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【平昌五輪】羽生結弦氏の国民栄誉賞「昨日の今日なので検討していないが、素晴らしいのは間違いない」、西村康稔官房副長官

2018-02-18 16:51:15 | 芸能・スポーツ
【平昌五輪】羽生結弦氏の国民栄誉賞「昨日の今日なので検討していないが、素晴らしいのは間違いない」、西村康稔官房副長官



2018年2月18日 16時28分

産経新聞

 西村康稔官房副長官は18日午前、フジテレビ系「新報道2001」に出演し、平昌五輪のフィギュアスケート男子で、2大会連続の金メダルに輝いた羽生結弦(23)=ANA=の国民栄誉賞授与の可能性について「昨日の今日なので全く検討していないが、素晴らしいことは間違いない」と述べた。

 西村氏は、2016年のリオデジャネイロ五輪レスリング女子58キロ級で金メダルを獲得し、五輪4連覇を達成した伊調馨選手の国民栄誉賞受賞に触れ、「過去4回連続、伊調さんが金メダルを取って国民栄誉賞もある。安倍晋三首相にしっかり伝えたい」とも語った。

 国民栄誉賞はこれまでプロ野球の長嶋茂雄氏や、女子レスリングの吉田沙保里氏ら25の個人と1団体が受賞し、最近では将棋の羽生善治棋聖と、囲碁の井山裕太十段が同時受賞している。羽生氏が受賞すれば27例目となる。

その瞬間。金メダリスト羽生の隣にオーサーコーチでない人がいた理由とは?

2018-02-18 16:48:45 | 芸能・スポーツ
その瞬間。金メダリスト羽生の隣にオーサーコーチでない人がいた理由とは?



2018年2月18日 11時40分

THE PAGE


江陵アイスアリーナのキス&クライで羽生結弦(23、ANA)の隣にいたのはブライアン・オーサー・コーチ(55)ではなかった。オーサー・コーチは、羽生に続き演技するハビエル・フェルナンデス(26、スペイン)のリンクサイドについていたため姿を見せず代わりに小太りの白人男性が羽生の隣にいた。
「チーム・ブライアン」のメンバーの一人、ギスラン・ブリアン・コーチ(55)だ。今大会では日本代表チームでコーチ登録されたが、オーサー・コーチが体調不良で来日できなかった昨年11月のNHK杯にもギスラン・コーチが来日していた。羽生が公式練習で右足首の靭帯を損傷することになった大会である。

「チーム・ブライアン」では、振り付け、スケーティング、ジャンプと専門分野に分かれたコーチがいる。ギスラン氏は、ジャンプコーチ。右足首を痛めた羽生にとって、そのジャンプを、いつ再開し、どういう段階を経て、五輪に仕上げて間に合わせるかが、最重要テーマだった。トリプルアクセルは3週間前、4回転ジャンプは2週間から2週間半前に再開したそうだが、その過程を見守ってきたのが、ギスラン・コーチだった。

羽生は、大会前の会見で、「ギスラン・コーチが、ずっと一緒にいてくれました。ギスラン・コーチとともにジャンプのフォームであったり、感覚であったり、そういったものを重点的に練習していました」と、語っていた。

日々のチェックとサポートはギスラン・コーチが行い、大きな方向性をオーサー・コーチが見る。カナダ人のギスランは、「トロント・クリケットクラブ」の所属でバンクーバー五輪の女子スペイン代表だったソニア・ラフエンテ、ソチ五輪のスペイン代表だったハビエル・ラジャらを専属コーチとして教えてきた。

 一方、フェルナンデスには、スケーティングを専門とする女性コーチをつけるなど、オーサー・コーチはメダル争いのライバルを同時に教えるという矛盾をうまくカバーしていた。

 羽生が、オーサー・コーチに指導を仰いだのは2012年。バンクーバー五輪でキム・ヨナ(韓国)を金メダルへと導いたオーサー・コーチの指導を羽生が熱望したためだ。
 だが、ソチ五輪での金メダル獲得以降は、プログラム構成や、試合に出る、出ないなどを巡って、オーサー・コーチの意見に羽生が反対、自我を通すケースもあって、一部メディアには、衝突、決裂などと報じられた。だが、それも、勝利と高みを求めるゆえのポジティブな対立であり、「チーム・ブライアン」の連携と結束が、この羽生の奇跡とも言える、ぶっつけ本番の復活、金メダルをサポートしたことは間違いない。

現在、福岡でチームの中で指導を行っている元全日本2位の中庭健介氏も、個人競技であるフィギュアスケートにおいていかにコーチングスタッフの結束が重要かを力説する。

「私は、内部事情はわかりませんが、チームの結束力がもたらした効果は大きいと思います。オーサー・コーチは、フェルナンデスら複数の選手を見ているので、羽生選手をずっと見てサポートする人が必要になります。ジャンプを担当するギスラン・コーチがその役を担ってフォローしていたのでしょう。野球で言えば、オーサー氏が監督、ギスラン氏がコーチといった関係でしょうか。今回の羽生選手のように怪我によってブランクが長くなると、イメージや感覚と、実際の体の動きにズレが生じます。なかなか、それを自分自身で感じることは難しいのです。そのとき客観的に見るコーチの意見というものが大切で、修正、改善を助けることになります」

この日、涙の理由を聞かれた羽生は、「本当にここまで来るのは大変でした。育てて下さった方々、支えて下さった方々へ、いろんな思いがこみ上げてきました」と、チームスタッフへ感謝の言葉を繰り返した。
羽生は孤高の天才と称されることが多い。悩んだフリーのプログラム構成も、この日の朝に「自分で決めた」とも言う。だが、この金メダルは一人の力ではなく「チーム羽生」の結束の証だったのかもしれない。

藤井五段わずか16日、無敗で五段卒業 賞金750万「遊んでしまわないように」

2018-02-18 15:28:10 | 芸能・スポーツ
藤井五段わずか16日、無敗で五段卒業 賞金750万「遊んでしまわないように」



2018年2月18日 6時0分

デイリースポーツ

 最年少棋士の藤井聡太五段(15)が17日、都内で行われた朝日杯将棋オープン戦で羽生善治竜王(47)らを破り、優勝を果たした。公式の一般棋戦を中学生が優勝するのは史上初。最年少優勝記録を更新し、同日付で六段へ昇段した。優勝を決め、会見に臨んだ藤井新六段は「(朝日杯への)初参加での優勝は望外の結果」と喜びを語った。

 午前中の準決勝で憧れの羽生竜王を破った藤井五段は、「いい緊張感のまま」決勝戦へ。準決勝に続いて先手番となり、戦型は得意の角換わり腰掛け銀。中盤でリード優勢を築き、悠々と勝利した。

 15歳6カ月での一般棋戦優勝は、加藤一二三・九段(78)が1955年度の「六、五、四段戦」で達成した15歳10カ月を4カ月更新する最年少記録。全棋士参加棋戦優勝も、同じく加藤九段の17歳0カ月を大きく更新。中学生での六段昇段も史上初となった。

 全棋士参加の棋戦Vでについては「望外の結果。ここまでこれると思っていなかった」としつつ、「ゴールではないので、気を引き締めていきたい」と控えめ。史上最年少でのタイトル獲得には「それはこれからの頑張りにかかっている」と言葉に力を込めた。

 2月1日の五段昇段からわずか16日で到達した「中学生六段」については、「昇段から半年…、あっ、半月ほどしかたっていなくて、昇段できると思っていなかったので、とても驚いています」と言い間違い、笑いを誘うシーンも。優勝賞金750万円という大金も手にしたが、「使い道は考えてませんが、これで遊んでしまわないように」と初々しく話した。

世耕経産相の秘書逮捕=タクシー運転手暴行容疑-警視庁

2018-02-18 15:26:38 | ニュースまとめ・総合
世耕経産相の秘書逮捕=タクシー運転手暴行容疑-警視庁



2018年2月18日 13時10分

時事通信社

 タクシー運転手を殴ったとして、警視庁中野署が、暴行容疑で世耕弘成経済産業相の政策担当秘書川村太祐容疑者(60)を現行犯逮捕していたことが18日、同署への取材で分かった。

 同署は認否を明らかにしていない。

 逮捕容疑は、17日午前2時~同25分ごろ、東京都中野区のJR東中野駅前のロータリーで、タクシーから降車する際、運転手の男性の顔を数回殴った疑い。

 同署によると、川村容疑者は当時、酒に酔っていたという。運転手が取り押さえ、通行人が110番した。運転手に目立ったけがはなく、乗車代金は支払われている。

英ウェールズでM4.4地震、過去10年で最大規模

2018-02-18 15:24:43 | ニュースまとめ・総合
英ウェールズでM4.4地震、過去10年で最大規模



2018年2月18日 14時52分

CNN.co.jp

(CNN) 英国地質調査所(BGS)は17日、イングランド西部ウェールズで同日午後、マグニチュード(M)4・4の地震が発生したと報告した。

現地時間17日午後2時31分(日本時間同11時31分)ごろの発生で、震源は同地方スウォンジーから北北東へ約20キロ離れた地点。英国地質調査所の関連サイトによると、震源の深さは7キロ。

同地域におけるこの規模の地震の発生は極めて異例で、3~5年に1回起きる程度と分析。今回は過去10年の間、陸上で起きた中では最大規模の異変とし、1906年のM5・2地震以来、最大級の揺れとしている。

今回のM4・4地震で、大きな被害の情報は直ちに伝えられていない。ただ、サッカークラブはウェールズで行われていた試合が一時中断されたとツイッター上で報告した。

米地質調査所(USGS)はM4・2と観測した。パリに本拠があるヨーロッパ地中海地震学センターは、揺れは震源から最大で300キロの地点でも感知されたと報告した。

メキシコ南東部では16日夜、M7・2の強い地震が発生していた。

羽生結弦の「ある行動」に称賛続々! ファンが感動した「心遣い」とは

2018-02-18 15:22:24 | 芸能・スポーツ
羽生結弦の「ある行動」に称賛続々! ファンが感動した「心遣い」とは


2018年2月18日 13時15分

J-CASTニュース


平昌冬季五輪・フィギュアスケート男子で羽生結弦選手(23)がみせた圧巻の演技は日本のみならず世界中を感動の渦に巻き込んだ。SNSには金メダル獲得から一夜明けた2018年2月18日も、引き続き称賛の声が寄せられている。

そうした中、日本のSNS上では羽生選手の試合後の「ある行動」が注目を集めている。
一度手にした国旗を元に戻し...

前回のソチ五輪に続き、2大会連続の金メダルに輝いた羽生選手。メダルが授与された表彰式に先立って行われた試合後のセレモニーには、銀メダルを獲得した宇野昌磨選手(20)と、銅メダルを獲得したスペインのハビエル・フェルナンデス選手(26)とともにリンク上に登場し、とびっきりの笑顔を浮かべた。

そんな羽生選手の「ある行動」とは、直後のフォトセッションでみせたものだった。

羽生・宇野の両選手は日本国旗を受け取り、報道陣のカメラの前へ移動。ところが前を滑っていたフェルナンデス選手は、スペイン国旗が用意されていなかったためか、平昌五輪の公式マスコット「スホラン」のぬいぐるみを持っているだけだった。

羽生選手はそれに気づいたらしく、フェルナンデス選手のほうを指さすと、一度は受け取った国旗を戻した上で記念撮影に臨んだ。

その後スペイン国旗がフェルナンデス選手の手元に渡ると、今度はしっかりと日の丸を広げ、3人一緒に国旗を掲げて写真におさまった。

またリンクを去る少し前には、手にした日の丸に何かを語りかけ、お礼をするように会釈する場面もみられた。
「心遣いの人」「ほんとに日の丸を背負ってたんだな」

羽生選手のこうした姿に胸を打たれた人は少なくなかったようで、SNS上には

「羽生くん。国旗を全員が持つまで広げないとか リンクに深い深いお辞儀して『ありがとうございました』とか 身についた心遣いの人だなぁと感心する」「国旗をとても丁寧に扱う羽生くんは、ほんとに日の丸を背負ってたんだなと思う」「国旗に向かって『ありがとうございました』って言ってる羽生くんが、ホントに嬉しそうだった...」「羽生の凄いところは、フェルナンデスがスペイン国旗を受け取るまで、広げなかったこと。さすが!」

といった声が寄せられるなど話題を呼んでいる。

なお、羽生選手が国旗に対する配慮をみせたのは今回が初めてではない。

たとえば2015年の世界フィギュアスケート国別対抗戦でのこと。フリー演技後にテレビ局のインタビューを受けることになった羽生選手は、自分の荷物を床に置いた上で「国旗だけ...国旗だけ誰か...下に置くことはできないので」と女性スタッフに預けたことがあった。

その様子をおさめた当時のインタビュー映像は、今回の出来事を受けて改めて注目を集めている。

港区で30代男性が死亡した事故 運転手は元東京地検特捜部長

2018-02-18 15:19:29 | ニュースまとめ・総合
港区で30代男性が死亡した事故 運転手は元東京地検特捜部長



2018年2月18日 13時41分

ライブドアニュース速報
 東京都港区で30代男性が死亡した事故で、乗用車を運転していた70代の男性は、元東京地検特捜部長の石川達紘弁護士であることが18日に分かった。共同通信が報じた

羽生結弦「僕はアイドルじゃない」孤独と犠牲の上に涙の66年ぶり連覇

2018-02-18 07:59:16 | 芸能・スポーツ
羽生結弦「僕はアイドルじゃない」孤独と犠牲の上に涙の66年ぶり連覇



2018年2月18日 5時3分

スポーツ報知

◆平昌五輪第9日 ▽フィギュアスケート男子フリー(17日・江陵アイスアリーナ)

 男子フリーが行われ、ショートプログラム(SP)首位の羽生結弦(23)=ANA=がフリー2位の206・17点、合計317・85点でディック・バトン(米国)以来66年ぶりの連覇。冬季五輪通算1000個目の金メダルとなった。SP3位の宇野昌磨(20)=トヨタ自動車=は202・73点、合計306・90点で銀メダル。冬季五輪では表彰台を独占した1972年札幌大会スキージャンプ70メートル級(笠谷幸生、金野昭次、青地清二)以来2度目の日本勢ワンツーフィニッシュとなった。

 何度もガッツポーズを繰り返し、氷上で羽生が雄たけびを上げた。まだフェルナンデスと宇野の演技が残っていたが、勝利を確信した。右足首をさすり、氷を3度叩いた。「ここまで来るのに大変だったんで、いろんな思いがこみ上げた。本当に右足が頑張ってくれた」。66年ぶりの連覇が決まると、みるみる目に涙がたまり、こぼれ落ちた。

 演技構成は当日の朝に決めた。サルコーとトウループの2種類4本の4回転。難易度の高いループは回避した。「自分が本気になれるプログラム」を追求してきた。挑み続けることが性分だが、それ以上に勝利にこだわった。「跳びたいとか跳びたくないとかいう以前に、何より『勝ちたい』だった。勝たないと意味がないので、この試合は。これからの人生でずっとつきまとう結果。本当に大事に、大事に結果を取りにいった」

 作戦は奏功した。映画「陰陽師」の音楽で演じる「SEIMEI」に乗せ、冒頭のサルコー、続くトウループはともに最大加点の3点を引き出した。ソチ五輪のフリーでは2度転倒したが、この日は8本のジャンプすべてを着氷。最後の3回転ルッツは着氷が乱れたものの、痛めていた右足でこらえ「右足に感謝しかない。ソチ五輪のときは勝てるかなっていう不安でしかなかったけど、今回は何より自分に勝てた」。故障明けで4か月ぶりの実戦というハンデを乗り越え、冬季五輪の個人種目で日本人初の連続金メダルに輝いた。

 昨年11月のNHK杯前日練習で右足首を負傷。この1か月は痛み止めを服用しながらギリギリの調整を続けていた。韓国入りの1週前には薬の強度を上げた。戦いを終え、口にした。「本当に大変だったので。思ったよりも」。最初の診断は靱(じん)帯損傷。1か月後には腱(けん)と骨にも炎症があることが発覚した。2か月も氷から遠ざかり「体力よりもスケートに乗ることの不安の方が大きかった」。氷上へ戻ったのは年明けだった。最初の日はスケート靴を履いて氷の上に立っただけ。翌日は軽く滑っただけ。もう一度痛めれば連覇の機会は奪われる。慎重に進めていくしかなかった。

 陸上でジャンプのフォームとイメージを固めることに注力した。恐怖心はあった。3回転を跳び始めたのは3週間前。4回転は2週間から2週間半ほど前。得意のサルコーは、右足を体にうまく引きつけることができずに2回転でも苦戦した。4分半のフリーを滑りきるスタミナも不安要素だった。陸上ではチューブを使ったトレーニングを中心に筋力を維持した。右足に負担がかからないようにしながら、陸上で曲かけを繰り返した。関係者に「4分半持つ体力はつけてきたから大丈夫」と告げた。

 2011年3月11日、地元・仙台での練習中に東日本大震災に遭った。スケート靴のまま、泣きながらはって外に逃げた。自宅は半壊し、家族で避難所暮らしも体験した。リンクが復旧するまでの4か月は、60公演ものアイスショーに出演しながら練習を続けた。「あれ以上に苦しいことも悲しいこともない」。たくさんの応援に触れた。だから自身のスケートはいつも、周囲への感謝の気持ちが源になっている。

44歳で「発達障害」診断された主婦の苦悩人生

2018-02-18 07:57:06 | ニュースまとめ・総合
44歳で「発達障害」診断された主婦の苦悩人生



2018年2月18日 6時0分

東洋経済オンライン



独特なこだわりを持っていたりコミュニケーションに問題があったりするASD(自閉症スペクトラム障害/アスペルガー症候群)、多動で落ち着きのないADHD(注意欠陥・多動性障害)、知的な遅れがないのに読み書きや計算が困難なLD(学習障害)、これらを発達障害と呼ぶ。

今までは単なる「ちょっと変わった人」と思われてきた発達障害だが、前頭葉からの指令がうまくいかない、脳の特性であることが少しずつ認知され始めた。子どもの頃に親が気づいて病院を受診させるケースもあるが、最近では大人になって発達障害であることに気づく人も多い。

そんな発達障害により生きづらさを抱えている人のリアルに迫る本連載。第8回はADHDを抱える倉田美智子さん(仮名・45歳・主婦)。1対1の会話なら問題ないが、女子が数人集まってのいわゆるガールズトークが苦手で中高時代は不登校を経験。社会に出てからも職を転々としている。若い頃はまだ発達障害という言葉自体がなかったため、ただの困った人扱いをされて苦しんだ。この連載で初となる40代の倉田さんは、どんな生きづらさを抱えてきたのか話を聞いた。

買い物の衝動をコントロールできない

約束時間ちょうどに倉田さんは現れた。手には買い物袋を抱えている。「ちょっと買い物をしてしまい、ギリギリになっちゃいました」。そう言いながらバタバタとカフェの席に着いた。


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倉田さんは衝動性の症状があるため、買い物依存症に。一時期はリボ払いギリギリの額まで買い物をしてカードの返済に苦労したという。買い物依存症というと、無駄なものや高価なブランド物を次々に買い漁るイメージがあるが、倉田さんにとってそうではない。

「売り場で何かを見つけた際、必要なものと不要なものの判断ができないんです。インテリアとか、自分が目についたものはそのときの衝動で買ってしまいます。今はビーズでアクセサリーなどを作るハンドメイドが趣味なので、その材料を買うことが多いです。『必要なものだけ買いなさい』と言われても、私には全部必要なものに思えるんです。優先順位があいまいなんでしょうね」(倉田さん)

買い物の衝動をコントロールできないことに困ったのが、自分が発達障害ではないか疑ったきっかけだという。「23歳、『発達障害』の彼が抱える生きづらさ」(2017年11月22日配信)にも記載したが、ADHDの人はその衝動性からニコチンやアルコール、ギャンブルや性といった依存症に陥る確率が正常な人の2倍という研究結果が出ている。

倉田さんは25歳で結婚するも夫婦そろってうつ病を発症して共倒れとなり、35歳のときに離婚。38歳のとき再婚した。どちらの結婚でも子どもはもうけていない。現在の旦那さんは倉田さんの障害に理解があるため、彼女が衝動的な買い物をしてしまったときでも「あらら」と言うだけで決して責めない。倉田さんも、支払いは現金のみ、できるだけ売り場から離れる、ネット通販だったらパソコンやスマホを閉じるなど、気づいたら対策を取るようにしている。

小学生の頃から書道道具や体操服など、挙げるときりがないほど細々とした忘れ物が多かった。しかし、勉強はよくできた。

「授業を聞いているだけだと退屈しちゃうので、教科書は授業でやっている内容とは別のページを読んでいたり、別の本を読んだりしていました。そうすると、真面目に授業を受けていないと思った先生が私を当てるんですが、それでも私は答えられる。授業の進みが遅いなといつも感じていました」(倉田さん)

ところが、中学校に上がると反抗期のせいか、勉強のやる気もなくなってしまった。さらに、女子特有のグループが倉田さんには理解できなかった。にぎやかなグループには入れず、おとなしい子たちになんとなく混ざっていたが、中3の頃から登校拒否ぎみに。高校は進学校に入学するものの、授業のペースが速すぎてついていけない。ここでも登校拒否となり、先生の勧めで定時制の高校へ転校し、無事卒業した。
ハードな仕事によりうつ病を発症

「当時はフリーター全盛期。高校卒業後は、高校のときから働いていたファミレスのキッチンでバイトをしてフリーター生活を送っていました。その後、22歳の頃、知人の紹介で保険会社の営業へ。そこでうつ病を発症してしまいました。飛び込み営業でノルマがあったので、根を詰めて頑張りすぎたのだと思います」(倉田さん)

このうつ病は、「今考えるとADHDの二次障害だったのだろう」と倉田さんは語る。倉田さんはうつ病を発症する直前に結婚。しかし、間もなく旦那さんもうつ病を発症し、2人とも働けない状態となった。生活保護を受給して暮らしていたが、ケースワーカーから「早く働いてほしい」と言われ、倉田さんは少し体調が良くなると働いた。

しかし、そうするとすぐに生活保護を切られることになる。体調が完全に良くなったわけではないので、半年もするとまた働けなくなり生活保護を受給、という繰り返しだった。倉田さんは働きたいという意思を持っていたが、旦那さんのほうはうつがまったく良くならず、一向に働く気配がない。それが原因で離婚を決めた。

「生活保護に関しては今もバッシングをする人がいますよね。15~16年前は、まだ今のようなブログが一般的ではなかったので、自分のホームページに『うつ病でいくら生活保護をもらっている』『家賃はいくら』『今月はちょっと働けた』などわりと明るい口調で書いたら、2ちゃんねるでものすごくたたかれました。

当時は今以上にうつ病に対する偏見がひどく、怠け者と思われていましたし、『本当は働けるのに不正受給している』と、大炎上しました。いきなり全部削除するのも格好がつかないので保護が打ち切られるときに『生活保護をやめるので、このホームページも削除します』と書き込んで消しました」(倉田さん)
ADHDの症状は便利アイテムを利用して対策

うつやADHDの症状を抱えながら、職を転々としていた倉田さん。物流関係の仕事は何社か経験したが、仕事をうまく進められずに困ったことがあった。

「13時半になったらそのときやっている作業をいったん中断し、別の階に行って違う作業を行い、それが終わったらまたさっきまでやっていた業務に戻らないといけなかったのですが、私にはそれができない。作業に夢中になっていて、13時半に別の作業をやるということをすっかり忘れてしまっているんです。それで、本当に困って旦那に相談したところ、とても良いアイデアをくれました」(倉田さん)

そう言って差し出された倉田さんの左腕には白いGショックがはめられていた。

「そこの事務所内はセキュリティの関係上、携帯電話の持ち込みが禁止だったので、このGショックで13時半にアラームを設定してはどうか、と旦那が言ってくれて実行したんです。このライフハックのおかげで、仕事のすっぽかしはずいぶん減りました」(倉田さん)

Gショックのほかにも、発達障害の症状を緩和するために倉田さんが利用しているアイテムがある。それが、デジタル耳せんだ。聴覚過敏の症状があるので、音がキツく感じるときはデジタルでノイズをキャンセルする。お気に入りはソニーのブルートゥースノイズキャンセリングイヤフォンだが、すぐに充電が切れてしまうため、キングジムのデジタル耳栓も持ち歩いている。


倉田さんが利用しているデジタル耳せんとGショック(筆者撮影)

倉田さんは仕事だけでなく職場の人間関係でも「やらかした!」と思うことがたびたびあった。

「多分、頭の回転は速いほうだと思うんです。そのせいで、何げない会話の中から、この人はどのあたりに住んでいて何人家族で、みたいな個人情報を収集してしまうんです。それで、『●●さん、どこそこに住んでいるんだよね? こないだ雪のとき大変じゃなかった?』と聞いてしまって、『しまった! 気持ち悪いと思われる』となったり……。人のプライベートに立ち入りすぎちゃうんです。

また、職場に届いた荷物で『最近この会社の荷物たくさん来るね』という話になったとき、「●●製作所という会社はどこそこにあって、何を作っていて……」と、自分が知っている情報をバーっとしゃべっちゃうんです。そして、言ったあとに、あっ、みんなしらけている……と感じてしまう。言いたい気持ちが抑えられないんです」(倉田さん)

昔からガールズトークが苦手だった倉田さんは、休憩室での休憩時間も苦痛だ。みんなが話している雑談に入れない。休憩室でつけっぱなしになっているテレビを見ながら、芸能人の話などを同僚がしているが、会話の内容に興味がないためただ聞いているだけになってしまう。職場の飲み会も、職場の人に気を遣って飲んだりしゃべったりしないといけないのがつらい。


倉田さんは1年ほど前にADHDだと診断された(筆者撮影)

そんな倉田さんがADHDだと診断されたのは1年ほど前。もともとうつ病で通っていた精神科で「私、発達障害ですか?」と自ら聞いたところ、ADHDだと診断された。自分はADHDなのではないかと疑い始めたのは、買い物依存症もあるが、もう1つは片付けられないのは発達障害の可能性があると書かれている『片づけられない女たち』サリ・ソルデン(WAVE出版)を読んだことだ。「29歳、有名私大卒の彼女がADHDで抱える苦悩」(2018年1月13日配信)で紹介した公務員の三浦さん(仮名)もこの本が受診のきっかけだった。

「私も片付けられないですし、家事もできません。昨年10月にうつ病がひどくなって会社をやめ、今は求職活動をしながら合間に家事をやったりやらなかったり。でも、掃除はルンバ、洗い物は食洗機、料理は週1回来てくれるヘルパーさんに作ってもらいます。洗濯はしょうがないのでやっています」(倉田さん)
必要な人ほど支援が届いていない

現在、倉田さんは抗うつ薬や睡眠導入剤などの薬のほか、ADHDの薬であるコンサータを服用中。飲んでから12時間ほど効果を発揮する薬だ。

「コンサータを飲み始めたのは、発達障害専門の病院に転院した去年の9月か10月頃からです。それまではストラテラを飲んでいたのですが、イライラや便秘などの副作用がひどく、コンサータに変えたら劇的に効いてびっくりしました。

24時間効くコンサータがあればいいのにと思ってしまうほどです。でも、毎日飲んでいると活動的になりすぎて疲れちゃうので、休薬日も作っています。休薬日は1日寝ているのですが、そうなると生活リズムが狂いがちです。だから、旦那が起きたら自分も起きる、旦那が寝たら自分も寝る、というように心掛けています」(倉田さん)

発達障害自体が知られていなかった20年ほど前までは、二次障害のうつで苦しみ、オーバードース(過量服薬)で3日間昏睡状態に陥ったこともあった。また、倉田さんの右手首には過去のリストカットによる白い線が何十本も走っていた。

「私のように40歳を過ぎてから診断が下りた人間って何も支援がないんです。子どものうちに気づいていれば、今は子ども向けの支援施設もありますが、ここまで育ってしまった大人には何もありません。だから、病院に行けば薬は出ますが、自分で何とかしないといけない状態。大人のための支援については、もう少し行政に頑張ってもらいたいです。

生活保護の話につながりますが、支援が必要な人ほど支援が届かない。私はここまで元気になれたから、自分では料理ができないことがわかってヘルパーさんに頼むことができています。本当にどうしようもないときは、ただ精神科の薬を飲むことだけしかできません」(倉田さん)
みんな少しずつ違う

最後に、発達障害に関する誤った情報も飛び交う世間に対する思いを聞いた。

「別に、発達障害の個別の症状について詳しく知ってもらわなくてもかまいません。ただ、精神障害者もいれば知的障害者、身体障害者、難病指定の病気の人もいる。偏差値50の人間なんていなくて、みんな少しずつ違うということが認められる社会になってほしいです」(倉田さん)

40代になるまで、なぜ自分が衝動的な言動をとってしまうのか、なぜ普通の人と違って良好な対人関係がつくれないのか、なぜ仕事ができないのかわからずに悩み続けた彼女。しかし、今は理解のある旦那さんに支えられながら、困った症状には工夫と対策をこらしている。今後はこれらの症状と客観的に付き合っていけるのではないかと思った。


倉田さん手作りのビーズのピアス(筆者撮影)

話しやすく親しみのある中年女性という印象が強かった倉田さん。事前に筆者のTwitterから、アクセサリーが好きだという情報を仕入れており、倉田さん手作りの美しいビーズのピアスをプレゼントしてくれた。耳につけると、透明なビーズがゆらゆらと揺れた。ビーズの向こうに透けて見えるのは、マイノリティな人がいてもいいと思われる世界であってほしい。