比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
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秋の秩父路・・・・石間から太田部へ・・・山の民の村を行く

2010-11-23 | 道をゆく 秩父路
11月19日秩父路の物見遊山は続きます。秩父市吉田石間から吉田太田部に向います。石間村、太田部村から1889年上吉田村に、そして1956年吉田町にそして2005年秩父市に。
市といってもすごい山の中です。

石間の漆木耕地の海抜300m付近。このへんはどの家にも蜂屋柿という大きな渋柿があります。
2個ずつ縄につけて軒先に吊るすのがこのへんの秋の風物詩です。貴重な換金生産物でした。


道が右に急に曲るあたり南向きの急激な斜面に沢戸耕地、写真の位置は海抜400m。傾斜は1/2くらいだと思います。
家の造りを見ると出桁(だしけた)二階造りです。せがい造りともいいます。出桁の上にベランダがあります。楮、柿などを乾燥させたのではないかと思います。2階は蚕室ですね。


坂道を登って上から沢戸を見ています。ほとんど垂直に感じられます。沢戸の一番高いところは海抜550mくらいと思います。写真位置の背中に半納という耕地があり海抜600mくらいあります。半納とは税金が半分という意味でしょうか。


半納から山道の中へ、途中、土坂峠に行く林道と太田部峠に行く林道の分かれ道があり太田部峠に、太田部峠は林の中、トイレがあります。少し進むと写真の道標が。
すでに太田部に入っていますが、家らしいものがないのでわかりません。集落の名前ももちろん書いてあるわけではありません。いつのまにか楢尾という耕地を過ぎて久保田という耕地に、ここで左に向いさらに右に向うとむかしの小学校の方向のようです。


※このへんでは小集落(字)のことを耕地というようです。わたしの田舎では部落といいました。部落という言葉に別の意味があると知ったのは後年になってからです。 


次回は旧太田部小学校の風景です。


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2 コメント

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秋の秩父路 (oko)
2021-09-02 12:33:02
絶景ですね。
2010年の秋の様子でが、その後、土砂災害などが無くご無事にお過ごしでしょうか?
旅路の折に見学したい!ですが、住居としては無理に思います。
当時の建築者の皆様のご苦労が偲ばれます。
素晴らしい絶景を拝見させて頂き、ただただ感謝をしております。
有り難うございました。
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山の民 (okoさんへ・・・ヒキノ)
2021-09-02 20:55:08
日本中、どこにでもあった風景です。例えば東京でも奥多摩とか。
戦前は山を守る仕事、治山,山の植林、間伐、伐採、植林、薪炭など、樵の仕事で生計が建てられたようです。昭和30年代から輸入材、薪炭の需要が減退、様変わりしていったようです。
無人の家が多くなりました。
山を守る人、川を守る人、耕地を守る人がバランスよく暮らしていければいいのですが。
何100年に一度かの災害は訪れるようですが、不思議に先人は安全なところに家を建てているようです。近くで見ると平地の家より立派な100年、200年の木造建築です。

コメントありがとうございました。
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