マキペディア(発行人・牧野紀之)

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読者からの要望と報告に思う

2019年12月04日 | タ行
   読者からの要望と報告に思う

  私(牧野)への要望と報告をいただきました。

 Aさんから、2019/11/11 (ブログへのコメント欄)
 ──お疲れ様です。大論理学の翻訳は結局なされないことに決められたのでしょうか?
 ろくな訳がなく、後世のためにも、是非とも牧野さんの訳を出していただけたらと思う次第です。
 ご検討、よろしくお願いいたします。
 
 Aさんの要望を読んで「どう応えようかな」と考え続けていた所に、Bさんからの手紙が来ました。

 Bさんから、2019年11月24日(手紙)
 ──先日、pdf鶏鳴双書の「ヘーゲルの始原論」「自然哲学」「合本・鶏鳴」を受領いたしました。早速送っていただきましてありがとうございます。
 本日、ようやく「始原論」と「自然哲学」を印刷してファイルに綴じて、収録内容を確認することができました。
 現在は、「小論理学」の現実性論を牧野様の未知谷版と松村一人の岩波文庫版と許萬元の「ヘーゲルにおける現実性と概念的把握の論理」とズールカンプ版を見比べながら、少しずつ読んでいます。
 「フォイエルバッハ論」も楽しみにしております。引き続きよろしくお願いいたします。

 お二人ともに私(牧野)の仕事を評価し、期待して下さっているものではあります。この点についてはもちろん、ありがたい事と感謝しています。しかし、大きく違う点が二つあると思います。
 第1点としては、「自分が牧野本とどう取り組んでいるか」を書いているかいないかです。
 第2点は、「牧野に期待しているものが、牧野が今取り組んでいる仕事か、それとも今後取り組んでほしい仕事か」の違いです。たしかに私は「いずれ『大論理学』の翻訳を考えたい」と言いましたので、「それを実行してほしい」というものです。

 正直に言いますと、Aさんが危惧されますように、『大論理学』の翻訳意欲は私の中で小さくなっています。その理由は、まもなく80歳という年齢もありますが、『関口ドイツ文法』と、特に昨年の『小論理学』で「これ以上親切な本はないのではないか」と思われるほどの仕事をして、『大論理学』で同じかそれ以上の仕事は出来ないと思うようになったからです。
 それ以上に根本的な事は、Bさんのように、原典と拙訳と松村訳(と出来ればウオーレスの英訳)を比べながら読んで、一文ずつ、「この牧野の理解で正しいか」と考えれて行くとしたら、これ以上の「哲学修業」はないと思うからです。

 思うに、本当は、エンゲルスがこのような「評注」を書いてくれると好かった、あるいは書くべきだった、と思います。そうすれば、その後の社会主義運動は根本的に変わっていたとすら思います。つまり、私は、エンゲルスがするべきだったのにしなかった仕事を、100年以上も後になって、したのだと思っています。

 ついでに言いますと、『関口ドイツ文法』も関口さんが自分でするべき仕事だったと思います。ヘーゲルを歴史哲学でしか理解せず、その「論理学」を(多分)読まなかった、あるいは理解できなかった間違いがここに出たと思います。体系的思考の決定的重要性を理解していたら、戦前、自分の周りに集まっていた(牧野より遙かに優秀な)弟子たちを組織して、本当の「関口ドイツ文法」を出し、それを改版ごとに充実させるというやり方をしたでしょう。

脱線がひどくなりました。元に戻って、私の今後の仕事を考えます。まあ、出来れば『大論理学』の第3部の概念論くらいは訳したいとは思っています。ヘーゲル原書講読会の本科が始まれば、『大論理学』か『哲学史講義』をすることになるでしょう。
 が、当面の予定は、まずオンデマンド出版をマスターして、つまり未知谷さんで断られた『フォイエルバッハ論』を鶏鳴出版で出すことです。
 続いて『許萬元のヘーゲル研究』を片付ける予定でs。
 3番目には『精神現象学』の第3版を準備しますが、これは『簡約版・関口ドイツ文法』と平行して進めようかと思っています。
 後者は800ページ前後にまとめなければなりません。オンデマンドを仲介してくれるところがそれ以上の大部な本は印刷製本が出来ないと言っているからです。しかし、簡約版ならその程度で十分でしょう。
 それが終わったら、今度はその牧野流に和訳した『精神現象学』の序言と序論(だけでも)をドイツ語に訳し戻して、哲学研究者なら誰でも分かるようにしたいと思っています。日本ではあまり認められないので、世界に打って出ようという魂胆です(笑う)。
 いつまで命が続くかな。まあ、夢みたいなものですが、意気だけは軒昂です。

 最後に、読者への希望を書きます。それは、「牧野支持者の応援が、他の有名人の場合とずいぶん違うのではないか」ということです。
 思うに、「自分の信奉している理論や思想への批判を聞いた場合の反応には、大きく分けて3つあると思います。第1は、創価学会信者や共産党信者のように猛烈に、感情的に反論するものです。第2の態度は、三浦つとむ支持者や吉本隆明支持者のように、第1の態度ほどではないにしても、無気になって反論する態度です。これらの態度と比べると、牧野支持者の振る舞いは、よく言えば理性的、控えめに言えば「おとなしすぎる」と思います。

 最近、出口治明さんという有名な方(立命館アジア太平洋大学の学長で、朝日新聞の書評委員の一人でもある人)が『宗教と哲学の全史』(ダイヤモンド社)とかいう大著(400頁以上で2400円だったかな)を出して、大評判になっているようです。私も買うか否かを判断するために本屋で立ち読みしました。もちろんヘーゲルの項だけです。
 その項の最後に自分で読みたい人への参考として、ヘーゲルの著作の訳本が3冊挙げられています。熊野純彦訳『精神現象学』(ちくま学芸文庫)と長谷川宏訳『歴史哲学講義』(岩波文庫)とあとひとつですが、これは書名を忘れました。

 私は長谷川宏の訳したヘーゲル本を薦めている人を知るとがっかりします。かつて本ブログの2010年1月23日号にも「評価は評者をも表す(長谷川宏の訳業をほめる人たち)」という文を発表しました。
 今回は少し角度を変えて、牧野支持者がこの出口の長谷川肯定になぜ反論なり質問なりをしないのか、という点を取り上げます。
 私が出口を知ってからまだ日は浅いのですが、これまではいつも教えられてきました。その出口が、いや出口さえもが、長谷川を肯定するとは。がっかりしました。
 かの『宗教と哲学の全史』のヘーゲルの項を読むと、出口の関心は論理学よりは社会観に向いているようですが、このこと自体が偏向していると思います。それなのに、牧野支持者からの批判はレビューに出ていないようです。

 もう一つの不満は、最近の道徳教育の問題です。これが教科に格上げされて、成績が付けられるようになったそうです。そのために多くの教師が困っているそうです。
 私は多くの経験を踏まえて、『哲学の授業』という本にまとめた授業を作り出しました。その根本は次の2点です。つまり、授業の目的を「各自が自分の考えを自分自身にはっきりさせ、更に発展させること」としました。そして、その方法として、現実の問題についての基礎的知識を与えた上で、3~4人のグループで話し合い(自分の考えを出し合い)、最後に30分の時間を使ってレポートを書くことです。教師はレポートの一つずつに短い感想を書くと同時に「教科通信」を作成して、次の時間に配るのです。
 NHKが提灯持ちをした「白熱教室」のような「口から出任せを言い合っておしまい」というのとは違います。

 私のお願いは、この本を読んでいない方は読んでほしいし、その内容に賛成して下さるならば、自分の周りの図書館にこれがあるかを確認して、無かったら、「揃えるべきではないか」と「理由を付けて」図書館に提案してほしいということです。
 
 因みに、私は、兵庫県の姫路市の文学館で関口存男(つぎお)を正当に顯彰していない事を知った5年(?)ほど前に、猛烈な抗議をしました。「今、大改造を予定しており、その時には改める」との返事で、実際に資料を集めていたようです。そして、これは実行されました。

 私もあと20年は生きて働けるように健康に気をつけて、できるだけ皆さんの期待に添いたいと思っています。皆さんも「或る人を支持するとはどういうことか」をもう1度考え直して下さいませんか。


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1 コメント

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よくわかりますが、、、。 (穴澤孝太郎)
2020-03-03 10:35:33
出口治明氏は、ライフネット生命保険の創業者であると記憶しています。(当時の社長と120億円創業資金を二人で集めたという逸話が残っております。)牧野様、牧野様と比べると見識が違い過ぎるのだと思っております。長谷川訳が悪文である事は、私にもよくわかります。論理的に頭に入らないです。ただ、その事で抗議するよりも、スルーした方が心理的ストレスが少なくでいいのです。そんな事よりも、彼の訳しかないような歴史哲学など、牧野様が翻訳をなさらない為に我々は独自で原典のために原語を習得しなければなりません。それは牧野様が我々に残した仕事でもあります。悪文を読んで頭を捻るよりは、自身で習得した方がどれほど為になるか、いずれわかる日が来るかも知れません。

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