石原延啓 ブログ
seeking deer man

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少し前のニュースですが「世界で最も醜い女性」と宣伝され、米国や欧州で見せ物にされた女性の遺体が死後約150年を経て生まれ故郷のメキシコに帰り、埋葬されたそうです。
ジュリア(フリア)・パストラーナは1834年にメキシコで生まれ、先天性多毛症で顔が厚い毛で覆われていて

歯茎が厚くなる歯肉増殖症と分厚くなる唇にも悩まされていた。下働きとして悲惨な生活をしていたが、後に結婚することになる米国人興行者と20代で出会うと、見せ物として歌や踊りをさせられ、米国や欧州を興行して歩いた。歴史家によると、パストラーナは夫に恋をしていたが、夫は単に彼女でもうけるために結婚したと考えられている。(実際にパストラーナの死の数年後、夫・レントは新たな「クマ女」を見つけて再婚し、その女性も見世物として利用された。)
夫は彼女を連れてヨーロッパツアーを行ったが、人々は彼の妻に対し「クマ女」「オランウータンとの交配」などと呼んだ。夫は妻を「ゴリラ女!歴史上最も醜い女」として宣伝していたのだった。彼女は自分が怪物として見世物にされることを恥じ、自分の容貌を深く思い悩んでいた。そして1860年息子を出産した直後にモスクワで死亡。同じく多毛症だった息子も数日後に死亡すると、夫は2人の遺体に防腐処理をし、各国を展示して回った。何とも胸くその悪くなる話で映画のエレファントマンを思い出した。(日本では感動の名作と喧伝されたものだが、監督のデヴィットリンチは主人公を差別する人々の醜さにスポットをあてていたように思う。)
世間は彼女のことを「極端に不快」と表現したらしいが、実際の彼女は歌、ダンスが上手くて地元では慈善団体の寄付などで知られていたという。また、彼女は首から下は完璧に正常な女性で、胸や腕、ウエストなどはたいへんに優美で、性格も穏やかでやさしく、知的で向学心も旺盛であり、各国をめぐる見世物巡業の中で数ヶ国語を習得したという。
彼女の言葉は「私は幸福のうちに死にます。私は充分愛されていましたから。」
彼女は夫のことを愛し、彼の愛を信じていた。


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