石原延啓 ブログ

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Tarquinia(タルクイニア?)

2010-03-15 15:18:11 | Weblog


3/12
今回の旅で一番に楽しみにしていた観光ツアーです。
ローマから電車で1時間強かけてエドガーの友人・シェリーが暮らす街、Tarquiniaへ行く。
表記はTarquiniaでシェリー曰く「タクーゥニャ」と聞こえたけれどもウェブで調べたカタカナ表記は「タルクイニア」でした。難しいね。
前の晩は遅くまで飲んでいたので良く皆起きれたな。慌てながらもテルミニ駅でサンドイッチをかっ喰らってタルクイニアへ。窓から見えるヨーロッパの緑は自然というより人の手の入った田園風景なんだけれども、相変わらず美しい。期待してなかった海まで見えた。そうこうするうちにTarquiniaに到着。駅からはシェリーのチビの愛車で5分の移動。早速彼女の友人の司教を訪ねる。生憎の不在だったが部下の神父さんに鍵を借りてTarquiniaで一番古いロマネスクの教会へ。ここは修復中に床から骨がざくざく出てしまったらしく工事が停止したままの状態になっていた。しかしながらロマネスクの教会というのは本当に「祈り」の為にあったと言えるスケールで、どこの国のどんな教会でも私の感覚にしっくりとくる。そう、重心が低いのだ。小さな教会をいくつか散策しつつ初期ゴシックの教会の中にも入れてもらう。こちらは数年前にリノベーションを終えたらしく小奇麗になっていた。



ローマ以前、ここら辺りは海の民によるエトルニア文明というのが栄えていたらしい。その名残を残す歴史のある街らしいのだが、今は小じんまりしていて素朴な人たちが暮らしている。
ウィーンに着いてから感じていた「ヨーロッパ」という鍵括弧をつけた思い込みがいつのまにか取り払われていることに気づく。やはり南の地方の持つ開放感がそうさせるのだろうか。あるいは重苦しい石造りのイメージから離れてより軽やかな煉瓦の建築の持つ雰囲気からか。意外にまだまだ寒いのだけれども、内緒で入れてもらった教会の庭では桜や小さな草花がびっしりとむせ返るように花を咲かせ始めているのを見て驚かされた。もう春なのだ。

精神病の分析や治療に箱庭療法があるけれども、ヨーロッパの人々はそういう意識の奥底から出て来た要素で構成される箱庭の中で実際に生活しているような錯覚を覚える。やはりしばらく東京で膠着してしまっていたのかな。新しい土地で違和感を感じている自分を自覚。
昼食はシェリーが作ってくれたマッシュルーム(でかい)とジャガイモをボイルしたもの。これに地元の作り立てほやほや生チーズやバター、手作りジャム。シシリーの美味いワインを昼間から飲ませてもらってぐにゃぐにゃに弛緩してしまう。



エドガー曰くイタリアはEU内の問題児なのだけれども、この食の充実ぶりは全てを許したくなってしまうよね。それに図にのってしまうのがまたイタリア人なのだけれども。
帰りに駅からホテルまでタクシーを使う。「テルミニ駅からだから更に2€払え」と言うから「ふざけるな」と突っぱねる。気の弱い運ちゃんで「君らは特別だ」とか言って行ってしまった。夕食はパン屋が閉まっていたのでルーカスのディナーで使ったナポリ料理のレストランでピザをテイクアウト。ここでも店主に釣銭を5€ごまかされそうになる。ピザはべらぼうに美味いんだけれどもね。
そう、ここはイタリアなのだ。