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仏教ライフを考える西原祐治のブログです

宮沢賢治の仏教思想③

2024年05月03日 | 仏教とは?
『宮沢賢治の仏教思想』(単行本・2023/12/8・牧野靜著)からの転載です。

 賢治はトシとその死後の行方を、自身の法華信仰を通して、追い求めようとしている。
 第四章では、賢治よりやや手前の時代から同時代にかけての菜食に関する言説を確認した。また、「雨ニモマケズ」における「玄米四合」が、賢治が森鴫外の言説に従って健康な体を望んだものであると同時に、当時の栄養学とも接点を持ちつつ、賢治の母・イチが賢治に健康であってほしいと祈った結果を反映したものでもあったことを確認した。賢治は『法華経』からの抜き書きに埋め尽くされた「雨ニモマケズ手帳」の中に、賢治に健康であってほしいというけの祈りを反映するという仕方で、母とも向き合っていたのである。
 第五章では、賢治が、「すべての生きもののほんたうの幸」という課題の達成に向け、菜食主義や物質の超越という発想を抱いたことを確認した。その際、『ビヂテリアン大祭』が田中智学の「万円禁肉会」から着想を得ていること、賢治が主張する殺生の忌避が、智学の語句と類似することを確認した。また、「注文の多い料理店」の序における「すきとほつたほんたうのたべもの」が、智学の「日本国体の研究」における「物質の超越」「食の霊化」という主張を継承したものである可能性を指摘した。
 賢治は(トシが人間以外の生き物に転生している可能性に苦悩しつつ)すべての生きものとも、仏教の伜を用いて向き合おうとしているのである。
 第六章では、賢治が「みんなのほんたうのさいはい」を希求しようと決意した契機が、関東大震災にあったという仮説を惨証した。その際、賢治が『法華経』の功徳を他者に捩り向けようとした契機が、そもそも背景の追善にかかわるものであったこと、死者の追善という問題意識が、トシの死と関東大震災での人厄を経て、強い使命感へと高揚していった述科を概観した。そのような賢治の問題意識は、複数の死者が登場し、主人公が「みんなのほんたうのさいはい」を希求する『銀河鉄道の夜』に結実したと結論づけた。
 賢治は仏教の信仰を通じ、震災の被災者とも、不特定多数の死背だちとも、向き合おうとしている。
 第七章では、『銀河鉄道の夜』の登場人物たちが、賢治が生涯をかけて向き合おうとした人々の属性を反映しつつ、「みんなのほんたうのさいはい」を祈ったものであるという見通しを検証した。その際、賢治の学友であった保坂嘉内の存在にも行及した。
 現実は困難である。どんな生き物をも殺さずに生きることは不可能であり、皆が同じ信仰を抱くということも起こりえない。どこまでも一緒に行ってほしいと願ったたったひとりでさえ、姿を消してしまう。せめてその行方を確信したいと願っても、叶わない。
 賢治はそれでも、自身の信仰に照らした仕方で、「みんな」を祈る。登煬人物たちは、あたかも賢治がそれまでの人生で出会い、激しい思い入札を抱くも、まるで上手くいかなかった人々の似姿である。賢筒は『銀河鉄道の夜』において、それまでの人生で向き合おうとしたすべての人々を、いまいちど自身の信仰に照らしつつ、祈っているのである。
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