2000年8月 歌舞伎座
2005年9月 歌舞伎チャンネル
富樫(とがし) 作:野口達二
実はこれ「どんなの?」って期待しておりました。
野口達二とな…。富樫といえば、あの『勧進帳』!
緞帳上がりつつ…。
雪まだ残る春。北陸道加賀の国の関所。
源頼朝の命を受け山伏を厳しく詮議している。
それを誇示するかのように、さらし首が二つ。
あくまでも“武士(もののふ)”としての誇りを第一に考える兄・富樫左衛門。
領民を預かる長であるからこそ“家”を守ろうとする弟・兵衛。
弟には妻・鈴がいる。
その昔、彼女に恋していた兄の気持ちを知らずに娶ったのだ。
そのせいか、兄は未だ一人身である。
幼い頃、弟を片端にしたことを気にする兄に、
武芸は出来ないが、都で新しい学問を学んだ。と明るく答える弟。
二人はすこぶる仲が良い。
だがあの大事件が鍵となり、パンドラの箱が開かれた…。
兵衛が安宅の領地見回りで不在だったある日、
左衛門が山伏一行を通過させたことを知って、兄を烈火の如く怒る弟。
弟「つくり山伏だったというではないか」
兄「山伏の装束、その一つ一つのいわれまで問いただしたのだ」
弟「兄者、その問答の模様を聞かして貰うではないか」
『勧進帳』問答の再現。ここで富樫は弁慶役となる。
兄「兵衛!客僧はしかと勧進帳を所持していたぞ」
弟「ただの…白の巻物だったというではないか!」
兄「兵衛、逃したぞ。判官殿と知って…逃がしたぞ」
弟「判官殿と知って!」
弟「館に討手をかける気配だ。富樫の家も今宵限り断絶いたしますぞッ。
わしは憎いッ。一族郎党を滅ぼす兄者が憎いッ」
「責めは我が命で」と言う兄に
弟は叫ぶ「鎌倉殿がそれで済ませるわけがない!」
それでも切腹しようとする兄に、思わず弟は刃を向けた。
兄「おぬし、死ねるか。おぬしなどに刀など無用だ」
弟「兄者、死ぬことがそれ程までに大事かッ!
む、む、それほどまでにさげすんでおられたのか」
兄「切れるか。切れるか。切れるのか!」(と、呵々かと笑う)
弟「兄者ッ!」(と、立腹を切る)
兄「兵衛!」
弟「死んでことがたりるなら、この兵衛の首を。しかし無駄だ」
妻・鈴は兵衛にすがりつき、絞り出すように「恨みまする。恨みまする」
鈴のお腹には新しい命が宿っていた。
「児々(やや)か!?」驚愕する兄。
兄「兵衛ッ!」
弟「愉しかったのう…兄者」
館が炎上し、討手の馬蹄の音。
幕
芝居は、日本人の<心・魂・情・念>のうねりの詩である。
祀りであり、感動である。
作者野口達二の言葉通り、
富樫左衛門(八十助/現:三津五郎)、弟・兵衛(橋之助)、兵衛の妻・鈴(福助)
3人の心が織り成す縦糸と横糸の綾が美しくて哀しくて…。
涙が頬を伝ってしまったのでありました…。
こんなに良い芝居って…滅多に無いゾォォォ!!
弟役の橋之助。線の細い純真な役はバッチリ。
それを支える兄を八十助は力強く逞しく演じてるし、
可憐でひたむきな女性は福ちゃんの十八番!
「兵衛」「兄上」互いに呼び合う声。
「武士“もののふ”」という台詞の響きが、またなんと耳に心地好いことでしょうか。
そうです!まさにれは『観る』というより『聴く』物語!!
嗚呼…歌舞伎俳優はこんな台詞術も軽くクリアするんだ…。
歌舞伎口調でもなく新劇でもない。彼らにしか表せない色なのですヨ。
富樫がわざと義経一行を逃がした運命の日。
その詳細を我々観客は既に見知っている。
あの後、富樫は責めをうけたであろか。
気になるけど『勧進帳』という物語はそこまで教えてはくれない。
その富樫を中心に据えることで、全くの異空間として追体験してしまった。
上演記録を見て驚いたッ!
こんな素晴らしい作品を17年間も上演していなかったなんてっ!
なんという歌舞伎界の怠慢っ!!
逆に考えればそんな貴重な作品を、ナマで観れて幸運だった。
新しい物を模索するより、昭和の時代に創った作品を追求して!
野口達二の作品をもっともっと上演するべきです。
毎度おなじみの~(byちり紙交換)ばっかりじゃ勿体無いですね。
今月の歌舞伎座は『勧進帳』!『富樫』見たら、劇場へ馳せ参じませう~。
野口達二戯曲撰
☆あくまでも主観で書いたものです。特に他意はありませんので平に容赦下さい。