石原延啓 ブログ
seeking deer man

nobuhiro ishihara blog 
 





近所のオーガニック屋で買った根菜ジュース。
にんじん+赤かぶ(大根)や根セロリが入っている。
以前のザワークラウトジュースに比べれば遥かに美味しいが妙に甘い。色はご覧の通り。
尤も例のザーワークラウトジュースは妙に止められなくなってしまい、結局最後まで飲み干した。
お陰様で脂肪分のとり過ぎでできていた口内炎も消えました。
それにしても常温で販売している100%ジュースっていうのも大丈夫なのだろうか?



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4/21
行こう行こうと思いつつも果たせずにいた産業技術博物館へ行く。
以前に自然史博物館が如何にぶっとんでいたかを熱くネイサンに語ったところ、
だったら産業技術博物館も同じように何だか奇妙だからノブはきっと好きだと思うぜ、と勧められていた。
全く興味の外だったのでふーんと思いつつ時間が出来たのでふらりと出かける。
そしてそこは、これまたぶっ飛んだびっくり箱でした!
興奮して写真を撮り過ぎて、自然史博物館に引き続きまたもやデジカメがバッテリー切れを起こした。
近世の科学の発達する過程で様々な実験用の機械が開発されたが、どれを見ても美しく、楽しくて仕方がない。一体何これ?の連続、都合上で駆け足で通り過ぎなければいけないスケジュールを悔やむ。プリズムで光を見る装置ひとつとっても、なんでこんなにスノビッシュにつくらにゃいけないのか?科学は貴族の道楽のひとつだったのではないかな。
それらの機械を見ていると映画やらマンガでん見たマッドサイエンティストが思い浮かぶ。ヨーロッパには同時期の平賀源内みたいなのがそこら中にゴロゴロいたのではないだろうか。
河合隼雄がどこかで述べていたが、ヨーロッパでは子供が妖精やら何やらの話をするのを推奨するが、日本では「そんな馬鹿なこと考えてないで実際に役に立つことを勉強しなさい」となる。そして現実には科学が発達してノーベル賞をとるような学者を沢山輩出しているのはヨーロッパなのだ、うんぬん。
ヨーロッパの人たちというのは潜在的にすごく抑圧されていたのではないだろうか。それが父なる神のせいか王制によるものなのかは知らないが、ある時に押さえつけられていた何かがぶわっと奇妙なかたちで露出する訳だ。
まあ、改めて変なとこだなここ(欧州)は、と思った次第。



重工業機械も圧巻。初めて機械が美しいと思った。それにしてもロボットコーナーにこの案山子の出来損ないみたいなものを置く必要があるのか?
王室御用達風のへんてこな天球儀も???
それでもうちの息子を連れて来たかったな~。

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4/19
エドガーに借りている自転車がまたパンクしていたので修理に出す。自転車を手にしてから3週間、やっと使えるようになった。
嬉しくなって行ったことのない8区へ。お目当てはピアリステン教会の「忠実な聖母マリア」の絵。

「ウィーンの民話」によると1713年に黒死病・ペストがウィーンを襲い、画家ヨセフ・ヘアプストもまた、己が死病に取りつかれたのを知った。しかし彼は既にペストで愛する妻を失い画家としての将来にも絶望していたので死を恐れなかった。ただ死ぬ前にかつて聖パンタレオン教会で見た聖母像のような素晴らしい作品を自分でも描き残したいと祈願する。
するとみるみるうちに病状回復、彼はペストで亡くした妻への愛情と供養の念を込めて傑作を描きあげる。
完成後にヨーセフシュタット小礼拝堂に奉納安置された絵は不幸や絶望に苦しむ人々に慰安と活力を与える不思議な力が込められていたそうな。
「忠実な聖母マリア」と人々に敬慕されたこの絵はその後1756年にピアリステン教会に移されて現在に至る。

~ということなのでネットで調べたのだけれども全くヒットしない。ピアリステン教会は修道院地下のケラーといくつかのコンサートにおける録音が素晴らしいことでそこそこ有名らしいのだがお手上げ。まあ直接当たってみました。

教会の外観はとても古く感じられるが内装は修理を数年前に終えたらしくてとても美しい。けれどもミサ以外は中に入れない。がっかりしていると隅っこに小さな礼拝堂があって小さな聖母マリア像の絵がありロウソクが備えられていた。
読めないけれどドイツ語で但し書きもあったから、多分これでしょう。上手ではないけれど、良い絵なのではないかな。(例え間違っていたとしても悪くない絵ですよ、ホント。)

帰りに街のスポーツ用品店に立ち寄る。JCB使えますって日本語のシールも貼ってあるけれど、滅多にこんなところまで日本人はこないでしょう。ウィーンのサッカーチームのトレーナーを息子の土産に買って帰りました。

ピアリステン教会の美しい写真サイトがあったので貼っておきます。ぐるぐる回って楽しいです。
http://www.panoguide.com/gallery/503/

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4/17
この一週間は雨続きで今日は久しぶりにカラッと晴れた。
日本の友人より紹介してもらったherblet夫妻のお誘いでヴァッハウ渓谷へ行く。
ガイドブックによればドナウ川流域でも最も美しいとされているらしく、世界遺産にも登録されている。古くから交通の要衝であった川の両岸辺にはいくつもの古城や修道院を見ることができる。またワインの産地としても有名だ。
いざ「美しき青きドナウ」へ。

それにしてもオーストリアの田舎の風景はなんと美しいのだろう。余計なものがまるでない。
先日ネットで山形・銀山温泉のアメリカ人名物女将が帰国してしまった記事を読んだのだが、彼女はオーナーが伝統ある旅館の内装を現代の西洋風にリュニューアルするのに反対していたとのこと。結局デザイナーを入れて改装がなされた後、旅館の経営は傾き巨大な負債を抱えてしまった。現代の日本人はもう少し余計なもののない美しさに価値を見いだしても良いのではないかな。

まずはクレムス、デュレンシュタインを通り過ぎてシュピッツへ向かう。
本格的に温かくなってから初めて快晴となった週末、あるいはこの一週間のぐずついた天気の憂さを晴らす為からか凄い人出(あくまでもこちらにしては、という意味ですが)で駐車スペースが見つからない。それでも何とか確保して周辺を散策。
旦那のマリオ曰くブドウのだんだん畑が美しいのでまずはここに立ち寄るそうだ。辺りは春の到来で匂い立つようだ。歩いてみて、とにかく街(村)が旧いのには驚かされる。



次に名所中の名所デュレンシュタインへ移動。
この街を有名にしているのは崖上にあるケーンリンガー城跡にまつわるイギリスのリチャード獅子心王の物語。第三回十字軍の帰途、オーストリアのレオポルト公の怒りに触れて1192~93年にかけてここで幽閉されていたそうだ。そのお城のお膝元、ドナウと山の狭い場所に旧い小さな街がくっついている。駐車場から川縁を歩くと崖の岩肌にトンネルが!そこを昇ると美しい街になっていた。なにげない町役場の建物にも600年(!)の歴史があった。
地元のワインやらアプリコットジャムやらのお店が並びド観光地なのだけれども充分に楽しめた。2歳のおチビちゃんがいたので城跡までは行かなかったが青色の塔を持つ教会のテラスから見るドナウの眺めは美しかったです。



行き帰りの車窓から遠く山の上にSFXの映像のごとく巨大な城壁のシルエットが見えた。後で調べてみるとメルクの大修道院だった。
せっかくオーストリアまできたのだから観光もしなければね。充実した一日でした。


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4/10
同じレジデンス滞在のラトビア人アーティスト・シギータに誘われてネイサンと共にウィーンの森の北端、山の上にある展望台カーレンベルグへ。ここからはウィーンの街を一望できる。
辺りはウィーン市区にも関わらず森とワイン畑に覆われている。現在ではかなり観光化されたにせよウィーンっ子の憩いの地であることには変わりない。
天気が不安定で途中、雹にまで振られたが幸いにもお茶をしていて助かった。
昼食は少し山を下った小じゃれた観光の街・グリンツィングのレストランで念願の伝統的料理Tafelspitz(分厚い茹で牛肉)を食べる。美味。



その後も伝統的なバーをはしごして酔っぱらう。シギータが我らの為に勝手にシュナップス(果実から作られた蒸留酒)を頼んでしまい頭が痛くなった。ラトビア人はお酒が強い。

夜はシギータの誘いを断り地元アーティストのベンジャミンとミカエルのプロジェクトを見に行くが生憎の雨で延期に。仕方なしにベンジャミンのアパートの近くの酒屋で飲む。ここがやたらフレンドリーな人たちのたまり場で地元のパン屋の閉店を惜しむ記念の寄せ書きにサインまでさせられた。一見親父がひとりで切り盛りしている普通の居酒屋だが、どことなく元ヒッピーの香りがする。飲んでいるおいちゃんおばちゃんも明らかに庶民だけれどもどことなく洒落ている。居合わせた人の出身はオーストリア、イスラエル、フィンランド、ドイツ、アメリカ、スロバキア、アメリカ、そして日本と多岐にわたった。

ここでも沢山話す。例えば私の作品の話から発展エスカレートして中国の八卦の話まで。ミカエルのロンドンに於けるプロジェクトの話は興味深かった。数個のスピーカーとマイクをぐるりと設置することで一種の「音のお化け」を作るサウンドインスタレーション。
是非体験したいと思った。自分の表現したいものに通じているような気がする。
一連の会話の中で「アーティストの目的は答えを出すことではなくて、新しい視点を作ることだから」というベンジャミンのふとした言葉に同意。

昼から飲み続けて頭が痛い。そこに英語で突っ込んだ話をするのはしんどいけれど楽しかった。

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トルコ軍の侵略からウィーンを守った救国の英雄プリンツ・オイゲン公の夏の離宮・ヴェルベデーレへ行く。ウィーン版北条時宗の別荘ですが、一通り歩くとヘトヘトになるくらいに広い。そこでクリムトの接吻を観る。

アートをかじりだした十代の頃、ご多分に漏れず奇麗な女性の裸とその装飾性に惹かれてクリムトが好きになり、次にその弟子のシーレの重さと自分の青春を勝手に重ね合わせて熱中し、次第にクリムト作品から離れていった。
以来全く気にしたことがなかったにもかかわらず、改めてクリムトの作風に影響されている今の自分に気づかされた。
こちらに来てから日本の文化の空間について技法的に見直していて、自分が表現したいテーマをどうしたら上手く表現できるか試行錯誤していたのだが、何のことはない私がやろうとしていたことは100年以上前にクリムトがやってました。
新しい表現方法を日本の伝統文化の中から抽出できないかと思っていた自分ですが、実際に日本の文化から大きな影響を受けた西洋人のクリムトを通してヒントを与えられるとは思いませなんだ。これもまた情報化された現代の社会ではよく起こりうることなんだろうな。唯、ここウィーンでそれに気づかされるというのは遥々遠くへ来たかいがあるっていうもんですね。

帰り際に超・掘り出し物を見つける。人のいない下宮の小さな庭に目を向けてみると何やら妙なオブジェが置いてあるではないか。近寄ってみたらダン・グラハムの作品だったのだけれども、いやビックリ!感動しました。設置の場所とか効果とかがパーフェクト。日本的な「味」とは無縁のクールなマテリアルなのだけれども奥の深さを感じさせる。とらえどころのない空白とそこから私の体内に感じ取れる微妙な振動は「禅」的な世界観を考えさせてくれた。クリムトの接吻と並んで必見。非常にレベルの高い作品だと思う。

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日本とのやり取りに時間を割かれる慌ただしい一日。スカイプ便利です。
ついこの前までテレビ電話なんて未来の象徴そのものだったのに今や無料だから。。。テクノロジーの発達って凄い。
昼はMQ Qualtier21 主催、滞在しているアーティストたちの交流会第二弾。
既に仲良くなっていた連中もいて前回に比べて気楽に過ごす。

その後あまりにも天気が良いので遊園地もあるどでかい公園プラーターへ。何でもここはセントラルパークの3倍の広さとか。大観覧車には乗らず、Liliptbahnにのって公園の奥までぐるりと回る。このミニ電車は全長3.9 km もあるらしくてなかなか楽しめる。走り出した電車に慌てて飛び乗ったが日本ではありえない話。扉代わりの鎖もあってないがごとし、自己責任が行き届いているのだろう。
エドガーが言っていた栗の花は咲いていなかったけれど、所々に桜とおぼしき花も咲いていて一斉に芽を吹きつつある春を堪能。ここヨーロッパでは季節の移り変わりが身近に感じられる。



夜はMQでブラッドのアーティストトーク。この人なつこいやんちゃ坊主は今波に乗りつつあるのではないかな。今年はウィーンでプロジェクトが目白押しとのこと。同じMQ滞在アーティストのネイサンやスタッフのマーギット等と共に、ブラッドをサポートしているフィリップの誘いでカラオケバーへ。ここウィーンでカラオケが認知されだしたのはここ数年のことらしく、イメージとしては日本のカラオケパブみたい。さすがに演歌はないけれど。5分の1くらいがドイツ語の歌だったけれどほとんどの人が英語の曲を歌っていました。この手の店は必ず地下にある。この街の特徴ですね。



その後フィリップのアパートで飲む。その膨大なコレクションに脱帽。彼はレコード屋を経営しながらアーティストをサポートしている真のアートラバーだった。流行に関係なく本当に好きな物しか集めていない、一種のフリークですね。関係者としては嬉しくなってしまう。レコードもそういう風に扱って成功してきたのだろう。中にはビックリするような大物の作品も無造作に飾られていた。何と言うアーティストの作品かフィリップが忘れてしまったコレクションにブラッドがサインしてしまい「レディーメイド」これは僕の作品だ! その大らかさが面白かった。
夜も更けて4時前にレジデンスへ戻る。ブラッド、マーギットも私の部屋に立ち寄り飲み直しながらドローイングの品評会。先日ブラッドとはお互いの顔を描いたドローイングを交換した。5時前に解散。長く楽しかった一日が終了。


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復活祭の週末。
土曜日にはイグナチオ教会へ赴き日程をチェック。日曜日朝に合唱団によるモーツアルトのコンサートがあるらしい。驚いたのは教会内中央通路の手前に地下へ続く階段があって解放されていたこと。人が出入りしているので自分も降りてみると~
お墓へと続く地下通路だった。
そんなに広くはないが迷路のようになっていて、ところどころ少し広くなっている所が蜂の巣状のお墓になっている。写真やお花が飾ってあるのでそれが分かった。一つまた別室につながる通路があるので行ってみると2~3の棺の横に半裸の人の姿が横たわっている!一瞬ミイラか!と思ったが十字架にかけられ息絶えたイエスキリストの死骸を模倣した等身大の人形だった。手足に釘で打たれた穴があいていて体は土色に変色している。周りに花が添えられていたけれど、言っちゃ悪いが趣味が良いとはいえないなあ。日曜日にむくりと復活される前の、神様のつかの間の休息といったところだろうか。

翌朝は教会のコンサートへ。開始時刻の5分前に着くと列にはなっていないが座席は満杯だった。入り口で日本式にきちっと礼をして入場すると関係者のおじさんがニコリ「グリュス。ゴッド」と握手された。いかにも教会的な風景。
合唱自体は悪くはないのだけれど、どこにでも話の長い人(神父さん?)がいるもので、ところどころで演説清聴。ドイツ語もさっぱり分からないから途中で抜けた。
教会で音楽を聴くというのは音響効果もあって心地よいし荘厳な印象を強く受けるが、やはり私はロマネスク様式の小ぶりの人のいない教会で静かに自分と向き合うほうが好きだ。まあ、クリスチャンではないので贅沢は言えません。

夜はこちらに来る前に観ておきたかった「第三の男」DVD鑑賞。
以前観たのが15年以上前。名画中の名画とされる作品に対して今更私が言えることは何もないだろう。が、非常に面白かったので何とか自分なりの感想を述べてみると~
実際にこちらに来てワインケラーやらローマの遺跡やらお墓やらを見てみて、現実的にも抽象的にも「この街の地下には何があるのだろう?」というのは非常に興味をそそられるところ。なるほど最後に主人公が逃げ回るあのシーンは下水道だったのか。第三の男に関する観光ツアーがあると聞いているが、あの地下水路もが見学出来るならば参加しても良いなと思う。
イギリス映画ということだが、第二次大戦後すぐに戦勝国側からの視点で描かれていて、戦後の混乱の中でウィーンの人々が常に何かを隠しているというもどかしい雰囲気が良く伝わってくる。同時にアメリカ人の率直さ、がさつさもパロディーとして描かれていて面白い。劇中にアメリカの売れない娯楽作家である主人公が話の流れでつい現代文学について講演するはめになる。ジェイムズ・ジョイスについて質問されて答えらずに失笑されるシーンなどは、まさに現代にそのまま通じるヨーロッパ人のアメリカ人に対する心境そのままのパロディとなっていて非常に興味深かった。
それにしてもオーソン・ウェルズの存在感は大変なものだ。登場シーンも役どころに関する供述もほとんどないにも関わらず、ハリーという人物の過去や境遇を大いに膨らませて鑑賞者に感じさせる。
本にせよビジュアルアートにせよ一つの作品はある一つの角度からしか物事、事象にスポットを当てることはできない。しかし優れた作品になればなるほど鑑賞者はまた別の角度からの視点を想像させるのだ。単純にストーリーをおさらいしてみるとテーマは戦後の混乱と男のダンディズムになってしまう訳だけれども、いやはや楽しませて頂きました。
ちなみにこの映画はウィーンの人たちには不評であったそうな。混乱してひっけちらかした部屋の中味までを勝手にそのまま描写されてしまったような作品だから、それもむべなるかなと思う。

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エドガーが日本へ向けて出発。最終的に映画の編集はこの夏日本で完了できたらとのことだ。日本人の私がオーストリア人のエドガーをウィーンから東京へ送り出すのも何だか変だけれど、本当にお世話になりました。

今週末はイースター、買出しをしておこうと久しぶりのナッシュマルクト。ぼや~っと歩いていると何やら身なりの良いアジア人のグループが手を振っている。自分へ向けてではないだろうと思い後ろを振り返りつつ近づくと、何と!石鍋シェフだった。東京でもこんな偶然はなかなかないのにビックリ。市場で一番とされる魚屋でムール貝と小魚の揚げ物などをご馳走になってしまった。シェフ自ら取り分けて頂いてしまい恐縮です。

夕方は同じquartier21レジデンスのアーティスト・Nathan Boyerとカフェへ。交流会で会ってはいたのだが、今度お茶でもしようやと言ってそれっきりになっていた。彼がfacebookで私の名前を見つけて連絡をくれたのだが、驚いたことに日米間で活動しているアートディーラーのジェフリーが共通の友人だったことも発覚。なかなか意義のある時間を過ごせた。
歩きながらウィーンの街や人の印象から話し始める。彼はストレートに話しているのに、アメリカ人だから仕方がないねみたいにはぐらかされることが多く、ウィーンの人たちに対して少々ストレスを感じているようだ。
歴史の重みとそれから解放されたい気持ちとの矛盾や、様々な人びとが訪れる都市としての特徴がウィーンの人びとのキャラクターを複雑にしているのではないかという私の意見に対して、ネイサンはかつての宮廷ではその立ち振る舞い(表と裏)が立身出世を決めたから、その習慣が今でも人びとの間に残ったのでは、と言う。面白い。
私の作品について聞きたいというので、自分が多層的な世界を同時に生きていると仮定して、その異なるレイヤーを行き来するキャラクター「鹿男」を描いているんだよと説明する。テクノロジーの発達とは便利なもので、既に私のウェブサイトをチェックしていたらしく話は早い。異なるレイヤーのうち、特に歴史と神話の方向へ話が進む。

(この間、私が先日見つけた小さなカフェ兼オルターナティブスペースはクローズしていたので、ここらでは比較的オーソドックスな古めかしいカフェに移動。内装はマホガニー調だが直線を基調としたシンプルなもので、古い大きな油絵が額装なしでかかっていたり。家具や照明のみがデコラティブ。とても落ち着いた雰囲気で気に入った。)

例えばジョーゼフ・キャンベルが書いているように、日本人にとって神話を意識することは重要かという問いに対して、我々は日頃は神話なんて全く意識していない。しかしお盆や正月には伝統的な宗教観、自然観みたいなものが無意識のうちに顕在化すると答える。キャンベルの「スターウォーズ」神話論から話は進む。1作目は良かったけれど、それ以後どんどん表面的になっていくのがアメリカ流。「アバター」も目のつけどころは悪くないにせよ、話の中身に新鮮味がなくてとても表面的で単純になってしまう。(髪の毛をぶっさせば惑星全部と繋がってしまう等々。)ネイサンはペインティングの作品を作っていたが、結局最後はアバター的になってしまうのでビデオをやることにしたそうだ。

ここで彼がアメリカ人について興味深いことを話した。
彼の両親は多分エリートで、ボストンの大学でPHDを取得中に彼が生まれたらしい。ちなみにボストンの主産業は「大学」で、9月に大学が始まると人口が夏休み時期から比べて100万人増える(!)ということだ。他の家族も学生だったり講師だったり大学に従事している人たちがほとんどで出入りも激しく、当然友だちも短期間で入れ替わる。
彼の家族は20年以上ボストンで勤務したそうだが、彼自身のアイデンティティはボストンという場所に深く結びつかなかったようだ。
ボストンという街は極端な例にせよ、多かれ少なかれアメリカは歴史の浅い移民の国で場所や家系といったものとの結びつきが薄い。ネイサンのお祖父さんはイタリア系だがお祖母さんはポーランド系、まったく違う価値観だ。例えば自分のアイデンティティを祖父さんのイタリアのシシリーに求めたいとしても自分はそこへ行ったこともない。多くのアメリカ人にはセンターがない、ルーツがあってもないがごとし、何かと深く繋がることができない、と言う。
だからアメリカ人は潜在的にそれを探していて、時として極端な行動に出るのだろうということだ。
なるほどルーカスはアメリカ人といってもユダヤ人だから、ルーツがクリアで考え方も違ったのか。
ネイサンと話していて色々なことが明確になった。(もちろん、ブラッドやジャッキーが格闘している黒人のアイデンティティやネイティブアメリカンの問題もあるからひとくくりにできないのは当然です。ルーカスにせよ奥さんはカソリックだし凄く繊細な問題を抱えているはずだろう。)

もうひとつ面白かったのがベルリンの話。ベルリンはどうだい?という私の問いに対して、
「そもそもベルリンは廃墟みたいな建物が沢山あって物価も異常に安い。ドイツ人は基本的にベルリンが嫌いだから、かたぎの人とはあまり接触がない。オープニングではアメリカ人の英語しか聞こえてこないよ。」
「え~そうなの!?」
「アメリカ人のアーティストは山のようにいる。二三のギャラリーがあればベルリンから作品送った方が安くすむ。ニューヨークなんて物価が高くて住めないよ。」
「なるほど」
「ベルリンにはいくつかの画廊があるけれどもコレクターがいない。だから展覧会をやるのは評判を作るため。ニューヨークはどれだけ売れるかがポイントだから、そこが大きな違いだね。僕はベルリンの方が住みやすいよ。」
お互い4月末でレジデンスが終わるから時間があればベルリンに寄ってみたらと誘われる。
う~ん行きたい。

*そうそう、彼はフルブライトからグラントをもらってヨーロッパに来ているとのこと。夏だけアメリカに帰り大学でドローイングを教えて、またこちらに戻ってという生活らしい。昔アメリカで会った日本人の何人かはフルブライトの奨学金で留学していたのを思い出す。日本ではそういう財団が官民含めてどれくらいあるのかな?真っ先に文化庁や国際交流基金が思い浮かぶが、先日聞いたヨーロッパの「エラスムス」計画も然り。日本ももっと若い人を海外へ送り出す施策を強めるべきじゃないかなと思う。テクニカルなこと以外にも異なる価値観を持つ人たちと隣り合わせにいて学ぶことは多い。何よりもまず同じ土俵、同じプラットホームに上がることが重要な気がする。

写真はネイサンの最近の作品「The World as Will and Representaion」より
www.nathanboyer.netwww.artmovement.netwww.nathanboyer.net
www.artmovement.net

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3/31
先日MQ内のクンストハーレでやっている、ウィーンに関係が深い若手アーティストのグループ展を観た。
その中でも不思議な神話性を帯びた鉛筆のドローイングを描くMaria Bussmann に興味を持ちwebでチェック。
日本をテーマにしたシリーズも作っているようなので試しにメールをしてみたら早速返事が来た。
日本に興味があるが行ったことはないとのこと。また、ハイデッガーを通して更に興味を深めたうんぬん。ハイデッガーが橋渡しした日本ってことは道元やら親鸞ってことらしい(Wikipedia参照。)突っ込んだ話になったらやばいな。。。
ともかくイースターの前に会おうということでバタバタと2区の自宅に伺う。
ごっついおばはんだったら怖いとビビっていたが杞憂に終わり、実際のマリアは優しく繊細な女性だった。
生まれも同じ歳で同じように4歳の子供がいるので意気投合。娘のルーシーはとても可愛らしい女の子。最初は照れて話してくれなかったが、うちの長男の大好きな「かえるくん」を引っ張りだしたらなついてくれた。
但し子供の前ではさすがに(幸いにも)哲学の話にはならずに主に生活の話に終始する。
お互いに予定を勘違いしていてイースター後にまた会う約束をして1時間ほどで解散。込み入った話はまた次回。
写真は彼女の「I have never been to Japan」のシリーズより。
http://www.mariabussmann.org/



気がついてみると、ここは第三の男に出てきた大観覧車のお膝元の街でした。


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