宗派が出している「季刊 せいてん no146」(2024 春の号)に限界の続き「インタビュー」が掲載されています。2回目の転載です。
- そばにいるために
―社会福祉の可能性
そうすると、今、一つ思っているのは、社会福祉です、社会福祉といっても、後見人制度や死後事務の委託制度などがありますよね。ああいうものにお坊さんやお寺が携わっていくということです、そういったところとの関わりから地域社会の中に入っていくということも重要だろうと思ってるんですよ。だから社会福祉の窓口をどれだけ広げられるか、ということを最近考えています。
神奈川県の善了寺、そして富山県でも宗教法人で福祉施設を経営しているお寺が数ヶ寺あります。通所・訪問によるサービスなどの第二種福祉事業は、経営する事業者に制限がなく、お寺でも可能です。そういった活動も今後の可能性として興味深い。年齢を重ねてくると、皆さん死に際しての身の回りの整理について考えることが多くなると思います。築地本願寺はこれをやってるんですけれども、外部に委託してるんですよ。やはり自分たちで研修会をして、自分たちでやっていくような方向性でやらないと身に付かない。
私の父親は晩年に認知症になって、私のことが誰か分からなくなったんです。そうなると、私か父の部屋に行っても、関係のない人と思われたもんだから、部屋に居づらかったんです。でも、「じゃあちょっと爪切ってあげるね」とか、何かしてあげることによって、私は安心してそこにいることができるようになったんです。その時、ボランティア活動というのはそういうことなんだなと思ったんですよ。つまり、何かしてあげるというのは私か安心してその人のそばにいるために私のためにする行為だということです。何かしてあげないと、そばにいる必要はないですから。何かをすることによって、その場に私か安心して存在することができる。
これは都市開教においても同じことがいえると思います。もともとの関係がないわけですから、その人たちのそばに安心して存在するためにはどのようにすべきかを考えることが大事だと思います。
その点で、やはり社会福祉に可能性があるなと思っているわけです。もちろん、苦しみに寄り添うことによってお寺と社会の関係を構築することは理想です。けれども、それを日指して三十五年活動をしてきて、その難しさを実感しています。ですから、苦しみに寄り添うことが大事であるということを是としながらも、もっと広い視点を持ってこれからの活動を考えていく必要があると思います。浄土真宗に縁のない人のそばにどう私自身が安心して近づいていけるのか、そのための手立ては何かということを考えていますね。
これからの伝道について
―都市開教のみならず、今後の伝道のあり方についてお聞かせください。
西原 今の話の続きのようになりすが、浄土真宗が今に伝わってきたのは、私の考えでは、「教えがありかたいから」だけではないんですよ。たしかに、教え自体はありかたいものではあるけれど、教えは「家制度」によって伝わってきたという側面がある。「家制度」はまさに今のジェンダーフリーと逆方向にある考え方ですけどね。ですから真宗が伝わってきたあり方は、現代社会のあり方と矛盾しているんですよね。かたや理想としてはジェンダーフリーを掲げている。実際は家制度があって教えが伝わる。その証拠に、ほかの宗派も教えが伝わってきています。もちろん、浄土真宗に縁があった人は、「ありかたい」と思って豊かに日常生活を送ることができるということがあるんだけれども、伝わるという点で見ると、教えがありかたいからというよりも、家制度がしっかりしてたから伝わってきたのではないかということです。だからその家制度に代わるものをこれからどう構築していくのか。これが一つの課題です。
- 同じことをやる
西原 今後の伝道のあり方についてですが、具体的には、毎年同じことをやるということが一番重要ですね。これが一つの遺伝子のようなものを作っていくことになるか。たとえば初詣がそうです。なぜ初詣をするのかということは、毎年行っている人からすれば、昔からそうしているということで、考える必要がないんですよ。だからけっこう楽なんですよね。これは非常に重要です。昔からしていること、当たり前のことの影響力は、実は非常に大きいんです。
-習慣化するということですね。
西原 そうですね。その点でいうと、二〇一三年におこなわれたアメリカでの実験があります。横断歩道に立って手を挙げて、車が止まってくれるかどうかというものです。その際、通りかかった車を五種類にわけるんです。高級車から軽自動車までランクわけして、どのランクの車が止まってくれるのかを調べた。その結果、Aクラスの一番いい車は、四十五%が止まらなかった。ところが、軽自動車はみんな止まってくれたという結果になりました。
ではなぜそのような結果になったのか。その分析が面白いのですが、Aクラスの車に乗っている裕福な人たちは様々な場面で優先的に扱われる傾向にあるので、自分を優先することが無意識の中に刷り込まれているというものでした。一方で軽自動車に乗ってる人はその逆で、それでみんな止まったわけです。無意識に自分を優先する・しないということが身についている。だから無意識に当たり前のことを当たり前にやるということが非常に重要なんです。「昔からやっているから」、これが一番重要だと思う。ご法事をされるご門徒さんは、先代、先々代のご先祖の頃から法事をやってたんだと思いますよ。だから今も○○回忌だからということで来てくださる。このように、お寺に対する意識を日常化して、大切にしてもらうことがものすごく重要ですね。そういった点からいえば、今のお寺があるのは、先人たちがご苦労して、人々をお育てくださった、その果実で生活させていただいてるみたいなもんなんですよ。 (完)