石原延啓 ブログ

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春日大社若宮おん祭

2009-12-18 17:21:07 | Weblog


12/16,17と素晴らしい体験をさせてもらいました!!
先日友人の白洲さんから誘われた奈良・春日大社の若宮おん祭りに行く事を決意、日程調整していざ奈良へ向かう。
偶然に前日「御開帳拝観おたく」である父の秘書さんから「今、京都の青蓮院で青不動の御開帳をやっていますよ。12/20までだから見てきたら?」と勧められていたので途中京都に立ち寄ることにした。
実は幼稚園児の頃にこの青不動像や三井寺の黄不動を本で観てえらく感動した経験があり、言ってみれば私が絵描きになる原点になった絵のひとつとも言える。
実際の青不動は期待以上に素晴らしいものだった。
思った以上に大きな絵で発色も素晴らしい。何と言っても座りが良いとでもいうのだろうか。観ているだけでお腹に力がみなぎってくるような、正に不動明王にふさわしい図像でした。混んでいると聞いていたわりには比較的近くでゆっくりと観る事ができたのも良かった。

奈良に着くとホテルにチェックインしてからプレイベントである宵宮祭を見にそのまま春日大社へ。途中で歩道から逸れて無性に飛火野と呼ばれる野原を歩きたくなる。ここは何だかまるまるとしていて私が持つ奈良のイメージさながらに大陸的な雰囲気を感じさせてくれる場所だった。
そこから石灯籠が並ぶ参道に入り本宮でお参りし若宮へ。
夕方4時頃から始まった宵宮祭は祭本番前のプレイベント、明日神様が降りた後始まる各種奉納のリハーサルとも言うべきか。驚くべきことに春日大社は町中にありながら全く開発の手を逃れて小さな山ひとつ分の原生林が残されている。原始の空気を色濃く残した山肌に抱かれる若宮でプレイベントとなる儀式を見ながら、この後深夜より始まる遷幸の儀への期待が嫌をなしに高まった。
そのまま奈良町まで出て夕食をとる。非常に寒い日で暖をとる為にお嫺をつけたら飲み過ぎてしまった。

私は幸運にも神社主催のツアーみいたいなものに参加させてもらい10時過ぎに再度境内へ向ったが、ホテルから集合場所までの路が暗いので驚く。奈良の街は街灯がほとんど無い上に参道へ入ってしまうと私以外誰もおらず暗闇の中をひとり歩いた。正直夕方に一度訪れておいて良かった。時折鹿がキィーっと鳴くのだが、何も知らずにこんなところへとり残されたら震え上がってしまうことだろう。しかしながら闇に眼が慣れてくると新月とはいえ森に比べて空が明るいことに気づく。星明かりかあるいは街の明かりが空の雲に反射しているのか歩いている自分の影までもが見える気がする。いよいよテンションがあがってきたぞ!

集合場所で様々な説明を受けた後、11時半頃若宮へ向けていざ出発。神社のスタッフに懐中電灯で足下を照らしてもらいながら二の鳥居の中まで入れてもらう。私の立ち位置は夕方観た山の裾野にある小さな鳥居の前だった。この鳥居の奥には祠があるわけでもなく山の斜面が続いているのみ、そのまま森へと続いている。鳥居から吹き下ろしてくる冷たい風に思わす身震いしたが、果たしてそれは寒さからだけだったのだろうか。

午前零時、突然境内全ての照明が消える。ある程度目が慣れているので完全な闇にはならない。すると数百メートル先の若宮がある辺りから神様にお知らせする口上が聞こえてきて笛が三度鳴った。(笛を使うのは神様に直接お声をおかけするのは恐れ多いという理由だそうだ。)そこから辺りはただならぬ雰囲気になってくる。雅楽の音色が奏でられ、榊を手にした神職が神様が遷られた巨大な御幣を幾重にも囲みながら近づいてくる。全員が口々に間断なく「ヲー、ヲー」という警蹕(みさき)の声を発っしている。得体の知れない空気(例とするならば百鬼夜行の眷族たちとも言うべきか)があちら側からやってきて実際に目の前を通り過ぎるのを実感した。私は思わず頭をたれて手を合わせてしまった。

実際に体験する前はもっともの静かで清々しいものではないだろうかと想像していたのだが、どうしてどうしてこの神様は地から溢れ出る荒々しい原始の力を醸し出していた。

その後神職たちの行列のあとについて参道を下り、お旅所へ到着。若宮様(神様)がそこに鎮座され、巨大な太鼓がドーンと叩かれる。空を見上げると満点の星空で、私はその時一瞬自分を見失い、一体何処にいて何をしているのか分からなくなった。
何とうい凄い儀式に立ち会ってしまったのだろう。

酷寒の中、小一時間ほど奉納の舞などを見ながら「神」についてつらつらと考えた。
「神」とはそこにある何かしらの空気のようなものを人間が抽出しようとする行為によって初めて立ち上がるものではなかろうか。例えば自然の中にただ空、海、山、河が並んでいるのを人間が意識し切り取ることではじめて「風景」になるように。
しかしそこには確かに当たり前に「何か」があるのだ。古来人間はそういう抽象的な空気のようなものに慣れ親しみ暮らしてきた。現代は情報化社会と言われながら、実はそういった次元の膨大な情報をどんどん失っている時代なのではないだろうか。

午前2時過ぎヘトヘトになってホテルに戻る。さーて風呂入って寝るかーと思っていると白洲さんから「今、小西町で飲んでるから来なよー」と電話が入る。
結局5時半まで飲んでドロドロになりました、ジャンジャン。
(今回この素晴らしい祭りに誘って頂いた白洲さんには多謝多謝であります。また、鹿男の展覧会を無事に終えることが出来たので、鹿にゆかりの春日大社にお参りでできたのは良かった。次は鹿島神宮参拝かな。)

写真は左より、飛火野の鹿、春日大社の参道、若宮様が鎮座された後のお旅所の様子



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1 コメント

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Abatar (論壇)
2009-12-19 11:25:20
凄い体験をしたね。正に展覧会をやったばかりの自作品に繋がる体験じゃないか。タイミングと言い、質と言い、運気が上がっているサインの体験だね。これに乗り切るべし!
僕の方は別居中の妻と息子がロンドンからやってきたので、バンコク特有のソファーベット席での映画館、3人で川の字に成ってジェームスキャメロンの最新作、”アバター”を昨晩観たのだが、
これが予想を遥かに超える力作。只単に子供が喜ぶSFじゃなかった。
例によって僕自身は予告編を全く観てなかったせいもあって、とっても楽しめた。
そこの世界観はDeerManにも繋がるし、神道にも繋がるし、あっ!あれ、あれ!昔読んだ星野之宣の作品を臭わせる感じだったよ。
必ず映画館で観るべし。

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