吃飯了没有?

元中国深セン駐在員のブログ~中国・中国芸能情報・各方面の旅行日記、日本の街歩き情報を配信します。

海上世界の夢の跡

2011-02-10 21:45:59 | 深セン情報
鵬城の建造物の跡地ではありませんが、こちら(海上世界)の場合は何十年後に歴史を回顧できる場所はなくなりそうです。その海上世界に今週火曜日に足を運んで変化の様子を写真に収めてきましたので紹介します。


↑ここ最近、海上世界の色々な古い建屋の解体工事のピッチが上がっていますね。A-ZONE・・・、懐かしいですね。週末ともなるとバー目当ての外国人客が集まっていましたね。


↑広場の建物はほとんど解体が終了しました。


↑このフレンチレストランも結構賑わっていましたが・・・。今では解体工事のおじさん達の休憩場所と化しています。


↑奥にあった元楽味屋の建屋も壊され始めていました。私はやっぱりこの楽味屋が一番の思い出の場所です。


↑この広場もあと5年もしたら大変身するのでしょうね。どう化けるか・・・。将来見に来る機会はなさそうなので、どなたか私の後を次いで地元密着のブログを始めてくれれば良いのですが・・・。


↑海景広場ビルのすぐ脇にある「私房菜館」が改装工事のため暫く営業を停止すると書かれていました。深センでは営業停止は営業を放棄した意味合いが強く、また一つ店が姿を消したかもしれません。この店ですが、昔はここに岩焼 51号 花園西餐庁という名前のステーキ屋があって、私も一度中に入って食べたことがあります。石造りの建物がお洒落な店でしたが・・・。


↑今日最後は、海景広場より海側の工事の中の様子を上から覗いてみました。大きな穴を掘ってかなり大掛かりな工事となっています。地下道を作っていそうです。地下鉄直結の地下ショッピングセンターか何かができるのかもしれません。

深セン鵬城②

2011-02-10 21:03:58 | 深セン情報
続いて鵬城の紹介です。


↑南門のくぐると南街があって昔は奥に関帝廟があったそうですが、今は跡しか残っていません。


↑南門を入ってすぐ右手には城隍廟という城を守る廟の跡地があります。


↑道なりに中に入っていくと住居が立ち並んでタイムスリップしたかのような錯覚に陥ります。少し澳門の福隆新街に近い感じがしますね。


↑怡文楼と呼ばれる書庫のあった建屋に入ってみましたが、当時の姿が残った場所にそのまま入れるのは、往時の役人の往来が目に浮かぶようで興味深いですね。


↑この建屋は名将故里と呼ばれる、三代に渡って5人の将軍を出した頼氏一族が居とした場所のようです。頼恩爵は1839年にアヘン戦争の九龍海戦で勝利を収め有名になりました。


↑更に中に入って行くと・・・


↑広場があってここは左堂署、守備署、都府署などの役所の跡地となっています。沖縄のシーサーに似た像などもあって南国の歴史情緒溢れる場所でした。本物の歴史建造物を訪ねるとやっぱり感動しますね。だから足を運んでみたくなるのですが・・・。

今日はこれにて終わりですが、鵬城シリーズは明日あと1回写真を紹介します。

人民公園散策③

2011-02-10 20:41:01 | 深セン情報
ときどき
暖かい気候は今日まで。明日から寒くなるようです。日本も連動して東京も雪が降るとか・・・。皆さん風邪には気をつけましょう。風邪と言えば、今香港でH1N1インフルエンザが流行の兆しを見せているようです。既に9名の死亡が確認されているらしく注意が必要です。また深セン~香港・澳門に出入りする際、健康申告書を書く必要が出てくるかもしれません。健康管理には注意しましょう。

さて今日も人民公園の続きからです。人民公園散策シリーズは今日で終了です。


↑人民公園にもこのような池が幾つか存在しています。こういう公園の池の畔にはベンチが置かれていたりして、老若男女問わず男女の語らいの場所になっていますね。


↑昨年春節明けに訪れたにもかかわらず、昨日今日の天気のように夏の日差しを感じる日でした。これが深センの魅力の1つです。


↑池の畔にて。その1


↑池の畔にて。その2


↑池の畔にて。その3


↑公園にはこんな小川も流れていてせせらぎの音が心地良いです。


↑小川の流れの先にはメインの池が存在していました。池の中央の花壇は少し不似合いですね。


↑公園の奥には高台があって展望台があります。折角の展望台ですが木々が生い茂っていて視界は不良です。でも遠くに地王ビルが見えました。


↑高台から戻る階段の途中で、中国将棋に興じる一団を目にしました。中国将棋に興じる市民の姿は、中国華南地区のあちこちで見かけますね。ほとんどがお金をかけてやっていますので皆真剣です。中国では中国将棋と麻雀がまだまだ一般庶民の娯楽となっています。