夕食会。
勧められて蟹の醤油漬けを食べた時に甲羅が固すぎて差し歯が欠ける。ショック。
夜、喉が乾いて買出しに。歩いて3分のところにグローセリーが、7分のところにコンビニがある。
GCCと比べると遥かに都会だ。。。
共有スペースでインターネットを見ながらマッコリを飲んでいると同じレジデントのフランス人アーティスト・ピエールが来る。
彼は何故だかヤクルト(?)を沢山買い込んでいて一本くれた。
写真は東仁川駅のプラットフォームからの風景。模型だかCGみたいです。
何だか極端な風景でとても韓国らしいだと思ったので掲載。


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9/13
ポーランド人アーティストのパシュモンが音頭をとって、外国人アーティスト同士がモニターを使って作品を紹介し合う交流会の第一回が実現。
モニターの準備をしていたら接続が悪く、そうこうするうちのパシュモンのPCがダウンする大トラブル。
PCは本当に万能でとても便利だが、それが使えなくなった瞬間に、仕事から通信、連絡まで全ての機能が停止してしまう。
これがソウルならば、ああ明日アップルショップで見てもらおう~なんだけれど、ここは本当に田舎だから。
先日の台風による大停電もそうだけれど、改めてテクノロジーの発展の裏にある危険性を感じた。
よって先陣は私が勤めることに。
テーマ性よりブラック&ホワイトのウォールペインティングの白の部分を空間として使っているところが印象的だったみたい。
続いてパシュモの代わりにスタッフのクレメンタイン(韓国人の女の子)がプレゼンテーション。
まだ学生なんだけれど、西洋で教育を受けてる人は積極的だわ。見習うべし。

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